META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「幻八九三」・赤胴誠の試練》
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2018-06-12

劇団素描・「鹿島順一劇団」・《芝居「幻八九三」・赤胴誠の試練》

【鹿島順一劇団】(座長・三代目鹿島順一)〈平成23年2月公演・みかわ温泉海遊亭〉
第一部・芝居の外題は「幻八九三」。この演目は、新人・赤胴誠の出世狂言。私は去年の10月、ジョイフル福井でその舞台を見聞している。以下はその時の感想である。〈芝居の外題は「幻八九三」(まぼろしヤクザ)。雌伏三年、いよいよ新人・赤胴誠の「出番」がやってきた。これまで舞踊ショーの裏方(アナウンス)、個人舞踊、芝居での「ちょい役」で修業を積んできた赤胴誠が、初めて「出番」の多い、準主役をつとめるチャンスが巡って来たのである。筋書は単純、兄・伊三郎(座長・三代目鹿島順一)のようなヤクザに憧れている弟の伊之吉(赤胴誠)が、こともあろうに、兄とは敵同士の権助親分(春大吉)に入門を申し込む。「オレは日本一、強いヤクザになりてえんだ!」という一心で、親父(甲斐文太)や幼友達(幼紅葉)の忠告なんぞは「馬耳東風」と聞き流す。権助親分、はじめは取り合わなかったが、あまりにしつこくつきまとうので、「それなら十両もってこい。身内にしてやるぞ」。伊之吉、小躍りして自宅に跳び帰り、「親父、十両くれ。これから権助親分の身内にしてもらうんだ」、あきれかえる親父を尻目に十両ないかと家捜しをする始末、親父「そんな金があるはずもねえ」と高をくくっていたが、あにはからんや、伊之吉、亡母の仏前から十両持ち出してきた。そういえば、先刻、兄の伊三郎が旅から帰り、仏壇に手をあわせに行ったのだった。さだめし、兄が手向けた供え物に相違ない。「渡すわけにはいかない」と、必死に揉み合う親父と伊之吉。だが、どうみても「すばしっこさ」では伊之吉に分がある。十両手にして玄関を飛び出そうとしたとき、なぜか十手持ちの女親分(春日舞子)、颯爽と登場、たちまち伊之吉をねじ伏せて十両を取り戻す。「いててて、なんだ、この女、おぼえていやがれ!」と、捨て台詞をはいたまま、伊之助は権助親分のもとへ・・・。兄・伊三郎と女親分は旅の道中で顔見知り、気心が通じ合ったかどうかは不明だが、それとなく兄に「肩入れ」しようとする気配が感じられてはいたのだが・・・。権助親分のもとへ駆けつけた伊之吉、「十両持ってきたか」「それが、駄目でした」「どうして?」「十両は見つけましたが、へんな女に取り上げられちゃって」とかなんとか言っているところに、兄・伊三郎登場。権助親分「よくも帰ってきやがったな。身内の仇だ、生かしちゃおけねえ」、三人がかりで斬りかかるが、腕は数段伊三郎が上、たちまち返り討ちに・・・。その様子を見ていた伊之吉、「やっぱり、兄貴は強ええ!。兄貴の身内になりてえな」。新三郎「いいだろう、二人で一家をかまえよう」。だがしかし、そうは問屋が卸さない。なぜか再び十手持ちの女親分登場。「一家をかまえるなんてとんでもない。伊三郎!捕縛するから覚悟しろ」。かくてタイマンの勝負となったが、今度は女親分の腕が数段上、たちまちお縄をかけられて「おーい、伊之吉、助けてくれ、オレはまだ死にたくない・・・」と泣き出した。その姿の格好悪いこと、惨めなこと。伊之助、ハッと我に返り「なんでえ、なんでえ、あの姿。イヤだ、イヤだ。もうヤクザなんてなりたくねえ!」と叫んで号泣する。実を言えばこの話、伊之助にまっとうな人生を送らせようとして打った、伊三郎と女親分の「芝居」だったに違いない。私が驚嘆したのは、弟・伊之助こと赤胴誠の成長(変化)である。俗に、役者の条件は「イチ声、二振り、サン姿」というが、いずれをとっても難が無い。未熟な役者ほど、声(口跡・セリフ)だけで芝居を演じようとするものだが、今日の赤胴誠、「振り」も「姿」も初々しく、その場その場の「心情」がストレートに伝わってくる。例えば、親父に向かって「十両くれ!」とあっけらかんにせがむ「青さ」、十手持ち親分を「なんだ、この女」と見くびる「軽さ」、兄・伊三郎の立ち回りを、へっぴり腰で応援する「熱さ」、一転、捕縛された兄貴の惨めな姿に号泣する「純粋さ」等々、未熟で頼りない若衆の風情を「そのまま」舞台模様に描出できたことは、素晴らしいの一言に尽きる。雌伏三年、師匠・甲斐文太、諸先輩の「声・振り・姿」を見続けてきた研鑽の賜物であることを、私は確信した。甲斐文太は「今日の出来は30点」と評していたが、なによりも、他の役者にはない「誠らしさ」(個性)が芽生えていることはたしかであり、そのことを大切にすれば貴重な戦力になるであろう。客の心の中に入り込み、その心棒を自在に揺さぶることができるのは、役者の「個性」を措いて他にないからである。
 芝居の格、筋書としては「月並み」な狂言であっても、舞台の随所随所に役者の「個性」が輝き、客の感動を呼び起こす。それが「鹿島劇団」の奥義だが、今や新人・赤胴誠も、それに向かって「たしかな一歩」を踏み出したことを祝いたい〉。さて、今日の舞台の出来栄えや如何に?今回の配役は、大幅に変わった。伊之助・赤胴誠、伊三郎・三代目座長・鹿島順一、朋輩の娘・幼紅葉はそのままだが、敵役・権助親分は花道あきら、その子分に春日舞子、伊之助の親父に梅之枝健、十手持ち親分に責任者・甲斐文太という陣容で、舞台の景色はがらりと変わってきた。なるほど、前回に比べて、今回の配役の方が真っ当だが、赤胴誠にとっては一つの試練とでも言えようか、相手役(親父・十手持ち親分)の貫禄がありすぎて、やや押され気味の風情であった。この芝居の見どころは二つ、一に伊之助と親父のコミカルな「絡み」、二に伊三郎と十手持ち親分の爽快な「腹芸」だと私は思うが、甲斐文太が親父役から親分役に回ったことにより、当然のことながら後者の見どころが際だってくる。赤胴誠はもう師匠・甲斐文太の「胸を借りる」ことはできない。大ベテラン・梅之枝健を相手に、自力でその個性・初々しさを発揮しなければならなくなったのだ。「前回とは勝手が違う」と思ったかどうかは不明だが、およそ役者たるもの、どんな場面、どんな相手であっても、臨機応変に「見せ場」を演出する努力が必要である。たとえば、今日の舞台。兄・伊三郎が敵役子分を一人ずつ切り倒す立ち回りの場面、その様子をへっぴり腰で応援、一人倒すたびに拳を挙げて狂喜する伊之助の姿が不可欠、まさに「本日未熟者」の典型を描出しなければならない。観客は、その姿の残像があればこそ、大詰め、日本一強かったはずの兄貴が「助けてくれ、オレはまだ死にたくねえ・・・」と泣き出す無様な姿を見て落胆、一転して「なんでえ、なんでえ、あの姿。イヤだ、イヤだ。もうヤクザなんてなりたくねえ!」と叫んで号泣する伊之吉に共感することができるのである。という観点からみると、今日の赤胴誠は「やや淡白」であり過ぎたか・・・。いずれにせよ、舞台は水物、役者の修業に終わりはない。「たしかな一歩」を踏み出した赤胴誠の試練は、これからである。



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