META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 付録・邦画傑作選・《「有りがとうさん」(監督・清水宏・松竹・1936年)》
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2018-05-25

付録・邦画傑作選・《「有りがとうさん」(監督・清水宏・松竹・1936年)》

 タイトルの「有りがとうさん」とは、ある男のニックネームである。彼は三島~下田間を往復する乗合バスの運転手、まだ二十代の二枚目(上原謙)、天城・下田街道を歩く人々を(時にはニワトリの群れにまでも)追い抜くたびに、「(道を譲ってくれて)ありがとう!」と声をかけて往く。走行距離は二十里、二つの峠を越さなければならない。
 その日も彼は、道路工事の人、馬車を引く人、木枝や籠を背負った農夫、農婦たちに「ありがとう」と声をかけながら下田に着いた。終点の売店でしばし休憩のあと、午後3時には三島までの復路を辿るのである。乗合バスといっても乗客の定員は10人程か、その中には東京に身売りする娘(築地まゆみ)と駅まで見送る母親(二葉かほる)、歓楽街を流れゆく酌婦・黒襟の女(桑野通子)、高慢ちきな髭の紳士(石山隆嗣)、行商人(仲英之助)、村の老人(金井光義)らが混じっていた。時代は不況のまっただ中、走り出した車中で、老人が娘、母親に話しかける。「娘さんはいくつだね」「17ですよ。昔は嫁入り盛りだったのに」「当節、娘さんの笑う顔を見たことがないよ。でも娘さんで幸せだよ。男だったら働き口がなくてルンペンになるほかはない」などというやりとりをするうちに、山道を歩いてくる大家族とすれ違った。有りがとうさんが言う。「あの人達は失業して村に帰ってきたんですよ。このごろは毎日ですからね・・・」。黒襟の女が応えて「それでも帰る家があるだけ幸せだよ。私なんか方々歩いているうちに帰る家がわかんなくなったわ」。やがて、1台のオープンカーが警笛を鳴らしながら追いついてきた。無言で追い抜いて行くその車を見やりながら、黒襟の女は「チクショー、ありがとうぐらい言えばいいのに!」と悔しがる。しかし、直後に、オープンカーンがエンジントラブルで停車するのを見て、さわやかに「ありがとう!」と呼びかける場面は小気味よかった。まもなくバスも停留所へ、さきほどの老人が降りていく。「娘さん、東京にはキツネやタヌキがたくさんいるから気をつけるんだよ」。老人の席が空いた。髭の紳士が娘に近づこうとして移動する。すかさず黒襟の女、「自動車の中にもタヌキが居るよ。髭を生やしたタヌキが!」・・・・といった人間模様が、戦前(1930年代)の日本人の姿を見事に浮き彫りしているようで、たいそう面白かった。
 この映画の監督・清水宏は〈実写的精神を重んじ「役者なんかは物を言う小道具」という言葉を残している〉(ウィキペディア百科事典)そうだが、「有りがとうさん」という作品には寸分の隙もない。まさに物を言う小道具、役者一人一人のセリフは「ゆっくりと噛みしめるように」流れ、登場人物に主役、脇役、端役の差がないのである。筋書きといった筋書きは見当たらず、街道を往く乗合バスの運転手を中心に、彼と巡り合う様々な人々との「対話」だけでドラマが展開する。背景はは港、温泉場、渓谷、隧道と移りゆく中で、人々の生き様、心象風景がみごとに映し出されていると、私は思った。
 乗合バスは以後、温泉場を渡り歩く旅芸人(長尾寛、末松孝行、京谷智恵子、水戸光子)双子の出産に駆けつける医者(谷麗光)、学校帰りの子どもたち(飯島善太郎、藤松正太郎、葉山正雄)、東京の流行歌を買ってきてくれと頼む村娘(小牧和子)、行方不明になった息子を探して彷徨う男(如月輝夫?)らと出会いながら進んでいくが、道中半ばで車中の娘は泣き崩れる。その姿に気を取られた有りがとうさんは運転を誤り崖から転落寸前、危うく何をのがれたが「とんだ軽業をやってしまいました」と平然としている。その姿が何とも頼もしかった。再び走り出し一同が居眠りを始めると、娘が近づいて来て「有りがとうさんは今度自分で開業するんだってねえ」「ああ、セコハンのシボレーが安く手に入るから」「じゃあ、今度私が帰る時にはその車だわねえ」などと話しかけた。眠っていた黒襟の女が気がついて「運ちゃんに話しかけると危ないよ、崖道だから」。娘はやむなく後部座席に移ったが、髭の紳士「おい君、君。せっかく来たんだから戻らんでもいいじゃないか」。今度は黒襟の女が運ちゃんに話しかける。「タバコ一本、ご馳走してくれない。私があの港町に来たときも、有りがとうさんの車だったわねえ。覚えてる?二十里の山道に退屈していたら、あたしにタバコをくれたっけねえ。旅に出て親切にされるととてもうれしいもんだよ」。今度は髭の紳士が黙っていない。「運ちゃんに話しかけると危ないよ。片っ方は崖だから」。窓の外は切り立った深い渓谷・・・、といったやりとりも実に面白かった。修行僧に出会えば、ハイキングの元祖は日蓮か空海かなどと行商人で論議する。「どうです、旦那?ハイキングとはお経の中の言葉でしょうか」と髭の紳士に問いかければ、「うるさいねえ、クダラン!鉄道省の旅行案内に行って聞いてみたまえ」。やがて、母親が羊羹を一同に振る舞うが、なぜか黒襟の女を無視・・・、女はたまらず「あたしだけはままっこねえ」とすねてみせた。母親が「残り物でよかったら」と差し出せば「おっかさん、言ってみただけよ。あたしは甘党じゃない」と言い、朋輩から餞別のウイスキーを取り出した。一同に「一杯いかが」と勧める。髭の紳士が手を差し出すのをさりげなく振り払い、他の乗客に蓋のコップを差し出す姿が、ひときわ絵になっていた。たちまち車内は宴会ムード、民謡まで飛びだしたが、髭の紳士は仏頂面で「おい、運転手。車内で酒や唄は規則違反ではないのか!」。有りがとうさんはとりあわず、黒襟が髭に「そうひがまないで、一杯どう?」とコップを差し出した。髭はたちまち愛嬌を崩して「それではせっかくの御好意だから頂こうか」。黒襟、まさに注がんとして曰く「ああ、そうそう、車内でお酒や唄は規則違反だったわねえ」。そのしっぺ返しはひときわ鮮やかであった。車外の街道を、荷物を担いだ朝鮮人労働者が歩いている。最後のトンネルの前でバスは一休止した。谷に向かって石を投げながら、有りがとうさんと娘が「対話」する。「あたし、有りがとうさんに手紙書いてもいいかしら」「いいとも、ボクだって手紙ぐらい書けるよ」。その様子を見咎めていた黒襟の女・・・。娘の姿に自分の過去を投影したか、「二人の仲を成就させよう」と思ったか。出発間近、朝鮮人の娘(久原良子)が追いついて来た。「もう工事、終わったのかい」「今度は信州に行くの」「向こうは寒いだろうねえ」「あたし、お願いがあるの。お父さんを置いていくから、お花と水をあげてほしいの」「そうか。お父さんはここで死んだんだったねえ」「あたしたち、道を作るけど、その道を歩いたことはないの。日本の着物を着て歩いてみたい・・・」「この、バスに乗らないか。駅まで送ってあげるよ」「あたし、皆と一緒に歩くの、皆と一緒に」、バスは出発。残された娘の姿がトンネルの入口から小さくなり、消えて行く場面はこの映画のクライマックスであったように思われた。
 走り出したバスは、韮山の婚礼に赴く夫婦(桂木志郎、水上清子)、長岡の通夜に赴く老人(縣秀介)を乗せては降ろし、乗せては降ろし、最後に新婚夫婦(小倉繁、河井君枝)を乗せると三島の街にさしかかった。折しも、東京女歌舞伎一座(浪花友子、三上文江、小池政江、爆弾小僧)の「お練り」「口上」の真っ最中、それをやり過ごして、いよいよ終点も間近となった。東京に売られていく娘、母親に「私がいなくなったらおっかさん病気しないといいわねえ」と言って目頭を押さえる。その様子に気を取られている有りがとうさん・・。黒襟の女「またよそ見して軽業をしないでよ」と言いつつ、意を決したかのように、凜として(有りがとうさんの耳もとに)囁いた。「東京にはキツネとタヌキばっかりなんだよ、シボレーのセコハン買ったと思や、あの娘さんは一山いくらの女にならずにすむんだよ。峠を越えていった女はめったに帰っちゃ来ないんだよ。分かったかい?有りがとうさん!」キッとした表情でバックミラーに目をやる有りがとうさん。黒襟の女が呟くモノローグ、「たった二十里の間にもこれだけのことがあるんだもの、広い世の中にはいろんなことがあるだろうねえ」で、終局を迎える。その後の画面には一転、《翌日 天城街道は日本晴れ》という字幕が燦然と輝いていた。翌日、再び下田に向かう車中には件の娘と母親の姿が・・・。有りがとうさんは、セコハンのシボレー代を娘に捧げたのである。「帰ったら昨日の女の人に手紙を出しましょうね」「どこへ行ったか行き先がわからないよ」「私、一度お礼が言いたいわ」「渡り鳥ならまた帰って来るがねえ」「あの人、いい人だったわねえ」そんな会話を交わすうちにも、街道筋には子どもたちが群れ集い「バンザイ!バンザイ!」と小躍りする。かくてこの映画は大団円となった。
 まさに戦前邦画、屈指の名作!「役者は物を言う小道具」に過ぎない、芝居を撮っても映画にはならない、映画を作るのは監督である、画面に映し出される山や川、海、家屋、荷車、馬、ニワトリ等々、「すべて」が物を言うのである、といった清水宏の方法論が結実化した珠玉の名品といえよう。私はこの映画を通して「街道」の意味をしみじみと思い知らされた。昔の人は、ただひたすら、街道を歩き続けた。歩くことが生きることであり、そこに人生の真髄が秘められているのだろう。事実、この街道を往く自動車は一台のオープンカーと湯ヶ野ですれ違った乗合バスに過ぎなかった。バスが出会った、歩いている人々の中にこそ「本当の人生」がある。それを教えてくれたことへの感謝が「ありがとう」という言葉の中に込められていることは間違いない。今は昔、街道を歩く人は見当たらない。同時に、私たちの「人生」もまた失われつつあるようである。(2016.9.16) 



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