META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い
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2018-04-26

脱「テレビ」宣言・《「酒井法子保釈」報道のバカ騒ぎ》

 東京新聞朝刊(14面)に「『酒井法子保釈』にTV報道過熱 民放素早く、NHKは夕方“参戦” ヘリで追跡の局も」という見出しの記事が載っている。昨日の夕方、私はとあるスーパー銭湯のサウナ室にいたので、その番組を(観たくもないのに、無理矢理、半強制的に見せつけられるという形で)「観ざるを得なかった」わけだが・・・。たしかに〈午後四時半、酒井被告が東京湾岸署の正面玄関に姿を見せると、一斉に同被告をとらえて放送。車で都心に向かうと、ヘリコプターを飛ばして上空からリポートする局もあるなど過熱気味に〉とあるように、TBSであれ、日テレであれ、フジであれ、「視聴率稼ぎ」を目途にした《バカ騒ぎ》の連続、〈東京都千代田区内での会見は、テレビ東京以外の民放が会見前の午後六時ごろから伝え、同六時半すぎからはNHKも報道合戦に“参戦”。涙を流して謝罪する酒井被告の顔のアップを映し出した〉そうである。受信料を徴収しているNHKまでが、とるにたらない「一女優の不祥事」などにかかわるようでは、まさに「世も末」というところ、開いた口がふさがらない。記者会見では、とっくに解雇、縁が切れたはずの所属事務所副社長が(なぜか)同席、しかも「質疑無し」の一方的な謝罪(約十分)で終了となれば、この一連の《バカ騒ぎ》が、(女優側の?)誰かによって仕組まれた「茶番劇」であることは一目瞭然、それに乗せられた「報道関係者」の「浅はかさ」「愚かさ」「間抜けさ」ばかりが際だつ一幕であった。
 要するに、酒井法子は「覚醒剤取締法」を犯した女優として(その経験を「芸の肥やしとして」)再出発することを、記者会見で「宣言」したのであり、そこで「流した涙」は、精一杯・迫真の「演技」、彼女の「復活劇」を支えるために、民放・NHKが一致協力して「加担」したということに他ならない。芸能リポーター梨元勝氏は「一芸能人としてファンや関係者に向けた謝罪の言葉はあったが、社会人としての意識、反省がどこまであるのか大いに疑問。(略)今後、復帰の話が出るかもしれないが、様子見うんぬんではなく、きっぱり引退すべきだと思う」(同紙・31面)とコメントしているが、その正論が通るかどうか、ひとえに報道メディア側の「姿勢」(視聴率至上主義を克服できるかどうか)にかかっている、と私は思う。(2009.9.18)



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2018-04-25

脱「テレビ」宣言・《「NHK受信料未払い問題」の“怪”》

 水道、電気、電話などライフラインに関する使用料金を滞納した場合、それらの物資、サービスが供給されなくなることは必定であろう。だがしかし、NHK受信料は例外である。受信料を払っても、払わなくてもNHKのテレビ番組を視聴することができるとは、全く不可解な話である。どうしてそのような事態が生じているのか、インターネットで「NHK受信料」を検索すると、出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で、以下のような記事が目にとまった。〈スクランブル化について 現在、受信料不払いや受信契約の解消等の問題がある一方で、受信料を払わずともNHKが視聴できてしまうことや、NHKを視聴していないにもかかわらず受信料が課金される等の不公平感を無くす為、受信料を支払っている契約者以外は視聴できなくするスクランブル方式を導入する討論もなされている。デジタル放送においてはスクランブル化は技術的に困難ではないが、「特定の人にしか視聴できなくすることは情報に自由にアクセス出来なくなることになり、公共性が失われることになる」「経済的に窮地に立たされている人に対し情報格差を生じさせることになる」との理由により、NHKとしてはスクランブル化は避けるべきであるという見解を出している。しかし、NHKの主張する受信料の義務化・罰則化は「受信料を払えなければ無料の民放すら見られない」という状況を意味し、スクランブル化以上の情報格差を生じさせる事になり、非常に矛盾に満ちた主張が展開されていると言える。結局のところ、NHKはスクランブル化によってTV所有者全体から受信料を徴収するという前提が崩れ、減収となるためスクランブル化に反対しているのである〉
 なるほど、NHKには「TV所有者全体から受信料を徴収するという前提」があったのか。ところで、その前提は「自由民主主義」「社会民主主義」「共産主義」等を標榜する各政党にとって、是なのか、非なのか。今日の朝刊(「東京新聞」6~7面)に掲載された〈2009衆院選 主要政党マニフェスト要旨〉を読んだ限りでは、何の情報も得られなかった。「NHK受信料未払問題」など、国政にとっては「採るに足らない」ことなのかも知れない。だがしかし、今や「第四の権力」として君臨する「マスコミ」(情報産業)のあり方について「思いが及ばない」(政治家の)集団など、私にとっては「採るに足らない」ことなのである。かくて、今回の衆院選もまた「支持政党無し」、棄権する他はないということか・・・(溜息)。
(2009.8.1)



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2018-04-24

脱「テレビ」宣言・《「脱原発」は「脱テレビ」から》

テレビ番組の大半は、スタジオにテーブルや椅子を並べ、そこに数人の人物を侍らせ、「ただしゃべらせる」といった代物が「定番」となっているが、実に「安直」な、製作方法である、と私は思う。例えば、「あさイチ」「スタジオパーク」「ゆうどきネット」(NHK)、「スッキリ」「ヒルナンデス」「ミヤネ屋」「every」(日本テレビ)、「やじうまテレビ」「モーニングバード」「スクランブル」「Jチャンネル」(テレビ朝日)、「みのもんた朝ズバ」「ひるおび」「Nスタ」(TBSテレビ)、「7スタ」(テレビ東京)、「とくダネ!」「笑っていいとも」「知りたがり!」「スーパーニュース」(フジテレビ)等々・・・、数え上げればきりがない。こうした番組は、ただ「時間つぶし」(視聴率稼ぎ)のために、著名人をかき集め、「愚にもつかぬ」井戸端会議を、延々と「性懲りもなく」視聴者に「押しつけている」に過ぎない。まさに「屁」のような代物なのである。そこで取り沙汰されるテーマが「脱原発」だと!、「脱原発」、大いに結構!、しかし、それを実現するためには、まず、テレビ放送に費やす電力を削減しなければならない。東日本大震災直後、テレビ放送界は、一様に「消沈」、件の「安直」番組は「姿を消す」かに思われたが、のど元過ぎれば熱さを忘れ、ほぼ1ヶ月後には復旧、「がんばろう日本」などと、他愛もないスローガンを標榜している。「脱原発」を叫ぶなら、まず「隗から始めよ」。テレビ放送の「安直番組」「深夜番組」を削除せよ。そのことで、テレビ事業関連従事者の職は奪われ、多くの失業者が輩出するだろう。「脱原発」イコール「脱テレビ」、はたして今の日本において、そんなことが可能であろうか。無理、無理。である以上、私たちの「原発依存」は、永遠に続くのである。嗚呼・・・。(2012.11.7)



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2018-04-23

脱「テレビ」宣言・《おそるべきCM》

 場所は、ある高層マンションの一室。幼い姉(5歳)と弟(4歳)がテレビを観ながら留守番をしていた。そこに映し出された映像は、たまらなく魅力的であった。なぜなら、アニメではなく実写の人間が、すいすいと、自由自在に(まるでハヤブサのように)都会の空を飛び回っていたからである。「アッ、飛び上がった!エッ、宙返り?」その人間(たち)は、瞬く間にビルの屋上に舞い上がったかと思うと、次々と高層ビルを渡り歩き、やがて見事に着地する。弟いわく「ボクもやりたい」。姉こたえて「ダメダメ。あんなことできるわけないよ」弟「できるさ!タクヤだって、クサナギくんだって、飛んでいたよ」姉「あれはウソなの!」弟「ウソじゃないよ。アニメじゃないもん。テレビはウソつかない!」姉「じゃあ、やってみれば」かくて、翌日の新聞には「高層マンションから男児転落死 幼い姉弟留守番中」という見出しの記事が載ることになった。以上は、私の「作り話」に過ぎないが、昨今のテレビ映像には「衝撃的」「扇情的」「露悪的」「営利的」な場面が溢れていることを、私は見過ごすことができない。テレビ産業従事者の面々は、みずから製造・販売している商品(番組)を、かけがえのない愛児たち(次世代の後継者)に、堂々と胸を張って見せることができるのだろうか。「視聴率」だけでステータスが左右される虚妄な業界の中で、「面白ければよい」「売れればよい」「驚かせればよい」といった物差しを盲信、結果として、子どもたちの「感性」「判断力」を鈍麻、消耗させている罪の深さは途方もないことを思い知るべきである。とりあえず言っておく。「ソフトバンク」、「眼鏡市場」のCM製作担当者、それを放映しているテレビ局担当者の方々、あなたがたが手掛けた「誇大妄想」「荒唐無稽」「ウソ八百」の映像を、純粋無垢、いたいけな子どもたちが「食い入るように」観ていますよ。その結果責任をとる覚悟はできていますか。間違っても、「CMと事故の間に因果関係は認められない」とか「それ以前に両親の保護責任が問われなければならない」などといった詭弁を弄さぬよう、お願いいたします。(2011.1.30)



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2018-04-22

検証・テレビの大罪・《絶叫アナウンサー》

テレビのスポーツ実況番組では,ほとんどのアナウンサーが絶叫している。大昔,NHKのアナウンサーが「前畑,ガンバレ」と絶叫したのが始まりのようだが,それはラジオの実況放送であった。テレビの絶叫では,古館伊知郎のプロレス中継がそのはしりといえようか。いずれにせよ,ワンパターンの絶叫は,アナウンサーの無能力をさらけ出すだけだ。競技場の雰囲気,沿道の様子,情景などは「見ればわかる」のである。最近では,アナウンサーもそれに気づいたと見え,選手の身辺情話を盛り込んで絶叫している。なるほど,身辺情話は見てもわからない。でも,アナウンサーの方々よ,身辺情話を絶叫すると浪花節になってしまうことを御存じか。古館は自分を「現代の語り部」「名司会者」などと勘違いしているようだが,ためしにCDにでも録音して売り出してみるがいい。そして,三門博,広沢菊春,広沢瓢右衛門などの浪曲と聞き比べてみるがいい。
視聴者は,テレビでスポーツを「見たい」のである。加えて,競技場の雰囲気,沿道の様子,情景の音声も「聞きたい」のである。アナウンサーの方々よ,あなたの絶叫が,そのような視聴者の願いを,ことごとく蹴散らかしていることを御存じか。
しかし,情報化社会の現在,このような声が関係者の耳に届いていないはずはない。だとすれば,アナウンサーはそのような声があることを百も承知で絶叫していることになる。マイクを握っているのは視聴者ではない。視聴者がテレビの前で「やかましい,黙っていろ」と絶叫してみたところで,所詮,相手に届くわけではない。視聴者は,やむなく音声を消して,沈黙の画面を見るだけとなる。
問題は,だれがアナウンサーを絶叫させているかということだ。ほとんどのアナウンサーが絶叫しているところを見ると,彼らの独断とは思えない。関係者からの職務命令でもあるのだろうか。
質問しても答はわかっている。「そのような命令は出しておりません。ただ,アメリカのスポーツ報道では,定法となっております。」
(2004.1,9)



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2018-04-21

検証・テレビの大罪・《コマーシャル》

 テレビが日本の文化を駄目にしている。映画「生きる」の監督・黒澤明は自分の作品をテレビで放映することを極端に嫌ったそうだが,途中で無関係な広告映像が次々と挿入され,本来の作品とは似ても似つかぬ代物に変貌させられてしまうのだから,当然なことであろう。そればかりではない。コマーシャルという広告映像は,視聴者の感性,認知能力をも「暴力的に」破壊してしまうおそれがある。アニメーション番組を見ていた4歳児が,発作を起こして入院した例もあった。
コマーシャルという広告映像は,受信者の視聴覚を繰り返し刺激し続けることで,必要な情報を無批判に記憶させることを目的としている。
テレビの初期には,ドラマであれドキュメンタリーであれ,ノンフィクションであれ,それなりのテーマを表現できる時代もあったが,今では,コマーシャルという広告映像を放映し続けることがテレビの目的になった。細切れにされた作品やワイド,スペシャル等と名付けられたスキャンダル,見せ物番組,井戸端会議の垂れ流しに終始しているのが現状である。
視聴者は,それらを見続けることで,日常と非日常の世界をさまよいながら,心の底から感動することもできず,おのれの感性や認知能力,批評精神(クリティシズム)を日に日に鈍磨させていく,しかもそのことに気づいていない。正に「文化的な無差別テロ」といっても過言ではないだろう。(2004.1.4)



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2018-04-20

検証・テレビの大罪・《番組表》

いつの頃からか,テレビの番組表が新聞の1ページを占めるようになった。それまでは,放送時刻と番組のタイトル,出演者を紹介する程度であった物が,徐々に拡大され,今では,見なくても内容がわかってしまうほど詳細に,その番組のキャッチフレーズが載っている。テレビ業界が熾烈な視聴率獲得競争を展開している現れであろうが,そのキャッチフレーズが「狂気の沙汰」としか言いようがない。 
「モ娘ザンゲ加護全裸のぞき&石川マジギレ事件 YとO禁断愛発覚」(テレビ東京)
「マルシアに李麗仙が反論? 家で浮気なんてありえない」(TBSテレビ)
「霊のまばたきの瞬間を撮影見たものは呪われる 恐怖のビデオ」(テレビ朝日)
「電卓の名人 1秒に8キーたたく人」(NHKテレビ)
「少女達の新春熱狂地帯欲望全開<略>酒ラッパ飲み調泥酔300人が大交差点占拠 ナンパ続出 乱れすぎ大荒れ澁谷」(フジテレビ)
「旧家に起きた連続の怪事件・ナゾの侵入者 真っ暗闇で家中を移動居間に残された狂気のメッセージ」(日本テレビ) 
暮れから正月にかけての「番組表」を見ただけでも以上のごとくであり,狂気のキャッ
チフレーズは枚挙にいとまがないのである。なかでも「楽しくなければ年の瀬じゃないスペシャル!」と題して「抜き打ち学力テスト年末ジャンボバカ決定」(フジテレビ・12月27日)は極め付きであった。誰が作文したかは知らないが,バカを決定して楽しもうという軽佻浮薄なテレビ「文化人」の魂胆が見え見えである。
面白ければよい,視聴者が飛びつけばよい,視聴率が上がればよい,という尺度で愚にもつかないゴシップ,スキャンダル,井戸端会議,個人情報等を流し続けるテレビ業界の罪状は途方もなく重いのである。(2004.1.8)



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2018-04-19

検証・テレビの大罪・《嘘と真実》

「百聞は一見に如かず」というが,はたしてそうか。テレビの映像を見て,そこに映し出された事物が「真実」であると思ってはいけない。寄席の手品と同様に,テレビには種も仕掛けもあるのである。
昔,スプーンを曲げる少年が登場し,実際にその場面が放映された。そこに居合わせた,画家の岡本太郎が感想を聞かれ,苦渋に満ちた表情でただひとこと「子どもの遊びだね」と吐き捨てるように言った様子が忘れられない。当然のことながら,彼はその場で,スプーン曲げ遊びの「種」や「仕掛け」を見抜いていたに違いない。しかし,それを視聴者に向けて明らかにしなかったのはなぜか。私もまた,苦渋に満ちた表情で「それを言っちゃあー,おしまいだよ」と言うべきであろうか。
岡本太郎は,なぜ嘘を嘘だと暴露しなかったか,私の勘ぐりによれば,彼は暴露したくても暴露できなっかったのではないか。自分の立場を考えたのである。番組関係者は,少年の嘘を「真実」だと信じていたのだろうか。私の勘ぐりによれば,信じていたと思う。もしそれが嘘だとわかっていたら,番組そのものが成立しなくなるからである。いうまでもなく,番組は商品であり,関係者の目的は視聴率を稼ぐことである。少年は超能力でスプーンを曲げると言う,おもしろい,めずらしい,やらせてみよう,視聴者は飛びつくに違いない,視聴率が稼げる,嘘か真実かはどうでもよい,でも願わくば真実であってほしい,後から誤報なんてみっともない・・・。この程度の感性,認知能力ではなかったか。
世界的な芸術家,岡本太郎は,この程度の感性,認知能力に付き合わされてしまったのである。だから,苦渋に満ちた表情を隠せなかったのであろう。今さら,証拠を挙げて嘘を暴露する気にもならない。「こんな番組に出演しなければよかった」と彼は思った。
しかし,それが「真実」であるかどうかはわからない。(2004.1,7)



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2018-04-18

《寸言》・嗚呼・・・、「梅乃井けん字」

「劇団花凜」座長・梅乃井けん字は「ついカッとなって火を付けた」と言う。その三日前、私は図らずも「大衆演劇の『裏舞台』・2チャンネル」という駄文の末尾で「各劇団、各役者一同様、『2チャンネル』の情報はすべて絵空事、取り沙汰されるのも『芸のうち』と受け流して、『裏舞台・名無しさん』連中の三文芝居をお楽しみください」と綴っていたのだが・・・。「慚愧に堪えない」とはこのことを言うのか。私のことはともかく、当事者の梅乃井けん字は「容疑者」「被告」「服役囚」と呼び名を変えて、修羅の道を歩まねばならない。加えて、その妻女、子息たちの行く末も「針のむしろ」であることに変わりなく、まさに「この世は地獄」と言うほかはないのである。「梅乃井けん字」という看板とともに、「梅乃井秀男」「梅乃井みき」「山口さとる」「山口一見」といった(実力者の看板も降ろさなければならないのだろうか。文字通り「覆水盆に返らず」「後悔先に立たず」「弁解の余地はない」という「現実」を受け入れなければなるまい。「それにしても・・・」という繰り言が出そうになるのを、必死にこらえて、いくつかの劇団、いくつかの舞台を見聞してみるものの、私の気持ちは晴れない。事件の「余韻」(影響)はことのほか大きく、斯界のあちこちに「暗雲覆うがごとく」のしかかっているといえば、言い過ぎであろうか。せめてもの「申し訳」として、被害が身内で収まったとはいえ、もとより「火付け」は重罪中の重罪と、世間の相場が決まっている。悔やんでも悔やみきれない空気が漂っているように、私は感じる。だがしかし、済んでしまったことをふり返っても仕方がない。罪を償わなければならぬのは「梅乃井けん字」(一人)と割り切って、前進する他はないのだ。今後(とこしえに続くであろう)「罪人の家族・関係者・同業者」という(巷間の)風評》を乗り超えて、斯界関係者一同が舞台に専念されることを願わずにはいられない。嗚呼・・・。
(2012.4.19)
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2018-04-17

幕間閑話・大歌舞伎名門「御曹司」の《醜態》

大歌舞伎名門の御曹司が「酒の上の不始末」で醜態を晒している景色は、文字通り「無様」としか言いようのない「有様」だが、それをネタに「一儲け」を企むマスコミ・ジャーナリズムの面々も見苦しい限りである。もともと、この御曹司(父と同様)、大した実力もないのに、ミーハー連中の「人気」を盾にして、「自分の芸は《無形文化財》に値する」などと。とんでもない錯覚をしていることが問題なのである。〈作家の利根川裕さんは「類いまれな歌舞伎役者の素材であることを本人がもっと自覚して、自分を大事にして一日も早い復帰を」と望む〉(東京新聞12月8日朝刊 )〈「江戸っ子と助六」などの著書がある演劇評論家の赤坂治積さんは「役者は表現者として、酸いも甘いもしっておくほうがいい。悪人も演じるのだから」と一定の理解を示す。「品行方正な優等生が演じても、面白みがない。役者は小さくまとまらず、破天荒なところがあっていい。それを世間も容認していた〉(同・12月9日朝刊)などといった「世評」が、そのことを裏付けている。御曹司のどこが「類いまれ」なのか。どこが「破天荒」なのか。私は数年前、御曹司の舞台・世話物狂言「小袖曽我薊色縫」(十六夜清心)を見聞しているが、白塗りの二枚目・なよなよした清心が、一転「悪人」に変化(へんげ)する場面を観て驚いた。何だこりゃ!?、役者が「地」に戻っただけではないか。ただドスをきかせて凄むだけ、「悪人を演じる」風情とは無縁であった。まあ、大衆などという代物は所詮「ミーハー」、見る眼がないといえばそれまでの話だが、どうしてどうして「大衆演劇」の役者の方が、御曹司など足元にも及ばない「名演技」を披露している。例えば「仇討ち絵巻・女装男子」の鹿島順一、「三島と弁天」の小泉ダイヤ、「弁天小僧・温泉の一夜」の橘龍丸、「身代わり街道」の白富士健太、「女小僧花吹雪」の梅乃井秀男等々・・・、数え上げればきりがない。さだめし「品行方正な優等生」の著名人には、およそ知るよしもない役者連中であろう。彼らは、しがない「旅役者」、その日その日の劇場で、その日その日の演目(日替わり)を、数十名の観客を相手に、「日にち毎日」演じ続けているのである。座長口上の決まり文句は「未熟者揃いの劇団ではありますが、どうか千秋楽までお見捨てなきよう、よろしくお頼み申し上げます」。今、件の御曹司にとって必要な修業は、そのような精進、そのような謙虚さを学ぶことである。間違っても今回の騒動が「酸いも甘いもかみ分けるよい機会になった」などと思い上がってはいけない。大衆演劇の役者に比べて「十年早い」のである。そんな折、大歌舞伎界、稀代の名優・阪東玉三郎が、御曹司の代役を引き受けたという。曰く「一月が空いており、お引き受けしなければと思った。お声がかかるうちが花。東京での公演は(4月の)歌舞伎さよなら公演以来。やる以上はお正月らしい華やかな舞台にしたい」と語った。(同・12月10日朝刊)さすがは名優、その心がけ(根性)が違う。「お声がかかるうちが花」、その謙虚さこそが「至芸」の源泉であることを、私は確信した。一見「品行方正な優等生」と見られがちな坂東玉三郎こそ、「酸いも甘いも噛み分けた」稀代の歌舞伎役者であることを見落としてはならない。(2010.12.10)
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2018-04-16

劇団素描・「劇団武る」・《芝居「おさん徳兵衛」》

【劇団武る】(座長・三条すすむ)<平成20年2月公演・浅草木馬館>
 座長を筆頭に、座員は指導・勝次朗、副座長・藤千乃丞、女優・月城小夜子(元・松竹新喜劇)といった「実力者」が舞台を引き締めている。芝居の外題は「おさん徳兵衛」、大衆演劇の定番、「実力者」たちで主役・脇役を固め、安心して観ることができた。特に、座長の「お菰」役は絶品で、「あわれさ」と「あかるさ」(滑稽)を両立させる「上品」な雰囲気が舞台に漂っていた。「舞踊ショー」も、座長の「命くれない」「ああ、いい女」、副座長・藤千乃丞の「ある女の詩」等、女形舞踊が素晴らしく、印象に残る舞台であった。それに比べて、やや「立ち役」(男踊り)が単調、「色香」に欠けるので、指導・ショウジロウの「奥飛騨慕情」(これは伝統的至芸といえる逸品であった)を目指して、さらなる精進を期待したい。思うに、座長・三条すすむの持ち味は、「女形」の方にあるのではないか。古くは辻野耕輔、若葉しげる、近くは市川千太郎の方向性と軌を一にしながら、「里見要次郎」風ではない女形、たとえば「藤純子」的な風情を極めれば、大成するだろう。
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2018-04-15

寸評・「南條隆一座とスーパー兄弟」の《裏舞台》

 「人の噂も75日」というが、「南條隆一座とスーパー兄弟」に関する風評も、巷間(2チャンネル)では「一息ついた」ようである。というより、「息の根を止められた」と言った方が正確かも知れない。劇団幹部が逮捕されたのが8月下旬、2チャンネル(スレッド名「スーパー兄弟」「スーパー兄弟2(暴行劇団)」「スーパー南條」)では、8月28日から10月2日まで、総計1791件の「書き込み」があった。以後「スーパー南條」と称するスレッドには1件の「書き込み」もない。その間36日、なんと75日の半分で、《人の噂》は消滅してしまったのだから・・・。それにしても、この「裏舞台」で有象無象連中(名無しさん連中)が繰り広げる「三文芝居」は面白かった。筋書きは、あるようでないようで、判然としない。主役は一條雷矢、仇役は南條一味という構図は明らかだが、その眼目がどのあたりにあるのやら・・・。「書き込み」の要点を、独断と偏見で整理すると以下のようになる。①「南條隆一座」は暴行劇団である。②劇団幹部が傷害・暴行容疑で逮捕されているのに「謝罪」もせず、興行を続けた。留守役の大路にしきは「真実は一つ、戦います」と言っている。③劇場の看板には、出演できない役者の名前が掲げられ、その穴を他の劇団員がゲスト出演で埋めている。⑤ゲスト出演した一人の役者は、今回の一件について「謝罪」し、翌日の予告をしたが、出番を取り消された。⑥「暴行劇団」を受け入れる劇場主、興行主、応援に駆けつける劇団員、贔屓筋は「みな同罪」である。⑦九州の劇団は、「九州演劇協会」(会長・玄海竜二)、「同魂会」(会長・紅あきら)、「和・一信会」(会長・南條隆)というグループを作って勢力争いをしているので、今回の一件について、すっきりと「けじめ・すじめ」をつけられる実力者がいない(関西には山根、関東には篠原という実力者がいる)。⑧「南條隆一座」の10月の公演先は関西、はたして「興行」を続行できるか。
 そして、今は10月の半ば、表舞台の「南條隆一座」は「スーパー南條」と看板を替えて、「平然と」興行を続け、「大入り」を重ねている。要するに、「真実は一つ、戦います」という大路にしきの宣戦布告どおり、この劇団は「勝利への道」を一歩一歩辿っていることになるのだろう。大路にしきにとって「けじめ・すじめ」をつけるのは、あくまで「警察」、件の仇役が「保釈(釈放?)」された今、何の臆することがあろうか。というわけで、「南條隆一座」の《裏舞台》は「突然」(あるいは必然的に)閉幕した次第、今さらながら、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられ続けた(体臭演劇)「クズ・カス集団」の「強かさ」(矜持)に、私は感動している。
 しからば、「真実は一つ」とは?その謎(眼目)が解き明かされぬまま、この「三文芝居」が閉幕してしまうことは、誠に残念なことではある。(2014.10.14)
わたしの舞台は舞台裏 大衆演劇裏方日記 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)わたしの舞台は舞台裏 大衆演劇裏方日記 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)
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2018-04-14

寸評・「南條隆とスーパー兄弟」・《真実は一つ》とは?

 南條隆とスーパー兄弟が逮捕されてから1週間が過ぎた。劇団の興行は予定通り、空白になった3人の穴をゲスト陣が埋め、しかも初日は「ダブルの大入り」であった由、そのことを「御同慶の至り」と寿ぐか、「開いた口がふさがらない」と蔑むかは、個人の自由だが、裏情報(2チャンネル)によれば、容疑者の妻女であり(義)母でもある大路にしきが、舞台上から、「戦います」「真実は一つ」と訴えたそうである。ではいったい、その「真実」とは何だろうか。報道によれば、①容疑者3人が被害者に重傷を負わせたこと。②被害者が「退団したこと」は(まぎれもない)「事実」である。大路にしきは、まさかこの2点までも「真実ではない」とは言うまい。だとすれば、その「事実」(の因果関係)をどのように解釈するか、という点で「真実か否か」に分かれることになる。しかし、その「解釈」が表沙汰になることはないだろう。「それを言ってはおしまいだよ」という空気は斯界にとって「自家薬籠中」のものだから・・・。そこで「裏舞台」(2チャンネル)の出番となるのだが、私の独断と偏見により「邪推」すれば、事の発端は、(酒席での)(部外者にとっては)「他愛もない」、しかし当事者にとっては「許すべからざる」破戒行為ではなかったか。つまり、師匠の禁を破った、その結果、制裁が加えられた。大路にしきの言う「真実」とは、被害者が「師匠の禁を破ったこと」「反省もなく師匠に刃向かったこと」、したがって「非は被害者にある」ということかもしれない。因みに、師匠はどのようなことを禁じたか。部外者にとっては他愛もないこと「言わぬが花」というものであろう。(裏舞台では「アフター」「一気のみ」といった言葉が喧しく飛び交っているが、私は信じない)むしろ「真実」の核心は、以後の経過にある。被害者は、ケガの治療に専念(その費用を誰が払ったかは不明)、ほぼ1カ月後(4月から)「舞台復帰」できるまでに回復し、そのつもりになったのだが、結果は「二転三転」で退団となった。その「事実」をどのように解釈するか。つまり、被害者は4月、どうして「舞台復帰」しなかったか、あるいは、できなかったか、ということが問題だと、私は思う。その時点で被害者の「舞台復帰」が叶えられていたら、今回の一件は生じなかったかもしれないからである。
 加えて、大阪府警が事件後6カ月も「容疑者を泳がせていた」ことも「謎」、もしかして、大路にしきの訴える「真実」とは、その「謎」に関わる事柄か、「戦う」相手は警察か・・・?(2014.9.5)
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2018-04-13

寸評・「南條隆とスーパー兄弟」の傷害・暴行事件

 8月29日のmsn産経ニュースwestに以下の記事が載った。〈「師匠に刃向かってはならぬ」と劇団員に暴行 大衆演劇経営者を傷害容疑で逮捕 所属する劇団員を暴行したとして、大阪府警箕面署は29日、傷害容疑などで、大衆演劇「南條隆とスーパー兄弟」の経営者、南條隆=本名・矢野正隆=(66)と次男で劇団員、南條影虎=本名・矢野正章=(23)の両容疑者を逮捕したと発表した。いずれもおおむね容疑を認め、隆容疑者は「師匠に刃向かうのはこの世界では絶対にやってはいけないこと。戒めのつもりだった」と話しているという。隆容疑者の逮捕容疑は今年2月、箕面市内のホテルで催された公演後の打ち上げで、長男の劇団員(25)と男性劇団員(24)がトラブルになった際に長男に加勢して男性の顔などを殴り、顔面骨折の重傷を負わせたとしている。次男の影虎容疑者の逮捕容疑は、別の機会にこの男性劇団員を蹴るなどしたとしている。男性劇団員は退団したという〉(以後、新たに長男の龍美麗も逮捕された)。「南條隆とスーパー兄弟」といえば、日本全国に知れわたった人気劇団、大衆演劇ファンで知らぬ者はないであろう。その幹部が3人まで逮捕されたとあっては、さだめし「大きな衝撃」が走ったに違いない。南條隆は斯界の実力者、西日本の各劇団が連合した「和・一信会」の会長でもあるのだから・・・。だがしかし、その衝撃はファン層(の一部)にしか及んでいないようだ。この劇団が9月興行予定の「博多新劇座」のホームページには、何の変更もない。噂では、残った座員で予定通り興行を続ける由、ホンマカイナ・・・。この一件で、私が不可解に思った点は、以下の通りである。①事件の発生は今年2月、それから半年間「何事もなかった」のはなぜか。インターネットの裏情報では3月以降、男性劇団員の退団に関して「暴力云々」が取り沙汰されていたにもかかわらずに、である。傷害罪、暴行罪は「親告罪」ではない、大阪府警は、直ちに捜査を開始、迅速に事件の解明・解決を図るべきではなかったか。②容疑者の南條隆、影虎、龍美麗らが、被害者およびファンに対して「謝罪」もしくは「弁明」をしないのはなぜか。警察の取り調べに対して「師匠に刃向かうのはこの世界では絶対にやってはいけないこと。戒めのつもりだった」と話している?、だとすれば男性劇団員は、どのようにして「師匠に刃向か」ったのか、文字通り「刃で斬りかかった」のか・・・。いずれにせよ、大衆演劇の《眼目》は、(時として役者が舞台で口にする)「仁・義・礼・智・信」という、儒教・五常の徳を描出することである。中でも「仁」は慈悲と愛、「義」は、人のとるべき正しい道として、何よりも大切にされなければならない。一日も早く、真相が解明され、斯界に「五常の徳」が蘇ることを祈りたい。(2014.9.1)
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2018-04-12

劇団素描・「浪花劇団」・《芝居「新月桂川」》

【浪花劇団】(座長・近江新之介)・〈平成22年1月公演・大井川娯楽センター〉
座長の近江新之介は(私が愛好する)「鹿島順一劇団」の実力者・蛇々丸の弟ということで、かねてから見聞したいと思っていた。場所も、由緒ある東海地方娯楽の殿堂、役者も舞台も「絵になるのでは」と、胸ふくらませて参上してみれば、まさにドンピシャ、期待通りの結果であった。芝居の外題は「新月桂川」。主役・千鳥の安太郎に座長・近江新之介、その弟分に若手男優(芸名不詳)、桂川一家親分にベテラン・中村カズオ、その娘に浪花マオ、仇役・川向一家親分・蝮のゴン太、ゴン次(二役)に三枡ゆたか(?)、安太郎を慕う鳥追い女・お里に(座長の愛妻?)近江めだかといった配役であったが、何よりも「輝いていた」のが、脇役・中村カズオの老親分姿、続いて三枡ゆたかの「一見憎々しげ」な悪役振り、さらに鳥追い女・近江めだかのコケティッシュな風情が「格別」で、文字通り「芝居は脇役で決まる」典型的な舞台であった、と私は思う。その出来栄えは、「鹿島順一劇団」「近江飛龍劇団」とくらべて、いずれ菖蒲か杜若、甲乙つけがたい景色であった。座長の口上では、この劇団、「松丸家劇団」とも親類関係にあるとのこと、さすれば、初代・鹿島順一の血筋は「松丸家劇団」「鹿島順一劇団」「近江飛龍劇団」「近江新之介劇団」「おうみ悠劇団」に「脈々と」流れている、ということで、今さらながら血縁の絆の「強さ」を思い知らされた次第である。肝腎の座長・近江新之介の「芸達者ぶり」はさすが、義父は浪花三之介、兄は蛇々丸、義姉は笑川美佳といった「実力者」に囲まれて「育った」(か、どうかは定かではないが)、やはり血筋はあらそえない。舞踊ショー、役者の一人一人が、音曲の眼目を大切にして、精一杯「ドラマ」(独り舞台)を演じようとしている姿勢がたのもしい。五木ひろしの名曲・「傘ん中」を、扇子一本で(傘をもたずに)踊りきった役者は誰であったか(中村アヤノ?近江めだか?)、いずれにせよ、このような珠玉の舞台を提供できるのだから、座長!、「拍手請求」は(関東の客には)不要、不要、私自身は「拍手を忘れるほど」感動していたのである。
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2018-04-11

劇団素描・「桑田劇団」・《芝居「お春茶屋」・舞台は「懐かしの旅芝居」》

【桑田劇団】(座長・桂木昇)〈平成20年1月公演・川崎大島劇場〉
午後6時から大島劇場観劇(観客数15)。「桑田劇団」(座長・桂木昇)、座員は桂木昇を筆頭に、太夫元・桑田淳、三門扇太郎、中村駒二郎、山下久雄、桑田千代、桑田幸衣、音羽三美、ベビーゆきお(子役)、友情出演・雪松こずえ、という面々であった。総じて役者の平均年齢が高く、「わびしい」雰囲気が漂っていた。30年前に観た千住壽劇場の雰囲気そのままで「懐かしさ」ひとしおというところであろうか。芝居の開幕前には「配役」がていねいに紹介されたので、すぐに役者の顔と芸名を覚えることができた。外題は「お春茶屋」、それぞれの役者は場数を踏んでおり、安心して観ることができた。終幕近くの「節劇」の実力は「今一歩」、座長の「表情」が加わればさらに良かったと思う。舞踊ショーの中に、役者の「歌唱」が数多く(桂木昇、音羽三美、三門扇太郎、桑田淳、山下久雄)挿入されていたので、昔の歌謡ショーの雰囲気が漂い、他の劇団とは「一味違う」ことにも好感が持てた。中でも山下久雄の「歌唱」は出色、他の役者の舞踊曲を「生で」担当すれば舞台が盛り上がるのではないか。芝居・舞踊の全体を評して、まさに「昔ながらの大衆演劇」「懐かしの大衆演劇」と言えるだろう。ベビーゆきお(子役・2歳)は芝居に登場し、「その場にじっとしている」だけの演技であったが、立派だと思う。「かえるの子はかえる」、将来に期待したい。
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2018-04-10

劇団素描・「小泉たつみ劇団」・《芝居「血煙三度笠」》

【小泉たつみ劇団】(座長・小泉たつみ)<平成20年1月公演・大阪明生座>
昨年、東京の十条・篠原演芸場で観たとき、「もう一度観たい」と思ったが、その機会がなかった。今回、改めて観ると、「やっぱり」と思うほど、見事な舞台であった。座員は、座長の母・たつみ龍子、弟・小泉ダイヤ、妻(?)・たつみ真珠、妹(?)・小泉ルビー、愛餓男(あいうえお)、小泉一馬といった面々である。篠原演芸場の舞台では、座長・小泉たつみの「口上」(話術)、女形舞踊の衣装(江戸好みの渋い色合い)が印象的で、隠された「実力」を窺わせていたが、明生座でもその期待を裏切られることはなかった。「芝居」は「血煙三度笠」、親分の命令で人(対立する親分)を斬り、島流しになった子分(小泉ダイヤ)が、刑期を終えて帰ってみると、親分(芸名不詳・好演)に託した母は餓死、盲目の妹(小泉ルビー)もその日の暮らしに困っている。それだけではない。いとしい恋女房(たつみ真珠)までもが、今では親分の姐さんにおさまりかえって居るではないか。いかに親分の所業とはいえ、子分の気持ちは治まらなかった。渋る妹を連れて親分の所に掛け合いに行くが、面を割られて追い返される。一旦は妹と帰路についたが、どうしても気持ちが治まらない。妹を先に帰して、復讐に赴こうとしたその時、どこからともなく現れた女親分(たつみ龍子)。「バカなことはお止めなさい。そんなことをすれば、また島に逆戻り、後に残された妹さんをどうなさる。少ないけれどこのお金をもとに、堅気の商売を始めなさい」「なるほど、おっしゃるとおりだ。ありがたく頂戴いたします。どこのお方か存じませんが、せめてお名前を!」「見ての通りの渡世人、名乗るほどの者じゃあござんせん」  
家に帰った子分が、頂戴した五十両の金を手に、これから何の商売を始めようか思案していると、島で服役していたときの朋輩(座長・小泉たつみ)が突然訪ねてきた。再会を喜ぶ二人。しかし、朋輩は訝しがる。今の様子は、島で聞いた話とは違う。「お前の女房、おっ母さん、妹を面倒見ているはずの親分はどうしたんだ」「いや、いろいろ事情があって」と口ごもる子分から真相を聞き出して朋輩はいきり立つ。「ようし、おれに任せておけ、仇を討ってやるぞ!」単身、敵地に乗り込んだ朋輩、親分の所業を褒めちぎり、杯をもらって、体よく身内(代貸し)に納まるが、その後は黙っていない。親分の悪行を洗いざらい糾弾しはじめた。「畜生!図りやがったな!」激高する親分の前に、また、どこからとも現れる女親分、「うちの人の仇は討たせてもらいますよ!」、朋輩と女親分、協力し、めでたく敵討ちに成功した。その帰り道に駆けつける子分、朋輩から女親分の名前を聞いて驚愕、とっさに自刃した。困惑する朋輩、「何てことするんだ!?」。「兄弟!、聞いてくれ、その女親分は、昔、おれが手にかけたお人の姐さんだ!おれは死んでお詫びするしかねえんだ・・・」かくて、愁嘆場のまま終幕となった。
 私が驚いたのは、小泉ダイヤの「演技力」である。終幕まで、子分役は小泉たつみだと思っていた。あの朋輩役は誰だろう、ずいぶん達者な役者がいるものだ、と思っていたが、実はそれが座長、子分役は弟・小泉ダイヤだったのだ。また、登場する機会が少ない、母・たつみ龍子の芝居・舞踊を観られたことも大きな収穫である。「さすが」「見事」のひと言に尽きる。これまでの舞台経験に培われた「実力」が十二分に花開いたできばえであった。小泉ダイヤの女形舞踊も「あでやか」、ラストショーのコミカルな「表情」「所作」も絶品で、やはり「私の目に狂いはなかった」ことを勝手に満足した次第である。
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2018-04-09

劇団素描・「劇団悠」・《特選狂言「花のあと」の舞台模様》

【劇団悠】(座長・松井悠)〈平成25年1月公演・横浜三吉演芸場〉
表看板には、座長・松井悠の他に、高橋茂紀、藤田心、きぶし、北斗、田中勇馬、下町夢之丞、萩原なおと、高野花子、緋桜忍、成田美ゆり、北城竜、といった名札がかかっていた。座長の松井悠は「和悠斗改め」、ということだが、あのNHK大河ドラマ「風林火山」(2007年)で北条氏康役を演じた松井誠の息子である(当年とって26歳?)。本日の芝居は特選狂言「花のあと」。座長みずから台本を書いた由、期待に胸ふくらませて開幕を待ったが、第一部は「舞踊ショー」。幕開けは座長中心の民謡メドレー(河内音頭・ソーラン節等々)、続いて「ホレました」(勇馬、なおと)、「海よ海よ」(北斗、夢之丞)、「柳瀬ブルース」(きぶし)、「アメージングブルース&逢いたくて」(座長・女形)、「おふくろさん」(藤田心)、「雨に咲く花」(茂紀、夢之丞)、「人生しみじみ」(座長・女形)、「おんな港町」(座長、美ゆり、忍)、「一本〆」(座長、他)、「人生男節」(茂紀)「富士」(花子)「夢の浮橋」(座長・女形)、「ラストショー・ズンドコ節」まで、全15曲を踊り通したが、印象に残ったのは座長の女形、高野花子、成田美ゆりくらいであったろうか。さて、いよいよ特選狂言と銘打った「花のあと」。幼馴染みの加代(16歳・座長)と喜平(庄屋の次男坊)の悲恋物語である。加代は、母・しげと二人暮らしだが(しげが病弱のため)、家は貧しく年貢が納められない。吉原に身売りすることを決心、喜平もまた江戸の呉服問屋に奉公して自分の店を持つことを夢見る。離ればなれになった二人は、5年後に加代がつとめる遊郭で再会・・・、といった筋書きだが、喜平役、加代の朋輩・おつるちゃん・おかめちゃん(ともに男優)、雛菊姉さん(美ゆり?)らの「脇役陣」が、「力不足」で、興ざめな場面の連続であった。座長自身、口上で「今日は女形の芝居、冒頭は16歳の娘役、恥ずかしい」と述べていたが、娘時代の方が秀逸、花魁になると、なぜか風情が生硬で、精彩が感じられなかった。まだ(自作の)「台本」に「ついて行けない」感は否めない。喜平のお店が「左前」、身請けが叶わなくなり、やむなく二人は心中の道行きへ、と舞台が回ったところで、こちらも(やむなく)退散、まことに残念な結果になってしまった。とはいえ、座長の父は斯界の実力者、その直弟子(嫡男)として必ずや(「捲土重来」を期した)珠玉の舞台を見せてくれるだろう、と念じつつ片道2時間の帰路に就いた次第である。ああ、シンド・・・。
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2018-04-08

劇団素描・「本家真芸座」・《芝居「十六夜鴉」・座長の風情》

【本家真芸座】(座長・片岡梅之助)〈平成21年1月公演・小岩湯宴ランド〉
 午後1時から、小岩湯宴ランドで大衆演劇観劇。「本家真芸座」(座長・片岡梅之助)。昨日に引き続き来場。芝居の外題は昼の部「十六夜鴉」、夜の部「下田情話」。「十六夜鴉」の主役は昨日は哀川昇(弟)だったが、今日は片岡梅之助(兄)ということで、舞台の景色・風情がどのように変化するかを観たいと思った。筋書きは「新版・瞼の母」(兄弟で母を慕う物語)、哀川昇は弟の骨箱を胸に抱いて登場したが、片岡梅之助は空身、おそらく懐に位牌を抱いているのだろう。なるほど、その股旅姿、所作、口跡どれをとっても、兄・梅之助には「一日の長」がある。母との再会から別離までの「手順」に違いはないのだが、それほどの「長ったらしさ」「しつこさ」は感じなかった。母(矢島愛)の方にも「ゆとり」が見られ、昨日よりは「きめ細かな情感」を描出できたように思った。しかし、やはり、両者に共通するのは「九州男児」の「男臭さ」とでもいえようか、「強く」「たくましい」ばかりで、「弱さ」「頼りなさ」「甘ったれ」といった「男の色香」が乏しい。言い換えれば、口では「母恋し」と言いながら「本当にそう思っている」ようには感じられない。まあ、それが「九州の芸風」「本格的な芝居」ということになるのだろう。
 夜の部「下田情話」についても同様の感想を持った。この芝居も大衆演劇の定番。人情味あふれる「目明かし」(片岡梅之助)が、島抜けの罪人(哀川昇)に「親子名乗り」(子役・ター坊)をさせたうえ、脱走を助けるという文字通りの「人情話」なのだが、目明かしも罪人も「かっこよさ」ばかりが目立って、「温かさ」「弱さ」「かっこ悪さ」といった風情が薄弱、その結果、登場人物の心情と「交流」ができずじまいに終わった。
 舞踊ショーでは、子役ター坊(小学校中学年)の「立ち役」(「いいってことよ」)は「お見事」、若手・片岡大五郎の「面踊り」も達者で、将来が楽しみである。座長・片岡梅之助、哀川昇の「女形」は絶品、申し分ない出来映えであった。今後の課題は、「立ち役」の踊りわけ(武士、町人、浪人、侠客、江戸っ子、浪速っ子、芸人、職人など)ができるかどうか、芝居でも「二枚目半」「三枚目」をどう演じるか(全く別人のように「変化」できるかどうか)、「見聞」を続けたい。
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2018-04-07

劇団素描・「劇団芸昇」・《芝居「ふるさとのともしび」の名舞台》

【劇団芸昇】(座長・みやま昇吾)〈平成25年1月公演・千代田ラドン温泉センター〉
この劇団のポスターには、座員全員の顔写真と芸名が載っている。座長・みやま昇吾、花形・みやま太一、花形・みやま昇太、頭取・みやま春風、みやま陽一、みやま英雄、みやま大吾、女優・昇京華、昇こずえ、昇さつき、昇いちごの面々である。そのことで、座長が、座員一人一人を、どれだけ「かけがえのない」ものとして大切にしているか、が窺える。芝居の外題は「ふるさとのともしび」。幼い頃、母と生き別れになった流れ星の源太郎(花形・みやま昇太)は、角兵衛獅子の少年時代を経て、今では「泥棒一味」の幹部、親分(後見・みやま春風)と一緒に、ある大店にやってきた。そこの若旦那は、源太郎と名乗っているが、実は「仲間」の新吉(花形・みやま太一)、今では堅気になって、盲目の女主人(昇京華?)に「親孝行」の真似事をしている。その新吉を「一味」に取り戻すためである。新吉、「待ってくれ、俺を堅気にさせてくれ」と懇願するが親分は許さない。見かねた源太郎、間に入って「暮れ六つまでに千両用意すれば、許してやる」と、話がついた。「一味」が去った後、思案に暮れる新吉、そこへ、源太郎、「見張り役」として再登場。奥から聞こえる女主人の話。「源太郎、別れるときに渡した、お守り袋、今でも持っているだろう。私に見せてくれまいか」。新吉、「それは、大切なものだから、行李にしまってある」などとごまかすが、持っていたのは源太郎、「そうか、あの人は俺のおっかさんだ。でも、今さら親子名のりはできやしねえ。ここは一番、新吉に身代わり孝行を頼むほかはない」と決意する。やがて暮れ六つの鐘が鳴る。源太郎、やってきた親分に事情を打ち明けるが、親分は許さない。「では、やるしかない。俺はこの店を守るんだ!」。客席から「がんばれ!」というかけ声に、親分役の後見・みやま春風、「客席まで味方にしやがって、おまえの親戚か」と悔しがったが、「大丈夫、すぐに斬られますから」という「やりとり」が、何とも面白かった。見るからに「悪党」、その憎々しげな春風の風情が「堂に入ればこそ」、客を味方につけることができたのだ。事実、私の隣に座っていた高齢者の夫婦、親分の顔をにらみつけて「悪いやつだ」と舌打ちする。源太郎、親分の一太刀浴をびたが、懸命に凌いで大逆転、勝利の女神は、源太郎に微笑んだ。とはいえ、その一瞬から、源太郎は凶状持ち、親子名のりもできぬまま旅立つ、といった筋書きで、たいそう面白かった。主演は花形・みやま昇太、17歳。彼の弁によれば、「大吾(12歳)がインフルエンザのため、急遽、先生から、開演20分前に、この役を仰せつかりました。初めての役なので、お見苦しいところが沢山あったと思います。これからも精一杯、努力精進いたしますので、どうかよろしくお願いいたします」。本来なら座長の役を、誠実に代演しようとする姿勢は立派、普段から座員一人一人を大切にする、座長の薫陶が「結実化」した名舞台であった、と私は思う。幕が下りた後、件の高齢者夫婦、コーラを飲みながら、いつまでも涙を拭っていた。今日もまた、大きな元気を頂いて、岩盤浴に向かった次第である。
【余話】
インターネットの「劇団情報」に「劇団芸昇」の紹介画像が載っている。座員一同の最前列中央の○○(マスコット幸輝)に注目あれ。座長の「締めの一言」でワッと泣きだす。その「阿吽の呼吸」が素晴らしい。さすが「劇団芸昇」!今後の活躍を、ますます期待する。
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2018-04-06

「劇団逢春座」・《芝居「浜の兄弟」の名舞台》

【劇団逢春座】(座長・浅井正二郎)〈平成27年6月公演・小岩湯宴ランド〉
 前回の舞台見聞の後、私は〈この劇団、小岩湯宴ランドは「初公演」、地元常連筋の意向が読めず「小岩はむずかしい」という座長の本音が窺われたが、大丈夫!、彼らは「目新しい劇団」の到来を待ち焦がれているのだから、一日一日を精一杯、全力で取り組めば「高評価」で終わることは間違いない。自信をもって前進していただきたい。〉と綴ったが、案の定、久しぶりに珠玉の名舞台を堪能することができた。
 芝居の外題は、時代人情劇「浜の兄弟」。浜には兄・直やん(座長・浅井正二郎)、弟・兼松(浅井雷三)という漁師の兄弟がいた。兄は漁の仕事に励んでいるが、弟は元気がない。兼松の本心は都会に出て商人になりたいからである。そのこと思い切って両親(神楽良・あやこ)に打ち明けた。父は反対したが、溺愛気味の母は同意して父を説得する。「兼吉は浜一番の利口者、読み書きそろばんを達者にこなすのだから漁師にしておくのはもったいない」。父も絆されて翻意したが、「直が聞いたら何と言うだろう。反対するに決まっている」、そこへ兄の直やんも帰宅した。両親から弟の本心を聞いて、直やんは猛反対、激怒する。でも兼松は諦めず、漁師仲間の積立金を持ち逃げして江戸へ向かった。それを知った漁師仲間も激怒、直やん一家は孤立した。以来5年、一家は懸命に働いて積立金を返済、兄は漁師から船大工に転職、今では隣の浜にも負けない大きな船を造れるほどに腕を上げている。家も別の場所に新築、およしという女房(浅井ゆき?)ももらって親孝行に励んでいたのだが・・・。折しも今日は新しい船が完成した進水式、漁師仲間の源さん(浅井優)が工賃100両を届けに来た。しかし、直やんの機嫌が悪い。弟の兼吉が浜に戻って来たという噂を耳にしたからだ。女房から100両手渡されてようやく機嫌が治ったところへ、ワイワイガヤガヤ、浜の連中に囲まれて兼吉が登場した。見れば紛れもない豪勢な商人姿になっている。直やんは怒り心頭、「どうして兼松を連れてきたんや」と浜の連中に八つ当たり、その剣幕に押されて一同はクモの子を散らすように退場。一人残った兼吉いわく「5年前は申し訳ないことをしました。あれから江戸に出て積立金を使い果たし、身投げをしようとしたところ、大店の山金屋さんに救われ、一生懸命働いて、今では一番番頭になりました。・・・ついては一つお願いがあります。旦那様は暖簾分けをしてお店を持たせて下さるとのこと、そのために100両のお金が必要です。どうか貸してもらえないでしょうか」。両親は小躍りして「よかった、よかった」と喜んだが、兄の直やんは許さない。「なにを身勝手なことを!お前のために一家がどれほど苦しんだか・・・。とうに兄弟の縁は切ってある。お前なんぞに貸す金は一銭もない。出て行け」。両親のとりなしで、どうにか兼吉は奥の部屋に引っ込んだが、直やんの気持ちは収まらない。「どこまで甘い親なんだ」とふて寝する。そこへ再び源さんがやってきた。「江戸の山金屋から頼まれて手紙を持ってきた」由、字を読めない両親は、ふて寝する直やんを起こして手紙を渡す。不承不承に読んでみれば「番頭の兼松が店の金100両を使い込んだので、お上に訴える」と書いてある。舞台は一瞬にして暗転、直やん苦渋にみちた表情で「それみたことか、あいつの根性は元から腐っている!親が甘いから、こんなことになるんだ」と言いながら、奥にいた兼松を呼び出して引きずり倒す。「お前は店の金を盗んだと手紙に書いてある。どこまで一家に迷惑をかけるつもりか!」なおも殴りかかろうとする直やん、必死に止める父と母、一言もなく固まって兄を見つめる兼吉、四者四様に、珠玉の涙が頬を伝っている。一息あって父が呟く。「悪いことは許されない。江戸に戻って罪を償うのじゃ・・・」まだ無言のまま頭を垂れ、その場を去ろうとする兼吉の背中に向かって、直やん「江戸の獄舎につながれて、その腐った根性をたたき直してくるがいい、ホラ、忘れ物だ!」と言いながら風呂敷包みを手渡した。兼吉、悄然として退場すれば、入れ替わりに源さん再登場、「網元さんが、さっきの工賃100両、都合で返してほしいと言っている」「わかった、後で届けると言ってくれ」「今、すぐ持ってこいだと」「今、ここにはないから後で届けると言うとるんじゃ、ボケ!」と追い返す。それを聞いていた両親、さっきの100両があるのではと訝れば「兼松の包みに入れてやった。何と言ってもかけがえのない弟、獄舎に入れるなんてオレはできない」。一見、頑固で一徹な直やんの心中には、親思い、弟思いの温もりが秘められていたことが判明、観客も含めた一同が安堵する。明るくなり始めた景色の中に女房のおよしが飛び込んで来た。「奥にこんなものがありました」。見れば300両の大金と兼松の置き手紙。「さきほどの手紙は私自身が書いたものです。兼吉は山金屋の主人になりました。このお金はお詫びの印、どうか心おきなくお収めください」。直やん、驚いて見る見る満面の笑みに変わる折も折、立ち去ったはずの兼松もまた大声を上げながら駆け込んで来たかと思うと、兄の与えた工賃100両がバラバラとこぼれ落ちる。兄の胸にしっかりと抱きしめられ号泣する兼松、浜の「兄弟愛」が見事に結実して大団円となった。
 今日の舞台、座長を筆頭にそれぞれの役者が十二分に実力を発揮、寸分の隙も無い名場面の連続であった。中でも、浅井雷三の「抑えた」「受け身」の演技は、一際、光彩を放っていた。「不動の表情」を貫きながら、周囲とのかかわりの中で、悪になったり、善になったり、と「変化」(へんげ)する様を鮮やかに描出する。
 前回予期したとおり、今日もまた斯界屈指の「名舞台」を初見聞、大きな元気を頂いて帰路に就くことができた。感謝。



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2018-04-05

劇団素描・「劇団九州男」・《舞台模様は「軽演劇」風》

【劇団九州男】(座長・大川良太郎)〈平成20年2月公演・十条篠原演芸場〉
午後6時30分から、篠原演芸場。「劇団九州男」(座長・大川良太郎)。入場者の行列に並びながら、表看板の役者名を大急ぎでメモする。それによると、「大川良太郎、日本正美、三條千尋、たくや、みずき剛、九条かおり、むらさき要、東城真紀、三村由布子、金沢伸吾、杉九州男」とあった。こちらの劇場は「大入り」、顔見世ミニショーの舞台から、楽しく明るい雰囲気が漂う。三條千尋とむらさき要の相舞踊は、ほとんど「座ったまま歩く」という曲芸に終始していたが、その表情、所作が「楽しく」、観客の笑いを誘っていた。昔、梅澤武生が「お客さんは日頃の疲れ・ストレスをとるために来ているのだから、明るく楽しい舞台になるよう心がけている」というような話をしていたが、まさにその通りで、「楽しい」ことが大衆演劇の条件なのである。芝居の外題は「ザ・○○」(○○は失念)、会津小鉄一家の外伝で、いわゆる「間男征伐」の、他愛もない筋書だったが、それぞれの役者が適材適所に配置され、十分に楽しめた。特に、新人(23歳)のみずき剛が「用心棒の先生」(ちょい役)に抜擢され、たどたどしいセリフ回し、刀使いが、未熟なだけに初々しく、一つの「魅力」に変化(へんげ)してしまうという、大衆演劇ならではの舞台を観ることができた。舞踊ショーの番付も、若者向けの洋舞あり、その直後は年寄り向けの日本調ありで、「次は何だろう?」という客の期待を裏切ることはなかった。座長の「里見要次郎」もどきは徹底し、さらに磨きがかかった(自分の芸風に自信をもった)ように感じる。杉九州男の芝居・舞踊・歌唱も「一流」、特に「さざんかの宿」の歌声は、鹿島順一の歌唱に勝るとも劣ることはなかった。(歌手・大川栄策よりも優ることはいうまでもない)
 「劇団武る」と「劇団九州男」を比べると、役者の実力において「差」はない。「演出」の方向が違うのだと私は思う。どうやって客の耳目を惹きつけるか、前者は、誠心誠意まじめに「演じる」(熱演)方向、後者は客の反応を見ながら(呼吸をはかりながら)柔軟に「演じる」(軽演劇)方向を目指しているように感じる。過日観た芝居、「劇団武る」の「おさん徳兵衛」は、「ザ・○○」よりも「格が上」、しかし、今日の「笹川乱れ笠」よりも「劇団・九州男」の「ザ・○○」の方が楽しく、面白かった。ことほどさように、大衆演劇の舞台は、文字通り「浮草物語」で「仕掛け花火」に似た「儚さ」が漂っているといえるだろう。



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2018-04-04

劇団素描・「小林劇団」・《芝居「弁天小僧菊之助」は兄弟結束の名舞台》

小林劇団】(座長・小林真)〈平成23年1月公演・佐倉湯ぱらだいす
私がこの劇団を初めて見聞したのは、3年ほど前であったろうか、今は閉鎖されている浅草大勝館の舞台であった。父(太夫元)・小林隆次郎、母(リーダー)・小林真弓、長男(座長)・小林真、次男・小林直行(副座長)、三男(花形)・小林正利、長女・小林真佐美らで構成する家族中心の劇団である。どちらかと言えば「歌謡・舞踊ショー」が「売り」の劇団で、座長・小林真の女形舞踊、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊、リーダー・小林真弓の歌唱が印象に残っていた。とりわけ小林真弓の「歌声」は抜群、たしか誕生日公演(?)には20曲ほど歌い続けたように思う。その後、奈良やまと座でも見聞、今回は3回目ということになる。芝居の外題は「弁天小僧菊之助・温泉の一夜」。なるほど、月日の経つのは早いもの、舞台の出来栄えは以前とは見違えるほど、座長・小林真が思わず芝居の中でつぶやいた一言、「兄弟だけで芝居ができちゃった・・・」、おっしゃるとおり、座長自身は「浪花の若旦那」、その愛人は小林真佐美、敵役・海賊の首領が副座長・小林直行、主役・弁天小僧に花形・小林正利、海賊の子分、座員・小林聡志、小林翼といった配役で、太夫元、リーダーの出番はない。兄弟妹が、それぞれの役柄を「初々しく」演じ分けた舞台模様は「お見事!」であった。長男・座長には「ゆとり」と「色気」、次男・直行には「渋さ」と「剽軽」、三男・正利と妹には「変身の妙」が感じ取れる、家族劇団ならではの景色であった、と私は思う。とりわけ、真佐美の成長は著しい。若旦那の愛人を演じる「純情可憐」な風情が、海賊の情婦になり果て、いっぱしの「すべた女郎」に変化(へんげ)する様相が何とも痛快で清々しかった。舞踊ショー、太夫元・小林隆次郎の個人舞踊(「関の弥太っぺ」「人生劇場」)、リーダー・小林真弓の歌唱二曲は相変わらずの「一級品」、加えて、座員・小林翼、やや太めの図体を「絵」にしてみせる個人舞踊も魅力的であった。演目も洋舞は控えめ、あくまで従来の「艶歌」風を中心とした「歌謡・舞踊ショー」の景色は、今もなお「健在」。大きな元気を頂いて帰路に就くことができた次第である。
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2018-04-03

劇団素描・「劇団 鯱」・《芝居「お祭半次郎」と「仲乗新三」》

【葵一門 劇団鯱】(座長・葵政次)〈平成20年9月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
 この劇団はすでに見聞済み(平成20年4月公演・つくば湯ワールド)ただし、その時は夜の部、舞踊ショーのみだったので、強い印象は残っていない。「劇団紹介」によれば、「初志貫徹でひたむきに前へ。葵政次座長を筆頭に座員たちがそれぞれの個性を引き立たせ、フットワークとチームワークも絶妙。座長の息子であるベビー翔、ベビー響など子役たちも元気いっぱいに、舞台せましと駆け回る。アットホームな温かい雰囲気を感じさせてくれる劇団です」というキャッチフレーズ。プロフィールは、「葵一門劇団鯱 演友会所属。名門である葵一門・葵好次郎総帥の元で舞台を学ぶ。舞台で劇団員全員が引き立つように心掛けている。向上心あふれる将来楽しみな劇団である。ベビー翔、ベビー響は座長の息子で、舞台で活躍中。座長 葵政治次 昭和48(1973)年1月13日生まれ。神奈川県横浜市出身。血液型B型。初舞台は16歳。男気あふれる性格で、師匠である葵一門・葵好次郎総帥にあこがれ、葵一門の芸の流れを継承している。芝居を何よりも大切にし、情熱を持ち日々の舞台に励んでいる」とある。
 芝居の外題は、昼の部「武士道無情花吹雪」(お祭り半次郎)、夜の部「十三峠」(仲乗新三・夜鴉銀次)、いずれも大衆演劇の定番。形どおりの筋書を、形どおりに演じる「誠実さ」に好感が持てた。この劇場は「初めて」とあって、客との「呼吸の合わせ方」がややとまどいがちだったが。座長自身は、葵一門総帥・葵好次郎に「憧れて」入門したとのこと、だとすれば「役者の家で育った」わけではない、どこか「素人っぽい」雰囲気を漂わせているところが「魅力的」である。副座長・葵純也、男優・葵敏美、鳳弥太郎、海道清、女優・北条マキ、美鈴陽子、子役・兜獅子丸、蛇じゃ丸(?)らと「役者は揃っている」。(ベビー翔、ベビー響は改名したのだろうか?)仲乗新三(葵敏美・好演)の母親役を演じた女優(長谷川竜子?芸名は定かではない)の芝居・歌唱は「絶品」、九州の「小林劇団」リーダー・小林真弓と肩をならべる「実力」であった。
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2018-04-02

劇団素描・「長谷川武弥劇団」・《芝居「死んでたまるか」》

【長谷川武弥劇団】(座長・長谷川武弥)〈平成20年4月公演・小岩湯宴ランド〉
「劇団紹介」によれば「プロフィル 長谷川武弥劇団 九州演劇協会所属 長谷川武弥座長と愛京花座長、そしてほとんどが十代というフレッシュな座員たちが、一丸となって繰り広げる若々しく元気いっぱいの舞台は、まさに大衆演劇界の癒し系」「座長・長谷川武弥 昭和37(1962)年1月1日生まれ。血液型O型。福岡県出身。母に連れられて観に通い、初代・姫川竜之介の劇団に入る。その後、藤ひろしが旗揚げした『劇団ふじ』で二代目・藤ひろしとして座長を継ぐが、平成11(1999)年に独立、『長谷川武弥劇団』を旗揚げ。どんな役柄にでも対応できる引き出しの広さ、リアルで気迫のこもった芝居っぷりが特徴」「座長・愛京花 昭和54(1979)年9月11日生まれ。血液型B型。熊本県出身。両親とも役者の家に生まれ、『司浩二郎劇団』にて初舞台。兄の司京太郎が『司京太郎劇団』を旗揚げした際、そちらへ移る。平成14(2002)年『長谷川武弥劇団』に入団し、平成18(2006)年9月、座長となり、長谷川武弥とともに、二枚看板で劇団を背負う。幅広い役柄をこなす、才色兼備の実力派女優」とある。またキャッチフレーズは「アットホームな愛ある劇団。元気はつらつの座長と、若手揃いの座員が力を合わせてお送りするにぎやかで楽しい舞台。舞台も楽屋も、いつも明るいアットホームな劇団です。芸達者な長谷川武弥座長と美しく存在感のある愛京花座長とのコンビネーションも絶妙で、二人を中心に劇団のチームワークも万全」ということである。座員は長谷川光太郎、長谷川翼、長谷川京也、長谷川乱之助、長谷川桜、長谷川舞、長谷川姫花、長谷川桔梗、長谷川未来(子役)、長谷川一馬(子役)、長谷川しおん(子役)、長谷川愁太郎(子役)、座長を合わせると総勢14名という「大劇団」である。 まず第一印象は、昼も夜も「大入り」、公演五日目にして早くも「盤石の人気」を「勝ち取って」いるようだ。キャッチフレーズどおり、武弥座長と京花座長の「コンビネーション」が「絶妙」で、「にぎやかで楽しい舞台」が展開されていた。芝居の外題は「死んでたまるか」。ある大店の若旦那(京花)は、商売の修業と称して江戸にやってきたが、実際は「芸者遊び」の放蕩三昧、威勢よく大金を「ぶん蒔いて」なじみの芸者(長谷川桜?)からたしなめられる。その「誠」に、ますます「執心」する若旦那。そこへ、大店の番頭(武弥)がやってきた。「旦那様から、いいつかって参りました。もう若旦那に届けるお金はありません。私とお店に帰りましょう」若旦那「いやだ、私は商いの勉強をしているんだ。お金を使うのも修業の一つ」「何を、身勝手なことを!このままだと勘当になりますよ」「それなら、条件がある。なじみの芸者と一緒なら帰ってもいい」「芸者など連れて行くわけにはまいりません」「それなら、帰らない」「芸者なんて、所詮は売り物に買い物、若旦那にお金がないとわかったら、見向きもされませんよ」「そんなことはない」「では一つ、試してみましょう」「どうやって?」「若旦那から、その芸者に心中を持ちかけるのです。ここに私の胃の薬があります。これを『毒薬』と偽って、酒の中に入れ、一緒に飲もうとするのです。もしその芸者が一緒に飲めば、私は信用します。一緒に連れて帰りましょう」(といって、番頭退場)若旦那「よし、わかった!」と、件の芸者を呼び寄せる。経緯を説明し、「一緒に死んでくれるかい?」。芸者、平然と「もちろんですとも、若旦那と一緒ならどこだってお伴します」「そうら見ろ」と、得意満面の若旦那、「では、この酒に毒薬を入れて、一、二の三で飲み干すのだ」「何という毒薬ですか?」「そんなことは知らない。毒薬は毒薬だ。それ、一、二の三!」若旦那は一気に飲み干したが、芸者は(一瞬、酒を振り捨て)飲む仕草だけ・・・。若旦那、毒が回って「七転八倒の」苦しみ、やがて動かなくなった。芸者、「ふん、こんなバカ旦那と死ねるもんか!いい金蔓だと思っていたが、死んでしまいやがった」そこへ、芸者の間夫(長谷川京也)登場。歌舞伎役者然という、いでたち、化粧、口跡で、「浮いた」演技が、爆笑を誘う。
したたかな芸者と間夫のコンビネーションも「絶妙」、退場間際、芸者が放つ「最後っぺ」(放屁)の景色は、〈そこまでやるか〉と感じるほどだったが、間夫の一言「えげつない」で救われた。まさに「にぎやかで楽しい」舞台のクライマックスではあった。以後、番頭と若旦那は「幽霊芝居」で復讐を試みるが、したたかな芸者コンビには通じないまま閉幕、若旦那は「バカ旦那」のまま終わるという「教訓的な」芝居だった。
 芝居に比べて「舞踊」は「やや単調」、役者一人一人の「実力」は「水準」以上なので、まだ「出来映え」を評価することはできない。いずれにせよ、「人気」「実力」「財力」の三拍子揃った「本格派劇団」であることは間違いないだろう。
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2018-04-01

劇団素描「劇団翔龍」・《中村英次郎、大月瑠也の「存在」と「魅力」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年8月公演・蟹洗温泉・蟹座〉                                        芝居の外題は、昼の部「三下談義」、夜の部「幻お銀」。いずれも、大衆演劇には「よくあるお話」で、前者は「仁義間違い」をして斬られてしまった朋輩(藤美匠)の敵討ちをしようとして、返り討ちに遭ってしまう三下奴(座長・春川ふじお)の物語。二人は、ともに大阪・河内の貧農出身で、江戸の親分(中村英次郎)、代貸(藤川雷矢)のもとで「三下修業中」、仁義の稽古をしてたが、やって来たのが国定忠治(大月瑠也)という筋書で、何と仇役が国定忠治、終幕では三下奴に忠治をはじめ、「一同が」謝罪するという設定。「強いばかりが男じゃない・・・」といった眼目が「ほの見えて」、「綺麗な」結末となったが、何と言っても大月瑠也の「実力」には舌を巻く。合羽に三度笠の姿で登場、舞台に立っただけで(言うまでもなく無言で)「ああ、国定忠治だ」と納得させてしまう空気を醸し出す。加えて、強い者(女房、忠治)にはめっぽう弱い親分を演じた中村英次郎の「魅力」も見逃せない。主役は、春川ふじお、藤美匠、見どころはその「三下同志」の「絡み」だが、同時に脇役の「実力」「魅力」を楽しめるという趣向で、まさに「一度食べて二度おいしい」という舞台であった。そのことは、夜の部「幻お銀」についても言えること、主役は幻お銀・澤村うさぎで、眼目は「身代わり孝行」物語だが、本筋以上に面白いのが、盲目の母(中村英次郎)や土地の悪親分(大月瑠也)の「言動」で、とりわけ大月が「二十年前の出来事」を子分役(実は十四歳の息子・大月聖也)に問い質す場面は、「楽屋ネタ」も絡んで抱腹絶倒の連続であった。ことほど左様に、「劇団翔龍」の舞台には、中村英次郎、大月瑠也の「存在」は不可欠であり、その魅力を味わえるだけで大満足なのだが、さらに欲を言えば、花形・藤川雷矢、澤村うさぎの「大化け」、若手・翔あきら、大月聖也の「大活躍」も期待したい。どの劇団にとっても大切なことは、「飛躍」「発展」「変化」し続けようとする姿勢であり、その途上にある劇団ほど、若手、はした役者が光り輝いているものなのだ、と(つくづく最近)私は思うようになった。
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2018-03-31

劇団素描・「森川劇団」・《芝居「柿の木坂の兄弟」》

【森川劇団】(座長・森川凜太郎)〈平成20年11月公演・浅草木馬館〉                                        「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 森川劇団 創立は大正初期。関東出身だが、現在は主に関西で活躍。所属はフリー。二代目 森川長二郎(現・座長 森川凜太郎)のもと、三代目 森川長二郎(元・森川松之助)と、いなせ組(竜二、竜馬、竹之助、梅之助)が中心となり、全員が幅広い役をこなせる芸達者な老舗劇団である。三代目 森川長二郎 昭和60(1985)年9月1日生まれ。東京都出身。血液型A型。初舞台3歳。二代目森川長二郎(現・座長 森川凜太郎)のもとで、育て鍛えられてきた森川松之助が、平成19(2007)年3月29日、新開地劇場にて、三代目 森川長二郎を襲名した。伝統ある名跡を受け継ぎ、新生「森川劇団」を創造すべく、日々研鑽し精進する毎日である〉ということである。また、キャッチフレーズは〈森川劇団 全員が芸達者。どんな役でもこなします。三代目 森川長二郎といなせ組が織りなす、涙と笑いの人情芝居。二枚目,三枚目、女形、脇役、老け役。すべてをオールマイティにこなせる役者を目標に、全員があらゆる役を演じ分けて見せてくれます。竜二・竜馬兄弟、双子の松之助、竹之助、ベテラン勢そして女優陣。結束も万全の劇団です〉であった。   
 実を言えば、今日の見聞は2回目、初回は一昨日であった。その時の外題は「浅草の灯」。「関東出身だが、現在は関西で活躍」とプロフィールにもあるように、舞台の景色は「関東風」と「関西風」が入り交じり「やや混乱気味」であった。しかし、看板に偽りはなく「全員が芸達者」「結束も万全の劇団」だということは、すぐに感じ取れた。役者一人一人の「実力」は「水準以上」、ただそれがチームワークとして「結実化していない」という状態であった。舞踊ショー、若手・森川梅之介の「立ち役」の艶姿、女優・森川京香の「酒場川」(唄・ちあきなおみ)の「素晴らしさ」が強く印象に残った。「一昨日の舞台は、まだ力を出し切れていない」と思ったので、再来した次第である。
 今日の芝居の外題は「柿の木坂の兄弟」。要するに、二組の兄弟の物語である。一組めは兄・信太郎(座長・森川長二郎)と弟・進吉(森川竹之介)、二組めは、信太郎の嫁・おきく(森川京香)とその兄(森川竜二)。信太郎は元ヤクザ、今では足を洗って百姓暮らし、嫁と仲良く暮らしている。弟も今ヤクザ、足を洗ってカタギになりたいと「便り」が届いた。しかしやってきたのは、乳飲み子を抱えた進吉の嫁、事情を尋ねると、一宿一飯の恩義から出入りに巻き込まれ、あえない最後、嫁と同行したのは位牌だけだった。「できるだけのことはしてやろう」という信太郎に、嫁・おきくも快く応じる。「あなたにとって義理の妹なら、わたしにとっても同じ妹、存分に面倒を見させていただきます」。そこへ、やってきたのは、手負いの旅鴉、人に追われている、助けてくれと、おきくの顔を見れば、なんと、実の妹。そればかりではない、この兄は、夫の弟・進吉を手にかけた敵だったのだ。夫・進太郎は黙っていない。よくも進吉を亡き者にしてくれたなと、ドスを手にして斬りかかる、手負いの旅鴉よろよろと倒れ込み、信太郎、刀を振り下ろそうとするが下ろせない。嫁のおきくが手を合わせて旅鴉の命乞いをているのだから・・・。そうだった、「おまえにとっての兄なら、俺にとっても兄貴と同じ・・・」信太郎とおきく、旅鴉に物品を与えて見逃した。あわただしく旅鴉を追いかけようとする敵役のヤクザ(みやま春風、森川梅之介)と、土地の親分(森川竜馬・好演)。その様子を察して、おきくが信太郎に哀願する。「おまえさん、兄さんをどうか助けてやってください」「いやあ、そこまではできない・・・。進吉の嫁に対して義理がたたねえんだ!」だがしかし、である。勢いよく飛び出してきたのは弟・進吉の嫁、「どうか、どうか、私(と亡夫)にかまわず、助けてあげておくんなさい!」
 大詰めは、旅鴉を待ち受ける敵役たち。よろよろと登場した旅鴉に詰め寄ろうとしたとたん、「アナタタチ、ダレデスカ?ワタシ、コトバ、ワカラナーイ?」と、思いっきり「トボケル」旅鴉、その場にいた一同は(客席も含めて)ずっこけまくったが、筋書きの眼目(兄弟愛・堅気礼賛)は前幕で修了、型破りの「余興」で舞台に花を添えようとする「演出」はさすが、「全員が幅広い役をこなせる芸達者な老舗劇団である」。言い換えれば、役者の「個性」が「味」として定着しており、その場その場に応じて、いかようにもその「味」を生かすことができる「有力者」の集団である。座長を中心に、しかし、場合によっては「脇役だけでも」芝居ができるという「強み」(伝統)が、私には感じられた。
 舞踊ショーで見せた、森川竜二の女形「北の蛍」(唄・森進一)は絶品、「至芸」の域に達している。その他、全員の舞台も「水準以上」、壺にはまれば(結束が結実化すれば)、最高水準の「芝居」「舞踊」が実現できるだろう。
 芝居で、役者の「ピンマイク」を使わず、舞台上の「集音マイク」を活用していたが、そのことだけでも、この劇団の「レベルの高さ」が窺われる。(BGMのボリュームも7割方抑えられれば申し分ないと思う)
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2018-03-30

劇団素描・「劇団翔龍」・《みずきななみ、大月聖也の「成長」と翔あきらの「存在価値」》

【劇団翔龍】(座長・春川ふじお)〈平成21年12月公演・つくば湯ーワールド〉

今月公演の見聞は3回目だが、ずっと花形・澤村うさぎの姿が見えない。一説には新型インフルエンザ罹患、一説には劇団離脱、ゲスの勘ぐりなら「駆け落ち」等々、様々な憶測が飛び交うと思いきや、舞台も客席も冷静そのもので落ち着き払った気配、はたして今、うさぎは何処?とはいうものの、ピンチヒッター(?)を務める新人女優・みずきななみの「初々しさ」が、たいそう魅力的で、「うさぎより《絵》になるじゃん」といった声があちこちで聞かれるかどうかは不明だが、少なくとも私一人はそう感じている次第である。
澤村うさぎと言えば、知る人ぞ知る、生粋の旅役者(の娘)、ななみ如きの「駆け出し」とは、文字通り「役者(格・貫禄)が違う」はずだが、トーシローの私にしてみれば、ななみの「風情」「品格」の方が上。例えば、秋川ミホ、藤美匠、大月聖也、ななみ(四人)の組舞踊で、目立つのは聖也とななみ、ミホと匠は(いかにも旅役者といった風情で舞台経験の重さは感じられるとはいえ)、今さら「新しい何か」を期待することができないのである。それはうさぎも同様、「場数を踏んだ達者さ」だけでは客を惹きつけることは出来ない。今日はどんな姿を見せてくれるだろうか、という未知への期待に応えられるかどうかが、役者修業に「終わりはない」所以である、と私は確信する。そんなわけで、私の独断・偏見によれば、澤村うさぎの休演は、新人・みずきななみが「立派に」補強していると断言できる。ただ、実力者・中村英次郎、大月瑠也の「調子」があがらない。なぜか、どこか「力が抜けたまま」なのである。そのことが、うさぎの動静と連動しているのか、無関係なのかはわからない。芝居の外題は「返し仁義」。《瞼の母》ならぬ《瞼の父》といった眼目で、父を捜し求める旅鴉に座長・春川ふじお、今はある一家の使用人に身をやつしている父に後見・中村英次郎、一家の若親分に花形・藤川雷矢、その女房に新人女優・みずきななみ、一家の三下に藤美匠、仇役・一家の代貸しに大月瑠也、その子分達が大月聖也、翔あきら、といった配役で申し分ないのだが、どこか舞台の景色に「冴え」がみられない。やはり、澤村うさぎの欠場が影響しているのだろうか。ところで、私が注目するのは、「端役者」の翔あきら、いつものことながら、芝居は「その他大勢」の「切られ役」、たまに「台詞」を言おうものなら、「お前は黙っていろ、調子が狂う」などと座長からいじめられる。舞踊の出番も組舞踊、定位置は右端と決まっている。しかも、年齢は28歳、この道10年の経験という。大切なことは、彼の「存在価値」である。この劇団で果たしている彼の役割は、とりたてて「彼でなければならない」というものではないかもしれない。だがしかし、劇団は間違いなく、「彼のような存在」を必要としているのである。端役者は「脇役」にも及ばない。でも「主役」「脇役」にとって必要不可欠な存在であることを、彼の舞台姿は物語っている。彼が「居る」から、彼以外の役者が「際だつ」のである。だとすれば、すでに、今でも、翔あきらは「輝いている」(立派にその役割を果たしている)のである。その結果、大月聖也、みずきななみといった若手の「初々しさ」「瑞々しさ」が際だちつつあるのではあるまいか。舞踊ショー、ななみの個人舞踊「上から読んでも下から読んでも《世の中バカなのよ》」、中村英次郎の至芸「薩摩の女」(唄・北島三郎)を思い浮かべつつ、「義理ある人に背を向けて・・・」などと口ずさみながら、帰路についた次第である。
加賀の女/博多の女/薩摩の女加賀の女/博多の女/薩摩の女
(2003/09/25)
北島三郎

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2018-03-29

劇団素描・「劇団荒城」・《芝居「お蝶供養」》

【劇団荒城】(平成20年4月公演・十条篠原演芸場)
 小屋の表看板、本日の演目を見ると、夜の部「お蝶供養」と出ていた。清水の次郎長外伝に違いない。あまり気が進まなかったが、まあ「急ぐ旅でもなし」、観て行くことにした。芝居は、案の定、座長の次郎長、光城真の大政、荒城勘太郎の小政、という配役の物語。次郎長の女房・お蝶(芸名不詳の女優)と四人で旅(尾張路)を続けていたが、お蝶は病身、路銀も尽きてしまった。次郎長は、昔面倒を見たホゲタの久六に助力を頼む(小政を通じて)が、拒絶される。久六は、元相撲取り、次郎長の島に興行に来て失敗、その後始末で大変世話になった。しかし、今は黒駒の勝三の身内になっていたのだ。一方、難渋している次郎長たちを目ざとく見つけ、声をかけてきた百姓(姫川豊)があった。次郎長、その顔を見るなり「おまえはユタカ!(役者の芸名・役柄の名は「松」なのに)ユタカじゃあないか!?」と言って笑わせる。「お前は役者だったが、そうか、今では百姓をやっているのか」松も昔、一宿一飯の世話になっていたのだ。「貧乏百姓で何にもできないが、どうぞ、あっしのうちに泊まってください」、宿代もない次郎長たちにとっては「渡りに舟」、というよりは「地獄で仏」、まさに「情けは人のためならず」を地でいく筋書きであった。しかし、松には金がない。仕方なく仏壇を質入れしようとすると、どこからともなく亡父の声、「俺の家をどこにもってくつもりだ」、声ばかりか亡霊の姿になって現れた。こういうことは毎度のことらしく、松も動じることなく、事情を説明する。「なるほど、恩返しならしょうがあんめい。でも松、くれぐれも『流す』なよ!」と言いつつ「箪笥の中に」退場した。お蝶は松の家で病死、最後の別れを惜しむ次郎長は「現代風」で「ヒューマン・ドラマ」然。以後は、黒駒の勝三に見捨てられた久六に「おとしまえ」をつけて、終幕。一瞬のうちに二太刀浴びせた、座長の「居合いもどき」は、「お見事」。この芝居の眼目は、「人は様々、たった一回の情けを恩義に感じて、それに報いようとする人もいれば、大恩を仇にして返す人もいる。よーく、その人たちの生き様を見ておけ」という次郎長の話の中にあることはたしかだが、「押しつけがましくない」演出がよかった。
 芝居に比べて、舞踊ショーは「単調」、座長の「面踊り」は「絶品」だったが、後が続かない。舞踊ショーの「眼目」は、「音楽の視覚化」にあるが、同時に「歌詞の芝居化」(節劇づくり)という側面も忘れてはいけない、と私は思う。各役者は、一部の芝居では、決められた「役柄」を「決められたように」演じなければならないが、二部の舞踊ショーでは、自由に「役柄」を選び、曲に合わせて「一人芝居」を演じることができる。つまり、役者一人一人が、その個性を生かして「舞台を独占できる」場なのである。単に、男優が「女」に「変身」するだけ(いわゆる「女形大会」)では、客は満足しない。そこにドラマが必要なのである。例えば、大川龍昇の「お吉物語」、南條影虎の「夢千代日記」、そして、荒城蘭太郎の「麦畑」(面踊り)のように・・・。
 芝居同様に、「舞踊ショー」の内容を見直し、一貫したテーマ、組舞踊による節劇などなど、その充実を図ることが「劇団荒城」の課題だと思われる。
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(2009/10/21)
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2018-03-28

劇団素描・「一見劇団」・《花の舞踊絵巻・相舞踊「高瀬舟」の名舞台》

【一見劇団】(座長・一見好太郎)〈平成20年8月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団を見聞するのは十条・篠原演芸場、川越三光ホテル・小江戸座に続いて3回目である。「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 一見劇団 ひとみげきだん 故・初代人見多佳雄と現在の太夫元・紅葉子の三男が、座長・一見好太郎、末っ子が、花形・古都之竜也。関西、九州から、現在は本拠地を関東に移して活躍中。所属はフリー。近年急成長を遂げた人気集団 座長 一見好太郎 昭和54(1979)年1月7日生まれ。兵庫県出身。血液型O型。初舞台12歳。21歳で亡き父(初代・人見多佳雄)が創設した劇団の座長となる。弟である花形・古都劇団乃竜也を始め、母や兄、姉らと共に、常ににぎやかで明るい舞台を心掛けている〉とある。また、キャッチフレーズは〈静の座長・一見好太郎。動の花形・古都乃竜也。個性的なファミリーが力を合わせて紡ぎあげる温かい舞台が魅力。太夫元である母、紅葉子がにぎやかに舞台を盛り上げ、兄弟それぞれの魅力がお互いを引き立てあって、ファミリー劇団ならではのアットホームな雰囲気が伝わってきます。特に座長と花形の相舞踊は美しく、ゴールデンコンビと言われています〉であった。
芝居の外題は、昼の部「弥太郎しぐれ」、夜の部「涙の浜千鳥」、それぞれの役者が、きちんとした「セルフ回し」で、「誠実に」取り組んでいるが、定番の「おれの話を聞いてくれ」式の長ゼリフで筋書を説明する演出が、舞台の景色を「単調」にするきらいはないか。セリフの「やりとり」を体全体(所作)で表す「技」が身につけば・・・。
 現状では、芝居よりも舞踊ショー(「花の舞踊絵巻」)の方で、役者の「実力」が輝いている。座長、花形の相舞踊(「高瀬舟」・五木ひろし)は「言わずもがな」、加えて一見隆夫の「女形」を筆頭に、中村光伸、紅翔太郎、紅金之介、一見裕介、紅銀之嬢、ベビーア太郎の「舞姿」が「絵」になっていた。ベビーア太郎の「実力」(魅力)は半端ではない。まだ10歳前後だが、「立ち役」「女形」ともに「大人顔負け」の景色を醸し出す。また、紅一点・紅銀之嬢の「艶姿」も秀逸、いわゆる「娘役」の女優としては斯界の「第一人者」になるのではないか。多分、この二人は姉弟(?)、劇団の将来にとって不可欠の存在になるだろう。舞踊ショーのアナウンスは、舞台の盛り上げ係。ややもすると、音楽と重なって「ほとんど聞き取れない」羽目に陥りがちだが、今日の担当は瞳マチ子(?)。音楽のボリュームを下げ、はっきりと曲名、役者名を紹介できたので、「花の舞踊絵巻」はいっそうの光彩を放っていた。
高瀬舟高瀬舟
(2006/04/19)
五木ひろし

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2018-03-27

劇団素描・「若姫劇団」・《谷根千地域密着型大衆演劇の「舞台裏」》

【若姫劇団】(座長・愛望美)〈平成24年12月30日公演・戸野廣浩司記念劇場〉
午後7時から、東京谷中の戸野廣浩司記念劇場で大衆演劇観劇。「若姫劇団」(座長・愛望美)。案内パンフレットによれば、「谷根千地域密着型大衆演劇」と銘打っており、〈皆さん、本年も一年有り難うございました。12月公演が年内最後となります。年納めは舞踊ショーの拡大版としてたっぷりおどりを観ていただきたいと思います。そして、以前やらせて頂いて好評でした楽屋裏。メークから着付けまでを舞台で御披露させて頂きます。更に12月公演が終わりましたらすぐに新春公演です。芝居と舞踊ショーといういつものプログラムに戻しまして2013年を皆様と共に迎えたいと思います。年末年始は若姫劇団2本立てでよろしくお願い致します。全ての方と思い出を 若姫劇団 座長 愛望美〉というコメントも添えられていた。出演者は、谷根千の愛姫 座長・愛望美、舞台の妖精 副座長・愛美萌恵、谷中のやんちゃ姫・若姫有姫、紅の翼・愛美紅羽、心の歌い人・愛美心美、若き舞姫・愛美舞、弥生あきら、ゲスト・里見孝雄、特別ゲスト。若葉しげる、である。折からの豪雨の中、やっと劇場にたどり着いたが、そこは小さなビルの地下一階、パイプ椅子が40脚並べられていたが、舞台が無い。正面に化粧台が一つ、ポツンと置かれているだけであった。なるほど、第一部は「楽屋裏」。普段は見られない風景を披露しようという魂胆か。やがて、副座長・愛美萌美がスッピンで登場、入念にメークを始める。そこに座長・愛望美もやってきて、化粧品・化粧法を、事細かく解説するという趣向・・・。しかし、この企ては、近江飛龍、梅乃井秀男の舞台で、すでに私は見聞済み、特筆すべき感興は湧かなかった。さて、準備万端、いよいよ舞踊ショーの開幕となったが、「楽屋裏」が「舞台」に早変わり、というわけにはいかなかった。そこは、あくまでも「楽屋裏」、要するに、役者と観客の「距離」が近すぎるのである。まして、観客数は(悪天候に阻まれてか)10人ほど、「観る」方もつらかった。さすがに、座長・愛望美、副座長・愛美萌恵の風情は魅力的、実力のほどが窺えたが、他のメンバーはまだ「発展途上」、案内パンフレットの豪華さ(キャッチフレーズ)には及ばなかった、と私は思う。救いは、特別ゲストの若葉しげる。私が40余年前、生まれて初めて観た大衆演劇の舞台が、千住寿劇場での「劇団わかば」、往時の風情そのままに、今日もまた艶やかな舞姿を披露してくれた。そういえば、あの時もそうだった。十名程度の観客を相手に「侘びしく」踊る光景が、昨日のことのように思い出される。以後、様々な紆余曲折を経て、今では「総師」(大先生)と称されているが、心根は不変、四十路を迎えようとする愛姫(愛弟子)のために、馳せ参じる「心意気」に、私は脱帽する。(舞台)背景に掲げられた垂れ幕、そこに記された「谷根千の愛姫」という文字を見やりながら、「あの人も、若く見えますが、もうすぐ四十、それなのに谷根の千姫だなんてねえ・・・」と呟いたジョークが、ひときわ鮮やかであった。
「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)
(2002/05)
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2018-03-26

劇団素描・「劇団新喜楽座」・《芝居「波に咲く花」の舞台模様》

【劇団新喜楽座】(座長・松川小祐司)〈平成26年12月公演・千代田ラドン温泉センター〉
座長・松川小祐司の父は松川祐司、母は松川さなえ、祖父は松川友司郞、かつては「劇団松」(座長・松川祐司)の子役として、弟の副座長・松川翔也として売り出したが、なぜか「劇団松」は座長・松川祐司とともに姿を消し、今は、祖父の義弟・旗丈司の「劇団喜楽」を(母と共に)継いで「劇団新喜楽座」を率いる身となったか。「劇団喜楽」の前身は「新演美座」、さらにその前身は「演美座」(座長・深水志津夫)、祖父の松川友司郞も(その義弟)旗丈司も、その名舞台で技を磨いてきたのだから、まさに「栄枯は移る世の姿」を目の辺りにして、感慨も一入であった。芝居の外題は、時代人情劇「波に咲く花」。幼い時に両親を亡くした兄妹の物語である。兄・仁蔵(松川さなえ)は妹・お志津(松若さやか)の面倒を見ながら親代わり、大店の伊勢屋に奉公していたが、大番頭からいじめられて相手を殺害、島送り5年の刑となった。お志津は途方にくれ、身投げをしようとしたが、綿職人・仁助(副座長・松川翔也)に助けられ、結ばれた。今では子どもも生まれ「幸せ」に暮らせるはずだったが、なぜか仁助は「飲む・打つ・買う」の三道楽、隣人のうどんや夫婦(夫・大和歩夢、妻・座長松川小祐司)から手内職の仕事をもらって、その日を凌いでいる。そんな折、兄の仁蔵が突然たずねてきた。島では模範囚、5年の刑期を3年終えたところで御赦免状を頂いた由、再会を喜ぶ兄妹の所にやってきたのがうどんやの女房おろく、兄は妹の亭主のことをそれとなく尋ねるが、おろく、「ええ、そりゃあもう、大変な大酒飲み」と言った後で(お志津に制され)「・・・それは、わたしのおっかさんです」、「博打なんかしませんか」「ええ、そりゃあもう、競馬競輪、パチンコ、麻雀、おいちょかぶ・・・」と言った後で(お志津に制され)「・・・それはわたしのおっかさんです」。仁蔵役の松川さなえ(笑いをこらえ)おっかさんに返って、「それで、おとっつあんは?」「ハイ、行方不明です。帰ってくるでしょうか」「そのうち、帰ってくるでしょう」といった「やりとり」(楽屋ネタ・親子の会話)が、何とも可笑しかった。大詰めは、仁蔵と仁助の対決、仁助の放蕩の原因は仁蔵の島送りが原因と思われるが、今日の舞台はそのことに触れず、愁嘆場へ。仁助を組み伏した仁蔵、刃を振りかざしたが、お志津が差し出す赤児の姿を見て思いとどまった。仁助の前にひれ伏して、妹の「幸せ」を懇願する。一息あって、無言のまま両者の手をとり重ね合わせたとき、聞こえてきたのは小林旭の名曲「巷の子守歌」(詞・サトウ進一、曲・鳥井実)、詠っていわく「雨にぽつんと叩かれて 思い出したよ ふるさとを 明日は流れてどこへやら 昭和さすらい子守唄 たたみ三枚ある部屋で はだかランプがさみしいね 負けちゃだめだよ貧しさに 昭和無情の子守唄 一人ぼっちが淋しいと 若い命をなぜ捨てる 熱い涙をながそうよ 昭和この世の子守唄 同じさだめで流されて みんな生きてる迷いつつ 肩をよせあい聞くもよし 昭和巷の子守うた」。その言葉のはしはしに、「改心」した仁助の心根が窺われる天下一品の「節劇」で、この舞台は終演となった。「劇団新喜楽座」の表看板には、旗丈司、春野すみれ、金井保夫ら大ベテランの名前も見えたが、彼らの「後見」抜きで、珠玉の景色を描出した若手の面々に拍手を贈りたい。感謝。
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2018-03-25

劇団素描・「劇団京弥」・《芝居「喧嘩屋五郎兵衛」&白富士きよとの登場》

【劇団京弥】(座長・白富士一馬)〈平成24年12月公演・みのりの湯柏健康センター〉
昼の部、芝居の外題は、御存知「喧嘩屋五郎兵衛」。大衆演劇の定番で、どこの劇団でも演じる演目だが、この劇団の景色は他を凌駕している。本日は、座長不在(「劇団千章」の応援)のため、主役・喧嘩屋五郎兵衛は副座長・白富士健太、その姉・胡蝶つき子、縁談話を持ち込んできた出入り商人(八百屋の藤助)・若座長・白富士龍太、一家にわらじを脱いだ旅鴉・白富士洸、越後屋の娘・白富士つばさ、という配役であったが、その出来映えは、座長在時と比べて遜色ない。それというのも、五郎兵衛の姉(女親分)を演じた胡蝶つき子の「貫禄」が、群を抜いていたからである。その立ち居、振る舞いは、寸分の隙もなく、登場しただけで舞台全体の空気がキリリと引き締まる。今や、彼女は斯界女優陣の「第一人者」と言っても過言ではないだろう。五郎兵衛役の健太、藤助役の龍太も素晴らしい。主役、相手役でありながら、演技は「控えめ」、五郎兵衛の「清々しさ」に、藤助の「渋さ」も加わって、見応えのある舞台に仕上がっていた。誰一人として悪人はいない、ちょっとした「勘違い」、しかし、譲るわけにはいかない意地と意地との葛藤が生んだ「悲劇」とでもいえようか。姉を救おうとして負った火傷、その顔を看板に「男」になった五郎兵衛が、再び姉の刃で絶命する。「こうする他はなかったんだ」と呟く姉の表情に、心なしか「動揺」も垣間見え、大詰めの場面は舞台・客席ともに「凍り付いた」空気が漂う。要するに、旅鴉を許せない五郎兵衛の煩悩、その五郎兵衛を、煩悩から救うために「殺さざるをえない」姉の苦悩が結実化した名場面であった、と私は思う。夜の部、芝居の外題は「源太郎街道」。一家親分をだまし討ちされ、敵を討とうとしたが失敗、今は盲目となって兄貴・源太郎(白富士健太)の帰りを待つ、新二郎(白富士洸)の物語である。一家はちりじり、ただ一人、不自由な長屋暮らしを
しているが、大家の娘・おふく(白富士きよと)が何かと面倒を見てくれる。そんな折、待ちに待った源太郎が帰ってきた。新二郎いわく「俺は目が見えねえ、おふくちゃんと所帯をもちたいが、どんな顔をしているか、おめえ見てくれねえか」。源太郎、おふくの顔を見て驚嘆、「ぬかるみでぼた餅をふみつぶしたような顔だぜ」、新二郎「じゃあ、おめえ、追い出してくれ」、源太郎、体よく追い出したまではよかったが、食い物がない。 馴染みの寿司屋に出かけていった。その留守に敵役一家・権九郎(白富士龍太)の子分(白富士真之介)が登場、「源太郎はいねえか」と言いつつ、新二郎に一太刀浴びせて帰って行った。新二郎、「畜生、兄貴も帰ってきたことだし、もう思い残すことはねえ。俺が親分の敵を討つんだ」と、止めるおふくを振り払って、駆けだしていく。そこに帰ってきたのが泥酔状態の源太郎。おふく「大変だよ、新さんが敵を討つといって、出て行ってしまった」。その一言に源太郎、(途端に)酔いはさめたが片足が動かない。おふくが差し出す赤布で(片足を)縛りあげ、「新二郎、待ってろよ。俺もすぐにいくからな」といった展開だが・・・。私が目を見張ったのは、おふくを演じた白富士きよと。彼はまだ(おそらく)十六・七歳。その姿・形からして、誰あろう、あの大月聖也であったのだ。父・大月瑠也とともに「劇団翔龍」に居たが、いつのまにやら父が脱け、彼もまた(私にとっては)「行方不明」状態に。今、こんなところで、聖也に巡り会えようとは、「お釈迦様でも気がつくめえ」という心持ちであった。それにしても、変われば変わるもの、白富士きよとの「おふく」は、可愛らしく、何とも魅力的であった。まさにこの世は「有為転変」、しかし、斯界のサラブレッド・大月聖也が、白富士きよとに「変化」(へんげ)して修行を積めば、斯界の新しい戦力になることは間違いあるまい。「劇団京弥」に、その種は蒔かれた。後は開花を待つだけか、今日もまた、心うきうき、大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
雪の渡り鳥/一本刀土俵入り雪の渡り鳥/一本刀土俵入り
(2006/04/26)
三波春夫

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2018-03-24

劇団素描・「筑紫桃太郎一座」・《佐倉公演千秋楽で見せた、頭取・桃太郎の涙》

【筑紫桃太郎一座】(座長・筑紫桃之助)〈平成24年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
芝居の外題は「駿河の長吉」。内容は、要するに、清水の次郎長がお蝶と出会うまでの物語だが、お蝶の父親役になった頭取・筑紫桃太郎の独壇場といった景色で、贔屓筋にとっては「たまらない」場面の連続であった。筋書きは、あってないようなもの、頭取と「花の三兄弟」が、それぞれの「持ち味」を活かして「絡み合う」。長吉役の座長・筑紫桃之助は、あくまで「真っ当」だが、敵役の博多屋桃太郎は「三枚目」、玄海花道もお蝶に「振られる二枚目」といった風情で、その「楽屋ネタ」が、たいそう面白かった。お蝶に扮したのが(おそらく)筑紫円(座長の妻)、彼女に義父の頭取をはじめ、義弟の博多屋桃太郎、玄海花道らが、「しつこく」つきまとう。一方、頭取の妻女・筑紫桃香が一家の女中・おたけ役で、息子の玄海花道に「恋い焦がれる」。芝居と、楽屋裏の人間模様が「絶妙」に交錯して、えもいわれぬ「大家族劇団」の魅力を醸し出す。一座の大黒柱・筑紫桃太郎は、平成21年10月に「一線を退いた」が、老い込むにはまだ早い。今日の舞台では「中風」の親分役で終わるのが我慢できず、大詰めでは、颯爽とした侠客に「変身」したが、げに、ごもっとも、それでいいのだ、と私は思う。芝居と舞踊ショーの間、彼は「口上」で30分間、しゃべりまくった。いわく「大衆演劇の興亡は、ひとえに皆様の御支援にかかっております。どうか、その灯を消さないで下さい。九州では、八つの劇場が閉鎖しました。皆様の力で、この劇場を支えて下さい。社長の温かい御配慮で、私たちは来年も帰って参ります」。千秋楽だというのに、客席は50人を超えていない。本来なら、「関東の客は芝居の見方を知らない。九州の客は、拍手一つで役者を舞い上がらせる」とでも、啖呵を切りたいところだが・・・、という思いが私にはひしひしと伝わってきた。舞踊ショー、頭取の個人舞踊は、沢竜二の歌声(曲名不詳)に合わせて「旅役者」の思いを鮮やかに描出する。顔には一筋の涙が・・・。胸中には、昭和42年(1967年)4歳で初舞台を踏み、爾来50余年を「ドサ回り」に捧げてきた男の「激情」が、走馬燈のように去来して来たか、踊り終えた後、客席に平伏して、(不覚にも?)泣き崩れるのであった。舞台は今年の踊り納め、すぐにまた荷物を積み込んで、奈良の公演に向かうという。頑張れ、桃太郎! 突っ張れ、桃太郎!今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就いた次第である。
男の激情男の激情
(2009/11/18)
沢竜二

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2018-03-23

劇団素描・「筑紫桃太郎一座」・《芝居「喧嘩屋五郎兵衛」の舞台模様》

【筑紫桃太郎一座】(座長・筑紫桃之助)〈平成24年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
この劇団は、この劇場では初公演、私は今から2年前(平成22年5月)、浜松バーデンバーデン健康センターでの舞台を見聞している。以下は、その時の感想である。〈JR浜松駅下車、徒歩15分の「浜松バーデンバーデン健康センター」に赴く。大衆演劇「筑紫桃太郎一座 花の三兄弟」を観るためである。この3月に座長を襲名した筑紫桃之助は「挨拶回り」のため不在、おかげで劇団頭取・筑紫桃太郎の「芝居」「舞踊」「口上」を存分に見聞することができた。芝居の外題は「帰ってきた前科者」。いきなり序幕から生後9か月の「抱き子」が生身で登場しようとは・・・。その赤ちゃん、「実のバーバ」に抱かれて泣きもせず、時には「笑顔」、時には「アー、ウー」等の「台詞」まで発するほどの「実力者」なのだった。まさに「お見事!」という他はない。筋書きは大衆演劇の定番、島送り、前科者の汚名を着せられた義兄(頭取・筑紫桃太郎)のために、棟梁からまで白い目で見られ、仕事を干されてしまった腕利きの大工(弟座長・博多家桃太郎)とその女房(芸名不詳の女優、おそらく弟座長の母、頭取の妻、抱き子の祖母?)の物語。腕利きの大工、義兄のことを女房にも言えず、酒と博打にあけくれる生活になってしまう。そんなとき、刑期十年を務めて兄が妹の所へ帰って来た。兄(頭取・筑紫桃太郎)、客席より登場、酔客の私語がよほど腹に据えかねたのか、芝居を中断、「お父さん、黙って観てくれないのなら、帰ってよ。入場料はお返しします」。なおも、しつこく「絡んでくる」客に対して、言わずもがなの啖呵をきる。「静かに観たいと思ってるお客さんのために、わしら《命をかけて》芝居をやってるんや。それを邪魔するんやったら今すぐ、ここから出てってんか!」客席と舞台上からの「直接対決」、実を言えば、これほど面白い芝居はないのである。「そうか、頭取!そこまでやるか・・・」と、心の中で拍手を贈るうちに、客は「無条件降伏」。黙って舞台を見守らざるを得なかった。だがしかし、頭取の言動を指示する客の「拍手」がない限り、この勝負は曖昧に終わる。なぜって、頭取は、自ら「舞台の景色」を「独断」で毀してしまったのだから・・・。肝腎の「拍手」は、(観客一同、その場のなりゆきを見て呆気にとられたか?)皆無であった。心なしか、頭取の「力が抜けた」。(ように私は感じた)当たり前のことである。静かに観劇したいお客様のために「啖呵を切ったのに、今ひとつ客との呼吸が合わなかった」という後悔・口惜しさがあったかどうか、それはわからない。毀れてしまった景色の修復は至難の業、本来の「人情芝居」(盛り上がり)は不発のまま終幕した。(と、私は思う)とは言え、この頭取、タダモノではない。「口も荒けりゃ気も荒い」、あの「無法松」を絵に描いたような九州の「伊達男」といおうか、その「男臭さ」が、舞踊ショーでは瞬時に「妖艶な女」に変化する。その舞姿は「天下一品」であった。また、その「口上」が面白い。①斯界で九州の劇団は20余り、それぞれABCのランクが付いている。トップは「劇団花車」、②大衆演劇がメジャーになるのは容易ではない。せいぜい梅澤富美男、松井誠くらいか、早乙女太一はまだ未知数。③九州の客筋は、「拍手」で役者を乗せる。東海、関東の客は「拍手」が足りない、④「女形」を演じるとき、役者は自分が理想とする女性をモデルにしている、⑤一幕物の芝居は「盛り上げるのが大変」、いっぺん景色が毀れると(客との呼吸がずれると)それでお終い、⑥大衆演劇の役者は、客の一挙一動を見ながら(その反応を踏まえて)芝居をしている、だから「舞台の景色」は客次第、同じ演目でも「千変万化する」等々について「語り」ながら、高齢者への「心配り」を忘れない。温かい言葉を投げかけ、劇団グッズをプレゼント。「どうか、長生きしてね。ナンマンダブ、ナンマンダブ」と合掌する姿が、いかにも下世話な風情(冗談風)で「絵になっていた」。それでよいのだ、と私は思う。「心配り」は高齢者に対してだけではない。劇場の入り口、また館内にも、「10日、座長・筑紫桃之介不在」「○○日、弟座長・博多家桃太郎不在」などという貼り紙が施されている。通常なら、「○○日、○○座長ゲスト出演!」のように宣伝する手筈だが、劇団幹部の「不在」を表明する劇団は数少ない。誠実・正直な頭取の人柄が浮き彫りされている光景であった。さだめし、あの富島松五郎が生きていたなら、このような立ち居振る舞いをしたであろう。大きな「元気」を頂いて帰路につくことができた。ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・〉。さて
、今日の舞台や如何に?芝居の外題は、御存知「喧嘩屋五郎兵衛」、主役・五郎兵衛に玄海花道、その兄貴分に博多屋桃太郎、子分に座長・筑紫桃之助、縁談話を持ち込んできた出入りの商人に玄海太郎、という配役で、頭取の筑紫桃太郎は「不在」であった。(昨日、四日市ユーユーカイカンで、九州劇団の座長大会があり、そのままそこに居続けているとのこと)文字通り「親分不在」、花の三兄弟競演の舞台であったが、その景色は、まさに九州旅芝居の典型、役者がヤクザを演じているのか、ヤクザが芝居を演じているのか、見分けがつかないほどの異様さで・・・、客席は、舞台の迫力(登場人物の柄の悪さ)に圧倒されてか、水を打ったように静まりかえる。「わしら、命をかけて芝居をやっているんや」という頭取の思いが、三兄弟に乗り移ったかのような「気配」であった。大詰め、五郎兵衛自刃の場面も、死にきれずに何度も刃を腹に突き当てる。その「しつっこさ」は、まさに九州の「こってり味」で、たいそう「見応え」があった、と私は思う。打って変わって舞踊ショー、さきほどのヤクザはどこへ行ってしまったのか、といった雰囲気で、可憐・妖艶・華麗な「女形」が、次々と登場。心も軽く気も軽く、佐倉駅の売店で、(熱燗の)ワンカップをゲット、ほろ酔い気分で帰路に就いたのであった。
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2018-03-22

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「一本刀土俵入り」の配役と音曲》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「一本刀土俵入り」。主なる配役は、駒形茂兵衛に座長・水葉朱光、安孫子屋の酌婦お蔦に舞坂錦、その夫・辰三郎に水廣勇太、舟戸の弥八に水谷研太郎、波一里儀十に潮美栄次、利根川べり渡し船船頭に責任者・梅沢洋二朗という面々であった。この芝居の眼目は、世間の薄情な人々の中に咲いた一輪の花(有情)の描出である。母に捨てられ、酌婦に身を持ち崩した「あばずれ女」が、親方に見放された一文無しの相撲取りに「情け」をかける、十年後、横綱になり損ねた相撲取りがその「御恩返し」をするという筋書きで、昭和生まれの世代にとっては、たまらなく魅力的な物語である。見所は、第一に、酌婦お蔦の風情、明日への望みもなく、その日その日を酒浸りで暮らす「あばずれ女」が、垣間見せた瞬時の「情け」である。有り金すべてばかりか、商売道具の櫛、簪まで茂兵衛に与えてしまう「無欲」な景色がたまらない。第二は、その「情け」を、遠慮しいしい受け入れる茂兵衛の風情、「いいよ、いいよ、そんなにもらわなくても・・・」と言いながら、泣き崩れる。彼もまた「無欲」なのである。二人を結び付けるのは、持たざる者同士の「有情」、その絆こそが物語の眼目に違いない。第三は、十年後の景色、まさに世は無常、今では一児の母、堅気になったお蔦、夢破れて「こんな姿に成り果てた」茂兵衛のコントラストが、一際鮮やかに舞台模様を彩るのである。そんなわけで、鍵を握るの(登場人物のキーパースン)はお蔦、今日の舞台では舞坂錦が演じていたが、彼の芸風はあくまで「楷書」風、まして男優の彼には「荷が重すぎた」、と私は思う。やはり、お蔦は女優、座長・水葉朱光が「はまり役」ではないだろうか。私が身勝手に配役するなら、お蔦・水葉朱光(又は朱里光)、茂兵衛・水谷研太郎(又は水葉朱光、又は舞坂錦)、辰三郎・水廣勇太、舟戸の弥八・潮美栄次、波一里儀十・舞坂錦(又は水嶋隼斗)、船頭・梅沢洋二朗に加えて舞坂錦、といった按配になるのだが・・・。さらに言えば、舞台に流れる「音曲」、越中おわら節は、静かに、静かに・・・。「節劇」の語りには二葉百合子が不可欠ではないだろうか。とりわけ、一景から二景への幕間に、「利根の堤の秋草を 破れ草鞋で踏みしめる 駒形茂兵衛のふところに 残るお蔦のはなむけが 男心を温めて 何時か秋去り冬も行き、めぐる春秋夢の間に、十年過ぎたが 番付に駒形茂兵衛の名は見えず お蔦の噂も何処へやら 春の大利根今日もまた 昔変わらぬ花筏」の一節が流れたなら・・・。そして、大詰めは「逢えて嬉しい 瞼の人は つらい連れ持つ女房雁 飛んで行かんせ どの空なりと、これがやくざの せめて白刃の仁義沙汰」で締めくくる。誠に僭越至極な感想で、申し訳ない限りだが、「新国劇」亡き今、あの島田正吾、香川桂子(外崎恵美子)の舞台に迫り、それを超えることができるのは、大衆演劇の劇団(とりわけ、躍進めざましい「劇団朱光」)を措いて他にない、と私は確信しているのである。
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2018-03-21

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「質屋の娘」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成25年12月公演・小岩湯宴ランド〉
この12月私は、芝居「かげろう笠」「雨の他人舟」「一本刀土俵入り」「へちまの花」「瞼の母」などの舞台を見聞したが、2年前に比べて「大きな変化」は見られなかった。むしろ、これまでの「チームワーク」(呼吸)が、ともすれば乱れ気味で、いわゆる「中だるみ」もしくは「マンネリ」「油断」が感じられた。それというのも、花形・舞坂錦が副座長に昇進、名も水城舞坂錦と改まったが、やや「力みすぎ」、「立て板に水」のセリフ回しが目立ちすぎて(私にとっては)食傷気味、加えて一座の重鎮・梅沢洋二朗が(大門力也が客演のため)休演状態、さらにまた若手男優・水澤拓也、水橋光司、水越大翔らに大きな変化がみられず足踏み状態、といった事情があるからであろう。とはいえ、千秋楽前夜の今日の舞台は、その「中だるみ」を吹き飛ばすような、見事な出来映えであった。芝居の外題は、御存知「質屋の娘」。配役は「質福」の娘・おふく(26歳)に座長・水葉朱光、その兄(28歳)に水城舞坂錦、番頭に潮美栄次、手代・新二郎(25歳)に水廣勇太、
おふくの身の回りを世話する女中・おさよに朱里光、おさよの兄(高崎在の水呑百姓)吾作に水谷研太郎といった面々で、申し分ない。筋書きは単純、年頃になったおふくが「お婿さんがほしい」と言い出した。相手は手代の新二郎、しかし新二郎には「末を言い交わした」おさよがいた、おふくは「泣く泣く」その縁談をあきらめるというお話である。しかし、見所は随所に散りばめられていた。まず第一は、娘・おふくの風情。幼いとき階段から落ち、頭を打って「育ちそびれてしまった」。頭には(質倉にある)簪を「生け花のように」さしまくって登場、兄に咎められて簪を抜き去ると、スッキリしたが、その様子を兄がしみじみと見て「ずいぶん淋しくなっちゃった」といった呼吸は絶品、「綺麗」というよりは「可愛い」という評価がピッタリの舞台姿であった。第二は、番頭・潮美栄次の存在、彼の芸風はどちらかと言えば「地味」で「不器用」、脇役・仇役に徹し「いてもいなくてもよい」存在感がたまらなく魅力的である。おさよの兄・吾作が帳場の金(五両)を盗もうとするのを見咎め捕縛する。馬乗りになって吾作を打擲する様子が「絵になっていた」。第三は店主・水城舞坂錦と手代新二郎・水廣勇太の「絡み」、新二郎、店主の縁談話にのりかかるが相手がおふくと知って「卒倒」する、店主と手代では立場が違う、自分の本心も聞いてもらえずにやむなく承諾する。そこにやってきたおふくに迫られ、辟易とする場面は抱腹絶倒の場面であった。第四は、その新二郎とおふくの「絡み」、新二郎おふくに向かって「私とおさよはメオトの約束をしています」。おふく「いいよ、おさよとメオトになりなさい。アタシは新二郎とフーフになるのだから」「違うんです。メオトとフーフはことばは違うけど意味は同じなんです」「フーン、だったら三人でフーフになろう」といったやりとりが何とも魅力的であった。その他にも、店主が吾作の名前を「何回も」呼びまちがえる場面、おさよが新二郎に裏切られて嘆き悲しみ店を去る場面等々、見所は満載であったが、「極め付き」は大詰め、店主の兄とおふくの「絡み」、店を去って行ったおさよを追おうとする新二郎に、おふくは花嫁衣装と支度金まで贈呈、それでも新二郎が恋しいと泣きじゃくる。(その様子を陰で見ていた)兄に向かっておふくが言う。「アタシ、バカだから、新二郎は行ってしまった」。兄、きっぱりと「おまえはバカじゃない!好きな相手に着物やお金を上げてしまうなんて、利口な人にはできないということだ」おふく「?・・・、じゃあやっぱりバカなんだ」というオチも添えられで、舞台は愁嘆場。「どんなに苦いオクチュリでも飲むから、バカを治して」と懇願するおふく、「バカはイヤ、バカはイヤ、バカはイヤなんだよー」と泣きじゃくる妹に、なすすべもなく立ち尽くして慟哭する兄、そのままふたりがシルエットになって終演となった。「育ちそびれた人物」の姿を(多くの)観客は見たくない。なぜなら、実生活の中では、その姿に「夢」を感じないからである。にもかかわらず、「育ちそびれた」風情の中に、(観客の)「共感」を呼び起こし、「人権尊重」を語りかけようとする座長・水葉朱光の「演技」は冴えわたっていた。役者にとってそれは「至難の業」、初めは目を背けていた観客が、次第に惹きこまれ、その姿に「夢」と「輝き」を感じられるようになるか否かが問われるからである。事実、これまで笑い転げていた観客(私)の感性は、きれいに洗い清められ、あふれ出る涙を抑えることができなかった。
 今日の舞台は、あの「人間」(「劇団竜之介」)、「春木の女」(「鹿島順一劇団」)に匹敵する、斯界屈指の名作であった、と私は思う。感謝。
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2018-03-20

劇場界隈・《行田温泉茂美の湯、もさく座公演「鹿島順一劇団」》

【行田温泉茂美の湯・もさく座】(埼玉県行田市)
 JR高崎線・北鴻巣駅から送迎バスで10分、または吹上駅から路線バス・行田車庫行きで「産業道路」停留所下車、徒歩15分、「さきたま古墳群」の傍、忍川の畔にある。もさく座は、「源泉かけ流し」の名湯である行田温泉茂美の湯に併設されており、宿泊して観劇すれば名湯と名舞台が同時に楽しめる桃源郷である。浴室には、様々な浴槽が設けられ、それぞれ泉温が違う。自分の好みに合わせて適宜利用すれば、日頃の生活で傷ついた心身を、ほどよく癒してくれる。従業員は若者が多く、「気が回らない」物足りなさ、「手際の悪さ」はあっても、「別に悪気があってのことではない」と思えば、さほど気にはならない。劇場はこれまでの舞台付き大広間(いわゆる宴会場・二階)から、観劇専門の一室(約300人収容・一階)に移転、リニュアール・オープンしたとの由。暗闇の中で飲み食いしながら観劇するという「愚」を避けようとする、経営者の賢明な判断に拍手を送りたい。公演は「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。芝居の外題は、昼の部「忠治御用旅・雪の信濃路」、夜の部「噂の女」。二日替わりのプログラムで、初日、二日は「春木の女」と「会津の小鉄」(名張屋新蔵と仙吉)だったそうな。いずれも、劇団屈指の名狂言。さぞかし感動的な名場面、至芸の数々が展開されたことであろう。さて、私が見聞したのは「忠治御用旅」。赤城の山を追われた国定忠治(座長・鹿島順一)が、雪の信濃路を逃げていく。あまりの寒さに、思わず立ち寄った一件の居酒屋、そこの亭主はかつての子分(春大吉)、その女房(春日舞子)の兄(蛇々丸)は十手持ち、忠治を捕縛する役目を負っていた。兄と対抗する女衒の十手持ち(花道あきら)、土地のごろつき(梅之枝健)女衒の子分たち(三代目・虎順、赤胴誠)が必死に忠治を追いかけるが、「貫禄」が違う。その筋書き・台本通りに、座長・鹿島順一の舞台姿は「日本一」、一つ一つの所作、口跡は「珠玉」の「至芸」、とりわけ、御用旅の疲れにやつれた風情が、一子分との出会いで一変、しかしその子分が女房持ちと知るやいなや、すぐさま立ち去ろうとする「侠気」、ごろつき殺しの疑いをかけれれた子分の窮地を救うために「百姓姿」(三枚目)に豹変する「洒脱」、さらには、もう逃げ切れぬとさとったとき、兄の十手持ちの前に両手を差し出す「諦念」の風情を「ものの見事に」描出できるのである。加えて、子分、その女房、その兄との「絡み合い」は、心に染み渡る「人情芝居」そのもの、剣劇と人情劇(時には喜劇も)を同時に楽しむことができる「逸品」であった。十手持ちの蛇々丸が忠治の座長を「それとなく」「逃げのびさせる」やりとりは、「勧進帳」の「富樫」にも似て、大衆演劇の「至宝」と評しても過言ではない、と私は思う。
 夜の部「噂の女」、客の数は半減したが、「そんなことにはおかまいなく」(座長の気分が乗れば)全力投球で舞台に臨むのがこの劇団の特長である。今回の舞台も、座長、「しっちゃかめっちゃか」(一見、型破り、実は計算され尽くした)の奮闘公演、百二十パーセント「完璧な」筋書き・展開(どこのセリフ回しも端折ることなく)が具現化されていた。舞台は「水物」、その劇場、客筋によって、出来映えは「千変万化」するのだが、その変化がを「つねに前進・向上」したものしようと努める(ころんでもただでは起きない)心構えが劇団員一人一人に「徹底して」染みこんでいるように、私は感じる。      以下は、前回、私が見聞した「噂の女」の感想である。
 〈夜の部の芝居は「噂の女」。主演・春日舞子、共演・鹿島順一。配役は、「噂の女」・お千代(春日舞子)、その父(蛇々丸)、弟(花道あきら)、弟の嫁(春大吉)、嫁の父(梅乃枝健)、お千代の幼友達・まんちゃん(座長・鹿島順一)、村人A(三代目・虎順)、B(金太郎)、C(赤胴誠・新人)、D(生田あつみ)という面々である。時代は、明治以後、五百円が、今の百万円程度であった頃だろうか。ある村に、「噂の女」が帰ってくる。まんちゃんは「駅まで迎えに行こう」と、村人を誘うが、誰も応じない。「お千代は、十年前、村に来た旅役者と出奔し、その後、東京・浅草の淫売屋で女郎をしているというではないか。そんな不潔な女とは関わりたくない」と言う。まんちゃん「そんなことは関係ない。みんな同じこの村の仲間ではないか」村人「とんでもない。そんな女に関わるなら、お前は村八分だ」まんちゃん「村八分、結構!もともと、俺なんかは村では余計物、俺は一人でもお千代タンを迎えに行くぞ」、村人「勝手にしろ。お前はいくつになっても、足りんやっちゃ、この大馬鹿もの!」  
 やがて汽笛の響きと共に汽車が到着、まんちゃんはお千代の荷物を持って大喜び、一足先に、お千代の父宅に持参する。やがて、東京暮らしですっかり垢抜けたお千代も帰宅、父はお千代が好きだった「揚げ豆腐」を買いに出て行った。後に残ったのは、まんちゃんとお千代の二人きり、まぶしい太陽でも見るようにまんちゃんが言う。「お千代タン、よう帰ってきてくれたなあ。オレ、ずうっと待っていたんだ」「どうして?」「だって、ずっと前から、オレ、お千代タンのこと好きだったんだもん。」「あんた、あたしが浅草でどんな商売しているか知ってるの?」「知ってるよ。男さんを喜ばす仕事だろ。みんなは、汚い、穢らわしいと言うけど、オレはそう思わない。お千代タンは、人を騙したり、傷つけたりしていない。人を喜ばす大切な仕事をしていると思うとる」「ほんとにそう思うの?」「ああ、本当だ。できれば、お千代タンと一緒に暮らしたいんだ、キーミーハ、コーコーローノ、ツーマダーカラ・・・」思わず絶句するお千代。よく見ると泣いている。「アンタ、泣イイテンノネ、オレまた何か、まずいこと言っちゃったんかな?」「そうじゃないのよ、嬉しくて涙が止まらないの」「フーン?」しばらく沈黙、意を決したようにお千代「まんちゃん!あたし、まんちゃんのお嫁さんになる!」動転するまんちゃん「何だって?今、なんて言った?」「あたし、まんちゃんのお嫁さんにしてくれる?」「そうか、オレのお嫁さんになってくれるんか。へーえ、言ってみるもんだなあ」かくて、二人の婚約は成立した。そうとなったら善は急げだ。こんな村などおさらばして、東京へ行こう。まんちゃんは小躍りして旅支度のため退場。そこへ父、帰宅、弟夫婦も野良仕事から戻ってきた。しかし、二人の表情は固い。土産を手渡そうとするお千代に弟は言い放つ。「姉ちゃん、何で帰ってきたのや。村の人たちはみんな言ってる。あんな穢らわしい女を村に入れることはできない。もし居続けるようなことがあったら村八分や。おれたち村八分になってしまうんや。姉ちゃん、それでもいいのか。はよう、この家から出て行ってくれ!」父が激高した。「お前、姉ちゃんに向かって何てことを言うんだ」弟も反駁。「隠居の身で大きな口たたくな。今はおれこそが、家の大黒柱、それに姉ちゃんは十年前、おれが病気で苦しんでいたとき、旅役者と駆け落ちしたんじゃないか!」「何だって、もういっぺん言ってみろ」「ああ何度でも言ってやる。姉ちゃんはおれたちを見捨てて、淫売女になり果てたんだ。そんな女をこの家に置いとくわけにはいかない」「よーし、お前がそこまで言うんなら、わしも黙っているわけにはいかない!」必死で止めようとするお千代を制して、父も言う。「おまえが病気の時、姉ちゃんが出て行ったのはなあ、お前が町の病院で治してもらうお金のためや。姉ちゃんは、自分の身を売ってお前の治療代を作ったんだぞ!、病気が治ったのは姉ちゃんのおかげ、それを今まで黙っていたのは、お前を心配させないためや」「・・・・」絶句する弟、「何だって!何で、今頃そんなこと言い出すんや。もう遅いわい」そこへ、弟嫁の父、登場。「やあ、お千代さん。よう帰ってきたなあ・・・。サチヨ(嫁)、もうお姉さんに御挨拶はすんだのか?」だが、その場の様子がおかしい。一同の沈痛な表情を見とって自分も沈痛になった。「やあ、困った、困った。実に困った」、「何が?」と問いかける弟に「実はな、ある人の借金の保証人になったばっかりに、五百円という大金を負わされてしまったんだ。何とかならないだろうか?」「えっ?五百円?そんなこと言われたって、見ての通りの貧乏暮らし、そんな金どこを探したってあるはずがない」弱気になる弟に、隠居の父がつっかかる。「お前、さっきなんてほざいた。この家の大黒柱じゃあなかったんか」やりとりを黙って聞いていたお千代が口を開いた。「おじさん。五百円でいいの?ここに持っているから、これを使って。これまで、身を粉にして貯めたお金よ。家に帰ってみんなの役に立てればと思って持ってきたの。私が使ったってどうせ『死に金』、おじさん達に役立ててもらえば『生きたお金』になるじゃないの」一同、呆然、弟夫婦は土下座して声が出ない。肩が小刻みに震えている。お千代、キッとして「もう、いいの。このまま浅草に帰るわ。また、あそこでもい一回、頑張って生きていこうと思います」、「待ってださい」と引き止める弟夫婦、その両手をやさしく握りながら、「あっ、そうだ!忘れていた。お父さん、あたし好きな人ができたの。あたしその人のお嫁さんになるの!」一同、驚愕。「えっ?誰の?」お千代、涼やかに、「まんちゃんよ!」すっかり、旅支度を整えたまんちゃん、踊るように再登場、舞台も客席も、笑顔の花が咲き乱れる。まんちゃん「まあ、そういうことで、お父上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」弟嫁の父、そっとお千代に近づき「やあ、めでたい、めでたい、そういうことなら、これは私からのお祝いだ」さっきの五百円を手渡そうとする。「だって、おじさん!これは借金の返済に使うお金・・・」「なあに、心配ご無用。さっきの話は私の作り話、一芝居打ったのさ!」舞台に流れ出す、前川清の「噂の女」、まんちゃんとお千代、花道で颯爽と見得を切る。さっと振りかざした相合い傘の骨はボロボロ、破れガサがことのほか「絵」になる幕切れであった。「襤褸は着てても、心は錦、どんな花より綺麗だぜ、若いときゃ二度ない、どんとやれ、男なら、人のやれないことをやれ」、まんちゃんの心中を察して、私の心も洗われた。
 大衆演劇に共通する眼目は、「勧善懲悪」「義理人情」だが、もう一つ「人権尊重」という主題が秘められていることを見落としてはならない。「村八分」という差別観に敢然と立ち向った「まんちゃん」(余計者・与太郎)とお千代(賤業者)の行く末は?、それを決めるのは、他ならぬ私たち一人ひとりなのではないだろうか。

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2018-03-19

劇団素描・「劇団花月」・《なか座公演は「がんばっぺ!茨城」》

【劇団花月】(座長・一條洋子)〈平成23年12月公演・なか健康センターなか座〉
この劇場は、常磐線水戸駅から水郡線に乗り換えて約15分、上菅谷駅で下車、徒歩5分のところにある。通常は入館料1785円、観劇料525円のところ、震災後のリニューアル「お客様大感謝祭」(がんばっぺ!茨城)ということで、観劇料は無料であった。(近隣市町村の住民は入館料も700円)。館内は広く清潔で、浴室には「絹の湯」「壺の湯」「北投の湯」「炭酸の湯」「白湯」「サウナ」「塩サウナ」「水風呂」「ジャグジー」等々、多種多様な湯舟が揃っている。また劇場・なか座は「飲み食い処」とは別のところに設けられているので、何よりも舞台に集中できる点が優れていると思った。他に、テレビルーム、仮眠室(深夜割増料金1050円)、個室(宿泊料2名まで5250円)、岩盤浴(525円)、整骨院、ボディケア、アカスリ、エステティック、カットサロン、大食堂、パスタ&ピッツア店等々の付帯施設も揃っており、文字通り「至れり尽くせり」の環境であった。さて、肝心の「劇団花月」は九州の劇団、名前は聞いていたが、私にとっては初見聞。座員は、総責任者・一條ひろし、座長・一條洋子、二代目座長・一條ゆかり、花形・一條こま、座長の母・星てる美、男優・十條みのる、四川魁、不動明、子役・なむ・・・、といった面々である。芝居の外題は「激動を生きる男・鼠小僧」(?)。幼いとき、親に捨てられた鼠小僧次郎吉(座長・一條洋子)が、捕り手に追われながら逃げ込んだ「縄のれん」(居酒屋)の女主人(星てる美)が実の母、種違いの弟・新吉(一條こま・女優17歳)は十手持ちという筋書きは大衆演劇の定番である。この3人に絡むのが、次郎吉を慕う女泥棒(一二代目座長・一條ゆかり)、十手持ち親分の十條みのる、偽鼠小僧の四川魁、辻占売りのなむ、と役者は揃っていたが、その舞台模様は、やはり「九州風」。どちらかと言えば、「せりふ回し」に偏りがちの演出で、表情、所作の景色は「今一歩」という感があった。座長・一條洋子の風貌は「浅香光代」然、貫禄十分で申し分ないのだが、「立ち役」二枚目の青臭さ(色香)、恨み続けた親との出会いから、心が「懺悔」に変わっていく気配が、物足りない。しかし、それはあくまで私の「偏見と独断」、たった1回の見聞で断定することはできない。「唄と踊りのグランドショー」で、総責任者・一條ひろし、颯爽と登場。破門状を手にして、侠客の「侘びしさと」「憤り」を見事に描出、「ああ、芝居の舞台姿を一目拝みたかった」と、思わず溜息がもれた。不動明の歌唱は「街のサンドイッチマン」から「上海帰りのリル」へ、「明日はお立ちか」で締めくくる。今ではレコードでしか耳にできない「珠玉の逸品」を、それ以上の肉声で鑑賞できたことは望外の幸せであった。加えて、ラストの三人(一條洋子、ゆかり、こま)花魁ショー、まさに豪華絢爛、一人分の衣装は数百万、合計すれば「家一軒が建つ」そうな・・・。今日もまた、大きな元気(がんばっぺ!茨城)を頂いて帰路に就いた次第である。
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(2004/09/01)
氷川きよし

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2018-03-18

劇団素描・「劇団千章」・《芝居「瞼の母」&「質屋の娘」》

【劇団千章】(座長・市川良二)〈平成24年9月公演・小岩湯宴ランド〉
この劇団には、かつて六代目・市川千太郎が居た。市川智二郞も居た。白龍も居た。しかし、諸般の事情(詳細は全く不明)により、彼らの姿はすでに無く、代わりに、沢村新之介が居る。(これまた何故か、特別出演の)中村英次郎(元「劇団翔龍」)が居る。梅乃井秀男(元「劇団花凜」)も居る。劇団の模様は、文字通り「有為転変」、まさに「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて留まるところ無し」(方丈記)といった風情そのものなのである。これまでの座長・市川千太郎に代わって、兄の市川良二が座長を務めているものの、それは「無理」というものである。良二の「持ち味」は、あくまで千太郎の相手役、その「脇役」に徹してこそ、「いぶし銀」のような輝きを発揮することができたのに・・・、といったあたりが常連・贔屓筋の評判ではないだろうか。さて、芝居の外題は昼の部「瞼の母」、夜の部「質屋の娘」。どちらも大衆演劇の「定番」、とりわけ「瞼の母」の主役・番場の忠太郎は「立ち役」の魅力が勝負所、千太郎よりも良二の方が「適役」ではないだろうか・・・、などと思いつつ幕開けを待った。配役は、忠太郎に市川良二、その母・おはまに市川千章、妹・おとせに市川誠、おはまに無心に来た夜鷹に梅乃井秀男、素盲の金五郎に中村英次郎といった陣容で、まず申し分はないのだが、相互の「呼吸」が今一歩、まだ練り上げられた景色として「結実化」するまでには時間がかかるだろう。芸達者なそれぞれが、それぞれに芝居をしている感は否めない。それもそのはず、今月公演の演目は「日替わり」で1日2本、およそ60本の芝居を「演じ通す」のだから。すべてが「ぶっつけ本番」、その懸命さには頭を垂れる他はない。夜の部「質屋の娘」、主役はもとより美貌の娘・おふく、○○期の病気がもとで「魯鈍気味」、その「あどけない」(無垢な)風情を、どのように描出するか。彼女を育む父親・中村英次郎の景色は絶品、市川良二の「女形」も悪くはなかったが、千太郎には及ばなかった。良二は良二、千太郎は千太郎、それぞれの「かけがえ」は代えることができないのである。というわけで、「劇団千章」は、かつての「市川千太郎劇団」ではない。六代続いた伝統の行方はいずこへ・・・、一抹の寂しさを噛みしめつつ帰路の就いたのであった。
瞼の母―長谷川伸傑作選瞼の母―長谷川伸傑作選
(2008/05)
長谷川 伸

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2018-03-17

劇団素描・「宝海劇団」・《夜の部・舞踊ショーは、観客三人の「夢舞台」》

【宝海劇団】(座長・宝海竜也)〈平成24年1月公演・佐倉湯ぱらだいす)
七草、成人の日も終わって、平日の舞台、その時にこそ劇団の「真価」が問われるのだ、と私は思う。案の定、昼の部でも観客は15人ほど、加えて、今日の舞台では役者も欠けていた。若座長・宝海紫虎、時代の寵児・宝海大空、ベテラン女優・宝海真紀、負傷中の城津果沙がいない。それでも、大衆演劇は「幕を開ける」のである。芝居の外題は、小さすぎて聞こえない。筋書きは、御存知「忠治山形屋」と瓜二つ。娘・お花(海原歌奈?)を加納屋親分(座長・宝海竜也)に身売りさせた百姓の老父(山下和夫)、三十両を懐に帰路に就いたが、地獄峠の山道で山賊(実は加納屋子分・久太郎)・宝海太陽・他に金を奪い取られた。老父、絶望して身投げをしようとしているのを助けたのが、大前田若親分(宝海大地)。若親分、加納屋に乗り込んで、金を奪い返し、お花を救い出すという筋書きであった。それぞれの役者が「精一杯」つとめていたが、まだ「呼吸」の面白さを描出するには至らず、見せ場は、大詰め、山中でみせる若親分と加納屋一家の立ち回り、一瞬にして三人を切り倒す宝海大地の「太刀さばき」であったろうか。それはそれでよい。「一生懸命に舞台を務める」、その心意気、気配だけで、私たちは元気をもらえるのだから。
さて、二部の舞踊ショーからが面白かった。山下和夫、歌唱の2コーラスを歌い終えると、「みなさん、今日は大空くんがいなくてすみません。でもみんなで一生懸命がんばります」(拍手)遠慮がちに「夜の部も観ていただけますか」最前列の女性客「観るよ」「えっ?大空くんは夜も出ませんよ」「大空くんがいなくたって、観るよ」。その言葉を聞いて、一瞬、山下和夫の全身に「電気が走った」。(ように私には思われた)。「えっ?大空くんがいなくても、ですか」と言って、楽屋の袖に顔を向ける。もしかして、そこに座長・宝海竜也が居たのかもしれない。その後、山下和夫、「さざんかの宿」を熱唱、続いてのラストショーで舞台は大団円となった。さて、夜の部開演は6時、はたして何人の観客が居残るだろうか。大浴場で入浴・休憩後、喫煙所でタバコを吸っていると、館内放送が流れた。「午後6時から5階・湯ぱら劇場で宝海劇団によるお芝居・舞踊ショーが行われます。どうぞ皆様お誘い合わせの上御来場ください」。本当にそうだろうか。5時45分頃、興味津々で劇場に行ってみると、案の定、観客は二人しか居ない。200人は優に収容できる客席の最前列に、件の女性客とその「つれあい」とおぼしき男性が、食事接待の従業員となにやら話をしている。三人は、私の気配を察したか、こちらを振り向いた。私も、近づいて「今日は本当にやるんですか」と問いかけると、従業員、「苦渋に満ちた表情で」答えられない。男性客が「そう!、やるか、やらないか。決断の時ですよ。もし、やらなければこの劇団は終わり、正念場、正念場・・・。とにかく、座って待ちましょうよ」。というわけで、観客の三人、固唾を飲んでその成り行きを見守ることとなった。時刻は、まもなく6時に・・・、その時、幕の袖から(静かに)座長登場、「今日は、ありがとうございます。こんなことはめったにないんですが。10年近く座長を務めておりますが、今日は2回目です。以前はお客様が二人、それでも幕を開けましたが、舞踊ショーの途中で帰ってしまいました。今日も幕を開けますが、お芝居は勘弁してください。舞踊ショーで精一杯がんばりますので、どうか途中でお帰りにならないようにお願いいたします」。男性客、大きく頷いて「結構、結構、やる方も辛いでしょうが、観る方も辛いんだ。がんばって、お願いしますよ」。おっしゃるとおり、観る方も辛いのだ。「男も辛いし女も辛い 男と女はなお辛い」という謳い文句そのままに、舞台は開幕する。幕が上がると同時に、三人の(割れるような)拍手を受け、座長・宝海竜也を筆頭に、大地、太陽、蘭丸らが、珠玉の妙技を披露する。たった三人の客を前に演じる「やるせなさ」「こっぱずかしさ(?)」も加わってか、まさに「今、ここだけでしか描出できない」(魅力的な)舞台模様が展開したのであった。太陽の舞台、男性客が声をかけた。「太陽!」、しばらくして小声で「何歳?」と尋ねると、太陽もまた踊りながら小声で、(つぶやくように)「25です」という「やりとり」が何とも面白かった。昼の部では見せなかった「バック転」もサービスして退場。蘭丸は蘭丸で舞台を降り、男性客に視線を合わせて微笑みかける。その可憐な風情も絶品であった。加えて、子役のちょろQ靖龍、舞台狭しと跳んだりはねたり踊りまくる中で、(その弟とおぼしき)赤児まで(幕の陰からハイハイで)登場、「相舞踊」よろしく大人用の扇子を掲げたり、振り回したりする様は、これぞ大衆演劇の「極意・真髄」といった按配で、誠に「有り難い」稀有な風景であった。やがて1時間ほどの舞台は(三人には惜しまれつつも)終演となったが、件の男性客曰く「いやあ、感動した。素晴らしかった。こんな《夢舞台》初めてだ」。けだし名言、大衆演劇は「たった三人の客」のためにだって幕を開けるのである。その心意気に心底から感動、今日もまた、大きな元気を頂いて帰路に就くことができたのであった。感謝。
さざんかの宿/目ン無い千鳥さざんかの宿/目ン無い千鳥
(2003/10/22)
大川栄策

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2018-03-16

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「かげろう笠」・雌伏三年、大きく開け「大輪の花」》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉                                                      私はこの劇団の舞台を、今から3年半余り前(平成20年5月)、東京・立川大衆劇場至誠座最終公演)で見聞している。以後も、数回、柏健康センターみのりの湯あたりで見聞したおぼえはあるが、特記すべき内容はなかった。だがしかし、今回は違う。文字通り「雌伏三年」、これまでの精進が一気に「花開いた」感じがする。座長・水葉朱光は26歳(?)の女優、「水葉」の水は、若水照代の「水」、葉は、若葉しげるの「葉」ということで、芸風は、あくまで関東風、その「いいところ」(軽妙・洒脱・粋の良さ)が、舞台のあちこちに散りばめられていたのであった。芝居の外題は「かげろう笠」。箱根の山中で盗賊に襲われていた盲目の侍(花形。水廣勇太・好演)を救った、女賭博師・かげろうのお勝(座長・水葉朱光)、「これからも気をつけなすって」と立ち去ろうとするのを、「待て!女」と侍が呼びとめる。「女?私にだってれっきとした名前があるんです」「名前はなんと?」「かげろうのお勝ですよ」「カツか」「いえ、トンカツではありません、おカツです!」「それで、これからどちらへ参られる?」「江戸ですよ」「江戸か。ワシも江戸へ参るつもりじゃ、連れて行け」、その横柄さと、あきれかえるお勝つの風情が、何とも(漫才のように)軽妙で、たいそう面白かった。侍、大金の入った豪華な財布をお勝に与え、再度依頼したが、「もし、お侍さん、私がこれを持ってトンズラしたらどうします?」「トン・ズラ?・・・とは何か」「ズラカルことですよ」「ズラ・カルとは何か」「逃げることですよ」「ああ、逐電のことか」「チクデン?駅伝ならわかりますけど」といったやりとりでダメを押し、二人は江戸へ向かうことになった。行き先は、お勝の弟・髪結新三(舞阪錦)の家。お勝と新三は、当分の間、侍の面倒を見ることに・・・。やって来たのが、お勝のイカサマで大損をした博打打ち・猫目の六蔵(潮美英次)、眼科医玄庵の弟子・弥八(水谷研太郎)といった面々で、盲目の侍を中心に、お勝、新三らとの「絡み合い」も、呼吸は絶妙、久しぶりに「関東風旅芝居」の醍醐味を満喫した次第である。筋書きは、侍とお勝つは「惹かれ合い」、相思相愛の縁談が成立、新三とお勝の協力で侍の目が治る、そこに現れたのが侍を探していた当家の家老・近藤某(後見・梅沢洋二朗)、実を言えば、盲目の侍は尾張大納言・万太郎某という「お殿様」であったのだ、かくて「お殿様」と「賭博師」の縁談はあえなく破談、お勝、泣く泣く「万ちゃん」を見送る愁嘆場へと進んだが、大詰め、帰路に就きながら、お殿様曰く「オイ、近藤。もし途中で、ワシがトン・ズラするかも知れんぞ!」。その景色は、あくまでカラッと爽やかで、痛快感あふれる舞台模様であった。座長・水葉朱光の容貌はやや太め、斯界の大御所・若水照代とは風情を異にするが、総帥・若葉しげるの雰囲気は着実に継承している。「見た目」の特徴を活かして、「三枚目」の芸風に徹すれば、より充実した「大輪の花」を咲かせることが出るだろう。従う座員も、二十代の「イケメン」揃い、劇団は今や「旬」、大きく羽ばたけるチャンスが到来したことは間違いない。今後ますますの発展を期待する。
江戸の文化(4)浪曲/講談/普化尺八江戸の文化(4)浪曲/講談/普化尺八
(2003/02/21)
伝統、野坂恵子 他

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2018-03-15

劇団素描・「劇団朱光」・《芝居「お吉物語」の名舞台》

【劇団朱光】(座長・水葉朱光)〈平成23年12月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は「お吉物語」。配役は、明烏お吉に座長・水葉朱光、船大工鶴松に水谷研太郎、大工棟梁に梅沢洋二朗、総領事ハリスと鶴松の母二役が舞坂錦、下田奉行に花形・水廣勇太、居酒屋亭主に潮美栄次・・・、といった面々で、まさに「適材適所」、その結果、たいそう見応えのある「名舞台」に仕上がっていた、と私は思う。「お吉物語」は、あくまで悲劇だが、そのことを踏まえて、お吉と鶴丸が再会、結ばれるまでのハッピーエンドにした「粋な計らい」が心憎い。私はこれまでに「劇団菊」(座長。菊千鶴)、「満劇団」(座長・大日向皐扇)の舞台を見聞しているが、(幕切れ後の)「後味の良さ」では群を抜いていた。明烏お吉、水葉朱光の景色は、まだ菊千鶴、大日向皐扇に及ばないとはいえ、表情・所作・口跡が醸し出す「やるせない」風情(心象表現)は、他を凌駕している。とりわけ、「一言一言」をとぎれとぎれい、噛みしめるように言う、彼女独特の口跡(口調)は、お吉の心情を、いっそう鮮やかに(艶やかに)描出する。文字通り「当たり役」の至芸である、と私は見た。加えて、脇役陣も充実している。アメリカ総領事ハリスと鶴松の母(二役)を演じた舞坂錦の「達者さ・器用さ」(実力)も半端ではない。鶴松曰く、「俺はハリスが憎くてたまらねえ。ところで、おっかあ、おめえ近頃、ハリスに似てこねえか?」、母親、一瞬、舞坂錦の素顔を垣間見せる。また、唐人とさげすまれ傷ついたお吉を温かく迎えながら、「あのね、ハリスさん死んじゃったの」と言われたとき、思わず「ずっこける」姿は絶品、ことの他「絵になる」場面であった。仇役(下田奉行)に回った花形・水廣勇太、「お上のなされよう」に翻弄され、心揺れ動く鶴松役の水谷研太郎、お吉と鶴松を優しく取り持つ棟梁の梅沢洋二朗らも、おのがじし「個性」十二分に発揮した「名舞台」であった。水葉朱光という女優、初舞台は11歳(不二浪劇団)、若葉劇団での修行を経て17歳で座長になった由、体型は「天童よしみ」然、容貌は「浅香光代」で、決して「美形」とは言い難い(御無礼をお許し下さい)が、(魅力的な)「日本の女」を演じさせたら、天下一品、右に出るものはいないのではあるまいか。「健気」「おきゃん」「鉄火」「母性」等々、多種多様な「女性像」を演出し続けてほしいと願いつつ、今日もまた「美味しい料理を賞味した」気分で帰路に就くことができた。感謝。
唐人お吉物語唐人お吉物語
(2006/10)
竹岡 範男

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2018-03-14

劇団素描・「劇団竜之助」・《名人・大川龍昇の「至芸」》

【劇団竜之助】(座長・大川竜之助)〈平成20年10月公演・東京浅草木馬館〉
 10月公演の後半(16日から26日まで)、座長の長兄である大川龍昇が応援に来た。大川龍昇は父である初代・大川竜之助から二代目座長を受け継ぎ、それを三代目・現座長に譲って、現在は末弟の椿裕二とともに「劇団大川」を率いている。応援の初日、座長は龍昇に芝居出演を依頼したが、「自分のできる芝居はない」と拒絶し、木馬館での初舞台(?)は舞踊のみとなった。演目は「悲しい酒」をあんこにした「独り寝の子守歌」(唄・美空ひばり)の女形舞踊と、立ち役、「度胸千両入り」の「無法松の一生」(唄・村田英雄)。なるほど、応援の初日、龍昇が「自分のできる芝居はない」と断った理由がよくわかった。この二つの舞踊は、二本の芝居に匹敵する出来映え、「歌は三分間のドラマ」というが、まさに龍昇の「一人舞台」(独壇場)、私自身は当日の芝居「宝子供」を含めて三本の芝居を見聞したような「充実感」を味わうことができたのである。龍昇は、まず一人で舞台に立つことによって、木馬館の客層・客筋を「観察」したのだろう。名人とはこのような役者のことを言うのだと、私は思う。女形舞踊、「独り寝の子守歌」ワンコーラス目は「やや無表情に」「淡々と」、あんこの「悲しい酒」で「思い入れたっぷり」に、美空ひばりを「彷彿とさせる」景色で、ラスト「独り寝の子守歌」に戻ったとたんに、別人(例えば加藤登紀子)のイメージで、かすかな笑みを浮かべながら踊る風情は、どこか杉村春子もどきで、ただものではない「実力」を感じさせるのに十分であった。打ってかわって「無法松の一生」は、どこまでも男臭く、〈泣くな、嘆くな男じゃないか、どうせ実らぬ恋じゃもの〉という村田英雄の「説得」を全身に受けて、ふっと力を抜く風情が、たまらなく魅力的ではあった。
 私が初めて大川龍昇を観たのは、大阪・オーエス劇場。演目は、女形舞踊で「お吉物語」(唄・天津羽衣?)であったが、その時の雰囲気、大阪の空気を「そのまま」運んできたような舞台で、「元気をもらう」だけでなく「思わず嬉しくなってしまう」という(おまけの)土産(大入りの「プロマイド入りティッシュ」など遠く及ばない)までもらって、帰路につくことができたのである。万歳。
お吉物語/黒船哀歌お吉物語/黒船哀歌
(2005/12/07)
天津羽衣

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2018-03-13

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「人生花舞台」は娯楽の真髄》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年9月公演・石和温泉スパランドホテル内藤〉                                                                     午後6時から、石和温泉・スパランドホテル内藤で大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。ほぼ半年ぶりに観る「鹿島劇団」の舞台は、「相変わらず」天下一品であった。今日の外題は「人生花舞台」、当代随一の花形役者(春大吉)と、その父(座長・鹿島順一)の物語、前回の感想では、春大吉に対して「やや荷が重かった」と評したが、今回は違う。花形役者の「魅力」を十二分に発揮した「舞踊」(特に顔の表情が爽やかであった)で「合格」、春大吉の精進に敬意を表したい。数ある大衆演劇の劇団の中で、「鹿島順一劇団」の「実力」は「日本一」、それを信じて疑わない私にとっては、舞台を観られただけで「至上の幸せ」、間違いなく「生きる喜び」「元気」をもらうことができるのだ。本来、「娯楽」とはそのようなものでなければならない、と私は思う。「鹿島劇団」のどこがそんなに素晴らしいのか。役者一人一人が舞台の上から、芝居を通して、舞踊を通して、私たちに「全身で」呼びかけているように感じる。「今日も来てくれてありがとう。私たちは力の限り頑張ります。だから、皆さん、元気を出してください。みなさんも頑張ってください」そのようなメッセージが次から次へと伝わってくる。私たちが生きているのは、何のためか。それは「他人を元気にさせるため」である。そのことも、私は信じて疑わない。少なくとも、私にとって「鹿島劇団」は「元気の源」であり、その舞台を観ることで「生きるエネルギー」を補給していることは確かである。今日の芝居、1時間の予定が50分で終わってしまった。座長の話によれば、「芝居を短くすることは、私の特技です。いつかなんぞは、1時間の芝居を30分で終わらせてしまいました。なぜって、誰もその芝居を観ていなかったから・・・。へっへっへ(笑)、誰からも苦情なんか来ませんでした。そんなもんですよ。はっはっはっ・・・。「芝居は長すぎるよりも、短い方が《綺麗》に仕上がります」おっしゃるとおり、今日の「人生花舞台」、私が「短すぎる」とわかったのは幕が下りてから30分後であった。とはいえ、これはあくまで私事、誰にでも通用する話ではないのかもしれない。

人生花舞台人生花舞台
(2005/02/23)
本多綾乃

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2018-03-12

劇団素描・「若葉劇団」・《「お母さんのお弁当箱」と「瞼の母」》

【若葉劇団】(座長・愛洋之介)〈平成20年9月公演・大宮健康センターゆの郷〉
 「劇団紹介」によれば、〈プロフィール 若葉劇団 昭和30(1955)年創立の老舗劇団。役者の本分である芝居を大切にしており、レパートリーは名作狂言、現代劇、新派と幅広いが、中でもオリジナルの芝居が売り物、平成16(2004〉年に総師・若葉しげるが座長を退き、現在は愛洋之介座長が劇団を引っ張っている。座長 愛洋之介 昭和47(1972)年4月8日生まれ。神奈川県出身。血液型不明。どことなく甘さを残した渋みのあるルックスで、芝居は二枚目を演じることが多いが、その剣さばきや舞踊の見事さでも人気を集める。総師・若葉しげる 昭和14(1939)年3月30日生まれ。大阪府出身。血液型A型。6歳で初舞台を踏み、16歳で「劇団わかば」を旗揚げ。寺山修司作品への参加、テレビ出演などで全国的に有名に。特に女形の芝居・舞踊を得意とする。平成16(2004)年10月、東京・浅草公会堂での記念公演をもって座長を退く〉とある。またキャッチフレーズは、〈芝居の名門が今、新たなる船出。名優・若葉しげるとともに歩んできた「若葉劇団」。若葉しげる総師、愛洋之介座長を中心に新メンバーも加わり、今、新たなる航海へ乗り出す。伝統に培われた絶品の芝居力で、さらなる感動を心に運ぶために・・・。〉であった。
 私が初めて大衆演劇を見たのは昭和46年8月、場所は東京千住の寿劇場、まさに「劇団わかば」の公演であった。(当時の若葉しげるは32歳、現在は68歳なので)以来、36年が経過したことになる。若葉弘太郎、若葉みのる(後の若葉愛)といった親族中心の座員で、座長が「女形」という特徴があった。離合集散の激しい斯界で、よく「頑張り」その「暖簾を守り通した」ことに敬意を表したい。
 芝居の外題は、昼の部「お母さんのお弁当箱」、広島の原爆で死んだ子を追想する母親の物語(若葉しげるの一人芝居)で、総師「渾身」の舞台であった。芝居の眼目は、言うまでもなく「反戦平和」、水を打ったように見入る客席の風情は、日本の大衆がいかに「戦争嫌い」かを、証拠立てる「あかし」になったのではないだろうか。この演目は、おそらく総師の「オリジナル」作品、舞踊の「夢千代日記」と並んで、斯界の「名作」に数え挙げられなければならない、と私は思う。夜の部、芝居の外題は「瞼の母」、何と、総師・若葉しげるが「番場の忠太郎」を演じるとあって、客席は「ダブルの大入り」、たいそう盛り上がったが、総師本人の口上にもあったように、「役者の賞味期限は短い」、親子ほど年齢の違う役者が、反対の「親子役」を演じることには無理があった。加えて、総師の真骨頂はかわいらしい「女形」、「渡世人」「遊び人」「股旅姿」は似合わない。もともと、配役に「無理」があったのだが、「ころんでもただでは起きない」のが大衆演劇、その「無理」「不釣り合い」を見事に払拭し、「喜劇・瞼の母」に塗り変えてしまったのが、座長・愛洋之介と一心座座長・若葉隆之介の「絡み」であった。料亭・水熊に出入りするヤクザ(若葉隆之介)と、その一家の用心棒(愛洋之介)が、忠太郎を「闇討ち」にしようとするのだが、忠太郎を待ち受けるまでの用心棒の様子が、何とも可笑しい。「体調不良」で「便意」をもよおす風情はともかく、「早く始末を付けて帰りたい」という「やる気のなさ」や、「忠太郎って、大きい奴?強そう?」「そうだよな、強いに決まってるよな」などと言うセリフが、総師の舞台姿と対照的で、実に「鮮やか」であった。いよいよ、終幕、忠太郎登場、意外な姿に「驚く」用心棒、用心棒の反応に、また笑いをこらえる総師、そのやりとりが「絶妙」で、まさに「名作狂言」を「オリジナル」化(パロディー化)した「名舞台」であった、と私は思う。
 昼の部、舞踊ショーで踊った、若葉ショウタの「河内音頭」(唄・小野由起子?)、北は北海道、南は沖縄までの民謡舞踊・流行歌が盛り込まれており、途中から拍手が沸き上がるほどの「熱演」で、印象に残る「逸品」であった。
絵本 まっ黒なおべんとう絵本 まっ黒なおべんとう
(1995/04)
児玉 辰春

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2018-03-11

劇団素描・「藤間智太郎劇団」・《相舞踊「お島千太郎」の名舞台》

【藤間智太郎劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成26年9月公演・島田蓬莱座〉
今日はシルバーウィークの2日目、さだめし充実した舞台が展開されるだろうと期待して来場したのだが・・・。芝居の演目は「長崎物語」?、「大人の童話」?、「源吉渡し」?、しかし残念にも、演じられたのは平凡な任侠芝居であった。対立する一家同士の男・女(座長・藤間智太郎と藤間あおい)は幼友達、久しぶりに神社の境内で再会、一言二言、会話を交わしたが、その様子を見咎めた女の身内(藤間歩)が、女の亭主(橘夫美若)に告げ口する。「兄貴のおかみさんは間男しております。相手は○○一家の、○○○」。亭主、激高して男の成敗に向かったが、もののはずみで「返り討ち」。かくて女は、「亭主の仇」と男を追いかけるという筋書きだが、すべては女に横恋慕する身内の「奸計」に因る結果・・・。つまるところ、中学3年生の息子(藤間歩)が、母親(藤間あおい)に横恋慕、他人(橘夫美若)を使って、父親(藤間智太郎)への仇討ちをけしかけるという舞台裏の人間模様が仄見えて、どこか「無理」があった。とはいえ、「佐吉子守唄」の名舞台では、同様の役回りを見事にこなしていたのだから、今ひとつ、「気が入らなかった」のは何故?。もしかして、祖父・藤間新太郎、従兄弟・藤こうたの欠場が響いたか・・・。いずれにせよ、舞台は水物、こんな日もあるのが「大衆演劇」なのだろう。それかあらぬか、芝居の外題が何であったか、一向に思い出せない。一方、舞踊ショーの舞台は見応えがあった。藤間歩の「女形」は天下一品、姿・形の「美しさ」は見飽きることはない。加えて、圧巻は松竹町子と藤間あおいの相舞踊「お島千太郎」(唄・美空ひばり)、たった3分間の舞台であったが、1時間の芝居以上に「感動的」であった。「花は咲いても他国の春は どこか淋しい山や川 旅の役者と流れる雲は 風の吹きよで泣けもする 渡り鳥さえ一緒に飛べる 連れがなければ辛かろに 口でけなして心でほめて お島千太郎旅すがた 人の心と草鞋の紐は 解くも結ぶも胸次第 苦労分けあう旅空夜空 月も見とれる夫婦笠」(詞・石本美由紀、曲・古賀政男)という名曲に込められた「山や川」「流れる雲」「旅空夜空」の「月」の景色が、二人の舞姿を通して、まざまざと浮かんでくる。また、文字通り、旅の役者の淋しさ、辛さ、苦労を分けあう夫婦の心情も綯い交ぜにされて、筆舌に尽くしがたい風情であった。どこまでも清々しく、それでいて色香ただようお島、彼女に優しく寄り添い、しっかりと手を握る千太郎の(どこか淋しげな)表情は浮世絵のように鮮やかであった。この姑にしてこの嫁あり、そのたしかな絆に励まされて、私もまた「旅空夜空」の余生を重ねる他はないことを実感、思わず落涙した次第である。
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2018-03-10

劇団素描・「南條隆一座とスーパー兄弟」・《芝居「花街の母・パートⅡ」》

【南條隆一座とスーパー兄弟】(総帥・南條隆、座長・龍美麗、南條影虎)〈平成23年12月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
芝居の外題は「花街の母・パートⅡ」。主演は、総帥・南條隆の妻女でスーパー兄弟の母・大路にしき、彼女は関東の有力劇団「章劇」の座長・澤村章太郎の姉ということで貫禄十分、酸いも甘いもかみ分けた「うば桜」役にはうってつけ、まさに「はまり役」であった。本人の弁では今年48歳、花街の母の名前は「奴」、向島の花屋という店で働いている由。家には、娘夫婦が乳飲み子と共に住んでいる。この娘も母親譲りの「男勝り」な性格で、家事一切は夫(南條勇希)まかせ・・・。
ある時、娘が行き倒れの若者(座長・龍美麗)を連れてきた。25歳のイケメンで、聞けば、大阪・料理屋の坊ちゃんで、名前はヒデトシと言う。様子を見れば、激しい腹痛の態、「奴」はヒデトシに一目惚れ(?)、すぐさま医者を呼びにやる。出てきた、この医者の風情が絶品で、医療器具はレジ袋の中、「どれ、口を開けてごらん」と言って取り出した舌圧子は、よくみれば中華そば屋のレンゲ・・・、糸電話もどきの聴診器で診察する様子等などの場面は、抱腹絶倒の連続で、まことに見応えがあった。ところで、この医者を演じたのは誰であったか。もしかして、特別出演の筑紫桃太郎?さて、「奴」の介抱が実り、ヒデトシは順調に回復、それかあらぬか、「奴」を嫁にもらいたいなどと言い出した。さすがに「奴」とまどって、「私の歳、いくつだと思っているの」「23歳でしょ」「もっと上、もっと上」「では怒らないでください、・・・29歳ですか」「怒らない、怒らない、もっと上!」では30、35、40、45、46、47・・・と、小刻みにつり上げてい「奴」とヒデトシの(実は親子の)やりとりが何とも面白かった。つまるところは48歳、それでもヒデトシは動じない。「ぜひ、私と結婚してください」、「奴」も抗えず「それもそうね、愛があれば年の差なんてないもの。24の娘を二人もらったと思ってね」。かくて、両者の縁談は成立したかにみえたが、周囲の者は大反対。「つりあわない」「うまくいくはずがない」等、押し問答の最中に、「奴」、にわかの腹痛でバッタリと倒れ込む。医者の見立てによれば「胃ガンの末期」・・・。場面は一転して愁嘆場へと変わり、「奴」泣く泣く縁談をあきらめた・・・、と思いきや、大詰めで、件の医者、自分につなげた点滴の台車を押して再登場、その容器はペットボトルといった按配で、笑いが止まらない。何を言い出すかと思えば「いやあ、すまない。奴さんの病気は胃ガンではなかった、ただの胃拡張!」、といった落ちがついて舞台は大団円。世の中思うに任せず、そのせつない「うば桜」の風情が、ひときわ鮮やかな幕切れであった。さて、この劇団、達者な役者が揃いすぎて、名前と顔が一致しない。誰が誰やら・・・、などと思ううち、舞踊ショーに颯爽と登場したのは、あの名女優・南京弥(前「南條光貴劇団」)であった。思わぬ宝物を見つけた心地して、心うきうき帰路に就いた次第である。
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(2003/10/22)
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2018-03-09

幕間閑話・「藤間劇団」の《魅力》

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私が初めて「藤間劇団」(座長・藤間智太郎)の舞台を見聞したのは、1年半前(平成22年5月)、大阪梅南座、芝居の外題は「源吉渡し」。観客数は20人程であったが、何とも味わい深い舞台模様で、文字通り「極上の逸品」、ぜひ(この劇団の舞台を)「見極めたい」と思いつつ劇場を後にしたのであった。以来、機会に恵まれなかったが、このたび幸運にも、関東(佐倉湯ぱらだいす)での1ヶ月公演が実現、思う存分、その名舞台を堪能できた次第である。見聞した芝居は、件の「源吉渡し」を筆頭に、「天竜筏流し」「佐吉子守唄」「伊太郎笠」「稲葉小僧新吉」「白磯情話」などの時代劇、「羽衣情話」「長崎物語」「大人の童話」「大阪ぎらい物語」などの現代劇 、いずれも、眼目は「親子」「兄弟」「隣人」同士の(人情味あふれる)「人間模様」の描出にあると思われるが、それらが見事に結実化した舞台の連続で、大いに満足させていただいた。座員の面々は、責任者の初代藤間新太郎、令夫人の松竹町子、息子の座長・藤間智太郎、嫁(?)の藤間あおい、孫の三代目藤間あゆむ、といったファミリーに加えて、女優・星空ひかる、藤くるみ、若手・藤こうた、客演の橘文若が参加する。初代藤間新太郎の芸風は、一見「木石」の態を装いながら、内に秘めた「温情」「洒脱」「侠気」がじわじわと滲み出てくるという按配で、誠に魅力的である。特に、その「立ち居」は錦絵の様、口跡は、あくまでも「清純」で、聞き心地よく、斯界屈指の名優であることは間違いない。続いて、松竹町子。「達者」という言葉は、彼女のためにあるようだ。爺や、仇役、侠客、遊び人、商人などの「立ち役」はもとより、女将、鳥追い女、芸者などの(艶やかな)「女形」から、その他大勢の「斬られ役」に至るまで、何でもござれ、といった芸風で、文字通り「全身全霊」の演技を展開する。それを見事に継承しているのが藤間あおい。やや大柄な風貌を利しての「立ち役」(仇役)から、乳飲み子を抱く女房役、可憐な娘役まで「達者に」こなす。その凜として、清楚な景色は「絵に描いたように」魅力的である。さて、座長の藤間智太郎、当年とって33歳との由、「形を崩さずに」誠心誠意、舞台に取り組む姿勢が立派である。
旅鴉、盗賊、罪人、板前、漁師、阿呆役などなど、これまた「達者に」演じ分ける。加えて、「長崎物語」のお春(母親)役、「白磯情話」の銀次(女装)役はお見事!、どこか三枚目の空気も漂って、出色の出来映えであった、と私は思う。以上四人の「達人」に、三代目藤間あゆむの初々しさ、橘文若の「個性」、星空ひかるの「女っぽさ」が加わるのだから、舞台模様は充実するばかりであろう。さらに言えば、新人(?)藤くるみ、藤こうたの「存在」も見逃せない。芝居では、ほんのちょい役、舞踊ショーでも組舞踊に登場する程度だが、精一杯、全力で舞台に取り組もうとする「気迫」(表情・所作)が素晴らしい。その姿が、他の役者を活かしているのである。今はまだ修行中(?)、しかし、この劇団にいるかぎり(努力精進を重ねる限り)、「出番はきっと来る」ことを、私は信じて疑わない。「藤間劇団」の魅力は、何といっても「誠心誠意」、いつでも、どこでも「決して手を抜かない」(油断しない)、(座員の)集中力・結集力にあるのではないだろうか。舞台には、つねに役者相互の(立ち回りのような)「緊迫感」が漂っている。「阿吽の呼吸」と言おうか、「切磋琢磨」と言おうか、「しのぎを削る」と言おうか・・・。今月の関東公演、初めての劇場お目見えとあって、観客数は毎回「数十人」ほどであったかもしれない。時には「十数人」のこともあった。にもかかわらず、舞台の景色は「極上」の「超一級品」、私が最も敬愛する「鹿島順一劇団」、芝居巧者の「三河家桃太郎劇団」「劇団京弥」、成長著しい「劇団天華」らに匹敵する輝きを感じたのであった。また、舞踊ショーの途中で行われる座長の口上も聞き逃せない。毎度毎度紹介(宣伝)するのは、次月(「南條隆とスーパー兄弟」)、次次月(「宝海劇団」)に来演する劇団のことばかり、千秋楽前日には、「来月の劇団は、遠く九州からやって来ます。チラッと耳にした話では、初日の公演は、夜の部からになるかもしれないと言うことです。どうか、フロントで確かめてから御来場下さい」という念の入りようで、まず自分のことより「仲間うち(当劇場、他の劇団)を大切にする」誠実さ(爽やかさ)に、私は深い感銘を受けた次第である。今後ますますの活躍、発展を祈りたい。(2011.11.29)



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2018-03-08

劇団素描・「劇団夢舞倶羅」・《大座長・高峰調士の「存在感」とラドン温泉の「効果」》

【劇団夢舞倶羅】(座長・高峰調士)〈平成21年11月公演・千代田ラドン温泉センター〉                                 前回の見聞では、大座長・高峰調士(前・南條時宏)の出演が、舞踊ショーのラスト前、個人舞踊(年輪・唄北島三郎)のみだったので、たいそうさびしい思いをしたが、今回は芝居の敵役・丸子一家の親分(外題「安倍川の血煙」)、舞踊ショーでも①組舞踊(さんさしぐれ)、②相舞踊(お初・唄島津亜矢、共演・南條なほみ)、③個人舞踊(音曲は失念)と「出ずっぱり」の大サービスといった感じで、おおいに満足した。大座長は当年とって67歳、「長谷川正二郎劇団」出身とやらで、劇団の芸風は「関東風」、芝居も舞踊も「あっさり味」が特長である。昔(昭和40年代)、千住寿劇場で観たころの「雰囲気」が、そこはかとなく漂っていた。とりわけ、相舞踊「お初」は、曽根崎心中が題材、(練るに練り上げられた)67歳の徳兵衛、30歳代の(脂ののりきった)お初が醸し出す、情死行の「色香」は格別、関西風では観られない「粋な舞台」に、私の涙は止まらなかった。そうなんだ、これなんだ、これこそが「関東風」の《至芸》なんだ。観客は二十名そこそこ、でも舞台は燦然と輝いているのである。
 大座長・高峰調士の「存在」が、いかに大きく重たいものであるかを、改めて「思い知らされた」次第であったが、劇団の推進は、松平涼、その長男・松平龍昇(副座長)、中堅・浮世しのぶ、女優・南條なほみらの「頑張り」に託されている。皆、それぞれに「よい味」を出しているので、あとはチームワーク次第というところであろうか。若手の松平龍昇は、元気いっぱい、精一杯の舞台を務めているが「やや力が入りすぎ」、もっと力を抜いて緩急・メリハリの表情を描出できれば、と思うのだが・・・。
 さて、千代田ラドン温泉センターは、ただの健康ランド、スーパー銭湯ではない。悪性腫瘍(癌)をはじめ、様々な「難病」に効くラジウム岩盤浴の施設を備えている。同様の施設としては、(東日本では)秋田・玉川温泉、福島(三春)・やすらぎ霊泉が有名だが、私は、「ここが一番」だと思う。玉川温泉もやすらぎ霊泉も、「西洋医学」で見離された難病患者で「ごったがえしている」のが実情、いずれも「商魂たくましく」「医は算術」といった景色がほのみえる。しかし、ここ千代田ラドン温泉センターは「別格」である。1回の入館料(1500円)だけで、ラジウム岩盤浴、ラドン温泉は(午前10時から午後10時まで)「入り放題」、岩盤浴場も、①男女兼用(温度低め)、②男女兼用(温度高め)、③女性専用(温度高め)と「至れり尽くせり」で、各室が満員になることは、まずない。入浴客(湯治客)は、何の気兼ねもなく「ゆっくりと」「思う存分」治療に専念できる、といった仕掛けで、そのうえ「大衆演劇」の「元気」がもらえるとすれば、難病患者にとっては、まさに「この世の天国」、「桃源郷」そのものだと断言できるのである。
 ちなみに、案内パンフレットには、以下のような説明書きも載せられている。〈「放射線ホルミシスという考え方」 地球上の生き物は、植物であれ、動物であれ、太古の昔から自然放射線を浴びて進化してきました。つまり、自然放射線に適応し、それを体によいものとして受けとめ、うまくつきあってきたのです。ある研究では、自然放射線をまったく遮断した環境のなかでは、生き物は生きていけないという報告もあります。「たくさんの量だと生物に害を及ぼす放射線が、ごく微量ならば、逆に、生物に有益な効果をもたらす」●微量放射線は、“免疫の司令塔”ヘルパーT細胞を活性化する。●細胞のガン化も防いでくれるというP53遺伝子も活性化する。●万病の元凶・活性酸素を抑える酵素を増加させる。●細胞膜を若返らせ、アンチエイジング効果も期待できる〉 
 もはや信じる他はない、と私は思う。
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