META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 付録・邦画傑作選・「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)
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2018-11-15

付録・邦画傑作選・「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)

 ユーチューブで映画「雄呂血」(監督・二川文太郎・1925年)を観た。阪東妻三郎プロダクション第1回作品で、大正末期、日本に「剣戟ブーム」をもたらした記念碑的作品と言われている。あらすじは以下の通りである。(「ウィキペディア百科事典」より引用) 
 〈漢学者松澄永山の娘・奈美江と、その弟子で正義感の強い若侍・久利富平三郎はひそかに愛し合っていた。平三郎は師の誕生祝いの夜、同門の家老の息子の浪岡の無礼を怒り、腕力沙汰に及んだことから蟄居を命じられる。また奈美江を中傷誹謗していた家中の若侍を懲らしめたことが逆に永山の誤解を招き、師からも破門され、石もて追われるように故郷を捨て、旅に出る平三郎。平三郎は自分が正しいと信じてやったことが事毎に周りから曲解され、そのこころは次第に荒んでいき、無頼の浪人となり下がり、虚無の深淵に沈んでいく。たまたまある町の料亭で働く千代を知り、女の情を求めて牢を破って訪ねたもののすでに千代は人の妻となっていた。捕吏に追われた平三郎は侠客・次郎三のもとへ飛び込むが、この侠客が喰わせ者。病に難渋する旅の夫婦を助けたは良いがその妻に言い寄り手篭めにしようとする。しかもその妻女こそ、かつての恩師の娘、初恋の人の奈美江であった。平三郎の白刃一閃、見事次郎三を斬り捨てるがもはや脱出かなわず、十重二十重の重囲のなかに堕ち、乱闘又乱闘の大立ち回りの末、ついに力尽き捕えられ、群衆の悪罵を浴び引かれていく。その中に涙に濡れ、平三郎を伏し拝む奈美江夫婦の姿があったことを、群衆の誰一人知る者はいなかった。〉
この映画の眼目は「善と悪」、一見善人と見られていてもその根底に悪が潜んでいることもあり、無頼漢と思われている者の中に善行が秘められていることがある、つねに世の中はそうした矛盾を孕んでいることに気づかなければならない、といったあたりを、やや生硬な字幕が物語る。大正デモクラシーの影響も感じられて、たいそう興味深かった。  配役は無頼漢・久利富平三郎に阪東妻三郎、恩師・松澄永山に関操、その娘・奈美江に環歌子、家老の息子・浪岡真八郎に山村桃太郎、侠客・赤城二郎三に中村吉松、掏摸・二十日鼠の幸吉に中村琴之助、町の娘・お千代に森静子といった面々だが、阪東妻三郎を除いて私の知る俳優は皆無であった。見どころは、ほんの些細な出来事がきっかけで、純真・闊達・剛健の若侍が無頼漢へと落ち込んで行くプロセスである。「よかれ」と思う言動が、ことごとく裏目に出てしまう。「とかくこの世はままならず」「渡る世間は鬼ばかり」といった現代にも通じる人間模様を、そのやるせない風情によって阪東妻三郎は見事に描出していた、と私は思う。平三郎は何一つ悪事(殺人)をしていない、そのことを知っているのは観客だけである。しかし大詰めでは、堪忍袋の緒が切れた。最愛の人を陵辱しようとする「善人」・二郎三を成敗、百人近い捕り手を相手に斬って斬って斬りまくる。誰が見ても無頼漢、悪逆非道の振る舞いだが、最愛の人だけは手を合わせて見守る。力尽き牽かれて行く平三郎を泣き崩れるて見送る奈美江の姿がことのほか「絵」になっていた。
 映画はサイレントだが(弁士の説明があるにしても)、私にはその「場」の音が聞こえる。邦画史上に残る一級品の名作であった。
(2017.1.16)



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