META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い
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2018-12-14

付録・邦画傑作選・「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「落第はしたけれど」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。前作「学生ロマン若き日」の続編である。W大学応援部の高橋(齋藤達雄)たちは、いよいよ卒業試験の時期を迎えた。試験場では監督(大国一郎?)の目を盗みあちこちでカンニング、その方法も様々である。学生同士は皆「仲間」、高橋が後ろを見て「三」と指で示せば、すかさず学友が「三」の答を紙に書き(机間巡視中の)監督の背中に貼り付ける。監督が高橋の脇を通り過ぎる瞬間にそれを取ろうとするのだが、監督が振り向いた。あわてて手を引っ込め時計を見る。そのやりとりを繰り返す光景が何とも可笑しかった。その日の試験は終了、高橋たちは下宿に戻る。そこは賄い付きの大部屋、五、六人の学生がひしめき合って
いる。配役の字幕には、落第生・横尾泥海男、関時男、及第生・月田一郎、笠智衆などと
記されているが、笠智衆の他は誰が誰やら、判然としなかった。高橋は明日の試験のためにカンニングの準備、白いワイシャツの背中一面に答案を綴る。一同は勉強に疲れ眠気が襲ってきた。「何か食べよう」と二階の窓を開けて、向かいの喫茶店に声をかける。顔を出したの看板娘(田中絹代)。どうやら高橋とは恋仲の様子。おか持ちにサンドイッチを積んで持ってきた。取り次ぎに出た下宿屋の息子(青木富夫)もおこぼれを頂戴する。和気藹々の空気が爽やかである。娘は帰り際、高橋を呼んで角砂糖をプレゼント、卒業祝いのネクタイも編んでいるらしい。やがて、一同は雑魚寝状態で眠りに就いた。
 翌朝、「朝だよ!早く皆起きて!」と、下宿のおばさん(二葉かほる)が入ってくる。
あたりを見回せば部屋は散らかり放題、一同を叩き起こして汚れ物をまとめる。ふと目に付いたのは白いワイシャツ、それも一緒に持ち去ってしまった。最後に起き出した高橋、ワイシャツは?と探したが後の祭り、おばさんが出前のクリーニングに出してしまったとは・・・。
 かくて卒業試験は終了、卒業生名簿が掲示された。経済学部77名の名が記されていたが、高橋の氏名はない。一人の学生が学務課に泣きついている。「よく調べて下さい」「成績が悪いんだからしょうがない」などと問答をしている。高橋は肩を落として庭に出ると、同様に落第した応援部の仲間4人が待っていた。でも、屈託がない。肩を組み、足を踏みならして「四月にまた会おう」、落第なんてどこ吹く風と別れて行った。
 高橋は喫茶店に戻り、独りケーキを食べている。そこに学務課に泣きついた学生が入ってきた。「何とか及第したよ。君からいろいろ教えてもらっていたのに、申し訳ない」と謝れば「おめでとう」と応じる。しかし、淋しさ、悔しさは隠せない。そこにやって来たのは娘、あわてて席をはずしていった学生を見て「あの方、どうだったの」「何とかビリで卒業できたよ」「そう、でもこれからの就職が大変ね。あなたは運動部だから安心だけど」、娘はまだ高橋の落第を知らないらしい。そこにどやどやと及第組の学生たちが入ってきた。「それじゃあ」と高橋は出て行く。 
下宿に戻った高橋、しげしげと握り鋏(和鋏)を見つめている。おもむろにその先端を
喉に突き立てようとして引っ込める。やがて足袋を脱ぎ足の爪を切り始める。そこに息子がやって来た。「御飯を用意したから、皆で一緒に食べようよ」。しかし、自分以外は皆及第なので気が進まない。躊躇しているとビリで卒業する学生が誘いに来た。「売り払った本を買い戻してくる」と外出の素振りを見せるが「自分の本を使えばいい、皆あげるよ」。とうとう祝いの席に連れて行かれた。
 おばさんの手料理(チラシ?赤飯?ビールもある)が待っている。「それにしても高橋さんだけ落第だなんて気の毒ね」。息子が「ラクダイって何だい?」と尋ねるが、一同は俯いて応えられない。「ねえ、ラクダイって何さ」と再度尋ねれば、ビリの学生曰く「ラクダイとは偉いということだよ」・・・。
 翌日、及第組は楽しそうに学生服を背広に着替えてハイキングへ。独り高橋は部屋に残り、箱入りの背広などに目をやり無聊を託ってる。机の引き出しを開けると、娘からプレゼントされた角砂糖がでてきた。それを積み上げたり、放り投げて口で受けとめる等しているところに息子がやって来た。「坊や、大きくなったら何になりたい?」「小父さんのように大学に行き、ラクダイになるんだ!」思わず、ずっこける高橋、そこに娘が訪ねてきた。あわてて息子に角砂糖をプレゼント、追い払う。娘は卒業祝いのネクタイを持ってきたのだ。箱入りの背広を取り出して「着てごらんなさいよ。よく似合うわよ。ネクタイ締めてあげるわ。今日は活動にでも行きましょうよ」。しかし、落第したことを隠している高橋の表情は冴えない。思い切って「あのね、ボクは背広を着る資格が無いんだ」と言いかけると、娘は「卒業しないからといって、背広を着てはいけなということはないわ。あたし、何もかもみんな知っているのよ。あんなに勉強したのにね」と涙ぐむ。でも二人は若い。気をとりなおして活動へ出かける・・・。
 やがて4月、新学期がやって来た。しかし、なぜか卒業組の4人はまだ高橋と一緒に下宿住まい、就職出来ず、仕送りも途絶えて、背広を質屋に入れる有様で、手紙が届いたと思えば「不採用」の通知、すっかり落ち込んでいる。落第した高橋は元気いっぱい、「パンでも食べろよ」と小銭をカンパする。そして迎えに来た落第組と共に学校へ・・・。「こんなことなら、急いで卒業するんじゃなかった」とぼやく面々の姿があわれであった。学校はまもなくWK戦の季節、後輩たちを集めて応援の練習に取り組む落第組の姿が、生き生きと映されて、この映画の幕は下りる。
 なるほど「落第はしたけれど」日本男児は健在なり!という「心意気」がひしひしと伝わってくる傑作であった。とりわけ、当時の「学生気質」が(エリートには違いないが、互いに相手を思いやる「温もり」)感じられて清々しく、競争にあけくれる現代の学生と一味違った人間模様が、鮮やかに描出されていた。子どもから「小父さん」と呼ばれ、タバコ、酒もたしなむ学生が、一方では「仲間と肩を組んで、ステップを踏む」「角砂糖を積木のように積み上げたかと思うと、放り投げて口で受けとめる」など愛嬌・滑稽な振る舞いを見せる「アンバランス」も魅力的であった。小津監督自身は旧制中学で寄宿舎生活を体験、その後、神戸高等商業学校、三重師範学校を受験するがいずれも「落第」(不合格)、小学校の代用教員を経て、松竹蒲田撮影所に入社した。大学生活は未経験にもかかわらず、前作の「学生ロマンス若き日」に続き、往時の「学生気質」をここまで詳細に描出できるとは驚嘆すべきことだと、私は思った。 (2017.2.17)



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2018-12-13

付録・邦画傑作選・「その夜の妻」(監督・小津安二郎・1930年)

 ユーチューブで映画「その夜の妻」(監督・小津安二郎・1930年)を観た。登場人物は、深夜ビジネス街で拳銃強盗を働き警官から追われている橋爪(岡田時彦)、その妻まゆみ(八雲恵美子)、その子みち子(市村美津子)、橋爪を捕縛しに訪れた刑事(山本冬郷)、病臥するみち子を往診する医者(齋藤達雄)、その他大勢(橋爪を追いかける警官隊、強盗被害者)とシンプル、ほぼ5人の「絡み」だけで物語は展開する。時間も、ある日の午後9時から翌日の9時まで(原作は短編小説『九時から九時まで』・オスカー・シスゴール)という設定で、当時の人間模様がコンパクトに凝縮された佳品であった。
 橋爪は愛娘・みち子の治療代を捻出しようと借金に出かけたが誰も相手にしてくれない。やむなく強盗を余儀なくされたが、拳銃を所持しているところを見ると堅気とは思えない。いでたちもスーツにネクタイ、ハットとアメリカ風である。住まいは雑居ビルの一室、テーブル、椅子、ベッド、コーヒーポット、洗面器、アイスピック等々、家具・調度品の全てが洋風、壁にはローマ字のポスター、看板も見える。もしかして橋爪の職業はペンキ職人?、彼自身が呟いたように「俺たち貧乏人」であることは確かなようである。室内に干された洗濯物、床に並んだペンキ缶が哀れを誘う。 ベッドではみち子が目をさまして「お父ちゃんはどこ、お父ちゃんを呼んできて」と泣き叫ぶ。医者の話では今晩がヤマとのこと、途方に暮れるまゆみの姿がひときわ艶やかであった。追われ身の橋爪が帰宅、奪ってきた金をわしづかみにしてまゆみに手渡す。「あなた、もしかして・・・」と夫の顔を見据えれば、静かに拳銃を差し出し、「みち子の病気が治ったら、自首するつもりだ」。そこに訪れたのが円タクの運転手を装っていた刑事、「その筋の者だが、御主人は在宅か」。夫、現金、拳銃をあわてて物陰に隠し、「いいえ、主人はまだ帰っておりません」「では待たせてもらおう」「それは困ります。娘が大病なんです。お帰りください」「氷を割るくらいならやってあげるよ」などと言いながら机上に置き忘れた橋爪の帽子を取り上げてまゆみの頭に被せる。「実を言うとさっきあなたの夫をそこまで車に乗せてきたんだ」と言いつつ拳銃を取り出し「出てこい!」と叫んだ。まゆみも意を決したか、隠した拳銃を取り出して刑事の背中に押し突ける。「あなた!早く逃げて」。橋爪、姿を現したが泣き叫ぶみち子の枕元に駆け寄り「俺にはこの子を手放してゆく勇気はねえよ」「それなら私のことはかまわずに介抱してあげてください」なおも拳銃を突きつけて「今夜はこの子が生きるか死ぬかの一大事なんです。夫はこの子が峠を越したら自首すると言っています。それまではいつまでもこうしています」。刑事は静かに両手を挙げ、椅子に腰かけた。時刻は午前1時50分。橋爪の看病が続く。刻一刻と時間が過ぎ、時刻は3時・・・、睡魔がまゆみを襲う。夜が明け始め牛乳配達がやって来た頃、ふと気がつくと事態は逆転していた。拳銃を握っていたのは刑事、橋爪はみち子のそばで眠り込んでいる。慌てるまゆみに「静かに、子どもが目を覚ましてしまうよ。医者が来るまで待つから君も一休みしたまえ。袂の紙幣は僕が預かったよ」などと言う。万事休す、まゆみの力は脱けてしまった。やがて医者がやって来た。診察後、欣然として「もう大丈夫です!危険状態は脱しましたよ」。しかし、橋爪には妻子との別れが待っている。「別れのコーヒーでも入れてもらおうか」、まゆみがふとみると、待ちくたびれたか、刑事が居眠りをしている。咄嗟に「あなた、逃げて!」と夫を玄関口から送り出した。後ろを振り向くと、刑事が立っている。「僕が徹夜の疲れで眠ってしまったと思ったか、その通り、だからわざと逃したんじゃない」。刑事は「その夜」をこの親子たちと過ごすうちに、「拳銃も現金も取り戻した。もういいか」と許す気持ちになったのか・・・。少なくとも「俺はこの男を捕縛したくない」(できれば親子を救いたい)と思ったに違いない。静かに立ち去ろうとして玄関のドアを開けると、橋爪が立っていた。「逃げるなんて馬鹿な考えはやめた。刑期を務めれば思いっきりみち子を抱けるんだ」。わざと逃がしてくれた刑事に対するせめてもの恩義だろうか。呆然とするまゆみ、しかし気を取り直してみち子を抱き上げ、牽かれていく夫を見送る「その夜の妻」の姿はひときわ鮮やかであった。母として、妻として千々に乱れる女心を、女優・南雲恵美子はその表情・目線を通して見事に描出していた。さらに、二枚目・岡田時彦の「やくざ」な色気、ハリウッド映画出演経験者・山本冬郷の「いぶし銀」のような渋さ、モダンな背景・大道具・小道具も添えられて、たいそう魅力的な作品に仕上がっていた、と私は思う。お見事!と思わず心中で叫んでしまった。(2017.1.19)



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2018-12-10

付録・邦画傑作選・「淑女と髭」(監督・小津安二郎・1931年)

サイレント喜劇映画の傑作である。冒頭は剣道の大会場面、皇族の審判長(突貫小僧)も臨席しているが、興味なさそうに何かを吹き飛ばして遊んでいる。学生の岡島(岡田時彦)が次々と勝ち進み敵(学習院?)の大将(齋藤達雄)と対決する。しかし、岡島の戦法は「いい加減」、試合を中断する素振りを見せ、敵が油断した隙を突いて「面」を取るという、極めてアンフェアな技を駆使する。それを知り尽くしている大将も同じ戦法で臨んだが、「いい加減さ」では岡島の方が上、あえなく一本「胴」を取られてしまった(剣道大会そのものが戯画化されていることは興味深い)。大喜びする学生の応援団、その中でも親友の行本(月田一郎)は「岡島の胴は天下無敵だなあ」と感嘆する。優勝した岡島が面を外すと、鍾馗(しょうき)然とした髭面が現れた。試合後、行本は「おめでとう!今日は妹の誕生日だし家に来いよ。祝杯をあげよう」と岡島を誘う。
行本家では妹・幾子(飯塚敏子)の誕生パーティーが始まろうとしている。行本は家令(坂本武)と新聞紙を丸めた刀で剣道の真似事、立場は行本が上だが腕は家令が上、「若様、ゴメン」と一本取られてしまった。憤然とする行本、平謝りの家令、その場の様子が聞こえてくるようで、たいそう面白かった。
 一方、岡島は、学帽に羽織袴、朴歯に杖というバンカラ姿で行本家に向かう。その途中、若い女同士が道ばたで揉めていた。洋装の不良モガ(伊達里子)が和服のタイピスト広子(川崎弘子)から金を脅し取ろうとしているらしい。しつこくつきまとい金を巻き上げた瞬間、腕を掴まれた。岡島が助け船を出したのだ。蟇口を取り戻し「早く、お帰んなさい」と広子を退かせる。すかさずやって来たのが与太者二人、「余計なマネをしてくれたな」と殴りかかってくるのを、一人は「胴」、もう一人は「小手」と杖の早業、なるほど「岡島の胴は天下無敵」であったのだ。「おぼえていやがれ」というモガに「その不格好な洋装は忘れられんよ」と笑い飛ばし、「失敬」と去って行く姿が実に爽やかであった。
 岡島が行本邸に着くと、誕生パーティーが始まっていた。あたりを見回して「女ばかりじゃないか」と不満そう、幾子も「またあの髭ッ面を連れてきたの。時代遅れであたしダイッキライ」と行本を責める。「いいじゃあないか、お前たちが感化してモダンにしてくれよ」ととりなすが、岡島は挨拶の後、イスに座り込んでケーキを食べまくる始末、幾子は行本を引っ張り、その場から出て行ってしまった。残った女友達6人(その中には井上雪子も居る)、岡島に恥をかかせようと相談「一緒に踊ってくれませんか」。岡島「二人では無理ですが一人なら踊れます」。・・・、家令の詩吟で剣舞(「城山」?)を踊り出す。その姿は抱腹絶倒、「天下無敵」の名舞台であった。しかし、女友達一同は、呆れかえって早々に帰ってしまった。それを知って泣き出す幾子・・・。私の笑いは止まらなかった。 やがて、大学は「就活」の季節。岡島も髭面で面接試験を受けに行く。その会社の受け付けにいたのは偶然にもタイピストの広子、さらにまた偶然に社長も(岡島より貧相な)髭面、結果は不合格であった。広子は岡島のアパートを訪ね、「あなたが不合格になったのは髭の所為、お剃りになれば・・・」と勧める。またまた偶然にもアパートの隣は床屋であった。
 広子の助言に従った岡島はたちまちホテルに採用される。その報告をしに行本家へ、行本は残念がったが、幾子は大満足、すっかり岡島に惚れ込んでしまったか・・・、上流階級の見合い相手、モボ(南條康雄)に向かって「剣道をしない人とは結婚いたしません」「なぜです?」「私の身を守っていただけないから」「警察と治安維持法が守ってくれますよ」「それならあたし警察か、治安維持法と結婚します」といった「やりとり」が、当時の世相を反映して(皮肉って)、たいそう興味深かった。小津監督の反骨に拍手する。 岡島は広子の家にも報告・御礼に訪れたが、広子の母(飯田蝶子)はセールスと間違えて玄関払い、様子を見に来た広子に「私を助けてくれた岡島さんじゃないの」と言われ、ビックリ仰天、一転して愛嬌を振りまく景色には大笑い。広子もまた小父さんが持ちかけてきた縁談を断って、岡島に嫁ぎたいと言う。母はやむなく、岡島の真意を確かめに勤め先のホテルへ・・・。岡島の仕事はフロント係。母からの話は「願ってもないこと」と快諾して持ち場についたのだが、ホテルにたむろする不良のモガ一味、盗品の隠匿?、売買?に巻き込まれたか・・・?(モガが、ホテルで食事中の客から掏り取ったブローチを手紙に包んでフロントに投げ込んだように見えたが、手紙の文字が判読できないので詳細は不明)夜の7時、モガがハイヤーでホテルに乗りつけた。なぜか髭をつけた岡島、その車に乗り込み、モガを自分のアパートに連れて行く。部屋に入った二人・・・、岡島はモガに向かって「両親はいないのか、兄弟は?」などと尋ねるが「あたいは前科者」という答が返ってくるだけ。着替えようとして着物がほころびているのに気がついた。それを縫おうとすれば、モガが取り上げて縫おうとする。しかし、縫い物は二人とも苦手、そこは洗濯ばさみではさんでズボンを脱いだ。モガが「あたい、あんたが看てくれるならまともになろうと思うんだ」などと言った時、突然入り口のドアが開いて、行本、母(吉川満子)、幾子が訪れた。縁談話を持ってきた様子、しかし、女が居る。母は「まあ、汚らわしい。だから言わないこっちゃない。所詮釣り合わないことなんだ!」と呆れ、涙ぐむ幾子を急かせて出て行く。行本は「すまん!」と笑顔混じりに帰って行った。
 いよいよ大詰め、翌朝、今度は広子がアパートにいそいそとやって来る。ドアをノックすれば出てきたのはモガ、「あなたは、どなた?」(もないもんだ!いつか喝上げをした相手をもう忘れているとは・・・)広子は毅然と「私は岡島さんの恋人です」と言い放ち入室する。部屋の隅では岡島が剣道着のまま寝込んでいる。ほころびたままの着物を被りながら・・・、広子はそれを手に取り洗濯ばさみをはずしながら、一針、一針縫い始めた。その様子をじっと見ているモガ。やがて、岡島が目をさました。広子を見て「この女が居るのに、よく帰ってしまわなかったね」「ええ、私、確信していますから」。岡島、思わず「偉い!」と叫んで広子の手を握りしめる。・・・二人の様子を見ていたモガ、意を決したように「岡島さん、あたい、もう帰るよ」「また、仲間の所へか」「ううん、あたい、あんたが忠告してくれたようにするよ。この方のように、確信をもって生きていくんだ」と言う。そして広子に頭を下げた。頬笑んで送り出す広子に微笑み返す。やがて、窓から見送る二人に何度も頭を下げ、最後は大きく手を振ってモガの姿は見えなくなった。
 映画の前半はスラップ・スティックコメディ、後半はラブ・ロマンスに転じ、ハッピーエンドで大団円となる。思いが叶わなかったのは、上流階級の面々といった演出が小気味よく、さわやかな感動をおぼえた。また、行本が妹・幾子に「髭を生やした偉人」を次々に紹介、その中にカール・マルクス(の写真)まで含まれていようとは驚きである。さらにまた、岡島が広子から「どうして髭をお生やしになりますの」と問われ、リンカーンの肖像画を指さして「女よけです」と答えると、クスリと笑って「無理ですわ」と広子が応じる場面もお見事、「剃っても刈っても生えるのは髭である」(アブラハム・リンカーン)というエンディングの字幕がひときわ印象的な余韻を残していた。(2017.2.16)



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2018-12-06

付録・邦画傑作選・《「驟雨」(監督・成瀬巳喜男・昭和31年)》

 結婚してから四年、まだ子どもは生まれない。これからも期待できないだろう。たまの日曜日だというのに、夫婦には予定がない。朝食後、妻は編み物をし、夫は庭を眺める。夫が欠伸をすれば、妻もつられて欠伸をする。夫婦の会話。夫「晩のおかずは何だい?」妻「晩は未定です」夫「何かご馳走していただけますか?」妻「・・・(無言)」。夫は横腹をさすりながら「胃薬を飲み忘れた」と言う。妻は黙ってコップの水と薬瓶を差し出す。再び夫婦の会話。夫「散歩に行こうか、それとも・・・。ちょっと遅いかなあ、もう・・」妻「でも、多摩川か井の頭ぐらいなら・・・」夫「子どもみたいだなあ。いい年をして・・・」妻「いいじゃないの」夫「君の所にいくらある?」妻「もうイヤ。日曜日のたんびに・・・」夫は投げやりに呟く。「行くんなら前の日に決めておかなくちゃ・・・」
 これは、昭和三十一年に封切られた映画「驟雨」(監督・成瀬巳喜男 脚本・水木洋子)の冒頭場面である。夫は佐野周二、妻は原節子、早くも倦怠期に入った夫婦の雰囲気が、見事に描き出されていた。実を言えば、この二人、その七年前(昭和二十四年封切)に「お嬢さん乾杯」(監督・木下恵介 脚本・新藤兼人)でも共演しているのである。戦後没落した華族のお嬢さん(原節子)が、復興景気に乗った自動車会社の若社長(佐野周二)と見合いし、婚約するまでの物語である。「住んでる世界がまったく違う」深窓の令嬢と田舎出の成金社長が、様々な齟齬を重ねながら、「お嬢さん」が庶民の世界に飛び降りる決心をしたところで終幕となった。「あの人はどんなにお嬢さんに惚れていたかしれませんよ」とバーのマダムに告げられ、「(わたくしも)惚れております」というセリフを残して佐野周二を追いかける時、あの名曲「旅の夜風」が行進曲のように流れた幕切れは、新しい戦後社会の「はじまり」を予感するのに十分であった。二人は、幸せになるに違いない。明るい家庭を築き、いつまでも楽しく「惚れ合って」暮らしてほしい。誰もがそのように祈ったはずであった。
 だが、しかし、である。「驟雨」の佐野周二からは、「若社長」時代のエネルギー、バイタリティーがすっかり消え失せていた。かつては、「お金なんかいくらでももうかる」と豪語し、没落した「お嬢さん一族」の借金百万円をプレゼント、自分はいさぎよく身を引こうとした「男気」はどこへ行ってしまったのか。十万円の報奨金につられ、化粧品会社を早期退職して、田舎暮らしをしたいというのである。  
 一方、「お嬢さん・原節子」のエネルギー、バイタリティーは「驟雨」でも健在であった。新聞のレシピを切り抜いてスクラップ、見た目のグリンピースよりは、栄養満点の鮭を選び、、商店街では細切れの肉を正直に量り売りする店を見つけている。出入りしている野良犬が傷つけた鶏を飼い主から買い取り、さっさと鍋料理に調理してしまう腕前は、見事と言う他ない。夫に怒鳴られ台所で泣いているのかと思えば、平然と「お茶漬け」を掻き込んでいる。その食欲こそがすべての出発点であろう。スカートに靴下、ゲタ履きという身なりで買い物に出ても、「お嬢さん・原節子」の姿は光り輝いて見えた。夫の同僚たちは、彼女の美貌を見逃さない。バーのマダムに仕立てて、一山当てようともくろむ。「どうです?奥さん」と誘われて、「まあ、どうしましょう」と、浮かべる満面の笑みは、伝説の女優「原節子」の面目躍如というところであった。 
 アダムとイブの神話以来、女は男の従属物のように見なされ、男系社会が人類の歴史を作ってきたように思われているが、事実は、全く逆である。女が男よりもたくましく、「賢い」ことは、「平均寿命」の差を見れば一目瞭然であろう。したがって、いつの時代でも、どこの家庭でも「女は男より賢い」のであり、すべての妻は、妻であるということだけで、「すでに賢妻である」ということを銘記すべきである。作り話の中で、「愚かな妻」「か弱い妻」「可哀想な妻」「虐げられた妻」「耐え忍ぶ妻」などなど、女が悲劇の主役として描かれることは少なくないが、多くの場合、その作者は男であり、愚かな男の「特権意識」や「願望」が窺われて見苦しい。さらに愚かな男は、作り話を「現実」と混同し、悲劇のヒロインを「実生活」の場でも、自分の妻に演じさせようとしている。そのような傾向が現代にもあることを、私は憂慮する。末尾ながら「驟雨」の原作者は男(岸田国士)だったが、その戯曲集を脚色したのは水木洋子という才媛であったことを特記したい。(2006.4.1)



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2018-12-05

付録・邦画傑作選・「学生ロマンス若き日」(監督・小津安二郎・1929年)

 ユーチューブで映画「学生ロマンス若き日」(監督・小津安二郎・1929年)を観た。 昭和初期における大学生の人間模様が詳細に描かれていてたいそう面白かった。    
 舞台の始まりは「都の西北」、大学に近い下宿屋である。二階の障子窓には「二階かしま」という貼り紙、一人の学生がそこを訪れるとすでに先入者がいた。渡辺(結城一郎)という学生である。彼は何かと調子よい、なるほど「C調」という人物はこの時代から居たのだ。貼り紙の目的はガールハント(今で言うナンパ)、シャンな娘の到来を待っている。最初の学生は「男」だから駄目、二番目は娘だったが「不細工」だから駄目、ようやく三番目に頃合いの娘・千恵子(松井潤子)がやって来た。下宿屋の坊主(小藤田正一)が「今度はシャンだよ」と紹介するところを見ると、そこの内儀(高松栄子)も渡辺の企みを許容しているらしい。渡辺、千恵子に「この部屋は眺めもいいですよ。私は今日立ち退きます」などと言い、千恵子も気に入った。翌日、荷物を運び込む段になったが、渡辺はまだ居座っている。「昨日は日が悪かったので、今から立ち退きます。あなたが雇った荷車で私の荷物を運び出しましょう」などと調子がいい。出がけには額縁の絵を1枚プレゼントして立ち去った。自分の荷物を車屋に引かせて、渡辺は行き先を模索する。不動産屋を訪れたが適当な物件がない。持ち合わせの金銭もなかったか、とうとう学友・山本(齋藤達雄)の下宿に転がり込んだ。山本、驚いて拒絶しても「どこ吹く風」、まんまと同居人になってしまう。山本はどこまでも温和しく不器用、でも一人のガールフレンドが居た。彼女こそ渡辺の部屋に転入した千恵子だったとは・・・。かくて、渡辺と山本は千恵子をめぐって張り合うことになる。どうみてもC調・渡辺の方が分がいい。大学の冬休み、千恵子と山本は赤倉温泉にスキーを楽しみに行く約束になっていたが、渡辺もちゃっかりと割り込んでくる。「忘れ物をしました」などと言って千恵子の部屋を訪れ、山本のために編んでいたスキー用の靴下をゲット、山本に見せる。山本は「どこかで見たような靴下だ」と思うだけで真相には気づかない。そのコントラストが当時の「学生気質」を鮮やかに浮き彫りしている。いよいよ赤倉温泉の最寄り駅「田口」(今の妙高高原駅)に到着した。周囲は何もない。降り立った二人は宿までのおよそ5キロ(?)の道をスキーで辿る。ここでも、技術は渡辺が上、山本は「こけつまろびつ」の態でようやく宿に着いた。
 やがて、ゲレンデで千恵子に遭遇、山本と渡辺の「恋のさや当て」も佳境に入る。どうやら渡辺の勝ちに終わるかと思いきや、結果は意外や意外、千恵子は先行していた大学スキー部主将・畑本(日守新一)との「見合い」に来ていたという次第・・・。意気消沈して帰京する渡辺と山本の姿が「絵」になっていた。東京にに向かう列車の中、千恵子から一同にプレゼントされた蜜柑を、山本は力なく頬張り、渡辺は手編みの靴下に入れて車窓から放り投げる。学生のロマンスはあえなく終わったのである。山本の下宿に戻った二人、ふさぎ込んでいる山本に、渡辺「もっといいシャンを見つけてやるよ」と言い終わると、一枚の紙を取りだし「二階かしま」と墨書する。渡辺の説明(ナンパのテクニック)を聞きながら、次第に山本の表情が緩み元気が蘇ってくる。男同士の「友情」が仄見える名場面であった。画面は再び「都の西北」、冒頭の場面へと移りつつ、学生ロマンが再開するだろうと期待するうちに閉幕・・・。
 しかし、わからないのは「女心」と言うべきか、千恵子は初めから畑本と決めていたのか、それともゲレンデの三者を天秤にかけたのか。女の「したたかさ」は昔も今も変わりがない。男にとって女とは「全く不可解な存在」であることを、(生涯独身を貫いた)小津安二郎監督は描きたかったのかもしれない。                    末尾ながら、スキー部員を演じた「若き日」の笠智衆、千恵子の伯母をかいがいしく演じる飯田蝶子の姿も懐かしく、その存在感を十分に味わえたことは望外の幸せであった。 さらに余談だが、この映画の舞台となった赤倉温泉は、戦後青春映画の傑作「泥だらけの純情」(監督・中平康・1963年)で、「若き日」の吉永小百合と浜田光夫が心中を遂げた場所でもある。その雪景色をバックに、やはり女の一途な「したたかさ」に翻弄される男の宿命が描かれていたことは、実に興味深いことである。 (2017.1.18)



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2018-12-02

付録・邦画傑作選・「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)

 ユーチューブで映画「上陸第一歩」(監督・島津保次郎・1932年)を観た。何とも「摩訶不思議」な映画である。タイトルを見て、戦意高揚の国策映画と思いきや(しかし、1930年代に国策映画はあり得ない)、アメリカ映画「紐育の波止場」の翻案で、島津監督の「第1回トーキー作品」、主演の水谷八重子(28歳)も映画初出演ということである。(ウィキペディア百科事典参照)
 「摩訶不思議」の原因は、一に映画自体(画像)は「サイレント」の様相を呈し、役者(特に主役・岡譲二)のセリフは「字幕並」、にもかかわらず、二に主演・水谷八重子の演技は「新派」の舞台そのまま、三に背景は船舶、波止場、アパート、酒場、ホテルといった洋風の雰囲気に加えて、女性の多くは和服姿、飲食物はパン、ミルク、ウィスキー等々、その「アンバランス」が目立つからである。
 しかし、今、そのアンバランスがたまらなく魅力的である。 
冒頭は、ある港町の風景が延々と映し出される。灯台、大小の船々、飛び交うカモメ、折しも大型の貨物船が入港した。それをアパートのベランダから「港の女」・さと(水谷八重子)が眺めている。「エミちゃん、船が入って来たよ。」と呼びかければ「ナーンダ、貨物船か。フランスの船でも来ればいいのに」。どうやらそこは、酒場で働く女たちの寮らしい。
 一方、船のボイラー室では火夫たちが、上半身裸で懸命に石炭を釜に放り込んでいる。「坂田、上がったら今晩も遊びか」「何を言ってやがるンでー」。坂田と呼ばれた男(岡譲二)、船室(食堂)に戻ると夕食も食べずに髭を剃る。周囲では司厨長・野沢(河村黎吉)たちが小博打(チンチロリン)に興じていた。坂田の弟分、倉庫番・戸村(滝口新太郎)が「兄貴!俺も遊びに連れてってくれ」と頼む。やがて、埠頭に降り立った二人、その前を一人の女が通り過ぎた。行く手を見るとそこは海。「兄貴!様子が変だぞ」と言っているうちに、案の定、女は着物姿のまま海に飛び込んだ。あわてて、坂田も飛び込んで助け出す。とりあえず「待合所」に運び入れ、達磨ストーブで暖をとった、女(実はさと)の様子を見ていた坂田は「オイ、ウィスキーを買ってこい。小さいのでいいんだぞ」と戸村に命じ、さとを抱き起こし外套を被せる。「おめえ、寒かねえか、馬鹿なマネをしやがって」。さとは外套を投げ捨てて「あんた、こんなところに私を連れてきてどうするつもり」と食ってかかる始末。「そんなこたあ知るもんか。死にかかっている人を黙って見過ごすわけにゃあいかねえ」「人が生きようと死のうとあんたにはかかわりのないこと、さっさと行ってしまえばよかったんだ」「おまえ、ずいぶんのぼせ上がっていやがる。その前にとっとと着物を脱いで乾かせばいいじゃあねえか」「あたしだって女だ、男の前で裸になんかなれるもんか!ずいぶん血の巡りが悪い男だねえ」。待合所の外で待つ坂田、ウィスキーを買ってきた戸村も同様に叩き出され、「おめえもずいぶん血の巡りが悪い男だな」などというやりとりが何とも面白かった。
 外気の寒さに当たったか、坂田は「カゼをひきそうだ。酒場に行って一杯やるから、おめえはあの女の番をしていろ」と戸村に命じ去って行く。一息ついたさと、戸村に坂田の様子を尋ねれば酒場に行った由、置き忘れられた坂田のパイプを持って自分も酒場に駆けつける。(ずぶ濡れの和服がそんなに早く乾こうはずもないのに、ちゃっかり着ている姿が何とも可笑しい。)そこは船員たちの溜まり場で、司厨長・野沢も顔を出して、坂田とさとの間に割って入ろうとしたのだが(野沢がウイスキーの瓶をさとに差し出して「一杯酌してくれ」という光景も滑稽で、笑ってしまった)・・・、いよいよ大物が登場する。港を牛耳る「ブルジョアの政」(奈良真養)とその子分「プロペラのしげ」(江川宇礼雄)たちである。政は野沢とも懇意で、先刻は「密売品」の取引(それは不調に終わったが)をしてきたばかり。さとを見つけると「おい!さと、今までどこにずらかって居やがった」と捕縛しようとする。さとは政の手によって上海に売り飛ばされようとしていたのだ。「キャー」というさとの声を聞いて、坂田は敢然と政に立ち向かう。「オイ、待った!」「何だ貴様は」「俺は○○丸の釜焚きだ」「釜焚きなんかにこの女を横取りされるような俺じゃねえぞ」「横取りも縦取りもあるもんか。俺はこの女を拾ったんだ」、脇からプロペラのしげが「拾ったんなら持ち主に返せよ」。坂田はさとに「お前は政の女か」と確かめ「違います!」というので、連れて帰ろうとする。政は「待て! 勝手なマネはさせない。この女を置いて行け」とピストルを取り出した。それを見た坂田「フン、パチンコ出しやがったな」と言うなり政に掴みかかろうとして、子分たちと大乱闘が始まった。強い、強い。かかってくる相手を殴りつけ、投げ飛ばし、文字通り孤軍奮闘を絵で描いたような場面、途中からは、さとがビール瓶を天井のシャンディアに投げつけ、辺りは一瞬真っ暗闇、その中でも乱闘は続く・・・。どうやら、坂田が政を叩きのめして終わったようだ。政の情婦(沢蘭子)までもが坂田に向かって「あんた、いい腕前だねえ、今晩一晩預けておくよ」などと目を細める。収まらないのは酒場のマダム(吉川満子)、メチャクチャにされた酒場の店内、「あんた、このお店どうしてくれるのさ」と情婦に噛みつくが「まあ、しょうがないじゃないか」でその場はチョンとなった。(何ともあっさりした結着である)
 坂田とさとは川岸の安宿(リバーサイド・ホテル)に落ち着いた。坂田は故郷の母親に手紙を書いている。その様子を見て、さとが繰り広げる身の上話。生まれは北海道網走、母は妹を産むなり死んでしまった。私はその赤ん坊の守りに明け暮れていた。私は母の連れ子、やがて義父が私を女郎に売ろうとしたので、家を飛び出した。それからはあちこちを転々・・・、「あたしなんか、いてもいなくても、どうでもいい女なんだ」と弱音を吐く。坂田「おめえ、初めはずいぶん強気だったじゃねえか」「だって、あんたは仇だと思っていたんだもの」「昔のことなんか思い出すのはよせ。俺はそんな話、聞きたくねえぞ。おめえ、もう寝た方がいいぜ」。どこかでサイレンの音が聞こえる。「火事かしら」「そんなこたあ、俺の知ったこっちゃねえよ」。さとにベッドを提供、坂田もソファで眠りに就いた。 
 翌朝、さとは早起きしてパンとミルク、林檎と歯みがきを買って来た。起き出した坂田が洗面所で歯を磨いていると、おかみ(飯田蝶子)がやって来て「あの娘、朝からはしゃいで買い物してきたわよ、お安くないねえ」と冷やかした。部屋に戻り、朝食を始めるとドアの音がして舎弟の戸村がやって来た。「兄貴、チーフが呼んでいる。埠頭まで来てくれ」「乗り込みは今夜8時だ。朝っぱらから何の用だ」と言いながらも、出かける様子。さとは「乗り込みが8時ならここに戻って来てよ。あたし御飯をたくから一緒に食べよう」と言う。坂田は巾着を取り出してテーブルに置く。「これ何?」「何かの足しに使ってくれ」「あたしなら大丈夫。もう死ぬなんて考えない」「それなら、ずらかる時にでも使えばいい」「あんた、帰っちゃいや」「俺は船乗りだ。帰らなければ暮らしていけねえんだよ」「あんた、8時までここで待ってるから戻って来てね」。
 坂田と戸村は埠頭に向かった。そこは倉庫・ビルの工事現場、鉄骨にドリルを撃ち込む轟音が響きわたる。やがて、現れたのは司厨長・野沢と「ブルジョアの政」一味、向かい合うなりピストル3発、坂田はその場に倒れ込んだ。しかしそれは芝居、油断して取り囲む一味、政が「船に運び込め」と言うやいなや、坂田は政に掴みかかり、またもや大乱闘が始まった。政は坂田に突き飛ばされ本当に倒れ込む。一味もあえなく退治されてしまった。
 坂田がホテルに戻ると、待っていたのは「プロペラのしげ」、さとの見張り役だった。坂田を見て驚くしげ、今頃、坂田は政に殺られているはずなのに・・・、しどろもどろで言い訳をするしげを張り倒し追い払う。「覚えていろ」と捨て台詞を吐くしげを、難なく階段下に突き落としてしまった。
 その後二人は、「あんたって本当に強いのね。あたしあんたのおかみさんになりたい。あんたが帰ってきたら首にしがみついちゃう」「ハハハハ、俺は陸に上がったら何にもできねえでくの坊だ」「それでもいいの、一件家を借りて草花を育てるの」などと対話していたが、入口に人の気配、訪れたのは刑事(岡田宗太郞)たち、戸村もいる。「坂田とはお前か、殺人の嫌疑がかかっている。同行してもらおう」。さとは驚いて「この人が人殺しなんてするはずがありません」と刑事の前に立ちふさがる。戸村も「初めに政がピストルを3発撃ったんです」と弁護。しかし、坂田は「政が死んだんなら、私がやったこと。しょうがない。お供します」と従った。さとは、必死に「あんた、あたし待っている。いつまでも待っているわ。だから戻って来てね」と取り縋る。(しばらくの間)坂田は「お前が待っていると言うのならなら、戻ってくるよ」と応じた。さとは「本当!あたし、うれしい!」と泣き崩れた。「じゃ、あばよ」と言い残し、坂田は牽かれて行く。さとは身もだえして、いつまでも泣き続ける。やがて窓の外には、いつもの港の風景が・・・。矢追婦美子の歌う主題歌が流れるうちに、この映画の幕は下りた。
 この映画の魅力は、(前述したように)「アンバランス」(の魅力)である。水谷八重子の、文字通り「芝居じみた」(新派風の)セリフに対して、岡譲二は(サイレント映画の)「字幕」をアッケラカンと棒読みするように応じる。その風貌とは裏腹に「べらんめえ」調の口跡が素晴らしい。「気は優しく(単純で)力持ち」といった往時のヒーローの風情が滲み出ている。筋書きは「悲劇」だが、景色はコミカルで、どこまでも明るい。しかも、水谷八重子の「うれし泣き」でハッピーエンドという大団円は見事であった。島津監督はトーキー初挑戦、水谷も映画初出演、アメリカ映画の翻案という「不慣れ」(不自然)も手伝ってか、あちこちには、ほのぼのとした「ぎこちなさ」が垣間見られる。それがまたさらに「アンバランス」の魅力を際立たせるという、「傑作」というよりは「珍品」に値する「稀有・貴重な作物」だと、私は思う。(2017.2.13)



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2018-11-25

付録・邦画傑作選・《「泥だらけの純情」(日活・監督中平康・昭和38年)》

 出会ってから、わずか七回の「逢瀬」で、見事な「情死」を果たした男女がいる。
日活映画「泥だらけの純情」(原作・藤原審爾 脚本・馬場当 監督・中平康 昭和38年)に登場した、次郎(浜田光夫)と真美(吉永小百合)である。

 物語の梗概は以下のとおりである。
◆組長・塚田に頼まれてヤクを森原組の事務所に届けていたチンピラヤクザの次郎は、不良学生にからまれている外交官の令嬢・樺島真美を助ける。しかし、その乱闘の最中、相手があやまって自分の持っていたナイフで死んでしまったことにより、殺人の疑いをかけられる羽目に陥ってしまう。現場に落ちていたヤクからガサ入れを食らうことを恐れた兄貴分の花井は、彼に自首をすすめる。新聞を見て驚いた真美は、刑事にことの真相を話し、次郎は釈放される。そのことをきっかけに、二人はデートを重ねる仲となっていくが、その資金を捻出するために次郎は、悪事を繰り返していく。逮捕されても簡単な尋問だけで釈放される次郎に、疑いを抱く塚田。実は警察は例のヤクに目をつけ、大規模なガサ入れを狙い、彼を泳がせていたのだ。塚田から自首をすすめられる次郎。一方真美は父の仕事で外国へ行くことに。追い詰められた二人は、自分たちだけの世界を求め、雪山へと逃れるのだった。◆(ビデオ「にっかつ名画館・泥だらけの純情」解説パンフレットから引用)

 次郎と真美の「逢瀬」はわずか七回、しかも「デートの楽しさ」を味わえたのは、そのうちのたった一回ではなかったか。 
 殺人の容疑が晴れたあと、真美の母から次郎に現金の「謝礼」が届く。しかし、次郎の気は済まない。真美を助けたのは、「銭のためではない」からである。次郎は、真美の「澄んだ瞳」が不良学生に汚されないために、助けたのだ。だから、もし謝礼の気持ちがあるのなら、直接、真美が次郎に会って「ありがとう」とお礼を言えば、それで気が済むのである。親分、兄貴から無理矢理「謝礼」を受け取らされた次郎の気持ちはおさまらず、真美の学校や自宅にまで、弟分と押しかけた。しかし、玄関のベルを押す勇気はなかった。
【逢瀬・一】
 ところがである。翌日、突然、真美が次郎の安アパートを訪れた。次郎は、仰天して真美を出迎える。
 「友だちに言われてきたのか?」
「自分でよく考えてきました」
「こんなところは、お嬢さんの来るところじゃないんだ。送っていくから帰れよ」
「はい」
 玄関口で立ち話をしている二人に、アパートの住人たちは、興味津々で声をかけた。
「ジロちゃん、かわいい子だねえ。あんたのスケかい?」
「うるせえ!」
 「照れることないじゃないか」  
と、冷やかされながら、二人は駅に向かった。
次郎は、思ったに違いない。
(お嬢さん、わかった。もういい。オレは、昨日、お嬢さんの学校や自宅まで「引っかけるつもりで」会いに行ったけど、何もできなかった。しかも弟分まで連れて・・・。それに比べて、お嬢さんは、自分でよく考え、一人で来てくれた。もういい。お嬢さんの気持ちはよくわかった。ありがとう)
 次郎は、真美の切符を買い、渋谷駅の構内で「別れの言葉」を言った。
 「いいかい。今度あんな目にあったら、大声をあげなよ。黙っていてはどうにもならないんだ、じゃあ!」
 それで終われば、よかったのかもしれない。しかし、次郎の気持ちに「変化」が生じた。(まだ、時間がある。せっかく会いに来てくれたお嬢さんを楽しませたい。いや、できれば、自分が楽しみたい。もしかしたら「引っかかる」かもしれない・・・)
 次郎は、戻りかけた道を引き返し、真美の乗った電車を探す。
 「お嬢さん!」と呼んでみると、真美が電車のドアから顔を出した。次郎は、間一髪でその電車に、飛び乗ることができた。
 二人は、ボクシングを観戦し、帰途につく。途中で、話し合いながら、自分たちの生活が「全く違う」ことに惹かれ合う。ジュースを飲みながら「動物の生態」という教養番組を視聴、バイブルを読んで就寝するという真美。ウイスキーをラッパ飲みしてスポーツ雑誌を読みふけるという次郎・・・。しかし、次郎は、(これで本当に終わりにしよう)と思っていた。ホームの売店でピーナッツを買い、真美にプレゼントする。
 「半分ずつしようか」といい、真美の手袋にピーナッツを注ぎこんだ。ベルが鳴り、電車のドアが閉まりかけたそのとき、真美が「殺し文句」を吐いたのだ。
 「さっきのママへの電話(注・母に門限を延ばしてもらった電話)、『いちばん好きなお友だちと遊んでいます』って!」
 この一言で、次郎は、真美を「忘れること」ができなくなってしまったのだと思う。
(もしかしたら、お嬢さんはオレを必要としているのかもしれない!)
 思えば、この時の「逢瀬」こそが、「未来を展望し」、「自分たちだけの世界」を共有できた、至福の「ひととき」ではなっかたか。
次郎は、居酒屋に飛び込むと、客が楽しんでいたテレビの娯楽番組のチャンネルを、「動物の生態」に切り替える。「何するんだ!」という客の抗議を「ひとにらみ」ではね除け、平然とジュースを飲みながら皇帝ペンギンの映像を見つめる。アパートのベットに入り、「聖書」を拾い読みしながら眠りにつく。
 真美は、真美で、オールドパーをラッパ飲みしながら、ボクシング雑誌に目を通し、挙げ句の果てには、姿見の前でシャドーボクシングまで始める始末であった。 
【逢瀬・二、三】
 以後、真美の誘いで「現代音楽祭」のコンサート、上野公園と二回デートを重ねるが、真美の表情は曇りがちである。
 真美は思っていた。 
(次郎さんは、チンピラヤクザになって「柄が悪い」ふりをしているけれど、本当は「悪い人」ではない。心の優しい、温かい人なんだ。それは、私自身が一番よく知っている。私と会うたびに、次郎さんはケガをする。初めての時、あの不良学生から私を助けようとして、おなかを刺された。その次の時も、電車のドアに指を挟まれた。この前も、コンサートの帰り、私に嫌がらせをした不良を二人殴り倒してくれたけど、指の爪をはがしてしまった。本当は、そんなに強くない。でも、そんな次郎さんを私は忘れられない。いつも一緒にいたい。どうすればいいのだろう?)
 上野公園でのデートは、真美の都合で、すぐに帰らなければならなかった。でも、真美は言った。
「来週の土曜日は、(略)ママをだまして出て参ります。一日中どこへでも行けますわ」
「本当かい?」
「ママに嘘ばっかりついてるの」
「どうしてよ?」
「あなたに嘘つきたくないから・・・」
次郎は、確信した。(お嬢さんは、本気だ! オレはこれからどうすればいいのだろう?)
そして、本当の疑問をぶつけてみた。
「でもよ。あんた、オレと歩いていて恥ずかしくないかい?」
「恥ずかしいって?」
 次郎の兄貴分は、恋人から海水浴に誘われたけど、「約束をほっぽっちゃった」という。背中一面に、雷様の刺青をしているからだ。 
「海水浴だろ? 引け目感じちゃうよな」
「あなたも、してます? 刺青?」
「オレは、チンピラだからしてねえけどよ」
 真美は、必死で次郎に訴えた。(今だ! 次郎さんに、本当の気持ちを言おう!)
「やめられません、ヤクザ! ヤクザっていけないと思うんです! 野蛮だし、法律にだって背いているし! でも、私、次郎さんは、まじめで正しい人だと思っています。どんなこと、なさっていようと・・・」
 次郎は、返す言葉がない。「その通り」だからだ。
「土曜日な! 横浜駅で待ってるよ。十二時!」
 それだけ言うと、逃げるようにその場を立ち去った。(わかっているよ、そんなこと!好きでヤクザやってるわけじゃない。オレの親父は「バタ屋」だ。オレのお袋は「淫売あがり」だぞ! そんなオレが一人前に生きて行くには、どうすればいいんだ。ヤクザにでもなるほかに道はないではないか! お嬢さん、わかってくれ。今のオレには、こんな自分をどうすることもできないんだ。今度の土曜日、お嬢さんは本当に来てくれるだろうか?)           
 しかし、土曜日、「約束を守った」のは、真美の方だった。次郎は「ポン引き」の疑いで警察に挙げられていたからである。 
 上野駅で、真美は半日待った。しかし、次郎は来ない。 
真美は、待って、待って、待ち続けた。次郎のことが、いっときも忘れられなかった。何度もアパートに手紙を送ったが、返事は来ない。家族で赤倉にスキーに行っても、思うのは次郎からの返事のことばかり、もし返事が来なければ「死んでしまうかもしれません」とまで、手紙に綴ったが・・・。決心してヤクザの事務所にも行った。親分・兄貴分にも会い、次郎が警察に拘束されていることを知った。それでも、真美はあきらめなかった。次郎のアパートに行って待ち続ける。
 どれくらいの日にちが経っただろうか。やがて、次郎は保釈された。組の事務所で挨拶をすませると、親分は「スケ(真美)と別れろ」という。兄貴分は、真美が事務所に訪ねてきたことを告げ、届いた手紙を焼きながら、「たくあんとセロリを食べている人間は、(住んでる世界)が違う」と次郎を諭した。しかし、次郎は迷っていた。(兄貴は、手紙を焼いてしまったけど、なんと書いてあったのだろうか? お嬢さんがオレのカミさんになるはずがない、でも、もしかしたら、オレを必要としてくれるかもしれないではないか)
【逢瀬・四】
 憔悴してアパートに戻ると、真っ暗な部屋の中で、真美が待っていた。
驚愕する次郎。「お嬢さん!」と叫んで絶句した。真美は「お会いしたくて、飛んできました。毎日、毎日、このお部屋でお待ちしていたんです」と言う。
 次郎がスーツのポケットに手を入れると、あのときのピーナッツが出てきた。それを二人で食べながら、真美が言った。
 「次郎さん、あたし、もういやなんです。あなたが警察なんかに入れられてしまうの」 次郎も、答えた。
「やばいことは、もうやめたよ」
真美は、母の知人に頼んで、次郎の「仕事」を探すと言う。次郎は「乗り気」ではなかったが、(もしかしたら、堅い仕事につけるかもしれない)と淡い希望がわいてきた。
「かなわないよ、お嬢さんには」と言って、応じる羽目になってしまった。
【逢瀬・五、六】
次の日曜日、次郎は正装して、真美の自宅を訪れた。弟の「天文台開き」のパーティーに招待されたのである。真美は、その場で、次郎を母の知人に紹介し、次郎の「仕事」を見つけてもらおうと考えた。とりあえず、母に次郎を引き合わせたが、母は「どなたなの?」と訝しがる。真美が、「ほら、この前お願いした、あの新宿の時の・・・」と言いかけたとき、母の表情が変わった。真美を、物陰に呼んで叱責する。
 「なんてことなさるの! あんな人、私が板東様に御紹介できると思っているの?私たちのおつきあいできる方じゃありません。家へくるのなんか遠慮していただかなくっちゃ!」
 その様子を窺っていた次郎は、全てを察知し、上着を翻して、乱暴に立ち去る。「次郎さん!」と呼び止めようとする真美は、振り返りざま母をののしった。
 「ママ! ママは真美の敵よ!」
 真美は、心の底からそう思ったに違いない。あっけにとられているパーティーの参加者をしりめに、真美は次郎の後を追う。 
 どこをどう探したか、真美が次郎を見つけた時は、もう夜になっていた。盛り場のダンスホールで女と酔いしれる次郎、真美は弟分に取り次ぎ頼む。しかし、次郎は、もう、真美とかかわるつもりはない。真美を、にらみつけて、冷たく言った。
 「何しに来たんだ!」
「おわびに参りました」
「帰れよ!」
「今度こそきっと、いいお仕事探してきますから・・・」
「よしてくれ! あんたは、これ以上オレに恥じかかせる気かい!」
「次郎さん・・・」
「ほっといてくれってんだよう!」
 その場を立ち去ろうとする次郎の腕をつかんで、真美は叫んだ。
「好きなんです! あなたが好きなんです!」
次郎は、真美の必死な告白を、確かに耳にして、混乱し、逡巡した。
「好きだって? このオレを? そんなこと言わないでくれ! 好きだなんて、そんな・・・」
(どうしていいかわからない! しかし、そんなことはあり得ない。あっては、いけないことなんだ!)
「お嬢さんは、オレを知らないんだよ、オレは、町のダニだい! チンピラヤクザのご正体知らないから・・・。な、けえんな!」
 しかし、真美は次郎の目を見つめたまま、動かない。
次郎は仕方なく、その場に居合わせた女を「凌辱」して見せた。泣きながら逃げ出した真美の背中にに向かって、「オレの親父は『バタ屋』だぞ! お袋は『淫売上がり』だぞ!二度と来やがるな!」と叫び、次郎もまた泣き崩れた。
 (すべては終わった。これでいいんだ)そう言い聞かせ、自分を納得させた次郎のところに、親分から呼び出しがかかった。兄貴分が言う。
 「・・・・。サツじゃあ、二、三日中に徹底的な『ガサ入れやる』ってはりきっているそうだ。これからのヤクザには計算だっているぞ。おめえもここいらへんががソロバンのはじきごろよ。・・・・。どうだ、二、三年、行ってこねえか」   突然の話に困惑する次郎、兄貴分はたたみかける。
 「『ガサ入れ』の出鼻をくじいて、おめえが自首するんだ。組もしのげるし、サツのメンツだって、たたあな・・・。横浜のスケのことだけど、はい切れます、切れましただけじゃ、他人はうなずいてるようなつらしてても、腹の底では感心してやいねえんだぞ・・」
(そうか。真美と切れた証拠を見せろ、というのか!)次郎は、決意した。
 「わかったよ兄貴、行くよ、オレ」
 その他に、何ができるというのか。
【逢瀬・七】
 兄貴分に付き添われて自首する日が来た。次郎は、自分のアパートで身だしなみを整え、弟分に言う。 「兄貴に言ってきな。いつでも出かけられます。お待ちしてますってな」
 ところが、である。弟分と入れ代わりに、やってきたのは真美であった。  
真美は、大きな旅行鞄を持っている。
「何しに来たんだ」と訝る次郎に、真美は答える。
「お別れを言いに参りました」
今晩の飛行機で、父のいるアルジェリアに「旅立つ」と言う。一瞬、愕然とする次郎。しかし、思い直して語りかけた。
 「事情があって、オレ、ムショに行くことになっちまったんだ。・・・お嬢さんとオレは、ここではっきり別の世界の人間になりに行くってわけだ。会えやしねえ、絶対にもう!」
「次郎さん!」
「いいんだよ、その方がいいんだよ」
でも、真美は応じなかった。次郎に、すがりつき、懇願する。
「いやです、あたし、いやです! あたし行きたくないんです! 行きません! 次郎さんも、行かないで!・・・本当は、最初からあたし、もう家へなんか・・・。その覚悟できました!」
 「お嬢さん!」
 次郎がそう叫んだ時、窓のしたでブレーキの音がした。兄貴分と弟分が、迎えに来たのだ。二人は、反射的に、その場から脱走する。次郎の部屋には、真美の旅行鞄が一つ残されているだけだった。
 二人は、「身一つ」で必死に逃げた。駅前からバスに飛び乗り、地下鉄へ、そこにはすでにヤクザの追っ手が手配されていた。やむなく、次郎は馴染みの女のアパートに逃げ込む。真美の母から捜索願を受けた警察やマスコミも動き始め、二人は完全に孤立した。しかし、神様が味方したのだろう。捜査網をどうにかくぐり抜け、大森の安アパートに落ち着くことができた。三十六時間が経過しても二人は見つからない。次郎と真美は、やっと「二人だけの世界」に浸ることができた。何もない六畳の一間で、タンメンをすする。  「こんなにおいしい物、生まれて初めて食べました」という真美。それでも、次郎は真美に帰宅を勧める。真美は応じなかった。ブロバリンの入った薬瓶を手にして「あたしの気持ちは決まっています。あたし、死にます。一人で死ぬんだって、ちっともさびしいことなんか・・」
 次郎は「ばか!」と叫んで真美を平手打ち、真美はうれしそうに答えた。
「死にません! 死にません。次郎さんと一緒にいられる限り・・・」
そのとき、ドアをノックする音。おびえる二人。おそるおそる次郎がドアを開けると、それは新聞の勧誘員だった。二人の会話は、そのままで終わったが、次郎の気持ちは決まった。ようやく、決心がついた。(もうオレは、お嬢さんを守るしかない!)
勧誘員が置いていった「村田英雄ショー」のパンフレットで「折り鶴」を作る。それは、二人が初めて取り組んだ「仕事」に他ならない。次郎が切々と唄う「王将」に、真美は思わず涙する。それは、次郎の心に初めて触れることができた、「喜び」の涙だったに違いない。
 アパートの「生活」は、「一瞬」のうちに過ぎた。これから、本当の「生活」に向かって、二人は出発するのである。真美の思い出深い赤倉のスキー場で、「雪だるま」を作るために・・・。
(お嬢さんには、かなわないなあ!)、しかし次郎の心は「充実」していた。
 かくて、二人は、わずか七回の「逢瀬」で、見事な「情死」を遂げたのである。
雪深い雑木林の中で、二人の亡骸を見聞する警官がつぶやいた。
「こんな仲のよい心中は、初めてだな」

 この「情死」をどのように評価するか。映画では、真美の同級生がマスコミのインタビューに答えて言う。
 「わたくし、樺島さんとあの方の、ああした愛情のあり方に疑問を持っております。恋愛というものは、誰にも祝福されるような形でなければいけないんじゃあないでしょうか?」
 はたして、「誰にも祝福されるような形」の恋愛とはどのようなものだろうか。当事者が、「お互いに相手を必要と感じるならば」、それが「愛情のあり方」に他ならない。次郎と真美は「住んでる世界」の違いを超えて、「二人だけの世界」を創り出すことができた。それが「たった七回の逢瀬」であったにしても、二人にとっては、文字通り「命をかけた」闘いであり、至福の時間ではなかったか。「誰にも祝福されるような形」とは、次郎にとってはヤクザの幹部、真美にとっては上流社会の令夫人に納まることだろうが、二人はその道を選ばなかった。その代償として「死」という現実が待っていたとはいえ、「どうせ人間は一回死ぬのだ」と割り切ってしまえば、いいことなのである。周囲から祝福されても、必要としない相手と無為な時間をだらだらと費やしている男女は、枚挙にいとまがないではないか。
 したがって、この「情死」は、最高のできばえとして評価されてよい、と私は思う。
では、その最高傑作は何によって生み出されたのだろうか。
「七回の逢瀬」を辿ればわかるように、それは、ひとえに真美(女)の「決断力」「行動力」の賜であった。「純情可憐」な容貌の内に秘められた、その覇気は、しばしば「殺し文句」となってほとばしり出る。
①「さっきのママへの電話、『一番好きなお友だちと遊んでいます』って!」
②「ママに嘘ばっかりついているの」「あなたに嘘つきたくないから」
③「やめられません?ヤクザ! いけないと思うんです、ヤクザ! 野蛮だし・・・」                     
④「好きなんです! あなたが好きなんです!」
⑤「いやです、あたし、いやです。あたし、行きたくないんです。行きません! 次郎  さんも行かないで!・・・本当は、最初からあたし、もう家へなんか・・・。その覚悟できました」
⑥「あたしの気持ちは決まっています。あたし、死にます。一人で死ぬんだって、ちっともさびしいことなんか・・・」
⑦「死にません、死にません。次郎さんと生きていられる限り・・・」
 このような言葉を「逢瀬」ごとに、浴びせられたら、次郎でなくても、たいていの男なら「まいってしまう」に違いない。
 次郎と真美の関係は、終始、真美の主導のもとに展開し、終結したことは明らかである。それは、「男中心」と思われている人間社会の中で、実は、「弱者」として存在しているかに見える「女」が実権を握っていることの証左に他ならない。 
(2006.5.1)



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2018-11-22

付録‥邦画傑作選・「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)

 ユーチューブで映画「婦系図」(監督・野村芳亭・1934年)を観た。原作は泉鏡花の新聞小説で1907年(明治40年)に発表され、翌年には新派の舞台で演じられている。有名な「湯島境内の場」は原作にはなく、いわば演劇のために脚色されたものである。それから27年後、野村芳亭(野村芳太郎の父)によって、初めて映画化された。
 その物語は、参謀本部でドイツ語の翻訳官を務める早瀬主税(岡譲二)の自宅に、静岡の有力者・河野秀臣(武田春郞)の妻とみ子(青木しのぶ)と息子英吉(小林十九二)が訪れているところから始まる。主税と英吉は静岡時代の友人、主税はその後上京、神田で「隼の力」という異名で悪事を働いた与太者だったが、「真砂町の先生」こと大学教授・酒井俊蔵(志賀靖郎)に諭され、今の地位を得ることができたのだ。しかし、馴染みの柳橋芸者・蔦吉(田中絹代)と同棲中、いずれは先生の許しを頂いて正妻の座に据えるつもりだったが、今はまだ外来者に会わせることができない。事情を知っているのは、女中のお源(飯田蝶子)、出入りの魚屋「めの惣」こと、め組の惣吉(河村黎吉)、蔦吉の朋輩・小芳(吉川満子)くらいであった。
 主税の家に客が訪れるたびに、蔦吉は身を隠して時間を過ごす。その様子を見て惣吉は気の毒がったが、蔦吉は、いずれ晴れて女房になれると思うと苦にならなかった。
 河野家の訪問は縁談話、酒井の娘・妙子(大塚君代)を英吉の嫁として迎えたい、その仲介と身元調査を頼みに来たのである。しかし、主税は取り合わなかった。妙子は酒井が小芳に生ませた娘、河野家にも妻の不貞で生まれた娘が居る。複雑な人間模様(婦系図)が伏線となって、悲劇は進む。
 業を煮やした河野家は改めて坂田令之進(芸名不詳)という家令(?)を主税の元に送り、縁談の仲介を頼んだが、主税は断固拒絶、坂田は退散する。その時、出口で蔦吉と鉢合わせ、主税と蔦吉の同棲を知ることになったか。  
 主税はその後、真砂町の酒井を訪れる。奥ではすでに坂田と酒井が面談中(坂田の憤慨・糾弾、酒井の謝罪と縁談承認などなど)で書生(三井秀男)から「先生は今、ゴキゲンが悪い」と追い返された。ブラブラと、本郷の夜店に立ち寄り「三世相」(陰陽道の占い本)を手にする。「一円です」という親父(坂本武)に「高すぎる、半額なら・・」と戸惑っているところに、五十銭硬貨二つが投げ出された。見ればそこに立っていたのは酒井。「先生!」と驚く主税、そのまま主税宅に赴くと言う。しかし行った先は柳橋の料亭、途中で「掏摸騒ぎ」に遭遇し、主税は男にぶつかられたがそのまま、歩き続ける。料亭の部屋には小芳も呼ばれた。清元?、新内?の音曲が流れる中、弟子と恩師、恩師の日陰者の三者の「絡み」は、寸分の隙もなく往時の人間模様を鮮やかに描出する。酒井、かつての愛妾・小芳に向かっては「朋輩の蔦吉はどこにいる、知らないとは薄情だ。俺が教えてやろう、主税の家だ」と言い、主税に向かっては「弟子の分際で、妙子の縁談を邪魔するとは何事だ」「先生、英吉は妙子さんの相手としてふさわしくありません」「何をほざくか。芸者風情を家に引きずり込んでいる奴に何が言えるか」。主税は、恩師のため小芳のために妙子の吉凶を占おうとしたのだが、何を言っても通じない。じっと耐えている小芳、しばらく瞑目して、主税は「先生、私が考え違いをしておりました」と終に謝る。酒井は主税に酒を注ぎ「では、女と別れるか、それとも俺と別れるか」、「女を捨てるか、俺を捨てるか。グズグズせずに返答せい!」と迫った。主税、きっぱりと「女を捨てます。どうか幾久しくお杯を」と平伏、その場は平穏に戻る。小芳の泣き崩れる声だけが余韻を残しながら・・・。
 主税が料亭を出ると、闇にまみれて男が待っていた。「旦那、さっきの物をいただきましょう」「何だ」「とぼけちゃいけませんぜ」。懐に手を入れると大きな皮財布。「ああ、これか、じゃあお前は掏摸か」。早く返せと匕首を振り回すその男を組伏して、主税いわく「この財布は返してやる」「では半分ずつということで」「そうではない、被害者に返すのだ。俺も昔は同じことをしていたんだ。ある先生のおかげで真っ当な道を歩けるようになった。こんなことをていて長続きするはずがない。改心して明るい世界を歩くように」と説諭すれば、男「改心・・・」と言って固まった。昔は同じ道を歩いていた兄貴が・・・、という思いだったか、戻った財布をしっかりと抱きしめ「旦那、私はこれから自首します。明るい世界を歩きます」。返された匕首もすぐさま池に投げ捨てる。主税、「昔、俺もあんな風だったな、先生に恩返しをしなければ」と思ったかどうか、そのまま闇の中に消えて行く男を見送った。
 大詰めは、御存知「湯島境内の場」、「俺はもう、死んだ気になってお前に話す」「そんな冗談言ってないで、さあ」「冗談じゃない。どうか俺と別れてくれ」「別れる?……からかってないで、早くうちへ帰りましょうよ」「そんな暢気な場合じゃない……本当なんだ。どうか俺と縁を切ってくれ」「縁を切る?貴方気でも違ったんじゃないんですか」「気が違えば結構だ。……俺は正気でいっているんだ」「そう、正気でいうのなら、私も正気で返事をするわ。そんなことはね、いやなこってす」
「俺は決して薄情じゃない。誓ってお前を飽きゃァしない」「また飽きられてたまるもんですか。切れるの、別れるのってそんなことはね、芸者の時にいうことよ。今の私には、死ねといって下さい」、という名セリフそのままに、田中絹代と岡譲二が描き出す愁嘆場は筆舌に尽くしがたい風情であった。後世(1942年)「知るや白梅玉垣にのこる二人の影法師」(詞・佐伯孝夫)と詠われたように、その二人の姿が、ひときわ艶やかに浮かび出て、この映画の幕は下りた。
 余談だが、現代の浪曲師・二葉百合子も「湯島境内の場」を中心に、お蔦・主税の《心意気》を鮮やかに描き出している。「先生から俺を捨てるか、女を捨てるか、と言われた時、女を捨てますと言ったんだ」という言葉を聞いて、お蔦は「よくぞ言ってくれました。それでこそあなたの男が立ちますわ」と答える。そこには、男に翻弄される女の「意地」も仄見えて、芸者の「誠」とはそのようなものだったのかと、感じ入る。
 続いて、天津ひずるも、湯島から1年後の後日談、「めの惣」宅に身を寄せ、病に斃れていくお蔦の最後を見事に詠い上げている。そこでは、酒井俊蔵がおのれの不実を恥じ、お蔦に心から詫びる場面も添えられていた。
 「婦系図」は以後、長谷川一夫・山田五十鈴、鶴田浩二・山本富士子、天知茂・高倉みゆき、市川雷蔵・万里昌代らのコンビによって映画化されているが、その先駆けとしての役割を十分に果たし、「お手本」としての価値を十二分に備えている名作だったと、私は思う。(2017.2.7)



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2018-11-15

付録・邦画傑作選・「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)

 ユーチューブで映画「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)を観た。阪東妻三郎プロダクション第1回作品で、大正末期、日本に「剣戟ブーム」をもたらした記念碑的作品と言われている。あらすじは以下の通りである。(「ウィキペディア百科事典」より引用) 
 〈漢学者松澄永山の娘・奈美江と、その弟子で正義感の強い若侍・久利富平三郎はひそかに愛し合っていた。平三郎は師の誕生祝いの夜、同門の家老の息子の浪岡の無礼を怒り、腕力沙汰に及んだことから蟄居を命じられる。また奈美江を中傷誹謗していた家中の若侍を懲らしめたことが逆に永山の誤解を招き、師からも破門され、石もて追われるように故郷を捨て、旅に出る平三郎。平三郎は自分が正しいと信じてやったことが事毎に周りから曲解され、そのこころは次第に荒んでいき、無頼の浪人となり下がり、虚無の深淵に沈んでいく。たまたまある町の料亭で働く千代を知り、女の情を求めて牢を破って訪ねたもののすでに千代は人の妻となっていた。捕吏に追われた平三郎は侠客・次郎三のもとへ飛び込むが、この侠客が喰わせ者。病に難渋する旅の夫婦を助けたは良いがその妻に言い寄り手篭めにしようとする。しかもその妻女こそ、かつての恩師の娘、初恋の人の奈美江であった。平三郎の白刃一閃、見事次郎三を斬り捨てるがもはや脱出かなわず、十重二十重の重囲のなかに堕ち、乱闘又乱闘の大立ち回りの末、ついに力尽き捕えられ、群衆の悪罵を浴び引かれていく。その中に涙に濡れ、平三郎を伏し拝む奈美江夫婦の姿があったことを、群衆の誰一人知る者はいなかった。〉
この映画の眼目は「善と悪」、一見善人と見られていてもその根底に悪が潜んでいることもあり、無頼漢と思われている者の中に善行が秘められていることがある、つねに世の中はそうした矛盾を孕んでいることに気づかなければならない、といったあたりを、やや生硬な字幕が物語る。大正デモクラシーの影響も感じられて、たいそう興味深かった。  配役は無頼漢・久利富平三郎に阪東妻三郎、恩師・松澄永山に関操、その娘・奈美江に環歌子、家老の息子・浪岡真八郎に山村桃太郎、侠客・赤城二郎三に中村吉松、掏摸・二十日鼠の幸吉に中村琴之助、町の娘・お千代に森静子といった面々だが、阪東妻三郎を除いて私の知る俳優は皆無であった。見どころは、ほんの些細な出来事がきっかけで、純真・闊達・剛健の若侍が無頼漢へと落ち込んで行くプロセスである。「よかれ」と思う言動が、ことごとく裏目に出てしまう。「とかくこの世はままならず」「渡る世間は鬼ばかり」といった現代にも通じる人間模様を、そのやるせない風情によって阪東妻三郎は見事に描出していた、と私は思う。平三郎は何一つ悪事(殺人)をしていない、そのことを知っているのは観客だけである。しかし大詰めでは、堪忍袋の緒が切れた。最愛の人を陵辱しようとする「善人」・二郎三を成敗、百人近い捕り手を相手に斬って斬って斬りまくる。誰が見ても無頼漢、悪逆非道の振る舞いだが、最愛の人だけは手を合わせて見守る。力尽き牽かれて行く平三郎を泣き崩れるて見送る奈美江の姿がことのほか「絵」になっていた。
 映画はサイレントだが(弁士の説明があるにしても)、私にはその「場」の音が聞こえる。邦画史上に残る一級品の名作であった。
(2017.1.16)



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2018-11-05

付録・邦画傑作選・「忠烈実録忠臣蔵」(監督・マキノ省三・1928年)

 ユーチューブで、映画「忠烈 実録忠臣蔵」(監督・マキノ省三・1928年)を観た。監督のマキノ省三は「日本映画の父」と言われ、邦画草創期の基礎を築いた人物である。この映画のフィルムは火災、戦災などにより匹散していたが、戦後、息子のマキノ雅弘によって採集・修復・再編集されたそうである。したがって、往時の作品そのものではないにしても、その面影は十分に堪能できる。場面は「刃傷松の廊下」から始まり、「赤穂城内大評定(血判状)」「城明け渡し」「一力茶屋」「山科閑居」「大石東下り」「吉良邸討ち入り」へと展開する。登場人物は大石内蔵之助を筆頭に100人を超える。その陣容(配役)は以下の通りである。(「ウィキペディア百科事典」より引用)
 伊井蓉峰(大石内蔵之助良雄)、諸口十九(浅野内匠頭)、市川小文治(吉良上野介義央)、勝見庸太郎(立花左近)、月形龍之介(清水一角)、中根龍太郎(松野河内守)、嵐長三郎(脇坂淡路守)、片岡千恵蔵(お目附 服部一郎右衛門)、片岡市太郎(勅使 柳原権大納言)、杉狂児(忠婢 拳固のお源)、中根龍太郎(伜 与太九呂)マキノ正博(大石主税良金)、小島陽三(将軍 綱吉公)、松本時之助(浅野大学)、中村東之助(田村右京太夫)、小岩井昇三郎(伊達左京之亮)、山本礼三郎(梶川与惣兵衛)、
金子新(院使 高野中納言)市川小莚次(院使 清閑中納言)、松村光男(僧良雪)、荒木忍(吉良間者 前野平内)、川田弘道(吉良間者 猿橋右門)、菊波正之助(大石の下僕 実は吉良の間者万吉)、秋吉薫(吉良の間者 石束甚八)、中田国義(切腹上使 荘田下総守)、若松文男(お目附 岡田伝八郎)、静間静之助(介錯)、梅田五郎(お茶坊主 平井長庵)、守本専一(石堂・田村の臣)、大味正徳(榊原・田村の臣)、斉藤俊平(高味勘解由・田村の臣)、児島武彦(大老 柳沢美濃守)、大谷万六(太鼓持 千住)、都賀清司(大石の僕・八動)、松尾文人(二男 大石千代松)、都賀一司(三男 大石大三郎)、津村博(清水一角 弟)、尾上松緑(吉良の間者牧山大五郎)、藤井六輔(そばやの爺〆助)、大国一郎( 吉良の家来 和久牛太郎)、マキノ正美(吉良左兵衛之介)、児島武彦(菅野の父 七郎左衛門)、嵐冠(間の一子 十太郎)、染井達郎(堀部弥兵衛金丸)、松村光男(堀部喜兵衛光延)、若松文男(吉田忠左衛門)、嵐冠吉郎(間瀬久太夫正明)、原田耕造(村瀬喜兵衛秀道)、大味正徳(小野寺十内秀和)、柳妻麗三郎(奥田孫太夫重盛)、中村東之助(原惣右衛門元辰)、松本熊夫(貝賀弥左衛門友信)、西郷昇(千葉三郎兵衛光忠)、南部国男( 木村岡右衛門貞行)、木村猛(中村勘助正辰)、森清(菅谷半之亟政則)、大谷鬼若(早水藤左衛門満堯)、橘正明(前原伊助宗房)、嵐長三郎(寺坂吉右衛門信行)、星月英之助( 岡島八十右衛門常樹)、市川小莚次(神崎与五郎則安)、矢野武夫(萱野和助常成)、市川小文治(片岡源五右衛門高房)、豊島龍平(横川勘平宗利)、小岩井昇三郎(三村次郎左衛門包常)、金子新(潮田又之丞高教・東下り)、東郷久義(赤埴源蔵重賢)、山本礼三郎(堀部安兵衛武庸)、佐久間八郎(不破数右衛門正種)、英まさる(近松勘六行重)、坂本二郎(富森助右衛門正因)、沢村錦之助(倉橋伝助武幸)、武井龍三(武林唯七隆重)、天野刃一(大高源吾忠雄)、八雲燕之助(吉田沢右衛門兼貞)、鈴木京平(矢田五郎右衛門助武)、片岡千恵蔵(萱野三平)、市川谷五郎(小野寺幸右衛門秀富)、川島清(杉野十平次次房)、藤岡正義(大石瀬左衛門信清)、牧光郎(村松三太夫高直)、有村四郎(奥田貞右衛門行高)、小金井勝(間十次郎光興)、松坂進(磯貝十郎左衛門正久)、市原義雄(岡野金右衛門包秀)、マキノ登六(間新六)、久賀龍三郎(勝田新左衛門武堯)、潮龍二(間瀬孫九郎正辰)、マキノ梅太郎(矢頭右衛門七教兼)、尾上松緑(大野九郎兵衛)、大谷万六(勅使 玉虫七郎右衛門)、徳川良之助(勅使 近藤源八)、守本専一(勅使 藤井彦四郎)、荒尾静一(勅使 早川宗助)、高山久(勅使 田中清兵衛)、嵐冠三郎(豊田八太夫)、尾上延三郎(豊田庄助)、玉木悦子(浅野後室瑤泉院)、花岡百合子(戸田の局)、石川新水( 大石の室お陸)、マキノ智子(早水藤左衛門の娘千賀)、松浦築枝(浮橋太夫)、渡辺綾子(軽藻太夫)、住ノ江田鶴子(吉野太夫)、三保松子(女中お梶)、河上君江(吉良の侍女妙香)、水谷蘭子(そばやの姉お富)、岡島艶子(三平の新妻露野)、鈴木澄子(清水一角の姉)、大林梅子(吉良の間者お梅)、五十川鈴子(浮橋の引舟芳子)、都賀静子(浮橋の引舟田毎)、広田昴(百足屋与助)、玉木潤一郎(具足屋為五郎)、大岡怪童(研屋伝九郎)大国一郎(狂人荒物屋千五郎)・・・(嗚呼、記すのにくたびれてしまった!)
 
 まさに忠烈と言うよりは壮絶、文字通り錚々たるメンバーだが、特別の人物を除いて、彼ら一人一人を映像の中で識別することは困難であった。また当初のフィルムは消失しているので再編集後は登場しない人物もあるだろう。筋書き以上に、私の知る俳優が、どの役で、どの場面に登場するか、興味津々で鑑賞することができた。嵐長三郎(後の嵐寬壽郞)、片岡知恵蔵、月形龍之介、尾上松緑、山本礼三郎といった面々に注目する。松の廊下で、手負いの吉良上野介を罵倒する脇坂淡路守を演じた嵐寬壽郞、赤穂城内大評定での大野九郎兵衛・尾上松緑の姿はハッキリと確認できたが、片岡知恵蔵、月形龍之介、山本礼三郎は「どこでどうしているのやら」、ぼうとして見極められなかった。でも、それでよい。パズルのように何度でも観て「発見する」喜びが増えたのだから。
 一方、面白いことに、全く知らなかった俳優が忽然と現れた。大石主税を演じたマキノ正博(後のマキノ雅弘)である。主役の大石内蔵助と絡むので出番は多く、否が応でもその姿が印象に残るという仕掛け、なるほど、この映画をリメイクしたのは彼自身なのだから、(自分の出番を多くしたいという気持ちも察しられ)「さもありなん」と妙に納得してしまった次第である。
 いずれにせよ「実録」と銘打っているのだから、この物語は史実に近いかもしれない。(ただし、立花左近は架空の人物である)
 松の廊下で内匠頭が一人仲間はずれ、身の置き所もなく「これからどうすればいいか」、上野介に教えを乞う場面は真に迫っていた。以後、数多く作られた「忠臣蔵」映画の原点として貴重な役割を果たしていることは間違いない。
 さらに言えば、マキノ省三の映画は「あくまで芝居を映す」(1スジ 2ヌケ 3ドウサ)ことが基本、その伝統は1960年代の任侠映画「日本侠客伝」シリーズまで受け継がれていると、私は思う。
(2017.1.15)



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2018-11-03

付録・邦画傑作選・「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)

 ユーチューブで映画「愛の世界 山猫とみの話」(監督・青柳信雄・1943年)を観た。戦時下における教育映画の名作である。
 主人公は、小田切とみ(高峰秀子)16歳、彼女の父は行方不明、母とは7歳の時に死別、母が遊芸人だったことから9歳の時、曲馬団に入れられた。現在の保護者は伯父になっているが折り合いが悪く、放浪を繰り返し、警察に度々補導されている。性格は強情、粗暴で、一切口をきかない・・・、ということで少年審判所に送られた。その結果、東北にある救護院、四辻学院で教育を受けることになる。彼女の身柄を引き受けに来たのは(新任の)山田先生(里見藍子)。市電、汽車、バスを乗り継いで学院に向かうが、とみは口を閉ざしたまま山田先生の話しかけに応じようとしないばかりか、「隙あらば逃げだそう」という気配も窺われる。事実、高崎駅で先生が水を汲みに行き戻ると、とみの姿は消えていた。あわてて探せばホームに立っている。「小田切さーん」と呼びかけられ、走り出した列車に飛び乗るという離れ業を演じる始末、ようやく学院の門前まで辿り着き、先生が「疑って悪かったわ、何でも悪い方にばかり考えてしまって・・」と言った途端、今度は本当に逃げ出した。道を駆け下り、畦道伝いに、田圃、叢を抜け、沼地へと逃げていく。必死に追いかける先生もまた走る、走る。とみは沼地に踏み込み、ずぶ濡れ、先生もずぶ濡れになって後を追う。「捕まえる」というよりは「助ける」ために・・・。やがて、とみの行く手には高い石垣が待っていた。万事休す、キッとして先生を睨むとみ。しかし、先生は意外にも、その場(水中)にしゃがみ込み泣き伏してしまった。とみは逃走を断念する。 かくて、とみは学院の一員となったが、「無言の行」は相変わらず、誰とも言葉を交わさない。院長の四辻(菅井一郎)は「初めはみんなそうだ、そのうちに必ずよくなる」と確信、山田先生を励ますが、とみの強情、粗暴は変わらず、院生とのトラブルは増え続ける。「親切にされると、下心があるんじゃないかと疑い深くなるものだ。彼女の乱暴は、身を守る手段なのだ」という院長の言葉は、現代にも通じる至言だろう。
 院生たちの不満は、一に、新参のとみが心を開かないこと(緘黙を貫いていること)、二に、そうしたとみを院長が許容していること、三に、山田先生がとみだけを可愛がっていることに向けられる。とみには「山猫」という異名がつけられた。とりわけ、とみにつらく当たるのは足を引きずる年長の院生(配役不明・好演)、院生の間では一目置かれているボス的存在である。裁縫の時間に、彼女が山田先生をからかう言動を目にして、とみは彼女に掴みかかり「組んず解れつ」の大暴れ。その夜とみは、四辻院長が「あの子が他人のために乱暴したのは初めてだ。大変な変化だよ、もうあんたとあの子は他人ではないということだ。ますます他の子どもたちはあなたに当たってくるだろう」と話しているのを盗み聞き、山田先生が自分のために苦しんでいることを知る。翌日、音楽の授業ではとみが歌わないので、院生たちは全員歌うのを止めて抵抗する。件のボスが「歌わなくていいのなら私も歌うのはいやです!」と言えば山田先生はなすすべもなく職員室に引き下がる。すっかり自信を失った山田先生に、四辻は「あなたは彼女を愛してさえいればいいんだよ、責任は私がとる!」、四辻の妻も「誰もが経験することなのよ」と慰めたのだが・・・。院生たちが「大変です!小田切さんが逃げました」と駆け込んで来た。とみはボスと一対一で決着をつけ(相手を叩きのめし)脱走したのである。
 院長は直ちに駐在所、駅その他の機関に連絡、捜索を始めたが、とみの行方は杳として知れなかった。それもそのはず、彼女は人里を避け山奥に向かっていたのだから。その晩は嵐、恐怖を乗り越えて翌日、一軒の小屋に辿り着いた。粗末な部屋に人の気配はない。しかし、囲炉裏には鍋が吊され雑炊が煮えている。思わず、それを口にするとみ。やがて人の気配がした。物陰に隠れて見ていると、「そろそろ出来ている頃だぞ、ああ腹減った」
と言いながら子どもが二人入って来た。茶わんが一つ足りない。「あれ?誰かが食った」「ヤダイ、ヤダイ、ヤダイ・・・」という様子を見て、とみが姿を現し、初めて言葉を発した。「あたいが食べたんだよ、昨日一晩中、山の中にいてたまらなくおなかが空いていたもんだから。ごめんよ」と謝る。
 子ども二人は、勘一(小高つとむ)、勘二(加藤博司)という兄弟で、母親を亡くし、猟師の父親松次郎(進藤英太郎)が権次郎という熊をしとめに出かけている間は、二人きりで留守番をしているのだという。
 その日の夜も嵐、強風から小屋を守る兄弟に「ボンヤリしていないでつっかえ棒を持って来いよ」と言われたり、翌朝には「味噌汁に入れるマイタケを採りに行こう」と誘われたり、牧場の裸馬に乗って見せたり、父が居ないと寂しがる勘二に逆立ちをして笑わせたり、勘一から「姉ちゃん、父ちゃんが戻るまで一緒にいてくれよな」とせがまれたり・・・、ようやく、とみは「身の置き所」を見つけたようだ。しかしその安穏はいつまでも続かなかった。米櫃の米が底をついたのだ。やむなく、とみは、村から食料を盗み出すようになっていく。村人からの訴えが相次ぎ、「山猫」という異名は村人たちにも及ぶ始末、事態を憂慮した駐在(永井柳筰)や山田先生は、応援を率いて、山狩りをすることになったのである。
 追っ手が迫って来た。とみは兄弟に盗んできたイモを渡し「すぐに戻ってくるから、これを食べていなさい」と言うが、「ヤダイ!姉ちゃんと一緒に行くんだい」と抱きつかれた。もうこれまでと、とみは兄弟を連れて脱出する。折しも父・松次郞が戻って来て、山田先生、捜索隊と鉢合わせ。「山猫が子どもたちを掠って逃げた」という声に、松次郎は仰天、銃を持って追おうとする。「待って下さい、落ち着いて。あの子がそんなことをするはずがありません」「山猫とは誰なんだ!」「私の娘です」、という山田先生の言葉を振り切って松次郎は駆けだした。必死でその後に続く山田先生・・・、森の中で一発の銃声が聞こえた。思わず倒れ込む山田先生。やがて、兄弟が松次郎を見つけた。「父ちゃん!」と駆け寄ってすがりつく。両手でしっかりと兄弟を抱きしめる父、その光景を呆然と見つめるとみ、力なく歩き出し、倒れている山田先生を見つける。「先生!」と叫んだが反応がない。もう一度、揺り起こして「先生!」と呼ぶ。気がついた先生、一瞬、逃げ出そうとするとみを捕まえて、ビンタ(愛の鞭)一発。とみは先生の胸に飛び込んで泣き崩れた。
勘一と勘二が父・松次郎の懐に飛び込んで、その温もりを感じたように、とみもまた山田先生の「一発」に母の愛を確かめることができたのだろう。二人は抱きしめ合いながら、心ゆくまで泣き続ける・・・。 
 大詰めは、四辻学院の農作業場、晴れわたった大空の下、「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷の・・・」という歌声の中で、院生、院長、山田先生らが、溌剌と鍬を振るい、斜面の畑を耕している。麓の方から「お姉ちゃん、お姉ちゃん」という声がした。勘一と勘二である。傍らには松次郎、駐在さんの姿も見える。思わず駆け降りる、とみ。山田先生にぶつかり「ゴメンナサイ」、走りながら「ゴメンナサイ」、最後に立ち止まり、振り返って院生たち全員に「ゴメンナサーイ!」。まさに「錦の衣はまとわねど 父と母との故郷」に向けた、とみの澄み切ったメッセージで、この映画の幕は下りた。
 戦時下の「国策映画」とはいえ、いつの時代でも、教育とは「愛の世界」に支えられなければ成り立たないこと、社会はつねに変動していくが人間の「愛」は永久に不変だということを心底から納得した次第である。(2017.2.3)



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2018-11-01

付録・邦画傑作選・「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)

 ユーチューブで映画「何が彼女をそうさせたか」(監督・鈴木重吉・1930年)を観た。この映画はフィルムが消失し永らく「幻の名作」と伝えられていたが、1990年代になってモスクワで発見され復元されたものである。私は高校時代、日本史の授業でその存在を知った。原作者・藤森成吉の名前もその時に受験知識として覚えたものである。タイトルが翻訳文体であることも特徴的であった。その「幻の名作」を今、観ることができるなんて夢のような出来事である。
 映画の主人公「彼女」とは中村すみ子(高津慶子)という薄幸な女性のことである。父の手紙を持って鉄道の線路をとぼとぼと歩く。疲れ果て行き倒れになる寸前、貧乏な車引き土井老人(片岡好右衛門)に助けられた。事情を聞くと、新田の町に住む伯父、山田寬太(浅野節)を訪ね、学校に通いたいと言う。老人は雑炊を馳走し、翌朝、すみ子を馬車に乗せて町に向かう。入口まで来ると「あれが新田の町だ、伯父さんの家は警官に訊くとよい」と送り出す。「ありがとう!、学校に行ったら遊びに行くね」と手を振って別れたが、伯父の家は「貧乏人の子だくさん」を絵に描いたような有様で、七人の子どもが犇めいている。すみ子から手渡された手紙を読むと、それは遺書。「この金ですみ子を学校に通わせて・・・」と書いてある。封筒からこぼれ落ちる数枚の札。伯父は驚いてその札を懐に入れようとするが、女房(園千枝子)も黙っていない。たちまち伯父夫婦のバトルが始まった。札を奪い合って火鉢の土瓶がひっくり返る、舞い上がる灰神楽、泣き出す赤児、その様子を見て 「また喧嘩が始まった、バンザイ、バンザイ」と面白がる子どもたちの風景は、まさにトラジ・コミックの典型であった。しかし伯父夫婦は、父娘の願いを無視して、すみ子を曲芸団に売り渡す。「早くおし!」と女房に急き立てられながら、すみ子は、父の手紙と土井老人からプレゼントされた銀貨だけは手放さなかった。曲馬団でのテント生活が始まる。彼女の役は、団長(浜田格)が投げるナイフの「的」、恐怖で失神するすみ子、でも優しい仲間が居た。彼女同様に売られてきた孤児たちである。なかでも、年長の市川新太郎(海野龍人)は頼りになった。団長は冷酷無比、団員たちを酷使し絞り上げる。団員たちが抗議しても受け入れない。「もう我慢できねえ」と彼らは決起して脱走した。すみ子も新太郎と一緒に逃げ出し、新太郎の姉が居る由井の町へと向かう。「ここまでくれば大丈夫」と一息ついたが、すみ子の体力は限界、一歩も先に進めなくなってしまった。新太郎は「道を確かめてくる、ここを動いちゃいけないよ」と言って立ち去った。待っていたのは「運命のいたずら」か、新太郎は自動車にはねられて病院へ・・・。1年後、すみ子の姿はある警察署の中にあった。詐欺師・作平(小島洋々)の手先をつとめ捕縛されたのだ。巡査部長は「可哀想な娘だなあ、お前は猿回しの『猿』のように使われたんだよ」と説諭、やがて作平も逮捕され、すみ子は私立の養育院に送られる。そこは老人と浮浪者の養護施設。ここでも人々は待遇の悪さに呻吟していた。母乳を十分に与えられず泣き叫ぶ赤ん坊を、見かねたすみ子が子守する。唄を歌いながら、優しかった土井老人、新太郎の面影を追ううちに、その心が通じたか赤ん坊はスヤスヤと眠りについた。感謝する母親。そんな時、事務員が来てすみ子の名を呼んだ。「お前は秋山県会議員の所へ女中に行くんだ」。羨ましがる周囲の人々、すみ子は「さようなら、赤ちゃん」と眠っている赤ちゃんの手を頬に当て涙ぐむ。一同に別れを告げ、風呂敷包み一つを抱えて養育院を出ていく彼女の姿はひときわ美しかった。
 だがしかし、秋山議員宅での女中奉公も長続きしない。わがまま娘の朝食の世話を任されたが、娘は出された魚の骨が刺さったと大騒ぎ、議員の細君(二条玉子)が「娘を殺す気か」などと怒鳴り立てる。その様子を笑って見ている床の間の布袋像は印象的、上流階級の幼稚さ・未熟さを暗示している。すみ子は娘の食べ残した魚を女中部屋に持ち帰り、毛抜きで骨を除く。女中頭に「お嬢様は御自分で骨を取らないんですか」と尋ねると「取るくらいなら食べないんですって」という答、「まあ、ずいぶん不自由な方ですね」という言葉に女中連中は大笑い、自分たちの遅い朝食を摂り始めた。そこに居住まいを正してやって来た細君、「奥の物を洗ってから食事をしなさい」「水が出しっぱなし」、すみ子が新香に醤油をかけるのを見て「香の物にはむらさきをかけてはいけません」等々、小言・雑言を浴びせまくる。最後にはすみ子に向かって「お前はこれまで随分不幸な目に会ったそうだが、養育院に比べ高価な魚を食べられて幸せだろ」と毒づいた。これまで堪え忍んできたすみ子、堪忍袋の緒が切れたか、キッとして「お魚ならいつも食べています!残り物なんか犬しか食べません」と言うや否や、持っていた皿を投げつけた。戸棚の硝子が割れて大きな穴があく。女中仲間は驚いたが、陰では応援している様子がよくわかる。かくて、すみ子は再び養育院に戻された。
 すみ子の次(三年後)の奉公先は琵琶の師匠(藤閒林太郎)宅。ある雨の日、何気なく窓の外を見ると、向こうの軒下で雨宿りをしている青年がこちらを見ている。「・・・すみちゃん?」その声は、あの時「運命のいたずら」で離れ離れになった新太郎だったとは・・・。新太郎は今、役者になって劇団「ことぶき」に居るという。居場所を教えて去って行った。すみ子に一筋の光が見えた。その夜、師匠の酒の相手をしていると、いきなり腕を掴まれ引き寄せられる。「何をするんです!」と振り払い、すみ子は一目散に新太郎の元へ走り去った。
 新太郎の貸間での新所帯が始まる。いそいそと炊事に取り組むすみ子、ようやく幸せの日々が始まったかに見えたが、帰宅した新太郎曰く「劇団との契約を取り消された」。知り合いにも金の工面を頼んだが「ツゴウツカズ」との返事。万策尽きた二人は心中を決意する。荒涼とした浜辺を彷徨う二人、近くには十字架のような棒杭が立ち並んでいる。二人の様子を訝る漁師たち。案の定、月の浜辺を後にして二人は入水する。「女が溺れているぞ!」、予期していた漁師たちが船を出して、すみ子を救出、彼女は修道院・天使園に収容される。「悔い改めよ、然らば、汝等は救はれん」「富める者の天国に入るは難し」という言葉を胸に、すみ子は神の子となったか。信仰生活に入ることを決意したすみ子がポプラ並木の下で聖書を読んでいると、まもなく退園する信者・島村かく(間英子)がやって来る。「あんたの亭主、生きていたってよ、私が出所して手紙を出してやるよ。早く手紙を書きなよ」「いえ、私は新しい生活に入ります」と断ったが、「心中までした相手を簡単に忘れてたまるもんか、いいから早く書いておしまいよ、走り書きでいいんだから・・・」。その誘惑に勝てず、すみ子は新太郎への手紙を認め、かくに託した。やがて礼拝が始まる。信者一同の前で園主(尾崎静子)いわく「島村かく姉妹は立派に悔い改め巣立ちます。お手本にしましょう」。式は無事終わったように見えたが、またまた「運命のいたずら」か、かくの懐から手紙がポトリと落ちた。見咎めた園主、「かくさん、お待ちなさい」と呼び止めて手紙を読む。「何てことを!あなたは神を欺いたのです。出所どころか懲戒房行きです」「どうか、お許しを!あれは頼まれたのです」、すべては後の祭り、一人残されたかくが絶叫する。「ああ、この子羊をお許し下さい!」。
 その数時間後か、園主がすみ子に問い質す。「あなたはこの手紙をかくさんに頼んだのですね」「はい、でもぜひ書けって言われたものですから」「嘘はいけません!自分の罪を他人になすりつけてはいけません。あなたは死んだのです。生きる屍です。汚らわしい男のことはは忘れなさい。今度の礼拝日に皆の前で悔い改めるのです。懺悔をしなさい」「それだけはできません」「耐えるのです、耐えて強くなるのです」「どうか勘弁して下さい」と謝ったが聞き入れらることはなかった。そして日曜の礼拝日が来た。園主はすみ子に懺悔を強いる。すみ子は動かない。園主は「よござんす、それでは私が告白します」と言って、すみ子の罪を暴露した。「あんなに謝ったのに神は許してくれないのか」、すみ子の信仰心は「怒り」に変わり、聖書を十字架に向かって投げつける。「神なんて嘘だ!」というすみ子の叫びが響き渡る。やがて夜が来た。激しい半鐘の音が鳴り響き、教会は炎に包まれる。混乱し逃げ惑う信者たち、現金を手に逃げ出す園主、狂喜して踊るすみ子、「ああ、赤い天使が舞っている、みんな天国へ、みんな天国へ・・・」
しかし、まもなく警官の手がすみ子をしっかりと捕まえる。「お前だな、火をつけたのは」「はい、私がつけました」という字幕の最後に「何が彼女をそうさせたか」という文字が浮かび上がりこの映画は終わった。
 すみ子という薄幸な女性の半生がリアルに描かれており、現代でも十分に説得力のある名作である、と私は思った。特に彼女を取り巻く人々の群像は人間的であり、土井老人、新太郎の「清貧」、養育院の面々の庶民的な「温もり」、曲芸団員の「連帯感」に、伯父夫婦、団長、議員細君、琵琶師匠、島村かく等に見られる「我欲」「冷酷」「俗情」、園主の「狂信」が対置される構図(演出)はお見事。また、伯父夫婦の子どもたちが見せる「喧騒」と「愛嬌」、布袋様にも笑われる議員の娘の「醜態」、議員細君に小言を食らう女中仲間の「表情」は喜劇的であり、トラジ・コミックなドタバタ風景も楽しめる。
 さらに言えば、主人公・中村すみ子の財産は「風呂敷包み」一つだけ、それが彼女の「無産」の象徴として、「清貧」「薄幸」の生き様を鮮やかに描出していた。 
 なるほど、「昭和5年キネマ旬報優秀作品第1位」にふさわしい名作であることを、あらためて確認した次第である。
(2017.2.1)



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2018-10-22

付録・邦画傑作選・「限りなき舗道」(監督・成瀬巳喜男・1934年)

 ユーチューブで映画「限りなき舗道」(監督・成瀬巳喜男・1934年)を観た。成瀬監督最後のサイレント映画である。舞台は東京銀座、カフェの女給二人が登場する。一人は島杉子(忍節子)、もう一人は中根袈裟子(香取千代子)。杉子はしとやかで控えめ、袈裟子は活発でドライと性格は正反対だが、仲良くアパートに同居している。隣の部屋には貧乏画家の山村真吉(日守新一)も居り、袈裟子に好意を感じているようだ。杉子には相愛のボーイフレンド・原田町夫(結城一朗)が居たが、故郷に縁談話があるようで、結着を迫られている様子・・・。ある日、カフェに映画会社・自由が丘撮影所のスカウトがやって来た。人気女優・東山すま子が急に引退を表明したので、その穴埋めを探しに来たのだ。四、五人の女給の中で白羽の矢が立ったのは杉子、翌日、出勤する杉子と袈裟子を待ち伏せしていたスカウト(笠智衆)が「女優になりませんか。今の10倍以上は俸給を払いますよ」と誘う。そういえば近々、杉子の弟(磯野秋雄)が上京、杉子と同居することになっている。袈裟子は早々に引っ越さなければならない、という事情もあって、杉子は女優業に食指が動いたか。出勤後、自由が丘撮影所に向かおうとして交通事故、走ってきた自動車にはねられてしまった。運転していたのは上流階級、山内家の御曹司・山内弘(山内光)。ケガは打撲傷、数日間の入院で済んだが、終始、見舞いを続けた山内が謝罪する。「こちらこそ、急いでいたので不注意でした。御迷惑をおかけしました」という杉子に心惹かれたか、杉子も山内の優しさ・誠意に絆されたか、加えて、入院中の杉子に連絡がとれなかった原田から離別の便りが届いたこともあってか、山内と杉子は「恋人同士」として結婚する。しかし、山内の母(葛城文子)や姉(若葉信子)は気に入らない。洋風、派手好き、上流階級の久山淑子(井上雪子?)を許嫁として迎えたかったらしい。何かにつけて杉子の振る舞いに「格が違う」と難癖をつける。 
 そんな折、袈裟子の方はちゃっかりと自由が丘撮影所と交渉、女優業に収まった。馴染みの画家・真吉にも撮影所の仕事を斡旋する。しかし羽振りのよかったのは初めだけ、近頃は「役がつかない」、真吉に向かって「あんたが近づくからだ」などと八つ当たりを始める有様だった。杉子と袈裟子、いずれも思い通りにならないのが人生・・・。
 いよいよ大詰めへ、姑、小姑の嫌がらせにじっと耐える杉子、彼女を守れずに苦しむ山内に「しばらくお暇をいただきます」と言って杉子は弟が居る元のアパートに戻っていく。事情を知った弟は「初めからこうなると思っていたよ。でもまた二人で働いて出直そう」と慰め励ます。自暴自棄になった山内は、杉子と幸せの時間を過ごした、思い出の箱根路を別の女とドライブ、「どこまで行くの?」と問われれば「俺はどこまでも突っ走りゃいいんだ!」、しかしその直後、転落事故を起こして重態に・・・。山内から家令(谷麗光)が迎えに来た。「世間体もありますのでお戻りください」。杉子は凜として「世間体のためならお断りします」。弟も断ったが「でも、お気の毒なあの人のためにお会いしましょう。私にはどうしてもお母さんやお姉さんに言いたいことがあるんです」。病室に行くと母と姉に囲まれて、山内は包帯姿でベッドの中、「杉子さん、弘はこんな姿になりました」という母の言葉をやり過ごして、杉子は山内の枕元に跪く。気がついた山内「杉さん、逢いたかった。僕は君を苦しめ通しだったね。でも心から君を愛している」と手を差し出せば、杉子も手を握り返し「でも私たちの愛だけではどうにもならないものがあるようです。あなたはいい方だけど弱かった」。その一言を最後に杉子は夫と決別した。母と姉に向かって「今日はお別れにまいりました。はっきり申し上げます。こんなことになってしまったのはみんなお母様とお姉様のせいです。お母様は初めから私を愛そうとはなさらなかった。」「それはひがみです」と姉が言い返せば「ひがみかもしれません。でもお母様が愛していたのは山内家という家名だったのです。それで母親と言えるでしょうか。それでいいのでしょうか」。うなだれる母、弘の呼ぶ声が聞こえる。立ち去ろうとする杉子に母が懇願する。「お願いですから弘のそばに居てやって下さい!」だがしかし、「私、失礼いたします」と言い残すと、杉子はドアの外に消え去った。まもなく山内の様態は急変し息を引き取る。しばし、杉子は廊下に佇んでいたが、哀しみに耐える強さが際立つ艶姿であった。サイレントとは言いながら、周囲の物音、人物の声が聞こえてくる名場面であったと私は思う。 
 ラストシーンは再び銀座、貧乏画家・山村が似顔絵の出店を出している。「ハイ、お弁当よ」とやって来たのは袈裟子、二人は結婚して貧乏生活を始めたようだ。「杉子さんが聞いたらビックリするだろうね」などと語り合う。杉子も元のカフェの女給に舞い戻った。自動車の運転免許を取り、仕事を見つけた弟も、愛車を見せにやって来る。「お茶でも飲んでいかない」と誘うが「少しでも、働かなくちゃ」、欣然と走り去った。見送りながら、ふと乗合バスに目をやると、座席には原田町夫の姿が・・・。うつむく杉子、通り過ぎる路面電車、歩く人々、車などなど賑やかな銀座の風景を映しながら、この佳品は「終」となった。 
 監督・成瀬巳喜男は「女性映画」の名手と言われている。なるほど、杉子、袈裟子、山内家の母、弘の姉、許嫁の久山淑子といった面々が見事な人間模様を描出している。上流家庭を守ろうとする女性たち、貧しくても幸せを求めてしたたかに生きる女性たち、その逞しさ・強さに比べて男たちは弱い。山内弘も原田町夫も「旧家」の家風(格)には抗えず、自らの人生を台無しにしてしまった。わずかに貧乏な山村だけが、ささやかな幸せを掴んだようだ。それにしても、最後、偶然に出会った原田と杉子、二人の今後の運命やいかに?「舗道」とは現代人が歩む道(人生)だとすれば、《限りなき》出会い、別離が繰り返されるであろうことも間違いない。(2017.1.30)



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2018-10-18

付録・邦画傑作選・「恋も忘れて」(監督・清水宏・1937年)

 ユーチューブで映画「恋も忘れて」(監督・清水宏・1937年)を観た。横浜のホテル(実際はチャブ屋)で働く一人の女・お雪(桑野通子)とその息子・春雄(爆弾小僧)が、様々な「仕打ち」を受ける物語(悲劇)である。
 筋書きは単純、お雪はシングルマザー、一人息子の春雄(小学校1年生)を立派に育て上げようと、水商売に甘んじている。しかし、その生業が災いして春雄は孤立、かけがえのない命を落としてしまう。それだけの話だが、見どころは満載、寸分の隙もない演出が見事である。
 その一は、女優・桑野通子の「魅力」(存在感)である。冒頭、港町の路地を、お雪が日傘を回しながら歩いていると、向こうから春雄の上級生・小太郎(突貫小僧)が駆けてきた。呼び止めて「坊や、坊や、ウチの春坊は?」と問いかけると「春坊?オレは春坊の守っ子じゃあねえやい」と過ぎ去った。その後姿を見送りながら「・・憎っくいガキだね」と呟く。その一言で、お雪の素性が露わになる。すれっからしの商売女、金に不自由はしないが、世間からは受け入れられていない。お雪は世間と闘っているのである。その足で職場に赴くと、女給連中を集めて、上司のマダム(岡村文子)に談判(団体交渉)をする気配である。「借金に縛られた上、衣装は自前、食事も自前、これじゃやっていけないわ。衣装代の半分くらいは払ってもらおうよ。もしダメなら、お客さんの飲んだビール代から何割か回してもらおうよ」。一同は大賛成、早速マダムと掛けあうが、マダムの回答はゼロ、「そんな言い分があるんなら、観光船のいい客ばかりでなく、油に汚れた石炭臭い連中にもっとサービスして、客を増やさないか。イヤなら辞めてもらっていいんだよ」。一同はがっかり、お雪は「あたし、今日は休むよ」と、プイと帰宅してしまったが、春雄の姿を見ると「やっぱり稼がなくては」と思い直し、ホテルに戻る姿がいじらしい。また、春雄をいじめから守ろうと転校させる。連れだって登校する途中で、春雄が「もういいよ、自分一人で行けるから」「どうして?」「もう、大丈夫だよ」、自分の派手な洋服姿がまずかったのかと帰宅して、しみじみと鏡を見つめる姿も「絵になっていた」。外に向かっては突っ張り、子どもに対しては優しい母性愛、そのコントラストを桑野通子は鮮やかに描き出すのである。加えて、用心棒・恭助(佐野周二)との「色模様」も格別、あくまでも、あっさりと淡泊に、まさに「恋も忘れて」男を惹きつけるのである。
 その二は、春雄を演じた爆弾小僧と、彼を目の敵にして虐める小太郎役・突貫小僧の「対決」である。船着き場の倉庫が彼らの遊び場だ。春雄がロープを吊したブランコに乗っていると、小太郎がやって来て「誰に断って乗ってるんだ、お前この頃生意気だぞ」「誰にも断らないよ」「オレに断ってもらいたいね」「お前に断ればダメだっていうだろ、だから断らないよ」「ああ、そうか」という《やりとり》で二人の対立が始まった。体力的には明らかに小太郎の方が優っている。しかし、春雄は負けていない。小太郎はブランコを独占、下級生に押させていたが、春雄が「オーイ、みんなウチに来ないか、お菓子ごちそうしてやらあ」と呼びかけると、「何、菓子がある?行ってやらあ」と真っ先に反応したのは小太郎、二階のアパートに続く階段で、下級生が昇ろうとすると「オレが先頭だ」と押しのける、先頭の春雄が「オレは?」言うと「お前はいいよ」と先頭を譲る。どこか抜けていてユーモラスな小太郎の風情は格別であった。部屋に入ると洋風のきらびやかな景色に「お前のウチ、金持ちだなあ」と小太郎は驚く。春雄は得意になって「この、母ちゃんの香水かけてやらあ、高いんだぞ」と、みんなの洋服に香水を振りまいたのだが・・・。翌日、みんなは「家に帰って怒られちゃった。あんなお母さんの子どもとは遊んではいけない」と口々に言う。かくて、春雄は孤立、転校の身となった。そこでも新しい友だちができかかるが、小太郎が邪魔をする。春雄は学校をサボって海に行く。そこで中国人の子どもたちと仲良くなり、倉庫の遊び場に誘ったが、またまた小太郎が登場、追い払われてしまった。この小太郎と春雄の「対決」が悲劇を招くことになるのだが・・・。
 その三は、ホテルの用心棒・恭助(佐野周二)のダンディ気質である。彼は、マダムに指示されて、お雪の動向を監視する。最近、女給のB子が神戸にドロンしようとして発覚したばかり。つきまとう恭助に向かって、お雪は「毎日、御苦労ね。部屋に入って休んでいかない?向こうの《灘の生一本》があるわよ」。恭助はお雪の部屋に入る。ベッドで寝ている春雄に目をやると、「可愛いでしょ、あたしの子どもよ。この子を立派な大人に育てることが生きがいなの」「可愛いなあ、可愛いってことが何よりの親孝行だよ」。お雪から舶来のウィスキーを注がれて一気に飲み干すと「それじゃあ、失敬する」「もう一杯どう?」黙って、二坏目を飲み干すと「サヨナラ」と言って出て行った。思わず、「カッコいい」と唸ってしまう名場面であった。
 観光船が入ってきた。ホテルは外人客で大賑わい、お雪も外人客と踊っていたが、この客がしつこくて離さない。「離して!」と悲鳴を上げると、恭助が飛んで来てその外人客を殴り倒す。その場はおさまったが、マダムは怒り心頭「大事なお客に何てことするんだい、もうお前は用無しだよ」。夜の道をお雪と歩きながら「悪かったな」「あたしは嬉しかったわ。あたし一人のために助けてくれたの」「あんたの坊やのためだよ」「ますます、嬉しいわ」・・・「じゃあここで失敬するよ」「ウチに寄ってかない」「向こうの《灘の生一本》はあるかい」「まだ残っているわよ」。そして部屋の中、眠っている春雄を見つめながら「あんたも、この子のために早く足を洗うんだな」「まだ、借金があるの。それともドロンしろって言うの?私を連れて逃げてくれるの?」。まじまじと見つめ合う二人・・・、「まあ、よく考えておくよ」と行って恭助は立ち去った。波止場に「人夫募集」という貼り紙があった。恭助はカムチャッカ行きの船に乗り込むことを決意したのである。
 そのことを知らせに、恭助がアパートに行くが誰もいない。「書き置き」をして帰ろうとすると、ずぶ濡れの春雄がドアを開けるなり、倒れ込んで来た。驚いてベッドに運び込む。春雄は今日一日、雨の中をさまよい、例の倉庫に居たところを、小太郎に見つかり叩き出されて来たのだ。「坊や、しっかりしなきゃダメだよ」と励ますうちにお雪も戻って来た。医者を呼んで診察してもらう。「雨に濡れたんでしょう。これ以上発熱すると肺炎になるおそれがあります。安静にしてください」。恭助はホッとして、「春坊、ケンカに負けたんだろう」「お母ちゃんの悪口を言うんだもの」「お母ちゃんの悪口を言う奴なんてやっつけてやるんだ。男は強くならなくちゃ」「負けるもんか」という言葉を聞き、恭助は最後に「強くならなくちゃダメだぞ」と念を押して帰って言った。
 お雪が、ふと茶だんすに目をやると「書き置き」が貼られていた。「逃がしてることも、連れて逃げることもできない。俺は大手を振ってお前を迎えに来る」と書かれてあった。
 その四は大詰め、お雪は春雄を入院させるために、マダムに借金を依頼、家に戻ると春雄が居ない。あちことと探し歩き、やっと倉庫を探り当てた。春雄は恭助に「負けるもんか」と言い、「強くならなくちゃダメだぞ」と言われた「約束」を果たすために、小太郎に一騎打ちの闘いを挑んだのである。二人は「組んずほぐれつ」争ったが、最後は、春雄の「噛みつき」が功を奏して、小太郎は泣き出し逃げ去った。しかし、春雄の体力の消耗は激しく、容体は急変して息を引き取る。お雪は激しく泣き崩れた。亡お骸に向かって「坊や、お母ちゃんのために闘ってくれて、本当にありがとうよ。だけど、どうしてもう少し我慢してくれなかったの。もう少し我慢してくれれば、きっと恥ずかしくない立派なお母ちゃんになって見せたのに・・・これからお母ちゃんは独りぼっち、どうすればいいいの」と語りかける。やがて恭助がやって来た。変わり果てた春雄の姿を見て呆然、「春坊、カムチャッカの漁場で3年働くことにしてきたんだ。これじゃどうにもなんねえじゃねえか。遅かった」と跪いて涙ぐむ。・・・「でも、春坊。俺、行ってくるよ」と立ち上がり、お雪に「しばらくのお別れだ。これで足を洗いなよ」と封筒を差し出す。「こんなことまでしてくれなくても」とお雪が拒めば、「お前にやるんじゃない。坊やにやるんだ」と、封筒を亡骸の傍に置く。
 それ以上、何も語らずに恭助は去って行った。お雪はなおも激しく泣き続けるうちに、「終」を迎えた。何ともやるせない結末である。
 この映画の眼目は、水商売を稼業とする男や女に対する「偏見」の描出(告発)であろうか。その偏見は子どもの姿を通して現れる。小太郎は春雄に対しては「あんなお母さんの子と遊んではいけないと親に言われた」「お前と遊ぶと親に叱られる」と言い、転校先の子どもには「こいつと遊ぶと親に叱られるぞ」と助言する。子どもたちの背後には、(健全な)堅気の親が厳然と存在しているのだが、彼らは姿を現さない。小太郎たちも芯から春雄を憎んでいるわけではないだろう。親の「偏見」が子どもをコントロールしているのである。それは親の見えない圧力である。「あんな」という一言で済ます圧力である。春雄もまた「母親のために」闘った。その契機が恭助の「おだて」(圧力)だったとすれば、恭助の責任も重い。いずれにせよ、大人同士の「偏見」が子どもに波及し、子ども同士もまた「対立」を余儀なくされるという構図が「悲劇的」なのである。(この映画では)大人同士の対立は「利害」に絡むだけで済むが、子どもの世界では切実・深刻である。友だちができない、ということは自分の存在理由を失うことに等しいからである。春雄は必死に友だちを求め、ようやく中国人の友だちを見つけたが、彼らもまた社会から疎外される存在、追い払われる他はなかったのである。
 監督・清水宏は、「子供をうまく使う監督」として有名だが、この作品もまた、大人以上のドラマを展開している。中でも、春雄役・爆弾小僧(横山準)、小太郎役・突貫小僧(青木冨夫)の「雌雄対決」は見応えがあった。お雪は春雄の亡骸に「どうして、もう少し我慢ができなかったの」と語りかけたが、それが子どもというものである。大人は我慢できるが子どもはできない。そのことを誰よりも理解しているのが、監督・清水宏に他ならないと私は思った。
(2017.6.17)



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2018-10-05

付録・邦画傑作選・「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)

 ユーチューブで「恋の花咲く 伊豆の踊子」(監督・五所平之助・1933年)を観た。タイトルに「恋の花咲く」という文言が添えられているように、この作品は川端康成の原作を大きく改竄している。それはそれでよい、むしろその方が映画としては面白かった、と私は思う。主人公の学生・水原(大日向伝)は原作の「私」とは似ても似つかない快男児・好青年として描かれていた。水原が伊豆を旅して巡り合った旅芸人たちとの「絡み」と「行程」はほぼ原作を踏襲しているが、随所、随所に伏見晃の脚色が加えられている。その一、冒頭に登場するのは、自転車を全速力で走らせる一人の警官、伊豆の温泉町にある旅館・湯川楼の内芸者が借金を踏み倒して逃亡したと言う。村人に目撃者がいないかを尋ねているところに、かつて湯川楼に出入りしていた鉱山技師・久保田(河村黎吉)も加わり、金鉱の山を買って大儲けした湯川楼の噂をする。その二、ある村の入口で、一人の虚無僧が立札を見ている。「物乞い旅芸人立ち入るべからず」と書かれている。彼は立札を引き抜き倒して立ち去った。その様子を見ていた村の子どもたち。後から来た旅芸人の娘(薫・田中絹代)が倒されている立札に気づき手にしたところを村人から咎められる。「役場に来い」などと言われ娘の兄(永吉・小林十九二)が無実を主張し小競り合いが始まった。そこに通りかかったのが水原で、村人に「引き抜いた所を見たのか」と確かめる。「あたい見たよ」と証言したのは村の子ども、「さっき尺八吹きの男が引き抜いたんだ」。かくて旅芸人一同の窮地は救われた。以後、水原と旅芸人の旅程が始まったのである。その三、湯川楼という旅館は、水原の先輩・隆一(竹内良一)の実家、主人の善兵衛(新井淳)は永吉の父とも懇意にしており、旅芸人になった永吉、薫たちの後見人という立場であった。永吉の父から買った山から金鉱が出たが、儲けた金の一部は薫名義で貯金している。ゆくゆくは堅気の生活に戻して、薫を隆一の嫁にしたいと思っている。その四、技師の久保田は湯川楼の繁盛振りを見てなにがしかの現金を強請り取り、永吉にもけしかける。「君はダマされたんだ。分け前を貰って一緒に金鉱を掘りてよう」。そそのかされて永吉は湯川楼に向かったが「金が欲しければ妹を連れてこい」と追い返された。その様子に義憤を感じた水原も湯川楼に談判に行くが、そこで善兵衛の真意が解るという次第。その五、大詰めの下田港、水原は《先輩・隆一のために》薫との恋を諦める、真意を打ち明け「このことは誰にも言ってはいけないよ」と念を押した。薫の櫛と水原の万年筆を「愛の形見」として交換する。
 以上は、川端康成の原作にはない「脚色・演出」である。まさに「文学」と「映画」(演劇)の違いが際立つ、傑作に仕上がっていたと、私は思う。加えて、見どころも満載。二十代の田中絹代が演じる薫の姿は天衣無縫、おきゃんで惚れっぽい娘の魅力が存分に溢れていた。大日向伝の「侠気」もお見事、さらに温泉宿には遊客・坂本武、芸妓・飯田蝶子までが登場、旅芸人・小林十九二と「剣舞・近藤勇」を競演する場面は抱腹絶倒、悲・喜劇を同時に味わえる逸品であった。
 この作品は、「伊豆の踊子」映画化の第一作である。以後、薫役の美空ひばり版(1954年)、鰐淵晴子版(1960年)、吉永小百合版(1963年)、内藤洋子版(1967年)、山口百恵版(1974年)、早瀬美里版(1993年)が作られているが、それらの全てを見比べてみたい衝動にかられた次第である。(2017.1.28)



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2018-09-20

付録・邦画傑作選・「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)

 ユーチューブで映画「滝の白糸」(監督・溝口健二・1933年)を観た。原作は泉鏡花の小説、昭和世代以前には広く知れわたっている作品である。
 時は明治23年(1890年)の初夏、高岡から石動に向かう乗合馬車が人力車に追い抜かれていく。乗客たちは「馬が人に追い抜かれるなんて情けない、もっと速く走れ」と、馬丁・村越欣弥(岡田時彦)を急かすが、彼は動じずに、悠然と馬車を操っている。乗客の女、実は水芸の花形・滝の白糸(入江たか子)が「酒手をはずむから」と挑発した。初めは取り合わなかった村越だったが、あまりにしつこく絡むので、それならと鞭一発。馬車は狂ったように走り出す。たちまち人力車を追い抜いたが今度は止まらない。馬車は揺れまくり、やっと止まった時には車軸が折れ、全く動かなくなってしまった。白糸は「文明の利器だというから乗ったのに、夕方までに石動に着くんでしょうね!」とからかう。村越はキッとして「姐さん、降りて下さい」と彼女を引きずり降ろし抱きかかえると、馬に乗り一目散、石動に向かって走り出した。他の乗客たちはその場に置き去りに・・・。
石動に着くと白糸は失神状態、霧を吹きかけて介抱すると村越は、再び高岡方面に戻って行った。気がついた白糸、その毅然とした振る舞いが忘れられない。傍の人に馬丁の名を尋ねると、「みんな欣さんと呼んでいますよ」。「そう、欣さん!」と面影を追う白糸の姿はひときわ艶やかであった。
 この一件で、村越は馬車会社をクビになり放浪の身に・・・、金沢にやって来た。月の晩、疲れ果て卯辰橋の上で寝ていると、すぐ側で興行中の白糸が夕涼みに訪れる。「こんな所で寝ているとカゼを引きますよ」と語りかければ、相手はあの時の馬丁・村越欣弥であったとは、何たる偶然・・・。白糸は村越の事情を知り、責任を痛感して詫びる。「私の名前は水島友、二十四よ。あなたの勉学のために貢がせてください」。かくて、その夜、二人は小屋の楽屋で結ばれた。翌朝、まじまじと白糸の絵看板に見入る村越を制して「見てはいやよ、こうして二人で居る時は、私は堅気の水島友さ!」という言葉には、旅芸人・滝の白糸の、人間としての「誠」「矜持」が込められている。
 東京に出た村越への仕送りは2年間続けられたが、「ままにならないのが浮世の常」、まして旅芸人の収入はたかが知れている。3年目になると思うに任せなくなってきた。加えて、白糸の「誠」は仲間内にも利用される。南京出刃打ち(村田宏寿)の女房に駆け落ちの金を騙し取られたり、一座の若者新蔵(見明凡太郎)と後輩・撫子(滝鈴子)の駆け落ちを助けたり・・・、で有り金は底をついてしまった。「欣さんはまもなく卒業、意地でも仕送りを続けなければ・・・」、白糸はやむなく高利貸し・岩淵剛蔵(菅井一郎)に身を売って300円を手にしたが、その帰り道、兼六園で待っていたのは岩淵と連んでいた出刃打ち一味、その金を強奪される。白糸は落ちていた出刃を手に岩淵宅にとって返せば「戻って来たな。こうなるとは初めから解っていたんだ」と襲いかかられた。もみ合う打ちに、岩淵は「強盗!」と叫んで床の間に倒れ込む。気がつけば白糸の出刃が岩淵の脇腹を突き刺していたのだ。彼女はその場にあった札束をわしづかみにして逃走する。行き先は東京、村越の下宿先。しかし、その姿はなく、再会を果たしたのは監房の中であった。 白糸は下宿を出るとすぐに捕縛され金沢に送られる。途中、汽車から飛び降り新蔵夫婦に匿われるが無駄な抵抗に終わった。出刃打にも岩淵殺しの嫌疑がかかり収監される。検事の取り調べに「あっしは白糸から金を奪ったが殺していない」。白糸は「出刃打から金を取られたことはありません」と否定する。監房の筵の上で、白糸は夢を見た。兼六園を村越と散策、わが子を抱いて池を見つめる。楽しい一時も束の間、まもなく看視に揺り起こされた。「新しい検事さんがお前と話をしたいそうだ」
 村越が検事に任官され金沢に赴任していたのだ。取調室で見つめ合う二人、「よく眠れましたか。食べ物は口に合いますか」と気遣う村越に、白糸は水島友にかえって「よく出世なさいました」と満面の笑みを浮かべた。もう思い残すことはない。これまで逃げたのも一目会いたいと思ったから・・・。「どうぞ取り調べを始めて下さい」「そんなことができるわけがない」とうつむく村越、二人の交情はそのまま断ち切れたか・・・。
 公判の法廷には村越検事が居る。滝の白糸こと水島友は、すべてありのままを証言し、自害した。お上の手を煩わせることなく、自らの身を処したのである。翌日、村越もまた、思い出深い卯辰橋でピストル自殺、この映画は終幕となった。 
 女優・高峰秀子は、戦前の女優で一番美しかったのは入江たか子であったと、回想したという。なるほど、滝の白糸は美しい。容貌ばかりでなく、鉄火肌、捨て身の「誠」が滲み出る美しさ、姐御の貫禄、遊芸の色気、温もりを伴った美しさなのである。それは、村越が下宿の老婆に「姉さんから仕送りをしてもらっている」と話していたことからも瞭然であろう。もとはと言えば、自分の悪ふざけが村越の運命を狂わせた、その償いのためだけに彼女は生き、死んで行ったのである。その「誠」を知ってか、知らずか村越も後を追う。「女性映画」の名手・成瀬巳喜男は「女のたくましさ」を描出することに長けている。一方、「女性映画」の巨匠・溝口健二が追求したのは「女の性」、(成瀬に向けて)「強いばかりが女じゃないよ」という空気が漂う、渾身の名作であった、と私は思う。お見事!  (2017.2.5)



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2018-09-14

検証・掘り出し番組・《テレビドラマ「相棒」の魅力は“あわん”の呼吸》

 テレビドラマ「相棒」(テレビ朝日)の面白さは、登場人物相互の「呼吸」にある、といっても過言ではないだろう。その「呼吸」とは、まさに《阿吽》にあらず、《あわん》(合わない)の呼吸なのである。代表は、杉下右京(水谷豊)と亀山薫(寺脇康文)、一方は、細かいことが気になる「冷徹な頭脳派」、他方はアバウトな体育会系の「人情派」、周辺にも、亀山と伊丹(川原和久)、杉下と小野田(岸部一徳)、亀山と美和子(鈴木砂羽)、杉下とたまき(益戸育江)等々・・・、役者は揃っている。したがって、私の興味・関心は、もっぱら、その「呼吸の乱れ」に注がれ、肝腎の「筋書き」は、ほとんど思い出せない有様だが、ただ一本、記憶の留まる作物があった。「Season5第七話・剣聖」(監督・西山太郎)である。それも、物語とは無関係の場面、道場で亀山と伊丹が剣道の稽古をしている。亀山は「体力にものをいわせて」、果敢に「打ちかかる」が、伊丹には通じない。伊丹、頃合いを見計らって亀山を打ちのめし、一言「未熟者めが!」。それを見ていた杉下曰く「亀山君、無駄な動きが多すぎますねえ」。亀山、憤然として「ろくに稽古もしていない右京さんに言われたくねえ・・・」と(心中で)抗う。話は進んで、事件は一件落着。容疑をかけられた女流剣士・師範代ふみ(原千晶)の疑いも晴れ、亀山、ふみに向かって曰く「一つ手合わせをお願いします」。亀山、相手が女だと過信してかかったが、「腕の違い」を見せつけられて完敗した。ふみ曰く、「無駄な動きが多すぎます」。亀山、冷笑している杉山に、「一矢報いたい」と思ったか、「では、今度は右京さんにもお願いします」。杉下、慌てずに、ふみと対戦。両者、間合いを取り合っていたが、ふみが一瞬踏み込んだとき、彼女の刀は宙高く舞上げられていたのであった。杉下、最後に一言「ボクは一点集中主義ですから、その技だけを稽古していたのです」。平然としている杉下を、呆然と見つめる亀山のコントラストが鮮やかで、その光景(シーン)は今でも私の目に焼き付いている。その後、杉下右京の相棒は、神戸尊(及川光博)に交代した。この神戸も魅力的である。亀山と違って「知的な頭脳派」、さぞかし杉下とは「呼吸が合いそう」だが、そうは問屋が卸さない。「知的」ではあっても「冷徹」ではないのである。容貌は「イケメン」、文字通り「甘い」空気を漂わせているが、その「甘さ」が「青さ」となって、杉下(と)の「呼吸」を乱してしまう。その典型的事例は、「Seasonn9・第11話・聖戦」(監督・和泉聖治)に見られる。あらすじは、以下の通りである。〈消費者金融の営業担当・折原が自宅に仕掛けられた爆弾で殺害された。犯人は妻の夏実(白石美帆)と娘の旅行中を狙い、リモコンで爆弾を爆発させたらしい。容疑者として、12年前、折原のバイク事故で息子を失った寿子(南果歩)が浮上。が、夫の病死後、パートをしながら質素に暮らす寿子に爆弾など作れるとは思えない。伊丹(川原和久)らは早々に寿子を容疑者リストから外す。一方、右京(水谷豊)と尊(及川光博)は、犯人がリモコンを操作したと思われる現場で割れたビスケットを拾う。右京と尊は寿子の自宅を訪ねるが、お茶菓子に公園で拾ったものと同じビスケットが。さらに散乱する工具を確認し、右京らは寿子が犯人だと確信する。が、犯行を裏付ける証拠が見つからない・・・。やがて折原の大学時代の友人・江上が容疑者として浮上。江上の自宅から爆弾で使用された物質も発見された。右京と尊の推理は間違っていたのか、それとも寿子が想像以上の知能犯なのか・・・?〉(http://www.tv-joho.com/aibou914.htmlより引用)視聴者(私)は、誰が犯人か、知っている。冒頭の場面で、すでに「犯行現場」を目撃しているのだから。しかし、登場人物の面々は、寿子を除いて誰も知らない。捜査陣の「右往左往」を、居ながらにして楽しめる趣向である。この「手」の作物は、「刑事コロンボ」「古畑任三郎」などでお馴染みだが、とりわけ南果歩の「迫真の演技」が光っていた。息子は、幼い頃から病弱、健康を取り戻した学童期、思春期は「虐め被害」に遭って「閉じこもり」、成人して、ようやく「社会自立」(就職)の希望が見え始めた矢先、突然、命を奪われた。同時に、母・寿子の希望も絶たれ、加害者への「復讐」だけが、生きる目的になる。そのためなら何でもする。誰も怖くない。と、いった(独りよがりの)「母性」が、杉下と神戸を手こずらせる。その駆け引きを、杉下は「ゲーム」と評したが、寿子は、「ゲーム(遊び)なんかではない、『聖戦』だ!」と宣った。やがて、業を煮やした神戸が「単独行動」に出る。事件の被害者・夏美と寿子を「直接対決」させたのだ。場所は寿子が働く食堂、客を装った夏美が、執拗に絡みつく。もみ合った拍子に盗聴器が転げ落ちた。それを拾った寿子、スイッチを切り、夏美を抱き寄せ、(魔女のように)耳元で囁いた。「最高の気分よ。アンタの旦那、バラバラにしてやった」。その勝ち誇った表情は、文字通り「阿修羅」の気配で、私の背筋は寒くなった。さて、事態は最悪、自らの失態に落ち込む神戸を、慰めるでもなく「淡々」と「冷徹」に、「向こう(夏美)が、丸く収めなければ、君の処分は免れないところですよ」と言い放つ杉下の風情は「相変わらず」であった。ここにも、「相棒」の《あわん》の呼吸が、ほの見えて、私はたいそう面白かった。単なる交通事故を発端に、殺人事件にまで展開した物語は大詰めへ、(息子との思い出の)山荘で自爆を覚悟した寿子、夏美の腹中に新しい生命が宿っていることを知り、「聖戦」を終結する。まさに「愛別離苦」に狂った鬼子母神の物語は終わったのだが・・・。さて、2013年、「相棒」の相手は、甲斐亨(成宮寛貴)に代わった。聞くところによれば、この相棒は、「香港旅行中に遭遇した事件をきっかけに右京と知り合い、右京に引き抜かれる形で特命係へ」(インターネット情報・「ウィキペディア百科事典」)着任した由、これまでのように《あわん》の呼吸を楽しむことは無理かもしれない。(2013.1.8)



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2018-09-08

花の歌謡絵巻・悲歌の女王・菅原都々子の《泣きべそ声》

 菅原都々子は、昭和2年(1927年)8月15日生まれ、今日で86歳を迎えた。
平成18年(2006年)に現役を引退したが、未だに、矍鑠として、老人福祉施設などでのボランティア活動を続けている。往年の歌声は望めぬとはいえ、傘寿をとうに過ぎたのに衰えを知らぬ「歌手魂」に、私は心底から脱帽する。
 さて、彼女が「歌手」を目指したのは小学校3年の時、作曲家・古賀政男の養女になり、古賀久子という名で童謡歌手としてデビューした。当時の歌声をユーチューブで聴くことができる。曲名は「時計と鼠」(松坂直美・詞、南部鉄人・曲)、そして「銀笛と羊」(東條マリ子・詞、南部鉄人・曲)。いずれも、力強い、張りのある美声で、説得力がある。前者は「天衣無縫」な茶目っ気にあふれ(おそらく長調)、後者は、どこか「哀愁を帯びた」(おそらく短調)、もの悲しい空気が漂って、いずれも昭和前期の子どもの無垢な姿が、くっきりと刻まれている。やがて、その姿は「青葉の笛」(津山英雄・詞、堀内好男・曲、昭和11年)を経て、「ふるさとの山唄」(村松秀一・詞、陸奥明・曲・昭和18年)へと成長する。その歌声は、どこまでも「清純」で「透明」、加えて、その可憐・無垢な「節回し」が、私の心に染みわたる。彼女の父、作曲家・陸奥明の回顧(「私の愛する娘。都々子のこと」・テイチクレコード・『菅原都々子全集 想い出のエレジー』・昭和42年)によれば、古賀政男の養女になった契機が以下のように綴られている。(青森在住の父親から、都々子のテストを託された大川さんという人が)〈どうせだめだろうが一軒残っていテイチクへ行こうと娘を同伴して会社の門を叩いた。テイチクもやはり冷たい、ふと文芸部長が誰かに『その娘は』と問われほっとした大川さんは、私が依頼したテストの件を伝言した。後日知ったがその時は伴奏してくれたのが名ピアニストの杉原泰三氏、興味も手伝ったのだろう。都々子が歌った、ピアニストはじろりと睨み、もう一曲もう一曲歌わせ呆然として都々子を見詰める、その時ドカドカと二階からあわただしく降りて来たのが古賀政男先生。「もう一度歌ってごらん」と優しく望まれた。(略)二曲三曲と歌い終わった時先生はいきなり都々子を強く抱き締め「僕の探しているのはこの娘だ」と言ったそうだ〉。古賀メロディーのルーツは朝鮮歌謡にあると言われているが、そのルーツを見事に歌いこなせる娘こそ菅原都々子に他ならない、と古賀政男は確信したのであろう。事実、彼女が戦後ヒットさせた「連絡船の唄」(詞・大高ひさお、曲・金海松・昭和26年)、は朝鮮歌謡であった。また、「アリラン」「トラジ」などの朝鮮民謡も、彼女は自家薬籠中のものとして、見事に歌いこなしている。朝鮮歌謡を歌う日本人歌手は少なくないが、古賀政男が看破したように、曲想を描出する鮮やかさにおいては、菅原都々子の右に出る者はいないであろう。なぜか。まず第一に、彼女の「声」である。父・陸奥明はそれを「泣きベソ声」と評した。前出の「回顧」で以下のように述べている。〈元来娘の声は一風変わっている、友達の某作曲家も君は専門家であり乍ら何故正しい発声法を教えてやらないかと真剣に忠告された、これも又尤もである。事実その頃の女性歌手陣は十中九人までクラシックの正しい発声を身につけていてオペラ歌手にしたい人達だった。ただ娘をオペラ歌手にする積もりはなかった。あくまでも所謂時代の庶民の生活に迎合する流行歌手にしたいのが私の念願である。音色も平凡な上に変わっている。十人が十人素晴らしい声の中に一人変わった声があったら否でも応でも目立つだろ、節も自由自在なら鬼に金棒と私は信じたからだった。東海林太郎さんの歌声は波が荒いので目立った。何だあの声、素人とは言い乍ら聞いている方が恥ずかしくなる、流行歌手はあの程度かねと酷評した音楽評論家があった。一年経たぬ内に天下を取ったら東海林太郎はあれで良いのだと誉めた人が一年前に酷評した評論家だったそうだが、何だか書いていてもこんがらかる様な話だ。都々子も酷評を免れない音色である事は親父が一番よく知っているが、大衆は何を好むかその献立は種々雑多、曲とか詩に恵まれて味もついたら嫌いな人も好きになるのではないかと。この泣きベソ声がある時代を築き上げた唯一の武器となった一例をお伝えしたい〉。つまり、彼女の歌声は「庶民の生活に迎合した」平凡な音色だが、そこに「ウーウーと絞り出すようなバイブレーション」が加わることによって、オペラ歌手にはマネできない「味」が添えられているのである。第二は、「自由自在な節回し」であろう。父・陸奥明もまた、当初、大作曲家を目指したが浅草のオペラ生活になじむうち、「大衆の中の私という心境から」心機一転、童謡、義太夫、浪曲、民謡、俗曲の研究に没頭、「作曲」ではなく「巷の節作り」を標榜した由、この父にしてこの娘あり、父の作曲によるヒット作は「片割れ月」(詞・河合朗・昭和21年)、「踊りつかれて」(詞・河合朗・昭和23年)、「母恋星」(詞・荻原四朗・昭和24年)「佐渡ヶ島エレジー」(詞・荻原四朗・昭和27年)、「月がとっても青いから」(詞・清水みのる・昭和30年)、「セトナ愛しや」(詞・島田馨也・昭和31年)等々、枚挙に暇がない。加えて、平川波龍竜の「散りゆく花」(年不詳)、「憧れは馬車に乗って」(詞・清水みのる・昭和26年)、倉若春生の「江の島エレジー」(詞・大高ひさを・昭和26年)、安藤睦夫の「北上夜曲」(詞・菊地規・昭和36年)等々の名曲を残している。それらの曲調は多種多様、哀歌、悲歌はもとより、大陸風、アイヌ風、牧歌風、山の手風、青春歌に至るまで、文字通り「自由自在な節回し」が展開されているのだ。だが、待てよ、それにしても、彼女の幼い日、「都々子を強く抱き締め『僕の探しているのはこの娘だ』と言った、恩師(養父)・古賀政男の作物が見当たらないのは何故だろうか。もしかして、古賀政男の心中には「都々子、自分の好きなように、自由に歌いなさい。あなたは今のままで十分、私の出る幕はない」という想いがあったかどうか・・・。後年、菅原都々子は、古賀政男の名品「新妻鏡」をカバーしているが、私は残念にもまだ聴いていない。にもかかわらず、彼女の歌声の数々は、それに勝るとも劣らない感動を、(今もなお)庶民に与え続けていることを、私は確信する。悲歌(エレジー)の女王・菅原都々子は「永遠に不滅」なのである。(2013.8.15)



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2018-09-02

花の歌謡絵巻・二葉あき子の《歌唱力》

 二葉あき子の歌を聴いたことがあるだろうか。私が初めて彼女の歌を聴いたのは「夜のプラットホーム」(奥野椰子夫作詩・服部良一作曲・昭和21年)であった。昭和26年2月,当時6歳だった私は,父と祖母に連れられ,住み慣れた静岡から東京に向かうことになった。静岡には母の実家があった。満州で生まれた私は,すぐに母を亡くし,入隊した父とも別れ,父の友人一家の助力で命からがら日本に引き揚げてきたらしい。母方の祖母が営む下宿屋には,東京から疎開してきた父方の祖母も身を寄せており,しばらくはそこで暮らすことになったようだ。やがて父も引き揚げ,私自身が学齢になったので父の勤務地である東京に,父方の祖母ともども呼び寄せられたのである。静岡駅で東京行きの列車を待っていると,下りのホームにアメリカ兵が鈴なりになって乗っている列車が入ってきた。彼らは,上りのホームで待っている私たちに向かい,大きな叫び声をあげながらチョコレート,キャラメル,チューインガム,ヌガーなどの高価な菓子類を,雨あられのように投げてよこした。上りホームの日本人たちも,歓声をあげて一つでも多く拾おうとする。見送りに来た親類の一人が,ヌガーを一つ拾ってくれた。東京行きの列車の中で,それを食べたが,その豪華な味が忘れられない。甘いものといえばふかし芋,カルメ焼きぐらいしかたべたことがなかった。チョコレートでくるまれた生クリームの中にピーナツがふんだんに入った,贅沢な逸品であった。アメリカ人はなんて優雅なくらしをしているのだろう,子ども心にそう思ったのを今でも憶えている。
列車が東京に近づく頃は,もう夜だった。横浜を過ぎた頃,車掌がやって来て,「東京駅構内で事故が発生しました。この列車は品川止まりになります」という。乗客には不安が走った。今日のうちに目的地まで行き着くことができるだろうか。降り立った品川駅のホームはトンネルのように暗かった。「シナガワー,シナガワー,ケイヒントーホクセン,ヤマノテセン,ノリカエー」という単調なスピーカーの声とともに,厳冬の夜,凍てつく寒気の中に柱の裸電球が一つ,頼りなげに灯っていた情景が瞼にに焼きついている。
二葉あき子の「夜のプラットホーム」を聴くと,あの品川駅での情景がきのうのことのように甦ってくるのである。なぜだろうか。それは,彼女がおのれを殺して,全精力を歌心(曲想)に傾けて表現するという,たぐいまれな歌唱力を身につけているからだと思う。「星は瞬く,夜深く,鳴りわたる,鳴りわたる,プラットホームの別れのベルよ」という彼女の歌声を聞いて,私は「本当にそうだった」と思う。6歳の私が初めて見た「夜のプラットホーム」は品川駅をおいて他にないのだから。「さようなら,さようなら,君いつ帰る」とは,静岡駅で私を送り出してくれた,心やさしき人々の言葉に他ならなかった。もしかしたら朝鮮戦争に赴くアメリカ兵の言葉だったかもしれない。本来,この歌は戦前,若い出征兵士を見送る,東京駅の情景を見て作られたという。「いつまでも,いつまでも,柱に寄り添い,たたずむ私」という恋人や新妻の気持ちがどのようなものだったか。戦争とは無縁であった私ですら,あの心細い品川駅での情景を思い出すくらいだから,戦死した夫や恋人を追憶する女性の寂寥感は想像に難くない。彼女が大切にしているのは,歌手としての自分の個性ではなく,作詩・作曲者が創り出した作品そのものの個性である,と私は思う。いわゆる「二葉あき子節」など断じて存在しない。彼女が歌う曲は,クラッシックの小品,ブルース,ルンバ,シャンソン,映画主題歌,童謡,軍歌,音頭,デュエットにいたるまでとレパートリーは広く,多種多様である。しかも,その作品ごとに,彼女の歌声は「千変万化」するのである。作品を聴いただけでは,彼女の歌声だとは判別できないものもある。ためしに,「古き花園」(サトウハチロー作詩・早乙女光作曲・昭和14年)「お島千太郎旅唄」(西条八十作詩・奥山貞吉作曲・昭和15年)「めんこい仔馬」(サトウハチロー作詩・仁木他喜雄作曲・昭和15年)「フランチェスカの鐘」(菊田一夫作詩・古関裕而作曲・昭和23年)「水色のワルツ」(藤浦洸作詩・高木東六作曲・昭和25年)などを聴き比べてみれば,わかる。
「フランチェスカの鐘」は,もともと失恋した成人女性の恨み歌であったが,後年,二葉あき子は初老を迎えた自らの変声を生かしし,故郷の被爆地・広島で犠牲になった人々への鎮魂歌として創り変えている。(LPレコード「フランチェスカの鐘・二葉あき子 うたのこころ・昭和42年)                 
私は彼女の歌を聴いただけで,誰が,どこで,何をしながら,どんな気持ちで,何を訴えたいかをストレートに感じとることができる。彼女の歌唱力は,曲の舞台を表現する。登場人物の表情・心象を表現する。そして,情景を構成する気象,風景,星,草花,ハンカーチーフまでも表現してしまうのである。
 いつになっても,作品の中の彼女の声は澄みきっている。二葉あき子の地声ではなく,作詩者,作曲者が思い描いた歌手の声,登場人物の声に徹しようと努めているからである。流行歌は三分間のドラマだといわれるが,彼女ほどそのドラマを誠実に,没個性的に演じ分けた歌手はいないだろう。それが他ならぬ二葉あき子の「個性」であり,「今世紀不世出の歌手」といっても過言ではない,と私は思う。(2004年5月15日)



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2018-09-01

番外・スポーツ界の《膿》(「優勝劣敗」)

 2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて「膿を出し切ろう」と、スポーツ界が揺れている。当初はコーチのパワハラ問題に端を発し、以後、某大学の危険タックル、某連盟理事長の圧力疑惑(○○判定)、最近では某協会のコーチ無期限登録抹消処分、等々。要するに、スポーツマンシップの「フェア精神」(基本理念)が、強権者によって踏みにじられているという構図が見えてくるのだが、スポーツ界も所詮は「弱肉強食」の世界であることに変わりはない。本来、オリンピック・パラリンピックは「平和の祭典」として尊ばれるはずだが、それは「建前」で、実際は核兵器・軍隊を保有し、性懲りもなく戦争を繰り返している国々が、堂々と参加している。戦争を放棄し、(スポーツで競い合う)「平和」だけを希求する国々だけで行うのが、「近代オリンピック」の精神でなければならない。
 いまだにスポーツ界にはびこる「膿」とは何か。強権者の公私混同、私利私欲だけではない。それ以前に「優勝劣敗」という価値基準が歴然と存在し続けていることこそが「膿」なのである。勝つことは優れている、負けることは劣っている。だから、勝つことは称賛に値する。負けることは恥辱である。こうした「薄っぺらな」価値観は、スポーツマンシップの「フェア精神」とは《無縁》である。勝者は勝者だけでは勝者になれない。敗者の存在に支えられてはじめて勝者になり得るのである。勝者も敗者も尊ばれなければならない。試合が終われば、あくまで「ノーサイド」なのだ。
 しかし現実は「金メダルでなければ意味がない」などと言って、悔し泣きする選手も少なくなく、世間も「メダルラッシュ」などと《他愛もなく》喜び、「国民に勇気と感動を与えてくれた」などと《虚栄》を誇る。そのことこそが「膿」であり「諸悪の根源」であることを、私たちは肝に銘じなければならない。古人曰く「負けるが勝ち」、けだし至言である。
(2018.8.31)



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2018-08-31

花の歌謡絵巻・「うたくらべ ちあきなおみ」の《魅力》

インターネットのウィキペディアフリー百科事典・「ちあきなおみ」の記事に、以下の記述がある。〈1992年9月21日に夫の郷鍈治と死別した。郷が荼毘に付される時、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。また、「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします。」というコメントを出し、これを最後に一切の芸能活動を完全停止した。それ以降引退宣言も出ないまま、公の場所には全く姿を現していない。〉歌手・ちあきなおみのファン並びに関係者の間では、そのことを訝る向きもあるようだが、私には彼女の気持ちがよくわかる。ちあきなおみは、それまで、ただひたすら、最愛の夫・郷鍈治のために歌ってきたのだ。「もう私の歌を聴いてほしい人はいない。哀しみをこらえて歌っても、彼には届かない」という絶望感が、以後の沈黙を守らせているに違いない。それでいいのだ、と私は思う。
 かつて、美空ひばりは、「今、一番上手な歌手は、ちあきなおみ」と語っていた(テレビ番組「徹子の部屋」)が、さすがは「歌謡界の女王」、見る目・聞く耳はたしかであった。今、私の手元には「うたくらべ ちあきなおみ」というCD全集(10巻)がある。それぞれに「1誕生」「2開花」「3巣立ち」「4挫折」「5苦悩」「6自我」「7孤独」「8出逢い」「9やすらぎ」「10爛熟」というタイトルがつけられ、167曲が収められている。このタイトルは、彼女がデビュー以来、歌いつないだ歩みを物語っていると思われるが、誕生から爛熟までを順にたどっていくと、それは、小鳥の「さえずり」が次第に洗練され、「地鳴き」に変容していく過程とでもいえようか、彼女の「歌」が「語り」になり、「語り」が「呟き」「詠嘆」「呻吟」「絶叫」へと千変万化していく有様が鮮やかに体感できる。レパートリーは、ポップス、ニューミュージック、シャンソン、スタンダード・ジャズ、ファド、流行歌、演歌に至るまでと幅広く、その歌唱力は「ハンパではない」。彼女は「歌手」でありながら「役者」「演出家」でもある。「歌」は、そのまま「芝居」となり、実に様々な人間模様・景色を描出する。私の好みは、「劇場」「酒場川」「命かれても」「流浪歌」「泪の乾杯」「新宿情話」「君知らず」あたりだが、全集の中の1巻「7孤独」の作品は傑出している。「星影の小径」「雨に咲く花」「粋な別れ」「東京の花売り娘」「夜霧のブルース」「上海帰りのリル」「港が見える丘」「青春のパラダイス」「ひとりぼっちの青春」「狂った果実」「ハワイの夜」「口笛が聞こえる港町」「黒い花びら」「赤と黒のブルース」「夜霧よ今夜も有難う」「黄昏のビギン」、いずれもカバー曲だが、彼女は原曲をいとも簡単にデフォルメしてしまう。通常、伴奏は「歌」に寄り添い、それを際立たせようとして脇役に徹するが、それらの作品は「真逆」である。伴奏が、彼女の歌と真っ向から「対立」する。まるで「仇役」のように、彼女のメロディー・ラインに挑みかかる。彼女の歌声は、その挑戦をものともせずに、ある時は「受け流し」、ある時は「包容」(抱擁)するように、展開する。雑音入りの楽音と絡み合い、もつれ合う中で、彼女の歌声がいっそう輝きを増してくる。その葛藤には、愛し合う恋人同士の風情が仄見えて、なぜか最愛の夫・郷鍈治の面影をも彷彿とさせるのである。なるほど・・・・、やっぱりそうだったのか。彼女は31歳の時に郷鍈治と結ばれたが、以後14年間、彼の死を迎えるまで、ただひたすら彼のために、彼一人だけを聴衆として歌い続けたことの証しである。
 歌手・ちあきなおみが歌うことを断って22年が過ぎた、しかし、私には、その「沈黙」こそがあの名曲「さだめ川」(詞・石本美由紀、曲・船村徹)の「歌声」となって、レクイエムのように聞こえてくる。「・・・・あなたの愛に 次ぎの世までも ついて行きたい 私です」。彼女は、今もなお歌い続けているのである。(2015.3.11)



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2018-08-28

役者点描・新人・幼紅葉、成長の《証し》

幼紅葉が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成22(2010)年3月末、おそらく小学校を無事卒業したことで、周囲の許可・了解が得られたという結果かもしれない。私は、平成22年4月公演(香川県・城山温泉)で、彼女の初舞台を見聞している。その時の感想は、以下の通りであった。〈芝居の外題は「里恋峠」。金看板・更科一家親分三衞門・座長・鹿島順一、その息子三之助・鹿島虎順、その妹お里・新人・幼紅葉、親分の後妻おたき・春日舞子、代貸松造・春大吉、敵役の川向こう一家親分万五郎・花道あきら、その子分たち・蛇々丸、梅乃枝健、赤銅誠、滝裕二という配役で、注目すべきは新人・幼紅葉の起用である。外題の「里恋峠」は地名だが、娘・お里を案じる父・三衛門の想いも重ねられていることは確かであろう。だとすれば、お里はいわば「準主役」的存在、極めて重要な役どころではないだろうか。はじめは勢いのよかった更科一家も親分が中風で倒れた後は、子分衆は一人減り、二人減り・・・という「落ち目」で、今では代貸一人だけとなってしまった。その松造も、今は一家に見切りをつける潮時と「盃を水にしてください」と申し出る有様、加えて後妻からも離縁を迫られる始末で、病臥の親分、まったく孤立無援となってしまった。最後のたのみは娘のお里だけ(息子の三之助は勘当、現在、旅修行中)という状況の中、闘病中の三衞門を「かいがいしく」「かわいらしく」「無邪気に」「明るく」介護する風情が不可欠、後妻に入った、おたきの「あばずれ」「放蕩」気分とのコントラストが「見せ所」であろう。さて、一日目の舞台、新人・幼紅葉にとっては、いかにも荷が重すぎた。まだ、登場して「台詞を間違いなく言うだけで」精一杯、その「つたなさ」が、座長はじめ一同の「足を引っ張る」結果にななったことは否めない。その結果、《厳しさ、それは親子の愛》という眼目の描出は「不発」のまま終わった感がある。だがしかし、である。「そうは問屋が卸さない」のがこの劇団の真骨頂、(この芝居は二日替わり)二日目の舞台は景色・風情が「一変」していたのである。昨日とは打って変わり、お里の所作・表情・口跡が「芝居になってきた」。とりわけ、「視線が決まり」、「喜怒哀楽の表情」を描出することができるようになってきた。例えば、旅に出ている兄・三之助を「恋しく思い出す」、後妻おたきの「心変わり」を感じて表情を曇らせる、おたきの「身勝手な振る舞いを睨みつける」等々・・・。「かわいらしさ」「けなげさ」「無邪気さ」といったお里の「人となり」が、わずかとは言え、感じられる。新人・幼紅葉の「一日の成長」は確実、そのことによって、愁嘆場を演じる座長の「技」がより鮮やかさを増したたのである。万五郎一家に連れ去られたお里を追いかけようとする三衛門の「あわれさ」に多く観客が涙し、拍手が鳴り止まなかったのだから。「一日にしてこれほど変わろうとは・・・」、私は驚嘆・落涙する他なかった。今日の舞台は昨日の舞台があったればこそ、文字通り「失敗は成功のもと」「日々精進」を地で行くような結果であった。(幼紅葉の努力、素直さ、彼女を「一日で成長させた」座長はじめ各座員の面々に心底から拍手を送りたい)三衛門臨終の場面、本来なら「一度事切れたように見せかけて」、息を吹き返し、「あっ、忘れていた。もう一つ言い残しておく頃がある」と笑わせる場面だが、座長、深い感動に包まれている観客の雰囲気を察してか(割れるような拍手を聞いて)「今日はこのまま死んじゃおう」と思ったに違いない。「喜劇的な死」の場面は割愛されて終わった。まさに「舞台は水物」、その日の客筋に合わせて芝居をする、その典型を観る思いであった。三日目の舞台、外題は「月とすっぽん」とのこと、可能な限り来場したいと思いつつ、帰路についた次第である〉。それから1年3カ月が経った。「一日にしてこれほどかわろうとは・・・」という私の驚嘆・落涙は、その後もしっかりと「一年にしてこれほどかわろうとは・・・」という思いに置き換えられている。つまり、幼紅葉の「成長」は、今のところ、留まることを知らないのだ。その証し①:先輩・赤銅誠の出世狂言「幻八九三」(平成22年10月・ジョイフル福井)では、兄・伊三郎(三代目鹿島順一)のような強いヤクザに憧れる弟・伊之吉(赤銅誠)に、幼友達として忠告する茶屋の娘の役回りで、両者とも新人同士、その初々しい絡みが何とも魅力的だった。その後、兄・伊三郎と対面、「親父さんは元気かい?」と尋ねられるや、客席の方に向き直って、ニッコリしながら、「お父っつぁん?死んじゃった!」と言い放つ「一発芸」はお見事だった。その証し②:「中乗り新三」(平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭)、当時の感想〈今日の舞台、新三の妹役・幼紅葉の演技が、ことのほか冴えていた。帰ってきた新三と、うれしそうに、なつかしそうに対面する清々しさ、新三を木戸外に締めだし不孝を諭す母の話を傍で聞きながら涙する可憐さ、代貸しの女房に必死で兄(新三)の命乞いをする一途な風情等々、脇役としての「妙技」を垣間見せる、わずか十三歳の役者とは思えぬほどの舞台姿であった〉。その証し③:「長ドス仁義」(平成23年4月公演・座三和スタジオ)、当時の感想〈私がこの演目を見聞するのは3回目、しかし、赤穂の親分、茶店の親爺、二役が甲斐文太から三代目鹿島順一へ、吉良の親分が蛇々丸から甲斐文太へ、三下の朋輩・春大吉が、赤穂親分の妹・幼紅葉へと、配役は大幅に様変わりし、別の芝居を見るようであった。(中略)わずか十三歳の新人・紅葉が新設の登場人物(親分の妹役)に挑戦、春大吉の「穴」を埋めるどころか、それ以上の景色を「いとも自然に」描出していたことに私は驚嘆する〉。その証し④:「明治六年」(前に同じ)では、金に目がくらんだ遊女屋の女将役、亭主はなんと劇団最年長の梅之枝健といった「悪役コンビ」で、その強欲な風情をコミカルに演じ、とりわけ、引っ込みの「斬られ方」が「絵」になっていた、と私は思う。今後の課題は、舞踊ショーでの「当たり芸」を築き上げることだと思われるが、さしあたっては、「大阪すずめ」(永井みゆき)、「木遣り育ち」(由紀さおり)、「娘船頭さん」(美空ひばり)、「浜千鳥情話」(金沢明子)、「島田のブンブン」(小宮恵子)などが「打って付け」ではないかと、とりわけ「木遣り育ち」は、脱けた生田春美の「初演目」であった。その穴埋めのためにも、是非「再現」してもらいたい、などと、私は勝手な希望を抱いているのだが・・・、果たして、叶えられるだろうか。(2011.6.13)



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2018-08-26

役者点描・若手・赤胴誠にやって来た《正念場》

赤胴誠が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成20年2月頃であったか・・・、だとすれば、それ以来3年4カ月が過ぎたことになる。「石の上にも三年」という言葉どおりに、彼はよく辛抱した、と私は思う。赤胴誠の特長はいくらもあるが、その一番は、何と言っても、斯界屈指の実力者・甲斐文太(当時は座長・二代目鹿島順一)を自分の師匠に選んだことである。その元でどんな修業を積んだか私は知らない。どんな苦労があったかも、私は知らない。、彼のデビューは、まず舞踊ショー、裏方の「アナウンス」からであった。当初は、たどたどしく、声量・口調、タイミングも不安定だったが、ほぼ2カ月ほどで、彼の「アナウンス」は、堂に入ってきた。ややもすると、この「アナウンス」は軽視されがち、肝腎の演者名、演目名が、音曲のボリュームにかき消されて、聞き取りづらいきらいがあるのだが、彼の口跡はあくまで明快、明瞭、しかも淡々として出過ぎることなく、舞台模様を引き立てていた。この役割は重く、「風見劇団」「市川千太郎劇団」「一見劇団」などでは太夫元、後見役らが担当するほどだが、彼は「鹿島順一劇団」の「裏方アナウンサー」として、よくその重責を果たしている。その結果、「イチ声、二振り(顔)、サン姿」と言われる役者の条件のうち、まずは「イチ声」をクリアすることができたのだ、と私は思う。役者によっては子役のうちから、斯界独特の「クサイ言い回し」をたたき込まれるケースもある中で、彼の声(口跡)は、あくまで「自然体」、その素人っぽい「初々しさ」が、なんとも魅力的な空気を醸し出していることは間違いない。さて、「雌伏三年」、赤胴誠は平成22年10月公演(ジョイフル福井)の舞台で、「華々しく」といった雰囲気とはおよそ関わりなく、(私にとっては極めて唐突に)「芝居デビュー」を果たした。外題は「幻八九三」。かっこいい兄(三代目鹿島順一)のようになりたいとヤクザに憧れたが、やがてそれが「幻」と消えてしまう未熟な若者という役回りで、彼は精一杯、座員の面々と「五分に渡り合う」演技をしたのであった。当時綴った私の感想は以下の通りである。〈私が驚嘆したのは、弟・伊之助こと赤胴誠の成長(変化)である。俗に、役者の条件は「イチ声、二振り、サン姿」というが、いずれをとっても難が無い。未熟な役者ほど、声(口跡・セリフ)だけで芝居を演じようとするものだが、今日の赤胴誠、「振り」も「姿」も初々しく、その場その場の「心情」がストレートに伝わってくる。例えば、親父に向かって「十両くれ!」とあっけらかんにせがむ「青さ」、十手持ち親分を「なんだ、この女」と見くびる「軽さ」、兄・伊三郎の立ち回りを、へっぴり腰で応援する「熱さ」、一転、捕縛された兄貴の惨めな姿に号泣する「純粋さ」等々、未熟で頼りない若衆の風情を「そのまま」舞台模様に描出できたことは、素晴らしいの一言に尽きる。雌伏三年、師匠・甲斐文太、諸先輩の「声・振り・姿」を見続けてきた研鑽の賜物であることを、私は確信した。甲斐文太は「今日の出来は30点」と評していたが、なによりも、他の役者にはない「誠らしさ」(個性)が芽生えていることはたしかであり、そのことを大切にすれば貴重な戦力になるであろう。客の心の中に入り込み、その心棒を自在に揺さぶることができるのは、役者の「個性」を措いて他にないからである。芝居の格、筋書としては「月並み」な狂言であっても、舞台の随所随所に役者の「個性」が輝き、客の感動を呼び起こす。それが「鹿島劇団」の奥義だが、今や新人・赤胴誠も、それに向かって「たしかな一歩」を踏み出したことを祝いたい〉。
その時から、さらに8カ月が経過した今、彼はどのような舞台姿を見せているだろうか。蛇々丸、春大吉らのベテランが抜け、新人の壬剣天音が加入といった「流れ」の中で、いつまでも「新人」ではいられない。座長・三代目鹿島順一の相手役として「五分に渡り合う」実力、気力が求められるのだ。舞踊ショーで演じる、座長との「殺陣」はその一例であろう。しかし、芝居「紺屋と高雄」の鼻欠けおかつ、「新月桂川」の源次(弟分)、「源太しぐれ」の子連れ素浪人(盲目)、「関取千両幟」のふんどし担ぎ・・・等々への「挑戦」は、自然のなりゆきとは言え、油断は禁物である。おそらく、師匠の甲斐文太は、「今日の出来は30点」、もしくは「それ以下だ」と評するに違いない。先輩が残していった財産(伝統)を確実に受け継ぎ、それをみずからの「個性」によって、さらに発展させること、それが、若手・赤胴誠に課せられた「課題」であり「使命」である、と私は思う。彼の「声」「振り(顔)」「姿」に不足はない。それを、どのように磨き上げ、数ある「名狂言」の中に「結実化」させるか・・・、そのためには「六十一・賀の祝」の弟役から、「人生花舞台」の花形役者、さらには「命の架け橋」の重罪人、「春木の女」の《つっころばし》の役柄に至るまで果敢に挑み続け、やがては「自家薬籠中のもの」(十八番)として仕上げなければなるまい。願わくば「芸道一筋」、まさに、赤胴誠の「正念場」がやって来たのである。(2011.6.14)



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2018-08-23

役者点描・新人女優・春夏悠生に求められる《思い切り》

「鹿島順一劇団」の女優は、筆頭が春日舞子、つづいて弟子の春夏悠生、幼紅葉の三人である。春夏悠生は「シュンカ・ユウキ」と読む。千葉県市原市出身、誕生日は11月26日、血液型B型、初舞台は18歳とのことだが、それ以外の詳細を私は知らない。以前には、香春香、生田春美といった新人女優がいたが、いずれも長続きしなかった。しかし、春夏悠生は少なくとも3年間は、耐えている。文字通り「石の上にも三年」という気配で、ようやく、その舞台姿が「絵」になってきたようだ。当初は、緊張のためか「笑み」にとぼしく、「色香」に欠けていたが、最近では「呼吸」も整い、見応えのある風情を醸しだしつつある。芝居では、「源太時雨」の不貞妻、「アヒルの子」の間借り人妻のように、ふがいない亭主を、けんもほろろに「一喝」する風情は格別、それまで、しおらしく装って いたが、突如として本性を現すといった「変化」(へんげ)の妙を垣間見せている。「芸風」はまだ未完成(未知数)だが、可憐な娘役というよりは、したたかな「悪女」「毒婦」、「三枚目」の方が向いているかも知れない。とはいえ、風貌は上品で美形、「仇討ち絵巻・女装男子」の武家娘、「浜松情話」の茶屋娘、「明治六年」の半玉芸者、「黒髪道中・縁結びの三五郎」の恋女房、「悲恋流れ星」の盲目娘、「新月桂川」一家親分の娘・・・等々、彼女の「はまり役」に事欠くことはない。また、「長ドス仁義」の「ちょい役」、宿屋の女中でも「はーい、ただ今」などと爽やかな声を出しながら、一向に客の求めに応じようとない、そのあっけらかんとして無責任な様子が、いかにも今風で面白かった。いずれにせよ、師は劇団の名女優・春日舞子である。その後を継ぐ(恩を返す)ためには、「春木の女」の漁師娘・おさき、「噂の女」のお千代たん、「悲恋夫婦橋」の芸者といった「大役」に(とりあえずは年相応の「若役」から、(果敢にも)挑戦することが不可欠だと思われる。この1年、とりわけ「舞踊・歌謡ショー」で、彼女の出番は少なかった。「裏方」に回ることが多く、照明、着付け、音響、整理、等々を手際よくこなすことによって、劇団の「名舞台」を、陰から支えていたのであろう。それもまた「実力」のうちであり、そうした「下働き」こそが「芸の肥やし」になることを肝銘しなければならない、と私は思う。舞踊ショー、彼女の演目は、相舞踊が多く、幼紅葉との「気まぐれ道中」「くれむつ小町」「可愛いベービー」「おきゃん」、赤銅誠との「ほの字のほ」が定番である。それらは全体プログラムの「彩り」として貴重であり、たいそう魅力的だが、春夏悠生でなければならない「当たり芸」も観てみたい。彼女の個人舞踊の演目は「明治桜」「男の激情」(立ち役)、「いろは坂」「私が生まれて育ったところ」「桃色ガラス」くらいであろうか。いずれも「達者」にはなってきているが、今一歩の「説得力」が足りない。客に訴える《眼目》が何か、はっきりしないのだ。いうまでもなく、個人舞踊は、自分一人で主役を張れる「三分間のドラマ」であり、出番が少なければ少ないほど、客の「集中度」「期待度」は増すものである。それゆえ、「この一番」に賭ける気迫が欲しい。個人舞踊はもとより、組舞踊、相舞踊でも、「客の視線を独占してやろう」という意気込みがあってこそ、艶やかで、爽やかな舞台模様を描出できるのだから・・・。「かしま会ホームページ・」観劇レポ」を見ていたら、唯一(ただ1回)、相舞踊「吉良の仁吉」(座長・鹿島順一)という記録があった。もしかして、吉良の仁吉が三代目鹿島順一、女房お菊が春夏悠生、音曲は「吉良の仁吉」(作詞・荻原四朗、作曲・山下五郎)、歌は美ち奴(最善)?、それとも三門忠司(次善)? 。いずれでもよい、もしそうだとしたら、その舞台こそ、春夏悠生が「当たり芸」を磨き上げる千載一遇のチャンスに他ならない。吉良の仁吉は二十八、お菊十八歳。「嫁と呼ばれてまだ三月 ほんに儚い夢のあと 行かせともなや荒神山へ 行けば血の雨涙雨」といった愁嘆場を描出できるのは、「自分しかない」と言い聞かせ、三代目鹿島順一と「五分で渡り合う」《思い切り》(捨て身の思い上がり)が、今、春夏悠生に求められているのではないか。「鹿島順一劇団」に居るかぎり、名優への道は、いつでも、どこでも、誰にでも開かれている。そのことを誇りとして、研鑽・精進に励んでいただきたい、と私は思う。(2011.6.11)




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2018-08-22

役者点描・座員・滝裕二の「人生劇場」

滝裕二が「鹿島順一劇団」に加入したのは、いつの頃であっただろうか。たしか、太平洋健康センターいわき蟹洗温泉(福島県)だったような気がする。だとすれば、それは平成21年6月公演の時、すなわち今から2年前のことだ。その間、彼は見事なほど、「端役」「裏方」に徹してきた。「端(はした)役者」の条件は、「目立たない」ことである。「スポットを浴びない」ことである。少しでも、主役が引き立つように、つねに自分の「立ち位置」を定めなければならない。彼の、芝居での役柄は、ほとんどが「その他大勢」の中の「斬られ役」で、セリフがあっても「へえ」「わかりやした」で終わってしまう。(これまで私が見聞した限りでは)唯一、彼が、まともに登場人物を演じたのは、「悲恋流れ星」の冒頭場面、妹(盲目)の眼を治そうと田舎から出てきた旅の途中で、ならず者に襲われ、懐に入れた治療の金ばかりか、命まで盗られてしまう兄、といった気の毒な役回りであった。そのとき、私は初めて彼の「声」(口跡)を、じっくりと聞くことができたのだが、「悪くない」。素朴で、弱々しく、それでいて「妹思い」の温もりを十分に感じとることができたのだった。「かしま会ホームページ」の「劇団紹介」では、〈滝裕二(たきゆうじ)【4月22日生まれ】〉とあるだけで、彼の詳細は何もわからない。出自、年齢、芸歴・・・などなど一切は不明だが、その風貌からして年齢は四十歳台、舞台歴もあり、と見受けられるが、劇団の(芝居の)中では「目立たない」。まずは、それでいいのだ、と私は思う。だがしかし、話はそれで終わらない。場面が変わって「舞踊・歌謡ショー」。責任者・甲斐文太の「芝居では端(閑職)、その分は舞踊で取り戻せ!(主役を張れ)」といった配慮があるかどうかはともかくとして、彼の出番(個人舞踊・歌唱)は確実に保障されている。それかあらぬか、この1年間で彼が演じた「曲目数」は、以下の通り、三十を優に超えている。「かしま会ホームページ」の「観劇レポ」を参照すると【舞踊】1・のろま大将(大江裕)、2・夕焼け大将(大江裕)、3・東京無情(三門忠司)、4・雨の大阪(三門忠司)、5・俺の出番が来たようだ(三門忠司)、6・佐渡の舞扇(鳥羽一郎)、7・俺の人生始発駅(鳥羽一郎)、8・河内一代男(鳥羽一郎)、9・流氷子守唄(山川豊)、10・暴れ獅子(大泉逸郎)11・荒野の果てに(山下雄三)、12・男と男(宮路オサム)、13・男一代(北島三郎)、14・神奈川水滸伝(北島三郎)、15・関東流れ唄(北島三郎、16・東京流転笠(大川栄策)、17・てなもんや三度笠(藤田まこと)、18・木曽恋三度笠(香田晋)、19・時雨の半次郎(五木ひろし)、20・おしどり(五木ひろし)、21・あのままあの娘とあれっきり(氷川きよし)、22・やじろべえ(日高正人)、23・酔歌・ソーラン節入り(吉幾三)、24・赤い椿と三度笠(三波春夫)、25・男朝吉(村田英雄)、26・人生劇場(村田英雄)、27・紬の女(竜鉄也)、28・命の華(テ・ジナ)、29・あばれ太鼓(坂本冬美)、30・股旅(天童よしみ)、31・望郷玄海節(椎名佐千子)、32・大阪純情(キム・ランヒ)、33・一本刀土俵入り(島津亜弥)、34・浮世ばなし(歌手不詳)、35・昭和残侠伝(歌手不詳)、36・萬屋済州お目通り(歌手不詳)【歌唱】1・「高校三年生」、2・「そしてめぐりあい」ということであった。なるほど、その多種多様さ(レパートリーの広さ)は「半端」ではない。本人に尋ねれば「もっとあります」と言うだろう。それもまた、彼の「目立たない」実力に違いない。(加えて【歌唱】力は十分に魅力的である。)だがしかし、である。その多彩な「演目」のわりには、印象に残る作品が少ないのはなぜだろうか。彼の努力が「結実化」しないのはなぜだろうか。不足しているものは、ただ一点、「俺の出番はきっと来る」という固い信念、歌詞の世界を「体(表情・振り、所作)だけで」伝えようとする意欲・工夫の積み重ねだと、私は思う。レパートリーの中の一曲でよい、これだけは誰にも負けない、という演目を「一点集中」して磨き上げる努力が必要ではないか。責任者・甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」、座長・三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」「大利根無情」等…、は、いつ観ても、何度観ても、飽きることはない。そのような「至芸」をお手本にして、滝裕二ならではの「演目」を極めてもらいたい。その暁には、おのずから芝居での「端役」にも磨きがかかり「俺の出番が来たようだ」という段取りになることは、間違いないだろう。というわけで、さしあたっての「歌謡・舞踊ショーは」、滝裕二にとっての「人生花舞台」、俗謡を贈って締めくくりたい。「はした役者の俺ではあるが、『かしま』に学んで 波風受けて 行くぞ男のこの花道を 人生劇場いざ序幕」。(2011.6.12)



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2018-08-21

役者点描・脇役の重鎮、梅之枝健は「いぶし銀」の輝き

梅之枝健、「鹿島順一劇団」の責任者・甲斐文太が、「大先輩」と奉る老優である。「演劇グラフ」(2007年2月号)では、〈昭和11(1936)年1月29日生まれ。大分県出身。血液型O型〉〈この世界に入ったきっかけは?:友達がある劇団にいたから。初舞台は?:19歳〉と紹介されている。だとすれば、彼は、今年75歳、舞台生活も56年目に入るということか。梅之枝健が初舞台を踏んだのは昭和30年、まさに、その時、二代目座長・鹿島順一(現・甲斐文太)が生まれているのだから、「大先輩」に違いない。勝手な想像を巡らせば、梅之枝健こそ、初代・鹿島順一の舞台を知り尽くしている「生き証人」、その芸に惚れ込んで座の一員となったか。二代目座長が旗揚げ以来、陰になり日向となって、劇団を支えてきたか。いずれにせよ、五十余年に亘る彼の舞台歴は、今、脇役の重鎮として、いぶし銀のような輝きを放っていることは確かである。私が彼の舞台を初見聞したのは5年前、芝居の演目は「会津の小鉄」、小鉄の兄貴分という役柄であった。小鉄が名張屋新蔵に愚弄されたことを、小鉄の女房に伝えに来る、登場したのは、ただそれだけの場面、荒々しい風情だけが印象に残り、ただの端役者ではないかと思っていたのだが・・・。それは(私の)全くの見誤り、端は端であっても、「筋金入り」の端であったのだ。いうまでもなく主役だけで芝居はできない。「ほんのちょい役」「その他大勢役」こそが舞台の景色を際だたせる。老優・梅之枝健は、ただひたすら「端役」に徹し、今でも立ち回りに(「斬られ役」として)参加する。そればかりではない。数ある名舞台の中で、「彼でなければならない」役柄が確固として存在する。たとえば、芝居「春木の女」の亭主(元網元)役。浜の若者たちの前では、風の読み方(天候の予測)を伝授できるほどの経験者なのに、女房(トラ・甲斐文太)の前では、からきし意気地が無く、「アンタは養子!、黙ってらっしゃい、この甲斐性なしが!」などと一括されて縮み上がる。そのコミカルな風情はなんともいえず魅力的、だが、そのままでは終わらない。娘・おさきが「捨て子」であったことをトラが暴露したときには激高した。「それだけは言わない約束ではなかったか!もういい!こんな家なんて出て行ってやる。おさき、ワシと一緒に出て行こう」と引導を渡す光景は、思い出すだけでも涙が滲んでくる。つづいて、芝居「仇討ち絵巻・女装男子」は芸者置屋の「おとうさん」、「噂の女」で《一芝居打つ》おじさん(弟の嫁の父)、「忠治御用旅」では、忠治子分の女房に横恋慕する敵役、時には「月夜の一文銭」の岡っ引きも達者にこなす。最近の「明治六年」では、新人・幼紅葉(13歳)を相手の夫婦役(コミカルな悪役)まで演じ切るとは・・・。感嘆する他はない。舞踊ショー、個人舞踊では「白塗り」「若作り」の風情で、さりげなく、裾の「浮世絵」(歌麿風)を垣間見せる「立ち役」が、たまらなく「粋」であったが、最近は裏方に回りがち。「女形大会」で魅せたあの艶姿、組舞踊「美幸の阿波おどり」ではウキウキと、一際目立つ舞姿は、今でも私の目にしっかりと焼き付いている。
大衆演劇界での老優といえば、金井保、若葉しげる、高峰調士、大道寺はじめ、中野ひろし、白富士京弥、初代・姫川竜之助・・・等々、枚挙に暇がないとはいえ、彼らはいずれも元座長クラス。名脇役(筋金入りの端役者)の老優で、まず梅之枝健の右に出る者はいないであろう、と私は思うのである。(2011.6.9)
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2018-08-20

役者点描・名優・花道あきらは《一羽の鴉》

鹿島順一劇団」の役者、花道あきらは、昭和40(1965)年6月25日生まれ(宮崎県出身。血液型A型)、まもなく46歳になろうとしている。文字通り(油ののりきった)「男盛り」、今や劇団の中で「なくてはならない」存在となった。かつては、蛇々丸、春大吉と並んで、劇団の「三羽鴉」と見受けられたが、他の二人は新天地に飛び去り、今では、三代目座長・鹿島順一を支えなければならない「一羽の鴉」になってしまったのである。とはいえ、彼の「気性」「人柄」「芸風」には、ただならぬ《誠実さ》が感じられ、一羽で三羽分の「役割」を果たすであろうことは間違いない。5年前(平成19年11月)、私は彼の舞台を初見聞して、以下のように寸評した。〈「力を抜いた」演技に徹することが肝要。「つっこみ」から「ボケ」への瞬時の「変化」、「敵役」「汚れ役」にも期待する。「女形舞踊」は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉。当時は、「力みすぎ」「一本調子」な口跡、所作が目立ち、観ている方が疲れてしまう雰囲気であったが、昨今の舞台では「力が抜け」、自然体で「飄々」とした演技が、彼独特のユニークな景色を描出している。主役では「三浦屋孫次郎」、「長ドス仁義」の三下奴、「月夜の一文銭」の嵯次郎、「浜松情話」の嫁探し親分、「花の喧嘩場状」の二代目親分・・・等々、を演じ、その「誠実で一途な」風情が、客(私)の心を温める。敵役では、「命の架け橋」の十手持ち、「里恋峠」の川向こう一家親分、「新月桂川」の蝮の権太・権次、「忠治御用旅」の役人、「仇討ち絵巻・女装男子」のスケベ侍、「悲恋夫婦橋」の成金・・・等々、悪は悪でも、どこか憎めない空気が漂う。敵役とは言えないが、「木曽節三度笠」、喜太郎の義兄、「噂の女」の弟のような、身勝手で他人の気持ちなど考えようともしない人物を演じさせたら、彼の右に出る者はいないのではないか。「噂の女」では、それまで他人の噂を信じ、旅役者と駆け落ちしたとばかり思っていた姉が、実は、自分の病気治療代を調達するために身売りしたことを知って号泣、そのあと、黙って姉の草履に着いた泥をぬぐう姿は、いつまでも私の目に焼き付いて離れない。
脇役では、「春木の女」の大店店主・慎太郎、「人生花舞台」の次郎長親分、「あひるの子」の社長、「マリア観音」の岡っ引き、「恋の辻占」の時次郎・・・等々、またまた「人情味」溢れる景色を描出、ほんのちょい役でも「心模様」の巡査、「関取千両幟」序幕の芸者姿で、舞台に色を添えている。まさに、劇団では「なくてはならない」存在になるまで、精進・成長した《証し》であろう。蓋し、「お見事!」と言う他はない。ことの真偽はともかくとして、劇団責任者・甲斐文太が座長時代、敵役に回って曰く、「誰のおかげで、いい役やっていられると思っているんだ、え?宮崎で、スナックのマスターやっていたところ、誰が、今までにしてやったんだ!」そのセリフを聞いて、主役の花道あきら、思わず噴き出して後を向く。また、家来役の花道あきらに向かって曰く、「おい!○○○○!」その時もまた、彼はビックリして噴き出した。後の口上で甲斐文太の話。「お客様にはわからないでしょう。○○○○というのは、彼の本名です。ちょっと気合いを入れてやりました」。いずれにせよ、甲斐文太の言葉の底には、「花道あきら(の成長)が可愛くて(嬉しくて)たまらない」という想いが感じられ、こちらまでその喜びを頂いた気分になるのである。
 前出の寸評で〈女形舞踊は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する〉と、私は述べた。女形舞踊では「ある女の詩」(美空ひばり)が秀逸。立ち役舞踊では、「力は抜けた」が、まだ「単調」である。歌詞の内容を吟味して、一つ一つの言葉が「姿」に表れるように・・・。。個人舞踊は、自分が主役の「独り舞台」、相手がいなくても芝居をしているような気持ちで、「三分間のドラマ」を演出してもらいたいと、私は思う。(2011.6.7)



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2018-08-18

役者点描・女優・葉山京香、舞踊の《至芸》

大衆演劇の舞台で演じられる「舞踊」は、俗に「創作舞踊」「新舞踊」などと呼ばれ、本来の「日本舞踊」とは一線を画しているようだが、下世話な私の鑑賞眼からみれば、前者の方が、よほど取っつきやすく親しめる。そこで使われる音曲は、ほとんどが巷に流れている「流行歌」、しかも「愛別離苦」「義理人情」を眼目にした「演歌」「艶歌」「怨歌」の類だからである。聴くだけでは「ナンボのもん?」と思われるような音曲であっても、それに件の「創作舞踊」「新舞踊」なる代物が添えられることによって、たちまち、名曲に変貌してしまうのだから、面白い。たとえば「チャンチキおけさ」(三波春夫)、たとえば「ヤットン節」(久保幸江)、たとえば「島田のブンブン」(小宮恵子)・・・等々、数え上げれば切りがない。まして、その音曲が「聴くだけで価値がある」名曲ともなれば、それに至芸の舞踊が加わることによって、珠玉の名舞台(三分間のドラマ)が展開することになるのである。斯界・女優陣の中で、ひときわ舞踊に長けているのは誰だろうか。(下世話な鑑識眼しか持ち合わせていない)私の「独断と偏見」によれば、その筆頭は喜多川志保(「劇団天華)、続くのが、三河家諒(「三河家劇団」)、葉山京香(「演劇たつみBOX」)、春日舞子(「鹿島順一劇団」)、浪花めだか(「浪花劇団」)である。この五人人に共通しているのは、「音曲に対する思い入れ」であろうか。音曲をバックに踊る(身体表現する)のではなく、音曲そのもの世界を(所作と表情で)「心象表現」しようとする心意気と技である。葉山京香(昭和43年生まれ)は、劇団のホームページ(座員紹介)の「私のココを見て」欄で〈女心の優しさと淋しさの思いを込めた踊り〉と記している。私はこれまでに、彼女の舞台を3回、見聞している。1回目は平成20年11月、森川京香という芸名で、「森川劇団」に居た時であった。以下は、その時の感想である〈【森川劇団】(座長・森川凜太郎)〈平成20年11月公演・浅草木馬館〉(前略)舞踊ショー、若手・森川梅之介の「立ち役」の艶姿、女優・森川京香の「酒場川」(唄・ちあきなおみ)の「素晴らしさ」が強く印象に残った。(後略)〉2回目は、平成21年9月、浅草木馬館の舞台であった。以下はその時の感想である。〈【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成21年9月公演・浅草木馬館)(前略)ブログ情報によれば、今年三月から嵐山瞳太郎、紫野京香という新メンバーが加わった由、彼らはこれまで森川梅之介、森川京香という芸名で「森川劇団」(座長・森川長二郎)にいたとのこと、なるほど先日、「森川劇団」の舞台を横浜・三吉演芸場で見聞したとき、「どこか物足りない」感じがしていたが、そのような事情があったのか。とまれ、「たつみ演劇BOX」にとっては、メニューに新しいトッピングがプラスされた風情で、いっそうの充実が期待できるだろう。とりわけ「舞踊ショー」での紫野京香は「絶品」、それぞれの音曲にあわせて、どこか「物憂げな」「うら寂しい」景色の描出では、右に出る者はないのだから。加えて、前回(今月公演で)見聞した「愛燦燦」(唄・美空ひばり)のような洋舞曲を、「和風」(表情豊か)に「踊りきってしまう」実力は、半端ではない。(後略)〉。そして3回目は、平成22年2月、大阪・鈴成座の舞台であった。以下はその時の感想である。〈【たつみ演劇BOX】(座長・小泉たつみ)〈平成22年2月公演・大阪鈴成座〉満座劇場の「劇団澤宗」(座長・澤村城栄)も見聞したかったが、どうしても紫野京香の舞台姿を「拝見」したかったので、こちらに来てしまった。(中略)加えて舞踊ショー、辰巳小龍の「湯島の白梅」、紫野京香の「命くれない」は珠玉の名品、それを見聞できただけでも来場した甲斐があったというもの、大いに満足して帰路についた次第である〉。この時、紫野京香という芸名は、なぜか葉山京香に改まっていた。というわけで、要するに、私がこれまでに見聞した葉山京香の舞踊は、「酒場川」(ちあきなおみ)、「愛燦燦」(美空ひばり)、「命くれない」(瀬川瑛子)の3曲に過ぎないのである。にもかかわらず、私はその舞台が忘れられない。たとえば、「酒場川」、歌唱力では右に出るものなし、といわれた、ちあきなおみの「名曲」である。ともすれば、その音曲の素晴らしさに踊りがついていけなくなるのだが、(当時の)森川京香の舞台は違っていた。「あなたの憎さといとしさが からだのなかを流れます 子犬のように捨てられた 女の恋のみじめさを 酒と泣きたい酒場川 男の心も読めないで おぼれるだけの恋でした 死ぬより辛い裏切りを 怨んでみても無駄なのね 涙こぼれる酒場川 私と暮らしたアパートで あなたは誰といるのでしょう グラスの酒に酔いしれて 心の傷を洗いたい ネオン悲しい酒場川」(詞・石本美由紀。曲・船村徹)と唄う、ちあきなおみの「歌声」が、森川京香の「舞」によって、いちだんと鮮やかな景色を映し出す。観客(私)は、真実、彼女の「表情」「所作」をとおして、「からだのなかを流れる憎さ、いとしさ」「捨てられた子犬」「死ぬより辛い裏切り」「私と暮らしたアパート」「グラスの酒」「心の傷」「ネオン悲しい酒場川」を「目の当たり」にすることができるのである。まさに「歌声」と「舞」が渾然一体となって「結晶化」する、珠玉の名品に仕上がっていた。その風情をたとえれば、竹久夢二の「美人画」が動き出した感じとでもいえようか・・・。そのことは「愛燦燦」(詞、曲・小椋桂)でも変わらない。私は、〈「愛燦燦」(唄・美空ひばり)のような洋舞曲を、「和風」(表情豊か)に「踊りきってしまう」実力は、半端ではない〉と前述したが、どちらかといえば、自信たっぷりな「人生謳歌」然とした原曲の風情を、彼女はその「舞」によって一変させてしまう。そこで描出される人生とは、あくまでも旅役者・紫野京香の「人生」であり、どこまでも「控えめ」、つつましく、おくゆかしく、時によっては「たよりなげに儚く」、「水の泡沫」のような人生なのであった。ここでは、明らかに「舞」が「歌声」(美空ひばり)を超えている。(私にとっては)「聴くだけではナンボのもん?」と思われる音曲を、「舞」によって光り輝かせることができた典型的な事例だった。同様に「命くれない」(詞・吉岡治、曲・北原じゅん)も然り。音曲自体は「夫婦の絆」を眼目にした、浪曲風(?)ド演歌、かの有名な梅澤富美男も作品を残しているが、その出来栄えは「原曲」の域を超えてはいない。いわば「音曲」と「舞」が〈持ちつ持たれつ〉の関係で留まっている段階だが、ひとたび葉山京香の「手」にかかると、その「浪曲風ド演歌」が、「夫婦の絆」の「儚さ」「危なさ」までをも描出する「名曲」に変化(へんげ)してしまうことは間違いない。文字通り「女の優しさと淋しさの思いが込められた」、夢二風の艶姿(世界)が浮かびあがり、「聴くだけではナンボのもん?」と思われた「命くれない」もまた、「愛の無常」を眼目にした名曲となったのである。しかも、彼女の舞台は「陽炎」のように、儚く、たよりなげである。(私の独断と偏見によれば)女優・葉山京香の「役者人生」もたよりなげ・・・、ここ3年の間に3回も改名したのはなぜ?、いつも舞台に出るとは限らないのはなぜ?、もしかして病身?、もしかして「引退』間近か?。「謎」は深まるばかりだが、それもまた役者にとっては「魅力」(芸)のうちであろう。いずれにせよ、葉山京香の「至芸」を鑑賞できるのは「至難」のこと、よほどの幸運にめぐまれた時でなければ無理ではないだろうか。願わくば、「たつみ演劇BOX」・舞踊ショーの舞台を、一日も早く、また長期にわたって御照覧あれ。グッド・ラック!(2011.7.10)



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2018-08-17

役者点描・春日舞子・《名女優の極め付きは「ああ いい女」》

私が初めて「鹿島順一劇団」の舞台を見聞したのは、今から5年前(平成19年11月)、みのりの湯柏健康センター(千葉県)であった。客席はまばらで、芝居の流れも単調で、盛り上がりに欠け、その外題すら憶えていないというような有様であったが、ただ一点、「眼を開いたまま」盲目の女房を演じる、たいそう達者な女優がいることだけが、印象に残った。それゆえ、1回の見聞だけでは見限れず、その後も劇場に足を運ぶことになったが、なぜか11月公演の中盤から、舞台の景色は一変、「春木の女」「噂の女」「浜松情話」と、立て続けに「超一級品」の芝居を「見せつけられた」のには、恐れ入った。「この劇団はただものではない。大衆演劇界はもとより、大歌舞伎、新派、新劇、新喜劇、商業演劇・・・等々の大舞台と比べて、《優るとも劣らない》実力がある」ことを思い知ったのであった。これまで、大衆演劇といえば、芝居よりも舞踊の方に私の関心は惹きつけられていたのだが、「鹿島順一劇団」の芝居を見聞後は、私自身も一変した。「なるほど、こんなにいい芝居もあったんだ!」以来、「春陽座」「三河家劇団」「近江飛龍劇団」「樋口次郎一座」「劇団花車」「南條隆とスーパー兄弟」「沢竜二一座」「玄海竜二一座」「新川劇団」「大川竜之助劇団」「藤間智太郎劇団」「橘菊太郎劇団」「劇団朱雀」「劇団翔龍」「劇団颯」「劇団京弥」「橘小竜丸劇団」「都若丸劇団」、「見海堂駿&座笑泰夢」「劇団武る」「剣戟はる駒座」「劇団花吹雪」・・・等々、90余りの舞台(芝居)を見聞、みなそれぞれに「色が違い」、おのがじし「珠玉」の名舞台を展開していることを確認した次第である。なかでも、「鹿島順一劇団」の「芝居」の《出来栄え》は群を抜いていた。なぜなら「眼を開いたまま」盲目の女房を演じる、たいそう達者な女優、すなわち、(責任者・甲斐文太の妻女)春日舞子の存在が大きいからである。(事実、私が初見聞の時、印象に残ったのは、彼女の舞台姿だけであった)後になって分かったことだが、私が初めて見聞したあの芝居の外題は、「会津の小鉄」だったのだ。春日舞子の芸風を一言でいえば「楷書風」、《凜として》という形容は彼女のためにあるようなものである。芸域は広く、「会津の小鉄」の女房、「悲恋夫婦橋」の芸者、「マリア観音」の母親、「仇討ち絵巻・女装男子」の腰元、「春木の女」漁師の娘、「噂の女」の主人公、「命の架け橋」の老母、「忠治御用旅」、子分の女房、「心模様」、医者の嫁、「月とすっぽん」の下女・・・等々の「女役」は言うに及ばず、「黒髪道中・縁結び三五郎」の情夫、「幻八九三」の子分衆など「立ち役」までも器用にこなす。外題は思い出せないが、髭を生やした町医者を演じて「あっは、あっは、あっはー」と高笑いしながら退場していく姿も、私の目に焼き付いている。要するに「何でもござれ」といった懐の深さ、つねに焦点となってキリリと舞台を引き締める「実力」は半端ではないのだ。色香漂う芸者から、武家の腰元、野放図な漁師娘、ヤクザの姐御、神田明神の岡っ引き、弟の犠牲になって苦界に身を沈め淫売女と蔑まれる姉、信仰厚い盲目の老母・・・等々に至るまで、ありとあらゆる「女性像」を心情豊かに描出する。その舞台姿は、若水照代、富士美智子、白富士龍子、辰巳龍子、市川恵子、峰そのえ、北條寿美子・・・等々、斯界の実力者の中に入っても引けを取らず、松竹町子、藤経子、都ゆかり、富士野竜花、秋よう子、小月きよみ、深水つかさ、南條小竜、愛京花、大日向皐扇・・・等々、綺羅星の如く居並ぶ、人気女優陣の中でも、ひときわ光彩を放っている、と私は思う。肩を並べているのは三河家諒、葉山京香。大ベテラン、名人級の喜多川志保には「今一歩」及ばない、というところであろうか。「演劇グラフ」(2007年2月号)の情報によれば、春日舞子の初舞台は19歳、出自は役者の家系とも思われないが、よくぞここまでこられた、と感服する。夫・甲斐文太は同誌のインタビュー記事で以下のように語っている。〈(18歳で劇団を旗揚げして9年後)、劇団を解散されますが、きっかけは何だったんでしょうか?:親父がガンで亡くなって、まもなく僕が急性肝炎で倒れたんです。それから入院することが多くなり、これ以上迷惑はかけられないと考え、福井県の釜風呂温泉での公演を最後に劇団を解散しました。解散後、夫婦二人で北陸にあるホテルに専属で入れていただいて、宴会などの時に二人で踊らせてもらって、昼間は嫁(春日舞子)がホテルにある喫茶店で働かせてもらったりしていました。本当にこの時はお世話になりましたね。「芸は身を助ける」とはこういう事だと初めて思い知らされました〉。劇団再結成は平成3(1991)年だから、それまでの9年間は、そうした下積みの生活が続いたに違いない。なるほど、その時の「苦労」こそが、今の舞台模様に結実化していることを、私は心底から納得する。極め付きは、舞踊ショーの一場面、歌唱は甲斐文太、舞は春日舞子で、曲目は「ああ いい女」(詞・星野哲郎、曲・叶弦大)であろうか。その景色・風情には、北陸のホテル専属時代、「宴会などの時に二人で踊らせて」もらった舞台模様が、いとも鮮やかに浮き彫りされて、お見事!。どん底、地獄を見てきた者だけが契り合える(夫婦の)「絆」が、その歌唱と舞の中に「美しく綾なされ」、観客(私)は往時と現在の景色を二重写しに堪能できるのである。〈汽車は別れを告げたのに 愛はこれから始発駅 このままひとり帰したならば 他の男にだまされそうな うしろ姿で悩ませる 少しみだれた みだれた ああいい女〉という甲斐文太の歌声と、春日舞子の舞姿は、今でも私の脳裏にしっかりと刻み込まれている。感謝。(2011.6.8)



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2018-08-15

役者点描・春大吉・《さらば大吉、グッド・ラック!》

「かしま会」ホームページの「お知らせ」に以下の記事が載った。〈〔甲斐文太〕【告知します】去年は蛇々丸、今年は大吉が辞めました。まあ何が有ろうと、三代目座長襲名して、まだ一年にも満たぬ半年目ですが、残ったみんなで頑張ります。どうぞ応援宜しくお願い申し上げます〉(2011.1.4)。また、春大吉の妻女・おおみ美梨も自身のブログで以下のように述べている。〈私の旦那 春大吉は今日で鹿島劇団を退団いたしました。本人の希望としては6月いっぱいまではと志願したそうですが、結果今日までとなりました。この先、色々あると思いますが、頑張っていきますので、よろしくお願いします。また何かありましたらご報告させていただきます〉(2011.1.4)。劇団にとって役者の離合集散は日常茶飯事だが、それにしても、今さらながら「怨みますまいこの世のことは、仕掛け花火に似た命、燃えて散る間に舞台が変わる、まして女はなおさらに 意地も人情も浮世にゃ勝てぬ みんなはかない水の泡沫 泣いちゃならぬと言いつつ泣いて 月に崩れる影法師」(「明治一代女」・作詞・藤田まさと)という謳い文句が、実感としてしみじみと想起される出来事であった。
「鹿島順一劇団」を見聞以来足かけ4年、当初、私は春大吉について以下のように寸評した。〈・春大吉:「源太時雨」は熱演。「セリフ回し」では、声量を「調節」することが肝要。ワイヤレスマイクを通してスピーカーから出る自分の声を「聞く」余裕が欲しい。「身のこなし」ひとつで「心」は表現できる。立ち位置、姿勢、目線の使い方など、座長の「技」を盗んで欲しい。「ボケ」から「つっこみ」への瞬時の「変化」、「静」と「動」の使い分けに期待する。「女形舞踊」は魅力的、自信を持ってよい〉。今、それらの課題を一つ一つ克服、見事な成長を遂げた「舞台姿」をもう観ることができないのか・・・。「命の架け橋」の主役・重罪人、「源太時雨」の主役・時雨の源太は言うに及ばず、「悲恋夫婦橋」、「浜松情話」「アヒルの子」の女形、「新月桂川」「里恋峠」「木曽節三度笠」の敵役、「心模様」の老け役、「人生花舞台」の花形役等々、数え上げればきりがない。舞踊でも個人では中性的な風情を通し続け、また組舞踊では「忠臣蔵」の浅野内匠頭、杉野十兵次、「人生劇場」の宮川、三代目座長とのコミカルな女形相舞踊等々、私の脳裏にはしっかりと焼き付いている。それもこれも、責任者・甲斐文太並びに名女優・春日舞子の薫陶の賜物であることは間違いあるまい。さて、「この先、色々ある」かどうか、これまでに培った「宝物」を糧にして、大きく羽ばたいてもらいたい。さらば、大吉!、グッド・ラック!!(2011.1.6)



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2018-08-12

役者点描・知る人ぞ知る、名優・蛇々丸の「つっころばし」

斯界(大衆演劇界)の名優・蛇々丸は、今頃どうしているだろうか。私が彼の舞台姿を初めて観たのは、平成19年11月、みのりの湯柏健康センターであった。「鹿島順一劇団」公演で、芝居の演目は、「会津の小鉄」。前景は小鉄の女房が自刃、「私の首を手土産に、男を立てておくんなさい」という切ない愁嘆場の景色で終わった。それとは打って変わって「つなぎ」の明るい場面に登場。京都で一稼ぎしようとやって来た素浪人・宮本ムサクルシという役柄であった。当日は、なぜか客と劇団の呼吸がかみ合わず、全体的に盛り上がりに欠けた出来栄えであったが、春日舞子と蛇々丸の演技は光っていた。舞子は小鉄の女房役、「目を開けたまま」盲目の風情を醸し出す、健気な女性像を見事に描出する。一方の蛇々丸は、腹を空かせた貧乏侍、薄汚れた衣装ながら、色欲だけは人一倍旺盛とみえて、通りかかった年頃の娘(実は、小鉄の仇敵・名張屋新蔵の愛娘・三代目鹿島虎順)に「まとわりつく」といった(損な)役柄であったが、「表情・仕種だけで笑いを誘う」姿が、彼の「実力」を十分に窺わせていた。以来、3年、私が「鹿島順一劇団」の舞台を観続ける羽目になったのは、蛇々丸の「存在感」あふれる、個性的な艶姿に惹かれたことも、その大きな要因の一つだといえる。芝居「忠治御用旅」の十手持ち、「大江戸裏話・三人芝居」の老爺、「あひるの子」の間借り人役では、斯界きっての実力者・二代目鹿島順一(現・甲斐文太)と五分に渡り合い、「一羽の鴉」「心もよう」「新月桂川」では主役・準主役、「源太しぐれ」「月とすっぽん」「人生花舞台」「噂の女」「紺屋高尾」「命の架け橋」では敵役、脇役、汚れ役、ちょい役等々、彼の十八番を数え上げればきりがない。中でも、天下一品、「蛇々丸でなければならない」のは、「春木の女」に登場する、京都大店の若旦那、いわゆる「つっころばし」の舞台姿であった、と私は思う。「つっころばし」とは「歌舞伎の二枚目の役柄の一。年若で突けば転がるような柔弱な男の役」(「スーパー大辞林」)の意。大店の次男坊として嫁取りの段になり、周りから「どうする、どうする!」と責め立てられてノイローゼ気味、気分転換に「釣り」でもと、春木の海にやってきた。息も絶え絶えな風情は、文字通り「つっころばし」で、その色香、滑稽さは「群を抜いて」いた。対照的なのが、漁師(没落した網元)の娘・おさき(春日舞子)、男勝りの気性で「可憐な」風情とは無縁だが、心底には、朴訥とした「親孝行」の温かさが流れている。加えて、その義母(甲斐文太)、義父(梅の枝健)、義妹(三代目鹿島順一)、若旦那の兄(花道あきら)らの、清々しい「人情模様」に彩られて、二人(若旦那とおさき)の愛が成就するという按配であった。それゆえ、蛇々丸の「つっころばし」は、舞子、文太、健、順一、あきら、といった他の役者連の中(チームワーク)でこそ「輝く」代物であったことは言うまでもない。蛇々丸自身、「演劇グラフ」(2007年10月号)のインタビュー記事で以下のように述べている。〈僕は「近江飛龍劇団」の魅せる、インパクトのある芝居、そして、「鹿島順一劇団」のジワジワと心にしみてきて最後に盛り上げる芝居から、両方の劇団のいいところを吸収できたと思いますね。役者をやる上で、本当にいい環境ですよね。いい経験をさせてもらったと思います。(略)僕は職人肌なので、舞台に立っているかぎりは、できるかぎりの事をしたい〉。記事の副題には「舞台では職人でありた」という言葉も添えられていた。多くの役者が名字(屋号)を持っており、本来なら「近江蛇々丸」とでも名乗るところだろうが、芸名は、あくまで(子役もどきの)「蛇々丸」(その由来・彼の干支は巳)でしかない。おそらく彼のモットーは、親分無しの子分なし、「一匹狼」の「職人芸」を極めることなのだろう。それが直截に具現されるのが個人舞踊。定番の「こころ」(唄・五木ひろし)は「立ち役舞踊」の名品、長丁場の「安宅の松風」(唄・三波春夫)は、弁慶・富樫・義経を踊り分ける「至芸の逸品」として、私の胸中・脳裏から離れない。文字通り「職人芸」の極め付きだと、私は確信している。さて、蛇々丸は、平成22年に「鹿島順一劇団」を退き、「浪花劇団」(座長・近江新之介、蛇々丸の実弟)に移ってしまった。はたして、今、どのような舞台姿を見せているだろうか。気がかりなことではある。(2011.1.31)



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2018-08-09

役者点描・女優・三河家諒、「変幻自在」の《三拍子》

 三河家諒は、「三河家劇団」の看板女優(座長・三河家桃太郎の実妹)である。私が「三河家劇団」の舞台を初めて見聞したのは、少なくとも今から3年以上前、場所は「茂原・太陽の里」であったが、詳細は憶えていない。劇団のチラシに桃太郎の扮装をした座長の姿が映っていたこと、座長の口上がユニークで面白かったこと(暮れに栃木県の上延生センターで公演を頼まれている。演目は「忠臣蔵」。その劇場は、見渡す限り田んぼの中にポツンと建っている。何もない田園風景の中に劇団の幟がはためいている光景は異様、どうしてあんなところに劇場があるのでしょうか)、芝居よりも口上の方が面白かった、という第一印象であった。三河家諒も、当然出演していたはずだが、全く思い出すことができない。ところが、である。平成21年8月、「佐倉湯ぱらだいす」での公演を機に、私にとっては、文字通り「忘れられない劇団」となってしまった。芸風は「地味」かもしれないが、その芝居の素晴らしさは「天下一品」、斯界でも屈指の「実力派劇団」であることを思い知った次第である。若手からベテランに至るまで、それぞれの役者が「分をわきまえ」、役者同士、客との「呼吸」を何よりも大切にする、といった誠実・真摯な姿勢が窺われ、たいそう好感が持てた。中でも、女優・三河家諒の芸風は「変幻自在」の魅力とでも言おうか、肥桶を担いだ老婆から、料理屋の女中、武家の奥方、立ち役では、スリの子分、二枚目の侠客まで、達者に演じきる。この劇団の芝居では、誰でも「一人二役以上」が当たり前だが、「女たちの忠臣蔵」では、大石内蔵助の妻・りく、浪士・間十次郎の妻・りえ、浅野内匠頭の妻・瑤泉院の「三役」まで演じ分ける。明治座(商業演劇)の大舞台では、池内淳子、熊谷真美、京マチ子、テレビでは、池内淳子、波野久里子、佐久間良子ら五人で演じた役柄を、なんと、たった一人で演じきってしまうのだから恐れ入る。風貌は「左幸子」然、件の女優連に比べてとりわけ「優る」とも思われないが、その舞台姿、彼女が醸し出す風情・景色は「格別」で、筆舌に尽くしがたい。りく、りえ、瑤泉院の風情は、三者三様、表面は貞淑、華麗、清楚な「景色」を見せながらも、その根底には、男の「面目」に翻弄される、女の切ない「情炎」が燃えている。まさに「女たちの」忠臣蔵(の眼目)が、「一人三役」の「離れ業」によって、いとも鮮やかに描出されるのである。(そうえば、特選狂言「マリア観音」では、兄・三河家桃太郎が、安倍豊後守とその妻・お蔦という「一人二役」で見事に演じていた。さすれば、この「離れ業」、「三河家劇団」の「お家芸」であることに間違いはない)その、「マリア観音」では、スリの半次郎、「月夜の一文銭・上州百両首」ではドジの牙次郎に加えて、料理屋の田舎女中、定番「へちまの花」では三枚目の主役・およね、「浅間の喜太郎」では豪放磊落なおふくろ、「恋の新橋」では鉄火な芸者・・・等々、悲劇、喜劇、人情劇、剣戟、「なんでもござれ」といった按配で、彼女の役柄は「変幻自在」、《変化(へんげ)の妙》を客(私)は堪能できるのだ。その「実力」は芝居だけに留まらない。舞踊では「涙の酒」(立ち役)、「長良川艶歌」、「ホテルみなとや」・・・等々は「個人舞踊」の《お手本》といっても過言ではない。「立ち役」では、南條隆、見海堂駿、甲斐文太、南條光貴、蛇々丸、「女形」では、若葉しげる、東雲長次郎、見城たかし、筑紫桃太郎、片岡梅之助、大川龍昇、大川竜之助、都若丸、小林真・・・といった、(錚錚たる)「男優」陣の中においても引けを取らない。「女優」陣の中では、大先輩・喜多川志保に続く筆頭として、葉山京香と肩を並べる存在であろうか・・・。とりわけ、見逃せないのは、組舞踊「大阪ブギ」で演じる「抱腹絶倒」のコミック・ダンス。ともすれば、形が崩れてデタラメになりそうな所作・振り付けを、ぎりぎりのところでくい止める「瀬戸際」の《芸》もまた「離れ業」、まさに「お見事!」というほかない。さて、とどめは、歌唱。女優では、若水照代、小林真弓、峰そのえ、都ゆかり、大日向きよみ、らの「歌唱」が傑出しているが、三河家諒の歌声や如何に?これまでに私が聴いたのは、ただの1曲にすぎない。曲名は、知る人ぞ知る名曲「東京宵待草」であったが、その出来栄えは、何とも魅力的、文字通り「旅役者でなければ出せない」哀愁に満ちていた。その風情は、「梅澤武生劇団」の名女優・竹澤隆子を彷彿とさせるほどで、私の涙はとまらなかった。
さればこそ、女優・三河家諒は、「芝居」「舞踊」「歌唱」の三拍子がそろった、「変幻自在」の名優だと、私は確信している。(2011.7.13)



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2018-08-06

役者点描・名人・喜多川志保、至芸の真髄は《無我》

女優・喜多川志保は、大衆演劇界の「名人」である。と言っても、彼女を知るファンは多くないだろう。おそらく、彼女は高齢、風貌も「小柄」で、目立たない。芝居で演じる役柄も、大半は「脇役」「端役」、「その他大勢」に混じって、「斬られ役」に回ることもしばしばではなかったか。にもかかわらず、彼女の存在は「蛍火」のように輝いているのだ。私が、彼女の舞台姿を初めて拝謁したのは、今からほぼ3年前(平成20年8月)、「橘小竜丸劇団」(座長・橘小竜丸)の舞台(川崎・大島劇場)であった。当時の様子を私は以下のように素描した。〈日曜日の夜とはいえ、客席はほぼ満席であることに驚嘆した。この劇場には、何回も通っているが、観客数はつねに10人前後、多いときでも30人を超えることはなかった。劇場の風情は、立川大衆劇場に「酷似」、どこか「侘びしげな」佇まいが、風前の灯火のような景色を醸し出していたのだが・・・。ところが、である。今回は一変、まさに劇団自体が「水を得た魚」のような勢いで、劇場全体にに「命の風」が吹き込まれたようであった。なるほど、この劇団の実力(魅力)は半端でない。「客を連れて旅をしている」ようなものではあるまいか。(中略)この劇団の特長は、「超ベテラン」の役者を尊重し、若手・中堅のなかにバランスよく、その「味」を散りばめているとでもいえようか、芝居、舞踊ショーを問わず「超ベテラン」の「一芸」が宝石のように輝いて見えるのである。松原千鳥、志賀加津雄、喜多川志保らの磨き上げられた「舞台姿」は、大衆演劇の「至宝」といっても過言ではない。言い換えれば、(老いも若きもといった)役者層の厚さが、(それぞれの世代のニーズに応えることができるので)客層の厚さも「生み出す」という理想的な結果になっているのではないだろうか。舞踊ショーの舞台で見せた、喜多川志保の「博多恋人形」(人形振り)は、斯界の「極め付き」、私の目の中にしっかりと焼き付き、死ぬまで消えることはないだろう〉。そのほぼ1年後(平成21年6月)、今度は、「小岩湯宴ランド」の舞台を見聞、彼女は芝居「刺青偶奇」の医者役、「浮世人情比べ」の(身勝手な)母親役を見事に演じ、また、「柏健康センターみのりの湯」では、なんと「加藤清正」然とした髭面の猟師役で、鉄砲まで撃ったのであった。打って変わって、舞踊ショーでは「可憐な娘姿」を、いとも鮮やかに描出する。彼女の「芸」の真髄は、文字通り《千変万化》の妙、なのである。言い換えれば、舞台の「喜多川志保」は、あくまでも「無我」、おのれを「空」にして登場人物を際だたせるという「芸風」を、しっかりと確立している。医者なら医者、母親なら母親、猟師なら猟師、娘なら娘に「なり切ること」によって、「喜多川志保」という個性(高齢・小柄)を見事に消し去ってしまうのだ。蓋し、彼女が「名人」であることの《証し》であろう。その後、詳細な経緯は不明だが、彼女は(少なくとも私にとっては)忽然として、「橘小竜丸劇団」から姿を消した。はたして、今はいずこに・・・?などと想いつつ、何の気なしにインターネットで「喜多川志保」と検索してみたところ、ナント!「Youtube・劇団天華・5.4・喜多川志保大いに、踊りました」という画像記事があるではないか。「劇団天華」といえば、座長は澤村千夜、劇団のキャッチフレーズは〈天下に咲き誇る一番美しい華になる。志高く、無限の可能性に挑む。「千代丸劇団」「劇団紀伊国屋」で芸の腕を磨いた男伊達・澤村千夜が独立旗揚げ。澤村千夜座長を筆頭に劇団が一丸となって、繰り広げる情熱舞台を感じてください〉との由、私はその舞台を平成21年5月、「ゆうパークおごせ」(埼玉県)で見聞済み、文字通り「志高く」初々しい精気がみなぎって「前途有望」な趣を呈していたのであった。なるほど、名人・喜多川志保が活躍するには「打って付け」の劇団に違いない。前記、Youtubeの画像は、舞踊「おさん」(歌・島津亜弥)の舞姿。(平成23年5月公演・大阪オーエス劇場)投稿記事とはいえ、彼女の「至芸」(の一端)は十二分に再現されている。おのれを「空」にし、全身全霊で「おさん」の情念を描出する。その気迫は、余人を寄せつけない。間違いなく「喜多川志保」という個性は消失、見えるのは「おさん」の《幻》のみ、といった風情には、鬼気迫る空気さえ漂っていた、と私は思う。とはいえ、「芸風」の好き好きは、個人の自由、ためしに、その画像記事を御照覧あれ、ちなみに、これまでの再生回数は「57」と出ていた。



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2018-08-05

役者点描・名優・甲斐文太の真骨頂は「滅びの美学」

大衆演劇のファンは全国に2万人ほどいると思われるが、その中で「甲斐文太」という役者を知っている人が何人いるだろうか。100人に満たないことは間違いないだろう。2010年5月まで「鹿島順一劇団」の座長として劇団を率いていたが、50歳半ばで座長を長男の「虎順」(現・三代目鹿島順一)に譲り、現在は劇団の責任者を務めている。私が彼の舞台を初めて見聞したのは、今から5年前(2007年11月)、劇場は「みのりの湯柏健康センター」(千葉県)であった。当時の「劇団紹介」(演劇グラフ)には、以下のように記されている。〈お見事!技で魅せます、華麗なステージ。芝居、舞踊、歌と三拍子そろった鹿島順一劇団の舞台。ピリッと筋の通った芸は見応え十分です。プロフィール鹿島順一劇団:演友会所属。昭和48(1973)年創立。劇団名は、父である初代鹿島順一が、武道の守護神である鹿島神社にちなんで命名。一生懸命をモットーに、全員が力を合わせて作り上げる明るい舞台が魅力。座長・鹿島順一 昭和30(1955〉年生まれ。和歌山県出身。血液型AB型。本格的な初舞台は17歳。幅広い役柄を巧みに演じ、演目のレパートリーは100を超える。鹿島虎順は長男。〉舞台の景色・風情は「劇団紹介」の内容と寸分違わぬ有様で、「140余りある劇団の中で、私が最も愛好する劇団」となってしまった。これまでに私は「梅澤武生劇団」の面々(梅澤武生、梅澤富美男、梅沢智也、梅沢修、辻野耕輔、河野栄治、長島雄次、市川吉丸、坂東多喜之助ら)を皮切りに、深水志津夫、金井保・金井保夫、長谷川正二郎、林友廣、見海堂駿、若葉しげる、見城たかし、旗丈司、松川友司郎、桂木日出夫、山口正夫、五月直次郎、高峰調士、龍千明、里見要次郎、大日向満、沢竜二、玄海竜二、葵好太郎、樋口次郎、かつき昇二郎、美里英二、大川龍昇、南條隆、紀伊国屋章太郎、市川千章、都城太郎、浪花三之介、白富士京弥、森川凜太郎、新川博之、松丸家弁太郎、梅田英太郎、大道寺はじめ、三河家扇弥、初代・姫川竜之助、東雲長次郎、杉九州男、寿美英二、澤村新吾、筑紫桃太郎、片岡長次郎、市川市二郎、みやま昇吾、等々「実力者」の舞台を数多く見聞してきたが、「甲斐文太」の「実力」と「魅力」は彼らと比べて「優るとも劣らない」(一と言って二と下らない)代物である、と私は思う。5年前、私は甲斐文太(当時は座長・鹿島順一)について以下のように感想を述べた。「①座長・鹿島順一が登場しただけで、舞台はピリッと引き締まり、牡丹の花が咲いたようになる。瑞々しい男の立ち姿、上品な女の艶姿が、えもいわれぬ澄み切った色香を漂わせる。かつての映画スター・長谷川一夫、高田浩吉を足して二で割ったような風貌・芸風で、芝居・舞踊・歌唱とも斯界の第一人者と思われる。②芝居における「間のとり方」「力の抜き方」、舞踊における「体の動きの線」のあでやかさ、歌唱における「めりはり」のつけ方において、右に出る者はいない。「演劇グラフ」の案内にあるように、「芝居、舞踊、歌と三拍子そろった」名優である。*近江飛龍は「力の抜き方」において及ばない。舞踊では、見城たかし、南條光貴が迫っているが、「男」踊りでは及ばない。歌唱では、見海堂 駿が迫っている。③客の人気に迎合することなく、淡々と、しかも華麗な舞台を創り続けている姿には敬服する。(座員一同は)座長を筆頭に、やや「控えめ」、「力を溜めた」演技が魅力的である。「女形舞踊」を「安売り」することなく、「男」踊りの色香に賭けようとする演出は心憎いばかりである。」以来、5年が経過したが、その想いは全く変わらない。「甲斐文太」の《至芸》を数え上げればきりがない。芝居では「春木の女」のトラ、「噂の女」のまんちゃん、「浜松情話」の老爺、「三人芝居」の老婆、「心模様」の姑、「アヒルの子」の大家、「マリア観音」の安倍豊後守、「命の架け橋」の大岡越前守、「忠治御用旅」の国定忠治、「里恋峠」の更科一家親分、「三浦屋孫次郎」の飯岡一家用心棒、「木曽節三度笠」の鮫一家親分又は喜太郎、「越中山中母恋鴉」の旅鴉、「紺屋高尾」の久造、「人生花舞台」の老優又は清水次郎長、「関取千両幟」の関取稲川、「悲恋夫婦橋」の幇間、「仇討ち絵巻・女装男子」の家老又は敵役、「月とすっぽん」の平太郎、「新月桂川」、千鳥の安太郎・・・等々、舞踊では、「安宅の松風」(三波春夫)、「弥太郎笠」(鶴田浩二)、「ど阿呆浪花華」(金田たつえ)、「浪花しぐれ『桂春団冶』」(京山幸枝若)、「瞼の母」(二葉百合子)、「大利根無情」(三波春夫)、「刃傷松の廊下」(唄・鹿島順一)に始まる「忠臣蔵」の立花左近、俵星玄蕃、「人生劇場」(村田英雄)の吉良常・・・等々、歌唱では「瞼の母」(京山幸枝若版)、「無法松の一生」「男はつらいよ」「よさこい慕情」「恋あざみ」「明日の詩」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「東京レイン」「雪国」「ああ いい女」「北の蛍」・・・等々、文字通り「幅広い役柄を巧みにこなす」。しかも、その「巧みさ」は単なる小手先の芸にあらず、「ピリット筋の通った芸」であり、その口跡、表情、姿、歌声の数々は、は観客(私)の心中に、じわじわと染みわたって、消えることがないのである。それかあらぬか、「甲斐文太」は決してその《至芸》を記録に残そうとしないのだ。まさに「お見事!」という他はない。《至芸》は生の舞台が勝負、臨席した観客との「呼吸」で決まることを彼は熟知している。「甲斐文太」の《至芸》は「その場」でしか観ることができない、「滅びの美学」なのである。彼は「世の無常」を知っている。「身の程」も知っている。「みんな儚い水の泡」であることを知っている。《至芸》の源泉は、おそらく彼の「出自」に由来するであろう、また、これまでの(順風でなかった)「生業体験」が彼の芸域の広さを支えているのであろう。さらに言えば、「座長」としての「実力」(貫禄)も半端ではない。おのれは脇役・敵役に徹し、常に座員を引き立てる。「うちの座員はみんな個性的です。好き嫌いはあると思いますが、どうか平等に拍手をおくってやってください」。そんな心遣いに育まれてか、藤千之丞(現「三条すすむ劇団」)、蛇々丸(現「浪花劇団」)、春大吉(現「おおみ劇団」)らの座員が、「名優」の足跡をのこして旅立っていった。蓋し、座員の面々は「甲斐文太」とともにある(同じ舞台を踏んでいる)限り、誰でも「名優」になれるのである。妻女の春日舞子、重鎮の梅之枝健、長男の三代目鹿島順一、今やベテランとなった花道あきらはもとより、若手の赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉、新入りの滝裕二,壬剣天音に至るまで、(本人の自覚・精進がありさえすれば)、みな等しくその「可能性」を秘めているのである。また、「甲斐文太」は、座長時代の口上で述べていた。「役者は舞台が命です。どうか舞台の私を観てください。化粧落とせばただの人。スッピンの私に気づくお客様はほとんどいません」。その裏には、「舞台を下りれば五分と五分、客にへつらう(迎合する・媚びる)必要などあるものか」といった心意気が感じられ、私は心底から納得・感動する。斯界の通例は「客の送り出し」サービス、そこで愛想を振りまくことが「人気」のバロメーターになっているようだが、そんなことには全く無頓着、加えて「客の入り」(観客動員数)など歯牙にも掛けずに舞台を務める「気っ風」が、彼の「滅びの美学」を確固と支えているに違いないのである。(2011.5.30)



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2018-08-04

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《プロフィール》

【鹿島順一劇団】(平成19年11月公演・柏健康センターみのりの湯)
 座長・鹿島順一が登場しただけで、舞台はピリッと引き締まり、牡丹の花が咲いたようになる。瑞々しい男の立ち姿、上品な女の艶姿が、えもいわれぬ澄み切った色香を漂わせる。かつての映画スター・長谷川一夫、高田浩吉を足して二で割ったような風貌・芸風で、芝居・舞踊・歌唱とも斯界の第一人者と思われる。座員には妻・春日舞子、長男・虎順、花道あきら、蛇々丸、春大吉、梅乃枝健等、いずれも実力者が揃っている。
 客の人気に迎合することなく、淡々と、しかも華麗な舞台を創り続けている姿には敬服する。座長を筆頭に、やや「控えめ」、「力を溜めた」演技が魅力的である。「女形舞踊」を「安売り」することなく、「男」踊りの色香に賭けようとする演出は心憎いばかりである。
<座員寸評>
・鹿島順一:これまでに身につけた「風格」「技」を、ひとりでも多くの座員に伝授してもらいたい。特に、芝居における「間のとり方」「力の抜き方」、舞踊における「体の動きの線」のあでやかさ、歌唱における「めりはり」のつけ方において、右に出る者はいない。「演劇グラフ」の案内にあるように、「芝居、舞踊、歌と三拍子そろった」名優である。*近江飛龍は「力の抜き方」において及ばない。舞踊では、見城たかし、南條光貴が迫っているが、「男」踊りでは及ばない。歌唱では、見海堂 駿が迫っている。
・春日舞子:目を明いたまま「盲目」の役をこなせる数少ない「演技派女優」である口跡はやや単調だが、心情の「機微」は十分に表現している。「老け役」「悪女」、「コミカルな役」づくりに期待する。*芝居において富士野竜花、都ゆかりの「実力」と拮抗している。
・花道あきら:「力を抜いた」演技に徹することが肝要。「つっこみ」から「ボケ」への瞬時の「変化」、「敵役」「汚れ役」にも期待する。「女形舞踊」は魅力的。「力を抜いた」舞踊をめざせば大成する。
・蛇々丸: 芝居、舞踊の「実力」は太鼓判を押せる。「重いセリフ」同様に「軽いセリフ」も、ゆっくりと、確実に、力を込めて・・・。「身振り」(パントマイム)による表現力は絶品、同様に「表情」による表現も自信を持ってゆっくりと。目線一つで笑わせる「技」に期待する。新人女優の「棒ゼリフ」に棒ゼリフで応えたアドリブはさすが。また、「舞踊」(安宅の松風)における富樫、判官、弁慶の「踊りわけ」は見事であった。
・春大吉:「源太時雨」は熱演。「セリフ回し」では、声量を「調節」することが肝要。ワイヤレスマイクを通してスピーカーから出る自分の声を「聞く」余裕が欲しい。「身のこなし」ひとつで「心」は表現できる。立ち位置、姿勢、目線の使い方など、座長の「技」を盗んで欲しい。「ボケ」から「つっこみ」への瞬時の「変化」、「静」と「動」の使い分けに期待する。「女形舞踊」は魅力的、自信を持ってよい。
・虎順: 舞踊の「基礎・基本」が確実に身についている。楷書的な「芸風」は見事 の一語に尽きる。観客は、誠実、真摯な舞台姿に感動する。今後は、少しずつ「力を抜く」ことが必要、ただし油断すると楷書がデタラメになるおそれがあるので細心の注意をしなければならない。楷書から行書、行書から草書への「道のり」は容易ではないが、その「力」は秘められている。客の歌声にあわせて踊った「人生桜」、障害のある娘役を演じた「演技力」が、そのことを証明している。*ライバルに、南條影虎、恋川純、早乙女太一がいる。
・梅之枝健: いぶし銀のような脇役、「老け役」「汚れ役」「ボケ役」「敵役」どんな役 でも器用にこなせる貴重な存在である。華麗な舞台を引き締める、「影」のような役割にも期待したい。「老け役」のコミカルな「舞踊」を観てみたい。
・金太郎:「阿波踊り」「チャンチキおけさ」などテンポの速い「舞踊」に挑戦してほしい。「舞踊」の「身のこなし」が、芝居の「表現力」に通じるからで       ある。
・香春香(新人女優):春日舞子の「代役」として、臆することなく「堂々」と演じた舞台態度は立派である。セリフは一本調子でよい。「芝居」も「舞踊」も、つまりは「体」で表現するものだから。「表情」「身のこなし」を鏡に映し、自分の姿を確認しよう。今、観客はあなたの「芸」ではなく「懸命な努力」に感動している。

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(2011/05/11)
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2018-08-02

花の歌謡絵巻・名曲「ダンディ気質」の《歌い手》模様

田端義夫 ベスト1 TFC-609田端義夫 ベスト1 TFC-609
(1998/10/01)
田端義夫

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 昭和(戦後)の名曲に、「ダンディ気質」という作物がある。リリースは昭和23年、作詞・清水みのる、作曲・大久保徳二郎、歌手・田端義夫、ということで、歌詞は以下の通りである。〈花のキャバレーで 始めて逢(お)うて 今宵ゆるした 二人のこころ こんな男じゃ なかった俺が 胸も灼きつく この思い ダンディ気質(かたぎ) 粋なもの
唄と踊りの ネオンの蔭で 切った啖呵(たんか)も あの娘のためさ 心一すじ 俺らの胸に 縋(すが)る純情が 離さりょか ダンディ気質 粋なもの 赤いグラスに なみなみついだ 酒に酔うても 心は酔わぬ 渡る世間を 狭(せば)めて拗(す)ねて どこにこの身の 春がある ダンディ気質 粋なもの〉。田端義夫といえば「わかれ船」「かえり船」「玄海ブルース」「大利根月夜」が有名だが、この「ダンディ気質」は、イントロを聞くだけで、心うきうき、鋭気・覇気・元気が湧き上がってくる代物である。「ダンディ&気質」というタイトルを筆頭に、以下の歌詞も、キャバレー、ネオン、グラスといった「洋風」の景色に対して、「始めて逢うて」、「酒に酔うても」といった「和風」(文語調)の心象が入り混じり、昭和20年代の「歓楽街」の風情を彷彿とさせる。戦後日本の活気に溢れた「和洋折衷」歌謡の典型的な作物であろう。今でも、(ユーチューブで)、往時の田端義夫の《粋な》歌声を十分に堪能できるとは何と幸せであろうか。私がこの歌を初めて聞いたのは、松竹映画「東京キッド」(監督・斎藤寅次郎、主演・美空ひばり、共演・川田晴久、堺駿二、花菱アチャコ、榎本健一・1950年)の中であった。文字通り、「花のキャバレー」(唄と踊りのネオン街)を流し歩く演歌師・川田晴久が「ダンディ気質」を歌い出すと、それを聞いた占い師・榎本健一が「憑かれたように」踊り出す場面は抱腹絶倒、まさに、心うきうき、鋭気・覇気・元気を湧き上がらせることの「証し」であった。さらに、もう一人、この名曲を見事に歌い上げた歌手にアイ・ジョージがいる。アイ・ジョージもまた「流し」出身、「硝子のジョニー」「赤いグラス」「道頓堀左岸」などの持ち歌から、「ラ・マラゲーニア」「ベサメ・ムーチョ」「キサス・キサス」などの十八番に加えて、「荒城の月」「城ヶ島の雨」「叱られて」「うぐいすの夢」などの歌曲・童謡、「戦友」「麦と兵隊」「戦友の遺骨を抱いて」などの軍歌、「小諸馬子唄」「佐渡おけさ」などの日本民謡、「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」などのロシア民謡、さらには「スワニー」「聖者の行進」「ムーン・リバー」などなどのスタンダード・ナンバーに至るまで、そのレパートリーは広く、歌唱力も群を抜いている。その彼が、おそらくライブ・コンサートの中で、ほんの余興として歌った「ダンディ気質」の一節は珠玉の逸品。ギターの弾き語りで「花のキャバレーで 始めて逢(お)うて 今宵ゆるした 二人のこころこんな男じゃ なかった俺が 胸も灼きつく この思い ダンディ気質(かたぎ) 粋なもの」と弾むように明るく歌い終えると、ナント、口三味線で「スチャラカチャンチャン・スチャラカチャン・・・」、その声音の「やるせない」「投げやりな」風情こそが、この歌の《真髄》とでも言えようか、彼(および私たち)の人生が一点に凝縮されているようで、私の(感動の)涙は止まらなかった。(2014.3.24)



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2018-07-29

付録・邦画傑作選・《「簪(かんざし)」(監督・清水宏・松竹・1941年)》

 1941年(昭和16年)、山梨の下部温泉で一夏を過ごす人々の物語(原作・井伏鱒二)である。長逗留をしているのは学者・片田江先生(齋藤達雄)、復員兵とおぼしき納村猛(笠智衆)、商家廣安の若旦那夫妻(日守新一、三村秀子)、老人(河原侃二)とその孫・太郎(横山準)に次郎(大塚正義)といった面々である。そこに身延山詣での団体客(蓮華講中)が押し寄せてきた。入館するや1階では按摩の予約で大騒ぎ、18人のうち12人の按摩を確保したなど世話役の話が聞こえる。2階の縁側に居た納村が「なかなか賑やかですな」と言えば、先生「賑やかとはどういうことです。あれはウルサイと言うんです」、老人が「なかなか景気がいいですな」と言えば「ご老人にはあれが景気よく感じられますか。あれはウルサイと言うんです」。すかさず太郎が近づいて「おじいさん、また怒られたの」。騒ぎはいっこうにおさまらない。先生、いらいらして廊下の襖を開ければ、若旦那が「なかなか派手ですね」と言いながら立っていた。「派手とはどういう意味ですか。君にはあれが派手に見えますか。ウルサイ!」。若旦那の奥さんがそれを見て「ホラご覧なさい、また叱られた」。どうやら、皆、顔馴染みの様子、学者先生はことのほか気むずかしい気配が感じられた。先生はたまらず帳場に電話、「実にどうもさっきからウルサイですな。けしからんです。旅には旅の道徳というものがあるんです。注意したまえ。今日はうるさくて勉強できん。按摩にかかって寝るから按摩をよこしたまえ。・・・何!按摩はふさがっておる?一人もおらんのか・・・」。
 蓮華講中の中に、囲い者とおぼしき女・太田恵美(田中絹代)、その朋輩のお菊(川崎弘子)が混じっていた。恵美が按摩されながら「按摩さん、先生ってなあに」と尋ねると「夏の初めから御滞在です。なんでも難しい本を読んでらっしゃる先生ですよ。この間お湯の中で詩吟を唸っていると、先生がそれは君が作った詩かと聞いた訳なんです。いやこれは誰々が作った有名な詩だと答えると、先生は他人が作った詩を得意に詠うなんて、それはむしろ滑稽であると、こういった訳なんです」。恵美笑いながら「おやおや、それでは芸者衆なんかお座敷で何も唄えないわけね。みんな人様の作ったものばかりじゃないの」「それからみんな詩吟は詠わなくなったそうです」「かわいそうなこと」。
 しかし、かわいそうなのは先生の方であった。その夜、按摩は来ずじまい、一睡もできずに朝を迎えることになった。翌日の朝、顔馴染み一同で露天風呂に浸りながら、また先生のぼやきと講釈が始まる。納村は老人の孫たちと風呂の中で遊んでいたが、突然「ア、痛い!」と叫んだ。右足に何かが突き刺さっている。それは女物の簪であった。一同は「大変!」と納村を部屋まで連れて行き、宿の亭主(坂本武)を呼びつける。平謝りの亭主に先生が、何たることかと噛みついたが、納村は冷静に「ほんのかすり傷です。情緒が足の裏に突き刺さったくらいだと思っていますよ」。先生「何?情緒が突き刺さった?君、それは廃退的で卑属的だ!その簪を落とした婦人が美人であることを期待してるんだな」。といったやりとりが何ともおかしく、私の笑いは止まらなかった。期待しているのは、先生の方であったかもしれない。
 やがて、簪の落とし主は恵美であることが判明、恵美は謝罪に訪れるという。一同は「美人であること」を期待して待つうちにいよいよ御対面となった。先生はことのほか満足の様子で、自分の部屋をあけわたし老人や孫と同室する算段、かくて馴染み客の中に恵美も加わることになった次第である。 
 納村の負傷は意外に深く、松葉杖に頼らなければ歩けない。回復までには相当の時間がかかりそうだ。林の中で太郎、次郎に励まされながらリハビリを続けている。そんな様子を見守りながら、恵美も納村に惹かれたか、これまでの愛人生活に終止符を打とうと決意する。
 納村のリハビリは林の中から下部川の一本橋へと移る。滔々と流れる川面に架けられた細い板の上をバランスを欠きながら懸命に渡り始めた。対岸で応援する恵美、太郎、次郎・・・、「おじさん、渡り始めました。10メートル進みました。懸命に歩いております。おじさん頑張れ、頑張れ!」。あと僅かの所で、納村は倒れ込んだが「案外と難航コースでした」などと頬笑んでいる。恵美は「あそこまで私がおぶってあげるわ」。今度は「おばさん。頑張れ、頑張れ!」、二人で川を渡り切ることができたのであった。
 翌日。恵美は川で馴染み客達の洗濯をしながら、迎えに来ていた朋輩のお菊に向かって、今の生活に何の不自由もないが所詮は日陰の花、それよりもお天道様の下で真っ黒になりながら、目的をもってあたりまえの生活をする方が価値があると説いた。「これといってあてがあるわけではないけれど、お天道様が教えてくれるでしょう。あなたもよく考えた方がいいわよ」「お説教しに来たのに、あべこべにお説教されちゃったわ」というお菊の言葉が印象的であった。
 やがて、物語は終局へ・・・、夏の終わりが間もなくやって来る。馴染み客たちは帰京後も再会しようと約束して、学者先生が宿を去った。廣安夫婦もいなくなり、残された納村、太郎、次郎と恵美、川縁に近い寺社の階段にやって来た。この階段を登り切れば、納村も東京へ帰るという。「頑張れ、頑張れ」という子どもたちの声を聞きながら恵美の心は千々に乱れる。「どうか登ってほしい、でも納村と別れたくない・・・」とうとう、納村は登り切った。「バンザイ、バンザイ」と叫ぶ子どもたちの声を背に、恵美は一人涙ぐむ。「おばさん、どうして泣いているの?」「おじさんが登れたので、嬉しくて泣いているのよ」とその場を繕ったが、淋しさ、切なさの涙であることに変わりはなかった。
 夏休みは終わった。一人残された恵美に納村からの手紙が届いた。「東京へ帰ってから、松葉杖を棄ててステッキを用いています。今夜は例の第一回常会です。東京へお帰りになるのをお待ちしています」。恵美は、納村と出会った林の中、一本橋、寺社の階段を巡りながら、淡い思い出を噛みしめるうちに、この映画は閉幕となった。
 日中戦争の最中、太平洋戦争を控えた物資不足の時代にしては長閑で牧歌的な空気が漂う。子どもたちから「おじさん、おばさん」と呼ばれる中年男女の交情が、あっさりと描かれている佳作である。ここまでは触れなかったが、その仲をとりもった学者先生や廣安夫妻の風情もどこかコミカルでユーモアに溢れている。何かにつけて「うちの(家内)が・・・」と口走り、学者先生に叱られる若旦那、「廃退的イリュージョンがですね」などと先生の言葉を納村に受け売りし、「君の言うことはさっぱりわからんよ」とあしらわれる様子が、色を添えていた。また、若さ漲る笠智衆、田中絹代の溌剌とした姿を拝見できたことも望外の幸せであった。感謝。
(2016.9.17)



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2018-07-23

付録・邦画傑作選・「ことぶき座」(監督・原研吉・1945年)

 ユーチューブで映画「ことぶき座」(監督・原研吉・1945年)を観た。この映画が作られたのは、敗戦直前の昭和20年6月、当時の社会状況、日本人の意識を知るには恰好の作品であると思う。登場人物の服装は、男は戦闘帽に軍服、女はモンペ姿、「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまでは」といった意識が津々浦々にまで行き渡っていたことがよく分かる。私は当初、これは軍隊の映画だと思ったが、主人公は梅中軒鶴丸(高田浩吉)という浪曲師であった。北海道に慰問に訪れる芸人一行のリーダー格が鶴丸で、彼には8年前、釧路で1年半ほど過ごした「青春の(苦い)思い出」があった。道中の列車の中で彼は回想する。
 舞台は釧路の「ことぶき座」、鶴丸の人気は絶頂で連日大入りの盛況ぶりだが、今ひとつ鶴丸の身が入らない。興行主・鈴村(小杉勇)の娘・千代(高峰三枝子)に惚れてしまったか、それを言い出せず、また言い出したところで、有力者の娘と一介の芸人では釣り合う話ではない。鶴丸は休演を重ねて仲間と酒浸り毎日を過ごすようになった。ある祭の晩、人々はひとときの遊興を楽しんでいたが、騒ぎが持ち上がった。男同士のケンカらしい。土地のごろつき連中に絡まれた千代を助けようとして、鶴丸は孤軍奮闘、相手を追い払った。千代は、ありがとうと感謝して鶴丸を自宅に誘う。そこでは鈴村と、お気に入り(千代の見合い相手)の大久保が酒を酌み交わしていた。様子を聞いた鈴村は鶴丸を労い杯を与え、一緒に飲もうと誘う。大久保は千代にギンギツネの襟巻きをプレゼントすると千代は大喜び、鶴丸にも「これは御礼です」と言って祝儀袋を差し出した。「今度、狩猟に行きましょう」と千代を誘う。そうか、千代には決まった人がいたのか、鶴丸は「私はこれで失礼します」と祝儀袋を突き返して立ち去った。「よくまあ、一人で無事だったな」という仲間に「必死だった。命がけだったもの」と答える鶴丸の姿は、失意のどん底といった風情でたまらなく魅力的であった。極め付きは、大久保と千代が狩猟を楽しむ場面、大久保が銃を二、三発放つと、近くの河原でガックリと倒れ込む鶴丸、恋の痛手に立ち直れない傷心の様子が見事に描出されていた、と私は思う。
 やがて鈴村は番頭の常吉(小堀誠?)から、「鶴丸は、お嬢さんが好きなんです」という話を聞く。そうだったのか、鈴村は鶴丸の下宿を訪ね「どこの娘に惚れたかは知らんが、そんなことで一生を台無しにしてはいけない。東京に戻って芸道を極め、男になれ」と資金を提供する。その侠気に鶴丸は打たれ、「わかりました。この御恩は生涯忘れません」と平伏した。
 それから8年、鶴丸は広沢虎造(広沢虎造本人)に弟子入り、修行を重ね、芸道を極めつつある。そして今、各地で慰問を重ね、終盤の釧路に向かっている。まず、真っ先に訪れたのが懐かしい「ことぶき座」、しかしそこは軍需工場に様変わりしていた。鈴村はその工場の事務係長として使われている。常吉の話では、千代と結婚した大久保が事業に失敗、そのために財産を次々に手放したとのこと、千代は(手放した)牧場で働き、大久保は5年前に弘前に出奔、他の女と暮らしているという。変われば変わるもの、しかし、鶴丸は未だに独身であった。彼は鈴村、千代に面会、「せめてもの恩返し、私のもとに来て下さい」と頼んだが、鈴村は「同情しているのか、8年前、芸道に励めと言ったが生意気になれと言った覚えはない、帰れ!」と激昂してしまった。万事休す、やむなく釧路を去る羽目になったのだが・・・。どうしても思い切れない鶴丸は、たまたま慰問の最終地・函館で合流した師匠・広沢虎造に相談、「お前さんの誠意が伝わらなかったら立場がない。男の度胸ではっきりと言ってみるんだ。“お嬢さんを私の嫁にください”と、その方がさっぱりするだろう」と助言された。
 かくて鶴丸、意を決して釧路に引き返す。その知らせを常吉から聞いた千代も、意を決して駅まで出迎えに、その顔に見る見る笑みがこぼれるうちこの映画は「終」となった。 見どころは、何と言っても「戦時下」(それも末期・敗戦間近)の状況、とりわけ人々はどんな娯楽を楽しんでいたか、という一点に尽きる。その主流は浪曲、広沢虎造の「清水次郎長伝」のうち「森の石松」「追分三五郎」「仁吉りえん」、「国定忠治」より「忠治恩返し」等の一節が、場面場面のBGMとしてふんだんに盛り込まれている。さらに「ことぶき座」で演じられる舞踊・会津磐梯山、女義太夫、千代がたしなむ謡曲の舞、さらには慰問団や祭り舞台での舞踊(歌謡曲?端唄?曲名は不詳)などなど、往時の舞台が懐かしい。
 なかでも、鶴丸・高田浩吉の姿に「白鷺三味線」のメロディーを重ねる演出は秀逸、また彼自身が披露する浪曲「追分三五郞」の一節も「掘り出し物」であった。加えて、巨匠・広沢虎造の全盛期の舞台姿を目の当たりに見聞できたことも望外の幸せ、(遊興的な)歌舞音曲が著しく制限された世相の中で、精一杯、映画作りに励んだ関係者一同に大きな拍手を贈りたい。
(2017.4.28)



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2018-07-21

付録・邦画傑作選・《「旅役者」(監督成瀬巳喜男・東宝・1940年》

  戦前の邦画「旅役者」(監督成瀬巳喜男・東宝・1940年)をユーチューブで観た。大変おもしろい。田舎町を旅する中村菊五郎(高勢実乗)一座の物語である。一座の当たり狂言は「塩原太助」。馬の役を務めるのは俵六(藤原鶏太)と仙平(柳谷寛)のコンビである。俵六は、馬の脚を演らせたら自分が日本一だと自負している。町に到着すると一行は、リヤカーや人力車に乗って街道を練り歩くが、俵六と仙平は稽古に余念がない。一段落して、開演までのつかの間を、氷屋で過ごす。その途中、折しも出会った出征兵士と馬を見送りながら、俵六が「何だか他人のような気がしねえなあ・・・」と呟く場面が印象的であった。俵六にとってそれは、ひしひしと迫り来る戦争への予感であり、人馬に対する餞の言葉だったかもしれない。店の娘(山根寿子)にかき氷とラムネを注文、娘いわく「あんたたち、芝居の人だね」「わかるかい」「でも道具の方でしょう?」「これでも立派な役者だよ」「へえ・・・、どんな役をやるの?」「馬だよ、今夜、観にお出でよ」思わず娘が笑い出す・・・といった景色が何とも懐かしく魅力的であった。興行は大盛況、そんな噂を聞きつけ、別の町からもお呼びがかかったか・・・。
 興行師の若狭屋(御橋公)と小屋主の北進館(深見泰三)は、一儲けしようと、床甚(中村是好)に「菊五郎を呼んで、儲けは山分けだ」と誘いかける。床甚「そんな有名人が来るなら」と同意、ポスターまで自作、街のあちこちに貼りまくった。いよいよ、一行が駅に到着、床甚は迎えに出たが、どうも様子がおかしい。肝腎の菊五郎がいないではないか。それもそのはず、菊五郎とは尾上ではなく中村・・・、床甚の気持ちはおさまらない。「みんなでオレを騙しやがって!」、一座を迎える宴で泥酔し、北進館に絡んだが。勧進元・若狭屋の姿が見えない。「野郎!どこへ行きやがった」、その姿を求めて、北進館の(誰もいない)楽屋に紛れ込むうち、フラフラしながら何かを踏んづけた。よく見ると、馬の頭、「何だこんなもの」と言いながら、凹んだ頭を枕に寝込んでしまった。しばらくして、その様子を見つけた中村菊五郎、若狭屋たち、「とんでもないことをしてくれた」と床甚を叩き起こす。酔いが覚めた床甚、「フン、馬のツラが何だ、オレのツラをつぶしやがって!」と若狭屋に食ってかかった。「何だと!」と若狭屋も応じたが、北進館になだめられて冷静になり、床甚に謝る。「すまなかった、本当のことを言わないで・・・」床甚も「そっちがそう出るのなら・・・」と矛を収めた。しかし、菊五郎は収まらない。「この馬がなければ、明日フタを開けることができない。何とかしてウマく直しておかないとね・・・」かくて床甚は、凹んだ馬の頭を持って提灯屋に赴くことになった。「徹夜仕事でもいいから、この頭を繕ってくださいな、御礼は十分にさせてもらいます」。
 そんな事情は夢にも知らない俵六と仙平,料理屋の一郭で女たち(清川虹子、伊勢杉子)に「馬の脚談義」の能書きを垂れている。「オレなんぞは後脚5年、前脚10年、修業を重ねた日本一の馬の脚役者、馬の団十郎といったところだ!」と言って、嘶きまで披露した。面白がって大喜びする女たち、「明日、必ず観に行くからね」ということになった。
 翌日、俵六と仙平は菊五郎に呼び出され、昨夜の事情を知ることになった。「昨日、若い者が粗相して馬のツラをつぶしてしまった。修繕されて来たので見てくれないか」。俵六、その馬を見るなり「こいつはいけねえや、こりゃ化け損なったキツネのツラじゃねえか」「そこを何とか、こらえてくれ。馬が出なければ幕は開けられない」と、菊五郎が懇願するが、俵六は応じずに呟いた。「どこのどいつが繕ったか知らねえが。キツネとウマの見分けがつかねえなんて、情けねえハンチキ野郎だ!」馬の頭を持ってきた床甚がそれを聞いて、黙っていなかった。「オイ、オメエ。馬の脚のようだが、脚のくせにツラをこきおろすのは贅沢じゃねえか。化け損なったキツネとはよう言ったのう。キツネに見られりゃ結構じゃ。そのつもりで貼らせたんじゃい。東京役者や何たらこうたら、どうせへっぽこ芝居に違いなかろうに、キツネ馬でたくさんじゃろかい!」俵六も言い返す。「ナニ!てやんでい!俵六はなあ、キツネ着てウマ務めるほど耄碌はしてねえんだ。オレの馬はなあ、どこにもある、ここにもあるという安い代物じゃあねえんだ、ベラボーメ!」「フン、がまの油でもあるまいし・・・」といった、やりとりは抱腹絶倒の名場面、今はなき藤原鶏太と中村是好の丁々発止の「セリフ回し」が、たいそう際立っていた。
 その日はやむなく休演、しかし翌日には曲馬団の本物の馬で幕を開けることになったという次第、これは大成功したが、俵六と仙平の出番はなし・・・、「フン、本物の馬に芝居ができてたまるけえ」、翌日も無聊を託つ二人が縁台でどぶろくを飲み交わす。そこにやって来たのが料理屋の女たち、「あんたたち、どうしたのさあ、芝居、昨日観に行ったけど出ていなかったじゃないか。馬の腹の中にでも入っていたのかい」と冷やかした。俵六、たまらず「そんなら、今ここでみせてやらあ」。二人は楽屋に駆け込み馬の衣装を整えると、さっそうと野外の舞台に登場してきた。女たち「あら、じょうずねえ・・」と大喜びしたが、俵六たちの演技が止まらない。本物の馬小屋に突進、つながれている馬は驚いて脱走、俵六と仙平が馬の姿で後を追う。「アニキ!もうやめよう」と仙平が止めるのも聞かず、俵六は途中出会った床甚を水路に蹴落として、さらに馬を追いかける。「何だ、何だ!」と、群れ集う街の人々を尻目に、俵六の馬はとうとう本物の馬を町外に追い出しつつ・・・、閉幕となった。
 さすがは「旅役者」、名匠・成瀬巳喜男監督の腕前はお見事!その鮮やかな出来映えに私の笑いと涙が止まらなかった。藤原鶏二(釜足)、柳谷寛、中村是好はもとより、菊五郎を演じた高瀬実乗の(「座長」の)風情は天下一品、あわせて若き日の山根寿子、清川虹子の艶姿も拝見できるという代物で、邦画史上屈指の極め付きであったと私は思う。ぜひユーチューブでの観賞をお勧めしたい。(2016.8.10)



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2018-07-19

付録・邦画傑作選。《「浮草物語」(監督小津安二郎・1934年)》

 戦前の「大衆演劇」を描いた邦画に「浮草物語」(監督小津安二郎・1934年)がある。ユーチューブで観賞できるが、サイレント版であり、全く沈黙の世界である。しかし、場面の随所にはセリフの字幕が挿入されており、不自由はしない。
 登場するのは市川喜八(坂本武)一座、信州(?)の田舎町に九年ぶりにやってきた。この町には喜八の隠し子の信吉(三井秀男)が、居酒屋を営む母・かあやん(飯田蝶子)と共に住んでいる。到着早々、喜八は現在の女房・おたか(八雲理恵子)に「土地の御贔屓筋の挨拶回りだ」と偽って居酒屋へ・・・、久しぶりに再会する喜八とかあやん、ニッコリと微笑み合って、「もうそろそろ来る頃だろうと思っていたよ」「信吉は大きくなったか」「ああ、農学校を卒業して今は専修科に通っているよ」「女手ひとつで随分苦労をしたろうな」「なーに、生きがいだから、ちっとも苦にはならないよ・・・、一本つけようか」・・・。昔、浮き名を流した中年男女の、互いをいたわり合う会話が清々しい。信吉には、親が旅役者ではまずかろうと、「お父さんは役場に勤めていたが、死んでしまった」と告げてある。「そのままにしておこう」と二人が確認し合ううちに、信吉が帰ってきた。かあやんが「信吉おかえり。芝居のおじさんが来てるよ!」。信吉もニッコリ笑って喜八を迎えた。「ずいぶん大きくなったなあ」。かあやんが「来年は検査だよ」というと喜八は信吉の身体をまぶしそうに眺めて「ウン、甲種だな」。「おじさん!、鮎釣りにいかないか」「ヨシ、行こう」、二人は近くの河原に赴いた。釣り糸を流しながら会話する。「おじさん、今度は長く居られるんだろう」「ああ、お客が入れば一年でも居られるさ」「楽屋に遊びに行ってもいいかな」「あんなところは、お前の来る所じゃねえ、人種が違うんだ」。
 その夜の興行は大入り満員、演目は「慶安太平記」であった。喜八の丸橋忠弥がほろ酔い気分で登場、ふらつきながら見栄を切ったが、犬がなかなか出てこない。袖に向かって「オイ、犬、犬はどうした!」と小声で叫んだ、出番の子役・富坊(突貫小僧)、あわててぬいぐるみを被り、客席から登場して忠弥に突進・・・、その様子が何とも可愛らしく、観客の大喝采が聞こえるようであった。しかし、突然降り出した驟雨のため、小屋の雨漏りが甚だしく、楽屋も客席も右往左往して、大騒動となってしまった。
 次の日も、次の日も、次の日も雨は止まない。芝居は休演で、座員は無聊を託っているが、喜八は連日の居酒屋通い、一同は「それにしても親方はのんきだなあ」という言葉に古参の座員・とっつあん(谷麗光)が口を滑らした。「そりゃあ、この土地に来たら仕方ねえよ」。それを聞きとがめたおたかが問い詰める。「お前さん、妙なことをお言いだねえ」。金まで掴まされて、とっつあんは、やむなく真相を白状、おたかの知るところとなった。おたかの気持ちは収まらず、妹分のおとき(坪内美子)を連れて居酒屋に押しかける。「おかみさん、一本つけておくんない」。二階では喜八と信吉がトウモロコシを囓りながら将棋に興じていたが、かあやんが昇ってきた。「お迎えだよ」。驚いた喜八が下に降りると、おたかとおときが酒を酌み交わしている。思わず「何しに来やがった!」とおたかを店からつまみ出し、痴話喧嘩が始まった。雨の中、「てめえなんかが出しゃばる幕か、オレがオレの倅に会いに行くのが何が悪い」「そんな口がきける義理かい。高崎の御難のことを忘れたか。あんまり舐めたマネ、おしでないよ!」」といったやりとりが、何とも真に迫っていて、男女の色模様が千変万化する景色に圧倒された。とどのつまり「おめえとの縁も今日っきりだ、二度とあの家の敷居をまたぐと承知しねえぞ。オレの倅とお前なんぞとは人種が違うんだ」という捨てセリフでその場は終わったが、喜八とおたかの亀裂は決定的となった。おたかは、おときに金を渡して信吉を誘惑させるが、おときは信吉に夢中の有様、若い二人は本気で逢瀬を楽しむ始末に・・・。
 ようやく雨が上がって、座員一同、河原で衣装の洗濯にとりかかったが、一人おときの姿が見えない。喜八はその日の夜、信吉に会おうと居酒屋を訪れたが、「この頃、毎晩出て行くんだよ」というかあやんの話。やむなく小屋に戻ったが、おときを送ってきた信吉の姿を目撃、おときを問い詰めると「お姉さんに頼まれて誘惑した、でも今では私の方が夢中なの」、驚いて「おたかを呼べ!」・・・、おたかは少しも悪びれずに「お前さん、何か私に用かい」「てめえ、オレの倅をどうしようてんだ」「どうもしないさ、息子さんも旅役者を情婦にするなんて、あんたそっくりということさ。これであんたとアタシは五分と五分・・・、せいぜい悔しがるがいい!」」と言い放った。そしておときも行方をくらました。喜八、居酒屋に駆けつけたが、案の定、信吉とおときは駆け落ち状態に・・・。喜八、全身の力が脱けて、「かあやん、こいつはエライことになったぜ」と言うなり座り込む。「学があっても蛙の子は蛙、女には手を出すのも早えや」と嘆息するばかり。すっかり気落ちして一座の解散を決意してしまった、翌日には衣装を売り払い、一同の旅賃を捻出・・・、古着屋が富坊の犬のぬいぐるみを、つまんで棄てる情景はおかしくもあり、侘びしくもあり、印象に残る場面であった。
 独り身になった喜八、風呂敷包み一つで居酒屋にやって来た。「一座は解散したよ、また旅に出るよ」というのを、かあやんが必死で押しとどめ「当分、ここで暮らせばいいじゃないか、信吉だってわかってくれるさ。親子三人で楽しく暮らそうよ」「何から何まですまねえな」と喜八もその気になったのだが・・・、行方不明の信吉が帰ってきた。おときも一緒だ。喜八、「すみません」と謝るおときに近づき、「どこへいっていやがった」と打擲し始めた。信吉「おじさん、謝っているのに撲たなくたっていいじゃないか」と止めに入ったが、「手前も手前だ、おっかさんが心配しているのがわからねえのか」と平手打ち、信吉、激昂して喜八を突き飛ばした。今度は、かあやんが黙っていない。「お前、この人を誰だと思ってるんだ。お前の本当のお父さんなんだよ」。信吉「お父さんは、村役場に勤めていて、とうに死んだはずじゃないか。本当のお父さんなら、20年も僕たちを放っておくわけがない」「お父さんはお前が堅気になってもらいたくて、本当のことを言わなかったんだよ。お前の学資はみんなお父さんが欠かさず送ってくれていたのに・・・」。信吉たまらず二階に駆け上り泣き崩れた。親子名のりが、とんだ修羅場となる名場面の連続で、私の涙は止まらなかった。喜八、すぐに風呂敷包みを手にすると、「かあやん、やっぱりオレは旅に出るよ」、それを聞いたおとき「親方!私も連れてって。お世話になった親方にこのまま不義理ではお別れできません。生まれ変わって親方のために働きます」、喜八、その言葉を聞いて「かあやん、今の言葉を聞いたか、可愛いこというじゃねえか。気立てのやさしいいい娘なんだ。ここで面倒見てやってくんねえか」・・・肯くおかやん。喜八、安堵して「さっきは殴ったりして悪かったな。信吉を立派にしてやってくれ」とおときに謝る。まだ必死に止めるかあやんに「今度は信吉の親父といっても不足の無い大高島(注・喜八の屋号は高島屋)になって戻ってくらあ、その時は引き幕でも一つ贈ってくんな」と言い残し、居酒屋を立ち去った。おときがあわてて信吉を呼びに行く。2階から降りてきた信吉、「おじさんは?}と尋ねるが、かあやんは答えない。再度「おじさんは」問い直すとようやく「おとうさんかい?」と確かめてから、「また旅に出て行ったよ」、後を追おうとする信吉にかあやんが言う。「止めなくたっていいんだよ、お前さえ偉くなってくれればいいんだよ、おとうさんは、いつだって、こうやって出て行くんだから・・・」その場に立ち尽くして嗚咽する信吉。画面は沈黙だが、私には役者ひとりひとりの肉声がはっきりと聞こえるのである。やがて停車場にやってきた喜八、窓口で上諏訪までの切符を求める。ふと見ると、待合室にはおたきが座っていた。見過ごしてタバコを吸おうとしたがマッチが見当たらない。探していると、いつのまにやらおたきが近づきマッチを差し出す。喜八、黙って受け取りながら一服すると、「お前さん、どこまで行くの?」「上諏訪までだ、」お前はどこだ?」「まだどこって、当てもないのさ」「・・・どうだい、もう一旗一緒に揚げて見る気はねえか」それを聞いておたかの心も決まった。キッとして立ち上がると窓口へ行き「上諏訪1枚!」
 車中で、酒を酌み交わし駅弁に舌鼓をうつ、何とも小粋な場面で閉幕となった。

この作品には三組の男女、喜八とかあやん、信吉とおとき、そして喜八とおたき、が登場する。三つ巴の愛と憎しみが綯い交ぜになった人間模様(愛の不条理)を、文字通りサイレントという沈黙の手法で描出する、小津安二郎の手腕はお見事、さすが「オズの魔法使い」である。筋外には、のどかな山村の風景、芝居の舞台風景、富坊と猫の貯金箱、それを狙うとっつあんらの大人たち、雨上がりの河原で座員一同が洗濯する様子など、戦前の貴重な映像が添えられて、見どころ満載の作品に仕上がっていた。「うたかた」にも似た役者の人生が、浮草のように儚くわびしいものであることを、心底から納得した次第である。 
 小津監督は、戦後(1959年)「浮草」というタイトルでリメイクしている。喜八は嵐駒十郞(中村 鴈治郎)、おたかはすみ子(京マチ子)、かあやんはお芳(杉村春子)、信吉は清(川口浩)、おときは加代(若尾文子)と役名・俳優を変え、三井秀男も、三井弘次と改名し、今度は一座の座員役で登場している。もちろんトーキー、カラー映画の豪華版になったが、その出来映えや如何に、やはり戦前は戦前、戦後は戦後、その違いがくっきりと現れて、甲乙はつけがたい。二つの作品に出演している三井弘次ならば何と答えるだろうか・・・。(2016.8.13)



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2018-07-17

《結び》・さらば「大衆演劇」、そしてありがとう!

 遠くは昭和47年、近くは平成19年以来足かけ10年に亘って、大衆演劇の舞台を見聞してきたが、どうやら見納めの時期が来たようである。劇団は全国に150余りあり、日にち毎日、珠玉の舞台を展開していることに変わりはないものの、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(方丈記)とあるように、劇団の盛衰、様変わりも甚だしく、古稀を過ぎた私にとっては「ついていけない、もういいか・・・」という気持ちを抑えることができなくなった。役者の面々は、昭和生まれから平成生まれへと、世代交代を迎えている。観客層も然り、もはや私の座る場所はないのである。
 これまで120ほどの劇団を見聞しその舞台模様を「素描」した。それらは「見極める劇団」と「見限る劇団」に大別されるが、前者の筆頭は「鹿島順一劇団」であろうか。初見聞は平成19年11月、みのりの湯柏健康センター(千葉県)であった。当時の座員は座長・二代目鹿島順一(現・甲斐文太)、三代目虎順(現・三代目鹿島順一)、春日舞子、梅之枝健、蛇々丸、花道あきら、春大吉、金太郎、香春香といった面々である。しかし、十年後の今、蛇々丸は「浪花劇団」、春大吉は「おおみ劇団」へと去り、甲斐文太、三代目鹿島順一は「劇団松丸家」、花道あきらは「橘小竜丸劇団」で客演中・・・.。いぶし銀のような梅之枝健、春日舞子の艶姿、途中から加わった赤胴誠、生田春美、春夏悠生、幼紅葉らの溌剌とした姿も今はない。まさにこの世は「有為転変」、「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし」といった有様なのである。
 「鹿島順一劇団」の真骨頂は、芝居演出の見事さにある。「春木の女」「噂の女」「浜松情話」をはじめ「心もよう」「悲恋流れ星」「明治六年」「紺屋高尾」「人生塙舞台」「大江戸裏話・三人芝居」「里恋峠」「月とすっぽん」「関取千両幟」「源太しぐれ」「アヒルの子」「大岡政談・命の架け橋」「男の盃・三浦屋孫次郎」「会津の小鉄」「黒髪道中・縁結びの三五郎」「木曽節三度笠」「越中山中母恋鴉」「悲恋夫婦橋」「六十一賀の祝い」「幻八九三」「吉五郎懺悔」「雪の信濃路・忠治御用旅」「武士道くずれ」「浮世人情比べ」「弥作の鎌腹」「月夜の一文銭」「「恋の辻占」「長ドス仁義」「新月桂川」「仇討ち絵巻・女装男子」「月の浜町河岸」「マリア観音」などなどの名場面が、今、走馬灯のように浮かんでくる。歌謡・舞踊ショーも見事であった。甲斐文太の歌声は天下一品、「瞼の母」「よさこい慕情」「北の蛍」「男の詩」「恋あざみ」「無法松の一生」・・・などなどを流行歌手以上に歌いこなす。舞踊では、「安宅の松風」「弥太郎笠」「ど阿呆浪花華」「浪花しぐれ『桂春団冶』」、が珠玉の絶品、「立ち役」の色香をこれほどまでに描出できる役者は少ない、と私は思う。さらにはラストショー、「刃傷松の廊下」(甲斐文太の歌声)に始まる「忠臣蔵」の舞踊絵巻、「人生劇場」の人間模様、「珍島物語」の艶やかさなどは、今も私の脳裏に焼き付いて消えることはない。
 以下、これまでに見聞した劇団の中から、(忘れ得ぬ) 極め付き名狂言、珠玉の名場面、至芸の数々を列挙したい。

◆「都若丸劇団」:芝居「下町人情」「地獄の花嫁」
◆「劇団翔龍」:芝居「瞼の母」「帰ってきた兄弟」「追われる女」、舞踊「哀愁海峡」(見城たかし)
◆「新川劇団」:芝居「裸の大将放浪記」「原爆の子」
◆「藤閒智太郎劇団」:芝居「大人の童話」「長崎物語」「源吉渡し」「天竜筏ながし」
◆「劇団花吹雪」:芝居「一本刀土俵入り」(客演・三河家諒)「道中夢枕」「お祭り提灯」
◆「劇団逢春座」:芝居「血まみれ草子」「浜の兄弟」
◆「劇団春陽座」:芝居「故郷の兄」「人生双六」
◆「劇団竜之助」:芝居「人間」、舞踊「残侠子守唄」「お梶」「リバーサイドホテル」(大川竜之助)、「悲しい酒」「無法松の一生」(大川龍昇)、ラストショー「極道の妻たち」
◆「剣戟はる駒座」;芝居「雪と墨」、舞踊「哀愁列車」「網走番外地」
◆「劇団花車」:舞踊「瞼の母」「おかあさん」(姫勘九郎)
◆「紅劇団」:芝居「伊太郎夫婦笠」「芸者の里」
◆「近江飛龍劇団」:芝居「昭和の男」「紺屋高尾」「新月桂川」
◆「たつみ演劇BOX」:芝居「三島と弁天」、舞踊「お吉花無情」(辰己龍子)、「酒場川」「さんさ恋しぐれ」「命くれない」「最上川恋唄」「ふるさと恋歌」「愛燦々」(葉山京香)
◆「三河家劇団」:芝居「マリア観音」「女たちの忠臣蔵」、舞踊「長良川艶歌」「ホテルみなとや」(三河家諒)、歌謡「東京宵待草」(三河家諒)
◆「風美劇団」:芝居「かんちがい」「風美版・姥捨山」「江戸の世噺し」、歌謡「白雲の城」(風美登志也)、口上(風美翔蔵)
◆「劇団新」:芝居「雪の夜話」「三人出世」、歌謡「ひばりの佐渡情話」(龍児)
◆「劇団朱光」:芝居「お吉物語」「雨の他人舟」「へちまの花」「質屋の娘」「かげろう笠」
◆「長谷川武弥劇団」:芝居「二人忠治」「死んでたまるか」
◆「劇団京弥」:芝居「喧嘩屋五郎兵衛」「五十両の行方」
◆「南條隆とスーパー兄弟」:芝居「花街の母」「河内十人斬り」、ラストショー「平家物語・壇の浦決戦」
◆「劇団荒城」:芝居「富くじ千両旅」「遊侠三代」、ラストショー「白鷺の城」(荒城真吾)
◆「玄海竜二一座」:芝居「男十三夜」、ラストショー「ヤットン節」
◆「南條光貴劇団」:芝居「悪夢」「酒屋」、舞踊「加賀の女」(南條光貴)、ラストショー「龍神の舞」
◆「新演美座」:芝居「十三夜」
◆「劇団颯」:芝居「森の石松の花嫁」「天保水滸伝・笹川の花会」
◆「市川千太郎劇団」:芝居「湯島の白梅」「奥様仁義」
◆「劇団天華」:芝居「源助地蔵」「丸髷芸者」、舞踊「博多恋人形」(喜多川志保)
◆「松丸家劇団」:芝居「女装男子」「関取千両幟」
◆「劇団駒三郎」:芝居「祭りの夜」
◆「若葉劇団」:芝居「お母さんのお弁当箱」「上州わらべ唄」
◆「劇団紫吹」:芝居「大島情話」
◆「劇団光栄座」:ラストショー「三味線太鼓ショー」(初代・姫川竜之助)
◆「劇団春」:芝居「一姫二太郎三カボチャ」
◆「劇団美鳳」:芝居「花かんざし」
◆「劇団章劇」:芝居「御用晴々街道」「新月桂川」
◆「劇団武る」:芝居「おさん徳兵衛」
◆「桑田劇団」:芝居「お春茶屋」、「歌謡ショー」(桂木昇、音羽三美、三門扇太郎、桑田淳、山下久雄)
◆「小林劇団」:芝居「弁天小僧菊之助」「植木屋松五郎」、舞踊「天城越え」(小林真)、「一本刀土俵入り」「人生劇場」(小林隆二郎)、歌謡「無法松の一生」(小林真弓)
◆「花柳劇団」:芝居「忠治旅日記」、楽団ショー「かえり船」(花柳隆)
◆「宝海劇団」:芝居「吉五郎懺悔」、舞踊「雪椿」(宝海大空)
◆「橘小竜丸劇団」:芝居「弁天小僧・温泉の一夜」
◆「劇団夢舞俱羅」:相舞踊「お初」(高峰調士、南條なほみ)
 
ざっと思い出したままを列挙したが、この他にも珠玉の名場面は数々あったと思う。
この10年間、テレビ娯楽に別れを告げ、「大衆演劇」の醍醐味を十二分に味わうことができた。あらためて各劇団、関係者の方々に感謝申し上げ、筆を措く。さらば「大衆演劇」!、そして、ありがとう!。グッド・ラック!!
(2016.6.2)




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2018-07-12

《追悼》 ありがとう、三代目・鹿島順一!

 三代目・鹿島順一の(たぶん?)初月忌にあたる6月25日、私もまた「急性心筋梗塞」の症状に襲われた。夜半から夜明けにかけて胸に違和感を感じていたが、午前6時を過ぎると「疼痛」に変わり、冷や汗、息苦しさも伴ってきた。いつもなら「肋間神経痛?」ぐらいな気持ちでやり過ごしてしまうところだが(痛みも軽減するところだが)、今回は違っていた。このままでは一日もたない、「とにかく診察を仰がなければ」という思いで救急車を要請、緊急の入院・手術によって一命をとりとめた。
 まったく「いい奴ばかりが先に逝く どうでもいいのが残される」という小林旭の歌(「惚れた女が死んだ夜は」詞・みなみ大介、曲・杉本真人)そのままに、三代目・鹿島順一の面影を追うほかはない。
 今から10年前(平成20年)、「鹿島順一劇団」は関東をまわっていた。2月公演は川越三光ホテル、三代目・鹿島順一は当時16歳、まだ三代目・虎順と名乗っていた。昼の部の外題は「紺屋高尾」、虎順はインフルエンザに罹っていたが、懸命に「高尾太夫」を演じ、ラストショーでは「幡随院長兵衛」を「全身全霊」で踊り通した。その時の感想を、私は以下のように綴った。
《ラストショー、「旛随院長兵衛」役の虎順は孤軍奮闘の熱演、それを最後に、夜の部は欠場となった。本人はラーメンを食べ、「夜も出る」と頑張ったが、高熱には勝てず、服薬して静養中とのこと、倒れるまで全力を出し切った「役者魂」に拍手を贈りたい。夜の部の芝居は「仇討ち前夜・小金井堤」、座長を筆頭に、座員一同、「きちんと、いい仕事している」が、いつもとはどこか雰囲気が違う。役者も客も何か物足りない。虎順の抜けた穴がポッカリと空いてしまうのだ。日頃の「全力投球」の姿が見られない「寂しさ」がつきまとう。まだ芸未熟とはいえ、まさに誠心誠意、全力を尽くして舞台を務める彼の存在が、いかに劇団員・観客の覇気(モラール)を高めているか、その舞台を、活気のみなぎった、魅力的なものにしているか、を思い知らされる一幕ではあった。大衆演劇という劇団のチームワークが、役者同士の強い絆によって作られていることを、あらためて思い知らされた次第である。三代目虎順の、一日も早い回復を祈りつつ、帰路についた。》 そして10年後(平成30年)、突然、彼は「何の前触れもなく」この世を去った。いや、前触れはあったに違いない。もし、死因が「急性心筋梗塞」だったとすれば、かなりの痛み・苦しさを感じたはずである。発症から5時間以内に手を打たなければ(入院・手術など)危ないといわれている。私はかろうじて4時間以内に手術を受けることができたが、彼は「全身全霊」で《辛抱》を続けたのかもしれない。誠に惜しい人材を失った。
 でも、三代目・鹿島順一が残した「名場面」の数々が失われたわけではない。「私はテレビには出ません。大衆演劇の役者ですから」「今日は20人ものお客様が来てくださいました。ありがたいことです!」そうした言辞に加えて、芝居「心もよう」「悲恋夫婦橋」「武士道崩れ」「明治六年」「浜松情話」「木曽節三度笠」「女装男子」「月の浜町河岸」、舞踊「忠義ざくら」「蟹工船」「俵星玄蕃」「大利根無情」などなど、彼でなければ描出できない名場面は、今もしっかりと私の脳裏に刻まれ、思い浮かべるだけで涙がわいてくるのだから・・・。
 ありがとう、虎順!いや三代目・鹿島順一。そういえば、いつごろからか、彼は、「パッと咲いて」(詞・麻こよみ、曲・美樹克彦、唄・岸千恵子)を踊るようになった。歌詞にいわく「どうせ人生 一回なんだから・・・」「どうせ死ぬ時 ひとりっきりだから・・・」、《パッと咲いて パッと散って チョイと人生 花ざかり》。その言葉どおり、三代目・鹿島順一の人生は、「花ざかり」のまま《チョイと》永遠に止まったのである。
(2018.7.6)



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2018-07-10

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「新月桂川」・《若手女優・春夏悠生、二年目の「大変化(へんげ)」》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年6月公演・大井川娯楽センター〉
芝居の外題は「新月桂川」。私はこの芝居を、ほぼ2年前(平成21年7月)、ここ大井川娯楽センターの舞台で見聞している。以下はその時の感想である。〈芝居の外題は「新月桂川」。敵役・まむしの権太、権次(二役)を好演している春大吉が、「配偶者の出産」のため、今日は、花道あきらが代演したが、これまた「ひと味違う」キャラクターで、出来映えは「お見事」、例によって「新作」を見聞できたような満足感に浸ることができたのである。前回(11年前)来た時、三代目虎順は6歳(小学校1年生)、まだ舞台には立っていなかったという。したがって、今回は、桂川一家の若い衆・銀次役で「初お目見え」(初登場)となったが、「全身全霊で臨む」のが彼の信条、その舞台姿は、親分(蛇々丸)のお嬢さん(春夏悠生)を思う直向きさ、どこまでも兄貴分・千鳥の安太郎(鹿島順一)を慕う純粋さにおいて、座長(父・鹿島順一)と十二分に「肩を並べ」、時には「追い超す」ほどの迫力があった、と私は思う。願わくば、安太郎が「惚れて惚れて惚れぬいた」お嬢さんの風情が、「今一歩」、「振った女」より「振られた男」の色香が優るようでは、「絵」にならないではないか。次善とはいえ、鳥追い女(春日舞子)との「旅立ち」が、殊の外「決まっていた」ことがせめてもの「救い」だったと言えようか。春夏悠生、今後の奮起・精進に期待したい〉。当時は、主役・千鳥の安太郎に二代目鹿島順一(現・甲斐文太)、その弟分・銀次に三代目虎順(現・三代目鹿島順一)、桂川一家親分に蛇々丸という配役であったが、今回は千鳥の安太郎が座長・三代目鹿島順一、銀次が赤胴誠、桂川の親分が甲斐文太と「様変わり」し、敵役の蝮の権太、権次は花道あきら、親分の娘・おみよは春夏悠生、安太郎を慕う鳥追い女・お里は春日舞子という配役は「当時のまま」であった。なるほど、話の筋からいえば、安太郎と銀次の「(義)兄弟コンビ」は今回の方が真っ当である。親分の娘に焦がれる「青春」の息吹きが双方に感じられて、一段と清々しい景色であった。義理と人情の板ばさみで、複雑に揺れ動く安太郎の心情を、三代目鹿島順一は「所作」と「表情」だけできめ細かに、また初々しく演じ切ることができた。お嬢さんと銀次が「できていた」ことを知らされてから、ふっと力が抜けていく(「振られた男」の)無力感」の風情が鮮やかに描出されていた、と私は思う。。加えて、春夏悠生の「変化(へんげ)振り」も見事であった。2年前に私が期待した「奮起・精進」はしっかりと実行され、安太郎が「惚れて惚れて惚れぬいた」お嬢さんの風情、文字通り通り「鬼も十八番茶も出花」といった景色が、その表情、所作の中に表われる。2年前の舞台とは「似ても似つかない」「見違えるほどの」成長振りで、私の涙が止まらなかった。また、安太郎と銀次が帰ってきたことを知らせに来るだけの「ほんのちょい役」、百姓に扮した滝裕二も立派、その懸命な姿に、客から(引っ込みで)大きな拍手がわきあがるほどで、大筋には無縁な役柄こそが、舞台の模様を引き締めるという、何よりのの証であった。親分役・甲斐文太と鳥追い女役・春日舞子は、いうまでもなく劇団の「二本柱」、その気合、姿に申し分はないのだが、それに応える若手陣との「差」は大きく、芝居全体の出来栄えとしては、まだ2年前の舞台に及ばない。やはり安太郎は甲斐文太、追いかけるのは春日舞子でなければならない。親分の娘から「げじげじ虫より」嫌われるのは、甲斐文太の安太郎でなければならない。なぜか。(甲斐文太の)安太郎には人を殺めても「平然」としていられる、アウトロー的な(崩れた)空気が、おのずと漂う。その風情こそが、(まだ「小便くさい」)娘・おみよから嫌われる所以であり、また「酸いも甘いもかみわけた」「すれっからし」の鳥追い女からは「惚れられる源になっているのだから・・・。それ(アウトロー的な崩れた空気)を三代目鹿島順一が今後どのように描出するか、そこらあたりが、これからの課題といえようか。さて、今日の舞踊ショー、これまで以上に「気合」が乗っていた。特に目についたのは、「殿方よお戯れはなし」の春夏悠生、幼紅葉、「御意見無用の人生だ」の滝裕二、その表情、所作、振り・・・等など、無駄がなく流れ、歌の想いが凝縮された見事な作品に仕上がっていた、と私は思う。加えて、いつもながらのことだが、甲斐文太の「河内おとこ節」(歌・中村美律子)、春日舞子の「芸道一代」(歌・美空ひばり)は、斯界・個人舞踊の「お手本」といえよう。、歌を聴くだけなら「なんぼのもん?」と思われる歌謡曲を、「踊り」を添えることによって珠玉の「名品」に豹変させてしまう。まさに「踊り」が「歌」を超えているのである。その景色・風情は「筆舌に尽くしがたく」、(ましてDVN、VHSなどその記録物が皆無とあれば)現地に赴いて、じっくりと鑑賞する他はないのだが、今日もまたその「至芸」を堪能できたことは、望外の幸せであった。感謝。
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(2003/08/06)
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2018-07-09

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「浮世人情比べ」の名舞台》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年6月公演・大井川娯楽センター〉
芝居の外題は「浮世人情比べ」。この演目は、近年、まったく上演することがなかったので、いわば「初演」と変わらない由、座員一同はすこぶる緊張気味とのことであったが、その出来栄えは、まさに「極上品」、また一つ「鹿島順一劇団」の「十八番」が増えた感がある。筋書きは、大衆演劇の「定番」で、他の劇団も数多く舞台に乗せているが、その出来栄えにおいては、他の追随を許さない、見事な舞台模様であった、と私は思う。京都・大原の山中で炭焼きを営んでいる兄・末松(座長・三代目鹿島順一)とその妹・お花(幼紅葉)の物語である。お花が自宅の玄関先で縫い物をしていると、京都で指折りの大店・エリショウの若旦那・庄太郎(甲斐文太)と手代・菊次郎(赤胴誠)がやってくる。山中で道に迷い、疲れ果てた若旦那が「水が飲みたい、あの家で調達するように」と、菊次郎に言いつけた。この若旦那、見るからに「バカ旦那」然とした風情で、わがままで世間知らず、手代を「道具」のように酷使する。手代も手代で、こき使われながらちゃっかりと「先に水をのんでしまう」したたかな風情が可愛らしく、なんとも魅力的な舞台姿であった。まさに、師匠と愛弟子が「五分に渡り合う」、その「絡み具合」が絶妙で、入門当時の赤胴誠を知っている私は、涙が止まらなかった。彼にとって今は「正念場」、かつては蛇々丸?、春大吉?、藤千之丞?(誰でもよい)、大先輩が演じていたであろう「大役」に果敢に挑戦する、その意欲、気概が、観る人(私)を感動させるのである。菊次郎は、玄関先のお花を見て「一目ぼれ」、だがそのことはおくびにも出さず、遅ればせながらもお花を見初めた庄太郎のために、「仲人役」を甘受する。その初々しく健気な景色は、「赤胴ならでは」(キョトンとした純情らしさ)の空気を醸し出す。また、この場の冒頭では、炭屋の使用人に扮した名脇役・梅之枝健が(チョイ役のお手本を見せるかのように)滝裕二を(仕入れに)引き連れて登場、ここが「京都・大原三千院界隈」であるという空気を漂わせる。また、滝裕二が「ことの他」(鄙にも稀な)お花(の様子)に関心を寄せている風情も鮮やかで、そのことでお花の可憐な姿がより際立つという趣向が心憎い。さらには、兄・末松の「実直な」男ぶりもお見事、通常なら「老け役」で対応するところだが、三代目鹿島順一、その初々しさに「渋さ」も加わって、文字通り「惚れ惚れするような」舞台姿であった。大詰めは、大店エリショーの大広間であろうか、冒頭で、番頭(?)役・花道あきらが、丁稚・見習い(?)の新人・壬剣天音に、座布団の敷き方を伝授しながら、若旦那の行状に呆れ果てている様子が面白かった。一見「なげやり」のような場面だが、実は、その「絡み」を通して、先輩の花道あきらが、新人の壬剣天音に、それとなく舞台での立ち位置、歩き方、姿勢、科白回し・・・等などを指導しているのだろう。少しでも「場数を踏ませようとする」楽屋うちの温かい配慮が感じられて頼もしかった。続いて庄太郎の母親・おきん(春日舞子)登場、女中(春夏悠生)の尻を追い回しながら出てくる「バカ息子」に困惑しながらも、目を細めて眺めている「親バカ」振りが堂に入っていた。庄太郎は公家のマネをして白塗りの化粧、袴は足を通さずに穿く、といった「ていたらく」であったが、おきんは、かいがいしく介助する。「よくできた、おまえはホントにお利口さんだね」という言い種が、今様のモンスターペアレント張りで、たいそうおもしろかった。待つほどに、炭焼きの末松登場、ひととおりの挨拶の後、いよいよ、花嫁役のお花、登場。大店の母子、固唾を呑んで待ち受けたが、その大きくバランスを欠いた「歩様」に、びっくり仰天、とたんに「縁談は破談」となった。「それでは話が違う」と激高する末松、あわてて菊次郎が飛び出し、「お待ち下さい、若旦さん、どうかお花はんをお嫁に・・・」と懇願するが、おきんいわく「何をいってるのや、庄太郎は世間知らず、手代のお前が、よく調べもせずに話を進めるから、こんなに話がややこしくなるんや。お前は、いわば「仲人」、石橋を叩いて渡らなければならん時に・・・」。菊次郎、庄太郎に向かっていわく「若旦さん、あの時、『ぜひ話をつけろ』と仰ったやおまへんか」と迫るが、庄太郎、文字通り「バカ旦那」然としていわく、「何をいうのや、お前はナマコ・・・」おきん「違う違う、ナコウドや」「え?なんやて」「ナ!、コ!、ウ!、ド!」と口移しする。その様子に、菊次郎、いや赤銅誠、顔が上げられない。体裁は「泣いて」いるのだが、心は「笑いを懸命に堪えている)。かまわず庄太郎、「そうやナ・コ・ウ・ドや、いいか、お前はワリバシを叩いて渡らなあかん・・・」おきん制して「違う、違う、イシバシや!」「そうや、イシバシの穴に落っこちるんや・・・」といった、母・子(実は夫婦の舞子・文太)の「絡み」は抱腹絶倒の連続で、客席は大笑い、菊次郎は最後まで顔を上げられなかった。大店の切り盛りを一手に引き受け、息子に対しては「溺愛の極地」、他人に対しては「胴欲極まりない」といった(金持ちならではの)風情の描出は、まさに春日舞子の独壇場であった。かくて、菊次郎はその場で即刻クビ、うつむいたまま、静かに前掛けをはずして、丁寧にたたむ姿が、ことのほか「絵」になっていた。一方、その様子を観ている末松とお花、全くの無表情で「冷たい視線」を送るだけ、その見事なコントラストに、私は身震いするほどの感動を覚えた。片方では、大爆笑の喜劇が演じられ、片方では「コケにされた」兄妹の「悲劇が展開する。妹のお花、庄太郎に向かっていわく「若旦那様、私のような者を(一時でも)気に入ってくださってうれしゅうございました。お花は淋しく大原に帰ります。秋になり、奥山で鹿の鳴く声が聞こえましたら、私の泣き声だと思ってくださいねえ・・・」と泣き伏す。客席からは、割れるような拍手。庄太郎、瞬時、その心に打たれたかの気配もあったが、「否、否!」と頭を振って応じない。「さあ、こんなところに何時までもいられない、大原に帰ろう」とする末松に向かって、菊次郎、渾身の一声、「待って下さい、お兄さん!」「何だって?あんたにお兄さんと呼ばれる筋合いはない」と突っぱねたが、「お兄さんにお願いがあります、どうかお花はんを私のお嫁にしてください!」と言い放った。菊次郎は(今度は本当に)泣いている。その眼、涙を見て末松は、心底から納得、お花も承知とあって、この(貧乏人同士の)「縁談」は成立した。庄太郎とおきん、その様子を見て「嘲笑」する。「菊次郎もバカなやつだ。あんな娘を嫁にするなんて」「ホントにそうだ、そうだ」。末松、「では三人で大原に(走って)帰ろう。お祝いだ。菊次郎さん、お花の手をとってください。ここら当たりをぐるっと回って帰りましょう」。お花立ちあがって、菊次郎が手をとる。おそるおそる歩き出した二人、だが、その様子を見て、庄太郎とおきん「・・・・?、・・・・?」、今度は言葉を失った。お花の歩き方に何の異状もなかったのである。あわてて、「待ってください、お花さんはどこも悪くないようだが・・・」と呼びとめるおきんに向かって、末松いわく「あたりめえだ、お花の仕事は、都で花を売り歩く『大原女』さ。人を見た目で判断するようなおまえさんたちに、大事な妹をやれるもんか!どうやら金持ちと貧乏人の『人情比べ』は、あっしたちに分があったようですね」。その「決めぜりふ」を残して颯爽と花道に消える三代目・鹿島順一の姿は「天下一品」であった。大店の若旦那、その母親は、あっけにとられたまま、あえない閉幕となったが、観客の多くが「涙していた」ことを、私は見逃さない。芝居の景色は「時代人情喜劇」と銘打ってはいるが、眼目はあくまでも「弱者への共感」、炭焼きの兄妹、手代・菊次郎の「舞台姿」が、一際「絵になっていた」からであろう。閉幕後の喫煙室、白髪の常連いわく「やあ、座長は素晴らしい。あの若さでこんな芝居ができるなんて・・・。歌舞伎役者だって及ばない。これから年数を重ねれば、親父以上の役者になることは間違いネエズラヨ」。おっしゃるとおり、座長はもちろん素晴らしかった。加えて、赤胴誠も素晴らしかった。幼紅葉も素晴らしかった。滝裕二も素晴らしかった。春夏悠生も素晴らしかった。壬生天音も素晴らしかった。それを支えているのが、甲斐文太、春日舞子、梅之枝健、花道あきらの「実力」に他ならないことをあらためて確認、今日もまた大きな元気をいただいて帰路に就いた次第である。
【追記】舞踊ショーで、新人・壬剣天音(15歳)の初舞台を観た。演目は「雨の田原坂」(作詞・野村俊夫、作曲・古賀政男)、この名曲をデビュー作に選んだことは申し分ない。歌手は市丸(気高く)?、それとも神楽坂はん子(情感豊かに)?、いずれでもよい。敗色の濃い戦場で、必死に闘う「散るも覚悟の美少年」の姿が彷彿とする。天候は「雨」、場所は「坂」「城山」、登場するのは「傷ついた友」そして「馬」、右手に血刀を持ち、髪は乱れているが、口を一文字に結んだ美少年の姿を、どのように描出するか・・・。演奏時間は3分余り、その中に渾身の血を込めて、「西南の役」という歴史ドラマ(の一コマ)を創り出せるかどうか。御贔屓筋の話では「回を増す毎に上達して、涙が止まらない」とのこと、立派だと思う。
今日の舞台、視線がしっかりと定まっているところがよかった。基本通りの「振り付け」を忠実に守り、稽古・精進を重ねれば、おのずと「姿」「形」が「絵になってくる」(腰が決まってくる)ことは間違いないだろう。折り紙にたとえれば、まだ「奴さん」レベルだが、その「折り目」がキチッとしていることに好感がもてた。師・三代目鹿島順一の舞踊「忠義ざくら」は「国宝」レベル、その舞姿を目指して、この作物を極めていただきたい。
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2018-06-24

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《蛇々丸はいずこへ・・・》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年3月公演・川崎大島劇場〉                                  第一部ミニショーの幕が開いたが、皮切りは花道あきら、春大吉、三代目虎順の組舞踊、次は座長、次は梅之枝健・・・、いつまで待っても蛇々丸が登場しない。私は「いやな予感」がした。蛇々丸が脱けた?いや、いや、そんなはずはない。彼は、座長の右腕、若手のリーダー、虎順の後見として「なくてはならない存在」であるはずだ。だが、待てよ。そういえば、ここは川崎。昨年、金太郎が脱けたのも当地ではなかったか?そんなことに気をとられて、心底から舞台を楽しめない。役者の姿・表情に「異変」はない。いつも以上の出来映えなのに、一抹の「寂しさ」「不安」を感じてしまうのは私ばかりであろうか。
 芝居の外題は「花の喧嘩状」、なるほど蛇々丸がいなくても足りる演目であり、座長の敵役、虎順の直向きな風情がいっそう冴え渡るのに、「蛇々丸が脱けた。・・・なぜ?」という思いが間断なくわき起こり、「とてもじゃないけど」舞台に集中できなかった、というのが偽らざる感想である。今日はよい、今はよい。でも「アヒルの子は?」「三人芝居は?」「春木の女は?」「会津の小鉄は?」蛇々丸「抜き」の舞台など考えられないではないか。
 第三部歌謡舞踊ショー、座長を筆頭に「全身全霊」を込めた舞台に不足はない。とりわけ、座長の舞踊「花と竜」、歌唱「蟹工船」「恋あざみ」を見聞できたことは望外の幸せであった。でも、でも・・・なのである。蛇々丸が登場しなければ、他の座員が輝かない。蛇々丸の存在が、他の役者の「芸」を引き立てている、蛇々丸の「穴」は蛇々丸しか埋めることはできない、ということを思い知らされた。そのことは他の誰に対してもいえることであり、要するに、この劇団の座員一人一人は「全員が、お互いを必要としている」「お互いがお互いの芸を響き合わせてている」、まさに「交響劇」の担い手に他ならないのである。
 蛇々丸はいずこへ・・・?、絶望的な(泣き出したい)気分で帰宅。だがしかし、である。彼のホームページを閲覧して狂喜・安堵した。なんと今日から兄弟(近江新之助)の劇団の応援に「松山劇場」に「車で」出張だったとか・・・。よかった、よかった。大衆演劇界の至宝「鹿島順一劇団」は、(当分?)健在であることは確かなようである。

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2018-06-23

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「木曽節三度笠」「心模様」・三代目虎順の課題》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成21年3月公演・川崎大島劇場〉                                       JR川崎駅から大師行きバスに乗り、追分停留所で下車、徒歩3分程度で「大島劇場」に着く。午後1時から大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・鹿島順一)。座長の話では3月で「関東公演」は終わり、ということだったので、4月からは地元(関西)に帰るのかと思いきや、「演劇グラフ」の公演予定を見ると「えびす座」(福島県)となっている。なるほど「関東公演」は終わりだが、またもや「東北公演」が始まるということではないか、ならいっそうのこと、青森、新潟を回って再び「東京」(浅草または十条)を目指せばよい。先月の水戸ラドン温泉と違って、大島劇場は小さな、小さな芝居小屋、50人も入れば桟敷が一杯になるような「狭さ」、これまで見聞した劇団の中では「橘小竜丸劇団」だけが「大入満員」であった。今日は、初日の日曜日、開場1時間前に到着したが、先客はまだ1人、どうなることやらと案じられたが、「産むが易し」、開幕前の客数は30人を超えていた。芝居の外題は「木曽節三度笠」。筋書は大衆演劇の定番、ある大店の兄(花道あきら)と弟(三代目虎順)が、使用人(?)の娘(生田春美)を争奪しあうというお話。実はこの弟、兄とは腹違いで、今は亡き大店の主人(兄の父)の後妻になった母(春日舞子)の連れ子であった。行き倒れ寸前の所を母子共、大店の主人に助けられ、今は兄弟で大店を継いでいる様子・・・。弟は娘と「相思相愛」だったが、兄が横恋慕、弟は母の進言に従って娘をあきらめる覚悟、でも娘は応じない。兄は強引にも娘と「逢瀬」を楽しもうとして、土地のヤクザ(親分・座長、子分・蛇々丸、春大吉、梅之枝健、春夏悠生、赤銅誠)にからまれた。その場に「偶然居合わせた」弟、兄・娘を守ろうとして子分の一人(たこの八・春夏悠生)を殺害、やむなく「旅に出る」。そして1年後(あるいは数年後)、ヤクザの「股旅姿」がすっかり板についた弟(実はナントカの喜太郎)が帰宅、土地のヤクザに脅されていた母、兄・娘を窮地から救い出して一件落着。「時代人情剣劇」と銘打ってはいるが、眼目は、亡き主人にお世話になった母子の「義理」と、親子の「情愛」を描いた「人情芝居」で、三代目虎順の「所作」「表情」が一段と「冴えわたってきた」ように感じる。「口跡」は、まだ単調、「力みすぎ」が目立つので、「力を抜いてメリハリをつけること」が課題である。
 夜の部も客数は30人、芝居の外題は「心模様」。蛇々丸の兄(医者)と前科者の弟(三代目虎順)が「絡む」、「近代(明治)人情喜劇」とでもいえようか。まさに、直情径行で純粋無垢な性格、それでいて「刑務所帰り」という「下品」な風情を、虎順が「初々しく」しかも「鮮やかに」「品よく」描出していたように思う。三代目虎順は、いずれは座長、そのための器(素質)は十分、その「芽生え」を感じさせる舞台ではあった。もう一つ、「口跡」の魅力が加われば、座長への道が早まるだろう。「鹿島劇団」の《売り》は、何と言っても「音響効果」、「見ての美しさ」同様に「聞いての美しさ」を追求していることである。役者は「顔かたち」を衣装・化粧で「飾る」ように、「自分の声」(口跡)も飾らなければならない。「いい声」「魅力的な声」もまた役者の「命」なのである。三代目虎順の「口跡」は、まだ単調、合格点をつけられるのは「春木の女」の「お妙」くらいか・・・。同世代の恋川純、橘龍丸には「水をあけられている」。「所作」「表情」同様に「口跡」の魅力を体得することが、虎順当面の課題だと、私は思う。

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2018-06-22

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「情け川」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、昼の部「月夜の一文銭」、夜の部「情け川」。前者は、「勧善懲悪」を眼目としたスリ三人組の話、大衆演劇の定番。後者は、初めて見る人情喜劇(現代劇)、座長(婆さん役)の、博多弁が「立て板に水」、蛇々丸(大工)の東京弁との「対比」が面白かったが、話の中に出てくる「良子」が実際には登場しないので、物足りなかった。とはいえ、出来栄えは「水準」以上、昼夜「大入り」の客は「それなりに」満足したに違いない。舞踊ショーは、昼の部、座長の「花と龍」「瓦版売り」(忠臣蔵・清水一角と中山安兵衛の話)、夜の部「安宅の松風」(富樫・弁慶・義経の踊りわけ)は「至芸」そのもの、まことに幸運だった。昼の部の口上で、花道あきらが、「おかげさまで、今日は大入りを頂きました。今日は何か(ランドの催しが)あるんですか?」と客に尋ねていてが、客の入りなど「歯牙にもかけぬ」座長の姿勢が座員にも浸透している様子が窺え、さわやかな印象を受けた。また、座員の舞踊衣装も「相変わらず」(いつも目にする、お馴染みの代物)だが、「芸」そのものは着実に「変化」している。衣装の豪華さ、着物の多さを「目玉」にしている劇団が多い中で、まさに「劇団・火の車」だが、その不足を「芸」の力で補おうとする誠実な姿勢(襤褸は着てても心の錦)に脱帽したい。

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2018-06-21

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居・春大吉の役割、舞踊ショーは至芸の「宝庫」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、昼の部「身代わり道中」、夜の部「心模様」。いずれの舞台も、すでに見聞済み。今日は、役者相互の「かかわり」(絡み合い)に注目して観た。まず、座長、誰と絡んでも面白い。次に春日舞子、誰と絡んでも面白い。つまり、どの役者も、座長、舞子との「絡み」(胸を借りる)によって、本来の「持ち味」が引き出されているのである。言い換えれば、座長、舞子が登場していない舞台、蛇々丸、花道あきら、春大吉、三代目虎順だけの舞台で、どれだけ客を惹きつけられるかが問われることになる。「身代わり道中」では、春大吉と虎順、「心模様」では蛇々丸と春大吉の「絡み」が中心、どちらにも登場するのが春大吉であるとすれば、彼の「役割」(責任)は大きい。虎順に対しては「胸を貸す」、蛇々丸に対しては「胸を借りる」(とはいえ役柄は年上、至難のことではあるが)演技が要求されるのである。「男はつらいよ」の主人公・フーテンの寅(渥美清)が、大先輩のおいちゃん(森川信)、おばちゃん(杉山とく子・テレビドラマ)、おふくろ(ミヤコ蝶々)の「胸を借りて」こそ、迫真の演技ができたことと同様に・・・。
役者の修業に終わりはない。懸命に精進している春大吉のこと、その「役割」を果たす日も遠くはないであろう。
次に、「舞踊ショー」の感想。「舞踊ショー」の眼目は、「歌謡絵巻」とでもいおうか、芝居では演じ切れなった「大衆のドラマ」(流行歌の世界)を、役者一人一人が文字通り「独り舞台」で演じるところにある。座長の舞踊(歌謡)は一級品で、特に、坂田三吉、桂春団冶、藤山寛美を踊り分ける「浪花花」、女形舞踊「おかじ」、「桂春団冶」、「俵星玄蕃」、歌唱の「北の蛍」「ああ、いい女」「無法松の一生」等々、至芸の数々を数え上げればきりがない。春日舞子の舞踊も同様、とりわけ「深川」「車屋さん」など芸者の風情は絶品、座長との相舞踊では光彩が倍増する。蛇々丸、「股旅者」「侍」「町人」等々、なんでも「器用」にこなすが、「勧進帳」「忠臣蔵」のような長編歌謡(浪曲)を踊らせたら天下一品、右に出る者はいないであろう。以下、花道あきら、春大吉、三代目虎順、梅乃枝健、いずれの舞踊も、他の劇団と比べて遜色ない。今後は、それぞれの役者が、「自分しかできない」舞踊を追求すべきだと思う。柏公演では、客のカラオケで踊る試みを取り入れたが、その企画は素晴らしい。客と一体になって舞台を作ろうとする姿勢は貴重である。三十年前、「梅澤武生劇団」が客の舞踊を舞台に取り入れたことがあった。その演目は「チャンチキおけさ」(三波春夫)、役者以上に踊りこなした姿は、今でも私の眼に焼き付いて離れない。聴いただけでは「どれだけのもん?」と思われる流行歌でも、舞踊が加わることによって、全く別の歌に「変身」してしまうのである。そのような舞台を、「鹿島劇団」にも期待する。客が選曲(歌唱)し、「御所望」の役者が踊る、というような企画が定着すれば、「舞踊ショー」の内容は、より魅力的なものになるだろう。柏では、見事に、虎順がその役割を果たした(「人生桜」)。その姿も、私の眼に焼き付いている。客は、鑑賞者であると同時に批評家でもある。役者の個性を当人以上に「見抜いている」。時には、客の「いいなり」になって自分を磨くこと、それも必要不可欠な「役者修業」ではないだろうか。どの「劇団」の「舞踊ショー」でも、鳥羽一郎、大月みやこ、林あさ美、堀内孝雄、吉幾三、島津亜矢、神野美伽、氷川きよし、天童よしみ等々、聴いただけでは「どれだけのもん?」と思われる流行歌で溢れている。それを「えっ?こんな名曲があったのか!」と感じるまでに「変身」させた舞踊には久しく出会わないが、虎順の「忠義桜」などを観てしまうと、「鹿島劇団」なら「やってくれるのではないか」と、秘かに期待しているのである。

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2018-06-20

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「遊侠流れ笠」「関取千両幟」》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
 芝居の外題は昼の部「遊侠流れ笠」、夜の部「関取千両幟」。「遊侠流れ笠」の主役は三代目虎順、病弱な親分(座長)の三下だが「うすのろ」のため、子分衆の中では半人前。しかし、窮地に陥った親分のために、本当に働いたのは「うすのろ」の三下だったという筋書。見せ場は、三下の「変身ぶり」だと思われるが、虎順の三下は「別人」になりすぎた。三年間の旅修業を終えたとはいえ、どこかに「うすのろ」時代の「面影」がほしい。「関取千両幟」は、大衆演劇の定番、座長の「関取」、蛇々丸の「新門辰五郎」が絶品で、抜群の出来栄えだった。芝居は、開幕直後の景色が肝腎、花道あきら、春日舞子の艶姿が効を奏したと思われる。
 舞踊ショーでは、昼の部、座長の「風雪流れ旅」、夜の部、座長の歌唱をバックに虎順が踊った「舞姿」が印象に残った。
 昼の部の幕間で耳にした客の話。「初めてのところだから、いつまでもつかしらね」「座長の歌はうまいよ、でも心がこもってないよね」「あたしたちは、毎日来ているんだから」
 小岩の客は「目が肥えている」とでもいいたげな様子だったが、「客に媚びる」劇団ばかり見ていると、そう感じるかも知れない。「人気」と「実力」は比例しない一例といえるだろう。

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2018-06-19

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「長ドス仁義」と役者の変化(へんげ)》

【鹿島順一劇団】(座長・鹿島順一)〈平成20年3月公演・小岩湯宴ランド〉
芝居の外題は、昼の部「長ドス仁義」、夜の部「仇討ち絵巻・女装男子」。どちらの芝居も見聞済み、私は観客の反応の方に関心があったが、開幕と同時に大きな拍手、役者の退場時、また「見せ場」の随所で拍手が沸き上がる。特に、座長はじめ、どの役者の演技にも惹きつけられている様子が窺えた。「長ドス仁義」では、子分役の虎順が、主役・花道あきらに斬りかかったとき、一瞬、受けた刀身から火花が散ったかと思うほどの迫力に圧倒された。当初(昨年11月)、私は「座員寸評」を書いた(本ブログ・「劇団プロフィール」参照)が、今、読み返してみると、座員一人一人が確実に(私の期待通りに)「変化」(へんげ)しているように感じる。舞台を務める「自信」「意欲」「ひたむきさ」と「チームワーク」(総合力)が群を抜いている。花道あきらは、「力を抜く」ことによって、彼自身の「人間性」が浮き彫られ、「人情味」が倍増した。虎順の芝居もまた、南條影虎を抜き、恋川純と肩を並べようとしている。春大吉の「変化」も見事である。特に、「浜松情話」の娘役は、「身のこなし」ひとつで「心」を表現した「至芸」に他ならない。  
 今後、私が注目するのは、金太郎の「変化」である。彼は20歳で初舞台、およそ20年間舞台を務めた(かどうか詳細は不明だ)が、未だに「脇役」、遅々とした「変化」である。しかし、それこそが彼の「個性」であり、その「個性」が劇団の中で受け容れられ、必要とされているところが凄い。まさに、劇団の「実力」なのだ、と私は思う。
 新人女優だった香春香は、劇団との縁が切れたが、新たに3人の新人が入団した。彼らの活躍、「変化」に期待したい。

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