META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 役者点描・若手・赤胴誠にやって来た《正念場》
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2022-06-04

役者点描・若手・赤胴誠にやって来た《正念場》

赤胴誠が「鹿島順一劇団」に入団したのは、平成20年2月頃であったか・・・、だとすれば、それ以来3年4カ月が過ぎたことになる。「石の上にも三年」という言葉どおりに、彼はよく辛抱した、と私は思う。赤胴誠の特長はいくらもあるが、その一番は、何と言っても、斯界屈指の実力者・甲斐文太(当時は座長・二代目鹿島順一)を自分の師匠に選んだことである。その元でどんな修業を積んだか私は知らない。どんな苦労があったかも、私は知らない。、彼のデビューは、まず舞踊ショー、裏方の「アナウンス」からであった。当初は、たどたどしく、声量・口調、タイミングも不安定だったが、ほぼ2カ月ほどで、彼の「アナウンス」は、堂に入ってきた。ややもすると、この「アナウンス」は軽視されがち、肝腎の演者名、演目名が、音曲のボリュームにかき消されて、聞き取りづらいきらいがあるのだが、彼の口跡はあくまで明快、明瞭、しかも淡々として出過ぎることなく、舞台模様を引き立てていた。この役割は重く、「風見劇団」「市川千太郎劇団」「一見劇団」などでは太夫元、後見役らが担当するほどだが、彼は「鹿島順一劇団」の「裏方アナウンサー」として、よくその重責を果たしている。その結果、「イチ声、二振り(顔)、サン姿」と言われる役者の条件のうち、まずは「イチ声」をクリアすることができたのだ、と私は思う。役者によっては子役のうちから、斯界独特の「クサイ言い回し」をたたき込まれるケースもある中で、彼の声(口跡)は、あくまで「自然体」、その素人っぽい「初々しさ」が、なんとも魅力的な空気を醸し出していることは間違いない。さて、「雌伏三年」、赤胴誠は平成22年10月公演(ジョイフル福井)の舞台で、「華々しく」といった雰囲気とはおよそ関わりなく、(私にとっては極めて唐突に)「芝居デビュー」を果たした。外題は「幻八九三」。かっこいい兄(三代目鹿島順一)のようになりたいとヤクザに憧れたが、やがてそれが「幻」と消えてしまう未熟な若者という役回りで、彼は精一杯、座員の面々と「五分に渡り合う」演技をしたのであった。当時綴った私の感想は以下の通りである。〈私が驚嘆したのは、弟・伊之助こと赤胴誠の成長(変化)である。俗に、役者の条件は「イチ声、二振り、サン姿」というが、いずれをとっても難が無い。未熟な役者ほど、声(口跡・セリフ)だけで芝居を演じようとするものだが、今日の赤胴誠、「振り」も「姿」も初々しく、その場その場の「心情」がストレートに伝わってくる。例えば、親父に向かって「十両くれ!」とあっけらかんにせがむ「青さ」、十手持ち親分を「なんだ、この女」と見くびる「軽さ」、兄・伊三郎の立ち回りを、へっぴり腰で応援する「熱さ」、一転、捕縛された兄貴の惨めな姿に号泣する「純粋さ」等々、未熟で頼りない若衆の風情を「そのまま」舞台模様に描出できたことは、素晴らしいの一言に尽きる。雌伏三年、師匠・甲斐文太、諸先輩の「声・振り・姿」を見続けてきた研鑽の賜物であることを、私は確信した。甲斐文太は「今日の出来は30点」と評していたが、なによりも、他の役者にはない「誠らしさ」(個性)が芽生えていることはたしかであり、そのことを大切にすれば貴重な戦力になるであろう。客の心の中に入り込み、その心棒を自在に揺さぶることができるのは、役者の「個性」を措いて他にないからである。芝居の格、筋書としては「月並み」な狂言であっても、舞台の随所随所に役者の「個性」が輝き、客の感動を呼び起こす。それが「鹿島劇団」の奥義だが、今や新人・赤胴誠も、それに向かって「たしかな一歩」を踏み出したことを祝いたい〉。
その時から、さらに8カ月が経過した今、彼はどのような舞台姿を見せているだろうか。蛇々丸、春大吉らのベテランが抜け、新人の壬剣天音が加入といった「流れ」の中で、いつまでも「新人」ではいられない。座長・三代目鹿島順一の相手役として「五分に渡り合う」実力、気力が求められるのだ。舞踊ショーで演じる、座長との「殺陣」はその一例であろう。しかし、芝居「紺屋と高雄」の鼻欠けおかつ、「新月桂川」の源次(弟分)、「源太しぐれ」の子連れ素浪人(盲目)、「関取千両幟」のふんどし担ぎ・・・等々への「挑戦」は、自然のなりゆきとは言え、油断は禁物である。おそらく、師匠の甲斐文太は、「今日の出来は30点」、もしくは「それ以下だ」と評するに違いない。先輩が残していった財産(伝統)を確実に受け継ぎ、それをみずからの「個性」によって、さらに発展させること、それが、若手・赤胴誠に課せられた「課題」であり「使命」である、と私は思う。彼の「声」「振り(顔)」「姿」に不足はない。それを、どのように磨き上げ、数ある「名狂言」の中に「結実化」させるか・・・、そのためには「六十一・賀の祝」の弟役から、「人生花舞台」の花形役者、さらには「命の架け橋」の重罪人、「春木の女」の《つっころばし》の役柄に至るまで果敢に挑み続け、やがては「自家薬籠中のもの」(十八番)として仕上げなければなるまい。願わくば「芸道一筋」、まさに、赤胴誠の「正念場」がやって来たのである。(2011.6.14)



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