META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 2019年02月
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2019-02-28

付録・浪曲特選・《「瞼の母」の競演模様》・《上》(二葉百合子・中村冨士夫・伊丹秀子)

 浪曲「瞼の母(CD版)を聞き比べる。口演は、①二葉百合子、②中村冨士夫、③伊丹秀子、④天津羽衣、⑤京山幸枝若の五人、①から④までは、いずれも30分前後、⑤は歌謡浪曲で5分程度の内容である。さて、その出来栄えは「いずれ菖蒲か杜若」、甲乙が点け難い。①と②は、脚色が室町京之助で、長谷川伸の原作を直截に踏襲している。二葉百合子は、瓦屋半次郎の家の場面から大詰めの荒川土手までの流れを、忠実に辿りながら、番場の忠太郎の「心象世界」を鮮やかに浮き彫りする。とりわけ、冒頭の歌謡「瞼とじれば会えてたものを せめてひと目と故郷をすてた あすはいずこへ飛ぶのやら 月の峠で アア おっ母さん 泣くは番場の忠太郎」から、料亭水熊の語り「こんな事なら夢のまま 瞼の母の面影を そっと抱きしめ人知れず 会ってりゃよかった故郷の 番場の宿にさえいたらこんな憂き目は見まいもの 草鞋をはいたばっかりに 花のお江戸の柳橋 やっと会えたと思ったら ただいちどきに瞼から 母の姿が消えたとは 二十余年を一筋に 見てきた夢が無になった せめても一度あの時の 母よ来てくれ会いに来て ホロリ瞼で泣いてくれ」を経て、「一人 一人ぼっちと泣いたりするか 俺にゃいるんだ瞼の母が 孝行息子で手を引いて お連れしますぜ アア おっ母さん 旅のからすで あの世まで」という歌謡で締めくくられる風情は、まさに「一巻の絵巻物」である。極め付きは、冒頭と終末の「歌謡」であろう。その声、節回しは、誰にもまねできない「国宝」(無形文化財)級の代物である、と私は思う。続いて、中村冨士夫の作物、ほぼ内容は①と同じだが、冒頭は、番場の忠太郎の「仁義もどきのお目見え」から始まる(その中で「まだくちばしの青い身で」という件があったが、「嘴が黄色い」方が自然ではないだろうか、まあそんなことはどうでもいい)。瓦屋半次郎宅の場面は省略、料亭水熊の店先、忠太郎とおとら婆さんの絡みが初場面という演出だが、どうやら水熊の女将が自分の母親らしいと「確信」した後の「歌謡」が素晴らしかった。いわく「わずか五つのあの時に 別れて二十有余年 会いたい見たいと神かけて 祈り続けた母親と 年も名前もいっしょなら 生まれ在所もまた同じ どうか尋ねる母親で あってくれよと眼を閉じりゃ 母は恋しいなつかしい」。はやる忠太郎の気持ちが真に迫って描出される。演者は男とあって、いとも自然に忠太郎の風情が伝わってくるという按配で、とりわけ「おかみさん、とんだお邪魔でござんした。二度と再び忠太郎、お宅の軒はくぐりません。ごめんなせえっ」という「決め科白」が清々しかった。加えて大詰め、待乳山で待ち伏せた素盲・金五郎に向かって「・・・おうっと危ねえ、よせったら。畜生、じゃあ聞くがナ、てめえ、親がいるか」「そんなものァねえや」「兄弟は・・・」「いるもんけえ」「よし、じゃあ斬ってやらァ。なんだい、そんなへっぴり腰をしやがって・・・。それじゃァ人は斬れねんだ。斬るというのァ、こうやるんだっ」という「やりとり」の中に、アウトロー同士の荒んだ景色が仄見えて、やるせない。終末、「あとは静かな夜の闇 雲が流れた月が出た どこへ行くのか忠太郎、風に流転の三度笠」「ああ浅草の鐘が鳴る あれは竹屋の渡し船 影を姿を送るよに 声をじまんの船頭が 泣いているよな隅田川」という、寂寥感漂う中村冨士夫の語りの中には、まさにこの作物の眼目(愛別離苦)が、否応なしに結晶化されているのであった。続いて、③(伊丹秀子)は、荻原四朗の脚色、場面は料亭水熊のみ、筋書も長谷川伸の原作とは大きく異なり、瓦屋半次郎が水熊に「逃げ込んできた」という設定である。土地の親分、柳島の弥八が、一味と連れだって半次郎を追跡、「飯岡一家の若けぇ者を三人まで叩き斬ってずらかった野郎ダ。やくざの意地で生かしちゃおかねェ。だまってだしてもらいてェんだ・・・」と水熊の女将・お浜に迫るところから話は始まる。お浜は体よく弥八を追い返し、娘・お豊と共に半次郎をもてなすといった按配で、ややもすれば、お豊と半次郎の間にに「常ならぬ空気」が漂う景色を描出する。伊丹秀子、詠っていわく「お豊が先に顔だせば 見張りの者の影はなく 夜空に冴える神無月 水懐に映るのみ 後振り向いてうなづけば まわし合羽の半次郎 招きに応え木戸口へ 別れともない霧の夜」。匿っていた半次郎をお豊が逃がす場面だが、この《別れともない》という一言が、いかにも面妖で興味深かった。以後は定番通り、婆と忠太郎、忠太郎とお浜の「絡み」へと進んで行くが、この作物の特長は、登場人物が多いこと、前出の柳島弥八、お浜、半次郎、お豊に、銭を乞う老婆、忠太郎、水熊出入り人・徳、水熊女中、下男、なんと9人の面々を、伊丹秀子は、その声音だけで見事に演じ分ける。俗に「七色の声」と評される所以であろう。そのことによって、物語の展開が、芝居の舞台模様のようにその光景を彷彿とさせるのだ。また、忠太郎がお浜との「絡み」の中で「・・・お前さんは、間違えもない此の忠太郎のおっ母さんだ。へぇ、おっ母さん!なぜ返事をしてくれねえんだ。おっ母さん。おっ母さんと呼んじゃ悪うござんすか。大きな声で悪かったら」という科白に続いて「小さな声で、忠太郎と呼んでく下さい おっ母さん 武州金町瓦屋の半次郎と名乗る旅人を・・・」と「語り」に入っていく風情は、文字通り「天下一品」、終末も、お豊が弥八に拉致されたと聞くや、「お浜さん、お前には義理も恩もかけらも無えが、お豊とか云う娘さんは俺の話を聞いてやれと云ってくれた。優しそうな人が忘れられねぇんだ。一生一代の晴れの姿が無事に祝言させてやりてえ。この忠太郎がたすけてやるぜ」と言い残し、(三度笠を投げ捨てた、道中差の繰り方を、しっかり握る忠太郎。花散る堤 かけて行く)幕切れが、何ともあっけなく、「粋な別れ」であった、と私は思う。〈つづく〉(2011.6.19)



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