META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い
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2017-03-25

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「木曽節三度笠」「心模様」・三代目虎順の課題》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年3月公演・川崎大島劇場〉                                       JR川崎駅から大師行きバスに乗り、追分停留所で下車、徒歩3分程度で「大島劇場」に着く。午後1時から大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。座長の話では3月で「関東公演」は終わり、ということだったので、4月からは地元(関西)に帰るのかと思いきや、「演劇グラフ」の公演予定を見ると「えびす座」(福島県)となっている。なるほど「関東公演」は終わりだが、またもや「東北公演」が始まるということではないか、ならいっそうのこと、青森、新潟を回って再び「東京」(浅草または十条)を目指せばよい。先月の水戸ラドン温泉と違って、大島劇場は小さな、小さな芝居小屋、50人も入れば桟敷が一杯になるような「狭さ」、これまで見聞した劇団の中では「橘小竜丸劇団」だけが「大入満員」であった。今日は、初日の日曜日、開場1時間前に到着したが、先客はまだ1人、どうなることやらと案じられたが、「産むが易し」、開幕前の客数は30人を超えていた。芝居の外題は「木曽節三度笠」。筋書は大衆演劇の定番、ある大店の兄(花道あきら)と弟(三代目虎順)が、使用人(?)の娘(生田春美)を争奪しあうというお話。実はこの弟、兄とは腹違いで、今は亡き大店の主人(兄の父)の後妻になった母(春日舞子)の連れ子であった。行き倒れ寸前の所を母子共、大店の主人に助けられ、今は兄弟で大店を継いでいる様子・・・。弟は娘と「相思相愛」だったが、兄が横恋慕、弟は母の進言に従って娘をあきらめる覚悟、でも娘は応じない。兄は強引にも娘と「逢瀬」を楽しもうとして、土地のヤクザ(親分・座長、子分・蛇々丸、春大吉、梅之枝健、春夏悠生、赤銅誠)にからまれた。その場に「偶然居合わせた」弟、兄・娘を守ろうとして子分の一人(たこの八・春夏悠生)を殺害、やむなく「旅に出る」。そして1年後(あるいは数年後)、ヤクザの「股旅姿」がすっかり板についた弟(実はナントカの喜太郎)が帰宅、土地のヤクザに脅されていた母、兄・娘を窮地から救い出して一件落着。「時代人情剣劇」と銘打ってはいるが、眼目は、亡き主人にお世話になった母子の「義理」と、親子の「情愛」を描いた「人情芝居」で、三代目虎順の「所作」「表情」が一段と「冴えわたってきた」ように感じる。「口跡」は、まだ単調、「力みすぎ」が目立つので、「力を抜いてメリハリをつけること」が課題である。
 夜の部も客数は30人、芝居の外題は「心模様」。蛇々丸の兄(医者)と前科者の弟(三代目虎順)が「絡む」、「近代(明治)人情喜劇」とでもいえようか。まさに、直情径行で純粋無垢な性格、それでいて「刑務所帰り」という「下品」な風情を、虎順が「初々しく」しかも「鮮やかに」「品よく」描出していたように思う。三代目虎順は、いずれは座長、そのための器(素質)は十分、その「芽生え」を感じさせる舞台ではあった。もう一つ、「口跡」の魅力が加われば、座長への道が早まるだろう。「鹿島劇団」の《売り》は、何と言っても「音響効果」、「見ての美しさ」同様に「聞いての美しさ」を追求していることである。役者は「顔かたち」を衣装・化粧で「飾る」ように、「自分の声」(口跡)も飾らなければならない。「いい声」「魅力的な声」もまた役者の「命」なのである。三代目虎順の「口跡」は、まだ単調、合格点をつけられるのは「春木の女」の「お妙」くらいか・・・。同世代の恋川純、橘龍丸には「水をあけられている」。「所作」「表情」同様に「口跡」の魅力を体得することが、虎順当面の課題だと、私は思う。

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2017-03-24

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「情け川」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、昼の部「月夜の一文銭」、夜の部「情け川」。前者は、「勧善懲悪」を眼目としたスリ三人組の話、大衆演劇の定番。後者は、初めて見る人情喜劇(現代劇)、座長(婆さん役)の、博多弁が「立て板に水」、蛇々丸(大工)の東京弁との「対比」が面白かったが、話の中に出てくる「良子」が実際には登場しないので、物足りなかった。とはいえ、出来栄えは「水準」以上、昼夜「大入り」の客は「それなりに」満足したに違いない。舞踊ショーは、昼の部、座長の「花と龍」「瓦版売り」(忠臣蔵・清水一角と中山安兵衛の話)、夜の部「安宅の松風」(富樫・弁慶・義経の踊りわけ)は「至芸」そのもの、まことに幸運だった。昼の部の口上で、花道あきらが、「おかげさまで、今日は大入りを頂きました。今日は何か(ランドの催しが)あるんですか?」と客に尋ねていてが、客の入りなど「歯牙にもかけぬ」座長の姿勢が座員にも浸透している様子が窺え、さわやかな印象を受けた。また、座員の舞踊衣装も「相変わらず」(いつも目にする、お馴染みの代物)だが、「芸」そのものは着実に「変化」している。衣装の豪華さ、着物の多さを「目玉」にしている劇団が多い中で、まさに「劇団・火の車」だが、その不足を「芸」の力で補おうとする誠実な姿勢(襤褸は着てても心の錦)に脱帽したい。

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2017-03-23

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居・春大吉の役割、舞踊ショーは至芸の「宝庫」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、昼の部「身代わり道中」、夜の部「心模様」。いずれの舞台も、すでに見聞済み。今日は、役者相互の「かかわり」(絡み合い)に注目して観た。まず、座長、誰と絡んでも面白い。次に春日舞子、誰と絡んでも面白い。つまり、どの役者も、座長、舞子との「絡み」(胸を借りる)によって、本来の「持ち味」が引き出されているのである。言い換えれば、座長、舞子が登場していない舞台、蛇々丸、花道あきら、春大吉、三代目虎順だけの舞台で、どれだけ客を惹きつけられるかが問われることになる。「身代わり道中」では、春大吉と虎順、「心模様」では蛇々丸と春大吉の「絡み」が中心、どちらにも登場するのが春大吉であるとすれば、彼の「役割」(責任)は大きい。虎順に対しては「胸を貸す」、蛇々丸に対しては「胸を借りる」(とはいえ役柄は年上、至難のことではあるが)演技が要求されるのである。「男はつらいよ」の主人公・フーテンの寅(渥美清)が、大先輩のおいちゃん(森川信)、おばちゃん(杉山とく子・テレビドラマ)、おふくろ(ミヤコ蝶々)の「胸を借りて」こそ、迫真の演技ができたことと同様に・・・。
役者の修業に終わりはない。懸命に精進している春大吉のこと、その「役割」を果たす日も遠くはないであろう。
次に、「舞踊ショー」の感想。「舞踊ショー」の眼目は、「歌謡絵巻」とでもいおうか、芝居では演じ切れなった「大衆のドラマ」(流行歌の世界)を、役者一人一人が文字通り「独り舞台」で演じるところにある。座長の舞踊(歌謡)は一級品で、特に、坂田三吉、桂春団冶、藤山寛美を踊り分ける「浪花花」、女形舞踊「おかじ」、「桂春団冶」、「俵星玄蕃」、歌唱の「北の蛍」「ああ、いい女」「無法松の一生」等々、至芸の数々を数え上げればきりがない。春日舞子の舞踊も同様、とりわけ「深川」「車屋さん」など芸者の風情は絶品、座長との相舞踊では光彩が倍増する。蛇々丸、「股旅者」「侍」「町人」等々、なんでも「器用」にこなすが、「勧進帳」「忠臣蔵」のような長編歌謡(浪曲)を踊らせたら天下一品、右に出る者はいないであろう。以下、花道あきら、春大吉、三代目虎順、梅乃枝健、いずれの舞踊も、他の劇団と比べて遜色ない。今後は、それぞれの役者が、「自分しかできない」舞踊を追求すべきだと思う。柏公演では、客のカラオケで踊る試みを取り入れたが、その企画は素晴らしい。客と一体になって舞台を作ろうとする姿勢は貴重である。三十年前、「梅澤武生劇団」が客の舞踊を舞台に取り入れたことがあった。その演目は「チャンチキおけさ」(三波春夫)、役者以上に踊りこなした姿は、今でも私の眼に焼き付いて離れない。聴いただけでは「どれだけのもん?」と思われる流行歌でも、舞踊が加わることによって、全く別の歌に「変身」してしまうのである。そのような舞台を、「鹿島劇団」にも期待する。客が選曲(歌唱)し、「御所望」の役者が踊る、というような企画が定着すれば、「舞踊ショー」の内容は、より魅力的なものになるだろう。柏では、見事に、虎順がその役割を果たした(「人生桜」)。その姿も、私の眼に焼き付いている。客は、鑑賞者であると同時に批評家でもある。役者の個性を当人以上に「見抜いている」。時には、客の「いいなり」になって自分を磨くこと、それも必要不可欠な「役者修業」ではないだろうか。どの「劇団」の「舞踊ショー」でも、鳥羽一郎、大月みやこ、林あさ美、堀内孝雄、吉幾三、島津亜矢、神野美伽、氷川きよし、天童よしみ等々、聴いただけでは「どれだけのもん?」と思われる流行歌で溢れている。それを「えっ?こんな名曲があったのか!」と感じるまでに「変身」させた舞踊には久しく出会わないが、虎順の「忠義桜」などを観てしまうと、「鹿島劇団」なら「やってくれるのではないか」と、秘かに期待しているのである。

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2017-03-22

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「遊侠流れ笠」「関取千両幟」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は昼の部「遊侠流れ笠」、夜の部「関取千両幟」。「遊侠流れ笠」の主役は三代目虎順、病弱な親分(座長)の三下だが「うすのろ」のため、子分衆の中では半人前。しかし、窮地に陥った親分のために、本当に働いたのは「うすのろ」の三下だったという筋書。見せ場は、三下の「変身ぶり」だと思われるが、虎順の三下は「別人」になりすぎた。三年間の旅修業を終えたとはいえ、どこかに「うすのろ」時代の「面影」がほしい。「関取千両幟」は、大衆演劇の定番、座長の「関取」、蛇々丸の「新門辰五郎」が絶品で、抜群の出来栄えだった。芝居は、開幕直後の景色が肝腎、花道あきら、春日舞子の艶姿が効を奏したと思われる。
 舞踊ショーでは、昼の部、座長の「風雪流れ旅」、夜の部、座長の歌唱をバックに虎順が踊った「舞姿」が印象に残った。
 昼の部の幕間で耳にした客の話。「初めてのところだから、いつまでもつかしらね」「座長の歌はうまいよ、でも心がこもってないよね」「あたしたちは、毎日来ているんだから」
 小岩の客は「目が肥えている」とでもいいたげな様子だったが、「客に媚びる」劇団ばかり見ていると、そう感じるかも知れない。「人気」と「実力」は比例しない一例といえるだろう。

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2017-03-21

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「長ドス仁義」と役者の変化(へんげ)》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、昼の部「長ドス仁義」、夜の部「仇討ち絵巻・女装男子」。どちらの芝居も見聞済み、私は観客の反応の方に関心があったが、開幕と同時に大きな拍手、役者の退場時、また「見せ場」の随所で拍手が沸き上がる。特に、座長はじめ、どの役者の演技にも惹きつけられている様子が窺えた。「長ドス仁義」では、子分役の虎順が、主役・花道あきらに斬りかかったとき、一瞬、受けた刀身から火花が散ったかと思うほどの迫力に圧倒された。当初(昨年11月)、私は「座員寸評」を書いた(本ブログ・「劇団プロフィール」参照)が、今、読み返してみると、座員一人一人が確実に(私の期待通りに)「変化」(へんげ)しているように感じる。舞台を務める「自信」「意欲」「ひたむきさ」と「チームワーク」(総合力)が群を抜いている。花道あきらは、「力を抜く」ことによって、彼自身の「人間性」が浮き彫られ、「人情味」が倍増した。虎順の芝居もまた、南條影虎を抜き、恋川純と肩を並べようとしている。春大吉の「変化」も見事である。特に、「浜松情話」の娘役は、「身のこなし」ひとつで「心」を表現した「至芸」に他ならない。  
 今後、私が注目するのは、金太郎の「変化」である。彼は20歳で初舞台、およそ20年間舞台を務めた(かどうか詳細は不明だ)が、未だに「脇役」、遅々とした「変化」である。しかし、それこそが彼の「個性」であり、その「個性」が劇団の中で受け容れられ、必要とされているところが凄い。まさに、劇団の「実力」なのだ、と私は思う。
 新人女優だった香春香は、劇団との縁が切れたが、新たに3人の新人が入団した。彼らの活躍、「変化」に期待したい。

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2017-03-20

劇団素描・「劇団美鳳」・《芝居「瞼の母」の舞台模様》

【劇団美鳳】(総座長・紫鳳友也)〈平成25年2月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、御存知「瞼の母」。私は、この芝居(の舞台)を「劇団竜之助」(座長・大川竜之助)、「桐龍座恋川劇団」(座長・恋川純弥)、「劇団翔龍」(座長・春川ふじお)で見聞している。出来映えの決め手となるのは、何と言っても「瞼の母」・お浜の風情だと思われるが、群を抜いていたのは、「劇団翔龍」の中村英次郎(当時)であった。今日に配役は、番場の忠太郎に総座長・紫鳳友也、お浜に扇さとし、娘・お登勢に一城静香(?)、夜鷹・おとら(ざつき?)に座長・一城進吾、素盲の金五郎に後見・城秀人という面々・・・。幕開けから大詰めまで、中村富士夫の「浪曲」を下敷きにした演出であった。その浪曲について、私は以前、以下のように評した。〈中村冨士夫の作物、冒頭は、番場の忠太郎の「仁義もどきのお目見え」から始まる(その中で「まだくちばしの青い身で」という件があったが、「嘴が黄色い」方が自然ではないだろうか、まあそんなことはどうでもいい)。瓦屋半次郎宅の場面は省略、料亭水熊の店先、忠太郎とおとら婆さんの絡みが初場面という演出だが、どうやら水熊の女将が自分の母親らしいと「確信」した後の「歌謡」が素晴らしかった。いわく「わずか五つのあの時に 別れて二十有余年 会いたい見たいと神かけて 祈り続けた母親と 年も名前もいっしょなら 生まれ在所もまた同じ どうか尋ねる母親で あってくれよと眼を閉じりゃ 母は恋しいなつかしい」。はやる忠太郎の気持ちが真に迫って描出される。演者は男とあって、いとも自然に忠太郎の風情が伝わってくるという按配で、とりわけ「おかみさん、とんだお邪魔でござんした。二度と再び忠太郎、お宅の軒はくぐりません。ごめんなせえっ」という「決め科白」が清々しかった。加えて大詰め、待乳山で待ち伏せた素盲・金五郎に向かって「・・・おうっと危ねえ、よせったら。畜生、じゃあ聞くがナ、てめえ、親がいるか」「そんなものァねえや」「兄弟は・・・」「いるもんけえ」「よし、じゃあ斬ってやらァ。なんだい、そんなへっぴり腰をしやがって・・・。それじゃァ人は斬れねんだ。斬るというのァ、こうやるんだっ」という「やりとり」の中に、アウトロー同士の荒んだ景色が仄見えて、やるせない。終末、「あとは静かな夜の闇 雲が流れた月が出た どこへ行くのか忠太郎、風に流転の三度笠」「ああ浅草の鐘が鳴る あれは竹屋の渡し船 影を姿を送るよに 声をじまんの船頭が 泣いているよな隅田川」という、寂寥感漂う中村冨士夫の語りの中には、まさにこの作物の眼目(愛別離苦)が、否応なしに結晶化されているのであった〉。今日の舞台の随所、随所には、中村富士夫の語りや節が添えられて、見事な景色を描出していたが、扇さとしのお浜は、(残念にも、まだ)中村英次郎には及ばなかった。以下は当時の(「劇団翔龍」の舞台の)感想の一部である。〈忠太郎は「優しい」、でも「どこか頼りない」、そして「甘ったれ」、言い換えれば「根っからの悪ではない」「母性本能をくすぐる」といった風情を、座長・春川ふじおは「自家薬籠中」の「至芸」として演じきった、と私は思う。加えて、脇役陣も光り輝いていた。筆頭は、おむら・おはまの二役を演じた後見・中村英次郎、百姓婆姿の(大地のような)「優しさ」、江戸一番の料理屋を取り仕切る女将の「艶やかさ」を見事に演じ分け、忠太郎との「絡み」では、その所作、表情、口跡で「もう、立派に親子名乗りをしているのではないか」という風情を醸し出す。応えて、忠太郎もまた、(母と言い出せぬおはまの気持ちを察して)「こんなヤクザにだれがしたんでぃ」と叫ぶ一瞬は、まさに「珠玉の名画」、私の脳裏から消えることはないだろう〉。「劇団美鳳」もまた、関東随一の人気劇団、扇さとしは春川ふじおの実弟、そしてまた、中村英次郎は「劇団翔龍」にはもういない、だとすれば、今後、芝居「瞼の母」の極め付きを描出できる日も遠くはないだろう、などと期待しつつ、帰路に就いたのであった。
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(2005/09/07)
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2017-03-19

劇団素描・「若葉劇団」・《「久しぶり」の公演、座長・若葉愛の「味」》

【若葉劇団】(座長・若葉愛)〈平成24年2月公演・大宮健康センター湯の郷〉
劇場案内には「大衆演劇公演二十年、今月は二十一年目記念公演!」と銘打っている。その中で、座長・若葉愛は「久しぶりの公演です。笑って泣いて感動の舞台をごらん頂きます。見て下さい。楽しんで下さい」という一言を記しているが、おっしゃるとおり、私が彼の舞台姿を観るのは、何十年ぶりであろうか。初見は、昭和46年、千住寿劇場で、座長・若葉しげるが(おそらく)32歳、その息子・若葉愛(当時は若葉みのる)が(おそらく)15歳頃である。爾来、幾星霜、総帥・若葉しげるは今年(おそらく)72歳、若葉愛は55歳という計算になる。私にとっては、文字通り「久しぶり」以外の何ものでもない。芝居の外題は昼の部「上州わらべ唄」、夜の部「大島情話」、いずれも大衆演劇の定番だが、とりわけ座長・若葉愛の風情が魅力的で、たいそう面白かった。彼の芸風は、一見すると「単調」「不器用」だったが、それに数十年の「年輪」が加わって、えもいわれぬ「味」が滲み出ている。出身は大阪と聞くが、景色は「関東風」、どこか梅沢富美男と通じる気配が感じられる。「上州わらべ唄」では、大岡越前守役、風貌は凜としているが、言動は軽妙・洒脱。「そこの女、名前は何と申す?」「はい、おしまと申します」「そうか」と言ったが、しばらくすると、また「そこの女、名前は何と申す」と繰り返す。そのとぼけた「味」が絶妙であった。それは「大島情話」でも再現、島の浮浪人よろしく、若い男女に絡む。「ここはどこだ」「大島です」「そうか佐渡島ではなかったか」、行き過ぎようとして引き返し、「ここはどこだ」「大島です」「そうか佐渡島ではなかったか」・・・。大詰めで、居酒屋に再登場したときには、観客の方から「ここはどこだ!」というチャチが入ったが、客席を睨んで一言、「ここは大島サ」と応じるやりとりが何とも可笑しかった。女将役の総帥・若葉しげるから「何だい、あの男!だらしがないったらありゃあしない、舌も回らないようだ」など言われて、「ウルセエー、ばばあ!」と怒鳴り返すやりとりは抱腹絶倒、「久しぶりに」私は笑い転げたのであった。察するに(私の勝手な想像だが)、この親子の数十年は、まさに波瀾万丈、「愛別離苦」「諸行無常」の連続であったに違いない。必ずしも「芸道一筋」とは言えない紆余曲折が、そのまま舞台模様に「浮き彫り」されて、この劇団ならではの空気が漂っていた。それにしても、総帥・若葉しげる、37度の発熱にもかかわらず、舞台狭しと駆け回る。その「役者魂」は斯界の鑑、それに応えるかのように、歌舞ショーで歌った座長・若葉愛の「瞼の母」もお見事。「久しぶり」の感動を頂いて、帰路に就いた次第である。
長谷川伸原作「瞼の母」より 母恋鴉長谷川伸原作「瞼の母」より 母恋鴉
(2010/05/26)
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2017-03-18

劇団素描・「劇団紀伊国屋」・《総帥・紀伊国屋章太郎、富士美智子の舞台姿は斯界の「至宝」》

【劇団紀伊国屋】(座長・澤村慎太郎)〈平成22年2月公演・尼崎満座劇場〉                                    この劇団の総帥は紀伊国屋章太郎、私にとっては「かつての澤村千代丸」に他ならず、その舞台姿を二十年ぶりに見聞できたことは望外の幸せであった。のみならず(加えて)、当時の名花・富士美智子の、今に変わらぬ艶姿まで拝見できようとは、感極まって言葉も出ないほどであった。芝居の外題は「槍供養」。赤穂義士外伝の「武士道(残酷)物語 で、れっきとした時代人情劇だが、座長・澤村慎太郎を筆頭に、澤村豚太郎(?)、澤村健太郎、澤村蝶五郎ら若手の面々が「誠心誠意」武家社会の景色・風情を描出しようとしている舞台姿が清々しく、本格的・伝統的な雰囲気が漂っていた。それというのも敵役が大御所の紀伊国屋章太郎、端役(茶店の主)とはいえ大ベテランの富士美智子の健在ぶりが観られただけで、観客は「安心」するのではないか。なるほどこの芝居、「長ドス仁義」(鹿島劇団)とよく似ていると思ったが、おそらくこちらが「本家本元」、もともとが武士の物語であったのか。御主人の「槍持ち奴」の粗相が発端で、死に追いやられる悲劇、その愁嘆場を「型どおり」「誠実」「真摯」に演じきった座長、若手連中に拍手を贈りたい。
 舞踊ショーも「純和風」を重ねたプログラムで、落ち着いた空気の中、紀伊国屋章太郎の舞踊、歌唱も「昔のまま」、加えて富士美智子の舞姿も未だに「艶っぽく」、斯界の「至宝」を鑑賞した気分で帰路についた次第である。
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2017-03-17

劇場界隈・「みかわ温泉海遊亭」(愛知)・《「鹿島順一劇団・芝居「中乗り新三」》

JR東海道本線浜松駅から豊橋、蒲郡と乗り継いで、午前9時30分、みかわ温泉海遊亭の送迎バスに乗車。蒲郡駅からの乗客は、もう一人、中年の女性のみ。曰く「お友達の話だと、今月の劇団は先月よりよくないそうですよ」。さもありなん、大衆演劇ファンの大半は、豪華で派手で賑々しければ満足するものなのだ。眉毛の下についているのは銀紙同然、およそ「観る眼」とは無縁の代物である。バスは、途中JR三ヶ根駅を経由したが乗客はゼロ、名鉄東幡豆駅で老年の女性一人を乗せて、10時20分、海遊亭に到着した。ここのキャッチフレーズは「三河湾にたたずむ究極の隠れ家」とのことで、その魅力は「静閑悠楽・・海に招かれしくつろぎの宿。心にしみ入るおもてなし」という一言に要約されるらしい。なるほど「全室オーシャンビュー」の設計で「目下に広がる大海原を眺めれば、まるで海の上に浮かぶプライベートルームのよう」という宣伝文句に偽りはなかった。とりわけ、知多半島の先端に沈む夕日の煌めきは、まことに見事な景色であった。さて、私の目的は大衆演劇の見聞、ここには「最大600名様収容可」とされる演芸大ホールが設けられており、「人気一座迫力公演」と銘打たれた舞台が連日開演されている。2月公演は「鹿島順一劇団」。本日、第一部・芝居の外題は「中乗り新三」。この演目は大衆演劇の定番。どこの劇団でも上演する「月並み」な内容とはいえ、「鹿島順一劇団」の舞台は一味も二味も違う。配役は、主人公・中乗り新三に座長・三代目鹿島順一、その母に春日舞子、その妹に幼紅葉、新三が草鞋を脱いだ一家親分(敵役)に花道あきら、一家代貸し(相手役)に甲斐文太、その女房に春夏悠生、一家子分衆に赤胴誠、梅之枝健、滝裕二といった面々である。親不孝して家を飛び出して6年目のこと、新三が草鞋を脱いだ一家の親分は身持ちが悪く、代貸しの女房に目をつけ、手籠めにしてしまう。それを知った代貸しは、親分の悪行に正面から立ち向かうことも出来ず、せめて「盃を水にしておくんなさい」と絶縁を願い出て許された。これからは堅気になって新生活をはじめようと、恋女房を木曽山中の茶屋に先立たせて、その後を追う急ぎ旅。それを待ち伏せしたのが中乗り新三。「あんさんに恨み辛みはござんせんが一宿一飯の恩義のため、お命頂戴いたしやす」一騎打ちの勝利は新三に傾いて、代貸しは絶命。今際の話では「大事な女房を親分に汚された。これからは堅気で暮らそうと、木曽山中の茶屋で落ち合う手筈になっている。どうか、あっしの替わりにこの五十両を届けておくんなさい」それを聞いた新三は驚いた。親分の話とは正反対。「おめえさんが、親分の女房と間男したのではなかったのか・・・」まさに覆水は盆に還らず。しかも、その木曽山中の茶屋とは、他ならぬ自分の生家であったとは・・・。今さら、親に合わせる顔がない。とはいえ、この五十両は届けてやりたい。えい、ままよ!新三はすべてを覚悟して、木曽山中に赴いた。その後の顛末は、新三、その母、妹、代貸し女房の「絡み合い」で、お決まりの「愁嘆場」へと進むが、今日の舞台、新三の妹役・幼紅葉の演技が、ことのほか冴えていた。帰ってきた新三と、うれしそうに、なつかしそうに対面する清々しさ、新三を木戸外に締めだし不孝を諭す母の話を傍で聞きながら涙する可憐さ、代貸しの女房に必死で兄(新三)の命乞いをする一途な風情等々、脇役としての「妙技」を垣間見せる、わずか十三歳の役者とは思えぬほどの舞台姿であった。劇場案内パンフレットに、〈若い座員を中心とするパワーあふれる舞台が特徴。劇団員の個性を大切にしつつ、どんな時にも団結力ある劇団を目指している。舞台での一瞬一瞬に劇団員の持ち味を堪能できる〉と紹介されているとおり、彼女の個性、持ち味が、舞台での一瞬一瞬を、鮮やかに際だたせていた、と私は思う。そのことは、子分役を軽妙に演じ赤胴誠、女房役を華麗に演じた春夏悠生にもいえることであって、そこらあたりが他の劇団とは「一味も二味も」違う所以なのである。座長・三代目鹿島順一、花道あきらの「充実」、責任者・甲斐文太、春日舞子、梅之枝健の「円熟」、滝裕二の「活躍」、春夏悠生、赤胴誠、幼紅葉の「成長」ぶりが「団結力」の源であることを確信、今日もまた、大きな元気を頂いて、オーシャンビューの大浴場へと向かった次第である。
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2017-03-16

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「噂の女」》

【鹿島順一劇団】(平成20年2月公演・川越三光ホテル・小江戸座) 夜の部の芝居は「噂の女」。主演・春日舞子、共演・鹿島順一。配役は、「噂の女」(お千代)、その父(蛇々丸)、弟(花道あきら)、弟の嫁(春大吉)、嫁の父(梅乃枝健)、お千代の幼友達・まんちゃん(座長・鹿島順一)、村人A(三代目・虎順)、B(金太郎)、C(赤胴誠・新人)、D(生田あつみ)という面々である。時代は、明治以後、五百円が、今の百万円程度であった頃だろうか。ある村に、「噂の女」が帰ってくる。まんちゃんは「駅まで迎えに行こう」と、村人を誘うが、誰も応じない。「お千代は、十年前、村に来た旅役者と出奔し、その後、東京・浅草の淫売屋で女郎をしているというではないか。そんな不潔な女とは関わりたくない」と言う。まんちゃん「そんなことは関係ない。みんな同じこの村の仲間ではないか」村人「とんでもない。そんな女に関わるなら、お前は村八分だ」まんちゃん「村八分、結構!もともと、俺なんかは村では余計物、俺は一人でもお千代タンを迎えに行くぞ」、村人「勝手にしろ。お前はいくつになっても、足りんやっちゃ、この大馬鹿もの!」  
 やがて汽笛の響きと共に汽車が到着、まんちゃんはお千代の荷物を持って大喜び、一足先に、お千代の父宅に持参する。やがて、東京暮らしですっかり垢抜けたお千代も帰宅、父はお千代が好きだった「l揚げ豆腐」を買いに出て行った。後に残ったのは、まんちゃんとお千代の二人きり、まぶしい太陽でも見るようにまんちゃんが言う。「お千代タン、よう帰ってきてくれたなあ。オレ、ずうっと待っていたんだ」「どうして?」「だって、ずっと前から、オレ、お千代タンのこと好きだったんだもん。」「あんた、あたしが浅草でどんな商売しているか知ってるの?」「知ってるよ。男さんを喜ばす仕事だろ。みんなは、汚い、穢らわしいと言うけど、オレはそう思わない。お千代タンは、人を騙したり、傷つけたりしていない。人を喜ばす大切な仕事をしていると思うとる」「ほんとにそう思うの?」「ああ、本当だ。できれば、お千代タンと一緒に暮らしたいんだ、キーミーハ、コーコーローノ、ツーマダーカラ・・・」思わず絶句するお千代。よく見ると泣いている。「アンタ、泣イイテンノネ、オレまた何か、まずいこと言っちゃったんかな?」「そうじゃないのよ、嬉しくて涙が止まらないの」「フーン?」しばらく沈黙、意を決したようにお千代「まんちゃん!あたし、まんちゃんのお嫁さんになる!」動転するまんちゃん「何だって?今、なんて言った?」「あたし、まんちゃんのお嫁さんにしてくれる?」「そうか、オレのお嫁さんになってくれるんか。へーえ、言ってみるもんだなあ」かくて、二人の婚約は成立した。そうとなったら善は急げだ。こんな村などおさらばして、東京へ行こう。まんちゃんは小躍りして旅支度のため退場。そこへ父、帰宅、弟夫婦も野良仕事から戻ってきた。しかし、二人の表情は固い。土産を手渡そうとするお千代に弟は言い放つ。「姉ちゃん、何で帰ってきたのや。村の人たちはみんな言ってる。あんな穢らわしい女を村に入れることはできない。もし居続けるようなことがあったら村八分や。おれたち村八分になってしまうんや。姉ちゃん、それでもいいのか。はよう、この家から出て行ってくれ!」父が激高した。「お前、姉ちゃんに向かって何てことを言うんだ」弟も反駁。「隠居の身で大きな口たたくな。今はおれこそが、家の大黒柱、それに姉ちゃんは十年前、おれが病気で苦しんでいたとき、旅役者と駆け落ちしたんじゃないか!」「何だって、もういっぺん言ってみろ」「ああ何度でも言ってやる。姉ちゃんはおれたちを見捨てて、淫売女になり果てたんだ。そんな女をこの家に置いとくわけにはいかない」「よーし、お前がそこまで言うんなら、わしも黙っているわけにはいかない!」必死で止めようとするお千代を制して、父も言う。「おまえが病気の時、姉ちゃんが出て行ったのはなあ、お前が町の病院で治してもらうお金のためや。姉ちゃんは、自分の身を売ってお前の治療代を作ったんだぞ!、病気が治ったのは姉ちゃんのおかげ、それを今まで黙っていたのは、お前を心配させないためや」「・・・・」絶句する弟、「何だって!何で、今頃そんなこと言い出すんや。もう遅いわい」そこへ、弟嫁の父、登場。「やあ、お千代さん。よう帰ってきたなあ・・・。サチヨ(嫁)、もうお姉さんに御挨拶はすんだのか?」だが、その場の様子がおかしい。一同の沈痛な表情を見とって自分も沈痛になった。「やあ、困った、困った。実に困った」、「何が?」と問いかける弟に「実はな、ある人の借金の保証人になったばっかりに、五百円という大金を負わされてしまったんだ。何とかならないだろうか?」「えっ?五百円?そんなこと言われたって、見ての通りの貧乏暮らし、そんな金どこを探したってあるはずがない」弱気になる弟に、隠居の父がつっかかる。「お前、さっきなんてほざいた。この家の大黒柱じゃあなかったんか」やりとりを黙って聞いていたお千代が口を開いた。「おじさん。五百円でいいの?ここに持っているから、これを使って。これまで、身を粉にして貯めたお金よ。家に帰ってみんなの役に立てればと思って持ってきたの。私が使ったってどうせ『死に金』、おじさん達に役立ててもらえば『生きたお金』になるじゃないの」一同、呆然、弟夫婦は土下座して声が出ない。肩が小刻みに震えている。お千代、キッとして「もう、いいの。このまま浅草に帰るわ。また、あそこでもい一回、頑張って生きていこうと思います」、「待ってださい」と引き止める弟夫婦、その両手をやさしく握りながら、「あっ、そうだ!忘れていた。お父さん、あたし好きな人ができたの。あたしその人のお嫁さんになるの!」一同、驚愕。「えっ?誰の?」お千代、涼やかに、「まんちゃんよ!」すっかり、旅支度を整えたまんちゃん、踊るように再登場、舞台も客席も、笑顔の花が咲き乱れる。まんちゃん「まあ、そういうことで、お父上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」弟嫁の父、そっとお千代に近づき「やあ、めでたい、めでたい、そういうことなら、これは私からのお祝いだ」さっきの五百円を手渡そうとする。「だって、おじさん!これは借金の返済に使うお金・・・」「なあに、心配ご無用。さっきの話は私の作り話、一芝居打ったのさ!」舞台に流れ出す、前川清の「噂の女」、まんちゃんとお千代、花道で颯爽と見得を切る。さっと振りかざした相合い傘の骨はボロボロ、破れガサがことのほか「絵」になる幕切れであった。「襤褸は着てても、心の錦、どんな花より綺麗だぜ、若いときゃ二度ない、どんとやれ、男なら、人のやれないことをやれ」、まんちゃんの心中を察して、私の心も洗われた。
 大衆演劇に共通する眼目は、「勧善懲悪」「義理人情」だが、もう一つ「人権尊重」という主題が秘められていることを見落としてはならない。「村八分」という差別観に敢然と立ち向った「まんちゃん」(余計者・与太郎)とお千代(賤業者)の行く末は?、それを決めるのは、他ならぬ私たち一人ひとりなのではないだろうか。
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2017-03-15

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《「人生花舞台」は、近江飛龍客演の「夢芝居」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成22年2月公演・奈良弁天座〉                                                   今日は「近江飛龍劇団」座長・近江飛龍がゲスト出演とあって、客席は満員、昼も夜もダブルの大入りとのこと、前売り券も売り切れという始末であった。私は1時間前に到着したが、劇場の周辺は閑散としていたので、まさかこんな事態になっているとは思いも寄らなかった。入場すると座席はすべて予約済み、最後方及び通路の補助席(パイプ椅子・丸椅子)が空いているだけだった。近江飛龍は座長・鹿島順一の甥(次姉・近江竜子の長男)で、今や関西の若手リーダーという存在、その実力は半端ではない。その彼が、実力日本一の「鹿島順一劇団」に出演とは、夢のような話。取るものもとりあえず、興味津々で駆けつけた次第である。劇場への途次、私は考えた。いったいどんな芝居をやるのだろうか。「新月桂川」なら最高の舞台になるだろう。「鹿島劇団」で不足しているのは若手女優、(「近江劇団」の「新月桂川」同様)桂川一家親分の娘役を近江飛龍が演じれば・・・、などと身勝手な期待をしていたが、結果は予想外。外題は「人生花舞台」であった。なるほど、プロはプロ、(私ごとき)素人とは発想が違う。主役・元役者の老爺に近江飛龍、清水の次郎長・鹿島順一、花形役者・(成田屋)駒三郎に鹿島虎順、清水一家大政・花道あきら、追分三五郎・蛇々丸、子分衆・梅の枝健、春大吉、滝裕二、といった配役で、文字通り「適材適所」の舞台であった。6月に三代目を襲名する鹿島虎順のために近江飛龍が「一役買った」夢芝居という趣向が窺われ妙に納得してしまったのだが・・・。さて、舞台の出来映えは?なるほど「鹿島劇団」と「近江劇団」の違いがはっきりと出た。「鹿島劇団」は「みんなが主役」、いつでもどこでも、それぞれがそれぞれに輝いているという景色だが、「近江劇団」は「主役は主役」、近江飛龍もしくは笑川美佳といった「実力者」の「一人芝居」(独壇場)が「見せ場」なのだということを、改めて思い知った次第である。古くは関東の大宮敏光、関西の藤山寛美、いずれも「主役抜きの舞台」は考えられない。それが当たり前なのだが・・・。主役・老爺(近江飛龍)の長台詞(一人舞台)に入る前、次郎長(鹿島順一)の一言、「おい、みんな。これから長くなりそうだから、膝を崩せ!」は何を意味するか。私には、「近江座長の《実力》を、とくと拝見(鑑賞)しようではないか」という余裕すら感じられた。それに応えて、近江飛龍、まさに「渾身の演技」(その表現力は至芸に値する)を展開、だが「一人浮いてしまった」ことも否めない。長台詞が終わって一言、「皆さん、退屈しませんでしたか?」というつぶやきは、鹿島劇団の面々に向けた、偽らざる「本音」(これでよかったのか?という不安)に違いない。この老爺役、私は鹿島順一、蛇々丸の舞台を見聞しているが、いずれも「引く演技」、そのことで次郎長や駒三郎を「立てる」景色になるのだが、近江飛龍は「押す演技」、その結果、周囲の風情が今一歩「際だたない」まま終幕を迎えたのではないか。いずれにせよ、「劇団」の「芸風」とは、このように異なるものなのかをまざまざと感じながら帰路についたのであった。
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2017-03-14

幕間閑話・ユーチューバー・「みずにゃん」の闘い

 ユーチューブを検索していたら「みずにゃんちゃんねる」というサイトを見つけた。これがたいそう面白い。「みずにゃん」と称する青年が、アダルト動画の架空請求業者らと電話で「やりとり」する場面を「自撮り」している映像である。
 要するに、青年は、①ショートメールで法外な金額の請求が届いたが、登録した覚えはない。どういうことか。②これからどうすればよいか。③金額の支払いはどうすればよいか。④金額が十万円を超えているので、直接、御社に届けたい。御社の所在地を教えてもらいたい。といった問いかけをする。電話の相手方は、当初(③までは)、いかにも親しみやすく、丁寧に応対していたが、④になると、態度が豹変する。「何で、こちらの住所まで教えなければならないのか」「お金を届けるためですよ」「コンビニに行って支払い手続きをすればよい」「払わなかったら、どうなるんですか」「法的手続きに入るまでだ」「どういう手続きですか」・・・、などという「やりとり」が続き、しまいには、相手方が一方的に電話を切る。青年は、執拗にリダイヤルする。相手方は「いったい、何なんですか。もう電話しないでください。オタク、何なの?」「ボクはユーチューバーです。御社のような架空請求業者をなくすために電話をしています。会社の責任者を出してください」「・・・・・」。代わった相手は一言「ウルセー!」。「え?ウルセーってどういうことですか。モシモシ、御社の住所を教えてください。」後は、ツー、ツー、ツーという機械音が鳴るだけ、青年が何度リダイアルしても、電話は不通となった。
 以上は、一例に過ぎない。(思い出すままに書いたので正確ではないかもしれないが、大意は合っていると思う。)青年は、悪徳詐欺師を餌食として、月60万~70万円の収入を得ているという。高齢者の私にとっては信じられないことだが、世の中変われば変わるものだ。一青年の闘いが、蔓延する悪徳を撲滅できれば、それにこしたことはない。
 老婆(老爺)心ながら、この青年と相手方(悪徳業者)との間に、露ほどの「密約」がないことを祈る。さらに言えば、青年はあくまで、一個人の被害者として、「自分を守る」ために闘うべきであり(そのような振りをして相手を騙すべきであり)、他の被害者のために助力をする必要はない(という振りをした方がよい)。その闘いが広がれば広がるほど、費やすエネルギーも拡大し、矛先が鈍るからである。くれぐれも身辺警護を怠らず、油断のないように。古い話だが、作詞家・水木かおるも以下のように警告している。「泣いた女がバカなのか だました男が悪いのか」「どうせ私をだますなら死ぬまでだまして欲しかった」(「東京ブルース」曲・藤原秀行、唄・西田佐知子)
(2017.3.13)



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2017-03-13

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「恋の辻占」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭〉
第一部・芝居の外題は「恋の辻占」。時代人情剣劇だが、そう単純な筋書ではない。主人公・宇太郎(三代目・鹿島順一)は、幼いときに母と死別、父とも生き別れになって股旅暮らしを続けていた。ある一家に草鞋を脱いだが、親分の娘・おみよ(春日舞子)に見初められ、長逗留しているところ、親分が闇討ちにあって殺された。その下手人は不明のまま、宇太郎とおみよは堅気になって所帯をもつ。一家の跡目は代貸し・時次郎(花道あきら)が継ぎ、縄張りの取り扱いは親分と兄弟分の伯父貴・勘兵衛(甲斐文太)に任されることになったが、その話がいっこうに進まない。時次郎が引き継ぎを怠っているためだ。業を煮やした勘兵衛は宇太郎夫婦が営む茶店にやってきた。「縄張りの話は、いったいどうなっているんだ」「そのことは時次郎さんに、まかせております。近いうちにたしかめておきましょう」「よろしくたのむぜ。ところで、なあ宇太よ。おめえは、死んだ兄貴の仇を討つきがあるのか」と、勘兵衛が本題を切り出した。今ではもう足を洗って堅気の暮らし、女房・おみよも「敵討ちなんてまっぴら、おまえさんにもしものことがあったら、生きてはゆけない」と言っている。宇太郎はそんな話に関わりたくなかったが、勘兵衛は執拗に煽りたてる。「お前だって、もとはヤクザ。親分の恩を忘れたわけではあるめえ。もし、証拠があって下手人が分かったら仇を討つか。まだ男の意地が残っているか」その一言で、宇太郎の義侠心が甦ったか、「たしかな証拠があるのなら、もちろん仇は討ちます!」「よしよし、それでなくっちゃ・・・」とほくそ笑みながら、勘兵衛は欣然と退場した。まもなく勘兵衛の使い(梅之枝健)が、証拠の品を届けに来る。見れば、時次郎の煙草入れ。宇太郎は、使いに「悪い冗談はよしておくんなさい。時次郎さんが下手人であるわけがない」。応じて、使い曰く「おめえさんは何にも知らねえんだ。時次郎とおみよさんは昔からいい仲、今でも時々会っているんだぜ」。その言葉を聞いて、宇太郎は冷静さを失った。止めるおみよを振り払い、病床の時次郎宅へ駆けつけると、問答無用で斬りかかる。時次郎は無抵抗、深手を負いながら「宇太さん、おめえは騙されている。下手人は勘兵衛だ。親分が闇討ちに遭った時、オレが相手と渡り合って一太刀浴びせたが逃げられた。そのときに失くしたのがこの煙草入れ、勘兵衛がそれを持っていたのなら、何よりの証拠ではないか」「なぜそれを今まで黙っていたんだ」「未練なようだが、オレは今でもおみよお嬢さんに惚れている。でもお嬢さんが惚れているのはおめえさんだ。おめえさんにもしものことがあれば、泣きを見るのはお嬢さん」「・・・・」宇太郎、絶句して立ち尽くす。そうか、親分の敵は勘兵衛か。すぐさま、勘兵衛を討ちに立ち去ろうとする宇太郎を、時次郎呼び止めて「待ってくれ。オレはもう長くない。早く止めを刺してくれ」「そんなことできるわけがない」「そうか、わかった!」、時次郎、最後の力を振り絞り、長ドスを腹に突き立てた。その一瞬、舞台の景色は凍りついたよう、泣く泣く止めを刺す宇太郎と、時次郎の舞台模様は、屏風絵のように鮮やかであった。だが、話はまだ終わらない。宇太郎、時次郎の亡骸に手を合わせ、勘兵衛のもとに駆けつける。「勘兵衛!よくも騙しやがったな。親分の敵だ、覚悟しろ!」一家子分衆との立ち回りも一段落、大詰めは宇太郎と勘兵衛の一騎打ちとなったが、しばらく渡り合ったかと思うと、意外にも勘兵衛、「待て、宇太!おめえはオレを討ってはならねえ」と自刃した。いつのまにか、そこに駆けつけたおみよと共に、呆然と立ち尽くす宇太郎・・・。勘兵衛、苦しい息の中で「この世は、因果応報。これが悪行の報いというものだ。おみよさん、オレの息が止まったら、これを宇太郎に渡しておくんなさい」と言うや否や、長ドスを首に突き刺した。「これ」とは何?おみよが確かめると、それは「お守り袋」、宇太郎が父親探しの証として肌身離さず胸に着けていた「お守り袋」と同じ仕様のものだったのだ。「おまえさん、勘兵衛さんはお父っあんだったんだよ!」「そんなはずはない」そんなことがあってなるものか、オレがこれまで探し続けたお父っつあんが、こんな野郎であっていいものか、といった戸惑い、悔しさ、情けなさ、空しさ、悲しさ、寂しさが「綯い交ぜ」になった風情を、三代目鹿島順一は、見事に描出していた。今はもう二人きりになってしまった宇太郎とおみよ、絶望的な愁嘆場で終幕となったが、さればこそ、両者の絆がいっそう固く結ばれたようにも感じられ、それかあらぬか、観客の大半が、老若男女を問わず、一様に目頭を押さえている景色が感動的であった。この芝居、「愛別離苦」を眼目とした時次郎とおみよの絡みと、「因果応報」を眼目とした勘兵衛と宇太郎の絡みが、錦のように織り込まれ、錯綜する「難曲」だが、それを斯界随一の「鹿島順一劇団」は、いとも鮮やかに演じ通した、と私は思う。就中、時次郎、勘兵衛が自刃する二つの場面は、まさに「死の美学」の極め付き、あくまでも潔く、さわやかな男たちの死に様は「世の無常」の象徴として、私の脳裏・胸裏に深く刻まれた次第である。
 第三部・舞踊ショー、甲斐文太の「安宅の松風」は、文字通り《国宝(無形文化財》級の出来栄え、それを鑑賞できたことは望外の幸せであった。
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2017-03-12

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「喜劇・弁天小僧」の課題》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成24年2月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「喜劇・弁天小僧」。筋書きは単純、「変態」の親分(甲斐文太)から娘(春夏悠生)と五十両をだまし取られた百姓(春日舞子)の話を聞いて、弁天小僧(三代目鹿島順一)が助太刀、見事に仇を討つという物語である。さて、演目には「喜劇」と銘打っているが、喜劇ほどむずかしいものはない、と私は思う。娘を拉致した子分ども(花道あきら、赤胴誠、壬剣天音、梅之枝健)が、「親分のものになれ」と一人一人口説く場面、それを舞台の袖で聞いていた親分が登場、子分どもと「絡み合う」あたりを「喜劇仕立て」にする魂胆(思惑)はわかるが、その時大切なことは、「変化」と「間」、笑いを誘う機知に富んだアドリブをどこまで続けられるか、突っ込みとボケの呼吸がピッタリと決まるかどうか、ということである。ともすれば「楽屋ネタ」「下ネタ」の繰り返しで冗長になり、客の方では「もういいよ」と食傷気味になりがちだが、今日の舞台も、残念ながら「その域」をでることはできなかった。わずかに百姓の老爺に扮した春日舞子が、子分どもに追い回されながら「受けないギャグばかり!」と嘆いた場面は光っていたが・・・。さて、主役の弁天小僧の風情や如何に?同じ演目で、私の印象に残っているのは「弁天小僧・温泉の一夜」の橘龍丸(「橘小竜丸劇団」)、「三島と弁天」の小泉ダイヤ(「たつみ演劇BOX」だが、その景色においては遜色ないものの、女形の「口跡」においては及ばなかった。役者の条件は「一声」「二振り(顔)」「三姿」、今後、「一声」の魅力(艶やかさ)をどのように描出するか、三代目鹿島順一の大きな課題ではないだろうか。それを克服できたとき、同時に「紺屋高尾」「仇討ち絵巻・女装男子」の舞台模様が、一段と輝きを増すことは間違いない、などと身勝手なことを考えつつ帰路に就いた次第である。
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2017-03-11

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「大江戸裏話・三人芝居」「人生花舞台」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(平成20年2月公演・川越三光ホテル・小江戸座)
 芝居の外題は、昼の部「大江戸裏話・三人芝居」、夜の部「人生花舞台」。
前者は、もう店じまいをしようとしていた、夜泣きうどんの老夫婦(爺・蛇々丸、婆・座長)のところへ、腹を空かした無一文の遊び人(虎順)がやってくる。うどんを三杯平ら上げた後、「実は一文無し、番屋へ突き出してくれ」という。驚いた老夫婦、それでも遊び人を一目見て「根っからの悪党ではない」ことを察する。屋台を家まで運んでくれと依頼、自宅に着くと酒まで馳走した。実をいえば、老夫婦には子どもがいない。爺が言う。「食い逃げさん、頼みがあるんだが・・・」「なんだい?」婆「お爺さん、ただという訳にはいかないでしょ」と言いながら、大金の入った甕を持ってくる。「それもそうだな、食い逃げさん、一両あげるから、頼みを聞いちゃあくれないか?」「えっ?一両?」今度は遊び人が驚いた。「一両もくれるんですかい?ええ、ええ、なんでもやりますよ」爺「実はな、私たち夫婦には子どもがいないんじゃ、そこでどうだろう。一言でいいから『お父っつあん』と呼んではくれないか?」「えっ?『お父っつあん』と呼ぶだけでいいんですかい?」「ああ、そうだ」「そんなことなら、お安い御用だ。じゃあ言いますよ」「・・・」「お父っつあん」「・・・、ああ、やっと『お父っつあん』と呼んでもらえた」感激する爺を見て、婆も頼む。「食い逃げさん、二両あげるから、この婆を『おっ母さん』と呼んではくれまいか?」小躍りする遊び人「ええ、ええ、お安い御用だ。それじゃあ言いますよ、いいですか」婆「・・・」「おっ母さん!」「・・・」婆も感激して言葉が出ない。つい調子に乗って爺が言う。「今度は、あんたを叱りたい。あたしが叱ったら『すまねえ、お父っつあん、もうしねえから勘弁してくんな』と謝ってはくれまいか。礼金は三両あげましょう」喜んで引き受ける遊び人、婆も四両出して叱りつけた。そして最後にとうとう爺が言い出す。「どうだろう、食い逃げさん、この甕のなかの金全部あげるから、私の言うとおり言ってはくれまいか」「・・・?」「『お父っつあん、おっ母さん、おめえさんたち、いつまでうどん屋台を引いてるつもりだ、オレがこうして帰ってきた以上、後のことは全部任せて、もう止めたらどうだい』ってね」指を折って懸命に憶えようとする遊び人「ずいぶん長いな。でも、だいじょうぶだ。・・・じゃあ、いいですか。言いますよ」瞑目し、耳をすます老夫婦。遊び人、思い入れたっぷりに「お父っつあん、おっ母さん、おめえさんたち二人いつまでうどん屋台を引いてるつもりだ。・・・」の名台詞を披露する。かくて、大金はすべて甕ごと、遊び人のものとなった。大喜びの遊び人「ありがとうござんす、これで宿屋にも泊まれます。あっそうだ、さっきのうどん代、払います」と一両小判を爺に手渡した。「こんなにたくさん、おつりがありませんよ」「とんでもねえ、とっておいておくんなせい。それじゃあごめんなすって」意気揚々と花道へ・・・、しかし、なぜか足が前に進まない。家に残った老夫婦の話に聞き耳を立てる。爺「お婆さん、本当によかったね。どんなにたくさんのお金より、子どもを持った親の気持ちになれたことがうれしい。あの人がくれた一両で、またこつこつと暮らしていきましょう」遊び人、矢も楯もたまらず引き返し、哀願する。「さっきもらったこの金はあっしのもの。どう使ってもよろしいですよね」あっけにとられる老夫婦、顔をみあわせて訝しがり「・・・・?、はいはい、けっこうですよ」遊び人「・・・、この金、全部あげるから、おめえさんたちの子どもとして、この家に置いてください」と泣き崩れた。どこかで聞こえていた犬の遠吠えは「赤子の産声」に、そして舞台・客席を全体包み込むようなに、優しい「子守唄」で幕切れとなった。
 幕間口上の虎順の話。「一両って、今のお金にするとどれくらいだと思いますか。だいたい六万円くらいだそうです。一言『お父っつあん』で六万円ですからね、大変なことだと思います」その通り、老夫婦の全財産(数百万円)よりも「親子の絆」が大切という眼目が、見事なまでに結実化した舞台だった。
 後者は、「人生花舞台」、大衆演劇の定番で、私は、昨年「澤村謙之介劇団」の舞台を見聞している。主役の爺(座長)は、元歌舞伎役者、師匠の娘と駆け落ちし一子をもうけるが、妻子は連れ戻され、今は落ちぶれたその日暮らしの独り者、むさくるしい身なりで、清水一家に乗り込んできた。「親分と一勝負したい」と言う。次郎長親分(花道あきら)が訳を尋ねると、「掛川の芝居小屋で、二十年前に別れた一子が興行している。親子名乗りはできないが、せめて、幟の一本でも贈ってやりたい」事情を察した親分、清水での興行を企画、爺を「御贔屓筋」(網元)に仕立て上げた。興行は成功、打ち上げの席で爺と、一子・今は襲名披露を控えた花形役者(春大吉)は再会する。大きく成長した一子の姿に眼を細め、それとなく愛妻(一子の母)の消息をたずねる爺の風情は格別であった。  
 芝居のクライマックスは、次郎長親分に勧められて一子がひとたち舞う「艶姿」であろう。しかし、酷なようだが、今の春大吉には荷が重すぎた。爺の風情が格別であるだけに、「舞姿」は「珠玉」でなければならない。もし、一子・蛇々丸、代貸大政・春大吉という配役であったなら、また違った景色の舞台になったのではないだろうか。身勝手な蛇足を加えれば、前者(「大江戸裏話」の爺を梅乃枝健、後者の一子を蛇々丸という配役がベストであった、と私は思う。いずれにせよ、舞台は水物、爺のセリフ「役者の修業に終わりはない」という至言は、座長自ら座員に伝えたかったメッセージに違いない。それに応えようと日々精進する座員各位の努力は見せかけではない。その姿に私は脱帽し、今後ますますの充実・発展を祈念する。

小泉 今日子:艶姿ナミダ娘小泉 今日子:艶姿ナミダ娘
(2009/10/21)
小泉 今日子

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2017-03-10

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「悲恋流れ星」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成24年2月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「悲恋流れ星」。生まれつき顔半分に疵のあるヤクザ・弁太郎(座長・三代目鹿島順一)の悲恋物語である。もともと「若い女に相手にされるはずもない」と諦めていた弁太郎が、ひょんなことから、盲目の娘・お花(春夏悠生)を助け、同居生活を始めることになった。お花の目は治療すれば治るとのこと、弁太郎はお花の目を何とか治してやりたいと思い、土木作業に従事する。そんな優しさにお花は惹かれ、「兄さん、顔が見たいの」と弁太郎に懇願、「今は、まだ無理だ。目が治ったらな」「今、すぐ見たいの。私は手で触れば見える。兄さん、顔を触らせて」、「そんなこと言ったって・・・」と弁太郎が困惑しているところに、弟分(赤胴誠)がやって来た。「ちょうどいい、おめえ、あの娘に顔を触らせてやってくれ。ただし、娘には絶対触るな、声も出すな(唖になれ)」と言い含めて、お花のもとに連れていく。弟分、何が何だかわからぬままに、お花に顔を触らせた。お花「やっぱり私の思ったとおり、兄さんの顔はキレイ!心のキレイな人は顔もキレイだとおっ母さんが言っていた」。その場は何とか繕ったが、弟分もお花に惹かれた様子・・・。以後、弟分は「唖のおじさん」になりすまして、お花に近づき始めたか・・・。気がつけば、自分もお花に惹かれている。こともあろうに弟分と「恋のさや当て」になろうとは・・・。やがて名医(春日舞子)の治療が効をを奏し、お花はめでたく開眼したのだが、その時は弁太郎と弟分が「対決」の真っ最中・・・。そこへ、かねてからお花をつけ狙っていた、仇役・まむしの大五郎(甲斐文太)、用心棒(花道あきら)も登場、「こっちを片付ける方が先だ」と大五郎を退治したが、腕は用心棒の方が上、あえなく弁太郎は深手を負ってしまった。弟分の助力で、何とか用心棒を仕留めたところに、お花が駆け込んでくる。「兄さん、私の目が開いたの!」欣然として、弟分の懐に飛び込んだ。それを見た弁太郎、瞬時に「唖のおじさん」に変身する。お花、倒れ込んだ弁太郎の顔を見て驚いた。「あの、おじさんがこんな顔だったなんて!」。舞台は大詰め、弁太郎(心と傷の痛みをこらえながら)、お花と弟分の幸せを「手真似」で祈る。文字通り「断末魔」、こらえきれずに声が出てしまった。「二人とも、幸せになれよ」、その声を聞いたお花の表情は(兄さんは、あなただったの!?・・・と)一変、うなだれたまま慟哭する弟分に抱かれて、弁太郎は絶命する、舞台は、一瞬「凍りついた」ような景色を残して閉幕となった。三代目鹿島順一、赤胴誠、春夏悠生ら、若手陣の「呼吸」がピタリと合って、見事な出来映えであった、と私は思う。この芝居の眼目は「愛別離苦」、弁太郎曰く、「人間は誰を好きになってもいいんだよな。愛することは自由だよな」、その通りだが、まさに「愛したときから苦しみがはじまる」のだ。お花の目を治したい、でも、お花の目が開いて自分を見たとき、今まで通り「お嫁さんになりたい」と言ってくれるだろうか。まして、飲み分けの兄弟分は恋敵、焦燥と嫉妬、悔恨の入り交じった心象風景を、三代目鹿島順一(と弟弟子の赤胴誠は)いとも鮮やかに描出する。それを観て、「悲恋流れ星」の流れ星とは、昇天した弁太郎の「魂」に他ならないことを、私は心底から納得したのであった。舞踊ショーで魅せた、三代目鹿島順一の「忠義ざくら」、甲斐文太の歌声で舞う幼紅葉の「細雪」は、いずれも出色、珠玉の名品を存分に堪能できたことも望外の幸せ、今日もまた、大きな感動を頂いて帰路に就いた次第である。
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(2008/11/12)
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2017-03-09

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「幻八九三」・赤胴誠の試練》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭〉
第一部・芝居の外題は「幻八九三」。この演目は、新人・赤胴誠の出世狂言。私は去年の10月、ジョイフル福井でその舞台を見聞している。以下はその時の感想である。〈芝居の外題は「幻八九三」(まぼろしヤクザ)。雌伏三年、いよいよ新人・赤胴誠の「出番」がやってきた。これまで舞踊ショーの裏方(アナウンス)、個人舞踊、芝居での「ちょい役」で修業を積んできた赤胴誠が、初めて「出番」の多い、準主役をつとめるチャンスが巡って来たのである。筋書は単純、兄・伊三郎(座長・三代目鹿島順一)のようなヤクザに憧れている弟の伊之吉(赤胴誠)が、こともあろうに、兄とは敵同士の権助親分(春大吉)に入門を申し込む。「オレは日本一、強いヤクザになりてえんだ!」という一心で、親父(甲斐文太)や幼友達(幼紅葉)の忠告なんぞは「馬耳東風」と聞き流す。権助親分、はじめは取り合わなかったが、あまりにしつこくつきまとうので、「それなら十両もってこい。身内にしてやるぞ」。伊之吉、小躍りして自宅に跳び帰り、「親父、十両くれ。これから権助親分の身内にしてもらうんだ」、あきれかえる親父を尻目に十両ないかと家捜しをする始末、親父「そんな金があるはずもねえ」と高をくくっていたが、あにはからんや、伊之吉、亡母の仏前から十両持ち出してきた。そういえば、先刻、兄の伊三郎が旅から帰り、仏壇に手をあわせに行ったのだった。さだめし、兄が手向けた供え物に相違ない。「渡すわけにはいかない」と、必死に揉み合う親父と伊之吉。だが、どうみても「すばしっこさ」では伊之吉に分がある。十両手にして玄関を飛び出そうとしたとき、なぜか十手持ちの女親分(春日舞子)、颯爽と登場、たちまち伊之吉をねじ伏せて十両を取り戻す。「いててて、なんだ、この女、おぼえていやがれ!」と、捨て台詞をはいたまま、伊之助は権助親分のもとへ・・・。兄・伊三郎と女親分は旅の道中で顔見知り、気心が通じ合ったかどうかは不明だが、それとなく兄に「肩入れ」しようとする気配が感じられてはいたのだが・・・。権助親分のもとへ駆けつけた伊之吉、「十両持ってきたか」「それが、駄目でした」「どうして?」「十両は見つけましたが、へんな女に取り上げられちゃって」とかなんとか言っているところに、兄・伊三郎登場。権助親分「よくも帰ってきやがったな。身内の仇だ、生かしちゃおけねえ」、三人がかりで斬りかかるが、腕は数段伊三郎が上、たちまち返り討ちに・・・。その様子を見ていた伊之吉、「やっぱり、兄貴は強ええ!。兄貴の身内になりてえな」。新三郎「いいだろう、二人で一家をかまえよう」。だがしかし、そうは問屋が卸さない。なぜか再び十手持ちの女親分登場。「一家をかまえるなんてとんでもない。伊三郎!捕縛するから覚悟しろ」。かくてタイマンの勝負となったが、今度は女親分の腕が数段上、たちまちお縄をかけられて「おーい、伊之吉、助けてくれ、オレはまだ死にたくない・・・」と泣き出した。その姿の格好悪いこと、惨めなこと。伊之助、ハッと我に返り「なんでえ、なんでえ、あの姿。イヤだ、イヤだ。もうヤクザなんてなりたくねえ!」と叫んで号泣する。実を言えばこの話、伊之助にまっとうな人生を送らせようとして打った、伊三郎と女親分の「芝居」だったに違いない。私が驚嘆したのは、弟・伊之助こと赤胴誠の成長(変化)である。俗に、役者の条件は「イチ声、二振り、サン姿」というが、いずれをとっても難が無い。未熟な役者ほど、声(口跡・セリフ)だけで芝居を演じようとするものだが、今日の赤胴誠、「振り」も「姿」も初々しく、その場その場の「心情」がストレートに伝わってくる。例えば、親父に向かって「十両くれ!」とあっけらかんにせがむ「青さ」、十手持ち親分を「なんだ、この女」と見くびる「軽さ」、兄・伊三郎の立ち回りを、へっぴり腰で応援する「熱さ」、一転、捕縛された兄貴の惨めな姿に号泣する「純粋さ」等々、未熟で頼りない若衆の風情を「そのまま」舞台模様に描出できたことは、素晴らしいの一言に尽きる。雌伏三年、師匠・甲斐文太、諸先輩の「声・振り・姿」を見続けてきた研鑽の賜物であることを、私は確信した。甲斐文太は「今日の出来は30点」と評していたが、なによりも、他の役者にはない「誠らしさ」(個性)が芽生えていることはたしかであり、そのことを大切にすれば貴重な戦力になるであろう。客の心の中に入り込み、その心棒を自在に揺さぶることができるのは、役者の「個性」を措いて他にないからである。
 芝居の格、筋書としては「月並み」な狂言であっても、舞台の随所随所に役者の「個性」が輝き、客の感動を呼び起こす。それが「鹿島劇団」の奥義だが、今や新人・赤胴誠も、それに向かって「たしかな一歩」を踏み出したことを祝いたい〉。さて、今日の舞台の出来栄えや如何に?今回の配役は、大幅に変わった。伊之助・赤胴誠、伊三郎・三代目座長・鹿島順一、朋輩の娘・幼紅葉はそのままだが、敵役・権助親分は花道あきら、その子分に春日舞子、伊之助の親父に梅之枝健、十手持ち親分に責任者・甲斐文太という陣容で、舞台の景色はがらりと変わってきた。なるほど、前回に比べて、今回の配役の方が真っ当だが、赤胴誠にとっては一つの試練とでも言えようか、相手役(親父・十手持ち親分)の貫禄がありすぎて、やや押され気味の風情であった。この芝居の見どころは二つ、一に伊之助と親父のコミカルな「絡み」、二に伊三郎と十手持ち親分の爽快な「腹芸」だと私は思うが、甲斐文太が親父役から親分役に回ったことにより、当然のことながら後者の見どころが際だってくる。赤胴誠はもう師匠・甲斐文太の「胸を借りる」ことはできない。大ベテラン・梅之枝健を相手に、自力でその個性・初々しさを発揮しなければならなくなったのだ。「前回とは勝手が違う」と思ったかどうかは不明だが、およそ役者たるもの、どんな場面、どんな相手であっても、臨機応変に「見せ場」を演出する努力が必要である。たとえば、今日の舞台。兄・伊三郎が敵役子分を一人ずつ切り倒す立ち回りの場面、その様子をへっぴり腰で応援、一人倒すたびに拳を挙げて狂喜する伊之助の姿が不可欠、まさに「本日未熟者」の典型を描出しなければならない。観客は、その姿の残像があればこそ、大詰め、日本一強かったはずの兄貴が「助けてくれ、オレはまだ死にたくねえ・・・」と泣き出す無様な姿を見て落胆、一転して「なんでえ、なんでえ、あの姿。イヤだ、イヤだ。もうヤクザなんてなりたくねえ!」と叫んで号泣する伊之吉に共感することができるのである。という観点からみると、今日の赤胴誠は「やや淡白」であり過ぎたか・・・。いずれにせよ、舞台は水物、役者の修業に終わりはない。「たしかな一歩」を踏み出した赤胴誠の試練は、これからである。



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2017-03-08

劇団素描・「新川劇団」・《芝居「裸の大将放浪記・母の味はおいしいので・・・」》

【新川劇団】(座長・新川博也)〈平成24年2月公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は「裸の大将放浪記・母の味はおいしいので・・・」。幕が上がると、そこは駅前の大衆食堂。その女主人(峰そのえ)と息子二人に、山下画伯(リーダー・新川博之)が「絡む」物語である。息子のうち弟(新川貴之)は母思いの真面目な性格で、近々、社長さんの娘と祝言を挙げる段取りになった。一方、兄(座長・新川博也)は、十数年前、プイと家を出たきり行き方知れず、どうせまともな生活はしていないだろう・・・、と母・女主人は案じている。案の定、一見すればすぐにヤクザとわかる風情の兄が、舎弟(新川笑也)を連れてやって来た。そこは駅前近くの川の土手、よく見ると、ランニングシャツに半ズボン、いがぐり頭の、「けったいな奴」が横たわっている。山下画伯である。舎弟が声をかけたが反応がない。「兄貴、こいつ死んでると違いまっか?」「アホ抜かせ、腹が動いてるやんけ」などと言いながら、兄が画伯を叩き起こす。その後の三人の「やりとり」が、何ともおもしろかった。兄は、どこまでも柄が悪く極道そのもの、髪はリーゼント、黒シャツに真っ白なスーツ、草履履きのスタイルが決まっている。舎弟は舎弟で、柄物のシャツを粋に着こなして、眉毛もそり落としている。「それにしても、おまえは地味やなあ」という兄貴の評価、腕の刺青を見せられて、「体に落書きをしてはいけないんんだなあ・・・、ハハハイ」といった画伯の様子が魅力的で、私の涙は止まらなかった。やがて、通りかかったのが若い男女、舎弟、「反射的に」からかい、恐喝の景色を見せたが、兄貴分も「反射的」に、それを阻止する。その若い男こそ自分の弟であったから・・・。兄貴、弟が近々結婚することを知り、祝い金を山下画伯に託す。以後、画伯の天衣無縫な「とりもち」で、母・兄弟の家族が再会、これまでのことは「水に流して」大団円、という筋書きだが、一貫して流れる眼目は「おむすび」に象徴される「母の味」とでもいえようか、山下画伯が愛する「おむすび」を弟分が調達、それを兄貴もほおばって、「母の味」を噛みしめるという場面が、ひときわ「絵になっていた」、と私は思う。役者全員が、文字通り「適材適所」、だれもが「主役」のような舞台模様で、この演目は、まさに「新川劇団」の十八番、大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。

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(2008/12/25)
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2017-03-07

劇団素描・「新川劇団」・《喜劇「六発のトラ」&悲劇「唐人お吉」》

【新川劇団】(座長・新川博也)〈平成23年2月公演・みのりの湯柏健康センター〉
昼の部、芝居の外題は、喜劇「六発のトラ」。大工トラ(リーダー・新川博之)の女房(副座長・新川笑也)とその父(座長・新川博也)が、棟梁(峰そのえ)の家に駆け込んできた。トラが酒を飲んで暴れているという。「出刃を振り回して追いかけてくる」そうな。棟梁、育ちそびれた息子が持っていたおもちゃのピストルを取り上げて一思案。女房とその父を隠して、やって来たトラに言う。「おまえの女房と姑は怪しい。さっき、ここへ来てから川筋の水茶屋の方に出かけていった。出刃よりピストルの方がいい。これを持って間男成敗してこい!」。泥酔状態のトラと、気っ風のいい棟梁の「絡み」が、なんとも可笑しく、抱腹絶倒の連続であった。棟梁、トラの酒癖を治そうと、弟子の大工連中、水茶屋の手代、自分の息子、トラの女房、姑に「一芝居打ってくれ」と頼み込む。トラが暴れてピストルを撃ったら「死んだ真似をしてもらいたい。その時は礼金をはずむから」とのこと。一同は喜んで承諾。なりゆきは棟梁の思惑通り、それぞれが「死んだ真似」をして、トラは反省しきりのうちに閉幕といった、他愛もない筋書だが、出来栄えは絶品、ナセンス・コメディの見本のような舞台であった。見せ場は三つ。その一はトラと棟梁の絡み(関西の夫婦漫才よりも面白い)、その二は、トラのピストルに撃たれたから死ぬまで、各自が思い思いに繰り広げる「踊り」の風情(中でも、女房役から突如、股旅役に変身した新川笑也の景色は絵になっていた)、その三は、トラが反省する中で見せる声色(高倉健、長谷川一夫、片岡知恵蔵、大河内伝二郎、芦屋雁之助)の見事さである。まさにリーダー・新川博之の真骨頂が現れる名舞台であった。打って変わって夜の部、芝居の外題は、悲劇「唐人お吉」。主演のお吉に座長・新川博也、その恋人・鶴松に副座長・新川笑也、船大工の棟梁にリーダー。新川博之といった配役で、他の劇団とは「一味違った」風情を醸し出していた。とりわけ、座長・新川博之の「女形」は際だっており、その口跡は「天下一品」だと、私は思う。遠くは若葉しげる、山口正夫、近くは市川千太郎、大隅瑠也、白竜、中村英次郎、春大吉等々、「女形」を達者に演じる役者は数多いが、声音まで「女形」に徹することができるのは、他に姫猿之助くらいであろうか。俗に「一声、二振り(顔)、三姿」といわれるが、新川博也の「声」は「至芸」値する。口上での話。「お吉を初演したのは十九歳、二十二歳の頃『いい声だ、でも若いから出せるんだ』と言われました。私はもうすぐ三十歳(?)、『どんなもんじゃい!』。おっしゃるとおり!お見事!と言う他はない。彼のお手本は、大歌舞伎・中村福助とやら・・・。なるほど、玉三郎と言わないところが渋い渋い。「型を重んじる」芸風の由縁がわかったような気がする。さて、「唐人お吉」の出来栄えだが、酒浸り、ボロボロになった年増女の描出には「今一歩」、今日は裏方(序幕アナウンス)に回った名女優・峰そのえ(彼の母)の風情には「まだ遠く及ばない」のではあるまいか、などと勝手な想像をしながら帰路に就いた次第である。
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(2006/10)
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2017-03-06

劇団素描・「不二浪劇団」・《柏で、「大月瑠也、見っけ!」》

【不二浪劇団】(座長・瀬川伸太郎)〈平成25年2月公演・みのりの湯柏健康センター〉
劇場内に入ると、「大月瑠也」のタペストリーが壁に掲げられている。彼は、「劇団翔龍」座長・春川ふじおの兄、数年前までそこの座員であったが、なぜか退き、「劇団美鳳」の舞台にゲスト出演していた。その後、(私にとっては)「消息不明」であったのに、ナント「不二浪劇団」に居ようとは・・・、思わず「大月瑠也、見っけ!」と心中で叫んでしまった。芝居の外題は「天竜しぶき笠」。天竜峡近くの山村で暮らす、木樵の倅(大月瑠也)は、名うての筏乗りであったが、江戸からやってきたヤクザ連中の羽振りに憧れて出奔、今は行き方知れず・・・。木樵(倅の父)はそのことを気に病んでまもなく他界、今では母(リュウ・チカ?・好演)と妹(神楽坂美佳)が留守宅を守っている。そんな折も折(出奔から七年目)、倅が帰ってきた。それとなく家内を窺うが、おのれの不孝が身にしみて、敷居をまたげない。やむなく父親ゆかりの煙草入れと財布を玄関先に投げ入れて退散した。気配を感じた妹が表に出てきたが、兄は再び行き方知れず。そこに、母が旅人を連れて登場、聞けば、崖から転落、危うく樹木に引っかかっているところを、助けられたという。旅人の名は、鬼百合の吉五郎(座長・瀬川伸太郎)、れっきとしたブショク渡世人であった。吉五郎いわく「助けて頂いた御恩返しに、倅さんを探しましょう。一年後、必ず倅さんを連れて戻ります」。舞台は変わって、そこはドス、槍、叫声が飛び交う喧嘩場、敵同士で出会った吉五郎と倅の一騎打ち、勝負の運は吉五郎に傾いて、倅は致命傷を負う。今際の話を聞いて、彼こそが探し続けたお人であったとは・・・。吉五郎、痛恨の極み、やむなく倅の遺骨を抱いて天竜峡に赴くといった筋書きで、たいそう見応えのある舞台に仕上がっていた。主なる登場人物は四人(吉五郎、母、妹、倅)だったが、一人一人の「実力」が物を言い、相互の呼吸がピタリと合う名場面の連続であった、と私は思う。とりわけ、所作、表情だけで心情を描出する大月瑠也の風情は天下一品、さらにリュウ・チカ(?)の「枯れた」景色も加わって、座長・瀬川伸太郎の「侠気」を際立たせる、三者三様(三つ巴)の舞台模様は見事であった。久しぶりに「関東風」大衆演劇の真髄を堪能できた次第である。座長の口上によれば、この劇団は二年前、蟹洗温泉(福島県)で東日本大震災に遭遇、大道具・小道具、衣装・鬘の一切を津波にさらわれた由。文字通り「地獄からの生還」を果たして、日々の舞台を「懸命に」務める一行の姿に、私の涙は止まらなかった。
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2017-03-05

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「会津の小鉄」は抜群の出来栄え》

【鹿島順一劇団】(平成20年2月公演・川越・三光ホテル「小江戸座})                  芝居の外題は、昼の部「会津の小鉄」(主演・花道あきら)、夜の部「一羽の鴉」(主演・蛇々丸)。昨年11月、柏健康センターみのりの湯で、初めて「鹿島順一劇団」を観たとき、「目を空いたまま」盲目の役を演じることができる、たいそう達者な女優がいるのに、また、所作と表情だけで「笑い」をとれる、たいそう達者な男優がいるのに、全体としては「観客との呼吸が合わず、盛り上がりに欠ける」という感想をもった。芝居の外題すら覚えていなかったが、今日の観劇で思い出した。そうだ、あの時の芝居は、まさに「会津の小鉄」だったのだ。今日の舞台は、あの時とは打って変わり、「天下一品」「至芸そのもの」という出来栄えであった。たった三月の間に、この劇団の「実力」が向上したわけではない。「劇団」本来の「実力」が今日は十二分に発揮できたのである。舞台は水物、観客との呼吸次第だということがわかった。この外題は、いわば大衆演劇の定番、どこの劇団でも十八番にしているが、今日の舞台を超える出来栄えは観たことがない。役者一人一人の「実力」はもとより、配役、舞台構成、照明効果、音響効果に「非の打ち所がない」のである。敵役の名張屋新蔵(座長)に満座の席で恥をかかされ、復讐しようと呼び出したまではよかったが、そこでも同行した兄弟分を返り討ちで亡くし、指まで詰めてすごすごと帰宅した高坂仙吉(花道あきら)、盲目の恋女房・お吉(春日舞子)には隠していたつもりが、すでにお見通しだった。「あたしはおまえさんの女房だよ。そんなこと知らずでどうするものかえ」「兄弟分まで殺されて、すごすごと帰ってくるなんて」と、責められる。仙吉「おれは、お前一人を残して逝くわけにはいかなかった」「あたしのことなら心配いらない。眼は不自由でも女一人、何としてでも生きていける」「そうか、じゃあ敵討ちに行ってもいいんだな」「こんなこともあろうかと、用意しておいたよ」と着せられる白装束。「ありがとよ、これで男の意地が通せる」勇んで出立しようとする仙吉を、「あっ、おまえさん待って」と呼びとめ「後に心が残ってはいけない。どうぞ存分にうらみを晴らしておくんなさい」と言いながら、お吉は自刃した。思いもよらぬ女房の死、だがもう、仙吉が失うものは何もなかった。「わかった。存分に働いて、すぐに後から逝くからな」一景は、愁嘆場(京極幸枝若口演の節劇は秀逸)で幕が下りた。
 二景は打って変わり、底抜けに明るい舞台、腹を減らした二匹の素浪人・宮本むさくるし(蛇々丸)、佐々木乞食(春大吉)、フラフラと登場。歌舞伎「もどき」の「三枚目」、京の町にやってきたが、仕事が見つからず無一文、朋輩の鼻まで「団子」に見える。そこへ、新蔵の娘・お京((三代目虎順)が通りかかった。「食い気より色気」、たちまち二人の浪人は「ものにしよう」とナンパする。危機一髪、お京を救ったのは、誰あろう、これから父・新蔵を討ちに向かう途中の仙吉だった。執拗に絡みかかる素浪人、「おのれ、手は見せぬぞ」と「型どおり(歌舞伎調)」の口跡に、「手は見えてるよ」、「みどもの太刀筋をかわしおったな」「そんな太刀筋、誰でもかわせるよ、何ごちゃごちゃ言ってんだ!早く失せろ!」と現代風にいなす仙吉、そのやりとりが実におもしろい。峰打ちを食らわして二人を退散させると、舞台に残ったのは仙吉とお京。「助けてくれと頼んだ覚えはない。お礼は言わないよ」と突っ張るお京に、「気の強え娘だ。おまえさん名前は?」「あたし?あたしは、京都一円を取り仕切る名張屋新蔵の娘・お京と言うのさ!」そうだったのか、では、あの憎っくき仇の娘か、まあいいや、先を急ごう、二人は連れだって、名張屋一家へと向かう。
三景は、新蔵宅。娘の帰りが遅いのを心配する新蔵。子分を迎えにやらせようとしたとき、お京が帰ってきた。「今、京の町は危険がいっぱい、娘のひとり歩きは物騒だ。・・・・」くどくどと説教を始める新蔵に、「お父っつあん、もう終わり?」、馬耳東風のお京。「あのね、悪いお侍に絡まれたの」「そら、言わんこっちゃねえ。お前にもしものことがあったら、死んだおっ母さんに申し開きできねえ・・・・」「お父っつあん、もう終わり?でもね、私を助けてくれたお人がいたの」「そうかそうか、で、その人はどこのお方だ」「知らない!」「なんだ、お前、助けてくれたお方の名前を聞かないできたのか、それじゃあお礼もできないじゃないか」「そんな心配いらないわ、今、そこに来ているもの」「それを早く言わないか、早く家の中にお通ししろ」
 かくて、仙吉は仇敵・新蔵と対面する。「どこのお方か存じませんが、このたびは娘の危ないところをお助けいただき、ありがとうがござんした」丁重に礼を言う新蔵に向かって、「やい新蔵、よくもオレに恥をかかせやがったな!今日は兄弟分の仇を討ちに来たんだ」と仙吉は宣言する。「なあんだ、お前は仙吉か。返り討ちに遭う前に消え失せろ!」「そうはいかねえ。お前に渡すものがあるんだ」「ふうん、手土産持参とは感心なやつだ」仙吉が渡した「手土産」とは、恋女房・お吉の生首、驚愕する新蔵、しかし「おまえの女房にしては出来過ぎ、相手になってやろう」、抜刀して立ち上がる。「望むところだ、覚悟しやがれ!」情感溢れる法華太鼓をバックに、たちまち始まる立ち回りは、小道具の脇差しが本身と見間違うほどの真剣勝負、見事な殺陣であった。わずかに仙吉のドスが優り、新蔵は深手を負う。子分達は黙っていない。「野郎!ゆるさねえぞ」といきり立つのを静かに制し、新蔵は言った。「もし、仙吉さん。勝負はついた。オレの負けだ。それにしても、お前はいい男だなあ・・・」「何だと?」荒い息の中から新蔵の長ゼリフ。要するに、妻に先立たれ、自分も労咳、一人娘の行く末を案じて「婿」を探したが、どれをとっても「帯に短し襷に長し」で見つからない、そんなとき、白羽の矢が立ったのは仙吉だった、しかし、仙吉はすでに所帯持ち、「婿」にはできない腹いせに、万座(花会)の席で 恥をかかせた次第、馬鹿な親だと嗤ってくれ、お前からもらった小指、兄弟分の亡骸は大切に回向しているつもりだ、という話。座長・鹿島順一の長ゼリフは、それだけで一話の「人情噺」、すべてを察した仙吉に、名刀「小鉄」と一家の行く末を託し、亡妻のもとに旅立つ新蔵、それを支える仙吉、お京、子分たち、どの劇団の舞台でも観ることができない「至芸」(会津小鉄誕生秘話)であった、と私は思う。ただ単に「意地の張り合い」「格好良さ」を形で見せるのではなく、底に流れる「人情」に注目し、それを役者のキャラクターに合わせて表現しようとする「演出」が、群を抜いているのである。
舞踊ショーでは、三代目・虎順の「蟹工船」「忠義桜」は絶品。南條影虎の女形舞踊「夢千代日記」を追い越せれば、若手ナンバーワンになる日も遠くない。
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2017-03-04

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《千秋楽は「人生花舞台」で夢芝居》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年2月公演・水戸ラドン温泉〉 2月公演の千秋楽、芝居の外題は「人生花舞台」であった。先月(1月公演・つくば湯ーワールド)とは違って、旧版どおり、元歌舞伎役者(老爺)・座長、清水の次郎長・花道あきら、一家子分大政・蛇々丸という配役だったが、水戸の舞台の最後を飾るためには「座長が主役」、なるほど、「立つ鳥は後を濁さない」という劇団(座長)の誠実さに脱帽する。花道あきらの次郎長、座長に比べて「貫禄は落ちる」が、彼独特の「人情味」(温かさ)の風情が魅力的、加えて、三代目・虎順の「三五郎」、蛇々丸の大政が舞台の景色を引き立てる。中でも、主人公・老爺(元歌舞伎役者)が次郎長に「昔話」を披露する場面(座長の長ゼリフ)で、一家子分役の、虎順、赤銅誠、梅之枝健、蛇々丸らが「凍りついたように固まって」座長の話に耳を傾ける様子は、圧巻。座長はいつも言う。「芝居で大切なのは『間』(呼吸)です。長ゼリフは意外に簡単。自分のペースでしゃべればいいのだから・・・。だいたいねえ、その(主役の長ゼリフの)時、他の役者は誰も聞いてなんかいませんよ、ひどいときには居眠りしている奴らだっているんですから・・・。」通常の劇団ならおっしゃるとおり、でも座長、あなたの劇団は違います。大先輩の梅之枝健を筆頭に、すべての座員があなたの「芸」を学ぼうと、必死に修行しているのです。その姿に、私たち観客は感動するのです。その姿から私たちは「元気がもらえる」のです。さてこの芝居、座長の相手は花形役者役の春大吉。この1年間で、一つ一つの「所作」「表情」に「見違えるような進歩」が感じ取れる。まず第一に、老爺自身が歌舞伎の実力者、その実力者(鹿島順一)が「惚れ惚れ」するような「芸」とはどのようなものであろうか。その姿を「具現化」することが春大吉の使命なのである。彼は「よく精進した」と、私は思う。花形役者の「色香」は十分、課題(目指すべき目標)は、坂東玉三郎の「品格」であろう。この演目を「鹿島順一劇団」の十八番として確立するためには、いつでも、どこでも、誰でもが、この花形役者役に挑戦できるという「からくり」を設けてみてはどうか。いわば、座長・鹿島順一が指南役、一人前の「登竜門」として、花道あきら、蛇々丸、虎順、赤銅誠が「次々に」花形役を演じる(試み)ができたなら・・・、本当の「夢芝居」と言えるのではないだろうか。



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2017-03-03

劇団素描・「劇団武る」・《芝居「遊侠乱れ笠」》

【劇団武る】(座長・三条すすむ)<平成20年2月公演・浅草木馬館>
 前回、芸名がわからなかった役者がわかった。若手・中村直斗、都たか虎、都ゆうたろう、夜桜紫龍、女優・都美千代、都なつき、都かれん、それにベテラン・中山大輔といった面々である。芝居は「笹川乱れ笠」(「天保水滸伝」の外伝?)、笹川繁蔵が飯岡助五郎の放った刺客(旅鴉・座長)に殺される筋書であった。本格的な「任侠劇」で、「実力」も申し分ないのだが、「息抜き」(力を抜いて客を笑わせる)場面が全くなかった。それはそれでよいと思うが、ではどこを「見せ場」にしているのだろうか。刺客が笹川一家の代貸し・子分達に「わざと討たれる」場面、血糊を使って壮絶な風情を演出しようとする意図は感じられる。だが、客の反応は「今ひとつ」、表情に明るさが見られなかった。やはり、観客は、笑いのある「楽しい」舞台を観たいのだ。舞踊ショーでは、藤千乃丞の「お蔦」、座長の「愛燦々」(いずれも女形)が印象に残った程度で、全体的に盛り上がりに欠けた。舞踊に使う音楽は、それ自体が「鑑賞に耐えられる」ものを選ぶべきだと思う。吉幾三、鳥羽一郎、林あさ美、氷川きよし等、「二流どころ」の歌は聞き飽きた。
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2017-03-02

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《水戸ラドン温泉で「関東公演」大団円》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年2月公演・水戸ラドン温泉〉                                       我孫子発10時27分快速水戸行き電車で、水戸ラドン温泉に向かう。大衆演劇「鹿島順一劇団」2月公演の初日を観るためである。1月公演は「つくば湯ーワールド」、茨城県民の中にも30~50人程度の「贔屓筋」ができたようだが、なにせ「美鳳」だの「新演美座」だの、無骨・野暮天な芸風がもてはやされる土地柄、「長居は無用」を決め込んで、早々に「帰阪」されることを祈念する。座長の口上によれば、関東公演は3月まで、心底より「御苦労様」と労いたい。
 さて、実を言えばこの私、昨年12月中旬から「闘病生活」を続けている。これまでの病歴は、①無症候性脳梗塞、②前立腺炎・前立腺肥大であったが、新たに、③慢性皮膚炎(湿疹又は汗腺炎)が加わった。症状は、胸前、背中、肩、腕、太股などが「ただひたすら痒い」ということである。「痛い」「息苦しい」といった症状に比べれば「まだまし」といえるが、それにしても「イライラする」「集中できない」という点では、かなりしんどい。これまでに3度、医師を替えたが、いっこうに改善されないのは何故だろうか。第一の医者は高名だが高齢(おそらく80歳代)で、耳が遠い。こちらの話を看護師が通訳する始末だが、これまでの処方ではピタリと(薬を使い終わる前に)と治癒していた。だが、今回はいっこうに改善しない。そこで第二の医師、東京下町の診療所、彼もまた高齢だが耳は聞こえる。「冬場になると湿疹がでます。いつもは薬を塗ると治るのですが、今回はよくなりません」というと、患部を一見して「ああ、慢性湿疹ですね。注意点は二つ、汗をかかないこと、患部を掻かないこと。薬を出しますから、薄く塗ってください」ということであった。脇で初老の看護師がしきりに論評する。「そんなに厚着してたら、汗をかかない方がおかしい。さあ、脱いだ、脱いだ、あんたまだ若いんだから・・・」、なるほど、体が汗ばんだときに痒みがひどくなる。的確な助言に恐れ入り、薬を頂戴して帰路についたが、その量たるや微々たるもの、三日もすればまた通院しなければならない。塗布してみたが痒みはとれない。そこで第三の医者登場、大学付属の総合病院皮膚科、今度は30歳代とおぼしき女医で一見たよりななかったが、患部を触ったり、皮膚片を顕微鏡で覗いたりという方法で「汗腺炎」という診断であった。以後2週間以上、服薬、塗布治療を続けているが、症状に大きな変化はない。一番効いたように感じたのは、「つくば湯ーワールド」の天然温泉であったが、これから行く「水戸ラドン温泉」の効能はいかがなものか・・・。
 水戸駅北口から路線バス(大洗方面行き)に乗って、栗崎で下車。徒歩1分で「水戸ラドン温泉」に到着。入館料は525円とべらぼうに安い。日曜日と会って客が殺到し、浴室のロッカーに空きがなく「しばらくお待ち下さい」とのこと、「先に、芝居を観ます」といって劇場(レストランシアター)に赴いたが、その異様な光景に仰天した。収容人数500人とは聞いていたが、その舞台の大きいこと、広いこと・・・。通常の劇場の3倍は優にあるだろう。客席は二人掛けのテーブルが(小学校の机のように)すべて舞台と正対している。その座席が、な、な、なんと満席。私が最も愛好する「鹿島順一劇団」が500人の観客を前に公演するなんて、夢のような話。しかも、芝居の外題は、劇団屈指の十八番「春木の女」とあっては、感激の極み、私の涙は留まることを知らなかった。「育ちそびれた人をバカにしてはいけない」「白い目で見てはいけない」といった「人権尊重」を眼目にした芝居を「初日」にもってくるなんて、だからこそ、私は鹿島順一が好きなんだ。この座長は「本気で仕事をしている」。ここは関東、さだめし「忠治御用旅」「会津の小鉄」など「武張った」演目からスタートすれば評判があがるだろうと思うのに、あえて関西を舞台とした人情劇で勝負を賭けるなんて、その「気っ風」のよさに感動する。
公演初日の「春木の女」、出来栄えは「永久保存版」、500人といった大人数の中でも、役者と役者、役者と観客の呼吸はピッタリ、最後列で突然なり出した、携帯電話の呼び出し音が舞台の座長にまで聞こえていようとは・・・。咄嗟に「あんたたちがだらしないから、携帯電話まで鳴り出しちゃったじゃないの!」といったアドリブで対応する座長の機転が、何とも可笑しく、場を盛り上げる。梅の枝健、春日舞子、蛇々丸、三代目虎順、花道あきら、それぞれが「精一杯」の役割を果たして、大団円となった。
 この劇団の関東公演は、平成19年11年に始まり、ほぼ1年3カ月、来月の川崎大島劇場で終わるそうだが、今月の舞台は「大劇場」、双六で言えば、まさに「上がり」といった景色である。おそらく、「鹿島順一劇団」、最高の舞台が「水戸ラドン温泉」で終わるだろう。私自身もまた、ここらあたりで「大衆演劇三昧」を「上がり」にするような時がきたようである。

無症候性脳梗塞―倒れる前に早期発見無症候性脳梗塞―倒れる前に早期発見
(2000/11)
中野 重徳

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2017-03-01

付録・邦画傑作選・「東京の女」(監督・小津安二郎・1933年

 二組の男女(同胞)が登場する。その一は姉・ちか子(岡田嘉子)と弟・良一(江川宇礼雄)、その二は兄(奈良真養)と妹・春江(田中絹代)である。姉はタイピスト、夜は大学教授の下で翻訳補助を行い、大学に通う弟の学資を稼いでいる。兄は警察官、妹は良一の恋人である。二組の男女はそれぞれ慎ましく暮らし、やがては良一の卒業、良一と春江の結婚も間近と思われていたのだが・・・。ある日、姉の会社に警察官が訪れ、人事課長に姉の勤務状況、退勤後の様子などを訊ねた。実を言えば、姉の翻訳補助は真っ赤な嘘で、夜は「いかがわしい」仕事をしているという情報が警察に入った。その噂を耳にした兄が、ちか子に確かめようとするが、春江は「私の方が、ちか子さんも話しやすいでしょう」とちか子宅に赴いた。ちか子はまだ帰宅していない。良一ひとりが待っている。春江はとまどい躊躇・・・、しかし良一に急かされて噂の真相を打ち明けてしまった。驚く良一、「そんな話は聞きたくもない。帰ってくれ!」と春江を追い出した。深夜、ちか子が帰宅する。沈み込んでいる良一の様子を見て、ちか子が訝れば「姉さん、今までどこで何をしていたんだ!」と問い質す。一瞬、ちか子は言葉に詰まったが「私が何をしていようと、あなたは勉強だけしていればいいのよ。お姉さんを信じてちょうだい。あなたが卒業することだけを楽しみにしているのだから・・・」。良一は「信じていたから恨めしいんだ。何だってそんな所に出入りしていたんだ。馬鹿だよ。何だってそんな道を選んだんだ」と言うや否や、ちか子を執拗に平手打ち、そのままぷいと家を飛び出してしまった。
 翌日、春江宅を訊ねるちか子、昨日の様子を春江が話し始めると「電話だよ」という使いがやって来た。電話は兄からであった。「・・・良ちゃんが自殺した・・・」驚愕する春江、ちか子の元で泣き崩れる。
 やがて、ちか子の家。入り口で新聞記者たち(笠智衆、大山健二、?)が取材している。「自殺の原因で思いあたることは?」「何もありません」とちか子は首を振る。奥では良一の亡骸を呆然と見つめる春江、記者の一人が近づいて「あなたとこの方との関係は?」「・・・・」、仲間が「オイ、これでは特ダネになりそうもないぜ」、記者たちは退去して行った。ちか子と春江は二人きり、見つめ合う顔にはお粒の涙が流れ落ちる。「良ちゃんは最後まで姉さんのことをわかってくれなかったわね。これしきりのことで死ぬなんて・・・・弱虫!」というちか子の言葉が聞こえた。泣き崩れる春江、ちか子は一点を見つめ、何事か決意する。
 大詰めは、道を笑いながら歩く記者二人、電柱に貼られた号外「東京日日新聞」の記事に見入る。タイトルは「某○○事件の一味逮捕」と記されていた。それを指差して一人の記者(大山健二?)いわく「この記事じゃあ君の社に十四五分出し抜かれたなあ」、微笑みながら無言でうなずくもう一人(笠智衆)、その二人が遠ざかりビルの中に消えると、この映画は「終」となった。
 なるほど、ちか子宅に取材に来ていた記者連中の目的はスクープ、良一の自殺が「某○○事件」のようなニュース・バリューがあるかどうか探りに来ていたのだ。しかしその目的はちか子の決意によってはねのけられた。さもありなん、ちか子は良一のように「弱くはなかった」からである。ちか子が選んだ道は、良一の学資援助のみならず「非合法活動」の支援だったことを窺わせるエンディングであった。受け止め方、解釈は様々だが、(その曖昧さの中に)小津監督の(当時の秘められた)反骨精神が滲み出ている、画期的な名作だと、私は確信するのである。
(2017.2.28)



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2017-02-28

付録・邦画傑作選・「大学の若旦那」(監督・清水宏・1933年」

 ウィキペディア百科事典では、この作品について以下のように説明している。「・・・『大学の若旦那』(1933年)に始まる「大学の若旦那シリーズ」で明るく朗らかな笑いを提供し、清水は、このシリーズの成功によって松竹現代劇の娯楽映画を代表する監督となった。主演には、清水と体型が似た慶応ラグビー出身の藤井貢があたったが、このシリーズは、清水のオリジナルなアイデアであり、スポーツの花形選手でもある下町の老舗の若旦那が、恋とスポーツに活躍する朗らかでスマートなコメディである。シリーズ全般を通して、坂本武、吉川満子、武田春郎、三井秀男ら松竹の脇役俳優たちが、朗らかで暖かい笑いをみせて、非常に面白い映画として当時の観客を喜ばせたと言われている」。
 配役は、主演、大学の若旦那・藤井に藤井貢、その父(老舗醤油店・丸藤店主)五兵衛に武田春郞、その長妹・みな子に坪内美子、末妹・みや子に水久保澄子。藤井の伯父・村木に坂本武、みな子の夫・若原に齋藤達雄、丸藤の番頭・忠一に徳大寺伸、半玉・星千代に光川京子、柔道部主将に大山健二、ラグビー部選手に日守新一、山口勇、特に藤井を慕う後輩・北村に三井秀男、その姉・たき子に逢初夢子、待合の女将に吉川満子といった面々である。  
 筋書きはあってないようなもの、登場人物の人間模様だけが浮き彫りにされる「朗らかでスマートなコメディー」であった。藤井は大学ラグビーの花形選手だが、勉強はそこそこに遊蕩三昧、二階から帳場の銭入れに、吊したカブトムシを投げ入れ、札を掴ませる、それを懐に入れて夜な夜な花街へと繰り出す。芸者連中には扇子にサインをせがまれるプレイボーイ振りである。父はラグビーを「スイカ取り」と称して苦々しく思っているが、藤井は「どこ吹く風」、今夜も柔道部の連中が「選手会」(実は芸者遊び)の誘いにやってきた。丁稚に肩をもませている隙をねらってまんまと家出、馴染みの料亭に繰り込めば、伯父の村木と鉢合わせ、「おじさんも、なかなか若いですなあ。おいみんな、今日はおじさんの奢りだぜ」。
 要するに、店主・五兵衛の思惑は、①長妹のみな子は近々、若原を婿に結婚の予定、②末妹のみや子はゆくゆく番頭の忠一と添わせるつもり、だが、③忠一は半玉・星千代と「できている」、藤井とみや子はそれにうすうす気づいている、④星千代は若旦那・藤井に惚れている、⑤藤井と忠一はそれにうすうす気づいている、⑤ラグビー選手の山口は藤井の存在が面白くない、大柄で強そうだがケンカには弱い、⑥ラグビー選手の北村は藤井に憧れている、⑦北村の姉・たき子はレビューのダンサーで弟の学資を稼いでいる、⑧藤井は星千代にせがまれてラグビーの練習風景を見せようと大学構内に連れて来た。みや子のセーラー服を着せ「ボクの妹だ」と紹介したが、実際のみや子が現れ、真相が判明。藤井はラグビー部から除名される羽目に・・・。⑨心機一転、藤井はみな子の婿になった遊び人・若原とレビュー通い、北村の姉・たき子の「おっかけ」を始める。⑩まもなく、ラグビー大学選手権、藤井が欠けたチームは戦力ダウン、北村は藤井を呼び戻したい。⑪藤井とたき子は「いい仲」になりつつあったが、北村は「チームのために藤井と別れてくれ」と談判。泣く泣くたき子は受け入れる、⑫晴れて藤井はチームに復帰、試合はもつれにもつれたが逆転優勝!、⑬しかし、たき子から離別の手紙を貰った藤井は試合後のシャワーを浴びながら独り泣き濡れていた、という内容である。
 見どころ、勘所は奈辺に・・・。プレイボーイ・藤井の「侠気」であろうか。番頭・忠一と末妹・みや子を添わせるために半玉・星千代から身を引いた。レビューダンサー・たき子への「おっかけ」も、そのための方便だったが、次第に「本心」へと発展、恋の痛手に泣いている。しかし、星千代も傷ついた。たき子も傷ついた。みや子と忠一は・・・?
 何とも、曖昧模糊とした結末だったが、「朗らかで暖かい笑いをみせて、非常に面白い映画として当時の観客を喜ばせたと言われている」とすれば、当時の観客はその《曖昧模糊》を喜んだということになる。そのギャップが、私にはたいそう面白かった。
 さらにまた、挿入された往時の「浅草レビュー」の舞台、「大学ラグビー選手権」の試合なども十分に楽しめる傑作であったと私は思う。(2017.2.27)



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2017-02-27

劇団素描・「市川おもちゃ劇団」・《芝居「大江戸出世小唄」》

【市川おもちゃ劇団】(座長・市川おもちゃ)<平成20年1月公演・名古屋鈴蘭南座>
表看板によれば、座長・市川おもちゃ、太夫元・市川恵子、座員・市川司、市川やんちゃ、市川大地、市川久美子、市川舞子、市川やよい、大川龍子、ベビーナナミ(子役・2歳)、市川美代子(裏方)、市川美幸(照明)、サンゴ勝美(木戸)という構成メンバーである。劇団の中心は、太夫元・市川恵子、その長男、座長・市川おもちゃ、太夫元の朋輩・大川龍子である。芝居「大江戸出世小唄」は、大衆演劇の定番。浪速から江戸に出てきた歌舞伎役者・中村雪之丞(市川恵子)は、江戸の看板役者(大川龍子)からいじめられ、あと半月の舞台を無事に務められるかどうか、自信が持てなかった。一番弟子・中村霙(市川やんちゃ)に慰められ、励まされもするが気分は晴れない。そんな時、一人の「お菰」(市川久美子)から声をかけられる。「私でよければ、贔屓になりましょう。江戸中683人の『お菰連盟』が、お味方しますよ」。雪之丞は大喜び、五文の祝儀を頂いて帰路についた。そのことを、霙に報告するが、「お菰さんの御贔屓なんて、聞いたことおまへんがな」と一蹴される。そこへ訪ねてきた悪臭紛々たる男(座長・市川おもちゃ)、霙は鼻をつまんで追い払おうとするが、雪之丞は歓待する。「こんなところまでわざわざ御足労頂きありがとうございます」。上座に案内、話を聞くと、男いわく「私は『お菰連盟』の統領、これからはあなたの贔屓になってもよろしいか」、雪之丞いわく「願ってもないこと、よろしくおたの申します」、霙、たまらず「師匠!やめときなはれ、こんなむさ苦しい連中の御贔屓なんて、見たことも聞いたこともおまへん」。雪之丞「おまえ、何てこと言うんや。どんなお方であっても御客様は御客様、そんなにお金持ちの御贔屓が欲しいのなら、とっとと、浪速にかえるがよい!」。男、「ますます気に入った。私の杯を受けて下さい」と言いながら、薄汚れた徳利から、持ち合わせの欠けた茶碗に、腐った酒を注ぎ入れる。それをありがたく頂戴し、一気に飲み干す雪之丞。顔をしかめてみていた霙も、酒はもとより、腐った肴(ちくわ)まで相伴させれる羽目になった。男が帰った後、霙は雪之丞に言う。「師匠、もうあなたにはお仕えできません。お暇を頂戴いたします」。雪之丞、「そうか、それもええやろ、浪速に帰って立派な役者になりいや・・・」泣く泣く別れる師匠と愛弟子、一人残された雪之丞にもはや生きる力はなかった。瞑目し自刃しようとしたその時、霙が血相をかえて飛び込んでくる。「師匠!何をしますんや!やめてくんなはれ」「おまえこそ何をするんや!危ないやないか」と言いながら出刃包丁をもぎ取り合う。霙、必死に「師匠!聞いてくんなはれ、今、小屋の前に行って驚きました。師匠の名前が入った幟がぎょうさん立っておりまんねん」「何やて?」「これまで一本もなかった師匠の幟が立っておりまんねん」「私の幟?・・・何本?」「三千本!!」それはオーバーだが、さっきの男の仕業に違いない。実を言えば、『お菰連盟』の統領とは、大江戸八百八町にその名を知られた新門辰五郎、その人だったのだ。
 市川恵子を中心に、市川おもちゃ、やんちゃとの「絡み」(間のとり方、呼吸の合わせ方)は絶妙、仇役・大川龍子の「貫禄」、汚れ役・市川久美子の「表情」「セリフ回し」も光っていた。まさに大衆演劇の伝統を継承した「至芸」といえるだろう。
大江戸出世小唄大江戸出世小唄
(2005/11/23)
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2017-02-26

劇場界隈・「東海健康センター」・《「鹿島順一劇団」、芝居「月夜の一文銭」の名舞台》

早朝に自宅を出発、新幹線で東海健康センターに向かう。「鹿島順一劇団」(座長・三代目鹿島順一)の舞台を見聞するためである。東海健康センターへは、名古屋駅から地下鉄東山線、鶴舞線と乗り継いで約30分、赤池駅で下車、時計台前から30分毎発の送迎バスに乗車、約5分で到達する。そこは文字通り、「東海の」「健康センター」といった趣で、三河ムード独特の「人なつっこさ」「気安さ」といった空気が、あちこちに漂っていた。食堂では特製のおでん、ジャコ天、焼きそば、きしめん等々、いわゆるB級グルメを十分に満喫することができる。浴場、浴室も広く清潔で申し分なく「パノラマ絶景露天風呂」「中国漢方薬湯」「泡風呂」「ヒノキ風呂」「樽風呂」「遠赤外線サウナ」「美肌湯」「薬草スチームサウナ」等々、多種多様な設備が整っている。個室に宿泊しても1泊1260円が追加されるだけ、年金生活者にとっては、なんと素晴らしい娯楽施設ではあるまいか。案内パンフレットには以下のように記されていた。〈正月公演 鹿島順一劇団 座長 三代目鹿島順一 今年の6月に鹿島虎順改め、三代目鹿島順一を襲名。名跡の重圧と胸に秘めた希望を抱え、突き進む若き座長の「鹿島順一劇団」。当館初登場です。元日よりの正月公演がどんなお芝居で始まるのか乞うご期待下さいませ〉。「乞うご期待下さいませ」といった表現が、何とも「心優しく」、私の心も底から温まった次第である。さて、昼の部、芝居の外題は「月夜の一文銭」。インターネットの情報によれば、その作品は以下のように解説されている。〈原作は大正から昭和にかけて新派の作品を多く手がけた劇作家・川村花菱による悲劇。劇団によっては「月夜の一文銭」という題名で上演されることもある。正太郎は板前のいい腕を持ちながら、スリの子分から足を洗えないでいた。そんなある日、正太郎は幼なじみの牙次郎と再会する。実は牙次郎もまた空き巣狙いやかっぱらいなどをして暮らしていたが、そんな暮らしに嫌気がさし、お互い死ぬ気になって地道に働こうと誓い合う。それから数年後、田舎の料亭で板前をしていた正太郎は、偶然かつての兄弟分・三次と再会する。三次はスリだった過去をばらすと脅して正太郎から二百両をゆすり取り、「銭がなくなりゃまた来るぜ」と言う。思わず正太郎は、持っていた包丁で三次を刺す。正太郎と再会を約した日が近づく中、御用聞きの勘次の手下となっていた牙次郎は、首に百両という賞金のかかった下手人が江戸に向かっているという話を聞く。手柄を立てて出世した自分を正太郎に見せたくて、自分に捕まえさせてくれと勘次に頼む牙次郎。そして約束の日。再会を喜んだ牙次郎に、正太郎は「縄をかけてくれ」と被っていた笠をとる。その額には、賞金首の人相書きと同じ傷があった。捕り手に囲まれた正太郎は、「牙次郎の手柄にしてやってくれ」と勘次に頼むが、牙次郎は自首させようとノ。黙って縄を解いた勘次に礼を言い、正太郎と牙次郎は並んで歩き出す。「あの世までの道連れ」と言いながら。http://www.engeki-g.com/engeki/enmoku/menu/sa.html今日の舞台は、正太郎(正吉こと嵯次郎)に花道あきら、牙次郎に座長・三代目鹿島順一、敵役・(山猫の)三次に太夫元・甲斐文太、御用聞きの寛次(神田明神下・早縄のお京)に春日舞子といった配役で、まさにゴールデンキャスト!。甲斐文太によれば、〈去年は蛇々丸、今年は大吉が辞めました。まぁ何が有ろうと、三代目座長襲名して、まだ一年にも満たぬ半年目ですが、残ったみんなで頑張ります。どうぞ応援宜しくお願い申し上げます〉(「かしま会ホームページ」・「お知らせ」)ということだが、「まあ何があろうと」「鹿島順一劇団」の実力が「日本一」であることに変わりはなく、その出来栄えは「国宝級」であった、と私は思う。とりわけ、甲斐文太の「極悪非道」模様は天下一品、我欲のためには何でもする、殊勝に「改心」の様子を見せながら、したたかに嵯次郎から五十両を掠め取り、ややあって哄笑に転じる風情は最高傑作。途中、嵯次郎役・花道あきらのピンマイクが切れた(故障)と見るや、自分のマイクのスイッチも切り、「肉声」のやりとり(口跡)で舞台を展開する。役者(芝居)の条件は「一声、二振り(顔)、三姿」という常道に即した、とっさの判断に、私は身震いするほどの感動を覚えた。加えて、御用聞きの女親分に扮した春日舞子は、おそらく初役。(少なくとも私は初見)これまで敵役・三次を演じていた蛇々丸の「穴」を甲斐文太が埋め、さらに御用聞きを演じていた甲斐文太の「穴」を春日舞子が埋めるといった計らいで、結果、その方が「見栄えが増す」のだから、観客にとっては望外の幸せというものである。この女親分、男勝りの腕利きだが、牙次郎の前では時として「母性」が表れる。「ぜひとも、十手を貸しておくんなさい」と頼み続ける牙次郎の懸命な姿に、客席から大きな拍手、意を決して「・・・わかった。1回だけ貸してやろう。そのかわり、ここを一歩も離れるんじゃないよ」と言い残して退く姿は、どこか「母親の姿」を彷彿とさせる趣で、たいそう印象的な場面であった。そうした「脇役」の名演技に支えられてか、牙次郎と嵯次郎の「絡み」具合も「珠玉の名品」に仕上がった。座長・鹿島順一の芸風は「渾身の動」、対する花道あきらは、どこか頼りなげな「静」、そのコントラストが、いっそうの「哀しみ」を際だたせる。花道あきらの一つ一つの表情、振り、姿による「無言の演技」が、この芝居の眼目を雄弁に物語っていた。彼もまた、甲斐文太、春日舞子の薫陶によって成長した、斯界の名優であることを、私は確信したのである。
 舞踊・歌謡ショー、昼の部、甲斐文太の「弥太郎笠」、座長三代目鹿島順一の「男新門辰五郎」、夜の部、甲斐文太の「大勝負」、座長の「佐渡の恋歌」は、「立ち役舞踊」の逸品。舞踊・歌謡が「三分間のドラマ」であることを、あらためて確認、そしてまた、やはり男優は「立ち役舞踊」でその「色香」を描出してこそ「実力者」であることを肝銘、今日もまた大きな元気を頂いて「日帰りの」帰路に就くことができたのであった。
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2017-02-25

付録・邦画傑作選・「春琴抄 お琴と佐助」(監督・島津保次郎・1935年)

 原作は谷崎潤一郎、文学の世界では作者特有のマゾヒズム、耽美主義が取り沙汰されているようだが、映画の世界では、お琴(田中絹代)と佐助(高田浩吉)の「師弟愛」が清純に描出されていた、と私は思う。
 お琴は大阪・薬屋の次女、9歳の時に罹患し盲目となった。かねてより琴・三味線を習っていたので、その道を極めようと師・春松検校(上山草人)のもとに通う。その付き添いをするのが丁稚の佐助である。彼はおとなしく気遣いも細かなようで、お琴は気に入っている様子。彼女の性格は勝ち気でわがまま、佐助なら心おきなく自由に操ることができるからであろう。しかし、店の連中は面白くない。「こいさんの手が握れるなんて」とやっかみ半分で佐吉を虐める。お琴の美貌を目当てに、「何とかしよう」という輩・若旦那の利太郎(齋藤達雄)も現れた。番頭?(坂本武)を伴い春松検校に入門する。プレーボーイ然とした齋藤達雄と後見役・坂本武の「やりとり」が軽妙な笑いを誘う。稽古が重なるにつれ、佐吉も音曲に魅入られたか、小遣いを貯めて三味線を買った。店の人々には内緒で、皆が寝静まった夜中、独り物干し台に上がり稽古をしてる所を、お琴の母・しげ女(葛城文子)に見咎められる。周囲には「丁稚の分際で・・」という空気もあったが、お琴はそれを知り「わてが教えたる。弾いてみなはれ」と命じた。恐縮しておそるおそる佐吉が弾き始めると、意外にも「これからわてをお師匠はんと呼びや」とお許しが出た。二人の稽古が始まる。お琴の指導は厳しく、佐吉は泣きながら稽古に励んだ。
 二人の仲は店の外でも評判に・・・、お琴の両親(父役は藤野秀雄)も「お琴はただの身体ではない。望むなら佐助と添わせても悪くはない」と思っているようだ。そのうちにお琴が身ごもった。母が心配して「相手は誰や」と訊ねても、頑として教えない。やむなく生まれた子は里子に出したそうな・・・。 
 月日は流れてお琴は20歳、春松検校の死を機会に淀屋橋で独立、もづ屋春琴という名で弟子を抱えるようにもなった。佐助は一時もお琴の傍を離れずに身を尽くす。時には春琴の代わりに弟子の指導も行った。弟子に中にはちゃっかり利太郎も紛れ込んでいる。春琴の稽古は厳しく、時には弟子を傷つけることもあるようだ。ある時、春琴が佐助と出稽古に出ると、入れ替わりに利太郎がやって来た。その後に怒鳴り込んできたのは弟子(小栗寿々子)とその父親(武田春郞)、弟子は頭に包帯を巻いている。「女師匠を出せ!この傷をいったいどうしてくれるんだ」。春琴が留守だとわかると「ではここで待たせてもらおう」と居直った。その場に居合わせた利太郎、50円を取り出して父親に渡す。父親は「今日の所は帰ってやろう」と渋々帰って行った。利太郎は「やっぱり若ぼんさんはすごい」などと女中におだてられ、ご満悦。そこに戻って来た春琴と佐助に事情を話せば「ウチは厳しい稽古で知られています。気に入らなければ来なければいい。佐助、お立て替え頂いたお金をお返しして!」。そんなこともあってか、春琴は利太郎たち若旦那衆が催す梅の宴に招かれることを断り切れなかった。春琴の琴の音に酔いしれる人々、終演後、利太郎は(佐助と庭を散歩中の)春琴を(手筈通り)独り自室に呼び入れた。「お師匠はん、お差し支えございませんか」と佐助は不安になったが「用があったら呼びます」という言葉で別の間に待機(二人は体よく引き離される羽目に)・・・。しかし、不安は的中、案の定、利太郎が春琴に近づき手を握ろうとしたのだ。春琴は茶わんの欠片で利太郎の額を割り、大声で叫ぶ。佐助が駆けつけると、いとも冷静に「佐助か、往のう!」と後ろも見ずにその場を立ち去った。事態に驚く人々、「まあ、いい。いつかあの鼻っ柱をへし折ってやる」という利太郎の一言で悲劇は始まる、と同時に大詰めへ・・・。
 真夜中、闇の中に押し入った何者かが、寝ている春琴の顔に熱湯を浴びせた。悲鳴に駆けつけた佐助は「アッ!」と叫んで、息を呑んだ。「ダメ! 見ないで。私の顔を見ないで!」と半狂乱の春琴。大急ぎで医者を呼び手当を加えたが、時すでに遅し、春琴の美貌は一瞬のうちに失われてしまった。数日後、あるいは数週間後、まもなく包帯を取る日がやって来る。春琴は「佐助、お前だけには私の顔を見せたくない」と言って泣き伏した。その瞬間、画面が凍りく。御高祖ずきんを被った春琴の頭部だけが、止まったまま、物音だけで時間が過ぎる。その物音は春琴が耳にしている聴覚の世界に他ならない。佐助と女中の対話、琴の音、佐助の「お師匠はん、私も盲になります」というモノローグ、「明日には包帯も取れましょう」という医者の声も聞こえる。しかし画面は動かない。・・・、しばらくして動き出すと、音声とは別の視覚の世界・・・、包帯を外した医者が帰って行く。針を持ち手鏡を見つめる佐助の姿・・・、そして暗転。佐助が両眼を針で貫いたのだ。「お師匠はん、私も盲(めしい)になりました」「佐助、それ本当か。痛うはないか」「お師匠はんの大難に比べれば何のこれしきのこと・・・」「よう決心してくれました。嬉ししゅう思います」といった珠玉の「やりとり」(師弟の交流)が画面に先行する。最終場面はサイレント、「佐助は現実に眼を閉じ、永劫不変の観念境へと飛躍しました。彼の心の目には過去の世界だけが残り、前よりも一層奉公の誠を尽くし、懸命に技を磨いて師匠及び春琴から春台という名を受け、後に温井検校となり、春琴の一生を見守りました」という字幕で「終」となる。
 大詰め最後の10分間程度は、おそらく編集の不具合からか、映像と音声にズレが生じている。音声だけが先行し、画面が遅れて後を追う。しかし、(サイレント映画を見慣れている私にとっては)、その不具合が絶妙の「演出効果」(箏曲の後唄然)となって、たいそう異色な幕切れになったと思う。まさに「珍品入りの傑作」であった。もし、そのズレが意図的なものだとしたら、島津監督の水際だった演出に最大の拍手を贈りたい。
 また、若き日の高田浩吉も魅力的であった。高田浩吉といえば、「大江戸出世小唄」「白鷺三味線」など、「歌う映画スター」の皮切りとして有名だが、盲目の師匠・春琴にどこまでも献身、(かつての丁稚として)弟子の立場を貫く「侠気」が清純にも鮮やかに描出され、光り輝いて見えた。なるほど「いい男」とはこのような姿をいうものなのかと、心底から納得した次第である。 
 加えて春琴を演じた田中絹代もお見事、盲目というハンデを乗り超えて「芸道一筋」、佐助に頼りながら、決して弱みを見せまいとする「女の矜持」を保ち、最後まで師弟という関係を貫こうとする姿が、たいそう清々しく魅力的であった。
 当時の高田は24歳、田中は26歳の若さだが、その演技には、えもいわれぬ「艶やかさ」と「重厚さ」(貫禄)秘められている。昔のスターは凄かった、その輝きは衰えることなく、以後、数十年間に亘って光り続けていたのだから・・・。
(2017.2.23)



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2017-02-24

劇団素描・「南條隆とスーパー兄弟」・《大衆演劇「量的拡大」の旗手》

【南條隆とスーパー兄弟】(座長・龍美麗、南條影虎)〈平成21年1月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 南條隆とスーパー兄弟 演友会所属。初代・南條隆座長が、昭和10(1935)年に、熊本の二本木劇場で「南條隆劇団」を旗揚。宙づりなどのオリジナル芝居で大人気となる。昭和39(1964)年に現在の座長である二代目・南條隆座長が襲名。舞台では美しい夢を見せるというのが、初代からの劇団の伝統。平成7(1995)年より、年間150本にも及ぶ全国ツアーを続けている。スーパー兄弟による、宝塚のような美しく華麗なショーは、多くのファンを魅了している。 座長 南條隆 昭和22(1947)年9月8日生まれ。熊本県出身。血液型B型。演友会会長代行。初代・南條隆の次男。3歳で初舞台を踏む。昭和39(1964)年に17歳で二代目・南條隆座長を襲名。「ショーは宝塚であれ」「美しくあれ」をモットーに、大衆演劇を全国に広めている。座長 龍美麗 平成元(1989)年8月3日生まれ。福岡県出身。血液型AB型。南條隆座長の長男として生まれ、3歳で初舞台を踏む。それ以後、「ちび玉兄弟」として、弟・南條影虎と人気を集めテレビなどでも取り上げられる。平成19(2007)年5月に、座長を襲名。女形の美しさはさることながら、長身を生かした華麗な洋舞も見どころの一つである。座長 南條影虎 平成2(1990)年11月27日生まれ。福岡県出身。血液型O型。南條隆座長の次男として生まれ、2歳の時に舞踊「次男坊がらす」で初舞台を踏む。それ以後、「ちび玉兄弟」のコピーたかしの名で、兄・龍美麗と人気を集めテレビなどでも取り上げられる。平成19(2007)年5月、座長を襲名。若いながら古典舞踊や歌舞伎舞踊などを得意としている〉とある。また、キャッチフレーズは、〈全国ツアーも展開する名門「南條」の舞台! 年間150本に及ぶツアーを展開する「南條隆とスーパー兄弟」。熱く繰り広げられる芝居と宝塚のように華やかなショーを存分にお楽しみください〉であった。
 私がこの劇団の舞台を初めて観たのは、平成19年秋、名古屋・鈴蘭南座であった。この劇場は「昔ながらの芝居小屋」と銘打っているように、そのたたずまい、桟敷席・客筋の雰囲気、売店の「おでん」等々、大衆演劇を楽しむには「最高の環境」を準備している。特に、客席後方の投光器の足元では、本物の「招き猫」が客に愛想を振りまいているなど、入館しただけで、日頃の疲れが癒されるという仕組みになっている。そんな中で、南條隆の「立ち役舞踊」、南條影虎の舞踊「俵星玄蕃」と「夢千代日記」は、天下一品の出来栄えとして光り輝いていた。あれから1年以上経過したが、当時の「華麗な舞台」は、そのまま健在であった。プロフィール、キャッチフレーズにもあるように、この劇団の使命が「大衆演劇を全国に広めること」だとすれば、その責務は十分に果たされているといえるだろう。その方向は、いわば「量的な拡大を図ること」、どちらかといえば「質的な向上」が「二の次」になることはやむを得ないかもしれない。事実、今回の舞台、1年以上前に比べて大きな「変化」(へんげ)は感じられなかった。芝居の外題は「上州百両首・月夜の一文銭」。みなしごの義兄弟が「堅気になって、出世争い」を決意、再会を約して一文銭を交わし合う。そして約束の日、兄は盗賊、弟は目明かしの下男として再会、弟が兄を召し捕って閉幕という大衆演劇の定番。だがしかし、この劇団の役者は「二枚目」ばかり・・・。
「三枚目」の弟役を龍美麗が「藤山寛美もどき」で演じたが、「所作」「表情」が「今一歩阿呆になりきれない」。
 まあ、それはそれでよし、「大衆演劇を全国に広めるために」活躍を期待したい。
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2017-02-23

劇団素描・「松丸家劇団」・《芝居「女装男子」はお家芸》

【松丸家劇団】(座長・松丸家小弁太)〈平成22年1月公演・浜名湖ロイヤルホテル〉
座員は、花形・咲田せいじろう、女優・美鈴、こもも、光姫、ちょうちょ、若手・ドロンこうたろう、ともや、子役・ちびた、といった面々であるが、後見(太夫元?)は座長の父・松丸家弁太郎である。この弁太郎、何を隠そう、今や(実力では)斯界の第一人者(だと、私が思う)・二代目鹿島順一の兄ということで、さぞや魅力的な舞台が見聞できるだろう、と胸躍らせて馳せ参じた次第である。芝居の外題は昼の部「大利根無情」、夜の部「女装男子」。舞台の出来映えは、いずれも「水準並以上」で、えもいわれぬ「艶やかな」空気に充ち満ちた景色の連続であった。それというのも、美鈴、こもも、光姫といった女優陣の「実力」「活躍」が目立つからであろう。また、昼の部・歌謡舞踊ショーでは、「洋舞曲」ゼロ、《和風》に徹した演出が見事であった。座長の歌唱「惚れた女が死んだ夜は」は絶品、舞台・ちょうちょの舞踊とのコンビネーションも素晴らしい。芝居夜の部「女装男子」は、「鹿島順一劇団」の十八番、なるほど祖父・初代鹿島順一の伝統を受け継ぐ「お家芸」だったのか。出来映えは、「鹿島劇団」には及ばないが、女装がばれたあとの若様(松丸家小弁太)と、敵役(咲田せいじろう)との(俗曲に乗せた、舞踊風)「立ち回り」は、一幅の錦絵、絵巻物のように「華麗」であった。「演劇グラフ」(2008年10月号)の情報によれば、座長・松丸家小弁太は14歳で(母・松丸家美里から)座長の座を譲り受け、以後、姉・美鈴、こもも、妹・光姫らと一緒に舞台を引き継いで10年が経過したという。近江飛龍、近江新之介、鹿島順一らは「親族」、芝居や舞踊のあちこちに、彼ら先輩の「面影」が見え隠れするのも当然であろう。しかし、そうであればあるほど、私が見聞したかったのは、母・松丸家美里や、父・松丸家弁太郎の「舞台姿」、弁太郎は「大利根無情」の仇役で一見できたが、それだけではまだまだ不満足、いつまでも元気に活躍して欲しいと念じながら、帰路についた次第である。
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2017-02-22

付録・邦画傑作選・「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)

 ユーチューブで映画「生さぬ仲」(監督・成瀬巳喜男・1932年)を観た。原作は大正時代に連載された柳川春葉の新聞小説で、ウィキペディア百科事典ではそのあらすじが以下のように紹介されている。

 東洋漁業会社社長、渥美俊策の一子、滋子をめぐって生母、珠江と、生さぬ仲の継母、真砂子との葛藤をえがく。
【成瀬版映画あらすじ】
 ハリウッドで女優をしている珠江は、前夫である俊策のもとに残してきた娘・滋子を取り戻すため、日本に一時帰国する。6歳になる滋子は後妻の真砂子を本当の母と思って育っている。俊策は事業の失敗から刑務所に収監され、家屋敷を失った真砂子と滋子は俊策の母・岸代とともに侘び家で暮らし始める。貧乏暮らしを嫌う岸代は、珠江に協力して、真砂子に内緒で滋子を連れだしてしまう。悲しむ真砂子は、俊策の友人・日下部に協力を求めて滋子の行方を捜す。珠江は一生懸命滋子の機嫌をとるが、滋子は継母・真砂子を慕い、家へ帰りたいと泣き暮らす。行方を突き止めた真砂子は珠江の家を訪ねるが、滋子とは引き離されてしまう。日下部は珠江に、本当の母とは何かを説く。泣き叫ぶ滋子を見て、ついに珠江は滋子を真砂子の元に戻し、アメリカで作った財産を真砂子に譲り、アメリカに帰っていく。

 成瀬監督は女性映画の名手と言われている。なるほど、この映画に登場する4人の女性、渥美絹子・改め清岡珠江(岡田嘉子)、渥美真砂子(筑波雪子)、岸代(葛城文子)、滋子(小島寿子)の「葛藤」は真に迫っていた。夫・渥美俊策(奈良真養)と生まれたばかりの滋子を捨て渡米、ハリウッド女優になった珠江は、人気と財力にまかせて滋子を取り戻そうとする。岸代は根っからの貧乏嫌い、会社を倒産させてしまった俊策を責め立てる。真砂子は渥美家の後妻だが、継子の滋子を慈母の風情で育んでいる。滋子は真砂子を「本当のお母さん」と慕い、実母の珠江を拒絶する。4人が4人とも「自己」を主張し、対立・葛藤が激化する有様が、見事に描出されていた。
 一方、男性は5人登場する。漁業会社社長の渥美俊策、その友人で貧乏浪人の日下部正也(岡譲二)、珠江の弟でヤクザの巻野慶次(結城一朗)、その弟分、ペリカンの源(阿部正三郎)、滋子の遊び友達(突貫小僧)である。
 女性陣に比べて、男性陣は迫力がない。いずれもが、結局は女性に追従する。当時の風潮は表向きは「男尊女卑」だが、内実は「女権社会」そのもので、男性相互の対立・葛藤はほとんど際立たない、といった演出がたいそう面白かった。つねに事を起こすのは女性であり、男性はそのまわりをウロウロするか後始末に奔走するのである。わずかに、日下部が「生むだけでは母の資格はない。育てて始めて母になれるのだ」と珠江に迫るが、彼女を翻意させたのは、実子・滋子の真砂子への慕情に他ならなかった。珠江の財力によって渥美一家が救われるというハッピーエンドも「女性優位」の証しである。
 最も興味深かった場面、会社が倒産寸前、藁をも掴む思いの俊策に融資を申し出たのは珠江、二人は対面するが、俊策の表情はたちまち強ばり、「夫と子どもを捨てた女に助けて貰う気はさらさらない」と言って断固拒絶、自ら収監される道を選ぶ。一方、俊策の母・岸代もペリカンの源に誘われて珠江と対面、俊策とは打って変わってニッコリ・・・、「立派になられておめでとう」と祝福する。そこから事は始まるのだが、珠江に対する(俊策と岸代の)態度の違い(コントラスト)、女性同士の絆が織りなす人間模様、その周囲で翻弄される男性相互のアタフタ沙汰の描出がこの映画の眼目であろう。加えて、わずか6歳の滋子も行動的である。珠江とのかかわりを断固拒否、岸代に真砂子の元に戻りたい懇願する。叶わないと思えば、周囲の目を盗み、敢然と(分身の「青い目の人形」を携えて)脱走する。結果は失敗に終わり人形も失われたが、滋子の思いは変わらない。
 そうした女性の強さ、たくましさ、したたかさが随所に散りばめられている。まさに、女性映画の名手・成瀬巳喜男監督ならではの作物であった。大詰め、米国に帰る珠江、随行を許されて大喜びの巻野と源は大型客船のデッキの上、それを見送る渥美一家と日下部たち、俊策も珠江の姿を見つけて懸命に手を振った。しかし、珠江はそれに応えることなく独り、船室に姿を消す。その心象風景(「生みの親より育ての親」)も鮮やかに、この映画の幕は下りたのである。
(2017.2.19)



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2017-02-21

劇団素描「本家真芸座」・《本格的な芝居と、絶品の女形舞踊》

【本家真芸座】(座長・片岡梅之助)〈平成21年1月公演・小岩湯宴ランド〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 本家真芸座 所属はフリー。「真芸座」として故・片岡沢次郎太夫元が昭和48(1973)年に旗揚げ。その後、「本家真芸座」と名を改め、片岡梅之助座長が伝統を継承し、座を引っ張っている。座長 片岡梅之助 劇団座長 昭和51(1976)年4月28日生まれ。福岡県出身。血液型A型。兄は「真芸座輝龍」座長・駒澤輝龍。弟は「新生真芸座」座長・哀川昇。伝統をきっちり受け継いだ芝居と情感たっぷりの女形が魅力〉とある。またキャッチフレーズは、〈真の芸を貫く舞台は迫力満点!!魅せる艶やかな女形、そしてしっかりと伝統を引き継いだ本格派のお芝居を、肌で感じてください〉であった。夜の部、芝居の外題は「十六夜鴉」。大衆演劇の定番で、筋書は「瞼の母」の〈兄弟鴉〉というところか。骨箱(弟の遺骨在中)をぶらさげた旅鴉(哀川昇)が料亭・深川にやってきて、女将(矢島愛)に面談、「親子名乗り」を申し出るが、女将は拒絶。「せめて、弟の骨箱ぐらいは抱いてあげてください」という願いも叶えられず、旅鴉は退場。そこへ、敵役の親分(座長・片岡梅之助)がやってきて、料亭、女将、その娘への「いやがらせ」「無理難題」をふっかける。あわやというところへ、旅鴉、再び登場。その親分一味を「始末」して、凶状旅へ・・・、という顛末であったが、舞台の「景色」は、なるほど本格派。その伝統とは「九州劇団」の「こってり味」で、なんとも「重苦しい」雰囲気であった。旅鴉と女将の「やりとり」が、開幕から30分、延々と続く。「これでもか」「これでもか」という「せめぎあい」(葛藤)を描出したい意図を(頭では)理解できるが、気持ちがついて行けない。とはいえ、最近の関東の客も「本格派」らしく、水を打ったように「集中」していたのには驚いた。まさに「本格派のお芝居を、肌で感じていた」という他はない。
 舞踊ショーの舞台も「こってり味」、それぞれの役者が個性を生かしながら「決して手を抜かない」「誠実な」演技を披露していた。座長の「情感たっぷりの女形」は天下一品、その「容姿端麗さ」においては斯界の有力者たち(梅澤富美男、鹿島順一、見海堂駿、里見要次郎、都若丸、南條光貴、姫錦之助、大川竜之助、市川千太郎、紫鳳友也、小林真・・・)の中でも右に出る者はいないであろう。弟・哀川昇の「女形舞踊」も、「大川竜之助ばり」で魅力的。その結果、「立ち役」が力不足気味、数多い女優陣の挑戦・奮起を期待したいところである。
 芝居が終わり、帰路につこうとする客でカウンター前は「ごった返して」いた。私は会計精算の窓口にできた行列の最後尾に並んでいた。前の客が終わり、「私の順番になった」と思ったとき、(一瞬の間隙を突いて)すうっと左側から「割り込んで」きた中年女性がいた。従業員が「順番です。後ろにお並びください」と言うと、その「おばさん」が私に向かって言う。「あれ?あたし、並んでいたわよねえ?」、私はそれには応えず、「どうぞ、お先に」と退いた。腹の底では、おかしくてたまらない。この「おばさん」は、毎日、どのような生活をしているのだろうか。自分が並んでいたかどうかもわからない。周りの様子もわからない。いつも、自分中心に世界が回っている。自分の思いを通すことが「生きる」ことなのだろう。案の定、「駐車場料金がどうのこうの・・・」ど、会計精算の内容で、また、もめている。そんな時、もう一人の従業員が、さっと、別の窓口(これまでは閉鎖中)を開け、「お次の方、こちらへどうぞ!」と、私を導いてくれた。カウンター内で、で一部始終を見聞していたであろう、その従業員の「粋な計らい」に大いに満足、さすが、ここは東京小岩、江戸前の「垢抜けた」伝統はまだ息づいていたのかと、快哉を叫びつつ帰路につくことができた。これで、明日からも気分よく「通える」というものである。
長谷川伸原作「瞼の母」より 母恋鴉長谷川伸原作「瞼の母」より 母恋鴉
(2010/05/26)
天童よしみ

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2017-02-20

付録・邦画傑作選・「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。前作「学生ロマン若き日」の続編である。W大学応援部の高橋(齋藤達雄)たちは、いよいよ卒業試験の時期を迎えた。試験場では監督(大国一郎?)の目を盗みあちこちでカンニング、その方法も様々である。学生同士は皆「仲間」、高橋が後ろを見て「三」と指で示せば、すかさず学友が「三」の答を紙に書き(机間巡視中の)監督の背中に貼り付ける。監督が高橋の脇を通り過ぎる瞬間にそれを取ろうとするのだが、監督が振り向いた。あわてて手を引っ込め時計を見る。そのやりとりを繰り返す光景が何とも可笑しかった。その日の試験は終了、高橋たちは下宿に戻る。そこは賄い付きの大部屋、五、六人の学生がひしめき合って
いる。配役の字幕には、落第生・横尾泥海男、関時男、及第生・月田一郎、笠智衆などと
記されているが、笠智衆の他は誰が誰やら、判然としなかった。高橋は明日の試験のためにカンニングの準備、白いワイシャツの背中一面に答案を綴る。一同は勉強に疲れ眠気が襲ってきた。「何か食べよう」と二階の窓を開けて、向かいの喫茶店に声をかける。顔を出したの看板娘(田中絹代)。どうやら高橋とは恋仲の様子。おか持ちにサンドイッチを積んで持ってきた。取り次ぎに出た下宿屋の息子(青木富夫)もおこぼれを頂戴する。和気藹々の空気が爽やかである。娘は帰り際、高橋を呼んで角砂糖をプレゼント、卒業祝いのネクタイも編んでいるらしい。やがて、一同は雑魚寝状態で眠りに就いた。
 翌朝、「朝だよ!早く皆起きて!」と、下宿のおばさん(二葉かほる)が入ってくる。
あたりを見回せば部屋は散らかり放題、一同を叩き起こして汚れ物をまとめる。ふと目に付いたのは白いワイシャツ、それも一緒に持ち去ってしまった。最後に起き出した高橋、ワイシャツは?と探したが後の祭り、おばさんが出前のクリーニングに出してしまったとは・・・。
 かくて卒業試験は終了、卒業生名簿が掲示された。経済学部77名の名が記されていたが、高橋の氏名はない。一人の学生が学務課に泣きついている。「よく調べて下さい」「成績が悪いんだからしょうがない」などと問答をしている。高橋は肩を落として庭に出ると、同様に落第した応援部の仲間4人が待っていた。でも、屈託がない。肩を組み、足を踏みならして「四月にまた会おう」、落第なんてどこ吹く風と別れて行った。
 高橋は喫茶店に戻り、独りケーキを食べている。そこに学務課に泣きついた学生が入ってきた。「何とか及第したよ。君からいろいろ教えてもらっていたのに、申し訳ない」と謝れば「おめでとう」と応じる。しかし、淋しさ、悔しさは隠せない。そこにやって来たのは娘、あわてて席をはずしていった学生を見て「あの方、どうだったの」「何とかビリで卒業できたよ」「そう、でもこれからの就職が大変ね。あなたは運動部だから安心だけど」、娘はまだ高橋の落第を知らないらしい。そこにどやどやと及第組の学生たちが入ってきた。「それじゃあ」と高橋は出て行く。 
下宿に戻った高橋、しげしげと握り鋏(和鋏)を見つめている。おもむろにその先端を
喉に突き立てようとして引っ込める。やがて足袋を脱ぎ足の爪を切り始める。そこに息子がやって来た。「御飯を用意したから、皆で一緒に食べようよ」。しかし、自分以外は皆及第なので気が進まない。躊躇しているとビリで卒業する学生が誘いに来た。「売り払った本を買い戻してくる」と外出の素振りを見せるが「自分の本を使えばいい、皆あげるよ」。とうとう祝いの席に連れて行かれた。
 おばさんの手料理(チラシ?赤飯?ビールもある)が待っている。「それにしても高橋さんだけ落第だなんて気の毒ね」。息子が「ラクダイって何だい?」と尋ねるが、一同は俯いて応えられない。「ねえ、ラクダイって何さ」と再度尋ねれば、ビリの学生曰く「ラクダイとは偉いということだよ」・・・。
 翌日、及第組は楽しそうに学生服を背広に着替えてハイキングへ。独り高橋は部屋に残り、箱入りの背広などに目をやり無聊を託ってる。机の引き出しを開けると、娘からプレゼントされた角砂糖がでてきた。それを積み上げたり、放り投げて口で受けとめる等しているところに息子がやって来た。「坊や、大きくなったら何になりたい?」「小父さんのように大学に行き、ラクダイになるんだ!」思わず、ずっこける高橋、そこに娘が訪ねてきた。あわてて息子に角砂糖をプレゼント、追い払う。娘は卒業祝いのネクタイを持ってきたのだ。箱入りの背広を取り出して「着てごらんなさいよ。よく似合うわよ。ネクタイ締めてあげるわ。今日は活動にでも行きましょうよ」。しかし、落第したことを隠している高橋の表情は冴えない。思い切って「あのね、ボクは背広を着る資格が無いんだ」と言いかけると、娘は「卒業しないからといって、背広を着てはいけなということはないわ。あたし、何もかもみんな知っているのよ。あんなに勉強したのにね」と涙ぐむ。でも二人は若い。気をとりなおして活動へ出かける・・・。
 やがて4月、新学期がやって来た。しかし、なぜか卒業組の4人はまだ高橋と一緒に下宿住まい、就職出来ず、仕送りも途絶えて、背広を質屋に入れる有様で、手紙が届いたと思えば「不採用」の通知、すっかり落ち込んでいる。落第した高橋は元気いっぱい、「パンでも食べろよ」と小銭をカンパする。そして迎えに来た落第組と共に学校へ・・・。「こんなことなら、急いで卒業するんじゃなかった」とぼやく面々の姿があわれであった。学校はまもなくWK戦の季節、後輩たちを集めて応援の練習に取り組む落第組の姿が、生き生きと映されて、この映画の幕は下りる。
 なるほど「落第はしたけれど」日本男児は健在なり!という「心意気」がひしひしと伝わってくる傑作であった。とりわけ、当時の「学生気質」が(エリートには違いないが、互いに相手を思いやる「温もり」)感じられて清々しく、競争にあけくれる現代の学生と一味違った人間模様が、鮮やかに描出されていた。子どもから「小父さん」と呼ばれ、タバコ、酒もたしなむ学生が、一方では「仲間と肩を組んで、ステップを踏む」「角砂糖を積木のように積み上げたかと思うと、放り投げて口で受けとめる」など愛嬌・滑稽な振る舞いを見せる「アンバランス」も魅力的であった。小津監督自身は旧制中学で寄宿舎生活を体験、その後、神戸高等商業学校、三重師範学校を受験するがいずれも「落第」(不合格)、小学校の代用教員を経て、松竹蒲田撮影所に入社した。大学生活は未経験にもかかわらず、前作の「学生ロマンス若き日」に続き、往時の「学生気質」をここまで詳細に描出できるとは驚嘆すべきことだと、私は思った。 (2017.2.17)



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2017-02-19

劇団素描・「一見劇団」・《楽しみな、ベビーア太郎の「将来」》

【一見劇団】(座長・一見好太郎)<平成20年1月公演・十条篠原演芸場>
 座員は、古都乃竜也(座長の実弟)を筆頭に、一見隆夫、紅金之助(17歳)、一見裕介、太紅友希、ベビーア太郎(9歳)、そして日暮里在住の大門力也が友情出演している。芝居も舞踊も「実力」は、平均水準を超えていた。特に、座長の女形舞踊は、上品な「色香」が漂い、関西の里見要次郎、大川良太郎、姫錦之助、都若丸らとは「一味違う」魅力がある。どちらかといえば、関東の紫鳳友也(劇団・美鳳総座長)、澤村蓮(劇団・章劇)と重なる「芸風」と感じたが、将来、それ以上の実力を発揮するかも知れない。所作、表情にコケティッシュな「媚び」がないことが素晴らしい。帰路の電車の中で耳にした、贔屓筋の評価によれば、「何をやっても絵になる」「特に股旅姿がたまらない」「いつも全力で舞台を務める」「何回見ても飽きることがない」ということであった。女形舞踊の上品な「色香」の中に、「太地喜和子」的な雰囲気が加われば、第一人者になれるのではないだろうか。古都乃竜也との相舞踊「北の蛍」は「絵になっていた」が、それ以上の「至芸」にまで高めることを期待する。(その舞台を見ながら、私は鹿島順一の「歌唱・北の蛍」の姿を思い出していた・・・。)芝居では、五木ひろしの「旅鴉」にのり、股旅姿で颯爽と登場する。座長の立ち役(股旅姿)も「絵になっていた」が、渡世人の「やるせなさ」(ニヒリズム)を、より際だたせるために「市川雷蔵」的な雰囲気が加わることを期待する。いずれにせよ、将来、第一人者になる可能性を秘めた座長であることは間違いない。
 座長の「補佐役」・古都乃竜也も「実力者」である。「補佐」とは上役を「助ける」ことだが、そのためには上役以上の「実力」を要求される。古くは梅澤富美男、昨今では、二代目・恋川純、南條影虎、小泉ダイヤを想起する。古都乃竜也もまた、その役割を立派に果たしていると思う。いわば、座長の「引き立て役」だが、その役に徹すれば徹するほど、光り輝く存在になる。そのことを念頭に精進を重ねてもらいたい。一見隆夫、むずかしい役回りを好演、ふっと力を抜いた表情、所作が魅力的である。今後、いぶし銀のような「三枚目」として実力を発揮する可能性を秘めている。
 座員の「舞踊」能力は平均水準以上、中でもベビーア太郎(9歳)の「関東春雨傘」「よさこいソーラン(?)」は、見事な「できばえ」であった。大人顔負けの所作、舞台から客席の空いている桟敷に飛び降りて踊る「演出」など、将来が楽しみである。荒城蘭太郎と肩を並べる日も遠くはないだろう。
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2017-02-18

劇団素描・「里見劇団進明座」・《芝居「女小僧三吉」》

【里見劇団進明座】(座長・里見要次郎)<平成20年1月公演・大阪鈴成座>
約20年ぶりに観る里見要次郎は懐かしかった。かつての「艶姿」は健在であり、それに20年間の舞台経験を重ねた「貫禄」が加わっている。一部の「顔見せショー」では、かつての座員は一人も登場しなかったが、二部の「芝居」では、座長の母・美富士桂子(70歳)、旧座員・里見かずのりの姉(芸名・失念)が登場、外題は「女小僧三吉」、歌舞伎の三人吉三、弁天小僧、播随院長兵衛をミックスしたような筋立て(喜劇)であったが、女小僧三吉役の座長・里見要次郎、長兵衛「もどき」の里見龍星、その女房・(芸名忘念の女優)、水野十郎左右衛門「もどき」のタカダヒロユキ、日本駄右衛門「もどき」・盗賊の頭(美富士桂子)、南郷力丸「もどき」の三枚目・里見直樹と「役者は揃っており」、安心して(往時をしのびながら)鑑賞することができた。とりわけ、かずのり・姉の成長ぶりは目を見張るほど、かつては純情可憐な娘役がはまっていたが、今や、体格ともども「大年増」を堂々と演じられるようになっていた。
昨年来、ほぼ40余りの劇団を見聞してきたが、どの座長も、特に関西の若手座長は、里見要次郎の芸風を「お手本」にしているような気がする。都若丸、大川良太郎、小林真などの女形舞踊は、その「表情」「所作」「衣装」において「瓜二つ」であり、極言すれば、彼より年下(45歳未満)の役者すべてに大きな影響力を与えているようだ。関東では、梅澤富美男が突出していたが、彼の芸風を継承している役者は見当たらない。今、林友廣の影響力が大きく、林京助、小林志津華、桂木昇らの「男っぽい」「立ち役」が主流を占めているのではないか。
 大歌舞伎界と同様、大衆演劇界においても、関東と関西の違いは歴然としている。関東は「無骨」「淡麗」「粋」「男伊達」、関西は「華麗」「繊細」「ど派手」「愁嘆」を目玉にする傾向は当然だが、いわゆる「くさい芝居」を「くさい」ままに終わらせないところに関西の「実力」(魅力)が秘められているように思う。言い換えれば、関東は「あっさり」していて後に残らない。関西は「こってり」しているが、その「しつこさ」が後を引く、ということである。どちらを好むか、それは観客の自由だが、その両方を兼ね備えているのが「鹿島順一劇団」ではないかと私は思う。
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2017-02-17

付録・邦画傑作選・「淑女と髭」(監督・小津安二郎・1931年)

サイレント喜劇映画の傑作である。冒頭は剣道の大会場面、皇族の審判長(突貫小僧)も臨席しているが、興味なさそうに何かを吹き飛ばして遊んでいる。学生の岡島(岡田時彦)が次々と勝ち進み敵(学習院?)の大将(齋藤達雄)と対決する。しかし、岡島の戦法は「いい加減」、試合を中断する素振りを見せ、敵が油断した隙を突いて「面」を取るという、極めてアンフェアな技を駆使する。それを知り尽くしている大将も同じ戦法で臨んだが、「いい加減さ」では岡島の方が上、あえなく一本「胴」を取られてしまった(剣道大会そのものが戯画化されていることは興味深い)。大喜びする学生の応援団、その中でも親友の行本(月田一郎)は「岡島の胴は天下無敵だなあ」と感嘆する。優勝した岡島が面を外すと、鍾馗(しょうき)然とした髭面が現れた。試合後、行本は「おめでとう!今日は妹の誕生日だし家に来いよ。祝杯をあげよう」と岡島を誘う。
行本家では妹・幾子(飯塚敏子)の誕生パーティーが始まろうとしている。行本は家令(坂本武)と新聞紙を丸めた刀で剣道の真似事、立場は行本が上だが腕は家令が上、「若様、ゴメン」と一本取られてしまった。憤然とする行本、平謝りの家令、その場の様子が聞こえてくるようで、たいそう面白かった。
 一方、岡島は、学帽に羽織袴、朴歯に杖というバンカラ姿で行本家に向かう。その途中、若い女同士が道ばたで揉めていた。洋装の不良モガ(伊達里子)が和服のタイピスト広子(川崎弘子)から金を脅し取ろうとしているらしい。しつこくつきまとい金を巻き上げた瞬間、腕を掴まれた。岡島が助け船を出したのだ。蟇口を取り戻し「早く、お帰んなさい」と広子を退かせる。すかさずやって来たのが与太者二人、「余計なマネをしてくれたな」と殴りかかってくるのを、一人は「胴」、もう一人は「小手」と杖の早業、なるほど「岡島の胴は天下無敵」であったのだ。「おぼえていやがれ」というモガに「その不格好な洋装は忘れられんよ」と笑い飛ばし、「失敬」と去って行く姿が実に爽やかであった。
 岡島が行本邸に着くと、誕生パーティーが始まっていた。あたりを見回して「女ばかりじゃないか」と不満そう、幾子も「またあの髭ッ面を連れてきたの。時代遅れであたしダイッキライ」と行本を責める。「いいじゃあないか、お前たちが感化してモダンにしてくれよ」ととりなすが、岡島は挨拶の後、イスに座り込んでケーキを食べまくる始末、幾子は行本を引っ張り、その場から出て行ってしまった。残った女友達6人(その中には井上雪子も居る)、岡島に恥をかかせようと相談「一緒に踊ってくれませんか」。岡島「二人では無理ですが一人なら踊れます」。・・・、家令の詩吟で剣舞(「城山」?)を踊り出す。その姿は抱腹絶倒、「天下無敵」の名舞台であった。しかし、女友達一同は、呆れかえって早々に帰ってしまった。それを知って泣き出す幾子・・・。私の笑いは止まらなかった。 やがて、大学は「就活」の季節。岡島も髭面で面接試験を受けに行く。その会社の受け付けにいたのは偶然にもタイピストの広子、さらにまた偶然に社長も(岡島より貧相な)髭面、結果は不合格であった。広子は岡島のアパートを訪ね、「あなたが不合格になったのは髭の所為、お剃りになれば・・・」と勧める。またまた偶然にもアパートの隣は床屋であった。
 広子の助言に従った岡島はたちまちホテルに採用される。その報告をしに行本家へ、行本は残念がったが、幾子は大満足、すっかり岡島に惚れ込んでしまったか・・・、上流階級の見合い相手、モボ(南條康雄)に向かって「剣道をしない人とは結婚いたしません」「なぜです?」「私の身を守っていただけないから」「警察と治安維持法が守ってくれますよ」「それならあたし警察か、治安維持法と結婚します」といった「やりとり」が、当時の世相を反映して(皮肉って)、たいそう興味深かった。小津監督の反骨に拍手する。 岡島は広子の家にも報告・御礼に訪れたが、広子の母(飯田蝶子)はセールスと間違えて玄関払い、様子を見に来た広子に「私を助けてくれた岡島さんじゃないの」と言われ、ビックリ仰天、一転して愛嬌を振りまく景色には大笑い。広子もまた小父さんが持ちかけてきた縁談を断って、岡島に嫁ぎたいと言う。母はやむなく、岡島の真意を確かめに勤め先のホテルへ・・・。岡島の仕事はフロント係。母からの話は「願ってもないこと」と快諾して持ち場についたのだが、ホテルにたむろする不良のモガ一味、盗品の隠匿?、売買?に巻き込まれたか・・・?(モガが、ホテルで食事中の客から掏り取ったブローチを手紙に包んでフロントに投げ込んだように見えたが、手紙の文字が判読できないので詳細は不明)夜の7時、モガがハイヤーでホテルに乗りつけた。なぜか髭をつけた岡島、その車に乗り込み、モガを自分のアパートに連れて行く。部屋に入った二人・・・、岡島はモガに向かって「両親はいないのか、兄弟は?」などと尋ねるが「あたいは前科者」という答が返ってくるだけ。着替えようとして着物がほころびているのに気がついた。それを縫おうとすれば、モガが取り上げて縫おうとする。しかし、縫い物は二人とも苦手、そこは洗濯ばさみではさんでズボンを脱いだ。モガが「あたい、あんたが看てくれるならまともになろうと思うんだ」などと言った時、突然入り口のドアが開いて、行本、母(吉川満子)、幾子が訪れた。縁談話を持ってきた様子、しかし、女が居る。母は「まあ、汚らわしい。だから言わないこっちゃない。所詮釣り合わないことなんだ!」と呆れ、涙ぐむ幾子を急かせて出て行く。行本は「すまん!」と笑顔混じりに帰って行った。
 いよいよ大詰め、翌朝、今度は広子がアパートにいそいそとやって来る。ドアをノックすれば出てきたのはモガ、「あなたは、どなた?」(もないもんだ!いつか喝上げをした相手をもう忘れているとは・・・)広子は毅然と「私は岡島さんの恋人です」と言い放ち入室する。部屋の隅では岡島が剣道着のまま寝込んでいる。ほころびたままの着物を被りながら・・・、広子はそれを手に取り洗濯ばさみをはずしながら、一針、一針縫い始めた。その様子をじっと見ているモガ。やがて、岡島が目をさました。広子を見て「この女が居るのに、よく帰ってしまわなかったね」「ええ、私、確信していますから」。岡島、思わず「偉い!」と叫んで広子の手を握りしめる。・・・二人の様子を見ていたモガ、意を決したように「岡島さん、あたい、もう帰るよ」「また、仲間の所へか」「ううん、あたい、あんたが忠告してくれたようにするよ。この方のように、確信をもって生きていくんだ」と言う。そして広子に頭を下げた。頬笑んで送り出す広子に微笑み返す。やがて、窓から見送る二人に何度も頭を下げ、最後は大きく手を振ってモガの姿は見えなくなった。
 映画の前半はスラップ・スティックコメディ、後半はラブ・ロマンスに転じ、ハッピーエンドで大団円となる。思いが叶わなかったのは、上流階級の面々といった演出が小気味よく、さわやかな感動をおぼえた。また、行本が妹・幾子に「髭を生やした偉人」を次々に紹介、その中にカール・マルクス(の写真)まで含まれていようとは驚きである。さらにまた、岡島が広子から「どうして髭をお生やしになりますの」と問われ、リンカーンの肖像画を指さして「女よけです」と答えると、クスリと笑って「無理ですわ」と広子が応じる場面もお見事、「剃っても刈っても生えるのは髭である」(アブラハム・リンカーン)というエンディングの字幕がひときわ印象的な余韻を残していた。(2017.2.16)



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2017-02-16

劇団素描「劇団荒城」・《「芝居の日」、荒城真吾・照師兄弟のリアリズム》

【劇団荒城】(座長・荒城真吾)〈平成26年1月公演・小岩湯宴ランド〉
今日は中日(前半)の千秋楽とあって「芝居の日」とやら、昼・夜とも第一部が舞踊・歌謡ショー、第二部が芝居という構成であった。おまけに、芝居の外題も示されていない。そこで、私が勝手に作ると昼の部、芝居の外題は「国定忠治の裏舞台」。要するに、大衆演劇の、ある劇団が「国定忠治」を舞台にかける際に生じた「内輪もめ」の物語である。幕が上がると、そこは楽屋裏、今しも座長(荒城和也?)が今度、舞台にかける公演の話をしている。外題は「国定忠治」、「今回の忠治は(花形?)コージ(座長・荒城真吾)にやってもらう!山形屋は副座長だ」。しかし、それを聞いた副座長(後見・荒城照師)が黙っていない。「忠治は、副座長のオレでしょう。コージなんかじゃ客が呼べない」、しかし座長は聞き入れない。「これは、太夫元(姫川豊)が決めたことだ」。もめているところに太夫元もやってきた。副座長、腹の虫がおさまらず太夫元にも食ってかかったが、「つけあがるな、役者は思い上がってはいけない。今回は、山形屋(仇役)に回って、コージを助けてやれ」とたしなめられた。「わかりました」といえばこの芝居は終わりだが、そうは問屋が卸さない。副座長、夜中に太夫元の部屋に闖入し、扼殺する。それを目撃した若手役者(荒城勘太郎)をなかば恫喝して懐柔する。コージは忠治の大役は荷が重すぎると思ったか、太夫元の部屋にやって来たが、待っていたのは太夫元の亡骸、そばに副座長のライターが落ちていた。以後は「お決まり」の敵討ち、芝居の稽古中に、コージが副座長を刺殺(実は、瀕死の重傷を負わせて)して大詰めへ、といった筋書きであった。見所は二つ、一つは後見・荒城照師の「悪逆非道」の風情・・・。自分が主役をはれない腹いせに太夫元を殺害するなど、常識では考えられない。いわば「人非人」(人でなし)の典型だが、その異常さを「体全体」を使って描出する。とりわけ、タオルに水を浸して太夫元の枕元に忍び寄り、静寂のうちに息の根をとめるまでの「一部始終」はリアリズムの極致といった迫真の演技で、まさに「殺しの美学」とでもいえようか。二つは、スッピンのコージが「国定忠治」に変身するまでの化粧・衣装(着付け)の景色、客はいつもは見られない舞台裏の模様を20分あまりにわたって満喫することができた。(とはいえ、長すぎた・・・)夜の部、芝居の外題は、清水次郎長伝より(再び私の命名によれば)「異本・お蝶供養」。旅先で、次郎長(座長・荒城真吾)の女房・お蝶(芸名不詳・姫乃純子?)は病死、保下田の久六(姫川祐馬)のところに金(お蝶の治療代)を借りに行った森の石松(荒城勘太郎)は、50両調達してもらったのに、「貸してくれなかった」ということにして久六を斬殺する。次郎長は石松を信じて「金毘羅代参」を託したが、久六の子分(芸名不詳・蒼城莉也?)の証言で「事実」が発覚・・・。実を言えば、石松には馴染みの女郎・おみつ(芸名不詳・葉山みな?)がおり、身請けして所帯をもつために100両という大金が必要だったのだ、というお話。石松に裏切られた次郎長は、大政(後見・荒城照師)、小政(荒城和也?)とともに「事実」を解明、(「金毘羅代参」で奉納を頼んだ)お蝶の簪を付けていたおみつ、石松が懇意にしていた小松村七五郎、その女房お民まで次々と斬殺、大詰めは閻魔堂、都鳥一家とともに石松を「騙し討ち」にかけたが、その都鳥一家が「騙し討ち」にしたことにして、一家連中も成敗する。石松が断末魔の中でおみつの亡霊に出会う場面は秀逸であった。最後の舞台に残ったのは、次郎長、大政、小政の三人だけ・・・、次郎長、天を仰いで「お蝶、仇は討ったぞ。成仏してくれ!」と絶叫、聞こえてくれるのは虎造節「次郎長親分、こわい人」のリフレイン、真っ暗な闇の中、大政が「何が街道一の親分だ・・・、俺たちは所詮ヤクザだ」という呟きで終演となった。ごもっとも、お蝶が死んだのは病のため、誰かに殺されたわけではない。にもかかわらず、「仇は討った」だと?次郎長のショックは石松の裏切り、それが(次郎長の)平常心を狂わせたというリアリズムが「異本・お蝶供養」の眼目かもしれない。いずれにせよ、今日の舞台も「脱!大衆演劇}をめざす「劇団荒城」の健在振り(進化)が窺われて、たいそう面白かった。感謝。
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2017-02-15

付録・邦画傑作選・「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)

 ユーチューブで映画「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)を観た。何とも「摩訶不思議」な映画である。タイトルを見て、戦意高揚の国策映画と思いきや(しかし、1930年代に国策映画はあり得ない)、アメリカ映画「紐育の波止場」の翻案で、島津監督の「第1回トーキー作品」、主演の水谷八重子(28歳)も映画初出演ということである。(ウィキペディア百科事典参照)
 「摩訶不思議」の原因は、一に映画自体(画像)は「サイレント」の様相を呈し、役者(特に主役・岡譲二)のセリフは「字幕並」、にもかかわらず、二に主演・水谷八重子の演技は「新派」の舞台そのまま、三に背景は船舶、波止場、アパート、酒場、ホテルといった洋風の雰囲気に加えて、女性の多くは和服姿、飲食物はパン、ミルク、ウィスキー等々、その「アンバランス」が目立つからである。
 しかし、今、そのアンバランスがたまらなく魅力的である。 
冒頭は、ある港町の風景が延々と映し出される。灯台、大小の船々、飛び交うカモメ、折しも大型の貨物船が入港した。それをアパートのベランダから「港の女」・さと(水谷八重子)が眺めている。「エミちゃん、船が入って来たよ。」と呼びかければ「ナーンダ、貨物船か。フランスの船でも来ればいいのに」。どうやらそこは、酒場で働く女たちの寮らしい。
 一方、船のボイラー室では火夫たちが、上半身裸で懸命に石炭を釜に放り込んでいる。「坂田、上がったら今晩も遊びか」「何を言ってやがるンでー」。坂田と呼ばれた男(岡譲二)、船室(食堂)に戻ると夕食も食べずに髭を剃る。周囲では司厨長・野沢(河村黎吉)たちが小博打(チンチロリン)に興じていた。坂田の弟分、倉庫番・戸村(滝口新太郎)が「兄貴!俺も遊びに連れてってくれ」と頼む。やがて、埠頭に降り立った二人、その前を一人の女が通り過ぎた。行く手を見るとそこは海。「兄貴!様子が変だぞ」と言っているうちに、案の定、女は着物姿のまま海に飛び込んだ。あわてて、坂田も飛び込んで助け出す。とりあえず「待合所」に運び入れ、達磨ストーブで暖をとった、女(実はさと)の様子を見ていた坂田は「オイ、ウィスキーを買ってこい。小さいのでいいんだぞ」と戸村に命じ、さとを抱き起こし外套を被せる。「おめえ、寒かねえか、馬鹿なマネをしやがって」。さとは外套を投げ捨てて「あんた、こんなところに私を連れてきてどうするつもり」と食ってかかる始末。「そんなこたあ知るもんか。死にかかっている人を黙って見過ごすわけにゃあいかねえ」「人が生きようと死のうとあんたにはかかわりのないこと、さっさと行ってしまえばよかったんだ」「おまえ、ずいぶんのぼせ上がっていやがる。その前にとっとと着物を脱いで乾かせばいいじゃあねえか」「あたしだって女だ、男の前で裸になんかなれるもんか!ずいぶん血の巡りが悪い男だねえ」。待合所の外で待つ坂田、ウィスキーを買ってきた戸村も同様に叩き出され、「おめえもずいぶん血の巡りが悪い男だな」などというやりとりが何とも面白かった。
 外気の寒さに当たったか、坂田は「カゼをひきそうだ。酒場に行って一杯やるから、おめえはあの女の番をしていろ」と戸村に命じ去って行く。一息ついたさと、戸村に坂田の様子を尋ねれば酒場に行った由、置き忘れられた坂田のパイプを持って自分も酒場に駆けつける。(ずぶ濡れの和服がそんなに早く乾こうはずもないのに、ちゃっかり着ている姿が何とも可笑しい。)そこは船員たちの溜まり場で、司厨長・野沢も顔を出して、坂田とさとの間に割って入ろうとしたのだが(野沢がウイスキーの瓶をさとに差し出して「一杯酌してくれ」という光景も滑稽で、笑ってしまった)・・・、いよいよ大物が登場する。港を牛耳る「ブルジョアの政」(奈良真養)とその子分「プロペラのしげ」(江川宇礼雄)たちである。政は野沢とも懇意で、先刻は「密売品」の取引(それは不調に終わったが)をしてきたばかり。さとを見つけると「おい!さと、今までどこにずらかって居やがった」と捕縛しようとする。さとは政の手によって上海に売り飛ばされようとしていたのだ。「キャー」というさとの声を聞いて、坂田は敢然と政に立ち向かう。「オイ、待った!」「何だ貴様は」「俺は○○丸の釜焚きだ」「釜焚きなんかにこの女を横取りされるような俺じゃねえぞ」「横取りも縦取りもあるもんか。俺はこの女を拾ったんだ」、脇からプロペラのしげが「拾ったんなら持ち主に返せよ」。坂田はさとに「お前は政の女か」と確かめ「違います!」というので、連れて帰ろうとする。政は「待て! 勝手なマネはさせない。この女を置いて行け」とピストルを取り出した。それを見た坂田「フン、パチンコ出しやがったな」と言うなり政に掴みかかろうとして、子分たちと大乱闘が始まった。強い、強い。かかってくる相手を殴りつけ、投げ飛ばし、文字通り孤軍奮闘を絵で描いたような場面、途中からは、さとがビール瓶を天井のシャンディアに投げつけ、辺りは一瞬真っ暗闇、その中でも乱闘は続く・・・。どうやら、坂田が政を叩きのめして終わったようだ。政の情婦(沢蘭子)までもが坂田に向かって「あんた、いい腕前だねえ、今晩一晩預けておくよ」などと目を細める。収まらないのは酒場のマダム(吉川満子)、メチャクチャにされた酒場の店内、「あんた、このお店どうしてくれるのさ」と情婦に噛みつくが「まあ、しょうがないじゃないか」でその場はチョンとなった。(何ともあっさりした結着である)
 坂田とさとは川岸の安宿(リバーサイド・ホテル)に落ち着いた。坂田は故郷の母親に手紙を書いている。その様子を見て、さとが繰り広げる身の上話。生まれは北海道網走、母は妹を産むなり死んでしまった。私はその赤ん坊の守りに明け暮れていた。私は母の連れ子、やがて義父が私を女郎に売ろうとしたので、家を飛び出した。それからはあちこちを転々・・・、「あたしなんか、いてもいなくても、どうでもいい女なんだ」と弱音を吐く。坂田「おめえ、初めはずいぶん強気だったじゃねえか」「だって、あんたは仇だと思っていたんだもの」「昔のことなんか思い出すのはよせ。俺はそんな話、聞きたくねえぞ。おめえ、もう寝た方がいいぜ」。どこかでサイレンの音が聞こえる。「火事かしら」「そんなこたあ、俺の知ったこっちゃねえよ」。さとにベッドを提供、坂田もソファで眠りに就いた。 
 翌朝、さとは早起きしてパンとミルク、林檎と歯みがきを買って来た。起き出した坂田が洗面所で歯を磨いていると、おかみ(飯田蝶子)がやって来て「あの娘、朝からはしゃいで買い物してきたわよ、お安くないねえ」と冷やかした。部屋に戻り、朝食を始めるとドアの音がして舎弟の戸村がやって来た。「兄貴、チーフが呼んでいる。埠頭まで来てくれ」「乗り込みは今夜8時だ。朝っぱらから何の用だ」と言いながらも、出かける様子。さとは「乗り込みが8時ならここに戻って来てよ。あたし御飯をたくから一緒に食べよう」と言う。坂田は巾着を取り出してテーブルに置く。「これ何?」「何かの足しに使ってくれ」「あたしなら大丈夫。もう死ぬなんて考えない」「それなら、ずらかる時にでも使えばいい」「あんた、帰っちゃいや」「俺は船乗りだ。帰らなければ暮らしていけねえんだよ」「あんた、8時までここで待ってるから戻って来てね」。
 坂田と戸村は埠頭に向かった。そこは倉庫・ビルの工事現場、鉄骨にドリルを撃ち込む轟音が響きわたる。やがて、現れたのは司厨長・野沢と「ブルジョアの政」一味、向かい合うなりピストル3発、坂田はその場に倒れ込んだ。しかしそれは芝居、油断して取り囲む一味、政が「船に運び込め」と言うやいなや、坂田は政に掴みかかり、またもや大乱闘が始まった。政は坂田に突き飛ばされ本当に倒れ込む。一味もあえなく退治されてしまった。
 坂田がホテルに戻ると、待っていたのは「プロペラのしげ」、さとの見張り役だった。坂田を見て驚くしげ、今頃、坂田は政に殺られているはずなのに・・・、しどろもどろで言い訳をするしげを張り倒し追い払う。「覚えていろ」と捨て台詞を吐くしげを、難なく階段下に突き落としてしまった。
 その後二人は、「あんたって本当に強いのね。あたしあんたのおかみさんになりたい。あんたが帰ってきたら首にしがみついちゃう」「ハハハハ、俺は陸に上がったら何にもできねえでくの坊だ」「それでもいいの、一件家を借りて草花を育てるの」などと対話していたが、入口に人の気配、訪れたのは刑事(岡田宗太郞)たち、戸村もいる。「坂田とはお前か、殺人の嫌疑がかかっている。同行してもらおう」。さとは驚いて「この人が人殺しなんてするはずがありません」と刑事の前に立ちふさがる。戸村も「初めに政がピストルを3発撃ったんです」と弁護。しかし、坂田は「政が死んだんなら、私がやったこと。しょうがない。お供します」と従った。さとは、必死に「あんた、あたし待っている。いつまでも待っているわ。だから戻って来てね」と取り縋る。(しばらくの間)坂田は「お前が待っていると言うのならなら、戻ってくるよ」と応じた。さとは「本当!あたし、うれしい!」と泣き崩れた。「じゃ、あばよ」と言い残し、坂田は牽かれて行く。さとは身もだえして、いつまでも泣き続ける。やがて窓の外には、いつもの港の風景が・・・。矢追婦美子の歌う主題歌が流れるうちに、この映画の幕は下りた。
 この映画の魅力は、(前述したように)「アンバランス」(の魅力)である。水谷八重子の、文字通り「芝居じみた」(新派風の)セリフに対して、岡譲二は(サイレント映画の)「字幕」をアッケラカンと棒読みするように応じる。その風貌とは裏腹に「べらんめえ」調の口跡が素晴らしい。「気は優しく(単純で)力持ち」といった往時のヒーローの風情が滲み出ている。筋書きは「悲劇」だが、景色はコミカルで、どこまでも明るい。しかも、水谷八重子の「うれし泣き」でハッピーエンドという大団円は見事であった。島津監督はトーキー初挑戦、水谷も映画初出演、アメリカ映画の翻案という「不慣れ」(不自然)も手伝ってか、あちこちには、ほのぼのとした「ぎこちなさ」が垣間見られる。それがまたさらに「アンバランス」の魅力を際立たせるという、「傑作」というよりは「珍品」に値する「稀有・貴重な作物」だと、私は思う。(2017.2.13)



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2017-02-14

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「源太しぐれ」、座長「ちょい役」の意味》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年1月公演・つくば湯ーワールド〉    芝居の外題は「源太時雨」。配役は、主役の源太・春大吉、その親分・蛇々丸、盲目の浪人・三代目虎順、その妻・春夏悠生という顔ぶれであったが、肝腎の座長・鹿島順一は悪役の親分(蛇々丸)に「おい、野郎ども! やっちまえ!」と呼ばれて、幕切れ直前に登場する、「野郎ども」(その他大勢の「ちょい役」)に甘んじる。ここらあたりが、この劇団の「実力」というものであろう。どこの劇団でも、座長が「その他大勢」の「ちょい役」ですませられるところはない。わずかに、「春陽座」の初代座長・澤村新吾が「ちょい役」に回ることがあるくらいである。「鹿島順一劇団」の実力は、座長が「ちょい役」に回っても、その他の座員だけで「十分に見応えのある」舞台を作り出せる点にあるのだ。「みんなが花形」「みんなが主役」「芝居はみんなで作るもの」といった理念にもとづいて、それが言葉だけでなく、いつでもどこでも「具現化」できることが素晴らしいのである。筋書は、大衆演劇の定番、行き倒れになった盲目の浪人とその妻、二人の間にできた乳飲み子を救ったのは土地の親分、しかし、それは形ばかりで、実はその妻と密通、ひそかに浪人を「消してしまおう」というもくろみ。恰好の人物として白羽の矢をたてられたのが、子分の「源太」、五両の礼金で「仕事」を請け負った。出かけようとすると浪人の妻が言う、「あの、赤ん坊も一緒に殺っておくんなさい」。「えっ?何ですって」と耳を疑う源太、しかし「子ども料金もいただけるなら・・・」と同意する。かくて、眼なし地蔵の前、源太の「盲目浪人・父子殺しの場」が現出するはずであったが、赤子の「火の付くような泣き声」に押されて、どうしても太刀が下ろせない。その泣き声は「チャンを、殺らないで!」(武家風に言うなら、「お父上をお助けください!)というように聞こえた、という。その「感性」こそが、この芝居の眼目に他ならないが、若手・春大吉の「所作」「表情」は、源太の「改心」を見事に描出していた、と思う。源太は浪人父子に五両まで手渡して解放、野良犬を斬り捨てて、刀の証拠作り、親分からさらに五両せしめる「したたかさ」、刀と着物を返せという親分に「怪談話」をでっちあげて「震え上がらせる」ドタバタ場面が「絵」になっていた。悪役が「途端に三枚目化する」蛇々丸の「至芸」は、相変わらずの出来栄え、しかも今回は妻・春夏悠生の風情に「変化」が出てきた。「冷酷」さのなかに「悔恨」の雰囲気を醸し出せれば申し分ないのだが・・・。
盲目浪人の目が明き、源太とともに、めでたく「間男成敗」の場面で、この「勧善懲悪」劇(秀作)は終幕となったが、ふりかえってみれば、春大吉、三代目虎順、蛇々丸、春夏悠生の四人だけで十二分の「舞台作り」ができてしまった、背後には座長、春日舞子、花道あきら、梅之枝健といった「そうそうたるメンバー」が控えているにもかかわらず、という点が「ものすごい」(この劇団の実力のすごさ)、と私は思う。
 舞踊ショーに登場した新人、赤胴誠、春夏悠生、生田春美の「成長」「変化」にも、目を見張るものがある。何よりも、舞台での「立ち姿」、「所作」一つ一つの「基礎・基本」が身につきつつある点が、たのもしい。「形は形」なのだが、「形だけでない形」(形に込められた気持ち)を学ぶことが、今後の課題だと思われる。彼らは、まさに「発展途上」、ますますの「成長」「変化」「おお化け」が楽しみである。



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2017-02-13

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《「六十一 賀の祝」・千秋楽前日の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年1月公演・つくば湯ーワールド〉
 芝居の外題は「六十一・賀の祝」。還暦を迎える父(座長・鹿島順一)とその息子たち(兄・花道あきら、弟・春大吉)の物語である。兄は、父の羽振りのよかった時期に物心ついたので、好条件の教育を受けられたが、弟は父の凋落時に生まれ、養育を大工の棟梁に任せられる始末、未だにうだつが上がらない。その結果、兄は弟を「あざけり」「そしる」、弟は兄を「うらみ」「あらがう」という関係に・・・。その様子を周知している父、二人がそうなったのも「みんな自分の責任」と弟に謝り、還暦の祝に招待した。兄にしてみれば、せっかくの、めでたい席を弟に汚されたくないという思い、祝の当日、はち合わせるやいなや、怒鳴る、殴るの兄弟げんか・・・。仲裁にかけつけた父、たまらず、二人の腕を手拭いで「固結び」、「もしほどいたら、二人とも勘当だ!よーく、頭を冷やして考えろ」と言い残し退場。残された、兄と弟。しばらくは「反発しあっていたが」、双方が、水を飲む、厠へ行く、飯を食べる、窒息しそうになる「相手」と「付き合わざるを得ない」うちに、次第に、幼かった頃の「兄弟愛」が蘇り、「仲良く家業を分担しよう」ということで、めでたし、めでたし。兄弟の嫁は、新人女優・春夏悠生、生田春美が担当、舞台に花を添えていた。
 1月公演も明日で千秋楽、どうやらこの劇場での観客動員数は(団体客を除き)、昼60人、夜30人というところで終わりそうである。しかし、その90人は、心底この劇団の「支持者」であることは間違いない。当所「初見え」の劇場でよく頑張った、と私は思う。とりわけ、三代目虎順を筆頭に、赤胴誠、春夏悠生、生田春美らの「若手」の成長が著しかった。今日の舞踊ショー、父・鹿島順一の歌声をバックに踊った、虎順「瞼の母」の舞台は、劇団の目玉として磨き上げてもらいたい。歌声は、間違いなく「日本一」、舞姿の風情は、年格好からいって、まず蛇々丸あたりが「お手本」を示すべきかも。赤胴誠の「箱根八里の半次郎」は、デビュー当時の氷川きよしとイメージが重なり、その「初々しさ」において格別の舞台であった。春夏悠生、生田春美の「おきゃん」もそうだが、舞踊における「若手」の「立ち姿」が「絵になっている」ところが素晴らしい。その集中力・緊張感を「組舞踊」の「大勢」の中でも発揮できるようになれば、三代目虎順に「一歩ずつ」近づくことができるだろう。。



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2017-02-12

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「男の盃・三浦屋孫次郎」と劇団の「うり」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年1月公演・つくば湯ーワールド〉
午後1時から、つくば湯ワールドで大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。芝居の外題は「男の盃・三浦屋孫次郎」。笹川繁蔵(春大吉)を暗殺(しかし、正面からの一騎打ち)した旅鴉・三浦屋孫次郎(花道あきら・好演)と飯岡助五郎一家の用心棒(座長・鹿島順一)の「友情物語」で、「男の盃」を取り交わし、共に「あい果てる」という筋書 きだが、開幕から閉幕まで「寸分の隙もない、一糸乱れぬ舞台」の連続で、それぞれの役者が「適材適所」に「えもいわねぬ」風情を醸し出していた。ビデオに収録、「永久保存」に値する出来映えであったが、座長の頭の中には「そんな野暮なこと」「みっともないこと」を行うつもりは微塵もない。芝居の出来不出来は「時の運」、「今日が駄目でも明日があるさ」といった「はかなさ」「いさぎよさ」を感じるのは、私ばかりであろうか。
 さて、この芝居についてはすでに見聞済み、当時の感想は以下の通りであった。
〈芝居の出来栄えは昼・夜ともに申し分なかったが、特に、夜の部「男の盃・孫次郎の最後」は素晴らしかった。実を言えば、私は先日(2月15日)、この芝居と全く同じ内容の舞台を浅草木馬館で見聞していた。外題は「笹川乱れ笠」、劇団は「劇団武る」(座長・三条すすむ)。寸分違わぬ筋書で、私の感想は以下の通りである。「本格的な「任侠劇」で、「実力」も申し分ないのだが、「息抜き」(力を抜いて客を笑わせる)場面が全くなかった。それはそれでよいと思うが、ではどこを「見せ場」にしているのだろうか。刺客が笹川一家の代貸し・子分達に「わざと討たれる」場面、血糊を使って壮絶な風情を演出しようとする意図は感じられる。だが、客の反応は「今ひとつ」、表情に明るさが見られなかった。やはり、観客は、笑いのある『楽しい』舞台を観たいのだ」。
 たしかに、「鹿島順一劇団」・「男の盃・孫次郎の最後」にも「笑い」はない。しかし、役者一人一人の「実力」「意気込み」「ひたむきさ」、相互のチームワークにおいて「全く違う」印象をもった。まさに「役者が違う」のである。この芝居の主役は、外題にもある通り、三浦屋孫次郎(花道あきら)だが、それを支える飯岡一家の用心棒(座長・鹿島順一)の「演技力」が決め手になる。自分自身を「ヤクザに飼われた犬」とさげすむニヒリズム、しかし孫次郎の「侠気」に惚れ込むロマンチシズムが「混然一体」となって、何ともいえない「男の魅力」を醸し出す。この用心棒の存在がなければ、芝居の眼目(男の友情・「盃」)は半減・消失してしまうのだ。「劇団武る」で、孫次郎を演じたのは座長(三条すすむ)、用心棒を演じたのは副座長(藤千乃丞)であった。台本に対する「解釈の違い」が、出来栄えの「差」に大きく影響していると思われる。もし、その配役が逆であっったら、どのような結果になったかわからない。全く同じ筋書の芝居でありながら、「鹿島順一劇団」は「横綱・三役級」、「劇団武る」は「関脇・前頭級」であることを、あらためて確認できた次第である〉
 当時、座長演じる用心棒について、〈「ヤクザに飼われた犬」とさげすむニヒリズム」〉、〈孫次郎の「侠気」に惚れ込むロマンチズム〉と評したが、今日の舞台を見聞して、そのニヒリズムの根源をよく理解できた。つまり、この浪人、武家社会の「しがらみ」の中で、最愛の女を失い、その時の「地獄絵」が脳裡に焼き付いて、かた時も離れることがなかったのだ。座長の芝居は「いい加減」、その時の気分によって、セリフが「長く」なったり「短く」なったりする。(客が聞いていないと思えば、さっさと省略する)おそらく前回は、そこらあたりを「端折った」に違いない。それでも、浪人のニヒリズム、ロマンチズムは見事に「描出」されていた。それこそが、鹿島順一の「実力」に他ならないと、私は思う。今回、口上での座長の話。「うちの座員が、お客様に尋ねられたそうです。『おたくの劇団の《うりもの》は何ですか?』その座員が言うのです。『座長、うちの劇団の《うりもの》は何ですか?』私は答えに窮しました。みんな《うりもの》であるような、ないような・・・、強いて言えば、劇団ですから「劇」、「芝居」ということになるでしょうねえ・・・。でも、特に《うり》ということは考えていません。役者だってそうです。みんなが《花形》、みんなが《主役》だと思っています。なかには《ガタガタ》《花クソ》もいますけど・・・」
 私見によれば、「鹿島順一劇団」の《うり》は、①座長の実力(かっこよさ)、②座員の呼吸(チームワーク)、③舞台景色の「鮮やかさ」(豪華さとは無縁の艶やかさ)、④(垢抜けた)音曲・音響効果の技術、⑤幕切れ風情の「見事さ」、⑥「立ち役」舞踊の「多彩さ」等々、数え上げればきりがない。中でも、一番わかりやすく、誰もが納得できる《うり》は、「音響効果」、特に「音量調節」の「確かさ」であろう。私にとって防音用耳栓は、大衆演劇観劇の「必需品」だが、唯一、この劇団だけが裸耳(耳栓不要)で見聞できるのである。
天保水滸伝天保水滸伝
(1995/09/10)
玉川勝太郎(二代目)

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2017-02-11

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《「新版・会津の小鉄」・三代目虎順の課題》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年1月公演・つくば湯ーワールド〉                                        荒川沖からの送迎車乗客は初老の女性一人。運転手に話しかける。「柏も、小岩も、佐倉も、みんなそこそこの劇団なのに、オタクは今月、貧乏くじ引いたわよね。まあ三日までは、そこそこ入るだろうけど、後はどうだか・・・。役者がいないもんね。座長も年取ってるし・・・。」私は、正直「この婆あ、殺したろか」と思い、「そんなら、見なけりゃいいじゃねえか!スッコンデロ!」と心の中で叫びつつ送迎車を降りた。劇場は1時間前から大入り満員。やっとのことで座席を確保したが、ここは公演中も「飲み食い自由」で食事の注文も受け付ける。舞台に集中できなくなるのでは?と、いやな予感がしたが、それは取り越し苦労、芝居「会津の小鉄」の開幕と同時に、「水を打ったように」静かになった。この演目は、「鹿島順一劇団」の「至宝」ともいえる十八番、今回は、はまり役・花道あきらに替わって三代目虎順が主役を務めた。「若き日の」会津の小鉄と副題にもあるように、十七歳・虎順の「舞台姿」には申し分ない。実母・春日舞子を「恋女房」に見立てた「絡み」も悪くない。課題はただ一つ、実父・座長の敵役・名張屋新蔵が「惚れ込んだ」その「侠気」をどこまで描出できるかどうか、三景・宮本むさくるし(蛇々丸)、佐々木こじき(春大吉)や新蔵の娘お京(春夏悠生)との「絡み」、四景・新蔵との「立ち回り」などでは、花道あきらの「風情」には及ばない。まだ、口跡が「絶叫調」で単調、死んだ恋女房を思い出しながら、ある時は「抑えて」、「自分に向かって言い聞かせるような」語調が欲しい。今後の成長に期待したい。二景・お吉のセリフ「私の首を手土産に、男になっておくんなさい」が聞けずに閉幕になったのは残念、また京極幸枝若の「節劇」は、お吉自刃後の方が「絵になった」のでは・・・。いずれにせよ、今回も「新版・会津の小鉄」、つねに前を向き、新しい舞台作りを目指す「劇団」のひたむきな姿勢に脱帽する。帰りの送迎車での客の話。「来月は『美鳳』。きっと、大騒ぎだよね。今月の劇団は、どおってことなかっぺ」ええい、黙れ、黙れ!迎えの時の客といい、送りの時の客といい、眉毛の下に付いているのは銀紙か、なるほど、「鹿島順一劇団」は人気がない。理由は簡単、座長自身、客の「人気」など歯牙にもかけぬ舞台生活を送ってきたのだから。「人気」など、何の役にも立たない。これまで何度「地獄」をみてきたことか。いっときの「人気」が何になるか。大切なのは「実力」だ、「実力」さえ磨いておけば必ず認めてくれる「お客様」がいる、そのことを誰にもまして熟知しているからこそ、「客に媚びる」ことをしないのだ。いざとなれば、誰も助けてくれないことを彼は知っている。自分の「実力」だけが頼り、ということを痛感している。「舞台を降り、化粧を落とせば五分と五分、役者も客もあったもんじゃあない」といった気概が座長・鹿島順一の真骨頂といえるだろう。さればこそ、その気概が彼の舞台姿をより一層「艶やか」にするのだ、と私は思う。「どおってことなかっぺ」とほざいた客が、いつかは必ず「おそれいりやした」と脱帽するであろうことを「夢見つつ」(確信しつつ)帰路についた。

浪花しぐれ「桂春団冶」/会津の小鉄浪花しぐれ「桂春団冶」/会津の小鉄
(2005/12/07)
京山幸枝若

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2017-02-10

劇団素描・「劇団花吹雪」・《芝居「一本刀土俵入り」(客演・三河家諒)の名舞台》

【劇団花吹雪】(座長・桜春之丞、三代目桜京之介)〈平成24年初春公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は、御存知「一本刀土俵入り」。今日の舞台は第一部・ミニショーを省略、いきなり芝居・前編の幕を開け、途中休憩を挟んで後編、第二部が歌と踊りのグランドショーという構成であった。客演の三河家諒を迎え、より充実した舞台に挑もうとする劇団の意気込みが感じられ、たいそう頼もしい趣向であった。芝居の主なる配役は、駒形茂兵衛に三代目桜京之介、安孫子屋の酌婦お蔦に三河家諒、舟戸の弥八に桜愛之介、お蔦の情夫・辰三郎に桜春之丞、波一里儀十に桜京誉、利根川の漁師(?)に寿美英二、船大工に春日隆といった面々で、まず申し分ない。前編の幕が上がると、そこは取手宿・安孫子屋の店先、大声を上げて暴れ回る弥八を取り巻いて右往左往する行商人、板前、酌婦等々「その他大勢」で賑わう気配もよろしく・・・、よろよろと登場したのが浴衣姿の取り的姿・駒形茂兵衛。その様子は「勘三郎」もどき、みすぼらしくあわれな風情の描出はまことに見事で、三代目桜京之介、「努力精進」の跡が窺われる出来映えであった。やがて、安孫子屋二階の障子がパット開いて、酌婦・お蔦の艶姿が映し出される。「よおっ!三河家!」 というかけ声とともに客席からは大きな拍手、文字通り「苦界に咲いた一輪の花」といった三河家諒の景色は、一段と鮮やかであった。その後、お蔦と茂兵衛の呼吸もピッタリ合って、寸分の隙もない展開はお見事!、非の打ち所がなかった。とりわけ、「櫛、簪、巾着ぐるみ御意見まで頂いた」茂兵衛の泣き崩れる姿、うらはらに情夫・辰三郎への想いを秘めながら、あばずれを演じなければならないお蔦のやるせない姿のコントラストが鮮やかで、天下一品の舞台模様であった。いつまでもふり返りながら遠ざかっていく茂兵衛に向かって、「よおっ、駒形あーっ!」と渾身の声をかけて見送るお蔦の姿 は、「一幅の屏風絵」、その余韻を漂わせながら前編の幕は下りた。というわけで、前編は百点満点の出来映えであった、と私は思う。さて、重要なのはその後・・・、前場より十年の経過を、幕間でどのように描出するか。当然のことながら「利根の堤の秋草を 破れ草鞋で踏みしめる 駒形茂兵衛のふところに 残るお蔦のはなむけが 男心を温めて 何時か秋去り冬も行き、めぐる春秋夢の間に、十年過ぎたが 番付に駒形茂兵衛の名は見えず お蔦の噂も何処へやら 春の大利根今日もまた 昔変わらぬ花筏」という二葉百合子の「語り」(浪曲「一本刀土俵入り」)が不可欠と思われるが、残念ながら今日の幕間は「無音」・・・、客のざわめきが聞こえるだけで、むなしく過ぎてしまった。さて、後編の舞台は、様相が「一変」する。(「一変」しなければならない)。横綱を目指した茂兵衛の夢は破れ、(無様にも)「こんな姿に成り果てました」、他方、お蔦は(見事に)水商売の足を洗って、堅気姿の母親に・・・、このコントラストをどこまで際だたせることができるだろうか。幕が上がると、そこは利根川べりの船着き場。網の手入れに余念がない老爺の姿は、さすが寿美英二、「居るだけで」絵になっていた。やって来たのが股旅姿の駒形茂兵衛、その姿には「十年」という年輪が刻み込まれていなければならない。①夢を叶えられなかった悔恨、②現在、自分の姿の恥ずかしさ、③瞼の女・お蔦への思慕、④御恩返しの仁義沙汰、等々が「綯い交ぜ」にされているかどうか、私は興味深く見守った。
たしかに、純朴で母思い、泣きべそだった「取り的」は、今では、きりっと引き締まった渡世人に「変化」(へんげ)してはいたのだが、その心中(心模様)の描出までには時間がかかる。しかし、三代目桜京之介は、まだ弱冠22歳、駒形茂兵衛に比べて「十年早い」のだから、それを望む方に無理があるというもの、とまれ、彼は精一杯、この難役を演じきっていたと思う。老漁師や老(船)大工とのやりとりもそつなく、波一里一家との「絡み」「立ち回り」は申し分なかった。ただ一点、欲を言えば、女児の唄声を手がかりに、ようやくお蔦との再会が叶った、「その一瞬」を「絵」にすること。二葉百合子も「会えてうれしい瞼の人は 辛い連れ持つ女房雁 飛んで行かんせ どの空なりと これが白羽の仁義沙汰」と詠っているではないか。その景色・その風情を描出することが、今後の課題である、と私は思う。片や、お蔦は、と見れば・・・、闖入してきた舟戸の弥八に対して茂兵衛が噛ました「頭突き一発」、その一瞬を見て十年前を「思い出す」、三河家諒は、その心中を「体全体」で、瞬時に描出したのであった。「お見事!」、その言葉は何度言っても言いすぎることはない。そんなわけで、私が待ちこがれていた大衆演劇・「一本刀土俵入り」の名舞台は前編100点、後編80点、総合点は90点あたり、というのが私の感想である。末尾ながら、裏方、大道具の「大仕立て」、回り舞台(手動)による状景作り、丸い輪郭を消した「照明スポット」も秀逸、関係者一同の協力・努力に敬意を表する。感謝。
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2017-02-09

付録‥邦画傑作選・「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)

 ユーチューブで映画「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)を観た。原作は泉鏡花の新聞小説で1907年(明治40年)に発表され、翌年には新派の舞台で演じられている。有名な「湯島境内の場」は原作にはなく、いわば演劇のために脚色されたものである。それから27年後、野村芳亭(野村芳太郎の父)によって、初めて映画化された。
 その物語は、参謀本部でドイツ語の翻訳官を務める早瀬主税(岡譲二)の自宅に、静岡の有力者・河野秀臣(武田春郞)の妻とみ子(青木しのぶ)と息子英吉(小林十九二)が訪れているところから始まる。主税と英吉は静岡時代の友人、主税はその後上京、神田で「隼の力」という異名で悪事を働いた与太者だったが、「真砂町の先生」こと大学教授・酒井俊蔵(志賀靖郎)に諭され、今の地位を得ることができたのだ。しかし、馴染みの柳橋芸者・蔦吉(田中絹代)と同棲中、いずれは先生の許しを頂いて正妻の座に据えるつもりだったが、今はまだ外来者に会わせることができない。事情を知っているのは、女中のお源(飯田蝶子)、出入りの魚屋「めの惣」こと、め組の惣吉(河村黎吉)、蔦吉の朋輩・小芳(吉川満子)くらいであった。
 主税の家に客が訪れるたびに、蔦吉は身を隠して時間を過ごす。その様子を見て惣吉は気の毒がったが、蔦吉は、いずれ晴れて女房になれると思うと苦にならなかった。
 河野家の訪問は縁談話、酒井の娘・妙子(大塚君代)を英吉の嫁として迎えたい、その仲介と身元調査を頼みに来たのである。しかし、主税は取り合わなかった。妙子は酒井が小芳に生ませた娘、河野家にも妻の不貞で生まれた娘が居る。複雑な人間模様(婦系図)が伏線となって、悲劇は進む。
 業を煮やした河野家は改めて坂田令之進(芸名不詳)という家令(?)を主税の元に送り、縁談の仲介を頼んだが、主税は断固拒絶、坂田は退散する。その時、出口で蔦吉と鉢合わせ、主税と蔦吉の同棲を知ることになったか。  
 主税はその後、真砂町の酒井を訪れる。奥ではすでに坂田と酒井が面談中(坂田の憤慨・糾弾、酒井の謝罪と縁談承認などなど)で書生(三井秀男)から「先生は今、ゴキゲンが悪い」と追い返された。ブラブラと、本郷の夜店に立ち寄り「三世相」(陰陽道の占い本)を手にする。「一円です」という親父(坂本武)に「高すぎる、半額なら・・」と戸惑っているところに、五十銭硬貨二つが投げ出された。見ればそこに立っていたのは酒井。「先生!」と驚く主税、そのまま主税宅に赴くと言う。しかし行った先は柳橋の料亭、途中で「掏摸騒ぎ」に遭遇し、主税は男にぶつかられたがそのまま、歩き続ける。料亭の部屋には小芳も呼ばれた。清元?、新内?の音曲が流れる中、弟子と恩師、恩師の日陰者の三者の「絡み」は、寸分の隙もなく往時の人間模様を鮮やかに描出する。酒井、かつての愛妾・小芳に向かっては「朋輩の蔦吉はどこにいる、知らないとは薄情だ。俺が教えてやろう、主税の家だ」と言い、主税に向かっては「弟子の分際で、妙子の縁談を邪魔するとは何事だ」「先生、英吉は妙子さんの相手としてふさわしくありません」「何をほざくか。芸者風情を家に引きずり込んでいる奴に何が言えるか」。主税は、恩師のため小芳のために妙子の吉凶を占おうとしたのだが、何を言っても通じない。じっと耐えている小芳、しばらく瞑目して、主税は「先生、私が考え違いをしておりました」と終に謝る。酒井は主税に酒を注ぎ「では、女と別れるか、それとも俺と別れるか」、「女を捨てるか、俺を捨てるか。グズグズせずに返答せい!」と迫った。主税、きっぱりと「女を捨てます。どうか幾久しくお杯を」と平伏、その場は平穏に戻る。小芳の泣き崩れる声だけが余韻を残しながら・・・。
 主税が料亭を出ると、闇にまみれて男が待っていた。「旦那、さっきの物をいただきましょう」「何だ」「とぼけちゃいけませんぜ」。懐に手を入れると大きな皮財布。「ああ、これか、じゃあお前は掏摸か」。早く返せと匕首を振り回すその男を組伏して、主税いわく「この財布は返してやる」「では半分ずつということで」「そうではない、被害者に返すのだ。俺も昔は同じことをしていたんだ。ある先生のおかげで真っ当な道を歩けるようになった。こんなことをていて長続きするはずがない。改心して明るい世界を歩くように」と説諭すれば、男「改心・・・」と言って固まった。昔は同じ道を歩いていた兄貴が・・・、という思いだったか、戻った財布をしっかりと抱きしめ「旦那、私はこれから自首します。明るい世界を歩きます」。返された匕首もすぐさま池に投げ捨てる。主税、「昔、俺もあんな風だったな、先生に恩返しをしなければ」と思ったかどうか、そのまま闇の中に消えて行く男を見送った。
 大詰めは、御存知「湯島境内の場」、「俺はもう、死んだ気になってお前に話す」「そんな冗談言ってないで、さあ」「冗談じゃない。どうか俺と別れてくれ」「別れる?……からかってないで、早くうちへ帰りましょうよ」「そんな暢気な場合じゃない……本当なんだ。どうか俺と縁を切ってくれ」「縁を切る?貴方気でも違ったんじゃないんですか」「気が違えば結構だ。……俺は正気でいっているんだ」「そう、正気でいうのなら、私も正気で返事をするわ。そんなことはね、いやなこってす」
「俺は決して薄情じゃない。誓ってお前を飽きゃァしない」「また飽きられてたまるもんですか。切れるの、別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には、死ねといって下さい」、という名セリフそのままに、田中絹代と岡譲二が描き出す愁嘆場は筆舌に尽くしがたい風情であった。後世(1942年)「知るや白梅玉垣にのこる二人の影法師」(詞・佐伯孝夫)と詠われたように、その二人の姿が、ひときわ艶やかに浮かび出て、この映画の幕は下りた。
 余談だが、現代の浪曲師・二葉百合子も「湯島境内の場」を中心に、お蔦・主税の《心意気》を鮮やかに描き出している。「先生から俺を捨てるか、女を捨てるか、と言われた時、女を捨てますと言ったんだ」という言葉を聞いて、お蔦は「よくぞ言ってくれました。それでこそあなたの男が立ちますわ」と答える。そこには、男に翻弄される女の「意地」も仄見えて、芸者の「誠」とはそのようなものだったのかと、感じ入る。
 続いて、天津ひずるも、湯島から1年後の後日談、「めの惣」宅に身を寄せ、病に斃れていくお蔦の最後を見事に詠い上げている。そこでは、酒井俊蔵がおのれの不実を恥じ、お蔦に心から詫びる場面も添えられていた。
 「婦系図」は以後、長谷川一夫・山田五十鈴、鶴田浩二・山本富士子、天知茂・高倉みゆき、市川雷蔵・万里昌代らのコンビによって映画化されているが、その先駆けとしての役割を十分に果たし、「お手本」としての価値を十二分に備えている名作だったと、私は思う。(2017.2.7)



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2017-02-08

劇団素描・「劇団花吹雪」・《芝居「へちまの花」、客演は三河家諒》

川の流れのように ~美空ひばりをうたう川の流れのように ~美空ひばりをうたう
(2001/05/29)
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【劇団花吹雪】(座長・桜春之丞、三代目桜京之介)〈平成24年初春公演・浅草木馬館〉
芝居の外題は(御存知)「へちまの花」。今日は、斯界屈指の名女優・三河家諒が特別出演ということで、はたしてどのような舞台模様になるか、楽しみに来場した次第である。配役は、へちまの花のお米に三河家諒、その兄に座長・桜春之丞、村の庄屋に桜京誉、息子の若旦那に三代目桜京之介、番頭に寿美英二、出入りの植木職人に桜愛之介と桜梁太郎という面々で、まず妥当・申し分のないところであろう。筋書きは省くが、さて、その出来映えや如何に・・・。結論から言えば、「今一歩」、三河家諒の実力(貫禄)に若手の面々が「ついていけない」というのが、(私の)率直な感想である。彼女と五分に渡り合えるのは寿美英二、桜京誉まで、座長・桜春之丞、桜京之介といえども及ばない。結果として、主役・お米の風情は絶品であったが、全体の景色は「隙」「間延び」が目立ち、眼目の描出は「不発」に終わった感じがする。例証①、お米の兄を演じた桜春之丞、その言動が爽やかすぎて、黙々と野良仕事に励む百姓の朴訥さ、その中に潜む頑固さ、気むずかしさが感じられない。②若旦那役の桜京之介、「不細工」なお米にビックリするまではよかったが、その言動に「辟易」とする様子が不十分、③植木職人の愛之介、梁太郎に至っては、「芸」以前の「楽屋ネタ」で、諒と「五分に渡り合おうとする」(不届きな)了見も窺われて、見苦しかった。結果、この演目一番の見せ場、お米が若旦那の借金を返そうと、懐から金包みを取り出して、包装紙を一枚一枚はがしていく名場面が絵にならない。「剥いても剥いても皮ばかり」といった喜劇的な動きに、お米の悲しげなモノローグ(兄妹の「健気で切ない」物語)が重なる。そのトラジ・コミックな景色が不可欠なのに・・・。今日の舞台では、植木職人たちが入れる「チャチ」に惑わされてか、お米の物語が始まったのは、金を返した後、という按配で、段取りが「間延び」したことは、誠に残念である、などと、(身勝手な)私の思いは沈みがちであったが、第二部・グランドショーで、その気分は吹っ飛んだ。三河家諒の個人舞踊「みだれ髪」である。歌は美空ひばりではない。ピアノだけを伴奏にしてアカペラに近い女声の曲をバックに、彼女の一挙一動一頭足が「憎や恋しや」「辛や重たや」「暗や涯てなや」の景色を、思う存分、ものの見事に描き出す。その時間・空間は、文字通り「筆舌に尽くしがたい」風景であった。私がこれまでに観た「みだれ髪」の中では「ピカイチ」、まさに国宝(無形文化財)級の出来映えであった、と私は確信する。たった三分間の舞台は「動く美術品」として、私の心中に「永久保存」されたのである。三河家諒もまた、斯界の名人・喜多川志保に肩を並べ、その若さ、将来性を加味すれば、間違いなく「第一人者」に君臨するだろう、などと思いつつ劇場を後にした次第である。



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2017-02-07

劇団素描・「たつみ演劇BOX」・《芝居「三島と弁天」の舞台は天下一品!》

【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成22年2月公演・大阪鈴成座〉                                                         満座劇場の「劇団澤宗」(座長・澤村城栄)も見聞したかったが、どうしても紫野京香の舞台姿を「拝見」したかったので、こちらに来てしまった。平日だというのに、客席は「大入り満員」、そういえば劇場につながる「鶴見橋商店街」も午前中から「たこ焼き」「お好み焼き」の立ち売りが盛ん、車椅子の人々の往来も著しいといった「活況」を呈し、まさに大阪は商人の町・庶民の町であることを目の当たりにすることができたのであった。芝居の外題は「三島と弁天」。御存知弁天小僧菊之助(小泉ダイヤ・座長の弟)と赤星十三郎(辰巳小龍・座長の姉)が、三島某なる助兵衛侍(座長・小泉たつみ)を騙して二百両せしめるという痛快時代劇に、弁天小僧が実父の十手持ちに再会、「涙の取り縄」(「百両首」「月夜の一文銭」)風情の人情劇も加わって、たいそう見ごたえのある「上質な舞台」に仕上がっていた。とりわけ、小泉ダイヤの弁天小僧が、天下一品の「当たり役」で、女から男、男から女への「変幻自在」な演技力が、魅力的で素晴らしい。それを受けとめる座長の「三枚目」ぶりも逸品、加えてその部下役・愛飢男、腰元役・小泉一馬、若手女優(芸名不詳の三枚目)との「絡み」も最高、とくれば、この外題は劇団の十八番、今のところその右に出る劇団はいないであろう。登場する役者一人一人が「適材適所」で輝いている。「みんなが主役」といった舞台づくりの「典型」であった、と私は思う。さすがは「演劇BOX」、大歌舞伎、大劇場の商業演劇を「軽く超えてしまう」という出来栄えで、「恐れ入りました」「お見事」という他はない。加えて舞踊ショー、辰巳小龍の「湯島の白梅」、紫野京香の「命くれない」は珠玉の名品、それを見聞できただけでも来場した甲斐があったというもの、大いに満足して帰路についた次第である。
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2017-02-06

付録・邦画傑作選・「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)

 ユーチューブで映画「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)を観た。原作は泉鏡花の小説、昭和世代以前には広く知れわたっている作品である。
 時は明治23年(1890年)の初夏、高岡から石動に向かう乗合馬車が人力車に追い抜かれていく。乗客たちは「馬が人に追い抜かれるなんて情けない、もっと速く走れ」と、馬丁・村越欣弥(岡田時彦)を急かすが、彼は動じずに、悠然と馬車を操っている。乗客の女、実は水芸の花形・滝の白糸(入江たか子)が「酒手をはずむから」と挑発した。初めは取り合わなかった村越だったが、あまりにしつこく絡むので、それならと鞭一発。馬車は狂ったように走り出す。たちまち人力車を追い抜いたが今度は止まらない。馬車は揺れまくり、やっと止まった時には車軸が折れ、全く動かなくなってしまった。白糸は「文明の利器だというから乗ったのに、夕方までに石動に着くんでしょうね!」とからかう。村越はキッとして「姐さん、降りて下さい」と彼女を引きずり降ろし抱きかかえると、馬に乗り一目散、石動に向かって走り出した。他の乗客たちはその場に置き去りに・・・。
石動に着くと白糸は失神状態、霧を吹きかけて介抱すると村越は、再び高岡方面に戻って行った。気がついた白糸、その毅然とした振る舞いが忘れられない。傍の人に馬丁の名を尋ねると、「みんな欣さんと呼んでいますよ」。「そう、欣さん!」と面影を追う白糸の姿はひときわ艶やかであった。
 この一件で、村越は馬車会社をクビになり放浪の身に・・・、金沢にやって来た。月の晩、疲れ果て卯辰橋の上で寝ていると、すぐ側で興行中の白糸が夕涼みに訪れる。「こんな所で寝ているとカゼを引きますよ」と語りかければ、相手はあの時の馬丁・村越欣弥であったとは、何たる偶然・・・。白糸は村越の事情を知り、責任を痛感して詫びる。「私の名前は水島友、二十四よ。あなたの勉学のために貢がせてください」。かくて、その夜、二人は小屋の楽屋で結ばれた。翌朝、まじまじと白糸の絵看板に見入る村越を制して「見てはいやよ、こうして二人で居る時は、私は堅気の水島友さ!」という言葉には、旅芸人・滝の白糸の、人間としての「誠」「矜持」が込められている。
 東京に出た村越への仕送りは2年間続けられたが、「ままにならないのが浮世の常」、まして旅芸人の収入はたかが知れている。3年目になると思うに任せなくなってきた。加えて、白糸の「誠」は仲間内にも利用される。南京出刃打ち(村田宏寿)の女房に駆け落ちの金を騙し取られたり、一座の若者新蔵(見明凡太郎)と後輩・撫子(滝鈴子)の駆け落ちを助けたり・・・、で有り金は底をついてしまった。「欣さんはまもなく卒業、意地でも仕送りを続けなければ・・・」、白糸はやむなく高利貸し・岩淵剛蔵(菅井一郎)に身を売って300円を手にしたが、その帰り道、兼六園で待っていたのは岩淵と連んでいた出刃打ち一味、その金を強奪される。白糸は落ちていた出刃を手に岩淵宅にとって返せば「戻って来たな。こうなるとは初めから解っていたんだ」と襲いかかられた。もみ合う打ちに、岩淵は「強盗!」と叫んで床の間に倒れ込む。気がつけば白糸の出刃が岩淵の脇腹を突き刺していたのだ。彼女はその場にあった札束をわしづかみにして逃走する。行き先は東京、村越の下宿先。しかし、その姿はなく、再会を果たしたのは監房の中であった。 白糸は下宿を出るとすぐに捕縛され金沢に送られる。途中、汽車から飛び降り新蔵夫婦に匿われるが無駄な抵抗に終わった。出刃打にも岩淵殺しの嫌疑がかかり収監される。検事の取り調べに「あっしは白糸から金を奪ったが殺していない」。白糸は「出刃打から金を取られたことはありません」と否定する。監房の筵の上で、白糸は夢を見た。兼六園を村越と散策、わが子を抱いて池を見つめる。楽しい一時も束の間、まもなく看視に揺り起こされた。「新しい検事さんがお前と話をしたいそうだ」
 村越が検事に任官され金沢に赴任していたのだ。取調室で見つめ合う二人、「よく眠れましたか。食べ物は口に合いますか」と気遣う村越に、白糸は水島友にかえって「よく出世なさいました」と満面の笑みを浮かべた。もう思い残すことはない。これまで逃げたのも一目会いたいと思ったから・・・。「どうぞ取り調べを始めて下さい」「そんなことができるわけがない」とうつむく村越、二人の交情はそのまま断ち切れたか・・・。
 公判の法廷には村越検事が居る。滝の白糸こと水島友は、すべてありのままを証言し、自害した。お上の手を煩わせることなく、自らの身を処したのである。翌日、村越もまた、思い出深い卯辰橋でピストル自殺、この映画は終幕となった。 
 女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!  (2017.2.5)



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2017-02-05

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「アヒルの子」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成24年2月公演・大阪梅南座〉
芝居の外題は「アヒルの子」。三代目鹿島順一が座長を襲名後、これまで劇団を支えてきた蛇々丸、春大吉といった名脇役が脱けたことによって、少なからず、その(国宝級の)「舞台模様」は変化せざるを得なかった。中でも「アヒルの子」には、蛇々丸の存在が欠かせない。当分の間、この演目は上演不可能ではないだろうか、などと私は勝手に思っていたのだが、とんでもない。今日の舞台を観て、あらためてこの劇団の「実力」を思い知った(二度惚れした)のである。ちなみに、私がこの演目を最後に観たのは、今からほぼ3年前(平成21年4月)、福島郡山(東洋健康センターえびす座)であった。以下は当時の感想である。〈芝居の外題は「アヒルの子」、社会人情喜劇と銘打った筋書で、登場人物は下請け会社員の夫婦(夫・鹿島順一、妻・春日舞子)と娘・君子(生田春美)、その家の間借り人夫婦(夫・蛇々丸、妻・春夏悠生)、電気点検に訪れる電電公社社員とおぼしき若者(鹿島虎順)、親会社の社長(花道あきら)という面々(配役)。この人たちが繰り広げる「ドタバタ騒動」が、なんとも「ほほえましく」「愛らしく」、そして「滑稽」なのである。以前の舞台では、娘・君子を三代目虎順、間借り人の妻を春大吉、電気点検の若者を金太郎が演じていたが、それはそれ、今度は今度というような具合で、本来の女役を生田春美、春夏悠生という「新人女優」が(懸命に)演じたことで、「より自然な」景色・風情を描出することができたのではないか、と私は思う。だが、何と言ってもこの芝居の魅力は、座長・鹿島順一と蛇々丸の「絡み」、温厚・お人好しを絵に描いたような会社員が、人一倍ヤキモチ焼きの間借り人に、妻の「不貞」を示唆される場面は「永久保存」に値する出来栄えであった。なかでも《およそ人間の子どもというものは、母親の胎内に宿ってより、十月十日の満ちくる潮ともろともに、オサンタイラノヒモトケテ、「オギャー」と生まれてくるのが、これすなわち人間の子ども、七月児(ナナツキゴ)は育っても八月児(ヤツキゴ)は育たーん!!》という「名文句」を絶叫する蛇々丸の風情は天下一品、抱腹絶倒間違いなしの「至芸」と言えよう。その他、間借り人の妻が追い出される場面、娘・君子が「おじちゃん!」といって帰宅する場面、社長の手紙を読み終わって夫(座長)が憤る場面等々、「絵になる情景」を挙げればきりがない。要するに眼目は「生みの親より育ての親」、きわめて単純な(何の代わり映えのしない)筋書なのに、これほどまでに見事な舞台を作り出せるのは、役者それぞれの「演技力」「チームワーク」の賜物というほかはない。その「演技力」の源が、座長・鹿島順一の生育史にあることは当然至極、彼ほど「育ての親のありがたさ」を実感・肝銘している役者はいないかもしれない。加えて素晴らしいことは、蛇々丸を筆頭に座員の面々が(裏方、照明係にいたるまで)、座長の「演技力」に心酔、各自の「実力」として「吸収」「結実化」しつつあるという点であろう。ところで、件の名文句にあった「オサンタイラノヒモトケテ」とは、どのような意味だろうか、その謎もまた、この芝居の魅力なのだ・・・・〉。さて、今日の配役は、間借り人の夫が蛇々丸から三代目鹿島順一に、電電公社社員(今回は関西電力社員)の鹿島虎順が赤胴誠に、アヒルの子・君子が生田春美から幼紅葉に、それぞれ変わっていたが、結果はベスト、魅力も倍増して、前回・前々回よりも「数段上」の出来映えであった、と私は思う。蛇々丸の夫役は、どこかエキセントリック(偏執狂的)な風情が「売り」であったが、三代目鹿島順一は、あくまでオーソドックス、真っ向勝負の「ヤキモチ」風情が際だっていた。「新婚ホヤホヤ」なら当然といった(清純な)空気が漂い、それが、下請け会社員夫婦と社長の不穏な「しがらみ」を浄化する。蛇々丸は、役者としては「男盛り」の三十代、三代目鹿島順一はまだ二十歳の「若造」、タバコを(会社員・甲斐文太から)借りながら、(したたかに)2本耳に挟む仕種も、どこかぎこちなかったとはいえ、さればこそ、その初々しさが(私には)たまらなく魅力的であった。さらにまた、十八年間も夫をだまし続けた「おかあちゃん」役の春日舞子と「社長」役の花道あきらの(無言の)「絡み」は、一段と鮮やか、それにアヒルの子・君子の可憐さ、「おんどり」役・甲斐文太が醸し出す絶品のユーモアとペーソス、(頓狂な)電力会社員に扮した赤胴誠、(艶やかな)新妻役・春夏悠生の風情も添えられて、劇団員一人一人が、文字通り「適材適所」で描出する名舞台に仕上がっていた。お見事!、さて、お次は・・・、「春木の女」「噂の女」「命の賭け橋」「新橋情話」等々と、身勝手な期待を胸に抱きながら、帰路に就いた次第である。
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(1996/08/21)
岸谷五朗、水橋文美江 他

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2017-02-04

付録・邦画傑作選・「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)

 ユーチューブで映画「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)を観た。戦時下における教育映画の名作である。
 主人公は、小田切とみ(高峰秀子)16歳、彼女の父は行方不明、母とは7歳の時に死別、母が遊芸人だったことから9歳の時、曲馬団に入れられた。現在の保護者は伯父になっているが折り合いが悪く、放浪を繰り返し、警察に度々補導されている。性格は強情、粗暴で、一切口をきかない・・・、ということで少年審判所に送られた。その結果、東北にある救護院、四辻学院で教育を受けることになる。彼女の身柄を引き受けに来たのは(新任の)山田先生(里見藍子)。市電、汽車、バスを乗り継いで学院に向かうが、とみは口を閉ざしたまま山田先生の話しかけに応じようとしないばかりか、「隙あらば逃げだそう」という気配も窺われる。事実、高崎駅で先生が水を汲みに行き戻ると、とみの姿は消えていた。あわてて探せばホームに立っている。「小田切さーん」と呼びかけられ、走り出した列車に飛び乗るという離れ業を演じる始末、ようやく学院の門前まで辿り着き、先生が「疑って悪かったわ、何でも悪い方にばかり考えてしまって・・」と言った途端、今度は本当に逃げ出した。道を駆け下り、畦道伝いに、田圃、叢を抜け、沼地へと逃げていく。必死に追いかける先生もまた走る、走る。とみは沼地に踏み込み、ずぶ濡れ、先生もずぶ濡れになって後を追う。「捕まえる」というよりは「助ける」ために・・・。やがて、とみの行く手には高い石垣が待っていた。万事休す、キッとして先生を睨むとみ。しかし、先生は意外にも、その場(水中)にしゃがみ込み泣き伏してしまった。とみは逃走を断念する。 かくて、とみは学院の一員となったが、「無言の行」は相変わらず、誰とも言葉を交わさない。院長の四辻(菅井一郎)は「初めはみんなそうだ、そのうちに必ずよくなる」と確信、山田先生を励ますが、とみの強情、粗暴は変わらず、院生とのトラブルは増え続ける。「親切にされると、下心があるんじゃないかと疑い深くなるものだ。彼女の乱暴は、身を守る手段なのだ」という院長の言葉は、現代にも通じる至言だろう。
 院生たちの不満は、一に、新参のとみが心を開かないこと(緘黙を貫いていること)、二に、そうしたとみを院長が許容していること、三に、山田先生がとみだけを可愛がっていることに向けられる。とみには「山猫」という異名がつけられた。とりわけ、とみにつらく当たるのは足を引きずる年長の院生(配役不明・好演)、院生の間では一目置かれているボス的存在である。裁縫の時間に、彼女が山田先生をからかう言動を目にして、とみは彼女に掴みかかり「組んず解れつ」の大暴れ。その夜とみは、四辻院長が「あの子が他人のために乱暴したのは初めてだ。大変な変化だよ、もうあんたとあの子は他人ではないということだ。ますます他の子どもたちはあなたに当たってくるだろう」と話しているのを盗み聞き、山田先生が自分のために苦しんでいることを知る。翌日、音楽の授業ではとみが歌わないので、院生たちは全員歌うのを止めて抵抗する。件のボスが「歌わなくていいのなら私も歌うのはいやです!」と言えば山田先生はなすすべもなく職員室に引き下がる。すっかり自信を失った山田先生に、四辻は「あなたは彼女を愛してさえいればいいんだよ、責任は私がとる!」、四辻の妻も「誰もが経験することなのよ」と慰めたのだが・・・。院生たちが「大変です!小田切さんが逃げました」と駆け込んで来た。とみはボスと一対一で決着をつけ(相手を叩きのめし)脱走したのである。
 院長は直ちに駐在所、駅その他の機関に連絡、捜索を始めたが、とみの行方は杳として知れなかった。それもそのはず、彼女は人里を避け山奥に向かっていたのだから。その晩は嵐、恐怖を乗り越えて翌日、一軒の小屋に辿り着いた。粗末な部屋に人の気配はない。しかし、囲炉裏には鍋が吊され雑炊が煮えている。思わず、それを口にするとみ。やがて人の気配がした。物陰に隠れて見ていると、「そろそろ出来ている頃だぞ、ああ腹減った」
と言いながら子どもが二人入って来た。茶わんが一つ足りない。「あれ?誰かが食った」「ヤダイ、ヤダイ、ヤダイ・・・」という様子を見て、とみが姿を現し、初めて言葉を発した。「あたいが食べたんだよ、昨日一晩中、山の中にいてたまらなくおなかが空いていたもんだから。ごめんよ」と謝る。
 子ども二人は、勘一(小高つとむ)、勘二(加藤博司)という兄弟で、母親を亡くし、猟師の父親松次郎(進藤英太郎)が権次郎という熊をしとめに出かけている間は、二人きりで留守番をしているのだという。
 その日の夜も嵐、強風から小屋を守る兄弟に「ボンヤリしていないでつっかえ棒を持って来いよ」と言われたり、翌朝には「味噌汁に入れるマイタケを採りに行こう」と誘われたり、牧場の裸馬に乗って見せたり、父が居ないと寂しがる勘二に逆立ちをして笑わせたり、勘一から「姉ちゃん、父ちゃんが戻るまで一緒にいてくれよな」とせがまれたり・・・、ようやく、とみは「身の置き所」を見つけたようだ。しかしその安穏はいつまでも続かなかった。米櫃の米が底をついたのだ。やむなく、とみは、村から食料を盗み出すようになっていく。村人からの訴えが相次ぎ、「山猫」という異名は村人たちにも及ぶ始末、事態を憂慮した駐在(永井柳筰)や山田先生は、応援を率いて、山狩りをすることになったのである。
 追っ手が迫って来た。とみは兄弟に盗んできたイモを渡し「すぐに戻ってくるから、これを食べていなさい」と言うが、「ヤダイ!姉ちゃんと一緒に行くんだい」と抱きつかれた。もうこれまでと、とみは兄弟を連れて脱出する。折しも父・松次郞が戻って来て、山田先生、捜索隊と鉢合わせ。「山猫が子どもたちを掠って逃げた」という声に、松次郎は仰天、銃を持って追おうとする。「待って下さい、落ち着いて。あの子がそんなことをするはずがありません」「山猫とは誰なんだ!」「私の娘です」、という山田先生の言葉を振り切って松次郎は駆けだした。必死でその後に続く山田先生・・・、森の中で一発の銃声が聞こえた。思わず倒れ込む山田先生。やがて、兄弟が松次郎を見つけた。「父ちゃん!」と駆け寄ってすがりつく。両手でしっかりと兄弟を抱きしめる父、その光景を呆然と見つめるとみ、力なく歩き出し、倒れている山田先生を見つける。「先生!」と叫んだが反応がない。もう一度、揺り起こして「先生!」と呼ぶ。気がついた先生、一瞬、逃げ出そうとするとみを捕まえて、ビンタ(愛の鞭)一発。とみは先生の胸に飛び込んで泣き崩れた。
勘一と勘二が父・松次郎の懐に飛び込んで、その温もりを感じたように、とみもまた山田先生の「一発」に母の愛を確かめることができたのだろう。二人は抱きしめ合いながら、心ゆくまで泣き続ける・・・。 
 大詰めは、四辻学院の農作業場、晴れわたった大空の下、「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷の・・・」という歌声の中で、院生、院長、山田先生らが、溌剌と鍬を振るい、斜面の畑を耕している。麓の方から「お姉ちゃん、お姉ちゃん」という声がした。勘一と勘二である。傍らには松次郎、駐在さんの姿も見える。思わず駆け降りる、とみ。山田先生にぶつかり「ゴメンナサイ」、走りながら「ゴメンナサイ」、最後に立ち止まり、振り返って院生たち全員に「ゴメンナサーイ!」。まさに「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷」に向けた、とみの澄み切ったメッセージで、この映画の幕は下りた。
 戦時下の「国策映画」とはいえ、いつの時代でも、教育とは「愛の世界」に支えられなければ成り立たないこと、社会はつねに変動していくが人間の「愛」は永久に不変だということを心底から納得した次第である。(2017.2.3)



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