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2017-10-23

劇団素描・「不二浪劇団」・《秋田こまち健康ランド》

【不二浪劇団】(座長・瀬川伸太郎)〈平成20年9月公演・秋田こまち健康ランド〉
「劇団紹介」によれば、〈不二浪劇団 不二浪企画所属。平成8(1996)年、現太夫元・不二浪新太郎(初代・瀬川伸太郎)から、現座長・二代目瀬川伸太郎へと受け継がれる。関東を中心に活動をしているが、平成15(2003)年の九州公演における成果により、徐々に活動範囲を広げている。関東の劇団独特の、いなせで粋、写実的な芸風に特長がある。座長 瀬川伸太郎昭和52(1977)年7月13日生まれ。神奈川県出身。血液型A型。初舞台3歳。中学を卒業後、初代に弟子入りし、二代目・瀬川伸太郎として座長修行を開始。3年後、18歳で座長となる。初代に心酔し、その芸を受け継ぐべく、精進を続けている〉とある。また、キャッチフレーズは〈粋でいなせな熱い舞台。そのスケール感と男っぽい魅力で人気を集めている。二代目・瀬川伸太郎と、花形・神楽坂美佳をはじめとする若手たちの熱のこもった演技をお楽しみ下さい〉であった。芝居の外題は「振袖吉五郎」。しかし、どのような筋書きであったか、まったく思い出せない。多分、吉五郎は座長、十手持ちに梅の井けん字、盲目の父親役がでていたような気がするのだが・・・。梅の井けん字が天童よしかつとの「絡み」の中で、「これがホントの手遅れだ」とギャグをとばしたこと、閉幕後の口上で、座長が「今日、夜の部はお休みです。どこかに遊びに行きたいのですが、いいとこ知りませんか?」などと客に尋ねていたことは憶えているのだが・・・。舞踊ショーでは、梅本小夜子の笠姿、梅の井けん字の女形(武家の女房風)、小学校6年生に成長した梅の井みきの艶姿が印象に残った。劇場の「こまち健康ランド」の方はよく憶えている。「食楽亭あかり」で食べたにぎり寿司は、さすが秋田の新鮮な食材、たいそうの美味であった。
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2017-10-22

劇団素描・「若姫劇団」・《芝居「文七元結」の舞台模様は「玉石混淆」》

【若姫劇団】(座長・愛望美)〈平成25年1月6日公演・戸野廣浩司記念劇場〉
午後7時から、東京谷中・戸野廣浩司記念劇場で大衆演劇観劇。「若姫劇団」(座長・愛望美)。前回(12月30日)の「年納め舞踊ショー」は、篠突く雨の中、観客は10人前後で、寂しかったが、今日は「新春特別公演」、40脚のパイプはほぼ満席となった。私が、6時30分過ぎに客席に入ると、「関係者席」という紙の置かれたパイプ椅子が10脚ほどあったろうか、しかし、私は「関係ない」。例によって、最後部の座席に腰を下ろして、待つことおよそ20分、開演時刻が近づいた頃、幕内から座長のアナウンスが聞こえた。「本日はお客様のお力をもって大入りを頂戴しました。ただいま、客席の整理をしておりますので、今しばらくお待ち下さい」。開演時刻の7時になったが、幕は上がらない。なるほど、まだ「関係者席」の面々が立ち歩いている。そうか、ここは「地域密着型」大衆演劇、観客の動向で幕を開けるのかと、妙に納得してしまった。ようやく、「関係者席」が落ち着いた頃、開演となったが、時刻は7時5分。劇団の都合で遅れることは、稀にある(それは劇団の大いなる油断である)が、客席の都合で開演が遅れるなんて「前代未聞」、また一つ、貴重な経験をさせていただいた。さて第一部・芝居の外題は「文七元結」。歌舞伎、落語でお馴染みの演目なので、「やりにくかった」とは、座長の弁だが、配役は左官の長兵衛に座長・愛望美、その女房に愛美心美、娘お花に愛美舞、角海老の主人に弥生あきら、その女中に若姫有姫(子役・6歳)文七に副座長・愛美萌恵、その主人に里村孝雄、といった面々で、「まあまあ」の出来映えであった、と私は思う。その理由、①愛望美の「江戸っ子」気風は、「まあまあ」で、「思い切り」に欠ける。「宵越しの金はもたない」「てやんでぃ、ベラボーメ!」といった啖呵の切れ味が足りない。②女房役の愛美心美、「健気に」カミさんを演じて好感がもてたが、やはり「歯切れ」がもう一つ。③お花役の愛美舞、江戸っ子娘の「おきゃん」「純情」の風情が欲しい。④女中の若姫有姫、座長(母)との絡みは「秀逸」で「達者」、今後が楽しみである。⑤文七の愛美萌恵、登場しただけで「絵」になる様子が魅力的、実力のほどが窺える。⑥男優、弥生あきら、里村孝雄の「芸風」は、「大衆演劇」というよりは「軽演劇風」で異色、とりわけ、里村孝雄の「そらっとぼけた」(白けた)景色が魅力的であった。⑦女房が「ハリ扇」で文七をひっぱたく場面は、抱腹絶倒だったが、「度が過ぎる」と、里村同様に、客も「白ける」ので要注意・・・。まあ、そんなわけで、舞台模様は「玉石混淆」、今後の充実・発展を期待したい。座長の師匠は、若葉しげる、だとすれば妹弟子(?)水葉朱光率いる「劇団朱光」と肩を並べる日も遠くはない、などと思いつつ帰路に就いた。
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2017-10-21

幕間閑話・「鹿島順一劇団」の《魅力》

「鹿島順一劇団」の《魅力》とは何だろうか。ひと言で言えば、「レンゲソウ」の魅力とでも言えようか。俗に「やはり野に置け蓮華草」と言われるように、「大衆演劇」の《本分》をわきまえている、その《奥ゆかしさ》がたまらない魅力なのである。ある劇場での一コマ、舞台がはねてからの客席での会話。客「素晴らしかった。あなたほどの実力があれば、テレビに出られるでしょ?」座長・三代目鹿島順一(当時は三代目虎順・17歳)「いえ、ボクたちは大衆演劇の役者ですから、テレビには出ません。安い料金で、一人でも多くのお客様に観ていただくのがモットーです。そのために『全身全霊』で頑張ります」。おっしゃる通り。「大衆演劇」の本質は、まず第一に「廉価な入場料」なのである。私が初めて「大衆演劇」を見聞したのは、今から30余年前(昭和47年)、東京・千住の「寿劇場」であったが、当時の入場料は100円前後、それで「前狂言」「歌謡ショー」「切狂言」「舞踊ショー」の魅力を3時間余り、十二分に堪能できたのだから。客筋といえば、地域の老人がほとんどで、客席はまばら、中には寝転がって(音曲を聴いているだけの)老爺・老婆連中も見受けられたほどである。今では、大劇場が常打ち(?)となった、あの「梅澤武生劇団」ですら、当時は、そのような「侘びしい舞台」で場数を踏んでいたのであったが・・・、爾来幾星霜、大きな変遷を遂げたとはいえ、「廉価な入場料」は斯界の伝統として脈々と受け継がれている。平成22年6月、三代目虎順は、三代目鹿島順一を襲名、18歳で座長となったが、その披露公演(大阪・浪花クラブ)でも「廉価な入場料金」(通常料金・1300円)は変わらなかった。まさに「見上げた根性」である。劇団の責任者・甲斐文太(前座長・二代目鹿島順一)が座長時代の口上で、よく口にしていた言葉、「うちの劇団は『地味』です。そのうえ貧乏ひま無し、劇団名は、別に『劇団火の車』とも申します」。文字通り「襤褸は着てても心の錦」、どんな花よりも綺麗な舞台を作り続けているのである。私は、平成19年11月以来、足かけ4年に亘って、この劇団の舞台を見聞してきたが、「日にち毎日」の観客数は(平均すると)20人~30人程度であろうか、お世辞にも「人気劇団」とは言えない。だがしかし、である。「鹿島順一劇団」の面々は、観客数の多寡など歯牙にも掛けない。つねに「全身全霊」で舞台を務める、その姿は感動的であり、また、たまらない《魅力》なのである。三代目鹿島順一が虎順時代に口上でいわく、「今日は20人ものお客様に観ていただきました。ありがたいことでございます」。大衆演劇の「大衆」(観客)は、なぜか「客の入り具合」で、劇団の良し悪しを評価しているようだが、私は違う。落ち着いた、静かな雰囲気の中で、ゆっくりと舞台の景色を堪能できる方が、どれだけ楽しいか。あえて「大入りにしない」こと、それも劇団の「実力」(懐の深さ)のうちだと確信している。さて、肝腎の「舞台模様」だが、「鹿島順一劇団」の芝居は、天下一品である。俗に「十八番」というが、「浜松情話」「春木の女」「噂の女」「大岡政談・命の架け橋」「男の盃・三浦屋孫次郎の最後」「雪の信濃路・忠治御用旅」、「仇討ち絵巻・女装男子」「長ドス仁義」「大江戸裏話・三人芝居」「新月桂川」「月とすっぽん」「心模様」「会津の小鉄」「マリア観音」「悲恋夫婦橋」「越中山中母恋鴉」「里恋峠」「源太時雨」(以上十八番)、その他に「悲恋流れ星」「アヒルの子」「幻八九三」「孝心五月雨笠」「木曽節三度笠」「花の喧嘩状」「上州百両首・月夜の一文銭」「明治六年」「恋の辻占」「仲乗り新三」「浮世人情比べ」「人生花舞台」「関取千両幟」・・・等々といった「名舞台」が「目白押し」である。しかも、その芝居の、配役(「主役」「脇役」「ちょい役」「その他大勢」)は、変幻自在に入れ替わる。「主役はあくまで座長」といったこだわりとは無縁、それぞれの「個性」にあわせて「適材適所」に役者が配される。そのことによって、役者一人一人は、舞台の中で(たとえ、「その他大勢」「ちょい役」であっても)「なくてはならない存在」に変化(へんげ)してしまう。結果、役者の「個性」に磨きがかけられ、彼らの魅力は倍増する。筋書は単純、何の変哲もない定番の芝居であっても、「鹿島順一劇団」の舞台は、つねに輝いている。たとえば「噂の女」、たとえば「越中山中母恋鴉」、たとえば「春木の女」、たとえば「悲恋流れ星」等々、私は、他の劇団の舞台を見聞しているが、その出来栄えは「一味も二味も違っていた」のである。その違いとは、役者の光り具合、また役者相互の「呼吸」(間)の素晴らしさではないか、と私は思う。「鹿島順一劇団」の舞台には、隙がない。役者一人一人が寸分違わぬ「呼吸」によって、演技を展開する。その「呼吸」こそが、技の巧拙を払拭してしまうのだ。拙い技は、拙いなりに「個性」として魅力を発揮するのである。責任者・甲斐文太は、座長時代、口上でいわく「役者は、未経験者(素人)の方が伸びます。色に染まっていると、かえって育てにくいものです」おっしゃる通り、その劇団の芝居は、その劇団の「呼吸」(チームワーク)で作り上げるものだからである。事実、春日舞子、梅之枝健の初舞台は19歳、花道あきらは20歳すぎ、春夏悠生は18歳?、赤胴誠、壬剣天音は15歳、幼紅葉は13歳であり、いずれも出自は「役者の家系」ではなかった(未経験者・素人)に違いない。にもかかわらず、寸分違わぬ呼吸で演技を展開できるのは、まさに責任者・甲斐文太の指導力(演出力)の賜物であろう。事実、この3年間に遂げた、赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉ら、若手・新人の「変化(へんげ)」(成長)振りには、目を見張るものがあった。そんなわけで、「鹿島順一劇団」の《魅力》の真髄は、まず、何を措いても「芝居の素晴らしさ」にある、と私は思う。さらに言えば、役者のチームワークに加えて、「音響効果」(効果音・BGMの選曲)も、お見事、その一つ一つを詳説することはできないが、「春木の女」の浜辺に流れる大漁節?、「仲乗り新三」の木曽節、「月とすっぽん」の会津磐梯山、「仇討ち絵巻・女装男子」の弁天小僧菊之助・・・等々、その音曲を耳にしただけで、舞台模様が彷彿とするのである。芝居にせよ、舞踊・歌謡ショーにせよ、「音響」の美しさは一つの「決め手」であろう。化粧、衣装は「視覚」の美、音響、音曲は「聴覚」の美、いずれも舞台に「不可欠」な「小道具」だが、ややもすると「聴覚」の美は軽視されがち、とりわけ歌謡・舞踊ショーでの「音響」は、なぜか(多くの劇団で)、マックス・ボリュームで耳をつんざくほどの騒々しさが目立つ。「鹿島順一劇団」の「音響」は(劇場にもよるが)おおむね「ほどよく」調整されている。その中で展開される、組舞踊、個人舞踊、歌唱の数々は、まさに《至芸の宝庫》といった有様で、たいそう魅力的である。組舞踊では、伝統的な「筏流し」、座長(面踊り)中心の「お祭りマンボ」を初め、ラストショーの「忠臣蔵」(歌・甲斐文太)「人生劇場」「花の幡随院」「珍島物語」、個人舞踊では、三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」(歌・甲斐文太)「大利根無情」、甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」「安宅の松風」「浪花しぐれ『桂春団治』」「ど阿呆浪花華」「河内おとこ節」、春日舞子の「ああいい女」(歌・甲斐文太)「深川」「芸道一代」、花道あきらの「ある女の詩」・・・等々、珠玉の「名品」が綺羅星の如く居並んでいる。加えて、責任者・甲斐文太の歌唱は、プロ歌手以上の《魅力》を発揮する。レパートリーは広く、「すきま風」「冬牡丹」「男の人生」「明日の詩」、「北の蛍」「恋あざみ」「よさこい慕情」「大阪レイン」「無法松の一生」「蟹工船」「瞼の母」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「ああいい女」「刃傷松の廊下」「酒よ」「雪国」「男はつらいよ」・・・等々、数え上げればきりがないが、その歌声の一つ一つは、しっかりと私の心中に刻み込まれて、消えることがないのである。なるほど、舞踊にせよ歌唱にせよ、ショーとしての「派手さ」はない。今様の「洋舞」も少ない。しかし、その(一見、侘しげな)「地味さ」の中に、じわじわと沁みこんでくる、伝統的な大衆芸能のエキス(魅力)が隠されていることは間違いない。
さて、(結びに)「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》とは何だろうか。これまで述べてきた、芝居の「名舞台」、舞踊・歌謡ショー、「至芸」の数々はすべて「幻(まぼろし)」、「仕掛け花火に似た命」、「みんな儚い水の泡沫」で終わる、という《魅力》である。多くの劇団が、舞台模様(歌声)を、CD、VHS、DVDなどに記録・保存・販売しようとしている中で、責任者・甲斐文太は、そのことには全く「無頓着」、周囲からの勧めにも一切応じない(?)かに見える。結果、「鹿島順一劇団」の舞台は、直接、劇場に赴いて鑑賞するほかはない。見事だと思う。あっぱれだと思う。なぜなら、芝居も、舞踊も、歌唱も、本来、すべてが「観客」との「呼吸」で仕上げられる、その場限りの(共同)「作品」に他ならず、それを記録・保存することなどできよう筈がないからである。CD、VHS、DVDに残された音声、映像などは、その「抜け殻」「絞りかす」に過ぎない、といった、文字通りの「滅びの美学」、それこそが「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》ではないだろうか、と私は思う。(2011.7.4)
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2017-10-20

劇団素描・「劇団 新」・《芝居「雪の夜話」》

【劇団 新】(座長・龍千明)〈平成20年7月公演・小岩湯宴ランド〉
 劇団紹介」によれば〈プロフィール 劇団新 東京大衆演劇劇場協会所属。昭和61(1986)年10月、龍千明が座長として「劇団炎」を旗揚げし、その後、平成5(1993)年1月1日、「劇団新」として再出発した。座長が1年半ゲスト時代に出演した劇団からいいところを吸収して「劇団新」のカラーが生まれた。座長のオリジナル狂言は100本以上もあり、演歌の歌詞に触発された現代物のお芝居も多数ある。 座長 龍千明 昭和35(1960)年5月15日生まれ。血液型AB型。山口県出身。「劇団新」座長。初舞台3歳。昭和61(1986)年10月、26歳で「劇団炎」を旗揚げし座長となる。5年間活動するが、一時休止。その後1年半ゲストとして各劇団に出演。そして平成5(1993)年1月1日、「劇団新」として再出発。龍新(りゅう・あらた) 平成3(1991)年3月2日生まれ。血液型B型。埼玉県出身。「劇団新」花形。初舞台0歳。龍千明座長の長男。将来「劇団新」を担う逸材で、これからの成長が楽しみ。美しい女形と派手で柔軟な立ち役で、人気上昇中。〉とある。また、キャッチフレーズは〈オリジナルの芝居にこだわる劇団。他では見られない座長オリジナルの狂言の数々。若手とベテランがうまく絡み合った舞台をじっくりとお楽しみください。〉であった。昼の部、芝居の外題は「兄弟鴉 瞼に浮かぶ母」、〈瞼の母〉の忠太郎が「新三郎」(花形・龍新)と名前を変え、新三郎には「弟」(子役・龍錦、好演)があったという筋書き。そのあたりがオリジナル狂言という所以だろうか。出来映えは「水準並み」、いかにも「関東風」という風情で、敵役の親分夫婦(龍千明、立花智鶴)の「やりとり」には「いい味」が出ていた。座長・龍千明の役柄は、敵役で三枚目だが、知る人ぞ知る「南道郎」のような芸風で、関東の客にはたまらない。この「実力」なら、デン助芝居もできるだろう。(秋よう子、立花智鶴と「しっかり」組めば、「大宮敏光」を超えられるかもしれない)。花形・龍新の「新三郎」(番場の忠太郎もどき)は、風貌の魅力は申し分ないのだが、「やるせなさ」「母恋しさ」「寂しさ」の風情を描出するのが「今一歩」、そのためには「ふっと力を抜く」技(肩の力を抜く、表情を曇らせる、うつむく、目をつぶる等々)を体得する必要があるだろう。「瞼の母」(番場の忠太郎)は、歌唱であれ、舞踊であれ、芝居であれ、「大衆演劇」の基礎・基本、バイブルといっても過言ではない。「こんなヤクザにだれがしたんでえぃ」といった「親にはぐれた子雀」の「甘ったれた」風情と「どうしようもない寂寥感(絶望感)」を、どうやって描出するか・・・、が問われることになる。早い話、龍新が、実父・龍千明から(実生活で)「はぐれれば」(捨てられれば)、いとも簡単にその「風情」を出すことができるわけ(事実、そうした経験のある役者は、舞台に立っただけでその「風情」を「地で」「見事に」描出している)なので、大切なことは、「もし、はぐれたら(捨てられたら)」という気持ち(心情)を想像することだと思う。来年1月には座長を襲名する由、ぜひとも課題の一つとして精進してもらいたい。夜の部、芝居の外題は「雪の夜話」、小諸の百姓兄弟の兄(秋よう子)が「鷹狩り」に来た三千石の大名に気に入られ、奉公。さらに、その娘(立花智鶴)にも気に入られて婿養子に。兄弟の父(座長・龍千明)も大名家に「舅」として迎えられたが、実際は、嫁からいびられて「下男」扱い、その「いびられ方」が天下一品、いびっている嫁(立花智鶴)の方が「吹き出してしまう」様子で、抱腹絶倒。筋書きとしては「悲劇」だが、景色としては「喜劇」という、まさに「至芸」そのものの舞台であった。芝居の「実力」(冴え)においては「関東随一」といっても過言ではないだろう。筋書きは、兄のために人を殺めて島流しにあった弟(花形・龍新)が登場、その諫言によって兄・兄嫁が「改心する」という大衆演劇の定番で、ハッピーエンド。「関東風」の「教科書」を観るような舞台ではあった。
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2017-10-18

劇団素描・「劇団KAZUMA]・《芝居「ヤクザ雄呂血」》

【劇団KAZUMA】(座長・藤美一馬)〈平成20年9月公演・浅草木馬館〉
 この劇団は6月、横浜三吉演芸場で見聞済み、2回目の観劇である。芝居の外題は「ヤクザ雄呂血」。新作、しかも今回初めて舞台にかける「野心作」のようだったが、何とも「長丁場」の芝居であった。座長自身、口上で「長いお芝居で、しかもクライお芝居で、どうなることかと思いました。わかりにくい場面があったと思います。もっと勉強したいと思います」と話していたが、たしかに、わかったようなわからないような、もう芝居は終わっているような、いないような、という感じで、「いささか疲れた」というのが、偽らざる感想である。市川雷蔵主演の映画を題材にしているとか、といっても、筋書は定番、親分から一家の跡目と娘を託された代貸し(座長)が、弟分に騙されて、その地位も娘も失って絶望する。「義理」や「人情」というけれど、所詮、人間は色と欲の「餓鬼道」を歩く他はないというニヒリズムを漂わせる。映画の雷蔵は200人斬りまくったそうで、舞台の座長も斬った、斬った、葦やススキの陰から三人ずつ、次々と登場するヤクザものを50人ぐらいは倒したに違いない。最後は「殺陣」も忘れ気味とのこと、まさに「野心的」「迫真の」演技ではあった。ただ、義理や掟、色や欲に縛られて生きることの「むなしさ」、ただ一つ「純粋な愛」だけが救いではないか、というようなテーマが貫かれていたのかどうか、私にははっきりしなかった。従来の定番に、何かを「加味したい」(そのために長丁場になった)という誠実さ・意欲は評価したい。
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2017-10-17

劇場界隈・青根温泉(宮城)「流辿」

2008年7月24日

 午前0時過ぎに、強い地震。テレビニュースによれば、岩手県では震度6弱とのこと、ここは宮城県、震度4程度かと思った。今日は「南劇団」の舞台をもう一度見て、仙台に戻り、そこから秋田方面(「こまち健康ランド」・公演・鹿島劇団)に向かう予定だったが、秋田新幹線が不通(もしくは遅延などの混乱状態)になれば、それは無理。今回は断念しよう。
 午前9時30分に部屋をチェックアウト、大広間(劇場)で待機。今日は「団体客」があるというので、指定席に座らされた。なるほど、10時を過ぎると、「一般客」「団体客」が続々とやってきて、客席はほぼ満席(大入り)となった。「団体客」とは、案の定、仙台市内の「老人クラブ連合会」(常連・50人程)のようで、「いつものところがいいや」などと言いながら、客席前半分を「占拠」した。メンバーの座席が決まると、たちまち瓶ビール、ウーロン茶のペットボトルがテーブルに配られ、宴会(らしき雑談)が始まる。幹事や代表が「あいさつ」しても、誰も聞いていない。幹事は、どうやら「抽選会」をいつやればいいかを諮っているようだが、メンバーは無反応、やむなく幹事の判断で「今始める」ことになった。(私を含めた)「一般客」は「どんなことをするのだろう」と興味津々で見守ったが、何のことはない、世話役が景品の入った茶封筒の番号を読み上げると、その番号に該当する会員が手を挙げ、その景品を手渡す、というだけ・・・。開演までの「暇つぶし」にはならなかった。「一般客」はその間に入浴、正午から昼食(弁当)、午後0時30分から観劇という段取りだが、「団体客」は、その場にすわったまま、雑談を間断なく続けている。まさに「老人クラブの眼目は雑談にあり」という風景であった。 午後0時40分、「南劇団」開演。芝居の外題は「故郷の兄」。筋書は、大衆演劇の定番、ヤクザ同士の喧嘩場で負けた旅鴉(南龍弥)が勝った旅鴉(南竜花)に頼み事、故郷の兄に自分のことを伝えてもらしてえ、勝った旅鴉、委細を承知して退場。二景は故郷の兄の家、土地の十手持ち(三枚目・若手男優・芸名不詳)が兄(南リュウホウ)の女房(責任者・南サヤカ)に横恋慕、「おれのものになれ」と迫るが、どうみても、兄夫婦(劇団責任者夫婦)のほうが格が上、赤子の手をひねるような「やりとり」で、何とも可笑しかった。それに気を取られて肝腎の筋書は「あいまい」、負けた旅鴉の女房(副座長・寿純)が乳飲み子を背負い、夫の遺骨を持って兄を訪ねてきたところまではわかったが、勝った旅鴉とその女房、兄との「やりとり」がどのようなものだったか、はっきりと思い出せない。「見せどころ」は、弟を亡くした兄夫婦の「愁嘆場」であることは間違いないのだが・・・。そんなわけ、で昨晩(観客はわずか10名程度)の舞台に比べて、たいそう大味な「出来栄え」になってしまったような気がする。客の「大入り」が「裏目に出た」のかも知れない。「団体客」の一人が寝転がって観劇、興行主に注意されたり、トイレに行こうとして暗幕を開けようとしたり、といったハプニングもあった。幕間で興行主があいさつ、その中で観客のマナーについてガイダンス(というよりはレクチャー)していた。「役者殺すにゃ刃物は要らぬ、欠伸の三つもすればよい」そうである。なるほど、興行主、役者など主催者側の立場・心情はよくわかる。(客に拍手を催促する役者も少なくない)
ただ「金を払って観ているのだから、(他の客に迷惑をかけなければ)どんな見方をしたってよいではないか」という客の言い分も成り立つ、と私は思う。「拍手が欲しかったら、起き上がってみてもらいたかったら、『芸を磨け』」と言いたい。私が、大衆演劇の他、どこの劇場にも行かないのは、「拍手などまっぴら」「あくびをかみ殺すだけ」「寝るしかない」といった舞台の景色が「目に見えている」からである。「どうぞ欠伸をしてください」「つまらなかったら居眠りをしてください」「寝転がって、日頃の疲れを癒してください」といった「間口の広さ」を前提として、「だからこそ、客を寝させるもんか」という、意地の世界での「一本勝負」が、大衆演劇の醍醐味なのである。「鹿島劇団」の座長・鹿島順一は「客が騒がしいのは辛抱できるが、楽屋裏での雑音は我慢ができねえ」という名台詞をアドリブで吐いたことがある。彼は、決して客に媚びない。(口上でも「心は下座に下りまして」とは言わない)また、拍手を要求しない。(「座員一人一人に公平に拍手をしてください」と頼むことあったが、でも、「そんなこと言ったって、拍手をしようがしまいが、それはお客様の御自由です」と付言することを忘れなかった。そして明るく「さあ!行ってみよう」と、自分自身を鼓舞する姿が、何とも「爽やか」で、私は忘れることができない。 
 まあ、そんなわけで、第二部・舞踊ショーでの客のマナーは向上、拍手の渦が巻き上がっていたが、出来栄えそのものは昨晩の舞台にはおよばなかったような気がした。
 午後3時、送迎バスで「流辿」出発。午後4時、仙台着。地震の影響で混雑する中、「すしや横町」で「牛にぎり」など賞味。東北新幹線で東京着、午後9時30分。
 帰宅、午後10時。
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2017-10-16

劇壇素描・「南條光貴劇団」・《芝居「「流転子守唄」と「悪夢」》

【南條光貴劇団】(座長・南條光貴)〈平成20年6月公演・大宮健康センター〉
  これまで、私はいくつもの劇団を見聞してきたが、それらはつまるところ「見極める」劇団と、「見限る」劇団に大別される。ほとんどが後者に該当するが、「南條光貴」劇団は、さにあらず、「その舞台を何回でも観てみたい」劇団なのである。理由は三つ、①芝居の景色・風情が鮮やかである、②座長の艶姿(立ち役・女形ともに)が魅力的である、③若手役者の可能性に期待する、からである。芝居の外題は、昼の部「流転子守唄」。筋書きはいたって簡単、「紅蝙蝠の銀次」と呼ばれる盗賊(座長・南條光貴)が追っ手にかかり、たまたま逃げ込んだのが十手持ち(南條欣也)の家、出てきたその母(南京弥)を人質に立てこもろうとするが、反対に諫められ、おとなしく匿われる。ここまでは、すべて「だんまり」(パントマイム)、所作・表情だけで銀次と十手持ちの母の関係が「他人」ではないと予測できる。「セリフ回し」に入り、案の定、銀次と母は、実の「親子」であることが判明、二人とも「確信」するが、決して言葉には出さない。表情と、視線、所作だけで「親子名乗り」を描出できる役者(その実力の持ち主)は少ないが、座長・南條光貴、南京弥は「ものの見事に」やってのけた。「根っからの悪ではない」「親にはぐれた子雀」的なアウトローを演じさせたら、南條光貴の右に出る者はいない、と私は思う。どこか「憂いを帯びた」「やるせなさ」、「こんなヤクザにだれがしなんでぇい」という風情が絶品なのである。口上で彼はただ一言、「悲しいお芝居をお見せしました」、そのさわやかさ、すがすがしさが素晴らしい。夜の部「悪夢」、この筋書きも実に単純、夫(南條欣也)をめぐって、嫁(南京弥)と姑(座長)のコミカルな葛藤(いびりあい)、どちらがどちらを「いじめている」のやら・・・、いずれにせよ、若夫婦(に分があったか)の夫の提案を嫁が呑み、「朝一番で、嫁は里帰り」することになった。しかしその晩、何を思ったか、姑は寝床を起き出し、おそろしい形相で出刃包丁を研ぎ始めた。舞台は「おどろおどろしい」雰囲気に包まれ、思わず昨今の事件を連想してしまったが、姑、かまわず息子、嫁、孫を斬殺する。「こうなれば、やけくそ、さっき私をバカにしたお客さんも道連れだ」とすごむ始末、そこへピストルを手にした婦人警官(光城優貴)登場。警察に連行されそうになったところで、姑、目が覚めた。まさに「悪夢」以外のなにものでもなかったのだ。やがて朝、姑は真っ先に孫を抱きしめ、あやし始めた。「ハイ、タカイタカイタカーイ。ハイ、ヒクイヒクイヒクーイ。ハイ、マンナカマンナカ、マンナカー・・・」何が起きたのかいぶかしがる若夫婦。「さあ、約束通り、里へ帰りなさい」と夫に促され、家を出ようとする嫁を静かに制し、「いえ、そんな必要はない。これまで、本当にごめんなさい。私が悪かった」と謝る姑、思いもよらぬ姑の改心で「一件落着」となったが、その訳を知っているのは姑と観客だけ、何とも面白く「粋な」結末ではあった。
 大宮での6月公演はまもなく終了、しばらくはこの劇団を観ることはないだろう。まだまだ「見極める」には時間がかかりそうだ。
流転笠/親のない子の子守唄流転笠/親のない子の子守唄
(2001/03/14)
北島三郎

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2017-10-15

劇団素描・「南條光貴劇団」・《芝居「酒屋」》

【南條光貴劇団】(座長・南條光貴)〈平成20年6月公演・大宮健康センター〉
昼の部、芝居の外題は「酒屋」。造り酒屋・山城屋の若旦那(南條欣也)は医者(結貴野蛍)の見立てによれば「恋わずらい」、女中のおたか(光城優貴)に惚れてしまった。どうしても嫁に欲しいと母を説得。母、やむを得ず、おたかに打診するが、おたかは「身分が違います」と固辞。母、その態度が気に入って、この嫁取り話はまとまった。とはいえ、おたかには、素行不良な兄・源次(座長・南條光貴)がいる。育ちそびれの妹・お春(光城直貴・好演)もいる。ともかく、母(南京弥)にこのことを知らせねば、と思っている矢先、母の方から妹同伴でやって来た。おたか、嫁入り話の経緯を説明、母は「もったいない話」と快諾する。でも気がかりなのは兄のこと、真相を話していいものやら悪いものやら・・・。結局「疱瘡で死んでしまった」ことにする。あとは、祝言の日を待つばかり・・・、といったところに兄・源次、なぜか山城屋に登場、妹のおたかを呼び出す。「お兄ちゃん、何しに来たの?わたしは、この店の若旦那に見染められて嫁入りの手筈、お母さんとも相談して、お兄ちゃんは死んだことになってるの!死んでちょうだい!」源次、怒り出すかと思いきや、「それもそうだよな、こんな兄貴なんていない方がいいに決まってる。いいよ、いつだって、何回だって死んでやるぞ」「そおう?どうもありがとう」「ところで、おたか。頼みがあるんだけれど・・・」「なあに?」「ここは、造り酒屋、一杯飲ませてくれないか」「だめよ」「そんなら、兄貴と名乗って出ようか」「だめよ」「では、飲ませるか」どうする、どうする、といった定番のやりとりで、源次はまんまと五合升に一杯飲み干し、ついでに帳場の現金まで落ち逃げする。一部始終を見ていた山城屋の女将、おたかに向かって「よくも、だましておくれだね、あなたたちとの縁もこれまで、『縁談破談』は、言うに及ばず、今すぐ解雇するから出て行って遅れ!」かくて、おたかは実家に舞い戻る羽目となってしまった。治まらないのは若旦那、おたかを嫁にできないのなら「もうこれまで」と身投げする。たまたま、そこに居合わせたのが源次、助けて実家に連れて行く。一堂に会した若旦那、源次、おたか、母、お春・・・。母、源次に「なんだって、あんなことをしでかしたんだ!おかげで、おたかの縁談は破談、お店の仕事まで断られてしまった。明日から、どうやって暮らしていけばよいものいやら・・・」と諫言する。じっと聞いていた源次、「そんなことがあったのか、まるっきりおぼえてはいやしない。悪かった。この通りだ、金輪際、もう酒はのまねえから、勘弁してくれ!」と改心した。まさに「酒屋」を舞台に「酒乱」の話、終幕は山城屋の女将も駆けつけて、大団円となった。「水準並」以上の出来栄えであったと思う。特に、育ちそびれの妹・お春を演じた光城直貴の好演が光っていた。夜の部、芝居の外題は「ハルキの女」、この劇団、この演目を私が観るのは2回目である。前回とは配役が異なり、人形問屋の若旦那・清三郎を演じたのは光城元貴、まだ17歳の「若手」、この役柄は「荷が重すぎた」。しかし、誰にでも「そのチャンスを与えよう」とする座長の采配はすがすがしい。前回、自分が演じた、おとらの夫(養子)役も南條欣也にゆずり、今回は清三郎の兄という役柄で登場した。お妙役の光城直貴は、ここでも好演、育ちそびれの娘役を「明るく」「さわやかに」描出していたと思う。(化粧はそのまま、所作だけで「育ちそびれ」の風情を表現できる実力は、半端ではない)また、おさき役・南京弥、おとら役・光城優貴の「実力」も「水準」を超えているので、たいそう充実した舞台になった。惜しむらくは、終幕直前、お妙が「花嫁姿」で飛び出した時の、一同の「驚き」「なんともいえない、喜びと、おかしさと、哀しさが入り混じったような景色」を作り出すには「今一歩」というところであろうか。
 舞踊ショー、光城直貴の「瞼の母」、所作は合格、「こんなヤクザにだれがしたんでぃ」という風情(寂しさ、上品さ)を、顔の表情で描出できれば「至芸」に近づけるだろう。この演目は舞踊ショー(独り舞台)の「定番」(「必修科目」)、それだけに、多くの役者の舞台を見聞してきたが、今のところ、「鹿島劇団」座長・鹿島順一が筆頭、続くのが、この劇団の座長・南條光貴ではないかと思う。さらに、その背中を追いかけて、光城直貴、三代目・鹿島虎順が「切磋琢磨」することを期待する。
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2017-10-14

劇団素描・「劇団翔龍」・《芝居「帰ってきた兄弟」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年1月公演・川越三光ホテル小江戸座〉                                                                         芝居の外題は「帰ってきた兄弟」。落ちぶれた一家の親分A(中村英次郎)の家に、近頃では飛ぶ鳥を落とす勢いの、新興一家・親分B(大月瑠也)がやって来て、「縄張りをゆずれ」と強要する。親分A「とんでもねえ、オレには昔、里子に出した息子がいるんだ、縄張りはその子に譲る」親分B「寝言をほざくな。暮れ六まで待ってやる。そのときまでよくかんがえておくんだな」。このAとBの抗争が筋書の中心と思いきや、話の眼目は別の所にあった。やがて、親分Aが里子に出していた息子(藤川雷矢)が「男修行」を終えて帰宅、跡目をつごう、ということに。そのためには女房役が必要、「決めた人でもあるか?」とたずねるAに、息子は「ない」と答える。「ではどうだ、わしが見つけておいた娘に会ってみないか。ひと目見て気に入ったらそう言ってくれ。添わせてやる。ただし、一度気に入ったら、断ることはできない、どうだ・・・?会うか?」「どんな娘?」「たいそう無口で、おとなしい娘だ」「そうか、会う、会う、会わせてくれ」「よし!」ということで娘1(水木菜々実)登場。容姿端麗、視線を合わせると「黙って会釈」した。息子いっぺんで気に入り「親父さん、よろしくお頼み申します」「そうか、そうか、それでは決まり、めでたいことだ。じゃあ、二人で仲睦まじいところを見せてくれ」、「よしきた」息子、欣然として娘に近寄った途端、「ア!・・・アアアア・・・ア?」という声と仕草、ナンノコッチャ?、息子、驚愕して飛び退き、Aに「親父さん、あの娘、口がきけないんか?」A、大きく肯き「そういうことだ」息子、「そんな馬鹿な!、どうしてそれを早く言ってくれなかったんだ」「言っただろう。無口でおとなしい娘だって」「無口すぎるよ!」息子、抵抗したが「いやなら勘当だ!」というAの決意に押されてやむなく同意。そこへ、もう一人の息子(春川ふじお)登場。先刻の息子の兄だという。Aとのやりとりは弟の時と同様、わしが見つけておいた娘に会ってみないか、兄「どんな娘?」A「少々、跳ねっ返りなところがある」兄「跳ねっ返り?いいね、いいね、跳ねっ返りな娘は大好きだ!」「じゃあ、会ってみるか」「おねげえします」かくて、娘2(澤村うさぎ)登場。容姿端麗、視線を合わせると、ニッコリ微笑んで「よろしくお願いします」。兄もまたっぺんで気に入り「親父さん、よろしくお頼み申します」「そうか、そうか、それでは決まり、めでたいことだ。じゃあ、二人で仲睦まじいところを見せてくれ」「よしきた」兄、欣然として娘2の手を取り、歩き出した瞬間、「山が見えたり、隠れたり・・・」、娘2の歩調は大ききバランスを欠いて(跛行)いたのだ。兄の反応も弟同様、「どうしてそれを早く言ってくれなかったんだ」「言っただろう、少々、跳ねっ返りなところがあるって」「足が跳ねっ返るとは思わなかった・・・」兄も抵抗したが、Aの「いやなら勘当だ!」で、やむなく同意。やがて、時は暮れ六つ、新興一家・親分Bがやって来た。縄張りをよこせ、やらぬとお決まりの押し問答、帰ってきた兄弟の活躍で、親分B、その子分は全滅・・・。めでたし、めでたしで終わろうとするところ、兄弟は合議する。「お前の女房候補は、無口だって?」「兄貴の女房候補は、跳ねっ返りだって?」「そっちの方がいい」「とりかえっこしないか?」「いいね、いいね」と合意が成立。親分A、娘1・2も同意して、縁談成立。兄「まずお前から、仲睦まじいところを、親父さんに見せてやれ」とそそのかす。弟、何も知らずに「よしきた!」と、娘2の手を取り歩き出す。さぞかし驚くだろうと思いきや、何の障りもない、歩く姿は「百合の花」の態、呆気にとられる兄の様子が何とも可笑しい。続いて弟、「じゃあ、兄貴、あの娘にあいさつしてくんな」「いいとも・・・、どうぞよろしくお願いいたします」娘1、鈴を鳴らすような声で「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と応えたのに、弟もたまげた。兄弟、思わずAに向かって、「親父さん、これは一体どういうことだ?!」と抗議するが、反対に「人を見かけで判断するなんて言語道断!」と一喝されるた。兄弟、おのれの浅はかさを悔い改め、再び娘を交換、「元のさやに治まろうとしたが」、今度は娘も黙っていない。「掃除・洗濯・炊事・子育て」すべて賄うなら「お嫁さんになってやってもいいわよ!」、兄弟、敢えなく尻に敷かれて「幕」・・・、という経緯であった。「人を見かけで判断してはいけない」という眼目はよく理解できる。しかし、その「見かけ」が実は「見せかけ」に過ぎなかったという筋書では、説得力に欠けるのではないだろうか。「鹿島順一劇団」十八番の「浜松情話」でも、跛行する娘が登場するが、その娘を見初めた若親分は、跛行そのものを「慈しみ見つめながら」、娘の父に向かって「必要なら、私が杖になりましょう」と言い放つのである。眼目は一つ「人を見かけで判断してはいけない」だが、その感性の質において「帰ってきた兄弟」と「浜松情話」の間には「大きな隔たり」がるように、私は感じる。
帰ってきたツバメの兄弟帰ってきたツバメの兄弟
(2007/10/25)
山崎 鈴佳

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2017-10-13

劇団素描・「新演美座」・《芝居「十三夜」》

【新演美座】(座長・旗丈司)<平成20年3月公演・川崎大島劇場>
 柏公演で二代目座長・小林志津華が「連日、50人は集めてみせます」と豪語していたので、その様子を見聞に来た次第だが、客の入りは22人ほどだった。芝居の外題は「十三夜」。「新派」もどきの「人情劇」、任侠剣劇が多い関東の劇団の中では貴重な舞台だった。登場人物は、貧農の兄・鉄蔵(金井保夫)と妹・おこよ(春野すみれ)、妹の許嫁・茂作(旗丈司)、材木問屋の若旦那(深水つかさ)、その兄(小林志津華)、村人(雲井松美、大和直斗、大和歩夢)。年に一度の村祭りの日、おこよは茂作と見物に行く約束をしていたが、兄・鉄蔵は「仕事がある」といって連れ戻そうとする。おこよは応じない。可憐だが気の強そうな娘を、春野すみれが好演していた。そこへ、茂作登場。言葉遣いもたどたどしく、どうみても「一人前」ではない。鉄蔵のことを「あにやん」と呼んでいる。「わしが、兄やんちの仕事を手伝うから、見物にいかせてくんろよ」と説得、鉄蔵もしぶしぶ認めた。二人は手に手を取って神社の境内に消え、兄も退場しようとしたが、そこへ江戸の大店・材木問屋の若旦那、苦しそうにあえぎながら登場、まもなく「行き倒れ」た。まもなく、おこよ再登場。「人混みの中で茂作にはぐれた、一緒に探してくれ」と鉄蔵に頼む。そうこうしているううちに、二人は若旦那に気づく。「たいそう立派な身なりをしているが、きっと江戸のお金持ちだんべ」「あにやん、この人、もうすぐ子供が生まれるのか?」「どうして?男が子を産むわけがなかろうに」「でも、おなかがふくれてる」「そうか、この人は腸満という病気、うつってはいけないから、早く家に帰ろう」しかし、おこよは応じない。「助けてやろうよ」、執拗な説得に、鉄蔵もしぶしぶ医者に連れて行く羽目になった。それから半年、若旦那の病気は全快したが、まだ鉄蔵宅に逗留している。鉄蔵宅をのぞきながら(おこよと若旦那は外出して不在らしい)村人の話。「近頃、おこよの様子が変だ。祭りの日から変わってしまった」「若旦那とできてしまったようだ」「かわいそうなのは許嫁の茂作、バカだから何にも知らない」「茂作は、本当にバカだからなあ・・・」それを聞き留めた茂作(おそらく二人の様子を探りに来たのだろう)、鉄蔵に訴える。「みんなが、おれのことをバカにする。おこよは、もう、おれの嫁になるつもりはなくなったのだろうか」「そんなことはない。こんな貧乏人の娘が、あんな金持ちの嫁になれるわけがない」「そうか、それで安心した。安心したら腹がへった」「じゃあ、家に入って冷や飯でも食おう」そこへ、若旦那とおこよ登場。「若旦那、江戸へ帰ってしまうのか?」「はい、でもあなたを連れて帰ります。どうか私と一緒に暮らしてください」「本当か!」思わず驚喜して若旦那に抱きつくおこよ、それを見とがめた鉄蔵、一喝する。「お前たち、いったい何をしてるんだ。昼日中からみっともない」しかし、おこよは動じない。「誰も見ていない、何が悪いんだ?」あきれる鉄蔵。若旦那、鉄蔵に平伏して懇願する。「どうか、おこよさんをお嫁にください。悪いこととは知りながら、どうしてもおこよさんを思い切れないのです」途方にくれる鉄蔵。そこへ茂作がふらふらと出てきた。「あにやん、もういいよ。おこよは、若旦那の嫁になればいい。人間、好きな人と暮らすのが一番だ」
「お前、それでいいのか」「よかあねえけど、しかたあんめえ・・・」と、憔悴極地の風情。かくて、若旦那とおこよの結婚は確定的となった。茂作「じゃあ、もう、おれ帰るわ。もうあにやんの所にはこねえよ」「どうして?」「だって、おこよが他所に嫁に行けば、もうあにやんではなくなるもの」「そんな、水くせえこというな。おれとお前は今まで通り、兄弟だ」「本当か、また来てもいいのか?」「ああ、いいともさ」「ありがてえ・・・」というところで幕が降りるかと思えば、意外にも、若旦那の兄、村人に案内されて颯爽と登場。「村一番の貧乏人の家とはここですか。もし、村一番の貧乏な人!、ちょっとごめんなさいよ」呼びかけに出てくる鉄蔵、若旦那、おこよ。兄は、いきなり若旦那を叱りつける。「お前、こんなところで何をしているんだ。材木の目利きに旅立ったまま音信不通。心配して探しに来たんだ」経緯を説明、おこよとの婚約を報告する若旦那。しかし、兄は応じない。「何を血迷ったことを!こんな貧乏人の娘を嫁にできるわけがない。行き倒れのお前を助けたのだって『金目当て』に相違ない。いったいいくら欲しいんですか」鉄蔵、頭に来た。「あんたたちにはわからねえ。金では買えない『義理人情』という大切な宝物があるんだ!」と、精一杯の啖呵をきるが、相手には通じない。生木を裂かれるように引き離される若旦那とおこよ、元通りおこよを嫁にもらえることになり大喜びの茂作、なんとも複雑な心境の鉄蔵、若旦那の悲痛な叫び「おこよさん、あの『十三夜』の晩のできごと、私はいつまでも忘れません」、おこよも必死に応じる。「若旦那、あの『十三夜』の晩のできごと、ずっと、ずっと憶えていてくださいね!」という叫びのうちに閉幕となった。
 この芝居の眼目は「義理人情」を超えた「不条理」(悲恋)の世界に及んでいる。なるほど、関東の「人情劇」も、ここまでくれば「天下一品」といえるだろう。私は深い感銘を受けた。旗丈司、金井保夫、春野すみれ、深水つかさといった「名優」に混じって、二代目・小林志津華の「拝金主義」ぶりも光彩を放っていた。
 舞踊ショーの感想。小林志津華の舞踊を中心に構成されている。舞踊の「実力」は「水準」並、「長良川艶歌」を「立ち役」で踊る「試み」はよいと思う。ただし、歌詞の内容は「女唄」なので「一工夫」することが肝要。つまり、女が思い描いている「男」を描出できるかどうか、が決め手になるだろう。そういう観点から観ると「まだ中途半端」の感があった。深水つかさ、春野すみれの「舞踊」、旗丈司、金井保夫の「歌唱」はすべて「一級品」、かつての「千住寿劇場」の舞台を思い出しながら、なつかしく、また「隔世の感」をもって鑑賞することができた。子役・かずきの「舞踊」も基礎・基本に忠実、「決まった場面」で、客と目線を合わせることができれば「一級品」になること間違いない。大和直斗、大和歩夢、雲井松美の「舞踊」も「型どおり」にこなしている。歌詞を踏まえた「表情」が加われば、魅力が倍増するだろう。
 小屋の表看板に「辻野光男」という懐かしい名札を見つけて、涙が出てきた。今は昔、「千住寿劇場」「篠原演芸場」で何度その幟を目にしたことだろうか。しかし、今回、その舞台姿を観ることができなかったことは誠に残念である。
たけくらべ~樋口一葉名作選たけくらべ~樋口一葉名作選
(2004/07/07)
幸田弘子

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2017-10-12

劇団素描・「新演美座」・《芝居「百両首」》

【新演美座】(座長・旗丈司)〈平成20年1月公演・柏健康センターみのりの湯〉
 前回観た感想を郵送して2回目。芝居「百両首」(旗丈司主演)の様子は一変していた。まず、旗丈司はワイヤレスマイクを使用していない。前半は、金井保夫、春野すみれ、深水つかさ(男役)ら「実力者」で舞台を引き締めたので、客席は「水を打ったように」集中した。敵役の金井保夫が「おれとおまえは兄弟分、おまえが勝手に堅気になろうたって、そうはいかねえ。どこまでも、つきまとってやるからな・・・」と憎々しげに旗丈司(主役)に言うと、客席から「つきまとうな!」と、女性客の黄色い声がとんだ。それに対して「うるさい!静かにしろ」と、男性客がたしなめる。舞台と客席が一つになって芝居を盛り上げる。まさに大衆演劇の醍醐味を味わうことができたのである。「やればできるじゃないか」、旗と金井の「二枚看板」、それを「売り」にしていく他はないのだから・・・と、私は思っていた。二代目座長・小林志津華も「型どおり」の演技に終始し、舞台を混乱させることはなかった。舞踊ショーも「水準」を維持して「型どおり」に進行、旗丈司には30万円、金井保夫には10万円の花(祝儀)が付いた。明日が千秋楽と合ってラストショーの後、主な役者が舞台に勢揃い、一人ずつ「あいさつ」を述べた。その中でわかったこと、①旗丈司は今日、還暦をむかえたこと、②小林志津華は「劇団武る」(座長・三条すすむ)の指導・勝次朗の実子であること、③司京太郎は豪華な衣装を持っていること、④澤村千代丸は先代(現・紀伊国屋章太郎)の実子であること、④各劇団は一時期「舞踊ショー」を重要視したが、徐々に「芝居重視」に変わりつつあること、⑤新演美座は3月、川崎大島劇場で公演するが、集客能力(常時50人以上)には自信があること、⑥立川大衆劇場では自信がないこと、等々だが、例によって「間延び」した小林志津華の(型破りの)司会が災いし、なんと閉幕は9時50分、すんでのところで最終送迎バスに乗り遅れるところであった。
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2017-10-11

劇団素描・「新演美座」・《芝居「ちゃんばら流し」》

【新演美座】(座長・旗丈司)〈平成20年1月公演・柏健康センターみのりの湯〉
劇団紹介のパンフには「プロフィル・東京大衆演劇協会所属。前身である「演美座」は東京を中心に絶大なる人気を誇った劇団。平成15年1月に劇団名を「新演美座」と改め、座長・旗丈司と二代目座長・小林志津華を中心に活動。その斬新かつ派手な舞台は大衆演劇界に新たな波を巻き起こしている」「二代目座長 小林志津華・昭和58年5月2日生まれ。大阪府出身。血液型O型。14歳で初舞台を踏み、その後「樋口劇団」より「新演美座」に移籍。二代目小林志津華として芝居・舞踊の演出を手掛ける。斬新かつ衝撃的なその舞台は「大衆演劇の革命児」とも呼ばれ、今や関東の大衆演劇には欠かせない役者である」とある。また「老舗の伝統を重んじながら、常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。涼やかな面差しに、野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受けとめる座長・旗丈司。先代の名優・深水志津夫(故人)の愛娘、深水つかさらの活躍も見逃せない」という説明もあった。
 芝居の外題は「ちゃんばら流し」。一家の代貸し(旗丈司)が親分(金井保夫)の姐さんと「間男」して、親分を追い出す。その時、一太刀浴びせたが、とどめを刺さずに逃げられた。親分は必ず復讐に来るだろう。代貸しは、そのことを思うと夜もおちおち眠れない。子分に親分の居所を探らせると、戻り橋の下に林立する非人小屋に潜んでいることが分かった。子分に「殺(や)ってこい」と命令するが、尻込みする。これまでの親分に手向かうことは良心がとがめるのだ。代貸しは「それもそうだな、じゃあ、おれが行こう」と出かけようとしたとき、一家にわらじを脱いでいる旅鴉(小林志津華)登場。「一宿一飯の恩義、あっしに任せてください」と言って、非人小屋に向かう。旅鴉は、手負いの親分を見つけ出し、一太刀浴びせた。とどめを刺そうとしたとき、どこからともなく聞こえる法華太鼓、良心がとがめて首を落とせない。そこへ親分腹心の子分(女優・深水つかさ?)がやってきた。あわてて隠れる旅鴉。子分は動転する。「親分!どうしなすった!?」「代貸しが雇った旅鴉にやられた」、「チクショー」、子分があたりを見回すと、あっさり見つかる旅鴉、「おまえか、親分を切ったのは!?」、「そうだ。渡世の義理だ。文句があるか!」「ゆるせねえ!叩っ切ってやる」たちまち始まる立ち回り。しかし、意外にも旅鴉は弱い、すぐに刀を墜としてしまった。(戦意喪失、初めから負ける気で立ち合ったのだろう)子分があっけにとられていると、「あの代貸しは悪党だ、あっしに助っ人させてください」と言う。かくて、めでたく「敵討ち」となる筋書きだが、この芝居に、なんと2時間あまり延々と「付き合わされた」観客の反応が面白かった。いつも来ている常連の客は、顔をしかめて「もう8時すぎてるよ、やんなっちゃう。いつまでやる気かしら」と怒り出す。もう一人が「惹きつけるものがまるでない」と吐き捨てる。芝居の中に「楽屋話」(役者の私情)「世情のニュース」をアドリブで取り入れることは、大衆演劇の常道である。いわゆる「型やぶり」の演出だが、その効果があるのは「型」八分、「やぶり」二分くらいの割合を守る時だろう。今日の舞台は、その反対で「型」二分、「やぶり」八分という状態であった。つまり、通常は1時間で終わる内容の芝居を、「型破り」の演出で、倍以上に「水増し」したことになる。常連客の反感を買うという、気の毒な結果になってしまった。「常に新たな実験・挑戦を試み続ける劇団。野心あふれるエネルギーを秘めた二代目小林志津華と、それを大いなる懐で受け止める座長・旗丈司」という説明は、まさにその通りだが、「実験」「挑戦」「野心」が「型やぶり」に集中しすぎると、舞台の景色は混乱してしまう。この芝居の眼目(主題)は、登場人物が「良心の呵責」を感じることであり、その心情表現が「惹きつけるもの」になるのだが、演出者は「型やぶり」イコール「惹きつけるもの」だと誤解してしまったのではないだろうか。
「新演美座」には、旗丈司、金井保夫という「実力者」が揃っている。かつての「新国劇」、辰巳柳太郎、島田正吾のような「二枚看板」をめざし、小林志津華を緒形拳のように育てられれば、大衆演劇界の「革命」も夢ではない。
 舞踊ショーのラストで演じた「役者音頭」は、「梅澤武生劇団」の十八番であり、懐かしかった。「踊り手」を「上手」に選抜した演出は見事であった
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2017-10-10

劇団素描・「南條光貴劇団」・《芝居「旅の風来坊」》

【南條光貴劇団】(座長・南條光貴)〈平成20年6月公演・大宮健康センター〉
 午後1時30分から、大宮健康センター湯の郷で大衆演劇観劇。「南條光貴劇団」(座長・南條光貴)。芝居の外題は「旅の風来坊」、清水一家・追分三五郎の外伝だ。どこかで観たことがあるように思ったが、それは錯覚、全く同じ芝居を「鹿島順一劇団」が演じた様子を「演劇グラフ」(2007年2月号)が記事にしたのを、読んだことがあったのである。その「あらすじ」は以下の通り。「ある日、仏一家の代貸・藤次が、恋女房のおさわに裏切られ、勘造一家に襲われる。おなみ(仏一家の姐さん)と三太(仏一家の若い衆)が帰りの遅い藤次を心配して待っていると、股旅姿の侠客が、一宿一飯の恩義に預かりたいと訪ねてくる。その堂々とした態度に、ただ者ではない気配を感じ取ったおなみは、三太に世話をさせるのだが、三太はそのことに全く気づかない。そうこうしているうちに、致命傷を負った藤次が帰ってきて、事の経緯を告げ息絶えてしまう。自分を襲ったのは勘造で、親分も手にかけていたのだ。それを知ったおなみと三太は、仇討ちを誓う。夜が明け、侠客は旅立ってしまう。見送った後、侠客が一宿一飯の恩義により、一家の仇を討ちに行ったのだと気づいたおなみと三太は急いで後を追いかけるのだった。実はこの侠客、清水の次郎長の子分・追分の三五郎だった。」
 配役は、追分三五郎(樋口小次郎・ゲスト出演)、三太(座長・南條光貴)、おなみ(光條優貴)、藤次(見海堂真太郎・ゲスト出演)、勘造(南條欣也)、おさわ(光條直貴)といった面々で、「出来映え」は「水準」以上、特に座長の「三枚目」ぶりが際立っていた。そしてまた、舞踊ショーでの「艶やかな女形」に「変化」する魅力が何とも言えない。
どこかで「鹿島順一劇団」と共通する「何か」(芸風ではなく内容?目標?)があるように感じる。
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2017-10-09

劇団素描・「劇団サキガケ」・《芝居「残月赤城街道」》

【劇団サキガケ】(座長・南條時宏)<平成20年3月公演・立川大衆劇場>
JR中央線・立川駅の周辺は人混みでごった返していた。大きなビルが林立し、大型量販店、ファーストフードのチェーン店などが目白押し、日曜日の夕方ということもあって、若者のグループ、家族連れが思い思いの時間を過ごしている。しかし、その雑踏は、周辺500メートルくらいで急に静まり、大通りを二本も通り過ぎると人影はまばらになる。徒歩10分、私は「Shinema St.」(米軍立川基地歓楽街の名残であろうか)と看板が掲げられている路地を右折した。人通りはほとんどなく、左右のしもた屋の中に、「焼き鳥店」「居酒屋」「熱帯魚店」「饅頭製造販売店」などが、点在する。さらに300メートルほど進み、「スナック」の角を左折すると、100メートル前方に「立川大衆劇場」という看板が見える。私がここを訪れるのは三度目、一度目は「南條駒三郎劇団」、二度目は「劇団扇也」、そして今回は「劇団サキガケ」(座長・南條時宏)の公演である。この劇団を観るのは二度目、一度目は千葉県・長柄町「和楽の郷」の劇場だった。その時、客は「大入り」、送迎バスの中の話では「芝居はうまい。特に『節劇』がいい」ということだったが、当日は夜の部の演目、路線バスの最終時刻をすぎてしまうので「観ずじまい」で終わった。「どうしても、もう一度観たい」という思いでやって来た。午後6時(開演30分前)、入場すると、客は4人だけ、開演までに4人増えたが、結局は私を含めて9人の観客にとどまった。総じて、この劇場の観客は少ない。これまで観た公演も、たしか10人未満であった。そういえば、「新演美座」の小林志津華座長が口上で話していたことを思い出す。「川崎の『大島劇場』では、連日50人のお客様を集める自信があります。しかし『立川大衆劇場』はちょっと自信がありません。あそこは、場所がわかりにくいのです。しかも、私たちの公演の時にかぎって、周辺で事件が起きる・・・。お客様の足が遠のくはずです」と冗談まじりに話していた。しかし、大衆演劇の「劇団」は、観客数が少ないからといって「手を抜く」ことはない。「劇団サキガケ」も、日曜日の特別狂言「残月赤城街道」(長丁場・三幕)を1時間30分にわたって熱演した。配役は、足利二代目親分(座長・南條時宏)、その女房(南條なほみ)、敵役親分・前橋の太平(松平涼)、その子分1(浮世しのぶ)、2(伊勢勝)、茶店の親爺(桃川千鶴)、板割の淺太郎(松平龍弥)。役者の「実力」は「水準」以上、「型どおり」の芝居を「型どおり」に見せる基礎・基本がしっかりと身についている。特に、座長が演じる足利二代目は、病み上がりの風情が秀逸、対する前橋の親分(松平涼)も、敵役でありながら「どこか憎めない」キャラクターを見事に演じていた。南條なほみの女房も「可憐」な中に「芯の強さ」を感じさせる風情、桃川千鶴も、難しい「老け役」を精一杯演じきる。浮世しのぶ、伊勢勝も「脇役」でありながら、舞台の景色の大切な「味付け」、それなりの役割を果たしていたと思う。主役に挑戦した松平龍弥(板割淺太郎)、「型どおり」の基礎・基本は十分、それに「山ごもり」に「疲れた」風情、周囲をはばかる「すごみ」、子ども好きの「やさしさ」を感じさせる「演技」が加われば、申し分ない。「『心』で演じないと、人の『心』は打てない」(「演劇グラフ・2007・8 vol74)という、座長の至言、父・松平涼の「型」と「型破り」が瞬時に錯綜する芸風(大衆演劇の至芸)を学び取れる日も、遠くないであろう。
 「歌と踊りのグランドショー」、近頃はどの劇団も「照明」「煙幕」などの舞台効果に工夫を凝らしているが、背景幕と投光だけの「簡素」な舞台は、大衆演劇の伝統、それを忠実に継承し、まさに、役者一人一人の「実力」で勝負しようとする姿勢に脱帽する。私が初めて大衆演劇を観たのは、昭和46年、場所は「千住寿劇場」であったが、当時の舞台を昨日のことのように思い出した。座長の「船頭可愛や・筏流し」、松平涼の歌唱「夜の銀狐」は「至芸」そのもの、この劇団でしか鑑賞することができない「逸品」だと思う。松平龍弥は女形舞踊(鳥取砂丘)が魅力的、立ち役でも「男の色香」が出せると申し分ない。浮世しのぶの「番場の忠太郎」は秀逸、「とんぼり人情」で「浪花男」の風情が出れば申し分ない。いずれにせよ、「酔歌」(オープニング)、「清水港のお蝶さん」(北条不二子)、「情け」(松平涼)、「おはん」(座長、桃川千鶴)、「浮かれトンビ」(南條なほみ)、涙酒(南條麻耶)、「悲しい歌はきらいですか」(桃川千鶴)などなどの舞踊は、すべて「水準」以上、せめて50人以上の「拍手」を贈りたかった。
「劇団紹介」によれば、「座長 南條時宏 昭和17(1942)年4月24日生まれ。東京都出身。血液型A型。10代で新劇の俳優養成所に入り、演劇の基本を学び、その後、不二洋子らの劇団、新国劇、TVなどさまざまな場所で経験を積む。24歳の時「長谷川信夫」の名で劇団を旗揚げ。40代半ばに南條時宏と名を改める。「役者は何でもやるべき」というポリシーを持ち、あらゆるジャンルの芸に挑戦している。また、豊富な知識と経験で多くの役者を育てている」とある。
 その中の「昭和17年生まれ(現在65歳)、東京都出身」という記述に、私は注目する。65歳でなお現役の「座長」は少ない。私が大衆演劇を観始めた頃(昭和46年)は29歳、「長谷川信夫」座長として「千住寿劇場」に出演していたかも知れない。しかし、残念ながら、私の記憶にはないのである。若葉しげるは別格としても、梅澤武生、松川友司郎、旗丈司、金井保、金井保夫、三門扇太郎らとともに、関東の「大衆演劇」を盛り上げていたのだろう。当時の舞台を見落としていたことが悔やまれる。
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2017-10-08

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「男の盃・孫次郎最後」は横綱・三役級》

【鹿島順一劇団】(平成20年2月公演・川越三光ホテル・小江戸座)                                          芝居の外題は、昼の部「賀の祝」、夜の部「男の盃・孫次郎の最後」。昼は「大入り」だったが、座長はそのことを「口上」では触れずじまい、歌謡ステージの際に「追加」する始末、だが私はそうした姿勢に共感する。劇団の「実力」と「集客能力」は比例しない。「大入りでないと役者はやる気を出さないだろう」と危惧する客を多く見かけるが、そんなことはない。「実力」のある劇団ほど、少ない客を大切にするからである。昨年、佐倉湯パラダイスで観た「見海堂駿劇団」はたった8人の観客を前にして、「権左と助十」の名舞台を演じていた。その後、「大入り」の舞台(「意地悪ばあさん」)も観たが、客の騒々しさに負け、盛り上がりに欠けていた感じがする。関係者には申し訳ないが、私は「大入りだから頑張る」という劇団に魅力を感じない。「今日も大入りを頂きました」などと、その回数を自慢したり、反対に客の少ないことを愚痴る劇団も見受けられるが、そんな劇団に限って「実力不足」が目立つような気がする。大切なことは、今、目の前にいる客のために「全力を尽くす」ことではないだろうか。そんなわけで、「大入り」を忘れていた座長・鹿島順一の姿勢に私は共感し、拍手を贈りたい。
 さて、芝居の出来栄えは昼。夜ともに申し分なかったが、特に、夜の部「男の盃・孫次郎の最後」は素晴らしかった。実を言えば、私は先日(2月15日)、この芝居と全く同じ内容の舞台を浅草木馬館で見聞していた。外題は「笹川乱れ笠」、劇団は「劇団武る」(座長・三条すすむ)。寸分違わぬ筋書で、私の感想は以下の通りである。「本格的な「任侠劇」で、「実力」も申し分ないのだが、「息抜き」(力を抜いて客を笑わせる)場面が全くなかった。それはそれでよいと思うが、ではどこを「見せ場」にしているのだろうか。刺客が笹川一家の代貸し・子分達に「わざと討たれる」場面、血糊を使って壮絶な風情を演出しようとする意図は感じられる。だが、客の反応は「今ひとつ」、表情に明るさが見られなかった。やはり、観客は、笑いのある『楽しい』舞台を観たいのだ。
 たしかに、「鹿島順一劇団」・「男の盃・孫次郎の最後」にも「笑い」はない。しかし、役者一人一人の「実力」「意気込み」「ひたむきさ」、相互のチームワークにおいて「全く違う」印象をもった。まさに「役者が違う」のである。この芝居の主役は、外題にもある通り、三浦屋孫次郎(花道あきら)だが、それを支える飯岡一家の用心棒(座長・鹿島順一)の「演技力」が決め手になる。自分自身を「ヤクザに飼われた犬」とさげすむニヒリズム、しかし孫次郎の「侠気」に惚れ込むロマンチシズムが「混然一体」となって、何ともいえない「男の魅力」を醸し出す。この用心棒の存在がなければ、芝居の眼目(男の友情・「盃」)は半減・消失してしまうのだ。「劇団武る」で、孫次郎を演じたのは座長(三条すすむ)、用心棒を演じたのは副座長(藤千乃丞)であった。台本に対する「解釈の違い」が、出来栄えの「差」に大きく影響していると思われる。もし、その配役が逆であっったら、どのような結果になったかわからない。全く同じ筋書の芝居でありながら、「鹿島順一劇団」は「横綱・三役級」、「劇団武る」は「関脇・前頭級」であることを、あらためて確認できた次第である。
 夜の舞踊ショー・ラストの「美幸の阿波踊り」、梅乃枝健の舞踊は、「水を得た魚」のようで「絶品」、群舞の中でひときわ目立っていた。今後、「おけさ」「音頭」風の「明るく」「軽妙な」舞踊を数多く披露してもらいたい。

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2017-10-07

劇団素描・「剣戟はる駒座」・《舞踊の至芸は「唐人お吉」》

【剣戟はる駒座】(座長・津川竜)<平成19年12月公演・十条篠原演芸場>
1 開幕前の「若手」(子役)紹介は、劇団員と観客の交流を深めることができ、すばら しい企画だと思う。今日の舞台で「どんな役を演じるか」「どんな舞踊 に登場するか」 「決意」など、できれば本人の口から、(一言づつでも)披露すれば、もっとよい。
2 ミニショー・「林あさ美メドレー」
舞踊ショーに「テーマ」を設けることは、よい。どの劇団でも「顔見せ」「皮切り」「プロローグ」的な位置づけで演じているようだが、「はじめが肝心」(劇団の魅力を集中して見せることが大切)だと思う。各役者の「極め付き」を披露してみてはどうか。「氷川きよし」「天童よしみ」「都はるみ」「五木ひろし」「ちあきなおみ」など歌唱力豊かな歌手のメドレーを期待する。
3 芝居・「京都の落日」
不動倭の「三枚目」(酔客)が秀逸。<「藤山寛美」+「桂枝雀」÷2>という演技で、さわやかな印象を受けた。下賀茂神社の葵祭の景色は、大勢の役者を揃え、大劇場での舞台を思い起こさせるほどの、壮観さだった。
 殺陣、立ち回りも見事で、かつての「新国劇」を思い出す。特に、刀身が「切られ役」に接触する迫真の演技は、他の劇団とは違う。「しじみ売り」をはじめ、大勢の子役が、舞台の景色を「きめ細やかに」惹き立てていた。
4 口上
座長と不動倭の「掛け合いが」絶妙の呼吸で、「世相漫才」そのものだった。観客は、「口上」を通して、劇団の「人間関係」「内情」を「のぞき見」したいと思っている。劇団によっては「口上」を「売り」にしているところもあるくらいで、ますますの充実・発展を期待する。
5 グランドショー・「唐人お吉」他
唄いながら客席隅々まで「あいさつ」する座長、舞台で踊る津川しぶき、勝小虎、観客一人一人を最後の一人まで大切にする「誠実さ」に心打たれた。当日は、二曲目「夢芝居」だったが、「演歌みたいな別れでも」(・・・赤羽行きの夜更けの電車・・・)も聴きたかった。
「股旅シリーズ」など、テーマを設けた舞踊ショーの演出は、よい。津川らいちょう・しぶき兄弟の舞踊は「見事」。(将来、龍美麗・南條影虎兄弟を超えるのではないか)東海林太郎・三橋美智也はらいちょう、三波春夫・村田英雄はしぶき、というように「踊り分ける」のも面白い。三橋美智也は「優雅に」、三波春夫は「豪快に」、村田英雄は「憂愁を帯びて」といった雰囲気(表情)が醸し出されれば、「珠玉の舞台」となるだろう。
劇団指導・勝龍治の舞台は「芝居」「舞踊」ともに「さすが」の一語に尽きる。これまでに培われた「大衆演劇」の真髄を目の当たりに感じ、日頃の疲れが消え去る思いだった。(「芝居」(仇役)の重苦しさを払拭するために、「浮かれ」調子(「大江戸出世小唄」「チャンチキおけさ」のような「舞踊」も必要)
 座長演出の「唐人お吉」は名舞台。特に、落ちぶれたお吉を「後ろ姿」だけで踊った勝小虎、若き日のお吉を華麗に踊った座長のコントラストは感動的で、「至芸」という他はない。座長の「女形」は、往事の「淡島千景」を彷彿とさせてくれる。
6 この「劇団」の素晴らしさは「役者の人数が揃っている」(人数を揃えることは大変な 努力が必要であり、日頃の御苦労に敬服します)ことである。脇役、特に「立ち回り」「殺陣」の動き、切られ役の所作に、「実力」を感じた。
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2017-10-06

劇団素描・「三河家劇団」・《「同じ芝居を何度見ても飽きない」予感が的中》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                    今月、この劇団の見聞は5回目である。1回目の時「しばらくは、この劇団の舞台を見続けることになるだろう」と綴ったが、「同じ芝居を何度観ても飽きないのではないか」という予感もしていた。その予感が、まさに的中した。今日のプログラムは、前回(3日前・8月19日)と「ほぼ同じ」、芝居の外題は、昼の部「赤垣源藏徳利の別れ」、夜の部「三下旅鴉」であった。通常なら、「ナーンダ、また同じ芝居を観るのか、損しちゃった!」と思うところだが、この劇団の舞台は、さにあらず、前回の舞台とは「全く異なる」景色・風情が描出され、さすがは「五代目桃太郎、今、新時代の扉を開く・・・。」という看板に偽りはなかった。まず、「赤垣源藏徳利の別れ」。前回、主役の美河寛について〈もともとが「二枚目」、しかも「健全・明朗・開放的」な芸風なので、一見、豪放磊落、しかしどこか「陰」(仇討ちという秘め事のある)源藏を演じるには「やや荷が重いか」・・・。〉などと無礼なことを書いてしまったことを反省する。今日の舞台は、まさに「上品な豪放磊落」しかし、「どこか憂いを秘めた」表情が、一見、純粋無垢、素朴でありながら、どこか「茶目っけ」「おきゃん」な風情を漂わせる奥女中役・三河家諒との「絡み」の中で、絶妙なコントラストを映し出す。えもいわれぬ「艶やかで華やかな」舞台が感動的であった、さらに、今回は、もう一景追加、極月十四日の真夜中、山鹿流の陣太鼓に起こされた兄・塩山伊佐衛門 (座長・三河家桃太郎)が、「討ち入り、間違いなし」と確信、はたして「その中に源藏ありや、なしや?」、従臣(老僕常平?・奥村武仁)を赴かせて確かめようとする。「もし加わっていたならば、玄関前で大声で言上せよ」「はい、わかりました」行こうとするのを呼びとめて「もし、源藏が居なかったその時は・・・」「その時は?」「誰にも知らせず、小声でワシにそっと知らせてくれ」という「やりとり」が、なんとも「粋」で「清々しく」、舞台に「華」を添えていたと思う。ことほどさように、同じ外題の芝居であっても、「三河家劇団」の舞台は、私を厭きさせない。続いて「三下旅鴉」。前回の感想。〈三下時代の三太郎が、三年後、どのような(侠気の)「男」になって登場するか、所作、表情、口跡などを通してその風情が「大化け」(劇的な変化)することを期待していたのだが・・・。あの駒形茂兵衛は「十年後」であったが、三太郎は「三年後」、見違えるまでとは言えないまでも、「今一歩」の「変身」を描出することができたなら・・・、そこらあたりが、京華太郎の「今後の課題」と言えようか。〉今日の舞台、京華太郎はその課題を見事に克服、すばらしい出来栄えであった、と私は思う。前半の「三枚目」、相手役との「絡み」、客との「呼吸」もピッタリで、表情・所作にも「魂が入った」感じ、三年後、男修業を終えた「凛々しい」股旅姿は、申し分なく「絵になっていた」。そのことを喜ぶ長兵衛親分(座長)の風情も格別で、思わず私の目頭も熱くなってしまった。病に倒れ、二代目(美河賢太郎)や、その連れ合い(三河家諒)に「虐められ」ながらも、したたかに「抵抗する」、その仕草、表情、口跡で「客を笑わせる」技こそ「実力派座長の勲章」、前回は割愛されていた、その「技」を堪能できただけでも、望外の幸せであった。
 舞踊ショー、京華太郎、前回とは演目を変えて「瞼の母?」(唄・三波春夫)。駒形茂兵衛のみならず、番場の忠太郎にも挑戦しようとする「覇気」が素晴らしい。加えて、三河家諒の「命」(唄・五木ひろし)、珠玉の名品として「至芸の殿堂入り」(永久保存)をさせたいほどの出来栄えであった。




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2017-10-05

劇団素描・「劇団花吹雪」・《芝居「道中夢枕」》

【劇団花吹雪】(座長・寿美英二、桜京之介)〈平成20年5月公演・浅草木馬館〉
関西の人気劇団、ゴールデンウィーク開催ということもあってか、館内は「大入り」、昨年、大阪・浪速クラブで見聞した時の雰囲気・情景が蘇ってきた。この劇団も、「人気」「実力」「財力」の三拍子揃った「本格派」であることは間違いない。
 芝居の外題は「道中夢枕」、主人公は江戸の三味線弾き(若座長・桜春之丞)、弟弟子に女房を寝取られ、「間男成敗」の道中、渡し船に乗り遅れて、近くの荒れ寺にやってきた。幽霊の出そうな雰囲気だが、玄関には酒瓶が置いてある。次の船が出るまで時を過ごそうと、その酒を口にしたところへ寺の住職(寿美英二)が登場。彼は無銭飲食を責めるわけでもなく、「まあ、いっぱいやりましょう」と言って、二人の酒盛りが始まった。酒の肴に「怖い話」などして笑い合う内に、村の娘(小桜あきな)がやってくる。「爺様が息をしていない。死んだかもしれんので、お経を上げに来てくんろ」、「よしよし」言って、住職退場。三味線弾きは、したたか飲んだ酒が回って、その場に昏倒状態。そこへ、草鞋を手にした若い男女(小桜真・   )が逃避行の風情で登場。暗闇の中で、三味線弾きに蹴躓いた。「いてえ・・」と、飛び起きた三味線弾き、二人の様子を見て「なさぬ仲」と邪推する。「一時の色恋沙汰で「現実の生活」がうまくいくはずがない。そもそものなれそめはどうなんだ?はじめにちょっかいを出したのは女の方に違いない。おい、お前、お前は騙されているんだ。今のうちならまだ間に合う。早く別れてしまえ・・・」などと独り合点して、男女と絡み合う景色が何とも面白く絶妙な舞台であった。いろいろと、問い詰めているところに、国定忠治(桜京之介)とその一行が「威風堂々と」登場。若い男女の「間男成敗」をするという。(女は忠治から逃げ出していたのだ)「やっぱりね!」と面白がる三味線弾き。それでも「やろうども、その男やっちまえ、女は生かしておけ」と指示する忠治に抗議する。「そりゃあおかしい!昔から間男成敗は二つに畳んで四つ斬りと決まっている。女を生かすなんて聞いたことがない」、忠治「それは、堅気衆の話、やくざにはやくざの定法がある」「だからこそ、おかしいと言うんだ。おれだって、自慢じゃないが、女房に逃げられた!たとえ、男を許すことはあっても、女だけは許さねえぞ!」と言ったとたん、一同、哄笑。忠治に殺られそうになっている男まで笑っている。いったいどうなってるんだ?訳のわからないうちに、なぜか立ち回り、三味線弾きが、はずみで手にしたドスが忠治の脇腹へ、「よくも親分をやりやがったな!」、日光円蔵の一太刀で、三味線弾きもあえない最後、意識を失った。ところがである。どこからともなく聞こえてくる女房の声、「あんた。あたしをもう探さないで。あたしは今、幸せにやってるんだから。お願い、もう探さないで・・・」その声に触発されたか、それとも「死ぬなよ」という客の声に応えたのか、三味線弾きがむっくりと起き上がる。「チクショウ、ヤラレタ、モウダメダ、イテエ・・・」などと、しきりに身体をかきむしっていたが「あれ?変だな・・・。どこにも傷がない。斬られていない・・・」と、言いながら、すべてを納得。これまでのできごと(住職退場後のなりゆき)は、「夢」だったのだ。「生きていたのは幸い、もう女房のことはあきらめ、一からやり直しだ!」と決心したところで幕となったが、大衆演劇の芝居では珍しい「力作」、若座長・桜春之丞の「熱演」が光っていた。さすがは、「劇団花吹雪」。舞踊ショーも「豪華絢爛」な内容で、本格的な「関西の舞台」を十分に満喫できた次第である。
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2017-10-04

劇団素描・「白富士劇団」・《芝居「兄弟船」&「関の弥太っぺ」》

【白富士劇団】(座長・白富士一馬)〈平成20年4月公演・郡山・東洋健康センター〉
郡山着10時16分。「東洋健康センター」に電話すると、送迎バスは午後5時15分まで運行しないとのこと、路線バスで行く。11時45分発、磐梯熱海行きのバスで「店卸し団地入り口」で下車(バス代510円)。徒歩100メートル。浴室に「ぬる湯」(36度台)、「高麗人参エキス湯」があることが特長で、他に「天然温泉」「薬湯」などの浴槽もある。午後1時から大衆演劇観劇。「白富士劇団」(座長・白富士一馬)。「劇団紹介」によれば、「プロフィール 劇団白富士 所属はフリー。叔母であり現在、劇団指導を務める白富士龍子が女座長として昭和58(1983)年に旗揚げ。平成15(2003)年1月より白富士一馬が座長となり公演。前座長・白富士龍子の「中からきれいにして舞台に立つ」をモットーに、いつも仲のよいアットホームな劇団。ブラックライトを使用した「白富士鬼太鼓ショー」は必見。座長 白富士一馬 昭和56(1981)年6月7日生まれ。兵庫県出身。血液型A型。初舞台は6歳くらい。平成15(2003)年3月26日、大阪・朝日劇場にて座長襲名披露を行う。10代のころは漫画家になる夢もあったが、現在は若き座長としてしっかりと劇団をまとめている」とある。キャッチフレーズは「舞台に巻き起こる、爽快な風。白雪輝く霊峰「富士」の名にふさわしい清廉な心掛けで臨む舞台。若き座長・白富士一馬と、その弟、健太と龍太、さらにつばさを含めた4名を中心にベテラン役者とニューフェイスが、日々の舞台を盛り上げる」であった。芝居の外題は、昼の部「兄妹船」、夜の部「関の弥太っぺ」。たしかに、「清廉な」という形容がぴったり、上品な舞台で、大衆演劇特有の「泥臭さ」が感じられない。これまで観た劇団の中で、芝居の「上品さ」、舞台の「景色づくり」という面では「ピカイチ」だと思う。子役を含めて、舞台に登場している役者すべてのの「位置」、「表情」、「所作」が「絵」になっている。特に、「幕切れ」場面の鮮やかさは、「鹿島順一劇団」と「肩を並べる」出来映えであった。ただ、残念なことは、その素晴らしさが、「舞踊ショー」に反映されていないことである。「舞踊ショー」とは、役者一人一人が「主役」を演じる「一人芝居」だということを肝に銘じてほしい。音楽に合わせて「シナをつくる」だけでは、歌心(曲想)は伝わらない。さすがに、胡蝶つき子(座長の母)の舞踊は「所作の表情」が豊かで「水準」以上だったが、他は「水準」並み、「綺麗」「艶やか」という段階にとどまっている。
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2017-10-03

劇団素描・「三河家劇団」・《主役に若手登用は「実力」の証(あかし)》

【三河家劇団】(座長・三河家桃太郎)〈平成21年8月公演・佐倉湯ぱらだいす〉                                  芝居の外題は、昼の部「三下旅鴉」。仏一家の三下・三太郎(京華太郎)が(落ち目の)親分・長兵衛(座長・三河家桃太郎)の仇敵、(飛ぶ鳥を落とす勢いの)川向こうの親分(奥村武仁)を「弾みで」討ち取ったまではよかったが、仏一家の跡目をねらう代貸・重吉(美河賢太郎)の企みで凶状旅に出立、三年の月日が流れた。今では、一家親分の座はは長兵衛から重吉に移り、三太郎の一子は病死、女房(三河家諒)は重吉の「もの」になっているという変わりようで、まさに「栄枯盛衰」を絵に描いたような舞台であった。落ちぶれた長兵衛親分、「頼みの綱は三太郎の帰還」と「山をあげている」ところに、案の定、三下の三太郎、三年ぶりに、「男修業」を終えて帰宅した。以後は、お決まりの復讐劇、重吉と女房を相手に「親分の敵討ち」「愛児の敵討ち」「間男成敗」を「颯爽と」果たして終幕となった。この芝居の主役は、言うまでもなく三下・三太郎、まだ若手の京華太郎が、「精一杯」(渾身の)力をふりしぼった「演技」が清々しく、さらに彼を見守る座長はじめ、先輩座員連の「温かさ」も加わって、「新鮮な空気いっぱい」が漂う舞台であった。(実力のある劇団ほど、主役のチャンスは座員全員に平等に保障されている)三下時代の三太郎が、三年後、どのような(侠気の)「男」になって登場するか、所作、表情、口跡などを通してその風情が「大化け」(劇的な変化)することを期待していたのだが・・・。あの駒形茂兵衛は「十年後」であったが、三太郎は「三年後」、見違えるまでとは言えないまでも、「今一歩」の「変身」を描出することができたなら・・・、そこらあたりが、京華太郎の「今後の課題」と言えようか。
夜の部、芝居の外題は「赤垣源蔵徳利の別れ」、三波春夫の歌謡浪曲を背景にした「節劇」の風情で、主役の赤垣源蔵に美河寛、兄・塩山家の奥女中に三河家諒という配役、ここでも座長は終幕まで登場しなかった。(主役の座を中堅・美河寛に譲っている)とは言え、舞台の出来映えは珠玉の名品、一編の「短編小説」を観るような感じで、「お多福」然とした奥女中役の三河家諒は「さすが!」の一言に尽きる。主役の美河寛、もともとが「二枚目」、しかも「健全・明朗・開放的」な芸風なので、一見、豪放磊落、しかしどこか「陰」(仇討ちという秘め事)のある源蔵を演じるのには、「やや荷が重い」か・・・。しかし、お世話になった兄を思い、羽織を相手に別離を惜しむ心情は、「十二分に」伝わってくる。水準以上の出来映えであった、と私は思う。
 舞踊ショー、京華太郎の「一本刀土俵入り」(唄・島津亜矢)は、昼の部芝居の「三下旅鴉」の舞踊版、あらためて股旅姿の「おさらい・復習」に取り組もうとする意気込みが感じられて、頼もしかった。三橋美智也、二葉百合子の「音曲」にも挑戦してもらいたいと、私は勝手に思う。三河家諒の「長良川艶歌」(唄・五木ひろし)はまさに国宝級、斯界の「財産」「至宝」として永久保存したい気持ちでいっぱいだった。私は以前、「舞踊ショー」について以下のような雑文を綴ったが、その思い、その期待どおりの舞台が展開されていることに、深い感銘を受けた次第である。〈踊りの曲にはほとんど泥臭い「演歌」が使われているが、聞くだけでは取るに足らないと思われている流行歌でも、実力のある役者の踊りに使われると、たちまち名曲に変身してしまうほどである。大衆演劇の愛好家はこの舞踊ショーを最も重要視しているが、それは役者の踊りを見ながら、この「演歌」の変身を期待しているためである〉三河家諒の舞踊によって、(背景に流れる)流行歌手の「歌唱」は、いっそうの輝きを増し、たちまち名曲に変身してしまうことは間違いない、と私は確信する。




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2017-10-02

劇団素描・「章劇」・《千秋楽「月とすっぽん」は、笑劇風》

【劇団章劇】(座長・澤村章太郎)〈平成21年4月公演・柏健康センターみのりの湯〉
 今日は千秋楽とあって「大入り」であったが、客席後方の扉を開放、「札止め」としなかったのは、劇場担当者の「粋な計らい」で、大いに満足。こんな時には、最後方からの「立ち見」が特等席、誰にも邪魔されず思う存分、舞台の景色を堪能できるというものである。芝居の外題は「月とすっぽん」。この芝居には、二組の男女が登場する。その一は「月組」(上層階級・上品な風情)、一家の子分・新吉(若手俳優・芸名不詳)と親分(大江伝次郎)の娘(若手女優・芸名不詳)、その二は「すっぽん組」(下層階級・下品な風情)、新吉の兄貴分・名前はたしか万吉?(座長・澤村章太郎)と下女のおなべ(副座長・澤村蓮)。「月組」の男女は相思相愛だが、「すっぽん組」の万吉も親分の(月組の)娘に惚れている。万吉、親分に「お嬢さんと添わせてください」と懇願するが、「一船乗り遅れた」と断られ、親分との杯を水にする始末・・・。「すっぽん組」のおなべが恋い焦がれているのにも応じない。そんな時、親分が新興一家(親分・右京誠?)の手にかかってあえない最後、娘までも拉致された。その場を目撃したおなべ、一部始終を新吉に報告、「娘の奪還、親分の敵討ちを!」と万吉にも誘いかけるが、「親分との盃は水にした、娘の奪還は弟分の仕事ではないか。俺には関係ない」とふてくされる。おなべ「そんなことでどうする!お世話になった親分の敵が討てないなんて、サイテー」と馬鹿にした。万吉「おまえなんぞに馬鹿にされたくはない。敵を討てばいいんだろ!」と単純に発奮。「そうともさ!そうこなくっちゃ!」おなべと万吉、連れだって新興一家に殴り込んだまではよかったが、二人とも「返り討ち」に・・・。深手を負った万吉、やっとおなべの「献身愛」を覚ったが、時すでに遅し、二人は声をふりしぼって「会津磐梯山」を唄いながらあの世へと旅立つ。この芝居の眼目は、まさに「月とすっぽん」、月には月、すっぽんにはすっぽんが「よく似合う」、とはいえ、すっぽんの「愛」、すっぽんの「価値」は「月に優るとも劣らない」といったころ、喜劇仕立ての「人情劇」(人間劇・悲劇)に他ならないのだが、舞台の景色はやや「明るすぎ」(笑劇風)、終末、「哀愁」漂う愁嘆場の描出は「今一歩」という出来栄えであったように思う。
 この演目、「鹿島順一劇団」の舞台で、私は見聞済み、劇団それぞれの「持ち味」で、景色・風情は一変するが、「いずれ菖蒲か杜若」、双方の魅力を満喫して帰路につくことができた次第である。
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2017-10-01

劇団素描・「劇団竜之助」・《東京公演千秋楽・十条の夜》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年11月公演・十条篠原演芸場〉
 今日は東京公演・夜の部の千秋楽とあって、客席は「大入り」、開幕前から「テンション」は客の方が高かった。座長・大川竜之助によれば、初めての「東京公演」に「命を賭けた」そうである。浅草木馬館での興行前、小屋主に尋ねた。「どれくらいのお客さんを入れればよいでしょうか?」「まあ、どの劇団も平均七千人というところでしょう」「わかりました。では私どもは一万人入れてみせましょう」それゆえ、どうしてもその目標を達成しなければならない。月に一万人ということは、一日、三百五十人という計算である。そのために、「命を賭けた」。結果は、一万数百人であったとか、見事、浅草では目標達成できたのだ。その千秋楽の日、竜之助はラストショーのアンコールに応えて、「乾杯」(長渕剛)を歌った。亡き父母、息子の遺影を胸に、涙をこらえて「熱唱」した姿は、長渕剛よりも感動的(魅力的)であった。
 それから一カ月、舞台を十条に変えて、東京公演は続けられたが、私は見聞していない。今日が初めてで最後の舞台ということになる。おそらく十条でも「命がけの舞台」は続き、多くの「元気」と「感動」を提供してくれたことだろう。座長みずからも認めているように、「この劇団はへたくそ」、座長以外は「すべて素人あがり」の集団である。芝居にせよ、舞踊にせよ、一人一人の「経験」「実力」を基準にすれば、他の劇団より見劣りすることはやむを得ない。そこで、「座長は考えた」、と私は思う。よし、〈「竜之助劇団」のすべてを芝居の演目にしてしまおう〉、劇団が「芝居を演じる」のではなく、劇団イコール芝居、竜之助を筆頭に、ショーケン、シオン、ショウフウ、ユウジ、リョウマ・・・、といった面々が「大衆演劇(興行)」という「大芝居」を演じるということ、舞台の上で演じられる外題は「劇中劇」に過ぎない、というようにしてしまおう。そのことがまさに〈「他と違う」舞台作りにこだわる〉(「劇団紹介」キャッチフレーズ)ことではないだろうか。 いずれにせよ、「劇団竜之助」の使命は、「お客様に元気をプレゼントする」こと、そのためにまず、自分たちが「元気の見本を見せること」という「こだわり」は徹底している。上手・下手よりも、まず「意欲」「活気」「血気」で勝負、その一途な気持ちは、必ずお客様に伝わるに違いない、という座長の判断は共感できる。
 さて、「実力」という基準でみれば、シオン、マリア、舞踊のショウフウが「一歩」抜け出ているが、「劇中劇」での人情芝居はまだ「荷が重い」。当分の間は、ラストショー寸劇「極道の妻たち」でみせた「軽妙」「洒脱」な「ドタバタ喜劇」を「目玉」にしてみてはどうだろうか。 
 一年後、「劇団竜之助」がどのように「変化(へんげ)」した姿を見せてくれるか、楽しみに待つとしよう。
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2017-09-30

劇団素描・「南條隆とスーパー兄弟」・《芝居「紅千太郎仁義旅」&ラストショー「平家物語 壇の浦決戦」》

【南條隆とスーパー兄弟】(座長・南條影虎)〈平成26年4月公演・湯ぱらだいす佐倉〉
玄関のポスターには、以下のような出演者名が張り出されていた。「南條隆、南條影虎、南條勇希、南條欣也、一條風馬、龍魔裟斗、若葉隆之介、大路にしき、天生蛍、北條めぐみ、一条椿、南京弥、南紅里、二代目キティー花子、琉衣弥、彩羽、倉之助、白虎、裏方(略)」。なるほど、南條欣也といえば「南條光貴」劇団の副座長、北條めぐみといえば、「橘菊太郎劇団」の若座長・橘大五郎の妹(?)、加えて、座長の兄・龍美麗はいずこへ?、といった按配で、「斯界きっての人気劇団・スーパー兄弟」にも「有為転変」の兆しがあらわれたか、と思いつつ劇場へと向かった。芝居の外題は「紅千太郎仁義旅」。筋書きは大衆演劇の定番。ヤクザ同士のイザコザから旅に出た千太郎(座長・南條影虎)、帰途の途中で「辻占売り」の老女(芸名不詳の女優A)を助けたが、その老女いわく、「ヤクザに憧れて家を出て行った息子を捜しています。人の話では、今では“人斬り某”と言われているそうな。是非とも連れ帰って堅気にさせ、死んだ亭主の墓守をさせます」。千太郎、「あっしもやくざ、息子さんに出会ったら、その話を伝えましょう」。やがて、千太郎も一家に戻ってきたが、待っていたのは弟分の清吉(一條風馬)聞けば「兄貴のイザコザ後、親分は闇討ちで殺され、自分も目つぶしを食らって、盲目になってしまった」由。「そうだったのか!、よしオレが敵討ちをしてやる」「ありがとう兄貴。ひとまずオレの長屋で旅の疲れをとってくれ」ということで、二人は長屋へ・・。一方、かつて千太郎から額を割られた按摩一家の親分(若葉隆之介)、千太郎が帰ってきたことを知り、一家に草鞋を脱いでいた“人斬り某”(南條勇希)に、「あの二人を殺ってくれ」と金を渡す。長屋についた清吉、千太郎を呼び止めて「兄貴、目の見えないオレを親身に世話してくれている娘がいるんだ。どんな女か顔をみてくれねえか」千太郎、承知して長屋に入れば、出てきたのは仰天するような不細工な娘(芸名不詳の女優B)、その旨を清吉に伝える。「おめえは目がみえねんだから、不細工だってかまわねえじゃねえか」「いやだ、兄貴、追い出してくれ」。千太郎、いわれるままに娘を追い出したが、食べるものが無い。やむなく近くの寿司屋に出て行ったが、そこにやって来たのが“人斬り某”、千太郎が不在とわかると、清吉を「一突き」して帰って行く。不細工な娘、食事の用意に戻ってきたが、手負いの清吉を見つけて仰天、清吉、苦しい息の中で「このままでは兄貴が殺られる。ドスを持ってこい」と言うと、健気にも按摩一家に殴り込んだ。何も知らずに帰ってきた千太郎、娘から事情を聞いて駆けつけたが、時すでに遅し、清吉は「朱に染まって」息絶えていた。千太郎、「よくもやりやがったな。仇を討ってやる」と親分一味を成敗したが、最後に残ったのは“人斬り某”。「親分は片づけた。無用な殺生はしたくない」という千太郎に、“人斬り某”「金をもらっている以上、お前を殺るのがオレの仕事だ!弟分を一突きしたのもオレの仕事、仇を討て!」と挑みかかる。かくて二人は一騎打ちの勝負、しばらく渡り合ったが、“人斬り某”刀を落とされ、覚悟を決めた。「どこからでも、おやんなせえ。ただひとつ、頼みがある。親不孝の詫びにためた五十両、国の両親に届けてもらいてえ」そこにあらわれたのは辻占売りの老女、「これは、私の息子!どうかお助けを・・・」かくて千太郎、念願成就した親子に見送られ、再び凶状旅に一人出立するという場面で閉幕となった。この芝居、鹿島順一劇団の「夜鴉源太」とほぼ同じ、《眼目》は、義兄弟、親子の絆といったところか。座長・南條影虎の風情は絶品、場数を踏んできた「座長」としての貫禄がかんじられた。仇役の若葉隆之介も座長級の貫禄で申し分なかったが、清吉役の一條風馬はまだ「発展途上」、“人斬り某”の南條勇希も「今一歩」といった出来映えで、今後の成長を待つほかはなかった。そのいずれかを、もし南條欣也が演じていたらどんな景色になっただろうか、などと身勝手なことを考えてしまった。一方、老女役を演じた女優A、不細工な娘役を演じた女優Bは、いったい「だあれ誰?」。その実力が半端ではなかったためか、私の謎は深まるばかりであった。
 舞踊ショー、座長・南條影虎の「立ち」は「赤いハンカチ」と「チャンチキおけさ」、「女形」は「おもいで酒」・・・、いずれも珠玉の名品で大いに満足したが、極め付きはラストショーの群舞、「平家物語 壇の浦決戦」(唄・三波春夫)。最期を迎えた平家一門(知盛中心)の勇壮・悲壮な闘いぶり、勝利した源氏一門(義経中心)の「鎮魂」が彩なされて、絵巻物のような景色が展開する。劇団の総力を結集した、斯界屈指の傑作である、と私は思った。それにしても、知盛を演じたのは座長・南條影虎だと判ったが、義経を踊ったのは誰?(もしかして龍魔袈斗?)、またまた、もう一つの謎が添えられて、舞台は大団円となった。明日、劇団は、川崎市教育文化会館で催される「第1回 全国座長大会」の下座を務めるとのこと、御一同の、ますますの御活躍・御健闘を祈りつつ帰路に就いた次第である。感謝。
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2017-09-29

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「源太しぐれ」の舞台模様》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成24年8月公演・四日市ユラックス〉
客席は左半分が団体客(大型バス3台分)で埋められ、フリーの客は右半分に40人程度であったろうか、芝居が始まっても、左半分(特に後部)の喧噪は収まらなかった。その状況を見るやいなや、すかさず従業員の一人(男性)が「お静かにおねがいします」という立て札を持って提示する、といった趣向はたいそう効果的で、おもわず(心中で)「快哉」を叫んでしまった。この方法は、中央競馬のパドックでは日常化しているが、まさか劇場の客席でお目にかかれるとは思わなかった。その粋な計らいに心底から拍手を送りたい。さて、芝居の外題は「源太しぐれ」。この芝居を私は何度も見聞しているが、決して「飽きさせない」のが「鹿島順一劇団」の真骨頂である。従来の配役は、主役・時雨の源太に春大吉、敵役親分に蛇々丸、盲目の浪人に三代目鹿島虎順(現・三代目鹿島順一)、その女房に春日舞子、二代目座長(現・甲斐文太)は「その他大勢」(子分)の切られ役といったあたりが「定番」であった。当時の、二代目座長・鹿島順一、口上でいわく「私の一番好きな芝居は『源太しぐれ』です。なんと言っても私の出番は最後だけ・・・、ちょっと出て切られてしまえばいいんですから」。しかし、今日の舞台ではそうはいかなかった。配役は、主役・時雨の源太に座長・三代目鹿島順一、敵役親分に甲斐文太、盲目の浪人に花道あきら、その女房に春夏悠生といった案配で、それはそれまた「ひと味違った」景色を描出する。私には、甲斐文太の心中が想像できる。「本当はこの敵役親分はやりたくない。なぜって、切られるときに《派手な踊り》を披露しなければならないから・・・、もうしんどいよ。できれば、花道あきらにやってもらいたいのに・・・。ここが責任者のつらいところか」一方、主役の三代目・鹿島順一、「水を得た魚」のように、源太を演じまくる、見せ所は三つ、その一は盲目の浪人が女房に冷たくあしらわれ、投げ銭をされながら「人は落ち目になりたくないもの」と嘆く様を「再演する」場面、その二は、浪人の赤児を殺めようと身構えたが、屈託のない笑顔を見て「改心」する真面、その三は、浪人を助けた後立ち返り、「怪談」もどきで親分を脅かす場面、いずれも申し分なかったが、欲を言えば、その一の「メリハリ」、その三の「演出」が課題であろうか。その一では浪人や女房の「形態模写」が不十分、その三では、声を殺した「口跡」の工夫がほしかった。今後ますますの充実・発展を期待したい。舞踊ショー幕開けの組舞踊「筏流し」は、名品、甲斐文太の個人舞踊「白鷺の城」、歌唱「夢街道」を見聞できたことは望外の幸せ、今日もまた大きな元気をいただいて帰路に就いた次第である。
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2017-09-28

劇団素描・「南劇団」・《芝居「忠治旅日記」》・青根温泉

【南劇団】(座長・南竜花、南龍弥)〈平成20年7月公演・宮城・青根温泉・「流辿」〉                                 座長は兄の南龍弥、妹の南竜花の二人、副座長は座長の妹・寿純、劇団責任者は座長の母(南サヤカ?)、父(南リュウホウ))、竜花座長の娘(南ユキ・5歳)、他に男優1名(芸名不詳)という構成メンバーであった。一言で言えば、ファミリー劇団、鬼怒川温泉・ホテルニューおおるりで観た「劇団しらさぎ」(座長・あまつ秀二郎)と似ている。(「劇団しらさぎ」も、今年の2月、ここで公演していたとのこと)このような家族単位の小劇団は、不定期の「温泉宿巡り」を「常」としているのだろうか。芝居の外題は「忠治旅日記」、山形屋東蔵が父、国定忠治が南龍弥、浪花の若旦那に南竜花、その女房が寿純という配役で、それぞれが「きちんと役割を果たしている」ことに好感が持てた。大衆演劇的な「泥臭さ」を感じさせるのは父親のみ、他の役者は「すがすがしい」「清純な」雰囲気を漂わせ、「誠実そのもの」といった舞台であった。父親の「えげつなさ」に息子や、娘が「笑いをこらえて」「時には吹き出して」絡み合う風情は、貴重である。「劇団しらさぎ」では、平成家族の「わびしさ」を感じたが、それはまだ幼子を抱えたままの旅暮らしゆえ、一方「南劇団」の兄妹は「立派に成長し」「二枚看板」の役割を着実に果たしていた。興行主の話によれば、九州の劇団ということで、たしかに父母の芸風は「こってり味」、母はあくまでも「教科書的」(型に忠実)な演技に徹し、それを「なにげなく」ふっと破る(型破り)のが父の「持ち味」だと思う。今のところ副座長・寿純が母の「芸風」を継承しているが、竜花、龍弥ともに「未知の部分」(可能性)を秘めている。今後、どのような劇団に成長するか、楽しみである。
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2017-09-27

劇場界隈・「横浜・三吉演芸場」・《大衆演劇の灯よいつまでも》

午後6時から、横浜・三吉演芸場で大衆演劇観劇。「森川劇団」(座長・三代目森川長次郎)。ここの劇場は、大衆演劇の開催地としては「やや異色」である。インターネットで「演劇グラフ」を検索、さらに「全国公演案内」という項目をクリックすると、全国各地の「劇場」が紹介される。三吉演芸場の記事は以下の通りである。〈昭和の初めに旦那芸の披露場所を提供すべく貸しホールとしてスタートし、その後芝居や映画に活躍の場を与え、昭和48年からは改めて大衆演劇に舞台を預けることになったそうです。現在では東京新聞にて日々演目を紹介したり、横浜テレビ局(ケーブルテレビ)で芝居の中継サービスを行うなど、多方面にサービスの輪を広げています。精力的に大衆演劇の灯を広めようとする姿勢はチリ一つない館内の清潔さにも見て取れます〉。まさに、その通り、「チリ一つない館内の清潔さ」が特徴であり、他の劇場に見られる「騒々しさ」「雑多さ」「侘びしさ」「レトロ」といった風情とは一線を画しているところが、「異色」なのである。落語の場が「寄席」と「ホール」に区別されるように、大衆演劇の場も「芝居小屋」と「ホール」(さらには健康センター・ホテルの大宴会場など)に区別されるのかもしれない。とはいうものの、大衆演劇の舞台が映えるのは「小屋がけ」か「大宴会場」まで、「ホール」となると、よほど「異色」(商業演劇的あるいは個性的)な内容でなければ「引き立たない」のではないだろうか。事実、近年この劇場で「大盛況」を結果する劇団は「極めて少ない」ような気がするのである。例えば「近江飛龍劇団」、例えば「剣戟はる駒座」、例えば「春陽座」、例えば「都若丸劇団」くらいであろうか。他の劇団は、いずれも「苦戦を強いられる状況で、特に「夜の部」は、観客数20人程度の毎日が続いているのではないだろうか。
 本日の観客数も20人前後、チリ一つない清潔な館内(客席)に、20人が「点在する」風景は、いかにも「異色」である。(同じ20人でも川崎・大島劇場なら「大盛況」といった雰囲気を醸し出すのだが・・・)言い換えれば、いかにも「息苦しい」。その息苦しさに「飲み込まれ」、多くの劇団は、本来の「実力」を発揮できぬまま千秋楽を迎えるような羽目に陥るのでは・・・。(といった部外者の「大きなお世話」までも誘発するような有様といえよう)私の「独断と偏見」(悪意に満ちた曲解)によれば、各劇団にとって、この劇場は「鬼門にあたる」といっても過言ではない。事実、今日の舞台、芝居の外題も筋書も「失念」してしまうほどの出来栄え、いつもなら「味わい深い」芸風の森川竹之助までもが「劇場の魔物」(雰囲気)に翻弄されてか、贔屓筋相手の「座敷芸」に終始、その様子を見て、座長が「今の芸、ハマちゃんだよな」などと「解説」するようでは、まさに「地に落ちた」という他はない。だがしかし、太夫元・司玉緒、構成演出・森川凜太郎といった斯界の実力者を後ろ楯に、森川竜二、竹之助、竜馬といった若手のエネルギーが充満する「いなせ組」、加えて色香たっぷりの女優・夢川なみ、さらには可憐な子役・森川とっぴん、すっぴんといった「面々」を擁する「森川劇団」の「実力」は「こんなものではない!」のが事実である。今日の観客の誰もがそう思っていたに違いない。大衆演劇の舞台(出来栄え)は「水物」、あくまでも「劇場次第」「客次第」といった「言い様」が断言できる「典型的な事例であった」、と私は思う。ただし、この劇場の、〈精力的に大衆演劇の灯を広めようとする姿勢〉は《本物》、経営者が、精一杯、「大衆演劇の格上げ」を目指している意図は、手に取るように解るのだが・・・。
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2017-09-26

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「木曽節三度笠」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(三代目鹿島順一)〈平成22年8月公演・大阪豊中劇場〉
芝居の外題は「木曽節三度笠」。私はこの狂言を1年半前(平成21年3月)、川崎大島劇場で見聞している。その時の感想は以下の通りであった。〈芝居の外題は「木曽節三度笠」。筋書は大衆演劇の定番、ある大店の兄(花道あきら)と弟(三代目虎順)が、使用人(?)の娘(生田春美)を争奪しあうというお話。実はこの弟、兄とは腹違いで、今は亡き大店の主人(兄の父)の後妻になった母(春日舞子)の連れ子であった。行き倒れ寸前の所を母子共、大店の主人に助けられ、今は兄弟で大店を継いでいる様子・・・。弟は娘と「相思相愛」だったが、兄が横恋慕、弟は母の進言に従って娘をあきらめる覚悟、でも娘は応じない。兄は強引にも娘と「逢瀬」を楽しもうとして、土地のヤクザ(親分・座長、子分・蛇々丸、春大吉、梅之枝健、春夏悠生、赤銅誠)にからまれた。その場に「偶然居合わせた」弟、兄・娘を守ろうとして子分の一人(たこの八・春夏悠生)を殺害、やむなく「旅に出る」。そして1年後(あるいは数年後)、ヤクザの「股旅姿」がすっかり板についた弟(実はナントカの喜太郎)が帰宅、土地のヤクザに脅されていた母、兄・娘を窮地から救い出して一件落着。「時代人情剣劇」と銘打ってはいるが、眼目は、亡き主人にお世話になった母子の「義理」と、親子の「情愛」を描いた「人情芝居」で、三代目虎順の「所作」「表情」が一段と「冴えわたってきた」ように感じる。「口跡」は、まだ単調、「力みすぎ」が目立つので、「力を抜いてメリハリをつけること」が課題である〉。さて、今日の舞台の出来栄えは?娘役が生田春美から春夏悠生に代わった、ヤクザの子分・蛇々丸が脱けた、という移り変わりはあったが、もともと春夏悠生は生田春美の先輩格、蛇々丸の「穴」は、春大吉が「難なく埋める」、加えて三代目虎順は今では座長を襲名、当時の課題であった「口跡の単調さ」「力みすぎ」は見事に克服されていた、といった按配で、1年半前とは比べものにならないほど「艶やかな」舞台に仕上がっていた、と私は思う。一番の見せ場は、土地のヤクザに娘(今では義兄の女房)を拉致されてパニック状態に陥った義兄たちを尻目に「お取り込み中のようではござんすが、あっしには関わりのないこと、これで失礼いたします」と立ち去ろうとする弟・喜太郎に向かって、母が差し出す義父の位牌、それを目にした瞬間、心中は動揺、日頃から「大恩あるお方のためなら、命を捨てても惜しくない」という母の教えを忠実に守ろうとする喜太郎の「風情」から、位牌に象徴された亡父の恩愛がひしひしと伝わってくるという趣きは「天下一品」であった。また、被害者意識丸出し、小心で身勝手な兄の「憎みきれない憎らしさ」は、この芝居の要、利己に走る人間の有様を見事に描出する花道あきらの「実力」も見逃せない。私たちの心に巣くう「煩悩の根源」を、さりげなく代弁しているからである。大詰めの見せ場は、娘を取り戻しにやって来た弟に向かって言い放つ土地の親分(甲斐文太)の一言、「おい喜太郎、お前はいったい何しにキタロウ!」。それを聞いて子分一同がずっこける。興が乗れば親分までもずっこけるといった趣向は「粋の極致」、悪が栄えたためしはないことを心底から納得できる場面なのである。今日もまた、心ウキウキ、快哉を叫んで帰路に就くことができたのであった。




ビクター民謡舞踊〈初級〉(木曽節/帆柱起し音頭)ビクター民謡舞踊〈初級〉(木曽節/帆柱起し音頭)
(1998/04/01)
Various

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2017-09-25

劇団素描・「中村鷹丸劇団」・《御存知、“与ろずや柴舟”の舞台姿拝見!》

【中村鷹丸劇団】(座長・中村鷹丸)〈平成24年10月公演・まんてん星の湯三国館〉                                ここ三国館は(3回ほど訪れているが)、温泉街の「芝居小屋」といった雰囲気はではない。景勝地・温泉郷にある「文化センター」という趣で、およそ「場末」「下町」の空気とは無縁である。周辺には「匠の里」、「与謝野晶子紀行文学館」、「猿ヶ京関所資料館」などがあり、「三国館」自体も「でんでこ座」と称して、民話と紙芝居の常設展示が開かれている。つまり、温泉郷プラス歴史・伝統・文化を「学ぶ」里なのである。では、なぜ、いったい「大衆演劇」が、こんなところで開催されるのだろうか。それは、ひとえに、この町の「見識」(の深さ)に他ならない、と私は思う。つまり、この温泉郷では、伝統的な匠の技、与謝野晶子、民話・紙芝居と、大衆演劇を「同格」のものとして受け入れているのだ。事実、どこの宿屋でも宿泊客に、三国館(大衆演劇)の割引入場券が配られる。まさに、「大衆演劇大歓迎」なのである。さて、今月の出番は「中村鷹丸劇団」。私にとっては初見聞の劇団である。座長・中村鷹丸を筆頭に、うら若い女優中心の舞台が展開されていた。芝居の外題は「小金井小次郎」。座長扮する十手持ち親分が、お尋ね者の小金井小次郎を捕まえようとして「返り討ちに遭う」という筋書きで、出来映えは「水準並」であったが、小次郎役を演じたのが、なんと(あの有名な)与ろずや柴舟であったとは・・・。「与ろずや柴舟お目通り」は、斯界舞踊ショーの定番、どこの劇団でも演目に加えている代物である。その御当人に、こんなところでお目にかかれるとは、望外の幸せであった。舞台姿は、座長から「蚊とんぼ」とからかわれるくらい、「華奢」「繊細」であったが、ひとたび歌唱・舞踊になると、いかんなく、その実力を発揮する。そういえば、この劇団の舞踊ショー、役者の舞姿は、他と比べて、どこか「ひと味」違っていた。「日舞」が主流、しかも「形」を重んじる風情が魅力的・・・、ラストに、与ろずや柴舟が「ぐでんぐでん」を熱唱、その歌声に乗せて、若々しい女優陣(座長中心)がアップテンポの「洋舞」で締めくくった演出はお見事、今日もまた大きな元気を頂いて、帰路に就くことができたのであった。
昭和女の夢いづこ昭和女の夢いづこ
(1994/12/07)
与ろずや柴舟

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2017-09-24

劇団素描・「劇団三ツ矢」・《芝居「母恋鴉」の舞台模様》

【劇団三ツ矢】(座長・三ツ矢洋次郎)〈平成24年10月公演・千代田ラドン温泉センター〉
この劇団の舞台は初見聞だが、客席には40人余りの贔屓筋が詰めかけている様子で、開幕前から(茨城では珍しい)「熱気」が感じられた。劇団の出自は不明だが、埼玉、茨城、栃木あたりを根城にしている、関東の劇団なのだろうか。劇団員は、太夫元・三ツ矢弥生、座長・三ツ矢洋次郎、三ツ矢舞咲斗、三ツ矢龍之助 、三ツ矢えりか、三ツ矢たかあき、子役・三ツ矢かれん、投光・三ツ矢ちあきという面々であった。今日の舞台では、特別ゲストとして橘屋虎舞龍も加わっていた。さて、芝居の外題は「母恋鴉」。大店の材木問屋に後妻に入った母(三ツ矢弥生)とその息子・喜太郎(三ツ矢龍之助)の物語である。喜太郎には腹違いの兄(弟?)清三郎(座長・三ツ矢洋次郎)がいた。相思相愛の恋人(三ツ矢えりか)もいたのだが、清三郎が「横恋慕」、加えて土地の鮫一家親分(橘屋虎舞龍)も恋人を狙っている。ある祭りの夜、清三郎と恋人が連れ立っているところに、鮫一家の子分たち(三ツ矢舞咲斗・他)が現れ、無理矢理、恋人を連れて行こうとする。清三郎、必死に守ろうとするのだが、非力で抗えない。その窮地を救ったのが喜太郎、しかしはずみで子分を刺殺、凶状旅に出ることになった。二景は、それから3年後。今では清三郎と喜太郎の恋人を「女房」にして、継母をいじめ抜いている。そこに帰ってきたのが股旅姿の喜太郎・・・。懐かしい母子対面となったが、清三郎は「ここは大店、ヤクザ者の来るところではない」と追い返す。折も折、自分が博打場で被った借金の形にと、「女房」が鮫一家に拉致された、という知らせ・・・・。そこで、清三郎の態度は一変、喜太郎に助けを求める、といった筋書きで、座長・三ツ矢洋次郎の(淡々とした)「継母いじめ」「豹変ぶり」の景色が絵になっていた。また、橘屋虎舞龍の親分姿も「貫禄十分」で大いに楽しめた。この芝居、実は、「鹿島順一劇団」の「木曽節三度笠」と瓜二つの内容だが、その出来映えには「大差があった」、と私は思う。その1、主人公・浅間の喜太郎の風情が「今一歩」、瑞々しさに欠けている。その2、その恋人の風情が「今一歩」、清々しさに欠けている。その3、喜太郎と母の「絡み」が今一歩、義理に勝てない人情の描出に欠けている。その4,各場面で流れる「音曲」操作(スイッチのオン・オフ、音量の調整)が粗雑(無神経)すぎた。舞台は変わって「新歌舞ショー」、幕開けは洋次郎・龍之介の相舞踊「新門辰五郎」、「よおっ、御両人」と思わず声をかけたくなるような、見事な出来映えであった。とりわけ、三ツ矢龍之助の「女形舞踊」は魅力的である。この役者さん、かつては常磐龍之助という名で劇団を率いていた由、洋次郎、龍之助の出身地は福岡県久留米市、ともに初舞台が0歳だとすれば、二人は兄弟、太夫元の三ツ矢弥生は母、加えて、たかあきも身内?(真相は不明)などと、勝手な想いを巡らせてしまった。さらにまた、特別出演の橘屋虎舞龍は、「近江飛龍劇団」橘小寅丸の身内?、「南條光貴劇団」と関係があった?などなど(私の)「謎」は深まるばかりである。そんな折り、突然、躍り出たのは、洋装の「女形」、登場したのは誰?(多分、三ツ矢たかあき?)、和装で洋舞を演じるのがほとんどの昨今、「洋舞は洋装で」の原則を披露する姿勢は、お見事、その姿も「初々しい媚態」の連続で、ひときわ輝いて見えた。今日もまた、大きな元気をいただいて岩盤浴に向かった次第である。
母恋鴉母恋鴉
(2008/01/25)
小笠原愛美

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2017-09-23

劇団素描・「桐龍座恋川劇団」・《芝居「瞼の母」の舞台模様》

【桐龍座恋川劇団】(副座長・二代目恋川純)〈平成24年10月公演・浅草木馬館〉
「桐龍座恋川劇団」のホームページ(劇団員紹介)を見ると、そのトップは二代目恋川純だが、なぜかその肩書きは「副座長」である。詳細は不明、いずれにせよ兄・恋川純弥に代わって二代目が「座長役」を務めていることには変わりないだろう。芝居の外題は、特選狂言「瞼の母」。私は、この劇団の同じ舞台を3年前(平成21年5月)に、ここ木馬館で見聞している。以下はその時の感想である。〈表看板に「今日の演目 瞼の母」とあるのを見て、飛び込んだ。この芝居、いわば大衆演劇の「原点」(必須演目)で、その出来栄えを見れば、劇団の「実力」がわかろうというものである。これまで、私は若葉しげる、大川竜之助、春川ふじおの「芝居」、光城直貴、鹿島虎順の「舞踊」、森川凜太郎、鹿島順一の「歌唱」などを見聞しているが、さて、今日の舞台は如何、いやが上にも期待は高まり、胸躍らせて開幕を待った。配役は番場の忠太郎・恋川純弥、金町の半次・恋川純、その母・鈴川純加(好演)、水熊女将お浜・鈴川桃子、その朋輩(夜鷹)おとら・恋川白峰といった面々で、申し分ない。筋書は二葉百合子の浪曲(脚色・室町京之介)をなぞる趣で、開幕直後の景色が秀逸であった。とりわけ、弟分・金町半次を堅気にさせるため飯岡一家と渡り合う、忠太郎の「太刀捌き」(殺陣)は、かつての「新国劇」を彷彿とさせる勢いで、「お見事!」という他はない。その鮮やかさにおいては、斯界ナンバーワンの「実力」と言えるだろう。半次の母との「絡み」も「風情たっぷり」で、忠太郎の(まだ見ぬ母への)「慕情」が、しっとりと、そしてほんのりと描出できていた。二景、水熊店先、夜鷹おとらの風情も格別、さすが劇団の太夫元、忠太郎に銭を貰って「相好を崩す」場面、水熊の使用人(大門力也)から夜鷹だとさげすまれ、「ふうん、じゃあお前はあたしの客だったんだね」とやりかえす場面など、「天下一品」の出来栄えであった。いよいよ三景、水熊の座敷にあがった忠太郎と、女将お浜とのやりとり・・・。聞けば、鈴川桃子と恋川純弥は「実の親子」だそうな・・・。ホンマカイナ?(この件については、「孝玉ババア」様から以下のようなコメントを頂戴したので紹介する。《おせっかい:鈴川桃子さんは、お母さんではなくてお姉さんです。 おっしゃるように、お浜には若すぎたかも。 実のお母さんの、鈴川真子さんだったら 完璧だったのでしょう。達者な方です。 往年の美里英二の忠太郎、観ていただきたかったです》。なるほど、「実の姉弟」だとすれば、親子の「景色」が描出に無理が生じるのも道理である。この「母」は、一景、半次の母に比べて「若すぎた」。朋輩おとらに比べて「若すぎた」。半次の母は堅気、おとらは夜鷹、それに比べてお浜は料亭の女将、化粧・衣装が「艶やか」なのは当然だが、「母」としての「色香を抜いた」風情が不可欠。子を思う母の「心根」が今ひとつ感じられなかったのは、私だけかもしれないが・・・。この芝居、いうまでもなく主役は番場の忠太郎だが、それ以上に水熊お浜の「存在」が重く、どの劇団でもその配役に苦慮している様子が窺われるが、私が見聞した限りでは、「劇団翔龍」(座長・春川ふじお)の重鎮(後見)・中村英次郎の「お浜」がピカイチであった。しかも、彼はその舞台で、半次の母との二役を演じ分ける「見事な活躍」、水熊の座敷では、「表情」「所作」だけで(立派に)「親子名乗り」をしてしまう、といった「至芸」を見せてくれたのだから・・・。大衆演劇の必須演目「瞼の母」の出来栄えは、誰が水熊女将・お浜を演じるかによって決まる、といっても過言ではない。今回の舞台、「お浜(鈴川桃子)の若さ」によって「画竜点睛を欠く」結果になってしまった、と私は思う。この役は鈴川純加に譲り(二役)、鈴川桃子を、もうひとつの必須演目「一本刀土俵入り」のお蔦役に配してみたら・・・、などと勝手なことを想いながら、帰路についた次第である〉。さて、本日の舞台や如何に・・・。当時の座長・恋川純弥に代わって、二代目恋川純が主役・番場の忠太郎、他の配役に変わりはなかったが、その出来映えは「大いに期待外れ」であった。その理由は、①忠太郎の弟分・金町の半次が登場しなかった。②鈴川桃子演じる水熊屋お浜の(若作りの)風情に変化がなかった。③場面場面に流れる音曲が「単調」すぎたことである。二代目の口上では「忠太郎を演じるのは今日で3回目、台本がしっかりしているだけに演技はむずかしい。これまでは、金町の半次役だったが、自分が忠太郎にまわったので、半次役がいなくなった。忠太郎が半次のおふくろさんに字を教えてもらう場面は欠かせないが・・・」との由。おっしゃる通り、この芝居の眼目は「母子の情」、それを半次の母、忠太郎の母、夜鷹のおとらが三者三様に描きわけてこそ、珠玉の舞台が成立するのだから。残念ながら、今日の舞台でそれを描出できたのは、夜鷹のおとらだけ、という結果に終わってしまった。劇団には、恋川心哉、恋川風馬など、半次役は事欠かない。またその母役、鈴川純加も健在だとすれば、幕開け冒頭の場面を省く必要はなかった。二代目は「稽古の時間がない」と弁明していたが、それを作り出すのも、「座長役」の手腕ではないだろうか。何よりも大切なことは、つねに(劇団の総力を結集して)「最高の舞台」を作り上げようとする意気込みではないか、と私は思う。劇団の様変わりは「世の常」とはいえ、それが「発展」につながるか、「凋落」を余儀なくされるか、今、多くの若手(二十代)座長がその岐路(正念場)に立たされていることを痛感しつつ、帰路についたのであった。
瞼の母―長谷川伸傑作選瞼の母―長谷川伸傑作選
(2008/05)
長谷川 伸

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2017-09-22

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「大江戸裏話・三人芝居」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(平成20年9月公演・石和温泉・スパランドホテル内藤)
 芝居の外題は、昼の部「大江戸裏話・三人芝居」、夜の部「人生花舞台」。
私は、この劇団の全く同じ舞台をほぼ半年前(平成20年2月公演)、川越・小江戸座で見聞している。以下は、その時の感想である。

〈前者(「大江戸裏話・三人芝居」は、もう店じまいをしようとしていた、夜泣きうどんの老夫婦(爺・蛇々丸、婆・座長)のところへ、腹を空かした無一文の遊び人(虎順)がやってくる。うどんを三杯平ら上げた後、「実は一文無し、番屋へ突き出してくれ」という。驚いた老夫婦、それでも遊び人を一目見て「根っからの悪党ではない」ことを察する。屋台を家まで運んでくれと依頼、自宅に着くと酒まで馳走した。実をいえば、老夫婦には子どもがいない。爺が言う。「食い逃げさん、頼みがあるんだが・・・」「なんだい?」婆「お爺さん、ただという訳にはいかないでしょ」と言いながら、大金の入った甕を持ってくる。「それもそうだな、食い逃げさん、一両あげるから、頼みを聞いちゃあくれないか?」「えっ?一両?」今度は遊び人が驚いた。「一両もくれるんですかい?ええ、ええ、なんでもやりますよ」爺「実はな、私たち夫婦には子どもがいないんじゃ、そこでどうだろう。一言でいいから『お父っつあん』と呼んではくれないか?」「えっ?『お父っつあん』と呼ぶだけでいいんですかい?」「ああ、そうだ」「そんなことなら、お安い御用だ。じゃあ言いますよ」「・・・」「お父っつあん」「・・・、ああ、やっと『お父っつあん』と呼んでもらえた」感激する爺を見て、婆も頼む。「食い逃げさん、二両あげるから、この婆を『おっ母さん』と呼んではくれまいか?」小躍りする遊び人「ええ、ええ、お安い御用だ。それじゃあ言いますよ、いいですか」婆「・・・」「おっ母さん!」「・・・」婆も感激して言葉が出ない。つい調子に乗って爺が言う。「今度は、あんたを叱りたい。あたしが叱ったら『すまねえ、お父っつあん、もうしねえから勘弁してくんな』と謝ってはくれまいか。礼金は三両あげましょう」喜んで引き受ける遊び人、婆も四両出して叱りつけた。そして最後にとうとう爺が言い出す。「どうだろう、食い逃げさん、この甕のなかの金全部あげるから、私の言うとおり言ってはくれまいか」「・・・?」「『お父っつあん、おっ母さん、おめえさんたち、いつまでうどん屋台を引いてるつもりだ、オレがこうして帰ってきた以上、後のことは全部任せて、もう止めたらどうだい』ってね」指を折って懸命に憶えようとする遊び人「ずいぶん長いな。でも、だいじょうぶだ。・・・じゃあ、いいですか。言いますよ」瞑目し、耳をすます老夫婦。遊び人、思い入れたっぷりに「お父っつあん、おっ母さん、おめえさんたち二人いつまでうどん屋台を引いてるつもりだ。・・・」の名台詞を披露する。かくて、大金はすべて甕ごと、遊び人のものとなった。大喜びの遊び人「ありがとうござんす、これで宿屋にも泊まれます。あっそうだ、さっきのうどん代、払います」と一両小判を爺に手渡した。「こんなにたくさん、おつりがありませんよ」「とんでもねえ、とっておいておくんなせい。それじゃあごめんなすって」意気揚々と花道へ・・・、しかし、なぜか足が前に進まない。家に残った老夫婦の話に聞き耳を立てる。爺「お婆さん、本当によかったね。どんなにたくさんのお金より、子どもを持った親の気持ちになれたことがうれしい。あの人がくれた一両で、またこつこつと暮らしていきましょう」遊び人、矢も楯もたまらず引き返し、哀願する。「さっきもらったこの金はあっしのもの。どう使ってもよろしいですよね」あっけにとられる老夫婦、顔をみあわせて訝しがり「・・・・?、はいはい、けっこうですよ」遊び人「・・・、この金、全部あげるから、おめえさんたちの子どもとして、この家に置いてください」と泣き崩れた。どこかで聞こえていた犬の遠吠えは「赤子の産声」に、そして舞台・客席を全体包み込むようなに、優しい「子守唄」で幕切れとなった。
 幕間口上の虎順の話。「一両って、今のお金にするとどれくらいだと思いますか。だいたい六万円くらいだそうです。一言『お父っつあん』で六万円ですからね、大変なことだと思います」その通り、老夫婦の全財産(数百万円)よりも「親子の絆」が大切という眼目が、見事なまでに結実化した舞台だった。
 後者は、「人生花舞台」、大衆演劇の定番で、私は、昨年「澤村謙之介劇団」の舞台を見聞している。主役の爺(座長)は、元歌舞伎役者、師匠の娘と駆け落ちし一子をもうけるが、妻子は連れ戻され、今は落ちぶれたその日暮らしの独り者、むさくるしい身なりで、清水一家に乗り込んできた。「親分と一勝負したい」と言う。次郎長親分(花道あきら)が訳を尋ねると、「掛川の芝居小屋で、二十年前に別れた一子が興行している。親子名乗りはできないが、せめて、幟の一本でも贈ってやりたい」事情を察した親分、清水での興行を企画、爺を「御贔屓筋」(網元)に仕立て上げた。興行は成功、打ち上げの席で爺と、一子・今は襲名披露を控えた花形役者(春大吉)は再会する。大きく成長した一子の姿に眼を細め、それとなく愛妻(一子の母)の消息をたずねる爺の風情は格別であった。  
 芝居のクライマックスは、次郎長親分に勧められて一子がひとたち舞う「艶姿」であろう。しかし、酷なようだが、今の春大吉には荷が重すぎた。爺の風情が格別であるだけに、「舞姿」は「珠玉」でなければならない。もし、一子・蛇々丸、代貸大政・春大吉という配役であったなら、また違った景色の舞台になったのではないだろうか。身勝手な蛇足を加えれば、前者(「大江戸裏話」の爺を梅乃枝健、後者の一子を蛇々丸という配役がベストであった、と私は思う。いずれにせよ、舞台は水物、爺のセリフ「役者の修業に終わりはない」という至言は、座長自ら座員に伝えたかったメッセージに違いない。それに応えようと日々精進する座員各位の努力は見せかけではない。その姿に私は脱帽し、今後ますますの充実・発展を祈念する〉

 「鹿島順一劇団」の舞台は、何度観ても飽きることがない。その時、その場所によって、全く違った風情・景色を醸し出すことができるからである。「大江戸裏話・三人芝居」の三代目・虎順(まもなく17歳)は、この半年の間に「たくましく」成長した。前回の「あどけない」「たよりない」風情は薄まり、「頼もしい」素振りが芽生えてきた。そこに、「遊び人」特有の「崩れた」表情が加われば、この役柄は完成ということになるだろう。そのためには、口跡の「強弱」を工夫し、「ふっとなげやりな」「ため息混じりの」セリフ回しができるようになるとよい。いずれにせよ、この役柄は、虎順のためにあるようなもの、さらなる精進を期待する。うどん屋の老夫婦(蛇々丸、座長)の「温かい」風情は、まさに「呼吸もピッタリ」で、〈その「温かさ」こそが「遊び人」の(功利的な)心を変える〉という芝居の眼目を、鮮やかに描き出していた。「三人芝居」とはいえ、冒頭で登場したうどん屋の客、二人(花道あきら、春大吉)の風情も「格別」、舞台を引き立てるためには、なくてはならない存在である。そのこと(端役の意味)を、理解し、「あっさりと」しかも「きっちりと」その役目を果たせる役者がいることが、この劇団の「実力」なのである。舞踊ショーに登場した、新人・赤銅誠(「箱根八里の半次郎」・唄・氷川きよし)の股旅姿、立ち姿の「変化」(成長)には驚嘆した。たった半年で、こんなに変わるものなのか。彼の変化は舞踊だけではない。役者を紹介する裏方アナウンスも、「立て板に水」のよう、堂に入ってきた。女優・生田真美、春夏悠生の舞姿も「基本に忠実」、上品な風情で、成長の跡が窺える。明日は千秋楽という舞台で、春日舞子は「裏方」に徹していたため、その艶姿を観ることができなかった。誠に残念だったが、新人連中の「たしかな成長」は、その穴を埋めるのに十分であった。終演間近、座長の話。「私が座長を務めるのも虎順が十八になるまで、あと1年くらいでしょう。それまで、どうか私の舞台姿を胸に刻み、眼に焼き付けておいてください」。その言葉は、人によっては「傲慢」と聞こえるかも知れない。しかし、私は無条件に納得する。彼は、自分の舞台姿、歌唱の歌声を、一切、記録に残そうとしない。なぜなら、今、この時、に「すべてを賭けている」からだ。言い換えれば、今、目の前にいる「お客様」を何よりも大切にしているからだ。客が観ていないとわかれば、早々に芝居を切り上げる、それが鹿島順一の「真骨頂」なのである。自分の姿をCDやビデオに残さない、だから「今の姿を観てください」と彼は言っているのである。まことに寂しい限りだが、「一期一会」とは、、まさにはそのこと、芸能の基礎・基本であることを銘記しなければならない。



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劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「忠治御用旅・雪の信濃路」は、まだ発展途上》

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【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成24年2月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「忠治御用旅・雪の信濃路」。私はこの芝居を、今から3年余り前(平成20年12月)に行田温泉もさく座で見聞している。当時の感想は以下の通りであった。〈赤城の山を追われた国定忠治(座長・鹿島順一)が、雪の信濃路を逃げていく。あまりの寒さに、思わず立ち寄った一件の居酒屋、そこの亭主はかつての子分(春大吉)、その女房(春日舞子)の兄(蛇々丸)は十手持ち、忠治を捕縛する役目を負っていた。兄と対抗する女衒の十手持ち(花道あきら)、土地のごろつき(梅之枝健)女衒の子分たち(三代目・虎順、赤銅誠)が必死に忠治を追いかけるが、「貫禄」が違う。その筋書き・台本通りに、座長・鹿島順一の舞台姿は「日本一」、一つ一つの所作、口跡は「珠玉」の「至芸」、とりわけ、御用旅の疲れにやつれた風情が、一子分との出会いで一変、しかしその子分が女房持ちと知るやいなや、すぐさま立ち去ろうとする「侠気」、ごろつき殺しの疑いをかけれれた子分の窮地を救うために「百姓姿」(三枚目)に豹変する「洒脱」、さらには、もう逃げ切れぬとさとったとき、兄の十手持ちの前に両手を差し出す「諦念」の風情を「ものの見事に」描出できるのである。加えて、子分、その女房、その兄との「絡み合い」は、心に染み渡る「人情芝居」そのもの、剣劇と人情劇(時には喜劇も)を同時に楽しむことができる「逸品」であった。十手持ちの蛇々丸が忠治の座長を「それとなく」「逃げのびさせる」やりとりは、「勧進帳」の「富樫」にも似て、大衆演劇の「至宝」と評しても過言ではない、と私は思う〉。さて、今日の舞台、配役は大きく様変わりして、国定忠治に座長・三代目鹿島順一、居酒屋の亭主に花道あきら、その女房に幼紅葉、女房の兄に甲斐文太、女衒の十手持ちに梅之枝健、その子分に壬剣天音、春日舞子、土地のごろつきに赤胴誠という面々であった。舞台模様の有為転変は「世の常」とは言いながら、その出来映えは(残念にも)「前回」には及ばなかった。蛇々丸に変わった甲斐文太の風情が「出色」であることは当然、老優・梅之枝健の健闘にも不満はなかったが、三代目鹿島順一は「貫禄不足」、花道あきらは「若さ不足」、幼紅葉は「艶不足」、赤胴誠は「汚れ不足」、春日舞子は「役不足」といった按配で、名舞台にしあげるまでには、多くの課題が山積している、と私は思う。例えば、三代目鹿島順一、登場しただけで「国定忠治」を窺わせる風情(姿・形・身のこなし)が、まだ感じられない。雪の信濃路を逃げ回り、ようやく暖を得られた、「憔悴と安堵」が入り交じった表情をどのように描出するか、居酒屋の亭主(かつての子分)に女房がいるとわかった瞬間、その場を立ち去ろうとする「侠気」(潔さ)、「三枚目」の百姓姿が、泣く子も黙る(本来の)「長脇差し」(国定忠治)に一変する「凄み」等々、見せ場、見所をどのように演出するか。そのお手本は、父・甲斐文太の舞台姿、本人の口上によれば「先生の国定忠治は、僕の目に焼き付いています」とのこと、さればこそ、いつの日か必ず、(父を超えた)「恩返し」の舞台を拝見できるであろう、と私は確信している。蛇足を加えれば、居酒屋の女房が幼紅葉なら、亭主は赤胴誠、女衒の十手持ちに花道あきら、土地のごろつきに梅之枝健といった配役の方が自然ではないだろうか、などと余計なことを考えてしまった。今日の舞台は、まだまだ「発展途上」、将来を楽しみに帰路に就いたのであった。



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2017-09-20

劇団素描・「劇団十六夜」《芝居「浅間の喜太郎」の舞台模様》

【劇団十六夜】(座長・市川叶太郎)〈平成26年8月公演・横浜三吉演芸場〉
この劇団は、六代目市川千太郎が「諸般の事情」(?)により、市川叶太郞(きゅうたろう)と名を改め、今年の1月に旗揚げした由、劇場の表看板には「座長・市川叶太郎」という名札を筆頭に、市川千也、扇勝也、扇俊也、市川優叶、市川夢叶、市川叶華、市川千太郎という名前が掲げられていた。3年前までは「市川千太郎劇団」という看板で各地を巡演、数々の名舞台を披露し続けて来たのだが・・・。なぜか突然、座長・市川千太郎の姿は消え、「劇団千章」(座長・市川良二)に変貌してしまった。「湯島の白梅」「明治一代女」「鶴八鶴次郎」など、新派もどきの舞台模様や、「唐人お吉」「質屋の娘」「へちまの花」「弁天小僧」などなど、千太郎・良二のコンビが作り出す景色・風情は、えもいわれぬ魅力を漂わせていたのに・・・、以後の「劇団千章」では、千太郎の代わりを良二が務めるという困難至極の道を辿らなければならなかった、また、この間は千太郎にとっても、文字通り「雌伏三年」、不本意な日々が続いたであろう、と私は身勝手に推測する。しかし、「覆水は盆に還らず」、悔やんでいる暇はない、ということで「劇団十六夜」の旗揚げとなったか。本日の舞台、芝居の外題は「浅間の喜太郎」。大衆演劇の定番、筋書きは以下の通りである。〈3年前に村人から預かった大金を持ちだして家を飛び出した喜太郎(特別出演、「劇団三ツ矢」座長・龍之助)、今ではお定まりの旅鴉、惚れた女・おしの(市川千也?)が病持ち、その薬代を稼ごうと甚九郎一家に草鞋を脱いだ。頼まれた仕事は、上総屋十兵衛親分(扇勝也?)を斬ること。親分が独りで居るところに堂々と相対し、一太刀浴びせて立ち去ろうとしたが、子分ども(扇俊也?ら)に見咎められ、追われの身に。喜太郎は薬代をおしのに渡し、凶状旅へ。目的は果たしたので、命に未練はない。最後に不孝を詫びたいと立ち寄ったのが浅間の実家、父はすでに亡く、頑固者の母(座長・市川叶太郎)が一人で亡夫の位牌を守っていた。喜太郎、土下座して詫びたが「おまえなんぞ、わしの倅ではない」と追い返される。そこにやって来たのが上総屋の二代目親分・春太郎(「劇団扇也」座長・三河家扇弥)、「親父の仇!」と迫った。かくて対決の場は一本松、時は明け六つと決まったが、喜太郎はもとより討たれる覚悟、ドスに刃止めをして待ち受ける。春太郎もまた喜太郎を討つ気などない。血気にはやる子分どもを制して、喜太郎を許す。「堅気になって親孝行をしなせえ」「ありがとうござんす。でもお袋は頑固者、あっしのことを許してくれません」。なるほど、と一計を案じる春太郎、喜太郎を近場に隠し、やってきた母に向かって「喜太郎は切り刻んで沼に放り込みました」。仰天する母親に「もし倅さんが、この場に現れたら何とする」「それはもう、かわいい倅じゃもの、よく帰って来たと抱きしめてやりましょう」。その本音を確かめて、春太郎は喜太郎を呼び寄せる・・・。〉この芝居の眼目は「許す」こと、その景色・風情は、中村富士夫の浪曲「浅間の喜太郎」も添えられて見事に描出されていた、と私は思う。さて第三部は、歌謡・舞踊ショー。龍之助の女形舞踊、市川千也の「冬牡丹」、千也と夢叶の相舞踊「チャンチキおけさ」など見どころは満載であったが、極め付きは座長・市川叶太郎の女形舞踊「かもめの街」「酒ちょうだい」、《チーちゃん》《千様》時代を経て大成した役者人生の真髄が凝縮され、他の追随を許さない見事な舞姿であった。さらには、11歳(?)に成長した息子・千太郎との相舞踊「夫婦舟」も素晴らしい。父子の絆が、いつか夫婦の絆へと変化(へんげ)する虚実皮膜の極致に、私の涙はとまらなかった。加えて、三河家扇弥の歌唱「逢いたかったぜ」・他も「お見事!」、めったに聞けない「一級品」の歌声を堪能できたことは、望外の幸せであった。感謝。
三笠優子第1集/夫婦舟.夫婦川.夫婦橋.洞海湾の竜.冬から春へ.母ごころ.ふたり坂三笠優子第1集/夫婦舟.夫婦川.夫婦橋.洞海湾の竜.冬から春へ.母ごころ.ふたり坂
(2001)
三笠優子

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2017-09-19

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「雨の他人舟」は斯界屈指の名作》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「雨の他人舟」。幕が上がると、そこは金沢の浜(横浜~平塚間)。おりしも雷鳴轟く時化の海を見やりながら、一人の男(水谷研太郎)・が「おせん!おせん!」と叫びつつ登場。名前は五郎蔵、26歳との由。続いて登場した網元(潮美栄次)に向かって曰く、「おい、網元、この嵐を早く止めろ」「そんなむちゃな」「俺の大事なおせんちゃんが海に潜っているんだ、何かあったらどうするんだ」「おせんちゃんはお前の何なんだ」「俺が26年間、思い続けている大切な人だ」「気の毒だが、嵐はどうにもならねえ」などという間に、幸い嵐はおさまった。五郎蔵は、おせんを探しに退場。入れ替わりにやってきたのが3人のヤクザ者(水澤拓也、水嶋隼斗、水咲鷹洋)、「このあたりに宿はねえか、無ければお前の家に泊まらせろ」と、網元に迫った。「そんなことはできません」と言えば、殴るけるの乱暴三昧・・・、助けに入ったのが浜の長老・源爺(舞阪錦)、たちまち3人をねじ伏せる。その強さにとてもかなわないと思ったか、3人のヤクザ者、かしこまって一人ずつ名を名乗る。ところが、二人目のヤクザ、「あっしの名前は・・・」と言ったきり絶句、一人目に助けを求める。一人目、小声で「デンシチ」と教えれば、二人目は、恥ずかしそうに「あっしの名前はデンシチと申します」。源爺、あきれて「おい、その真ん中!自分の名前を忘れてどうする!」。三人、恐れ入って退場するが、その引き際に二人目のヤクザ、yもう一度、源爺に向かって、今度はきっぱり「あっしの名前はデンシチと申します」とだめを押す。この3人は、まだチョイ役の新人、舞台の大筋にかかわりのない場面と思われがちだが、とんでもない。芝居全体の眼目を暗示する重要な役割を担っていたのであった。やがて、五郎蔵、再び叫び声を上げながら再登場。「大変だ!おせんちゃんが、変なものを拾ってきた!」。さて、ようやく主役・素潜りの海女・おせん(座長・水葉朱光)登場、見れば、男(花形・水廣勇太)を抱きかかえている。どうやら、海の中で溺れていたらしい。源爺が介抱、水を吐かせると、気がついた。一同、「どうしたんだ、お前さんは誰なんだ、名前は?」などなど尋ねるが、男、きょとんとして、応えられない。頭を抱えて「私はいったい誰なんだ・・・、思い出せない」と呻吟するうちに一景は幕となった。そうか、あの新人ヤクザの「トチリ」(名前忘れ)は、この場面の伏線であったのか。私は、その舞台演出の見事さに、度肝を抜かれてしまったのである。続いて二景は一年後、助けられた男は、今では浜吉と命名されて、おせんの夫に・・・。浜でもお似合いの夫婦だと評判になっている。面白くないのは五郎蔵、どうにかしてやりたいが、「どうにもならないのが男女の仲」と、源爺に諭されている。海で働くおせんのために、家事一切は浜吉の仕事、とりわけ「お茶を入れる」技に秀でていた。五郎蔵、男前でも仕事でも「浜吉にはかなわねえ」とあきらめたか・・・。今は今だが(愛し合って幸せだけど)、どうしても浜吉の過去を知りたい(浜の衆と)おせん。過去には全く無頓着な浜吉との対照が(観客・私にとっては、これからどうなるだろうという)趣深い景色を醸し出す。しかし、幸せはいつまでも続かなかった。浜に訪れたのは一人の老人(梅沢洋二朗)、聞けば、江戸で米茶を商う大店・伊豆屋の大番頭で、1年前、仕入れの途中で行方知れずになった御主人様を訪ね歩いているとのこと、おせんと、居合わせた源爺、「そんな人はここにはおりません」と断るが、大番頭「この浜で見かけた人がいる。旦那様はいるはずだ、一目合わせてください」と押し問答、騒ぎを聞きつけて奥から出てきた浜吉とばったり鉢合わせとなった。「あつ!やっぱり旦那様だ!」と縋りつくのを、浜吉「誰ですか、あなたのことなんか知りません」。大番頭、外に待たせておいた奥様・とよ(朱里光)とお嬢様・おみつ(朱里渚)を招きいれ、対p面すれば、おみつ「お父様」と言ったきり、泣きじゃくる。とよ「旦那様、探し続けておりました」。しかし、浜吉は思い出せない。「あなたたち誰ですか?私には覚えが無い、帰ってください」と突き放す。おせんもまた「何を証拠にそんなことを・・・」と立ち向かうが、その表情は、だんだんと氷のように固まって「もしかして・・・、来るべきときが来てしまったか・・・」という気配。(その無言の演技が素晴らしかった)とよもまた、表情の力が抜けて、断念「そうですか、お父様は思い出してはくださいません。あきらめて江戸に帰りましょう」、その途端に、娘のおみつ、おせんに突進して「ドロボウ!私のお父様を返して!」と手を上げる。呆然と見つめる浜吉に向かっても「お父様、私と一緒に帰って」と必死に取りすがるが、無反応な父親の様子に耐えられず、客席に向かって「お父様は、本当に思い出せないんだ」と号泣するする姿は、まさに子役(の演技)の鏡、最高の風情であった。観客一同、(拍手も忘れて)水を打ったように静まり返る。一同が去った後、おせんの心は決まった。浜吉は江戸の大店・伊豆屋の旦那様に間違いない。「そのことを、どうしても思い出させなければ・・・」、呼び寄せた五郎蔵に耳打ち、浜吉を連れ出してを時化の海の中に突き落とす。1年前と同様に、それを助けあげたおせん、水を吐かせた源爺、見守る五郎蔵の前で、浜吉は自分の名前を思い出した。「そうだ、私は伊豆屋の清太郎、女房はおとよ、娘はおみつ。おせんさん、あなたの御恩は忘れない。でも、あなたの名前は(私の妻として)人別帳に載っていない。私は江戸に帰らなければならないのだ」という言葉を残して、そそくさと退場。残されたのはおせん、源爺、そして五郎蔵・・・。男たち曰く「どうして、こんなことしたんだ。何もしなければ、今までどおり幸せな暮らしを続けられたのに・・・」女曰く「私はねえ、何もかもわかった上で、浜吉に愛してほしかったの・・・」。こらえきれず、後姿で嗚咽する名優・水葉朱光を覆うように、あの音曲「他人船」(歌・三船和子)が流れ出す。「ああ、この黒髪の先までが、あなたを愛していたものを 引き離す引き離す・・・」という一節が、ひときわ舞台模様を彩る中、この名作は終演となったのである。けだし、「男と女の物語」、眼目は「無常」という余韻を残して・・・。
 今日の舞台、私の(独断と偏見による)感想を述べれば、大衆演劇界屈指の「名作」であった。3年前に比べて「劇団朱光」の実力・魅力が「おお化け」(大成長・大躍進)したことは間違いない。その要因(源泉)は何だろうか。一に、後見(座長の祖父)・梅沢洋二朗の経験・伝統を踏まえた教育力・指導力であろう。二に、その薫陶を素直に受け続けた座員一同の学習力であろう。三に、座長・水葉朱光を筆頭にした「熱意」と「サービス精神」であろう。四に、つねに努力・精進を怠らない「劇団」の謙虚さであろう。今月初日、座長が口上で曰く、「私たちにとって、浅草木馬館、十条篠原演芸場、そしてここ、小岩湯宴ランドの舞台にのることが夢でした。今、その夢が叶えられて、こんなにうれしいことはありません」。そのうれしい気持ちが、直接、観客に伝わるのである。舞台は「水物」、その成否は、ひとえに役者と観客の「呼吸」に因ると思われるが、(役者の)「演じる喜び」と((観客の)「観る喜び」が重なったとき、名作(名舞台)が誕生する、と私は確信する。終演後の「送り出し」は、座長を筆頭にほぼ全員が1階玄関 まで、その後、各階を回って「ありがとうございました」と、感謝の言葉を述べる。その姿は、「客に媚びる」代物とは無縁、館内全域が爽やかな空気で洗われるような心地がする。今後、ますますの発展を祈りたい。
三船 和子:他人船三船 和子:他人船
(2010/03/10)
三船 和子

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2017-09-18

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「月とすっぽん」》

【鹿島順一劇団】(平成20年3月公演・小岩湯宴ランド)
芝居の外題は「月とすっぽん」。登場人物は「すっぽん」の兄・平太郎(座長)と「月」の弟(三代目虎順)、「すっぽん」の下女・おなべ(春日舞子)と「月」のお嬢さん(生田春美?)という取り合わせ。病弱な親分(花道あきら)は、子分のうち、律儀で素直な弟をたいそう気に入っており、自分の娘を嫁がせたうえ、跡目を譲ろうとした。しかし、弟は辞退する。「まだ兄貴が嫁をもらっていないのに・・・。ましてお嬢さんなど・・・。身分が違います」人のよさそうな親分「心配はいらねえ、お前の兄貴には俺がよく言って聞かせる、娘が誰よりもお前を気に入っているんだから、この話をうけてくれまいか」度重なる説得に、「それなら・・」と弟も応じた。大喜びの娘、その手を取って弟も欣然と退場。そこへ、ほろ酔い機嫌の兄、ふらふらと登場。「おりいって親分に話がある」と言う。親分が応じると「もうこのへんで身を固めたい。親分のお嬢さんを嫁にいただきたい」びっくりする親分、「そうだったのか!だが平太郎よ、お前は一舟乗り遅れたぜ」「どういうこってす?」「娘は、さっきお前の弟に嫁がせることに決めてしまったんだ!」「なんですって?私とお嬢さんとは、とっくの昔に夫婦約束をしていたんですよ!」「本当か?それはいつのことだ」「忘れもしねえ、お嬢さんが三つ、あっしが花も恥じらう十の時でござんす!」あきれる親分。「バカを言うな、そんな話にのれるもんか」娘の代わりにいい女を見つけてやるからあきらめろと説得。平太郎「どこの女ですか?小岩ですか、川越ですか?それとも柏ですか」親分、花道あきらになって(役から現実に戻って)笑いが止まらない。平太郎、「わかりました。盃を水にしてください。親子の縁もこれっきり・・・」待て!と留めると思いきや、意外にも「おお、そうか、それでいいだろう。お前との盃は水にしてやる」拍子抜けして、落胆のまま平太郎退場。後へ来たのが対立する親分(春大吉)とその一党(蛇々丸、梅乃枝健、金太郎、赤銅誠)、「縄張りをよこせ」と迫る。断る親分を惨殺、一味は、その娘まで連れ去った。その様子を見て驚いた「すっぽん」のおなべ、平太郎に知らせようと一目散に退場。
二景は平太郎宅。跡目相続とお嬢さんとの結婚、その吉報を知らせようと弟は、兄・平太郎を待つ。まもなく、平太郎、落胆を通り越し、ふて腐れの風情で登場。吉報を報告する弟に、そっけない。「兄貴、祝ってくれねえのか?」という弟の問いかけに、「あたりめえだ!後から生まれてきたくせに、俺の大事なお嬢さんを横取りしやがって!勝手にするがいい」と、ふて腐れる。弟「兄貴、どうして祝ってくれねえんだ?まだガキの頃、俺が川でおぼれそうになったとき、カゼをひいているのに、そのうえカナヅチなのに、俺を助けようと飛び込んでくれたじゃあないか、あのときのやさしい兄貴はどこへいっちまったんだ」じっと瞑目して聞いていた平太郎、「そうだったよな、俺も大人げなかった。おめでとうよ」と優しい言葉を投げかけたが、それは芝居。「なんでえ、照明や裏方まで味方につけるなんて卑怯だぞ。舞台を暗くして、悲しそうな音楽をかけ、泣き落とそうとしたって騙されねえ。だれが何と言おうと、お前とお嬢さんが夫婦になるなんて、俺はがまんできない」「そういわずに兄貴・・・」と言い合っている最中に、突然、楽屋裏でバタンと大きな音(大道具が倒れたに違いない)、平太郎(一瞬、座長に返って)、楽屋裏を覗いたまま10秒間沈黙、舞台、客席は凍りついたように静まりかえった。そして、つぶやくように話し出す。「客が騒ぐのはがまんできるが(そういえば前景で、頓狂な声で騒ぎ、従業員に注意された客がいたのも事実であった)、楽屋裏が芝居を邪魔するとは、許せねえ・・・」このアドリブこそ座長・鹿島順一の真骨頂なのである。舞台で役者を演じながらも、つねに座員の動静、客席の雰囲気に気を配り、責任者としての苦労を重ねているからこそ吐いた「つぶやき」(本音)ではないだろうか。「大丈夫か?誰も怪我はしていないか?」という心配が、手に取るように私にはわかった。さらにまた、その10秒間沈黙の間、凍りついたように「固まった」(ストップモーション)弟役の三代目・虎順も「さすが」の一語に尽きる。突然生じたハプニングにどう対応すればよいか、「とまどう」のではなく、じっと(父であり師でもある)座長の「出(方)」を待ち続ける、弟子(子)の姿に私は感動した。「下手なアドリブ」でその間を取り繕うことはできるかも知れない。しかし、師の前で、弟子がそれをすることは(たとえ親子であっても)絶対に「許されない」のである。そうした不文律が徹底していることが、この劇団の真髄なのだ、と私は思う。
座長のアドリブが客の笑いを誘い、舞台は本筋に戻る。息を切らし、あわてて飛び込んでくるおなべ、「大変だ!親分が殺された。お嬢さんも、敵方の親分に連れ去られた!」「何だって?」仰天する弟。「兄貴!お嬢さんを助け出す。親分の敵も討つ。力を貸してくれ」しかし、平太郎は応じない。「どうとでも、勝手にするがいいや。俺はとうに親分との盃は水にしている。お前ひとりで助けにいけ、俺は関係ない!」とふて腐れる。「そうか、わかったよ、もう兄貴には頼まねえ」、弟は「押っ取り刀」で、単身、敵地に駆けだして行く。それを見ていたおなべ、「平さん、何してるんだ、早く助けに行かないか!」
「俺は関係ない」「関係ないことがあるもんか。お世話になった親分の敵を討つのは当たり前、兄として弟のために命をはってこそ『男』じゃないか。見損なったよ。あんたは『男』じゃない」「何だと?おれは『男』だ。じゃあ、助けに行けば『男』になれるのか?」「ああ、なれるともさ!」「よーし、助けに行くぞ」「そうこなくっちゃ!だからあたしは、平さんに惚れてんだ。およばずながら、このおなべも助太刀するよ!」「よしてくれ、足手まといだ」「邪魔になってもためにはならない」という絶妙なやりとりが、楽しかった。
 かくて、敵地に乗り込んだ、平太郎とおなべ、孤軍奮闘する弟に近づき「助っ人するぞ!後は任せろ」「兄貴、すまねえ」しかし、相手は多勢、一瞬、背中を見せた平太郎に敵の親分が斬りかかる。「危ない!」とっさに平太郎を守ろうとしたおなべ、肩口から大きく切り込まれた。それに気づいた平太郎、おなべを助けようとして自分も脇腹を刺される。
弟の登場でどうにか敵を討ち果たすことはできたが、舞台は暗転、愁嘆場の景色となった。
深手を負った平太郎、おなべを抱き寄せ「やっぱり、すっぽんにはすっぽん、俺にはお前がお似合いだあ」「だから言っただろう、あたしたちは『割れ鍋に閉じ蓋だって』・・・」「ちげえねえや」「平ちゃん、どうせ死ぬんなら、ぱっと明るく死のうよ。あの歌、唄っておくれよ」「いいともさ。エイヤアー、会津磐梯山は・・・宝の山よ」「笹に黄金がええまた成り下がる」苦しい息の中で、でも楽しそうに唄いながら、ふらふらと踊る「すっぽん二人」(絶品の相舞踊)、生まれたときは別々でも「死ぬときは一緒」、至上の幸せを手にした風情の臨終に、「月二人」(弟とお嬢さん)が合掌する、浮世絵かと見紛う艶やかな場面で、終幕となった。この劇団に数ある「名舞台」の中でも「屈指の出来映え」だったといえるだろう。
 舞踊ショー、座長の佐々木小次郎、「物干し竿」(長刀)を一瞬に抜き放つ「離れ業」は、まさに「至芸」、感嘆に値する。ラストショー、「のれん太鼓」(群舞)では新人・赤胴誠、舞踊の初舞台(?)、彼を見守る座長・座員一同の「暖かい眼差し」が、えもいわれぬ景色を作りだしていた。 
 あらためて、この劇団の「隙のない舞台」「客に対する誠実さ」が感じられ、深い感銘を受けた次第である。
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(2013/11/27)
V.A.

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2017-09-17

劇団素描・「劇団花吹雪」・《芝居「下田の夜話」の油断》

【劇団花吹雪】(座長・桜春之丞、三代目桜京之介)〈平成24年初春公演・浅草木馬館〉
これまで座長を務めてきた桜京之介は、去年(平成23年)7月に退任、その名と座長の座を長男の桜真之輔(三代目桜京之介)に譲り、自らは桜京誉と改名した由。これまでは寿美英二・桜京之介(兄弟)の「二枚看板」に桜春之丞(寿美英二の長男)が「花を添える」といった舞台模様であったが、その様相は「一変」しつつある。劇団の若返り(世代交代)を図るためには当然の成り行きと思われるが、その結果が吉と出るか凶と出るかは「今後次第」ということであろう。今日の舞台を観る限り、明らかな「ペースダウン」(レベルダウン)が(私には)感じられた。芝居の外題は「下田の夜話」。遊郭の花魁(?)春駒(小春かおり)を、その間夫・卯の吉(三代目桜京之介)と、土地の帆立一家親分(春日隆)が「身請け競争」をするというお話。寿美英二は(間夫に味方する)遊郭の主人、桜京誉は間夫の兄、座長・桜春之丞は間夫の兄貴分とおぼしき股旅人を演じていたが、その筋書きはわかったようでわからない。BGMに「鯉名の銀平」が流れていたこと、卯の吉、帆立の親分などが登場したことから察するに、「雪の渡り鳥」あたりを下敷きにしたのであろうか・・・。要するに、①春駒と卯の吉は結ばれた。(のに)②帆立の親分は1年後もまだ未練がある。③そこで一家の用心棒(桜梁太郎)が、子分たちを使って春駒を拉致しようとした。④そこに割って入ったのが股旅人、春駒を助けたと同時に「一目惚れ」。⑤卯の吉を訪ねてきた帆立の親分が、はずみで(?)兄を斬り殺した。⑤卯の吉も帆立一家に襲われた(?)。⑥春駒は股旅人に助けを求める。その見返りとして、二人は「仮祝言」をとりかわす。⑦股旅人は帆立一家を成敗。⑧卯の吉と股旅人は春駒を譲り合う。⑨股旅人は卯の吉と春駒の「縁結び」をして立ち去る・・・、といった筋書きであったが、場面が「断片的」で、一貫した「眼目」が伝わらない。加えて、配役の(妙ならぬ)「難」(?)、仇役・帆立一家親分に老優・春日隆では「荷が重すぎた」。まして(娘の)小春かおりを三代目桜京之介と張り合うようでは、結果は見えている。大看板の寿美英二や桜京誉も「ちょい役」では、「根も葉もない花吹雪」然、往時とは比べものにならない(「惨状」に近い)舞台模様であった、と私は思う。もしかして、今日は「三が日」と「七草」の中間日、どこかに「つなぎ」「息抜き」の気分はなかったか。しかし、それは大いなる「油断」というものである。聞けば、「座長・桜春之丞誕生日公演」では、来場者全員にDVDをプレゼントするとのこと、だがしかし、観客(私)が求めている
のは「物品」ではない、今、目の前で展開される、役者の息吹、渾身の技によって展開する、かけがえのない「舞台絵巻」(人間模様)なのだ。大黒柱になった座長・桜春之丞曰く「役者にとっては舞台がすべて」。おっしゃるとおり、その心意気で精進を重ねていただきたい。さらに言えば、「後見の二枚看板」寿美英二・桜京誉、退くのはまだまだ、(若手座長の鑑として)よりいっそうの飛躍・活躍を期待したい。「これからは花も実もある花吹雪」チャンチャン。
Talking Silents4「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」「小雀峠」 [DVD]Talking Silents4「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」「小雀峠」 [DVD]
(2007/11/28)
阪東妻三郎

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2017-09-16

劇団素描・「宝海劇団」・《若座長・宝海大空を筆頭に座員一同は「足踏み状態」》

【宝海劇団】(総座長・宝海竜也)〈平成25年8月公演・湯ぱらだいす佐倉〉
私がこの劇団の舞台を観たのは、ほぼ1年7月前(平成24年1月)、所も同じ、ここ「湯ぱら劇場」であった。芝居の外題は「清水港に来た男(?)」。清水港にやって来た追分三五郎(花形・宝海大地)と森の石松(若座長・宝海大空)が、次郎長(総座長・宝海竜也)の兄貴分・赤羽の藤造(座長・早乙女紫虎)の悪行〈銭湯亀の湯の娘・お花(宝海蘭丸)を拐かす〉を見咎めて救い出し、藤造を成敗、めでたく次郎長の子分になるという筋書きで、見所は、①三五郎と石松の兄弟仁義、②藤造の三枚目振り、②次郎長の侠気、といったあたりと思われるが、その出来映えは、昨年の「吉五郎懺悔」には遠く及ばなかった。なぜだろうか。私の独断と偏見によれば、その要因は偏に「座員の稽古不足」。芝居の真髄は、役者相互の「呼吸」「間の取り合い」にあると思われるが、今日の舞台は、その「間」が乱れがち、全体を引き締めるピリッとした緊張感が感じられなかった。言い換えれば、適材適所に配された一人一人の役者に「ここ一番!」という「迫真の演技」が見当たらない。さもありなん、今や若座長・宝海大空は時代の寵児、あちらこちらから引っ張りだこの状態では、しっかりと腰を据えた稽古など望むべくもない。かくて、彼自身を筆頭に、座員の面々も「足踏み状態」か、前回に比べて「大きな進歩」はなかった、と私は思う。当時、私は宝海大空について、〈彼はまだ弱冠16歳、にもかかわらず父・宝海竜也と「五分に渡り合って」母親との「親子名乗り」を遂げさせようとする。口跡といい、表情(目線)といい、姿といい、申し分なく、「ちゃらんぽらん」だった若造が、瞬時にして、兄思い母思いの青年に「変化」(へんげ)する様を、迫真の演技で描出する。なるほど、彼は今やマスコミの人気者、時代の寵児、「宝海劇団」に出演する機会も減りつつあるようだが、その人気は、確固とした「実力」によって培われたものであることを、心底から納得した次第である〉と綴った。また、(当時の)座長・宝海竜也について、〈座長・宝海竜也は、劇団ホームページ座員紹介の詳細で、「今、勉強していることは? 人の使い方」と記しているが、「宝海劇団」は文字通り「宝の(海ならぬ)山」で、人材に事欠かない。「人の使い方」イコール「人の活かし方」、それぞれが自信を持って、のびのびと自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にすれば、さらなる発展・成長が期待できる。そのことを念じつつ帰路に就いた次第である〉とも綴ったのだが・・・。残念ながら、この1年7月、「自らの個性を磨き合い、座員のチームワーク、役者の「呼吸」を大切にしてきたとは思えない。「宝海劇団」の中から生まれた宝海大空という「宝」(逸材)はまだ「蕾」、それを大輪の花に開かせるのもまた「宝海劇団」の中でしかあり得ないと、私は確信している。しかし、本日の宝海大空は、芝居でも舞踊(女形の艶やかさは相変わらずであったが)でも、どこか精彩を欠き、(心身の)疲れが感じ取れた。彼本来の「思い切り」「歯切れよさ」、登場しただけで辺りをパッと輝かせる「冴え」(魅力)が感じられなかった。斯界の名曲「夢芝居」(詞曲・小椋桂、唄・梅澤富美男)でも、以下のように警告しているぞよ大空くん!「けいこ不足を 幕は待たない、恋はいつでも初舞台」。今しばらく、花が開くまで「宝海劇団」の中でがんばれ!、などと身勝手な想いを抱きつつ、帰路に就いたのであった。
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2017-09-15

劇団素描・「劇団三枡屋」・《兄弟結集すれば「鬼に金棒」》

【劇団三枡屋】(座長・市川市二郎)〈平成21年4月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 劇団三枡屋 九州演劇協会所属。平成15年に結成50周年を迎えた老舗劇団。平成16(2004)年に劇団名を「市川市二郎劇団」から「劇団三枡屋」に改名。市川市二郎を中心に、若手メンバーが力を合わせ、地元福岡を中心に根強い人気を誇る。座長 市川市二郎 昭和39(1964)年8月29日生まれ。福岡県出身。血液型A型。平成12(2000)年に父である初代・市川市二郎の跡を継いで二代目座長となる。芸達者がそろう九州大衆演劇界の中でも、その芝居のうまさと演出力には定評がある。平成17(2005)年3月には大衆演劇では初となる、靖国神社・能楽堂での奉納芝居を行う。市川美涼は愛娘である〉とある。また、キャッチフレーズは、〈舞台から、胸いっぱいの喜びと感動が届きます・・・。感動の人情芝居から、心底笑える喜劇まで幅広い芸で楽しませてくれるのが「劇団三枡屋」。芝居はもちろん、舞踊も華麗に艶やかに繰り広げられる舞台をご覧あれ。〉であった。
 初日夜の部だというのに、観客数は二十人弱。寂しい雰囲気の中での舞台であったが、座長・市川市二郎の「実力」は十分に窺えた。芝居の外題は「丁の目の○次郎」(?)、大衆演劇の定番で、一人の娘(楓ゆかり?)をめぐって土地の親分(敵役・市川市二郎)と堅気になった元ヤクザ(○次郎・室木正也)が争うという筋書。そこにやってきたのが旅鴉(市川謙太郎)、以前の出入りで兄貴分を元ヤクザに討たれたとか、果たし合いを申し込むが、親分に拉致された娘を救出するほうが先決ということに。結末は元ヤクザと旅鴉が協力して土地の親分を成敗、という経緯でハッピーエンド。敵役・三枚目の座長・市川市二郎が「独りだけ」際だつ存在であることは確か、ただ、その「実力」を「輝かせる」脇役が乏しい。役者は揃っているが「実力」がともなわない。聞けば、「劇団華」座長・市川かずひろ、「優伎座」座長・市川英儒、そしてこの劇団の座長・市川市二郎、謙太郎は四人兄弟とのこと、もし兄弟が同じ舞台に結集すれば「鬼に金棒」、斯界屈指の舞台を創出できるのではないか。(私は、これまでに「劇団華」「優伎座」の舞台を見聞している。いずれも、座長の舞台姿、その鮮やかさは記憶しているが、座員の景色・風情で思い出せるものはなかった)。
 市川市二郎は舞踊も「天下一品」、武張った風貌が「艶やかな女形」に変化する風情は「至芸」に値する。
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2017-09-14

劇団素描・「伍代孝雄劇団」・《東京公演、三年ぶりのスタートは「殺しの美学」から》

【伍代孝雄劇団】(座長・伍代孝雄)〈平成21年8月公演・浅草木馬館〉                                         8月公演初日(夜の部)とあって、客席は「大入り」。三年ぶりの東京公演だそうだが、昨年1月、大阪浪速クラブで私が見聞したときのような(関西風の)空気が劇場全体に漂っていた。「雰囲気」(贔屓筋も含めて)そのものを運んでこれる劇団は、数少ない、貴重な存在である。当時はわからなかった座員の名前が判明した。座長・伍代孝雄、その父・アキヅキハジメ、(おそらく)NO2・伍代カズヤ、花形・伍代ミズホ、若手・伍代ノブユキ、伍代ヨシアキ、伍代キクノスケ、女優・花園テマリ、花園アツミ(座長の口頭紹介のため聞き違いがあるかもしれない。漢字は不詳)、といった面々である。いずれの役者も、それぞれの「キャリア」に応じて「達者」な姿を披露しており、舞台の景色は「水準」以上の出来栄えであった。芝居の外題は「男の人生」、あるヤクザ一家の跡目相続にかかわる「内輪もめ」の話である。草津一家には三人の代貸しがいた。このたび二代目を襲名することになった大五郎(伍代ミズホ)、そのことが面白くない鉄五郎(伍代カズヤ)、先代や「伯父貴」(秋月ハジメ)の信望が厚かった伊三郎(伍代孝雄)である。どうしても跡目を継ぎたい鉄五郎、大五郎と伊三郎が「仲違い」するように画策、そのねらいはまんまと的中して、大五郎は伊三郎を破門した。伊三郎、堅気になって恋女房(花園テマリ)と「地道に暮らそう」としているところに、またまた鉄五郎の子分がやってきていわく、「二代目が刺客に襲われてケガをした。仇を討っておくんなさい」、「待ってくれ、今のオレはもう一家とはかかわりはねえぞ」。「今は、そうかもしれねえが、仇を討てるのは伊三郎兄貴しかいねえ、親分も鉄五郎兄貴も、みんなそう言ってるんだ」という殺し文句にコロリと騙された。恋女房が留めるのも聞かず、「これが男の人生だ」と、勇んで一家に駆けつける。どこまでも悪賢い鉄五郎、伊三郎の恋女房まで拉致して一家に連行、目隠しされた伊三郎に斬殺させる、という筋書。騙され続けた伊三郎、「もうがまんならねえ」と、雪の降る中、両手に縛り付けた匕首(刀が握れないように両手を負傷させられていたのだが)で孤軍奮闘、全員を刺殺、自分もまた大雪に埋もれて絶命するところで閉幕・・・。なんとも、壮絶このうえない「修羅場」の展開で、言ってしまえば「殺しの美学」の描出こそが、この芝居の眼目なのであろう。それにしても、先代や「伯父貴衆」に信望の厚かった伊三郎、ここまで騙されなければ、「相手の真意を読み取れない」とは、まさに「お人好しにも程がある」と感じ入ったのは私ばかりであろうか。とはいえ、役者の「実力」、「チームワーク」は抜群、座長も油が乗り切った四十代、数々の名舞台を見聞できるだろうと、期待は高まるばかりである。
 歌謡・舞踊ショー、座長の歌唱「海雪」、舞踊「江戸の闇太郎」、女形舞踊は出色の出来栄え、秋月ハジメの舞踊「川」(歌・北島三郎)も「至芸」の域に達していた、と私は思う。「筏流し」(歌・越路吹雪)を所望したい衝動に駆られてしまった。
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2017-09-13

劇団素描・「風美劇団」・《芝居「弥太郎時雨笠」&「芦田の佐太郎」の舞台模様》

【風美劇団】(座長・風美涼太郎)〈平成26年8月公演・みのりの湯柏健康センター〉
この劇団は、(太夫元の)父・風美翔蔵、母・藤経子、(座長の)長男・風美涼太郎(29歳)、次男・風美永吉(20歳)、三男・風美玄吉(20歳)に加え、藤千和子、風美健介、藤淳子、(子役)晴輝らが集結する「ファミリー劇団」である。私はこれまでに芝居「かんちがい」「江戸の世噺し」「姥捨て山」などの名舞台を見聞してきたが、それらの舞台模様は翔蔵、経子、涼太郎、千和子の「実力」によって支えられていた。しかし、今や永吉・玄吉の双子の兄弟が成人し、舞台の中心を占めつつある。事実、太夫元・翔蔵の(芝居の)出番は昼の部まで、夜の部の主役、相手役は永吉、玄吉が務めているほどであった。まさに「月日のたつのは早い」ものである。昼の部、芝居の外題は「弥太郎時雨笠」。筋書きは明解、「風美版・瞼の母」といった景色で、幼い時、迷子で「生き別れ」になってしまった大店の一人息子・弥太郎(座長・風美涼太郎)は旅鴉、偶然通りかかったのが生家の前、折しも大店の養子(藤軽子)が土地のヤクザ(風美翔蔵)に挑みかかり、返り討ちにあってしまった。その窮地を救ったのが弥太郎という展開で、大店の女主人(藤千和子)、娘(風美永吉)と弥太郎の「絡み」は「瞼の母」に「生き写し」・・・、座長・風美涼太郎の舞台姿には、いっそうの「貫禄」が加わり、見応えのある場面の連続であった。さらに見どころは、殺された養子の葬儀に訪れた導師(風美翔蔵)の剽軽な風情、位牌を前にして「南無妙法蓮華経」と唱えはじめるや「祓いたまえ、清めたまえ、コンコン様、主・イエスのもとで安らかに、アーメン、そーめん、ひやそうめん、南無阿弥陀仏、ナンマンダム・・・」、仏教、神道、キリスト教、入り乱れての読経に客席は大爆笑、導師少しも動ぜず、差し出されたお布施を手にすると「これはいかん」と言いながら胴巻きから釣り銭を返す始末。その飄々とした姿は、風美翔蔵ならではの景色で、たいそう魅力的であった。閉幕後の口上にも翔蔵が登場。「今日は何の日ですか。レディスデー?・・・レディ?は どこに?」「明日は冠二郎さんが特別出演してくれます。14日は北島三郎さんが・・・」と言いかけて客席一同が「ええ~っ!」とざわめくと「出演しません。へへへへ。でも私は北島三郎のことをよ~く知っておりますよ。ええ、でも北島さんは私のことを全く知りません、へへへへ」「さて、グッズの販売です。このタオル、どうですか。座長の名前入りです。1本千円です。原価は373円ですが・・・。月に売れるのは3~4本でしょうか。お客さんが買った後、忘れていくことがあります。そんな時は、またビニール袋に入れ替えて売ります。皆さん、もしこのタオルが落ちているのを見つけたら、ただちに劇団まで届けて下さい」翔蔵が一言いうたびに客席は抱腹絶倒、久しぶりに絶品の口上を堪能できたことは、望外の幸せであった。休憩時、喫煙室にいると妙齢の女性客が「こんばんわ」と話しかけてきた。「お芝居、よく見ますか?」「はい、よく見ます」「私は今日で2度目ですが、本当に面白い。こんなに楽しいなんて知らなかった。大笑いするだけで元気になりますよね」「そうですね」「毎日、見に来ようかしら、でも遠いからなあ。毎日だと飽きるかもね」「そうですね・・・」。夜の部、芝居の外題は「遊侠一匹・芦田の佐太郎」。水呑百姓の与吉(風美玄吉)は、恋女房・お妙(藤千和子)が肺の病に冒され、その治療代を算段するために、天神一家の「賭場荒らし」を決行。しかし一家の若い衆・繁蔵(藤軽子)に見咎められ、腕一本切り落とされそうになったが、そこに(客人の)芦田の佐太郎(風美玄吉)登場。「よしなせえ、堅気の衆のしたことだ」と止められたが、繁蔵は収まらない。「では、あっしが身代わりになりましょう」「ようし、やってやる」という所に一家親分・正五郎(座長・風美凉太郎)が颯爽と登場。その温情で与吉は許され、30両の治療代まで恵まれた。しかし、その30両が仇となって、お妙は繁蔵に殺され、逆上した与吉が佐太郎を「女房の仇」と間違えて刺殺するというお話である。眼目は与吉とお妙の「夫婦愛」、正五郎と佐太郎の「義侠心」といったところか。この劇団の芝居は、「台本」がしっかりしている。そのセリフ回しを聞いているだけで十分に感動できるのだが、双子の兄弟・永吉、玄吉の(一途な)「懸命」の演技が、それに拍車をかけるといった按配で、私の涙は止まらなかった。喫煙室の女性客、前列に陣取って、夜の部の舞台も「食い入るように」見つめていたが、その胸中やいかに・・・、私は今日もまた(飽きることなく)大きな元気を頂いて帰路に就いたのであった。
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2017-09-12

劇団素描・「伍代孝雄劇団」・《「浪速クラブ」で後姿の名演技》

【伍代孝雄劇団】(座長・伍代孝雄)<平成20年1月公演・大阪浪速クラブ>
中高年女性に人気のある大規模劇団、役者の数が多く、1回見ただけでは芸名・顔を覚えられなかった。座長の他、一人だけ記銘できたのは伍代瑞穂、「三枚目」を達者に演じた中堅だったと思う。「芝居」の筋書は、間違いを犯して旅に出た兄弟分二人、今は、兄貴の家を身重の女房が独りで守っている。その女房を狙って敵一家の子分(伍代瑞穂)が侵入する。あわや手込めにされそうになったとき、弟分が帰宅、危機一髪で子分を追い返す。女房は安堵、亭主(兄貴)の消息を尋ねると、「二人で道中の途、ある一家との諍いに巻き込まれ、崖から落ちて死んでしまった」という。形見の煙草入れを渡されて夫の死を納得、絶望する女房。「それでは、これでごめんなすって」と立ち去ろうとする弟分を呼び止め、「これからどこへ行くんだい?」「へえ、故郷に帰って百姓になりやす」「そうかい、それじゃあ、この私も連れて行っておくんなさい」「そんなことはできねえ」「あたしのおなかには、あの人の『やや』がいるんだ」「そうでしたか・・・。わかりました。姐さんが身二つになるまで、面倒みさせていただきやす」立ち去った二人の後に、登場する敵一家の子分。「そうか、この家は空き家になった。おれの住み家にするとしようぜ」図々しく寝込んだ所へ兄貴分(座長・伍代孝雄)が帰宅した。子分を叩き起こし「おめえ、何やっているんだ、おれの家に勝手に入り込んで!」と一喝する。子分、鼻でせせら笑いながらいわく「おめえさん、何にも知らねえ。さっき弟分が来て、おめえさんが死んだと言ったら、女房も女房だ、あたしを連れてってと頼みやがった。二人なかよく手に手を取って、ずらかったぜ!」「なに!?、それじゃあ、あの野郎、『間男』しやがったっていうのか」。激高した兄貴分、子分を斬り捨て、二人の後を追いかける。1年後のことだろうか。ある田舎やくざの親分(伍代一馬?)、身内になる子分を募集中。半年前からこの土地に流れ着き、百姓仕事を細々と手伝っている親子三人連れに目がとまった。「あの男、身のこなしといい、目の使い方といい、ただの百姓とは思えない。あいつを身内に引き込もう」、その話をつけに行くのは他人(旅鴉)がいい、そうだ、今、一家にわらじを脱いでいる旅鴉(実は兄貴分)にやらせよう、話がまとまり、親子三人が住んでいる小屋に赴く旅鴉、戸口を開け声をかけようとした時、中から聞こえる話し声、「おまえさん、お茶が入りましたよ。今日も一日中働きづめで、さぞお疲れでしょう。ゆっくりして下さい」、その声は、誰あろう、間男して遁走した恋女房のものであった。驚愕し、それでもはやる気持ちを落ち着けて、聞いていると、「おまえさん、坊やの顔を見て。あの人そっくり!」「そうだなあ、兄貴そっくりだ」「あたしは、おまえさんに本当に感謝しています。とてもあたし一人では、あの人の子をここまで育てられなかった。あなたが助けてくれたからこそ・・・」「とんでもねえ。お世話になった兄貴への恩返し、きっと堅気に育ててみせますよ」。旅鴉のいきりたった肩の力が少しずつ抜け、次第に首をおとし、瞑目して涙をこらえる様子を、座長・伍代孝雄は、ほとんど「後ろ姿」だけで演じ切ったように思う。間男成敗などと「世迷い言」を吐いた自分を恥じ、「親子名乗り」もしないまま旅立とうとする鴉一匹、後を追いかける「鳥追い女」に「付いてくるなら勝手にしやがれ」と言い放ち、颯爽と退場する座長、今日もまた、大衆演劇の「至芸」を鑑賞できたことを幸せに思う。
 このような芝居小屋(浪速クラブ)で演じられる舞踊ショーは、舞台に立つだけで「絵」になってしまう。とりわけ、芝居で「三枚目」を演じた伍代瑞穂の女形舞踊は光っていた。
演劇グラフ 2009年 01月号 [雑誌]演劇グラフ 2009年 01月号 [雑誌]
(2008/11/28)
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2017-09-11

劇団素描・「橘小龍丸劇団」・《「弁天小僧・温泉の一夜」》

【橘小竜丸劇団】(座長・橘小竜丸)〈平成20年8月公演・川崎大島劇場〉
 日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。
「劇団紹介」によれば〈プロフィール 橘小竜丸劇団 平成13(2001〉年10月1日に旗揚げ。フリーで活動していたが、平成16(2004)年6月に九州演劇協会所属となる。ディスコダンスの全国大会で優勝した経歴を持つ座長が、得意とするダンスをアレンジした洋舞には定評がある。若々しい舞台が魅力。座長 橘小竜丸 昭和34(1959)年10月1日生まれ。宮崎県出身。血液型B型。役者の家に生まれ、5歳の時、大阪の浪速クラブにて初舞台を踏む。しばらくは役者の道から遠のくが、20代後半に「紀伊国屋章太郎劇団」(現・劇団紀伊国屋)に入団。約8年間の修行を経て、平成13(2001)年10月1日に劇団旗揚げ。若座長 橘龍丸 平成3(1991)年4月21日生まれ。福井県出身。血液型B型。父である橘小竜丸座長が劇団を旗揚げするのをきっかけに、10歳で初舞台を踏む。線の細い中性的な立ち役と、はかなげな女形が魅力。舞踊では演歌から洋楽にまで幅広いジャンルに挑戦し、成長著しい役者である〉とある。また、キャッチフレーズは、〈魅せる舞台で観客を虜に・・・。オリジナリティにこだわり頂点を目指す。座員一丸となり、幻想的な舞台を繰り広げる、「橘小竜丸劇団」の舞台世界をお楽しみ下さい〉であった。
 芝居の外題は「弁天小僧・温泉の一夜」。筋書きは、大衆演劇の定番。浪花の若旦那(橘愁斗?・好演)が敵役の親分(座長)に騙されて、金百両、馴染みの芸者(橘ユリ?)まで掠め取られ、身投げをしようとしたところを、弁天小僧(若座長・橘龍丸)に助けられ、敵討ち(間男成敗)をするという話だが、女形で登場した橘龍丸の「艶姿」、「口跡」が、何ともいえぬ「可愛らしい」風情で、観客を魅了する。男に変身する「一瞬」も「お見事」という他はなかった。鹿島虎順、恋川純、南條影虎とは同世代、将来の大衆演劇界を背負って立つ役者に成長することは間違いない。この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原チドリ、志賀カズオ、喜多川シホらの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川シホの「博多恋人形」(唄・牧村三枝子)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう。
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(1989/11/01)
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2017-09-10

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「源太時雨」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成22年8月公演・大阪豊中劇場〉
芝居の外題は「源太時雨」。かつての座長、二代目鹿島順一(現・甲斐文太)は、座員それぞれの「個性」を見抜き、それを磨き際だたせる采配に長けていた。この狂言での主役は春大吉、脇役に三代目虎順、敵役に蛇々丸を配し、自分は「ほんのちょい役」に回っていたが、虎順が三代目座長・鹿島順一を襲名、屈指の名優・蛇々丸が退団とあって、その配役を大幅に変更せざるを得なかった。結果、主役・源太に三代目鹿島順一、脇役・盲目の浪人に春大吉、敵役親分に甲斐文太、と相成ったのである。筋書は単純。行き倒れていた盲目の浪人夫妻(夫・春大吉、妻・春夏悠生)を助けた土地の親分(甲斐文太)、それは見せかけの善意に過ぎず、浪人の妻と「間男」する魂胆は見え見えだったが、この妻もまた妻で品行不良の不貞の極み、さっさと相手を親分にのりかえて夫と乳飲み子を邪魔者扱い、乳をもらいに来た夫に「投げ銭」をして追い返す。加えて、親分、この夫を暗殺しようと、一家の遊び人・時雨の源太に指示。源太、「金のためなら何でもします」と請け合ったが、土壇場で「改心」、浪人の「間男成敗」に加担する、というお話である。芝居の見どころは、①親分・不貞妻に「投げ銭」され、見えぬ目で金をまさぐりながら「人は落ち目になりたくないもの・・・」と嘆じる哀れな風情、②その風情をノーテンキな源太が「再現」する滑稽さ、③土壇場で赤子の笑顔に出会い、思わず「改心」する源太の清々しさ、④源太演出の怪談話に震え上がる親分の小心ぶり、⑤浪人の目が快癒、晴れて間男成敗を果たす痛快さ、等など、数え上げればきりがない。今日の舞台、大幅な配役変更にもかかわらず、それぞれの役者がそれぞれの見どころを、いとも鮮やかに描出していた、と私は思う。とりわけ三代目鹿島順一演じる時雨の源太が、浪人ともども乳飲み子まで切り捨てよう太刀を振り上げたその時、赤子の泣き声が笑い声に変化、一瞬見つめ合う赤子と源太、次第に源太の表情も柔和な笑顔に変化する。悪から善への「改心」を、表情と所作だけで描出した座長の「実力」は努力・精進の賜物であり、脱帽する他はなかった。加えて、新人(だった)春夏悠生の「不貞ぶり」「悪女ぶり」も板に付き、舞台模様をより一層際だたせていたことは、立派である。あらためてこの劇団の素晴らしさを満喫、大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
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2017-09-09

劇団素描・「劇団炎舞」・《芝居「吉良の仁吉」の舞台模様》

【劇団炎舞】(座長・橘炎鷹)〈平成25年8月公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は「吉良の仁吉」。主役・吉良の仁吉に座長・橘炎鷹、女房お菊に三河家諒、神戸の長吉に橘進一、仇役・安濃徳次郎に北城嵐(特別出演)、用心棒・角井門之助に橘佑之介という配役であった。筋書きはあまりにも有名、荒神山の縄張りを奪われた神戸の長吉が、仁吉に愚痴をこぼしに来た。奪ったのは仁吉の恋女房お菊の兄・安濃徳次郎である。仁吉、義兄(安濃徳)の所に行って掛けあったが、けんもほろろに追い返された。やむなく、仁吉お菊に「三行半」(離縁状)を渡して、荒神山に向かう。芝居の眼目は「義理と人情」、とりわけ恋女房・お菊との「愛別離苦」が主題であろう。そのあたりの風情を、従来、私は以下の音曲で堪能してきた。「海道名物 数あれど 三河音頭に 打太鼓 ちょいと太田の 仁吉どん 後ろ姿の粋な事 吉良の港は おぼろ月 泣けば乱れる 黒髪の 赤いてがらも 痛ましや お菊十八 恋女房 引くに引かれぬ 意地の道 止めてくれるな 名がすたる いやな渡世の 一本刀 辛い訣れを なぜ切らぬ 嫁と呼ばれて まだ三月
ほんに儚い 夢のあと 行かせともなや 荒神山へ 行けば血の雨 涙雨」(作詞:萩原四朗 作曲:山下五郎 唄:美ち奴)しかし、本日の舞台は、まさに現代版「吉良の仁吉」、荒神山の祠に捧げられた白菊一輪、すでに自刃したお菊の面影を抱きつつ仁吉も絶命する。
しかも、背後に流れる音曲といえば・・・。「好きで 好きで 好きで 仕方のない恋で終わりたくない 好きで 好きで 好きで あなた以外 何もいらない 初めて気付いたよ こんなに人を愛せるということ 些細な言葉でも 右へ左へ 心がざわめく 背中を向けたあなたにならば 素直な気持ちを言えるのになぁ・・。どうして? 本当はこんなに 好きで 好きで 好きで 仕方ない人に巡り逢えたの 好きで 好きで 好きで 仕方のない気持ちを伝えて (以下略)」(歌手:倖田來未 作詞:倖田來未 作曲:杉山勝彦)ときたもんだ!(ただし、確証はない)それはそれでよい、と私は思う。時代は流れてゆくものだから。その方が「現代」の「大衆」の琴線に触れるのであれば・・・。だとすれば、配役もまた以下のように替えてほしい、などと余計なことを考えてしまった。吉良の仁吉・橘炎鷹、お菊・橘もみじ、神戸の長吉・橘佑之介、長吉の母・三河家諒、安濃徳次郎・橘魅乃瑠、角井門之助・北城嵐。
 斯界の名優・三河家諒、現在は兄の劇団を離れてフリーの身、あちこちの劇団から「お呼び」がかかって御同慶の至りだが、どこにいっても(芝居の)「役不足」は否めない。せめて、歌謡・舞踊ショーで踊った二本、立ち役は「田原坂」、女形は曲名不詳(歌手は五木ひろし?)だったが、その艶姿は群を抜いている。願わくば、「歌謡」をもう一本!、などと身勝手な妄想を抱きつつ、帰路に就いた次第である。
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2017-09-08

劇団素描・「劇団あやめ」・《鈴蘭南座の舞台模様》

【劇団あやめ】(座長・あやめ猿之助)〈平成24年8月公演・名古屋鈴蘭南座〉
午後6時30分から、名古屋鈴蘭南座で大衆演劇観劇。「劇団あやめ」(座長・あやめ猿之助)。座長・あやめ猿之助は「劇団花車」座長・姫京之助の次男である。長男・錦之助、三男・勘九郎、四男・右近とともに同じ舞台を踏んでいたが、2011年2月から、みずからが座長をつとめる「劇団あやめ」を旗揚げした由、ほぼ1年半が経過したが、その舞台模様や如何に?、興味津々で来場した次第である。私は、「劇団花車」時代の猿之助を見聞しているが、四兄弟の中にあって、ひときわ異彩を放つ舞台姿であった。芝居では和洋折衷のユニークな女形(容貌・口跡は抜群)をこなし、個人舞踊でも、つねに長丁場の大作に挑戦する。芸風はあくまで華麗、その「外連味」が、たまらない魅力であった。さて、座長となった今、その魅力がどのように「開花」しているか・・・。結論から言えば、まだ「三分咲き」という段階であろう、と私は思う。表看板には、千鳥、まつねひよ、花形・咲之阿国、初音きらら、夕月寧々、琥珀宴、小林浩子という「連名」が掲げられていたが、座長を筆頭に、いずれも「若手」で、まだ発展途上の面々であろう。とりわけ、猿之助は座長、これまでの「個性」だけでは責任を果たせない。今日の舞台では、芝居「人情春雨傘」の主役(三枚目の老婆)、舞踊では「瞼の母」「山河」「幸せになりたい」「夢真珠(?)」、「河内音頭」「冬牡丹」「狐忠信」等々、文字通り「出ずっぱり」の熱演であったが、その出来映えは「今一歩」、猿之助ならではの魅力は薄れ気味であった。座長として必要な才覚は、まず第一に劇団の「チームワーク」、千鳥、咲之阿国、琥珀宴といった「個性的」な「持ち味」をどのように輝かせるか、といった観点ではないだろうか。おいしい料理も食べ過ぎれば飽きてしまう。時には、座員に場を譲り、それぞれの「個性」で勝負させる余裕がほしい。ちなみに、千鳥(風情は松竹町子プラス峰そのえ然)の歌唱「二度惚れ酒」、初音きららのアクロバチックな洋舞は「出色」であった。今後、ますますの充実・発展を期待したい。
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2017-09-07

劇団素描・「劇団美川」・《芝居「千里の虎」・画期的な照明効果のグランドショー》

【劇団美川】(座長・美川麗士)〈平成20年9月公演・初日・横浜三吉演芸場〉
 「劇団紹介」によれば〈プロフィール 劇団美川 関西大衆演劇親交会所属。平成8(1996〉年2月1日創立。美川麗士座長を中心に、「新派でも歌舞伎でもない独創的な世界」を目指して活躍中。座長の実妹・美川竜、娘の花形・美川麗、芸達者なメンバーによる活気溢れる舞台が特徴である。劇団のモットーは「一致団結」。座長 美川麗士 昭和41(1996)年1月12日生まれ。大阪府出身。血液型B型。「浪速の玉三郎」と呼ばれた名優・美里英二を伯父に持つ。2歳の時、初代大川竜之助座長の「大川劇団」にて初舞台。その後、父である美川竜二と共に「美里英二劇団」に移り、美里英二が一座を退いて創立された「劇団美川」にて座長襲名。端正な容姿と明るいキャラクターに人気が集まっている〉とある。またキャッチフレーズは、〈独創的な舞台を目指して一致団結。新しくて身近なお芝居・・・ それが「劇団美川」の目指すもの。名優・美里英二を伯父に持ち、初代大川竜之助にも学んだ美川麗士座長と、妹である美川竜を中心に、劇団全員の和を大切にしながら、「型通りではない、リアリティ(真実味)のある芝居」を追求し続けている〉であった。劇団員は副座長・美川慎介、男優・美川大介、美川天道、美川勇樹、女優・美川竜、吹雪舞、美川あられ、美川久美子、子役・河内まや、河内まほ、の面々である。芝居の外題は「千里の虎」。筋書は大衆演劇の定番、木津一家を束ねる女親分は病がち、娘婿に跡目を譲ろうとして、娘・おしな(吹雪舞)に「好きな人」がいるかどうかを確かめる。親分としては虎松(座長)、政吉(美川大介)のどちらでもよかったが、娘が選んだのは政吉。そうとは知らず、虎松は酒の力を借りて(泥酔状態のまま)、「おしなさんを嫁にください」と親分に直訴したが「船に乗り遅れた」と断られ、絶望。「もう自分がいる場所はない」と一家を出て行ってしまった。途中、親分の倅・カツ坊(子役・河内まや・好演)に出会い、引き止められるが従わない。そんな時、敵役・般若一家(親分・美川天道)の用心棒・天童兵馬(副座長・美川慎介)が、女親分を暗殺。木津一家は崩壊した。般若一家の親分は、おしなにまで手を出し、自分の女房にしようとする。復讐しようとした、おしなと政吉、あやうく返り討ちになりかけたとき、虎松登場。大立ち回りの後、見事、親分の仇を討つという物語。なるほど、虎松(座長)の酔態、女親分、カツ坊との「絡み合い」等々、セリフに頼らず「所作」でみせる「実力」は、「型通りではない、リアリティ(真実味)のある芝居」を実現していたと思う。そこに、《人情味》が一枚加われば、まさに「独創的な舞台」を描出できるのではないか。
 「独創的な舞台」は、グランドショーでは数多く見聞することができた。各役者の舞踊の「実力」は「水準以上」。座長の「風の盆恋唄」「裏道の花」は天下一品、吹雪舞、美川竜、河内まやの舞台、美川天道の歌唱が印象に残ったが、何と言っても、その「独創性」は、「照明効果」に発揮されている。大衆演劇では、客席後方からの「投光」で、役者の姿を「追いかける」という手法が定番となっているが、舞台背面にスポットの円形が右往左往する景色は見苦しい。その「野暮ったさ」を、この劇団は「見事に」解消していると思った。舞台背面には、いくつもの、色とりどりの水玉模様が浮かんでは消え、浮かんでは消え、まさに「色模様」「色絵巻」の中で舞踊が展開するという風情で、ほとんど「投光スポット」の動きが「気にならなかった」のである。素晴らしい技術、画期的な演出で大きな感銘を受けた。願わくば、その「独創性」を「音響効果」の方にも発揮してもらえたら・・・。「さすりゃあ」、劇団美川の独創的な舞台は盤石なものとなるだろう。
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2017-09-06

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「仇討ち絵巻・女装男子」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成22年8月公演・大阪豊中劇場〉
芝居の外題は「仇討ち絵巻・女装男子」。私はこの狂言を1年4ヵ月前(平成21年5月)に、九十九里太陽の里で見聞している。以下は、その時の感想である。〈芝居の外題は、「仇討ち絵巻・女装男子」。開幕前のアナウンスは座長の声で「主演・三代目鹿島虎順、共演・《他》でおおくりいたします」だと・・・。何?「共演《他》」だって?通常なら、「共演・花道あきら、春日舞子・・・。」などと言うはずなのだが・・・?そうか、どうせ観客は宴会の最中、詳しく紹介したところで「聞く耳」をもっていない、言うだけ無駄だと端折ったか?などと思いを巡らしているうちに開幕。その景色を観て驚いた。いつもの配役とは一変、これまで敵役だった花道あきらが・謀殺される大名役、白装束で切腹を強要される羽目に・・・。加えて、その憎々しげな敵役を演じるのが、なんと座長・鹿島順一とは恐れ入った。「これはおもしろくなりそうだ」と思う間に、早くも観客の視線は舞台に釘付けとなる。筋書きは単純、秋月藩内の勢力争いで謀殺された大名(花道あきら)の遺児兄妹(三代目虎順・春夏悠生)が、めでたく仇討ちをするまでの紆余曲折を、「弁天小僧菊之助」もどきの「絵巻物」に仕上げようとする趣向で、見せ場はまさに三代目虎順の「女装」が「男子」に《変化(へんげ)する》一瞬、これまでは虎順と花道あきらの「絡み」だったが、今日は虎順と座長の「絡み合い」、どのような景色が現出するか、待ちこがれる次第であった。だがしかし、「見せ場」はそれだけではなかった。遺児兄妹の補佐役が、これまでの家老職(座長)に変わって、今回は腰元(春日舞子)。亡き主君を思い、その遺児たちを支える「三枚目」風の役どころを、春日舞子は見事に「演じきった」と思う。加えて芸妓となった妹と相思相愛の町人・伊丹屋新吉(蛇々丸)の「色男」振り、敵役の部下侍(春大吉、赤胴誠)のコミカルな表情・所作、芸妓置屋のお父さん(梅之枝健)の侠気、妹・朋輩(生田晴美)の可憐さ等々・・・。絵巻物の「名場面」は枚挙にいとまがないほどであった。
なるほど、「舞台の見事さ」に圧倒されたか、客筋が当たったか(今日の団体客は、飲食をしなかった)、客席は「水を打ったように」集中する。いよいよ「女装男子」変化(へんげ))の場面、若手の芸妓が見事「若様」に変身して、仇討ち絵巻は大団円となった。その「変化ぶり」は回を追うごとに充実しているが、欲を言えば「女から男への」一瞬をを際だたせるための演出、芸妓の「表情」が、まず「男」(の形相・寄り目でもよい)に変わり、敵役を睨み付ける、呆気にとられる敵役との「瞬時のにらみ合い」、その後、「声を落とした」(野太い)男声での「決めぜりふ」という段取りが完成したら・・・、などと身勝手な「夢想」を広げてしまった。
さすがは「鹿島順一劇団」、どんなに不利な条件下であっても、「やることはやる」、しかも一つの芝居を、いかようにも「変化」(へんげ)させて創出できる、その「実力」に脱帽する他はなかった〉。さて、今回の配役は、名優・甲斐文太(前座長・二代目鹿島順一)が、冒頭で謀殺される大名、色男・伊丹屋新吉の二役、他は「変わりなし」であった。前回同様、今回も「見せ場」は至る所に散りばめられていたが、その一は、女装男子に扮した三代目座長・鹿島順一、当初から「自分は男である」ことを仄めかす表情、所作を取り入れていた。置屋に尋ねてきた腰元(春日舞子)と対面する「一瞬」、敵役大名と連れだって退場する際の「舌だし」等など、その風情が「格別」に決まっていた、と私は思う。その二は、腰元・春日舞子と伊丹屋新吉・甲斐文太の「絡み」。腰元、新吉をしげしげと見つめていわく「そちらの方は、どちら様?」「はい、伊丹屋新吉と申します」。「まあ、イタンダ新吉さん」「いえ、イタンダではございません。イタミヤ!でございます」「そうですか、二代目鹿島順一といえば昔は、それはそれはいい男だったのに・・・」「いえ、今でもイタンデはおりません」といったやりとりが、ことの他、私には「楽しく」感じられた。その三は、敵役大名が「女装男子」と退場後、部下・春大吉と赤胴誠が引っ込む間面、誠いわく「ねえ、お手々とって!」、待ってました!、拍手喝采のうちに退場となる舞台模様は貴重である。その四は「弁天小僧菊之助」の俗曲にのせて展開する「舞踊風立ち回り」、その艶やかな景色は「絵巻物」然として、私の心中にいつまでも残るだろう。あらためて「名舞台をありがとう」と感謝しつつ帰路に就いた次第である。
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2017-09-05

劇場界隈・「蟹洗温泉」(福島)の景勝は《超一級》(「鹿島順一劇団」公演)

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 常磐線水戸経由でいわき駅、そこから二つめの四ツ倉駅で下車、旧街道筋とおぼしき通りをブラブラ歩きながら海岸線に出る。そこには「物産館」なる施設があって、土地の「海の幸」「山の幸」「工芸品」「加工食品」「地酒」等々、豊富に提供している。さらに海岸線に沿って北上すると、ちょっとした船溜まり、左手の山が大きく波打ち際に迫った場所(四ツ倉駅から徒歩20分)に「太平洋健康センター・蟹洗温泉」は建っていた。右手は、まさに「太平洋」、およそ180度の視野で水平線を眺望できる景勝地、ロケーション「超1級」という折り紙付きの温泉施設といえよう。目玉は「日の出時刻」(今頃なら午前4時15分頃)、白みかけた水平線の一点に、針の穴ほどの「紅」が差したかと思うと、見る見るうちに半円、全円の「火の玉」が、天空に向かって上昇する、といった按配で、自然が織りなす荘厳なドラマを十分に満喫できる趣向である。加えて、レストランのメニュー「マッカリ」(韓国どぶろく)と「めひかりの唐揚げ」は絶品、ここでしか味わえない代物であろう。  
そんな施設(温泉旅館)の一郭に、大衆演劇の劇場「蟹座」がある。入館者は追加料金、宿泊者は無料、客席は全指定、飲み食い可能だが、レストランとは別という具合で、いたって好都合、観劇には最適の環境が準備されていると思う。
 公演は「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)の初日。芝居の外題は、昼の部「新月桂川」。
私は先月、同じ芝居を「近江飛龍劇団」で見聞済み。その感想を綴ったが、筋書は以下の通りである。
〈芝居の外題は「新月桂川」。桂川一家の若い衆二人(兄貴分新吉・近江春之介、弟分銀次・近江大輔)が男修行の旅から帰ってきた。二人とも親分(浪花三之介)の娘(座長・近江飛龍)に惚れている。帰ったら「お嬢さんと夫婦になって跡目を継ぐ」のも二人の夢、そのことになると兄弟分とはいえ「譲れない」。肝腎の娘は、銀次が「好き」、腕の方は新吉が上、親分は、背中合わせの一家・まむしの権太、権次(橘小寅丸二役・好演)のどちらでもいいから「首を取ってきた方に娘を与え、二代目を継がせる」とのこと、二人は勇んでまむし一家に殴り込み、目的通り、権太の首を挙げたのは、やはり新吉。銀次は土下座して新吉に、「頼む。その首を譲ってくれ!実を言えば、旅に出る前から、オレとお嬢さんはデキていたんだ」。「なんだって?・・・」ちっとも知らなかった新吉、激高して銀次を斬ろうとするが、そのたびに「ギンジサーン!」という娘の声が聞こえてきて、刀を下ろせない。つまるところ、自分を追いかけてつきまとう鳥追い女(轟純平・好演)と「一計を案じて」、嫁も跡目も弟分に譲る、というお話。〉
 「鹿島順一劇団」の配役は、桂川一家の親分・蛇々丸、若い衆千鳥の安太郎・座長・鹿島順一、弟分銀次・三代目虎順、親分の娘・春夏悠生、まむしの権太、権次・春大吉、鳥追い女・春日舞子といった面々で、その出来栄えは「いずれ菖蒲か杜若」。それぞれの劇団の「特長」が活かされ、甲乙つけがたい舞台であったと、私は思う。親分役の浪花三之助と蛇々丸の出来は「互角」、当然のことながら、若い衆二人は「鹿島劇団」が上、娘役は近江飛龍の勝ち、まむしの権太、権次は「僅差」で橘小虎丸、鳥追い女も「僅差」で春日舞子が勝ち、といった按配で、要するにこの二劇団が「合体」すれば、「日本一」の出来栄えになっただろうと、夢想した次第である。
 夜の部は「命の賭け橋」。振り袖火事で「一時解放」された囚人(春大吉)が、親孝行したいと木更津の母に会いに行く、それを許した役人A(虎順)と、見咎めた役人B(花道あきら)の「対立・葛藤」の物語。「三日後の暮れ六」までに囚人は帰ってくるか、帰ってこなければAは切腹、帰ってくればBは切腹といった「手に汗握る」サスペンス風ドラマ。見せ場は、囚人と盲目の母(春日舞子)の対面シーン。Bに傷つけられ「もう帰れない」と弱音を吐く囚人を前に、母は「帰れないのは、私がいるから・・・。一足先にお父つあんの所に逝ってお前の来るのを待っているよ」と言って自刃、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながら絶命する。囚人は茫然自失。だがしかし、どこからともなく聞こえてくる法華太鼓、その勢いに押され、渾身の力を振り絞り、這うようにして引っ込む(退場する)囚人の風情は、たくましく「絵巻物」のように感動的であった。
 舞踊ショー、三代目虎順の「大利根無情」、ラストの「大阪シリーズ」は、ともに屈指の名舞台、大いに満足して仮眠室に一泊、帰路についた。
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2017-09-04

劇団素描・「藤千代之助劇団」・《芝居「浅草三兄弟」》

【藤千代之助劇団】(座長・藤千代之助)〈平成20年7月公演・大宮健康センター〉
 午後1時30分から、大宮健康センター湯の郷で大衆演劇観劇。「藤千代之助劇団」(座長・藤千代之助)。劇団紹介のパンフレットがないので、劇団、座長のプロ フィールはわからない。口上を通してわかったことは、①九州演劇協会(玄海竜二会長)に所属していること、②劇団を旗揚げして2年半が経過したこと、くらいであった。座員は掲げられた幟から2名(千咲大介、千咲龍馬)、舞踊ショーのアナウンスから3名(センザキ・エイジロウ、センザキ・ミホ、オオツキ・リュウヤ?いずれもはっきり聞き取れなかったが)の名前と顔が一致した。芝居の外題は「浅草三兄弟」で、大衆演劇の定番、スリ集団の義兄弟のうち弟分(千咲大介)が「足抜け」、堅気になった所へ悪玉の兄貴分(オオツキ・リュウヤ)が金(千両)をせびりに来る。それを助けようとして命を落とす善玉の兄貴分(座長・藤千代之助)という筋書きと配役で、出来映えは「水準」並であった。客に媚びることなく、「淡々と」「誠実」に演じている姿がさわやかな印象を与える。無理に「笑わせよう」として安易な「ギャグ」を使うことは皆無、しかし、自然な空気の中でユーモラスな場面も描出できることが素晴らしい。舞踊ショー(華の新歌舞ショー)で感じたことは、役者一人一人に、えもいわれぬ「味」があるということである。九州は「こってり味」と決まっているが、どちらかと言えば「あっさり味」、関東の客には馴染みやすいのではないか。座長の経歴は不明だが、「謙虚」で「誠実」な態度が立派である。また、周囲の脇役陣も、それぞれ「実力」「個性」の持ち主ではないかと、期待する。
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2017-09-03

劇団素描「劇団東雲」・《芝居「孝行長屋」》

【劇団東雲】(座長・東雲長次郎)〈平成20年7月公演・・岩瀬城総合娯楽センター〉                                   劇団紹介によれば〈プロフィール 劇団東雲 九州演劇協会所属。昭和63(1988〉年創立。父(初代・東雲長次郎)が創立した舞台の情熱を、母(太夫元・東ナナ)が継承し、二代目・東雲長次郎座長を中心に見事の開花した劇団。合い言葉は「一生懸命」という座員一丸となった明るく楽しい舞台で、連日観客を楽しませている。十八番は「役者の恩返し」ほか。座長 東雲長次郎 昭和48(1973)年12月18日生まれ。広島県福山市出身。O型。12歳で初舞台を踏み、21歳で座長就任。座長の早変わりで華麗に舞う「女形七変化」は必見。憂いを帯びた表情が印象的な座長の女形に魅了されるファンも多い。父(初代・東雲長次郎)の教えを忠実に守りながらも、時代の流れに合った舞台を常に目指している。その律儀で研究熱心な姿勢は「劇団東雲」の持ち味ともなっている〉とある。またキャッチフレーズは〈座員一丸で迫力ある夢舞台を魅せます 伝統を踏まえながらも、時代の流れに合った舞台を目指して、座員一丸となって盛り上げます。早変わりで華麗に舞う女形七変化や、熱い感動を呼ぶお芝居をご堪能ください〉であった。座員の幟にはは「東こけし」「東つくし」「東のぞみ」「東奈奈」とい名が記されていた。芝居の外題は前狂言、「三人出世」、切り狂言「孝行長屋」。いずれも九州の「芸風」で「こってり味」、主人公の「諫言」により敵役が「改心」するという「筋書き」が〈伝統を踏まえる〉ということのなるのだろう。座長・東雲長次郎は、どちらかといえば女形が「絵」になるタイプで、舞踊・芝居ともに「水準」並以上だと思う。雰囲気は現・澤村千代丸に似て、武張った立ち役は似合わない。「瞼の母」・番場の忠太郎なんかやったら、「天下一品」の舞台になるのではないか、と思った。
 「演劇グラフ」(2007年10月号)の「巻頭特集」に「劇団東雲」が取りあげられている。「メンバー紹介」では、他に、中川幸一、神城ひかり、千勝(子役)がいることがわかった。また、「孝行長屋」のあらすじも以下のように紹介されている。〈善平衛長屋に住む正吉の熱心な親孝行ぶりに感心した奉行から、大家(東のぞみ)へ長屋の名を善平衛長屋から孝行長屋へ改めるようにというお達しが届く。しかも長屋に住む条件は、自分の身寄りと暮らしていて、親孝行している者に限るというのだ。身寄りを持たないおせん(座長・東雲長次郎〉は、顔色を変える。以前、おせんから親はいないと聞いていた鉄五郎(東つくし)に追究され、おせんはついつい「親ぐらいいる」とうそをついてしまう。長屋から追い出されれば行く場所を失ってしまう。困ったおせんは、友人であるおふじ(東こけし)に相談をもちかける。おふじに事情を話していると、薄汚い恰好をした辻占売りの老婆(東奈奈)がやってくる。親代わりにはちょうどいいと考えたおせんは、三両の金を老婆に渡すと長屋に連れて行く。ところが、その老婆、実は伊勢屋の若旦那(中川幸一)の母親だったことがわかり・・・〉。若旦那、家に居づらくなって家出していた老婆(実母)を見つけると、満座の席で叱りつける。それを見ていたおせん、「実の母に向かって、そんな口の聞き方はないでしょう」と諫言、若旦那が悔い改めて終幕となった。東雲長次郎は「この役について」〈女形のお芝居で、主人公のおせんは酒もたしなむ粋な感じ江戸っ子の女性、突然、身寄りのある者しか住めなくなった長屋に住み続けるために代わりの親を捜す物語です。見どころは、自分とこけしちゃんとで掛け合いをする場面、お客さんが笑えるところですね。それと最後の泣きの場面です〉と述べている。 
 江戸の長屋で「一人暮らし」、粋で、どこか「蓮っ葉」「すれっからし」という風情が必要だが、やはり「関西人」の座長では「荷が重く」「上品」過ぎた。とはいえ、女形の芝居は「お見事」、武家の奥方、新派の芸者等々、はまり役は数えきれないに違いない。 それにしても、この「岩瀬城総合娯楽センター」という劇場は、「特異」である。観客は大半が「老人クラブ」の団体客、芝居を観るだけでなく、「カラオケ」や「料理」(飲酒)の楽しみを求めてやってくる。施設までは、JR水戸線・岩瀬駅から徒歩30分、周辺は新興住宅地で、何もない。行きも帰りも「徒歩」だったが、私以外は誰も歩いてはいなかった。この土地の「有力」な農業委員が、地域住民のために「私財を投じて」(採算抜きで)建設した「娯楽施設」に違いない。関東地区ではもう一カ所、栃木県に「上延生ヘルスセンター」(JR宇都宮駅からタクシー20分)という所があるらしい。機会があれば、訪ねてみたいと思う。
三代目 三遊亭金馬 名演集 2 孝行糖/片棒/三軒長屋(上/下)三代目 三遊亭金馬 名演集 2 孝行糖/片棒/三軒長屋(上/下)
(2006/04/19)
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